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第9章 後編

 


 最果ての地、神殿――

 そこには片腕を失い、全身に傷を負った闇の神ヴォロデリアと、無傷の光の神が対峙していた。光の神の冷たく無感情な瞳はいまだ屈しないヴォロデリアに向けられている。

「……」

 神殿の入り口が静かに開き、三人の使徒が姿を現した。先頭を歩くαが跪き、後ろにウォルターとハトアが続く。

「直接あなたの口から報告を聞きましょうか」

 光の神は一切彼らを見ようともせず、冷たくそう言い放った。使徒の呪いが解けていることも自覚しているのだろうか。しかし、ウォルターとハトアが跪かないことにも全く関心がないように見える。

 αは沈黙を破り、頭を下げたまま淡々と報告を始める。

「私が率いた天使たちは、全滅いたしましタ。残った使徒も、我々三人のみでス」

 正確には久遠も残っているが、この場にはいない。その報告に光の神は何の感情も表さなかった。彼の瞳はなおもヴォロデリアに向けられたままだ。

「イレギュラーの排除はどうなりましたか?」

 αが口を開こうとした瞬間、神の声が冷たく遮った。

「いえ、もういいです。あなたには失望しました」

 光の神は鋭い動作で、ヴォロデリアに刺さっていた剣を引き抜き、そのままαに向けた。αはその剣先を見ても動じることなく、真っ直ぐに光の神を見上げている。

「単刀直入に申し上げまス。人間世界への進出を……考え直していただけないでしょうカ?」

 αの口から出た言葉に、神殿の空気が凍りついた。

「今、なんと?」

 光の神の顔に一瞬の動揺が走った。最も忠実な使徒の口からそんな言葉が出るなど想像もしなかったからだ。無感情な仮面がほんの少しだけ崩れ、光の神は眉を顰めた。

「……育てたよしみです。理由くらいは聞いておきましょうか」

 光の神はαの言葉を聞くために微かに首を傾けた。αは深く息を吸い込み、穏やかに語り始める。

「人間は私たちが思うほど醜くありまセン。彼らの中には、強い意志と絆を持つ者がいまス。私は戦いの中で彼らを深く知りましタ。彼らがどれほど必死に生キ、何を守ろうとしているのかヲ……」

 αの言葉は、修太郎との出会いを経て彼自身が感じ取ったそのままの感情が込められていた。光の神が作り出し、完璧な秩序に従って生きてきたαがはじめて見せた〝抵抗〟。

「私は雷千という男を利用シ、死なせましタ。彼は邪悪でしたガ、それでも守るべきものがあっタ」

 現実に帰りたい。

 脱出組はその一心で光の神に〝賭けた〟。

 彼らを変えたのはデスゲーム(この世界)

 そして――

「彼らを歪ませたのハ、あなたダ」

 αは鋭い視線で光の神を見つめた。

「あなたは復讐ばかりに気を取らレ、人間と共に歩む道を探していなイ。人間を見ていなイ」

 αの言葉に、光の神は小さく息を吐く。

「私はあなたを人間として育てました、少しでも人間というモノを理解できるようにとね」

 ですが、と、光の神は続ける。

「――どうやら失敗だったようですね」

「それではなぜ私を作ったのですカ!?」

 αは感情的に叫んだ。

「人間を理解し歩み寄ろうとしたから私を作ったのではないのですカ! なぜ理解することを拒むのですカ!」

 αはすでに覚悟を決めていた。

 その上で、人間たちのために叫び続ける。

「あなたは自分に従順な人間が欲しかっただけではありませんカ?! そんなもの天使(人形)と変わらなイ! 私の言葉に耳を貸すつもりがないのなラ、人間に耳を貸すつもりがないのなラ……私はそもそも必要なかったのでしょうカ」

「(α……)」

 ハトアは涙を堪えてその叫びを聞いていた。

 呪いに縛られていたとはいえ、行動を共にした同士でもあるα。生みの親に剣を向けられてもなお、人間のために声を上げ続ける彼の姿を見守り続けた。

 ウォルターは無言で光の神を見ていた。

 神の動きは未来視(固有スキル)でも分からない。だからこれは賭けであった。αは他の使徒とは根本的に違う、光の神自身が望み作った存在。彼の言葉ならあるいはと。

 しばらくの沈黙ののち、光の神が口を開く。

「――それで、満足しましたか?」

 光の神はαの言葉を冷笑と共に切り捨てた。

「勘違いしているようですが、あなたを作ったのは単なる気まぐれです。忌々しい人間を側に置いたら〝私は〟どうなるのだろう、とね」

 光の神は続ける。

「私に従順な人間が、私にどれほどの利益を与えられるか試したまで。なのにあなたは利益どころか、ただの人間に負け、配下を大勢失ってきた。あなたが必要かどうかの答えが知りたいと? でははっきりと答えましょうか」

 まるで虫を踏みつけるように、冷酷な視線をαに向けた。

「お前は私の世界に必要ない。人間も、全て」

 神殿内に広がる殺気――三人はほぼ同時に武器をとった。

「……」

 無言で剣を見下ろすα。

 これまで数多の命令をこの剣で果たしてきた記憶が脳裏に甦る。神に従い、何の疑問も抱かずに振るってきた剣。しかし今、その剣はまるで自分の手に馴染まない異物のように感じられた。

 心の中で渦巻く葛藤が彼の体を引き裂こうとする。戦いの果てに何が残るのかはすでに知っていた。剣を振るうたびに失われていく命、その重みがαの心にのしかかる。自問自答を繰り返すうちに、次第に体から力が抜けていく。

「(本当にこれでいいのカ?)」

 αは剣を静かに下ろし臨戦体制を解いた。

 ウォルターとハトアの叫びがこだまする。

「もはや奴とは分かり合えん。腹を決めよ」

「α! しっかりして! やるのよ!」

 しかしαは微動だにしない。それどころか、静かに剣を手から落とした。鋭く冷たい音が神殿の床に響き、光の剣はその役目を終えたようにスゥと消えていく。

「すまなイ……ウォルター、ハトア……」

 αは静かに口を開いた。

「私は戦わない」

 その言葉に、二人は驚愕の表情を浮かべる。

「どうして……?」

 ハトアの声は震えていた。

「私がこの場で戦えば、勝敗はどうであれ神と同じになります。力で何もかも決める世界、それが正義なら言語は意味をなさなくなる。私たちは野生動物ではなく、対話をするための言語を持つ存在……それを忘れたくない」

 不思議と彼の声は人間のように滑らかになっていた。言葉は穏やかだったが、決意は固い。

「巻き込んでしまってすまなかった。願わくばどうかここから離れた場所で穏やかに生きてほしい。共に戦った同志としてそう願っている」

 αはそう言って静かに微笑みを浮かべた。

「それがお前の出した答えじゃな」

「……」

「そうか。相分かった」

 ウォルターは優しくそう呟いた。

 αはそのまま視線を光の神へと向ける。

「あなたが育ててくれたから、私はこの気持ちに気付くことができた。だから最後まであなたを信じ続けます――人間として」

 微かな希望を胸にαはそこに立っていた。

 光の神が静かに口を開く。

「そうですか」

 冷たい声が神殿内に響き渡る。

 光の神はαの訴えを全く聞き入れる様子もなく、ただ一瞬の沈黙の後、次の行動に移った。

 それは――速く鋭い無慈悲の一撃。

 右手を軽く振り上げ、掌から放たれた光がαに向かう。抵抗する暇もなく、光は彼の身体を瞬時に包み込み、何も残さず消し去った。

「いやあああッ!!!」

 ハトアの絶叫がこだまする。

 ウォルターの行動は早かった。

「我々は生きてαの意志を受け継がねばならん……!」

 光の神がαを攻撃する刹那の瞬間、ヴォロデリアと風の精霊の元へ転移したウォルターは、ハトアを連れてその場を離れた。

 光の神だけがその場に佇んでいた。

 




 神殿は静寂に包まれていた。光の神は、逃げた者たちを追おうとはせず、αが立っていた場所をじっと見つめたままだ。

「αは最後までアンタに従順だったよ」

 闇の中から現れた久遠が歩み寄る。

 光の神は一切の反応を見せずその場に佇んでいた。

「あいつは最後の最後までアンタに話を聞かせようとした。信じてたんだよ、ほんの少しでも、アンタが変わるかもしれないって」

「私は私を否定する者を容赦しません。誰であろうと」

 その冷酷な声には、微かな揺らぎが混ざっていた。久遠は、それを見逃さずに続ける。

「あいつは否定したんじゃない。人間がどんな存在かをアンタに証明しようとしただけだ。そして……共存する道を提案したんだ。それを拒んだのは、他でもないアンタ自身だ」

 神の目に怒りの色が灯った。

 その冷ややかな瞳が久遠に向けられる。

「黙りなさい」

 光の神が振り返り、久遠に手を向ける。その指先からは殺意が漏れ出し、神殿の空気を震わせた。その瞬間、αの言葉が彼の脳裏に甦る。 『私は戦わない』

 その一言が、光の神の動きを一瞬止めた。久遠はそれを見て、冷たい笑みを浮かべた。

「即断即殺だったアンタが今はこうして躊躇している。それが変わってきている証拠じゃないか?」

「私が……変わる? たかがαの意見で、この私が揺れるとでも?」

 その瞬間、神殿の壁が殺気に共鳴するように軋み、ひび割れていく。先ほどまでの無機質な冷気とは違い、そこには確かに感情が宿っていた。それは久遠に向けられたものか、それとも世界そのものへの怒りか――。

「まあ、アンタがどうなろうと俺には関係ないよ」

 凄まじい威圧感の中、久遠はふっと笑う。

「俺はただ、お前がどうなるのか見届けたいだけだ。お前の作ったこの世界――素晴らしかったよ。生身を捨ててこの世界にいたいと思った。人間としての命なんてとっくに興味はない。俺はお前がどんな結末を迎えるのか、この目で見たいだけさ」

 光の神はその言葉に微かに眉を寄せた。

 従順なしもべであるはずのαは人間であることを選び、しかし目の前のこの男は人間でありながら別の生き方を歩もうとしている。

「俺はαとは違う。共存なんて興味はない。ただ、この世界をもっと楽しみたかった。それだけだ」

 その声には、命への執着がまるで感じられなかった。久遠の言葉はどこか冷たく、哀愁を帯びていた。

「世界が終わる瞬間まで俺が付き合ってやるよ。だからもう終わりにしろ。もうこれ以上、誰も苦しませるな」

 久遠の声は低く、悲しく響く。光の神は怒りに染まった顔で再び久遠に向かって叫ぶ。

「使徒風情が私に意見するな!」

使徒(俺たち)を拒否したら、誰がアンタの味方になってやるんだ?」

「味方? 必要なのは〝従順な兵士〟のみ。愚かなαを見て確信できました。兵士には意思も言葉さえ必要ないとね」

 小さく微笑みながら、αのいた場所を見る光の神。久遠は思わず叫んだ。

「それじゃあ振り出しに戻ってんだよ! アンタが悩み続けたその時間はなんだったんだ!」

「無駄な時間だった、そう言っているでしょう」

 もはや言葉は届かない。

 久遠は悲しげな顔をしながら「……そうかい」と呟き、闇の中へと消えていった。

 光の神は再びαのいた場所に視線を送る。

「……なぜでしょう」

 その声は微かに震えていた。

 αが語った言葉、彼の覚悟、そして最後まで人間として生きると決めた姿――自分に説明のつかない迷いが生じていることに気づき、苛立ちが募る。

「……」

 完璧な秩序と力で支配し続けてきた彼は、自分にこのような揺らぎが生まれると思いもしなかった。αは自らが望んで作り上げた存在。その忠誠を裏切られたはずなのに、なぜか苛立ちよりも喪失感が勝っていた。

『あなたが人間として育ててくれたから、私はここに人間として立つことができた。だから最後まで人間で居続けます』

 αの言葉が繰り返し頭をよぎる。対話、共存、人間としての意志――光の神はそれを「無意味」と一蹴したはずだった。しかし、αの訴えが頭の中から消えない。何かが崩れ始めているのを自覚しながらも、彼はその感情を否定するように顔をしかめる。

「力こそが正義、力こそが秩序を保つ唯一の手段です。今までも、そしてこれからも」

 言い聞かせるように呟くその声に、同意する者はもういない。

 目を閉じ、苛立ちと喪失感を押し殺そうとするかのように、光の神は両手を広げた。

「世界よ塗り変われ――終焉は近い」

 彼の中に生まれた揺らぎが、制御不能な力として暴走し始めていた。神殿の壁は音を立てて崩れ落ち、周囲の大地が轟音と共に裂けていく。まるで世界そのものが悲鳴を上げるかのようだった。青空は白い光に覆われ、色を失ってゆく――。





 魔王たちが戻ると、レジウリアは歓喜の渦に包まれた。mobだからと忌避していたプレイヤーにとっても彼らは命の恩人であり、使徒撃退によって誰もが認める英雄となった。

 姿が見えてくると、修太郎は感極まった様子で魔王たちめがけて飛び込んだ!

「みんな! 無事でよかった……!」

 バンピーとガララスが押し合いする隙を見て、シルヴィアが修太郎を抱き止める。

「主様もご無事でなによりです!」

 シルヴィアは修太郎を力強く抱きしめ、頬を擦りつけて恍惚の表情を浮かべている。

「貴様抜け駆けとは卑怯な真似を」

「シルヴィアそこ代わりなさい!」

 二人を無視するシルヴィアと、それを見て苦笑いを浮かべるエルロードとセオドール。彼らはこの和やかな空間にようやく気を緩めることができた――ただ一人、険しい顔で立ち尽くすバートランドを除いて。

「ちょっとだけ危なかったけどね。でも、みんなのおかげでレジウリアも守れた!」

 そう言って修太郎は取り囲むプレイヤーとレジウリアの民達に向かって手を広げる。一層歓声が大きくなり、祝福の花が舞う。

「すべての町からの避難、使徒の撃退、レジウリアの防衛。考えうる限り最高の結果だよね?!」

 拍手の中、修太郎が叫ぶように言った。

 当初の目的はすべて達成し、死者も0。あとは攻略組がどの程度進めているかにもよるが、三箇所で同時に行われた作戦は概ねプレイヤー側の勝利という結果で終結した。

「俺からひとつ話しておきたいことがあります」

 興奮冷めやらぬなか、バートランドが口を開く。修太郎はその表情に気づき、真剣な顔で問いかけた。

「どうしたの?」

 バートランドは重々しい口調で言った。

「使徒はまだ残っています」

 その声に周囲は緊張感を取り戻した。拍手や歓声は次第に静まり、皆の視線がバートランドに注がれるも、修太郎は「大丈夫!」と微笑んだ。

「実はαと和解できたんだ。彼は残った使徒を連れて行くって言ってたし、今は光の神と話し合いをしている最中だと思う。残ってるってのはそのことじゃないかな?」

 バートランドは目を丸くして尋ねる。

「和解、ですか?」

 エルロードが頷いて続けた。

「ええ。私の師も同行しています」

「なんだァ、知らなかったのは俺だけか」

 バートランドは安堵したように肩を落とし、息を吐いた。

「主様がなぜαの動向を?」

「そうだよね、そこから説明しないとだ」

 バンピーの疑問に修太郎は「話すの忘れてた」と気まずそうに笑いながら頭を小突いた。

 そして魔王達はレジウリアに使徒αが攻めてきたことをここで初めて知らされた。しかし彼らの目に不安や安堵といった変化は見られず、撃退したことがさも〝当たり前〟だという風に聞いているのが見える。修太郎を心から信じているからこその反応といえる。

「じゃあαはその二人を連れて光の神に会いに行ってるんだね。一人で行くよりずっといいや」

 情報の整理が終わり、そう推測を立てる修太郎。

「光の神が干渉して来なかったということは、ヴォロデリアの足止めも上手くいっているのかもしれませんね」

 エルロードは内心、全てがうまくいったとは思っていなかった。知らない場所でとても大きなことが起こり始めている予感もしていた。ただそれが杞憂であってほしいとも願っていた。

「!」

 しかしその願いも虚しく、突然空間が裂け、場の中心に裂け目が現れた。そして裂け目から転がるように現れたのは、ボロボロの姿で倒れ込むヴォロデリアだった。

 空気が一変し、場に緊張が走る。

「ヴォロデリアさん!?」

 修太郎は目を見開き、駆け寄ろうとした。

 しかしバンピーがすかさずその行手を阻む。

「主様お許しを。まずは確認が必要です」

 彼女の声には明確な警戒心がこもっている。

 他の魔王たちも同じ見解のようで、倒れ伏すヴォロデリアに冷たい視線を向けていた。

 さらに、遅れて吐き出された風の精霊、そしてウォルターとハトアの存在が場の緊張感を更に加速させた。

「安心せい。我々は操られておらん」

 ウォルターの言葉は落ち着いていたが、その表情には焦りが浮かんでいる。エルロードは鋭い目で彼を見つめ、「間違いなさそうです」と確信を込めて頷いた。

「すまんのう、緊急につき場所をわきまえず飛んできてしまった」

 ウォルターは疲れ切った様子でそう言った。

「説明してもらおうか?」

 バートランドが鋭く問いかける。ハトアは顔を伏せ、言葉を詰まらせている。再びウォルターが重々しく続けた。

「交渉は決裂した。光の神はもはや暴走状態にある。いままでのように策を講じるのではなく、純粋な力のみで支配するつもりのようじゃ」

「なんでそんなことが分かるんだ?」

「我々は彼の一部でもあるからのう。それに、解けた呪いをかけ直すことすらしなかった。奴は今後、一人ですべてを完結するつもりじゃ」

 歪ながらも組織として動いていた光の神が最後の手段に出たと見て、エルロードは「いよいよですね」と呟いた。光の神()が追い詰められているのは間違いないが、付け入る隙はなくなる。今後は一筋縄ではいかない。

「あれ……?」

 修太郎はふとあることに気付き周りを見渡す。

「そういえばαはどこ?」

 ウォルターは言葉を飲み込み、答えに詰まる。ハトアがその沈黙を打ち破った。

「光の神に消されたわ。あいつ、自分の子を簡単に――!」

 彼女は悲しみに震えながら、絶望と怒りが入り混じった声で叫ぶ。

「そんな……」

 修太郎は立ち尽くし、握り締めた拳を震わせる。

「……話し合いは、ちゃんとできたの?」

 震える声で呟く修太郎。

 ウォルターが複雑そうな顔でそれに答える。

「ふむ、あれは〝話し合い〟とは言えんな。αは人間達との共生を主張したが、神は聞く耳を持たなかった。残念な結果になってしまった」

「そっか」

 それきり、言葉を失い俯く修太郎。

『そしたラ……私もここに住むことができるカ?』

 彼の言葉が脳内で弾けた。

 人間を理解し、手を取り合う道を進んでくれたαへの深い感謝の気持ち、そしてその想いと、彼の尊厳を踏み躙った光の神への怒り。

 対話の余地がないのなら――

 変わる気がないのなら、やることは1つ。

「皆で光の神を倒す。そしたら全部終わる」

 唯一の目標にして最大の敵。

 しかしやることはシンプルになった。

「せ、世界改変……」

 息も絶え絶えの様子でヴォロデリアが呟く。

「世界改変に入ったら、兄もしばらく動くことは、できない……恐らく〝4日〟ほどで世界は、終わる……残った時間で、奴を――」

 それだけ言うと再び気絶するように動かなくなった。修太郎が指示を飛ばし、レジウリアの住民達がヴォロデリアと風の精霊を医療施設へと運んでいく。

「今から向かうか?」

 ガララスがそう問いかける。

 修太郎は疲弊の色が残っている群衆達の様子を見て、心苦しそうに決断を下した。

「戦い詰めだし、今から少しだけ休息の時間を取ろう」

 その言葉にプレイヤー達は安堵の表情を浮かべた。

 先ほどまで天使達と〝攻撃を受ける=死〟という紙一重の死闘を繰り返していたプレイヤー達は、体よりも精神の疲弊が凄まじかった。

 修太郎は更に続ける。

「攻略組とも連絡を取り合わなきゃならないし、皆をアリストラスに戻さなきゃならないからね。今晩は休んで、準備を整えよう」

 その言葉に魔王達は大きく頷いた。

 一同はそれぞれの使命を胸に秘め、一時の休息へと向かっていった。





「簡単なものしか建てられなくてごめんね」

 修太郎は寂しげに呟きながら、そっと手を払って土埃を落とした。彼がちいさな丘の上に建てたのは、雷千をはじめ脱出組のための簡素な墓標だった。 

「俺が作ろうか?」

 セオドールが申し出ると、修太郎は一瞬だけ視線を彼に向けて、わずかに微笑んだ。

「ありがとう。でも僕が彼らを殺したんだ。だから、せめて僕の手で弔いたかったんだ」

 セオドールは納得して小さく頷いた。

 修太郎は墓標を見つめながら、両手を合わせる。

「現実に戻りたくて戦った彼らの墓を、ここに建てるのもおかしいんだけどね」

 彼の表情は哀愁に満ちていた。やや後ろに立っていた魔王たちも歩み寄り、無言で手を合わせる。

「全てが終わってから彼らを蘇らせるつもりですか?」

 バンピーが低い声で問いかけた。

 彼女は慎重に言葉を選びながら続ける。

「命は尊いものだと学びましたが、それでも、彼らの行為は人間に対する裏切りとしか……」

「そうだね。でも、彼らだからとかそういう問題じゃなくて……」

 修太郎は一度息を吐き、墓標に目を戻した。

「生き返らせる方法がわからないんだ。もし光の神が別の場所に移動しているなら、それを突き止めなきゃいけないし」

 かつてエルロードが単身で乗り込み見つけた実験施設。そこでは死んだプレイヤーの魂と天使の融合実験が行われていた。それを破壊したことで死んだ者は一度全員が蘇っている。

 修太郎の言葉を補うように、エルロードが静かに説明を始める。

「あの施設も破壊されたまま放置されています。光の神が計画そのものを諦めたのなら、死んだ者たちの魂はもうこの世界に留まらず……この世界の住人(我々)と同じように、消滅している可能性があります」

 その説明を聞いていたウォルターは、静かに頷きながらもその考えを否定する。

「いや、人間に限らず魂はどこかに残しておるよ。使徒(儂等)を甦らせられた理由が説明できんからのう」

 ウォルターは目を細め、遠い過去を思い出すように続けた。

「奴の性格上、一度決めたことは誰の意見も聞かずにやり通すからのう。それは自分に対する絶対的な自信の現れ。一度この世界を〝更地〟にしてから、また方法を考えて進めるつもりじゃろうな」

「絶対そんなことはさせない」

 修太郎は強い口調でそう言い放つと、隣に建てられたαの墓に視線を移した。

「君の最後を聞いたよ。すごく……立派だった。光の神との対話は、僕が思っていた以上に難しいことも理解できた」

 覚悟を決めた表情でそう呟く修太郎。

 丘の上に風が吹き、墓標の影が揺れ動く。

「君の想いを背負って僕たちは先に進む。光の神に世界を壊させない。だから安心して眠っていてね」

 そう囁く修太郎は、|魔王達の表情に気付かない《・・・・・・・・・・・・》。

 修太郎は「よし」と声を出し笑顔で振り返る。

「それじゃあちょっとの間、休憩にしよっか。皆も自由にしてて。光の神を倒すまで、もうこんな時間は取れないかもしれないから」

 魔王達は珍しく、その言葉に従った。レジウリアやプレイヤーと過ごす最後の時間であることを、なんとなく理解していたからかもしれない。皆、行きたい場所、過ごしたい時間、空いたい人物の顔を思い浮かべながら、その場から一人また一人と去っていく。

 残ったのはエルロードとバンピー、バートランドとハトア、そしてウォルターだ。

「俺たちは精霊の治療を手伝ってきます」

「うん、ありがとう。お願いね」

 そう言ってバートランドとハトアもその場から去っていった。彼等がそれを担当している理由には、風の精霊は特殊な治療が必要であり、エルフ族がその術に長けていたから。しかし、神であるヴォロデリアの治療方法が見つからず、治療施設で寝かせているが経過は芳しくない。

「僕はヴォロデリアの様子を見てくるけど、皆はどうする?」

「儂もついて行こう。神に関して、最も理解があるのは儂かもしれんからのう」

 そう答えたのはウォルターだ。

 光の神によって蘇った使徒が、存在として神に最も近いというのは真っ当な意見に思えた。それを聞いたエルロードは目を伏せながら一歩前に出る。

「私もついて行きます。ウォルター卿見張りも必要ですからね」

「信用がないのう」

「それが分からない貴方ではないでしょう?」

 それは最もじゃなと笑うウォルター。

 バンピーもエルロードに倣って前に出た。

「妾もついて行きます」

「そっか。ミサキさんもいないもんね」

「なっ! ミサキがいても妾は常に主様の側におります!」

 顔を真っ赤にしながらそれを否定するバンピー。修太郎は彼女の様子を見て、肩をすくめて笑った。

「ごめんごめん、そうだよね。バンピーはずっと僕の側にいてくれてたもんね」

 そう言うと、バンピーは顔をさらに赤くしながらぷいっとそっぽを向く。その仕草を見て、エルロードはため息をつき、しかしどこか微笑ましそうに目を細めていた。





 レジウリアの出口(ゲート)誘導をしていたショウキチ達の前に、シルヴィアが姿を現した。それに気付いたケットルが近くにいたプレイヤーに「代わってもらえますか?」と頼むと、ショウキチたちはシルヴィアの元へ駆け寄った。

「すまないな、邪魔してしまった」

 シルヴィアがそう謝ると、ケットルはにこやかに首を振った。

「ううん。気にしないで。今のところ退出は任意だし、誘導も別にどっちでもいいんだ」

 そう言ってケットルは微笑んだ。

 というのも修太郎は各自退出してもらうのは大変だからと、時が来たら一斉に〝強制退場〟を行うと説明していた。雷千達の件もあり、プレイヤー側に任せるより確実だからと皆がそれに同意し、時間が来るまでは自由行動という形となった。散策やレジウリアの民と交流したかったプレイヤーたちが密かに歓喜したのは言うまでもない。

「お父さんのことは解決できたの?」

 ケットルがそう尋ねると、シルヴィアは少し目を伏せて頷いた。

「ああ。もう心残りはない」

 その言葉にケットルはほっとし、再び穏やかな時間が流れ始めた。

「あれ修太郎は?」

「主様はヴォロデリアの所へ向かった」

 ショウキチの問いにシルヴィアがそう答えると、ケットルは露骨に残念そうに「そっかぁ」と呟いた。それを見たキョウコは微笑みながら彼女の頭を撫でる。

「……そうだ、ちょうどよかった! シルヴィアさんも一緒にご飯食べに行きませんか!」

 パンと手を叩きながら、キョウコが明るく提案した。

「食事に? なぜだ?」

 シルヴィアは首をかしげているが、尻尾はしきりに動いているのが見える。

「だって、レジウリアにいられるのって今だけかもしれないじゃん? まだ時間はあるし、ここでお疲れ会をしようって話になったんだよ! それに、モンスターが作ってる料理とかめちゃくちゃ興味あるし!」

 そんな会話ののち、四人がやってきたのは半身半魚のマーリン族が経営する、その名も「修太郎寿司」。修太郎の似顔絵が目印の、レジウリア有数の高級海鮮料理屋である。

 檜に似た材質の店内には巨大な生簀があり、多種多様な魚が優雅に泳いでいるのが見えた。

「こんなとこ現実じゃ絶対来れないよ……」

 居心地の悪そうにしながら呟くキョウコ。

「しかも無料(タダ)だし、食べなきゃバチが当たるよ」

 期待に胸膨らませるケットル。

 天使撃退のお祝いとして、今日はどこの施設に行っても無料で利用できる大盤振る舞いである。

「それにしても修太郎寿司って名前もすげーよな。尊敬されてなきゃこんな店名にならねぇもん。本当にここが修太郎の世界なんだって、たった今実感したわ」

「え今? 嘘でしょ?」

 ショウキチとケットルのやりとりを聞きながら、シルヴィアはソワソワしながら料理が運ばれてくるのを待っていた。彼女の尻尾は千切れんばかりに動いている。

「シルヴィアさんはお寿司初めてですか?」

 それを聞いて一瞬動きを止めたシルヴィアは、作り笑いを浮かべ得意げに腕を組んだ。

「そんなことはない。私はこの世の全ての料理を食べたことがあるからな」

「なにその意味わからない見栄は……」

 などと話しているうちに料理が運ばれてきた。現実ではなかなかお目にかかれないほど脂の乗ったネタの数々に、見慣れないネタも多い。しかしその形は紛れもなく寿司であり、キョウコは修太郎が望んだのであろう文明の発展に苦笑いを浮かべた。

「これは……うまい!!」

 初めて食べる寿司に歓喜の声を上げるシルヴィア。ショウキチがジト目で尋ねる。

「初めて食べた寿司はどうよ」

「驚くほどにうまい! もっとよこせ!」

 二人のやり取りを見て、ケットルは笑いを堪えながら言う。

「そういえばシルヴィアは食いしん坊キャラだったもんねぇ」

「……そんなことはない。あれは演技だ」

 ツンとした様子でマグロを口に放り込むその姿を、三人は微笑ましく眺めていた。修太郎と共に過ごした短い期間、シルヴィアが誰よりも幸せそうに食べていた姿は、とても演技とは思えなかった。

 寿司ネタに舌鼓を打ちながら、話題は攻略組のことへとシフトしていく。

「いま代表してルミアさんが連絡を取ってるみたいだけど、攻略中なのかまだ返信はないみたい。バーバラ達大丈夫かなぁ」

「そりゃあ当然……大丈夫に決まってるだろ……」

 それきり、黙り込んでしまうケットルとショウキチ。フレンド欄で安否確認はできているが、頭の中でよからぬ想像が働き、三人の顔が暗くなってゆく。現在、ホロ煉獄まで無事到着した知らせは届いているものの、それ以降の連絡が滞っているような状況である。

 そんな中、シルヴィアだけは全く気にしていない様子で、頬に寿司を詰めながらあっけらかんと言った。

「使徒にでも襲われない限り、プニ夫がいるなら問題ないだろう」

「プニ夫さんはどれほどお強いんですか?」

 キョウコが恐る恐るそう尋ねる。

 ショウキチ達とプニ夫はそこまで面識深いわけではない。ショウキチに関してはシルエットすら頭に浮かんでいなかった。

「我々の次に強い」

 その言葉に驚愕の表情を浮かべる三人。

「じゃあ安心だね……!」

「いやほんと……味方でよかったよな」

「そ、そうですね」

 安堵の表情を浮かべるケットル。キョウコは修太郎の持つ戦力の多さに軽く目眩を起こしていた。そんな反応を見たシルヴィアは、イタズラな笑みを浮かべ次の寿司を掴んだ。

「そうだ、感謝が足りないぞお前たち。そもそも、今この状況があるのは主様に強さと純真な心があったからこそ。なぜならバンピーやガララスは当初、この世界を侵略するか破壊するつもりだったからな」

 寿司を頬張りながらさらっと暴露するシルヴィアに、ショウキチたちは動揺する。

「え、そうなの……?」

「? ああ。ヴォロデリアの元々の目的が、光の神に対抗するために我々を集め、奴より先に世界の破壊を行うことだったからな」

 それを聞いて絶句する三人。

 店内にシルヴィアの咀嚼音だけが響く。

「じゃあなんで私達の味方に?」

「それはもちろん、主様の影響だ」

 よくぞ聞いてくれましたと言わんばかりに、シルヴィアは修太郎との馴れ初めから、現在に至るまでを嬉しそうに語って聞かせた。修太郎は語らなかった(魔王達のパーソナルな部分にも触れるため配慮していた)話がたくさん出てきて、ショウキチ達はそれを熱心に聞き続けていた。

「――というわけで、私はやはり肉料理が一番好きだな」

 そう言ってお茶をズズッと啜るシルヴィア。

「(あんなに食べてるのに……)」

「(なんの話だ……)」

 キョウコとショウキチは心の中で呆れ笑いを浮かべた。

 とはいえ、なぜ魔王達を仲間にできたのか、レジウリア繁栄の秘密、召喚士を志したキッカケなど、修太郎に関する正しい情報を聞けたのは大きかった。そしてケットルは改めて心の中でこう思った。

「(やっぱり修太郎くん、常に相手のことを考えて行動してるんだ……)」

 魔王達を仲間にできたのは偶然だとしても、今の関係は魔王達と仲良くなろうと努力した結果であり、レジウリアもモンスター達の暮らしを豊かにする目的で繁栄させた結果、召喚士になったのも魔王達を外に連れ歩けるように工夫した結果であることが分かる。

「優しいね、修太郎くんは」

「その通り。主様の最大の魅力はその優しさだ」

 感慨深そうに目を細めるシルヴィア。

 ケットルは微笑みながら口をつぐんだ。

 最初の侵攻を解決したことも、解放者を倒したことも、今回プレイヤー達をレジウリアに保護したことだって全てが〝誰かのため〟。思い返せば、怜蘭とラオがパーティを探していた時、身を引いたのも二人のためだった。

「(皆に優しいんだよね。そうだよ、なに期待してるんだろ私は……)」

 ケットルは救ってもらったあの日からずっと、修太郎に対する淡い恋心を抱いている。しかし、彼は〝誰でも〟助けるし、シルヴィアの話を聞いた限りそれは間違いない。だから勘違いしないように努めてきた。

 それでも――と、ケットルは俯く。

「(今日みたいな日がまた来るかもしれない。その時、私が生き残れるとも限らない。そしてもう生き返れるかも分からないなら……)」

 バンピーや舞舞、そしてミサキの顔を見れば、誰だってその〝想い〟に気がつく。彼女達は精神が成熟した大人であるが、自分はまだ子供だ。だからその未熟さを盾に、一歩踏み出しても許されるのではないだろうか。ケットルはそんなことを考え、頭を振って霧散させる。

「(私は、こんな卑屈な私が大嫌いよ……)」

 葛藤しながら涙を堪えるケットル。

 その気持ちに気付いているキョウコもまた、複雑な心境で押し黙っていた。

「(こんな時バーバラさんがいたら……)」

 むしゃむしゃと無心で食事する|シルヴィアとショウキチ《ふたり》と、思い悩むケットルとキョウコ《ふたり》。

 それぞれの思いを胸に秘めながらも、心配や不安が一瞬だけ遠ざかり、彼らはこの短い平和のひとときを満喫していた。





 レジウリアの広場を悠然と歩く巨人が一人。

 彼の巨体が地面を踏みしめるたびに、重厚な音が響き渡る。

 かつて、アリストラスに初めて降り立った時、彼は恐れられ人々は怯えて逃げ惑っていた。しかし今、すれ違うプレイヤーたちの目には恐怖も忌避の色もない。代わりにあるのは、敬意と深い感謝だった。

「(ふん。悪くはないな)」

 ガララスはその様子に気を良くしたのか、心の中で満足げに呟いた。口元にわずかな笑みが浮かぶ。その時、どこからか力強い足音が響いてきた。勢いよく駆ける影が跳び上がるとガララスの胸に飛び込むように突っ込んだ。

「心配だったああああ!!!」

 マグネが涙と鼻水まみれの顔をガララスの胸に埋めて泣きじゃくっていた。

「なんだ、貴様か……」

 ガララスはため息をつき、不服そうに眉をひそめた。つまんで剥がそうかと考えた手が、自然と彼女の頭の上へと伸び、丸太のような人差し指が彼女の頭を数回なぞった。

「ガララス、本当に本当によかった! 生きて帰ってきてくれて……会いたかった!」

 マグネはガララスの胸板に体を押し付けながら、再会を心から喜んでいた。

「貴様、我が負けるとでも思っていたのか?」

 見た目は不機嫌そうだが、ガララスの表情はどこか照れくさげで悪い気はしていないように見えた。その顔をマグネが見たら揶揄ってくる(大変なことになる)ところだが、当の本人はオイオイと泣き喚いて気付かない。

「マグの目から見てどっちが強いかなんて、そんなのもう分かんないし。ただ今回は普通の相手じゃないって、なんとなく分かってた……」

「……」

 修太郎や魔王達の戦いは、もはや誰が何をやっているのか判別がつかないほどの次元となっているのは事実である。彼女からすれば、それが格上の相手なのか、勝算があるのかさえ全く分からない状況であった。

 副団長として張り詰めていた気が一気に緩んだことで、マグネは普段以上に疲弊した様子で泣き続けた。

「だって本当に心配だったんだ。ガララスがいなくなったらどうしようって……でも、戻ってきてくれた。うれしい……」

 そう言いながら涙を拭い、安堵の表情を浮かべるマグネ。

 ガララスは呆れたように少し目を逸らしながら「騒がしい……」とぽつりと呟くと、マグネを腕に乗せ、自らの目線の高さまで持ち上げた。

 マグネは驚いて「へっ?」と声を漏らす。こんな風にガララスに抱え上げられるのは初めてだった。

 ガララスの目がマグネをじっと見つめる。やがて彼はいつになく穏やかな声で言った。

「貴様の活躍は風の噂で聞いた。我が不在の中、主様と国を守ってくれて感謝する。マグネは我の誇りだ」

 マグネは目を見開いた。ガララスの無骨な表情に、小さな微笑みが浮かんでいたからだ。驚きと喜びが入り混じり、マグネの目から再び涙が溢れる。しかし今度は嬉し涙だった。

「……へへっ」

 マグネはポロポロと涙をこぼしながら、満たされたように笑顔を見せた。それを見てガララスまた照れくさそうに視線を逸らす。

「さあ、部外者はさっさと出ていけ。この国は主様のご好意で解放しているにすぎん。主様のお手を煩わせる前に自主的に出ていけ、さあ」

「あー! 必要無くなったからって、なんですぐそうやって追い出そうとするの?」

「全く、うるさくて敵わん……」

 耳元でヒステリックにぎゃーぎゃー叫ぶマグネを連れながら、ガララスゆっくりとした足取りで再び歩き出したのであった。





 工房に鋼を打つ音が響き渡り、赤熱した金属の輝きが暗い空間を照らしていた。セオドールは鍛冶台の前に立ち、重たい槌を振り下ろしている。

「ご、ご無事でなによりです」

 セオドールの元へ駆け寄る春カナタ。

 セオドールは相変わらずの仏頂面で頷く。

「? なんだ、残っていたのか?」

「は、はい。あなたと少しお話がしたくて……」

「そうか?」

 そう言って目を泳がせる春カナタ。セオドールは彼女の目的を察することができず、首を傾げ再び鍛治台に向き直った。

 工房に鋼を鍛える音だけが響く。

 春カナタはその光景を心地良さそうに眺めていた。

「装備の提供に色々活躍したようだな」

 唐突に、セオドールは鍛える手を止め春カナタを見上げる。

「わ、わかるんですか?」

「? 他の者達を見てればわかる。お前が作った装備は特有の細工が施されている」

 群衆の中には春カナタの装備を付けた者も多くいるが、製作者の刻印でも見ない限りは、一見して同じに見える。しかしセオドールにはそれが分かるようだった。

「あ、ありがとうございます。戦闘面は全然ですから、せめてこのくらいは……と」

 そう言って自傷気味に笑う春カナタ。

 セオドールはそんな彼女を不思議そうな顔で見つめる。

「卑屈になる必要がどこにある? お前の装備は戦う者たちにとって命を預ける盾となり、刃となる。いうなればそれも戦闘への貢献。お前の力もまたこの国を守った一部だ」

「そんなふうに言ってもらえるなんて……すごく、嬉しいです」

 春カナタは驚きとともに、ほんの少し誇らしげに頬を赤らめた。いつも裏方として装備を作り続けてきた彼女だが、一般的に製作職(クラフター)が直接評価されにくいという事情があり、その機会に多く恵まれなかった。

「せ、セオドールさんは、なにか雰囲気が変わりましたね」

 目が合わせられずもじもじとそう語る春カナタ。魔王たちは修太郎の魔王降臨術によって大幅に強化されており、姿も変わっている。しかし、セオドールが「当然だ」と返すよりも早く、春カナタは言葉を続けた。

「でも、強さだけじゃなくて……」

 春カナタは再び視線をセオドールに向ける。

「なんだか、あなたの中にいろんな人の気配を感じます」

 その言葉に、セオドールは思わず目を見開いた。春カナタは慌てて手を振った。

「わ、わ、なに言ってるんだ私! 変なこと言ってごめんなさい!」

 春カナタの直感による感想であったが、セオドールは動揺を見せた。彼女はハイルーン達の意志を受け継いだことに気付いているのだと。

 腕のいい職人は目利きにも長けていると言われるが、彼女がまさにそれなのだとセオドールはそう解釈した。

「その通りだ」

 そう答えたセオドールは、春カナタに向けてどこか遠くを見つめるような目で語った。

「かつての仲間たちの思いを受け取ってきた。彼らの意志が、今は俺の中に宿っている」

 胸の前に拳を当てそう呟く。

「仲間たちの思い……」

 春カナタは、彼の言葉の重みを噛み締めるように繰り返す。炉の熱による揺らぎか炎のせいか、セオドールの後ろに三人の男女が見え、彼女は思わず目をこすった。

「だから、俺が戦うときは彼らの夢や希望を裏切らないようにしなければならない。それが、俺にできる唯一の償いでもあるからな」

 セオドールの声は低く、春カナタには彼がとても大きな何かを背負っているように思えてならなかった。そしてその一部でいいから、自分にも背負わせてほしいとも思った。

「(いや、いやいやいや。なに考えてるの!? 理由も知らないくせに? 私にそんな資格ないのに)」

 自分のおこがましさに赤面する春カナタ。

 なぜその思考に至ったのか自分でも説明がつかなかった。ただ、彼の背負うものを少しでも軽くしたい、そんな気持ちがあった。

「……ごめんなさい、私、余計なことを言ってしまって」

 春カナタは目を伏せ、申し訳なさそうに呟いた。セオドールは首を横に振り、ほんのわずかに笑みを浮かべた。

「いや、カナタ殿に話したことで改めて自分を見つめ直すことができた。これでまたいい武器が仕上げられる」

 その微笑みは、彼の厳格な仏頂面に少しだけ温かさを加えていた。春カナタは驚きながらも、その笑顔を目に焼き付けるように見つめた。そして彼女はセオドールの隣にストンと座ると、鼻息を荒くしながら腕まくりをする。

「わ、私も……装備を作り続けます! 少しでも私の思いが、皆さんの力になるように」

 セオドールは頷き、再び槌を手に取った。

「それでいい」

 槌が赤熱した金属に振り下ろされる。

「たとえ俺たちがいなくなっても、俺たちが作った装備達は永遠に残り続ける。その思いは消えない。それが装備の素晴らしいところだ」

「……そうかもしれませんね」

 一度死んだ身である春カナタは、その言葉に深い共感を覚えていた。彼女が死んだ後も、彼女の残した武器(意志)は怜蘭やラオに受け継がれていたから。

「ただ覚えておくといい――」

 カンッと、槌の音が止まる。

「死んでも装備は消えないが、置いて行かれた者に何もかもを背負わせることになる。ならば生きて槌を振い続けたほうが役に立てる機会は多い。俺はそう思う」

 セオドールは自分に言い聞かせるようにそう言った。彼はエネリス達の死に囚われたハイルーンのことを考えていた。しかし春カナタにとっても、この言葉は胸に来るものがあった。

「……私も今はそう思います」

 鋼を打つ音が再び鳴り響き、まるで新たな希望の鼓動のように聞こえた。春カナタはセオドールの隣で思いを馳せながら槌を振るう。自分の作る装備がいつか誰かの命を救うと信じて。





「はっきり申し上げます。今後回復するのか、このまま衰弱していくのか、我々では判断がつきません」

 妖精族の長がそう言って肩を落とす。

 多彩な魔法を操り、治療のスペシャリストでもある彼らが匙を投げたとなれば、もはや時間が解決するのを待つしかない。修太郎は視線を落とし、胸の奥が重く沈むのを感じながら小さく呟いた。

「そっか……」

 ヴォロデリアの眠るベッドを見下ろし、拳をぎゅっと握りしめる。妖精族の長は深々と頭を下げ、悔しそうに目を伏せた。

「お力になれず申し訳ございません」

「そんな、謝らないで! 手を尽くしてくれてありがとう」

 修太郎は精一杯の感謝を込めてそう言い、長は申し訳なさそうに再び頭を下げると、静かに部屋の隅へと下がった。ベッドに横たわるヴォロデリアは、まるで死んでいるかのように動かない。このゲームでの死が「跡形もなく消える」ことなら、彼がまだ生きていると信じるしかなかった。

「(普通のデータとも違うだろうし……)」

 修太郎は内心でそう考えながら、深く息を吐く。その横でエルロードがヴォロデリアの最も深い胸の傷に手をかざし、冷静に分析を始めた。

「本当に死んでいるのなら、死体を残さず取り込むほうが自然です。恐らくは無事かと。ただ、天使の攻撃に通じるとするなら、修復不能なマイナス効果が加わっている可能性がありますね。いずれにせよ目を覚ますまで様子を見るしかないでしょう」

 エルロードの見解に、ウォルターも渋い表情で頷いた。修太郎は不安を抱えながら、意を決してウォルターに尋ねる。

「ねぇウォルターさん。あなたの未来視でヴォロデリアさんがいつ起き上がるか見ることはできませんか?」

 ウォルターは少し考え込むそぶりもなく、ため息をつきながら首を横に振った。

「申し訳ないが無理じゃのう。神相手に未来視はできん。仮に修太郎君の未来を見たとしても、そこに神が映ることはない。当たり前のことを言うが、起きるまで待つか、待たずに行動するかになるのう」

 修太郎は間髪入れずに返事をした。

「待たずに行動します」

 決意のこもった表情でさらに続ける。

「都市防衛戦がうまくいったのも、レジウリアを守り切れたのも、攻略組が無事なのも、ヴォロデリアさんが光の神を止めてくれていたお陰です。彼のおかげで戦況はいま僕たちの側に傾いています。この隙にエリアを全踏破して、皆で光の神を叩くしかない」

 修太郎の言葉に、そこにいる全員が頷き、同意を示した。使徒が正気を取り戻せたのもヴォロデリアのおかげであり、彼がいなければ今の状況はなかった。光の神に対抗できるのは彼以外にいないが、いつ目覚めるのかは誰にも分からない。相手に準備期間を与えることは、すなわち敗北に繋がる。

 選択肢は一つ――世界改変が終わるまでに光の神を叩くこと。残り時間は4日しかない。

「もちろんやるだけのことはやります。まずは戦力を整えて攻略組に参加し、最終エリアまでの道を開く。そういう意味でも、ウォルターさんが加勢してくれたのは本当に大きい」

 修太郎は力強くウォルターを見つめる。

 ウォルターは誇らしげに頷いた。

「もちろん、こちらも全力で協力するつもりじゃよ。儂のスキルでより正解に近い道も選択できるはずじゃ」

 エリア攻略にはミサキの生命感知、白蓮の千里眼、そしてウォルターの未来視があれば、時間をかけずに駆け抜けられるだろう。ただし、光の神の干渉がなければという条件付きだが。

「ハトアさんも戦力として申し分ないもんね」

 修太郎が笑顔で言うと、ウォルターはひと呼吸置いて答えた。

「ハトア殿に関してはその通りじゃが、ひとつ気がかりなことがあってのう……」

 慎重に言葉を選びながら続ける。

「ζ《ジータ》。君たちの知る名前で呼ぶところの――久遠」

「久遠さん……」

 ワタルの親友であり、VRMMOに魅了された男。彼の過去の行いについては到底許せるものではなかったが、神の命令に抗い攻略組を救ったという報告も入っている。

「いま光の神との繋がりがあるかどうかは分からんが、どちら側にもなり得るという危うさがある。それを進言しておこうと思ってのう」

 ウォルターの言葉に修太郎は冷静に返した。

「彼がどちらに傾くのか未来視で見ることはできませんか?」

「残念じゃが無理じゃった。だからこういう曖昧な言い方しかできん、とも言えるがのう。未来が見えんということは、神が深く関与していると考えて間違いないじゃろう。それがこちらにとっていい方向なのか、悪い方向なのかは我々が判断せねばならん」

 修太郎はその言葉を心に留めながら、ヴォロデリアに再び視線を送った。彼が無事に目覚めることを祈りつつ、修太郎はゆっくりと治療室を後にした。





 エルフの国では、風の精霊の治療が進められていた。大樹ニブルアの根の近く、台座に寝かされた精霊を囲むように緑の光が集まっているのが見える。ヴォロデリアとは違い、治療は順調に進んでいるように見えた。

「この調子なら数時間もしないうちに魔力自体は回復するな」

 バートランドは治療の進行具合を見て的確にそう分析した。古代の文献によれば、精霊の体は魔力で成り立っているため、それさえ補えば回復すると考えられている。

「ま、イコール目を覚ますってわけじゃねェけどな」

 などと呟く彼の後ろで、ハトアが思い詰めた顔で佇んでいた。それに気付いたバートランドが視線を向ける。

「どうした?」

 ハトアはぎゅっと拳を握りしめ、真剣な顔で彼を見つめた。その表情を見て、バートランドは一瞬、視線を逸らす。こういう時、彼女に無茶なことを頼まれるのが常だった。そしてその予感は今回も的中する。

「話しがあるの」

「聞きたくねェな」

 バートランドはため息混じりに顔を背けるが、ハトアは強い口調で押し切った。

「……貴方の同意が欲しいわけじゃないの。聞こうが聞くまいが結果は変わらない。それでも聞いてくれない?」

 その言葉に、バートランドは渋々と振り返る。彼の胸の中には、すでに嫌な予感が広がっていた。

「いいぜ。聞くだけならな」

「じゃあ聞いて頂戴。私とヴィヴィアンを同期させるわ。なるべく早くね」

 その提案に、バートランドは驚きと苛立ちを混ぜた表情で鼻を鳴らした。

「はっ。そんなこと了承できないね」

「さっきも言ったけど、同意が欲しいわけじゃないのよ。これは決定事項と言っていいわ」

 ハトアは、治療に専念しているヴィヴィアンの後ろ姿を見つめながら続けた。彼女の声には揺るぎない決意が感じられる。

「安心してほしいのは、彼女の人格を主人格として同期するということ。そうすれば彼女の人格には影響せず、私の持つパワーだけを彼女に上乗せできるわ」

「……そういう問題じゃねェだろ」

 バートランドは苦々しい表情でため息をつく。それでもハトアは譲らない。

「どうして前向きじゃないの? 貴方と戦った時、私は死ぬ覚悟だったのよ。貴方もそのつもりで槍を振ったでしょう? αが介入しなければ今の私は存在しない。そうでしょう?」

「それは――そうだけどよォ……」

 バートランドは口ごもり、ハトアはじっと彼の顔を見据えた。

「忘れないで。私はただのハトアじゃない、使徒なのよ」

 彼女の言葉は鋭く、彼の心に突き刺さる。ハトアは少し息を整え、冷静さを取り戻してから続けた。

「暴走しているとはいえ、光の神はまだ健在。つまり使徒の呪いが発動するリスクがあるの。今は大丈夫かもしれなくても、全くゼロではないわ……これが最も確実に貴方達に貢献する方法よ」

 バートランドは沈黙する。彼の胸の中で葛藤が渦巻いていた。

「残された時間は少ない。聡明な貴方なら分かるでしょう」

 そのひと言が決定打となり、バートランドは観念したように首を縦に振った。ハトアは満足そうに微笑むと、再び続ける。

「本当はこんなことしたくないわ」

 悲しげな表情でそう続けるハトア。

「私は光の神を倒してほしいとは思わない。光の神が負ける――人間たちが元の世界に戻るとどいうことが起こるのか、わかってるの?」

「わかってる。改めて聞くまでもねェ」

 乾いた笑みを浮かべるバートランド。

 ハトアは思わず声を荒げる。

「本当に分かってるの? 修太郎さんはそれを知っててなお、突き進んでるの?」

 彼女の言葉が核心を突き、バートランドは返答に詰まり、視線を落とした。



「光の神を倒すということは、この世界が終わるということ。つまり、貴方たち魔王も消えるということ。そうでしょう?」



 修太郎は未だ気づいていない。光の神を倒せば現実世界に戻れるかもしれない。しかし、デスゲーム(それ)が明るみになったとき、この世界はどうなるのか? 開発者含む大勢の死者を出した未曾有の大事件、その元凶たるこの世界がそのまま存続出来るのだろうか。

 答えは――否。

 この世界が存続できるはずもない。

「後のことなんざどうでもいいんだよ。主様が無事にこの世界から抜け出すこと、これが俺たちの願いだからな」

 バートランドの言葉に、ハトアは怒りを抑えきれずに反論する。

「どうでも良くないでしょう!? だから私はずっと貴方に警報を鳴らしてたの。あれは使徒として操られてたわけじゃない。この世界の住民として、命の叫びを上げていたのよ!」

 ハトアの言葉にバートランドは少し考えた後、口を開いた。

「――使徒として転生した久遠だっけ、あれを倒すために力を求めた男がいた。エルロードの旦那が、俺に稽古をつけてほしいと提案してきた時、この話もされたっけな」

 懐かしむようにそう呟く。

 エルロードがワタルを強化する際にバートランドを選んだのには、明確な理由があった。その理由がいま明かされる。

「俺のスキルを借りたいってのは建前で、本心は〝それに気付いた俺がエルフ族のため謀反を起こす可能性〟を示唆して、先に〝潰す〟つもりだったんだろうなと直感的に思った」

 守るべきもののため、ハトアのように、光の神討伐を阻止する者が出てきてもおかしくはなかった。それは主人である修太郎のことを蔑ろにする行為。そして、エルロードが中でも最も危険だと判断したのがバートランドであった。

「なぜ彼はそこまで……」

「それこそ〝次の主に忠誠を誓え〟って言ったウォルター卿との約束を果たすためなのかもしれないなァ。いや、あれは流石にエルロードの旦那の本心か……」

 バートランドは言葉を噛み締めるように目を細めた。

「守るものがあるという意味では他の魔王も同じだが、守るもののために主様を〝利用〟しようとしたのは俺だけだったからなァ」

 かつて、修太郎という頼りない主人を迎えて歓喜した魔王は二人いた。一人は世界の侵略を目論んでいたガララス。そしてもう一人が、同胞達の治療法を探そうとしていたバートランドだった。

「……じゃあ少なくともエルロードと貴方は知った上で修太郎さんに協力している、そういうことなんだね」

「あァ、そうなる」

 ハトアは視線をエルフ達に向け再度尋ねる。

「皆はそれでいいの? これは皆の総意なの?」

 顔を見合わせるエルフ達の間を縫って、ヴィヴィアンが前に出た。そして彼女は意志の強い目を向け、ハッキリとした口調でそれに答えた。

「それでいいんだよ」

 ハトアは目を見開き、「えっ」と声を漏らす。

 穏やかな微笑みを浮かべながら、ヴィヴィアンは静かに言葉を続けた。

「もちろん誰しも破滅を望んでるわけではない。けれど、私たちの目的は主様を元の世界に帰すこと。彼を犠牲にしてまで生き延びるつもりはないわ。それまでの間、一緒に戦えるだけで十分」

「どうして? 人間たちに迫害されながら、それでも懸命に生きてきたじゃない! 世界が終われば何も残らないのよ!」

 ハトアは叫びながら涙を堪える。ヴィヴィアンは笑顔でなおも言った。

「私たちはゆっくりと死を待つだけの存在だった。そんな私たちに自由をくれたのは主様。もう一生分の幸せを過ごせたわ。だから今度は私たちが彼に幸せを返す番なの」

 周りのエルフたちもその言葉に頷き、覚悟を示す。ハトアは信じられないとばかりに「嘘……」と呟き、絶句する。

「……エルフの存続を願う身としては、私は今でも光の神の側よ。私が死んでいた期間とは話が違う、今回訪れるのは完全な〝無〟なの」 

「仮にそっちの道を選んだとしても、世界を牛耳るのは光の神でしょう。彼の下で生きるのなんて願い下げよ、私は私たちが信じる道を選びたい」

 ヴィヴィアンの言葉に、周りのエルフ達も再びゆっくりと頷いた。

 ハトアはしばらく黙り込むと、静かに呟くように言った。

「そう。ならもう、私から言うことはないわ。本当にこれが最後」

 そしてヴィヴィアンへと視線を移し、背中を向けるよう指示をした。

「貴女に私の力の〝一部〟を授けるわ。きっとこの先、その力が皆の助けになるでしょう」

 彼女は一部と嘘を吐いた――それはヴィヴィアンのため。

 力の譲渡が終われば彼女は消える。

 バートランドは黙ってそれを聞いていた。

「そうなの? うん、わかった……」

 ヴィヴィアンは困惑した表情を浮かべながらも、素直に目を閉じた。ハトアはヴィヴィアンの背中に手をかざし、青白い光が彼女の中に吸い込まれていく。その光景を見ながら、バートランドは心の中で複雑な思いが渦巻いていた。

「バート」

 朦朧とする意識の中で、ハトアが彼の名前を呼ぶ。バートランドはそっと彼女の手を握り、彼女の最後の言葉を待った。

「必ず修太郎さんを元の世界に帰してあげてね」

「必ず。約束する」

 ハトアはバートランドの手を、名残惜しそうに指の腹で撫でた。

「これで本当のさよならだね」

「……あァ」

 バートランドの声はかすれていた。

 ハトアの体は徐々に淡い光となって消え始める。彼女の姿がぼんやりと薄れていく中で、その瞳だけはしっかりとバートランドを見つめていた。ハトアの指先が次第に力を失っていく。

「あなたの選んだ未来が……良いものだと信じてる」

 青白い光がヴィヴィアンの中へと完全に吸い込まれ、ハトアの姿は完全に消え去った。残された静寂の中で、バートランドはぐっと唇を噛みしめ、拳を握りしめた。

「なんかすごいよ! これ本当に力の一部なの!? 今ならなんでもできるって感じ……あれ? ハトアさんは?」

 バートランドは涙をこらえるように深く息を吐き、空を見上げる。彼の決意は揺らぐことなく、空に消えていったハトアの願いを胸に刻み込んだのだった。





 ほどなくしてアリストラス帰還組の移動が始まった。最後の休息かもしれないからと、自室でゆっくり過ごしたいプレイヤー達が主である。脅威が取り払われ、安堵の表情を浮かべながら修太郎が作った出口に向かうプレイヤー達。そしてそれを見送るレジウリアの民――。

「一緒に戦えて光栄だったわ」

 そう言って手を差し出すキャンディ。ラミアの軍団長は笑顔でそれに応じた。

「あなた達は気高く勇敢でしたわ。この戦いと、共に戦った仲間のこと、私は一生忘れないでしょう。再び戦いの時がきたら、必ず駆けつけますわ」

 大きく変わったのはレジウリアの民とプレイヤー達に交流が生まれたこと。来た当初は、借りてきた猫のように大人しくしつつも、内心では信用しきれなかったプレイヤーが多かった。しかし今は違う。皆、心から相手を尊重し互いを称え合っていた。

「また会いに来たいよ」「元気でね」「最高にかっこよかったよ!」「この恩は一生忘れないよ」

 握手を交わしたり抱き合ったりと、互いに別れを惜しむ姿が見られる。キャンディはぐしぐしと目をこすりながら豪快に鼻をすすった。

「やめてよ……こういうの苦手なんだから」

「ふふふ」

 西軍だけでなく、他の軍でも同じように、連携を取ったレジウリアの民と抱擁と別れの挨拶を交わしているのが見える。mobとか、種族とか、データだとかは関係ない、枠組みを超えた固い絆が生まれていた。


4



 盾役(タンク):ワタル、ラオ、誠

 回復役(ヒーラー):Towa、バーバラ、葵

 攻撃役(アタッカー):プニ夫、アラン、アルバ、天草、ハイヴ、ヨリツラ、怜蘭、K、黒犬、キジマ、ミサキ、白蓮、舞舞、他……


 ワタル達は海面に浮かぶ船の上で静かに護符を手にしていた。それは水中呼吸の効果と圧力を軽減するための「海の護符」で、深海に降りていくためには欠かせないアイテムだった。

 海のエリアである〝ハスラン湾〟を抜け、海上国家ヒプノックにて受けた前提クエストを進めた結果、次なるエリアが解放されていまに至る。

「また水中戦ですね。それに、前回の海よりずっと深そうだ」

 ワタルは眼前に広がるエメラルドグリーンの海を見つめながら、表情を曇らせる。ハスラン湾は陸に面したエリアであったため、比較的水深が浅く、水中でも視界は良好であった。

 しかしこの〝フギンの底〟は違う。

「うへぇ……このクエスト内容、見れば見るほど恐ろしいことしか書いてねぇな。この紙っぺら一枚で本当に大丈夫なんだろうなぁ?」

 そう言って顔をしかめるラオ。

 その手には海の護符――もとい、ペラペラの紙が握られている。

「ハスラン湾では問題なかったし、呼吸とかは問題ないと思いたいけどね。今回心配なのは〝視界〟かな」

 冷静に呟く怜蘭に、白蓮も同意し頷いた。



○○○○○○○○○○


依頼内容:海の底に眠る怪異

依頼主名:海の賢者 イザラ

有効期間:72:00:00


依頼詳細:呪われた気配が海の安寧を脅かし始めている。海の賢者イザラは、海底に封じられた「フギン」の目覚めの兆候を感じ取り、調査及び討伐を依頼しました。その場所は、広大な海の下に隠された伝説の深淵であり、何人もの冒険者が挑み、一人も帰っては来なかったと伝えられている。そこは黒い海の奥深く、恐ろしいまでに暗い巨大な穴で、底は遥か彼方に存在するとも、あるいは永遠に到達しないとも言われている。


伝説によれば、フギンの底はかつて海の神々が封印した異形のモンスターたちの眠る地。あまりにも巨大で形容しがたい怪物たちが、封じられたままうごめいており、彼らの気配を感じただけで意識を奪われる者もいるという。


目的:???(0/1)


○○○○○○○○○○



 攻略組が得た情報として、フギンの底は深い海の海底に存在しているということ。つまり日の光が届かない暗闇であり、桁違いの圧力と低温しなければならない。さらには水中の場合、体の動きが30%ほど制限されるため地上よりもはるかに戦い難い環境といえる。

「突入前に『導く光(サンライト)』『反重力の傘(トロン・アンブレラ)』を掛けておくね」

 回復役である葵がそう言って全員に魔法を付与していく。

・導く光:対象の半径10メートルを照らす光を召喚する。効果時間15分間

・反重力の傘:対象の重力抵抗値を500%上昇させる。効果時間10分間

「じゃあ私は『鉄壁の肌(タングステン・スキン)』と『操り人形の体(マリオネッタ)』もやっておくわね」

 それに倣ってバーバラも別の魔法を付与していく。

・鉄壁の肌:温度の変化によるダメージ、感覚を無効化する。効果時間30分間

・操り人形の体:環境に左右されずに自在に体を動かすことができる。効果時間10分間

「はい」

 最後に八岐(ヤマタ)の回復役Towaによる『効果時間最大化』と『拡散』によって、全ての魔法効果が30分以上継続するようになった。

「今回注意しなければならないのは、まず白蓮さんの千里眼がほとんど意味を成さないこと。ミサキさんの生命感知もあまり頼れないこと。制限時間があるということ。視界が悪く遠くからの攻撃に気付きにくいということ」

 ワタルが要点だけを皆に伝える。

 千里眼はマップを全て開示するというスキルであるが、今回のエリアは縦に延々と続く筒状の形をしている。そのためマップ上では◯の形だけしか表示されない。

 制限時間とは魔法の効果時間を意味し、『導く光』の範囲10mより外側は見えない。

「このゲーム始まって以来の厄介エリアだな」

 そう言って唸るアルバ。水中では彼の黒馬も召喚することは難しいため、そこも懸念点として挙げられている。

「ミサキさん、生命感知は相変わらずですか?」

「……はい、こんなの見たことがない」

 ミサキのスキル生命感知に関しても同様に、エリアが夥しい数の敵マーク(赤い点)で埋め尽くされてしまっている。これではマップに出ている赤い点の場所が〝浅い〟か〝深い〟か分からない。

「時間は惜しい、が、危険がデカい。そこの〝大福様〟を落として終わりなら世話ないが、そうもいかねぇしな」

 と言って笑うHiiiiveハイヴ。彼の言う大福様とはプニ夫のことで、これは以前久遠がプニ夫のことを大福餅と呼んだことから、愛着を込めて皆にそう呼ばれるようになった(本人はよく分かっていない)。

「偵察してる時間なんてあるの?」

「時間は確かにネックですが、死者が出れば意味がない。当初の予定通り、偵察隊が一度底を見に行きます」

 白蓮の言葉にワタルはそう答えた。

 今回は危険につきレベルの高い者かつ水中戦闘に適した者だけを集めた偵察隊を組んでいる。内訳は、ワタル、ラオ、Towa、葵、ハイヴ、アラン、ヨリツラ、怜蘭、K、ミサキ、プニ夫という編成となっている。

「着いていけなくて悪いな……」

 誠の言葉にミサキは元気に「大丈夫です。行ってきます!」と答えた。水中では弓矢が不利に働くためミサキは殆ど戦力外になる。今回は完全にプニ夫の付き添いとしての選出となった。ただ、彼女にはプニ夫がくっ付いているため、この中で最も安全と言えるだろう。

「ではそろそろ向かいましょうか。理想はボス部屋の前まで、25分過ぎたら全員集まってから海上国家ヒプノックに転移です。いいですか?」

 ワタルの言葉に偵察隊のメンバー達は大きく頷いた。

「んじゃ達者でなーお前ら」

「おい船内のレストランで時間潰そうぜ」

 などと去っていく黒犬とキジマを羨ましそうに眺めながら、ヨリツラは再び海面へと視線を向ける。

「あー無理、僕かなり海洋恐怖症……あと水中巨大生物恐怖症……それと水中人工物恐怖症……」

 笑いながら震えているヨリツラ。

 アランは愉快そうに彼の背中に護符を貼り付けた。

「はぁ? 海が怖いやつなんて聞いたこともねーよ」

「おるわ! なんかこう、底の見えない海とか何がおるか分からんやん! 海面近くに巨大なバケモンの顔がヌゥッと出てくるの想像してみーや! めちゃめちゃ怖いで!」

 唾を撒き散らしながら、身振り手振りで反論するヨリツラ。

「そうは言ってもおのスキル抜きじゃ進めねぇし。ほら、行った行った」

 アランがヨリツラの背中をドンと押すと、彼はそのまま船の柵に尻を強打し、バランスを崩す。

「のわーーっと、と、と……!」

 尻の僅かな面積だけで体を支えているような形になると、近くにアランのニヤケ顔が現れた。

「ショック療法って知ってるか?」

「か、堪忍……」

 そのままアランはヨリツラの胸をドンと押し、ヨリツラは宙に投げ出された。

「うあああ!!! 海怖い! うみこわい!!」

 ザボン! と、海に落ちるヨリツラ。

 ゲラゲラ笑いながらアランも続く。

「我々も行きましょうか」

 首から護符を下げたワタルも同じように海の中へと飛び込むと、偵察隊は次々と海へとダイブした。

 海中は色とりどりの魚が泳ぎ、さながらリゾート地でダイビングをしているような優雅さがあった。一行はその光景を楽しみながら下へ下へと沈んでいく。青みがかった水の色は次第に深く暗くなり、陽光が届かなくなると、視界は次第に闇へと染まっていく。

「おい、気付いてるか?」

「何が?」

 辺りを見渡しながら呟くハイヴにアランが反応する。護符の効果で、水中では通信のような形で会話ができるようになっている。

「このでけー穴の中だけ魚がいねぇ」

 魚すら恐れる深淵。穴の輪郭は異様なまでに暗く、見ているだけで吸い込まれそうな感覚を覚える。まるで闇が意思を持ち、こちらをじっと見つめているかのようだった。

「静かですね」

「だいぶ不気味だなぁ。嵐の前の静けさじゃなければいいけど」

 ワタルとKが互いの位置を確認し合うように警戒しながら辺りを見渡す。全員の頭上にある光だけが互いの位置を教える唯一の手段であり、全員がうまく位置取れば、それだけエリアを広く見ることができる。だが何もない。ただただ深い闇がどこまでも続くだけだった。

「……ッ!」

 ヨリツラが突然振り返る。背後に何かが潜んでいる気配を確かに感じたのだ。

 反射的にスキルを使う。

 彼のスキル〝運命に身を宿す者〟は、全ての事象に対し正解を導くことができるというもの。答えが正しいかどうかはプレイヤーのレベルを確率(%)として扱うため、92%の確率で正解かどうか調べることができる。

 内容は「後ろにいたのはモンスターか否か」そして結果が出た――「モンスターである確率92%」と。

「お、おい! 後ろにモンスターがいるみたいやで!」

 ヨリツラの言葉に皆の警戒心が一気に高まる。

「『こっちだ!』」

 ラオが敵視を集めるも、それらしいモンスターは現れない。エリアにはすでに侵入できているため、周りに何匹かいてもおかしくない――だが、何もない。

 ミサキも反射的にマップを見るも、相変わらず全体が赤色に染まっていて使い物にならない。

「(なんか変だ……)」

 ミサキは違和感を覚えていた。

 船の上からマップに写っていた赤点の群れがなくなっている。正確には、エリアをひたすら降りているので〝通過した〟と考えるべきか。

「(もしかしてあれは単なる魚影……?)」

 レベルが離れていると敵対してこないタイプのモンスターは多く、浅い場所ですれ違った魚が皆そうだった可能性はある。

「(ならこれは何?)」

 マップ全体にうごめく赤い点は?

 その意味を理解したミサキは、全員に向かって叫んだ。

「ここ、エリアの入り口じゃない! ボス部屋です!」

 彼女の声が響いたその瞬間、周囲の闇の中に無数の小さな泡が生まれ、青黒い鱗が光に反射して浮かび上がる。導く光がその巨大な存在の輪郭を照らすと、鱗の間から巨大な黄金の瞳がゆっくりと開いた。

「おいおいおい冗談やろ!?」

「うははは! こりゃまたでっけーな!」

 ヨリツラとアランの絶叫がこだまする。

 偵察隊は「フギンの底」の意味を理解した。

 海底に開いた巨大な穴に、トグロを巻く大きな黒い影。その瞳は鋭く冷たく、長い間この深淵で眠っていた存在「フギン」の眼光だった。

 フギンが、静かに体を起こす。

 無限に続くような体躯が暗闇の中でゆっくりと蠢くと、その威圧感が辺りの水を震わせた。


BOSS:フギンLv.75


 意識して目を凝らすことでゆっくりとその影が見え始めるが、姿は完全には見えない。

「『こっちだ!』」

 ワタルの敵視を集める技(挑発)も届いていないのか、フギンは悠然と動き出す。動くたびに渦巻きが発生し、平衡感覚が狂わされていく。

「レベルはこっちが圧倒的に上なのに……やりずらいわね」

 渦の中で必死に耐え忍びながら怜蘭が呟く。

 彼らの背後にはもう逃げ場はない。闇と静寂が支配するこの場所で、巨大な敵を相手に挑むことが現実としてのしかかる。

「上が下になる確率92%で下が上になる確率は……」

「これじゃ近づけねぇな。どうすんだ? 今回はあくまで偵察なんだろ?」

 我を失うヨリツラと冷静なアラン。

 ワタルは盾を構えて技を発動させた。

「『磁力の盾』」

 渦に飲み込まれていたメンバーが盾の方へと引き寄せられ、偵察隊の全員が揃った。取り乱しているのはヨリツラくらいで、いかに偵察隊が精鋭揃いなのかが窺える。

「的がでかいならむしろこっちが有利かな?」

「船上から魚雷とか落としまくれば楽に倒せそうだな」

 Kとハイヴの言葉を受けて、ワタルはしばらく考え口を開く。

「いずれにせよ挑む価値はありそうです。マップや他のモンスターに気を取られず、ボスを倒して終わりならむしろ好都合。なにしろ我々には時間がない」

 ワタルの言葉に皆が小さく頷いた。

 なおもパニック状態のヨリツラが叫ぶ。

「弱点が存在する確率92%ぉ」

「それがどこかまで分かると対策できるんだけどなぁ」

 苦笑いするK。その間もフギンはとぐろを巻くようにうねりながら、この世のすべてを飲み込むかのような巨大な口を開け、ゆっくりと迫ってきた。ワタルとラオは素早く動き、同時に同じ技を発動する。

「「『刹那の防壁』」」

 瞬間、半透明の壁がフギンを弾き返した。

 刹那の防壁は、受付時間1秒間だけではあるがあらゆる攻撃を跳ね返す効果を持つ。フギンの悲痛な叫び声が轟き、皆一様に耳を塞いだ。


「ちょっとどいてくれる?」


 「バツン!」という凄まじい音が響き、フギンの首が折れ曲がる。そのまま動きが徐々に鈍くなり、ついに完全に止まった。

「えっ死んだのか?」

 ハイヴが肩透かしを食らったようにそう呟いた。なにが起こったのかわからず場は騒然となった。ひとつ言えることは、何者かによってフギンが討伐されたということ。ミサキのマップにあった巨大な赤い点も消えている。

「このペースじゃ世界が終わるまでに神のとこまで辿り着けないよ」

 そこにいたのは久遠であった。

 フギンの遺体が力なく昇っていく。

「毎回毎回よお、おめーなにが目的なんだよ。使徒なんだから敵側だろ? 信用できねーんだよ」

「牽制しあってる場合じゃないだろう?」

 声を荒げるアランに久遠は平然と答える。

「さっき使徒の代表とプレイヤーの代表が和解した。神直属の部下である使徒が人間の側についたってこと。これが意味すること分かる?」

 それを聞いたミサキは直感的に〝修太郎がやってくれたんだ〟と確信する。使徒が味方になったことは朗報だが、久遠に対する不信感は拭えない。

「お前、あの精霊達はどうしたんだ」

 警戒するラオの言葉に久遠は首をすくめる。

「三体は殺した。一体は神に献上したよ」

「そんな奴の言うことを信用しろってか?」

「ああしないとお前ら皆殺しだったんだよ? 俺はあの時神に逆らえなかった。だから、成果を上げてこいって命令に精霊を討伐して答えたんだよ」

「……」

 久遠の言葉に嘘偽りはない。しかし、それを確認する術を持たない偵察隊の面々は、彼の言葉を全く信用できずに深海を漂っていた。

「今は違うみたいな言い方じゃないか」

 ワタルの問いに久遠はニッと小さく笑う。

「神と神の戦いで使徒の呪縛が一時的に解けた。だからこれから先、可能な限り君たちの攻略を手伝うつもりだよ」

「だーから、それをどう信じろって――」

 アランを手で制すワタル。

「信じましょう」

「はぁ? てめぇ一人で決めんじゃねぇよ」

 横槍を入れられたことに腹を立てるアラン。しかしワタルは全く意に返さず淡々とした口調で続ける。

「前回の彼とは明らかに違います。僕の目測では、大福さんと久遠ではわずかに彼のほうが強く、しかし我々に攻撃する様子はない。仮に彼の言うことが嘘で未だ光の神の側なら、むざむざ先に進ませるメリットがありません」

「そりゃあお前はそう言うだろうよ。その目測とやらもお前の中でしか成立しないだろ」

 ワタルの言葉に待ったをかけたのはハイヴだ。

「お前、リアルでのダチなんだろ? 露骨に庇ってるの丸わかりで中立性に欠けるんだよ」

「こんなトコで揉めてないではよ先進もうや。な?」

 モジモジするヨリツラに対し「悪いがもう少し我慢してくれ」と断りながら、再び目線をワタルに向けた。

「この場ではっきりさせようぜ。どうせコイツは今後も人間ヅラして絡んでくるんだろ? 信用できる証拠がねぇと背中は預けられねぇよ」

「……」

 無言で漂っている久遠。

 ワタルも俯き黙り込む。

 沈黙を破ったのはミサキだった。

「レジウリアの人にプレイヤーと使徒が和解した事実を確認したら、久遠さんの言っていたことは正しいって証明になるので、それで解決じゃないですか?」

 ミサキのひと言に怜蘭が小さく頷いた。

「そう思っていま確認してたところ。そんでホラ――」

 そう言ってラオが見せたのはテリアからの返信メール。そこには〝修太郎が説得してくれた〟というような内容が書かれているのが確認できる。

 葵がホッと胸を撫で下ろす。

「……根拠があるなら今は引く。ただな、こいつは元々プレイヤーを狩ってたPKだ。人間に与する使徒(NPC)がいるなら、その逆もあり得るってことだろ」

 捨て台詞のようにそう言うと、海底に向かって泳いでいくハイヴ。そこには次のエリア――へルバス地下牢獄に続く、地獄の門が鎮座しているのが見えた。

「ま、うちのリーダーはああ言ってるけど気にせんでええよ。単なる心配性やし」

「はい」

「……」

 カラカラと笑うヨリツラと、無機質な声でそう呟くTowa。そして無言で睨むアランもまた、ハイヴに続いて次のエリアの入り口へと向かっていった。

「やっぱそうなるか。ま、仕方ないね」

 軽薄そうに笑う久遠。

 その表情には少しだけ寂しさが見て取れた。ワタルがそっと彼に近寄る。その眼差しには、長年の友に向ける信頼と、どこか拭えない疑念が混じっていた。

 久遠はワタルに視線を向けて呟く。

(ワタル)、少し話せる?」

 ワタルは一瞬だけ驚いた表情を見せたが、すぐに「もちろん」と微笑み、二人は少し離れた位置で向き合った。

「俺を信頼してくれるのは嬉しいよ……でも今は仲間との信頼を一番に考えるべきだろ? いま仲間の信頼を損なってどうする。俺のことはいい。俺は俺の勝手で、お前達を生かすために動く別働隊だと考えてくれればいい」

 久遠は光の神を倒せさえすればそれでいいと考えていた。しかし、ワタルは違った。

「君だって仲間だ」

「!」

 ワタルの言葉に久遠は口をつぐんだ。

「この先の戦いで、また雷千みたいな者が出てくるかもしれない。そうならないためにも我々は、より堅固な信頼関係を結んでいく必要があるんだ。君と皆の信頼関係すら築けないなら、この戦いもきっとうまくいかない」

「……」

 αを説得し信頼と信用を勝ち取った修太郎のように、ワタルもまた、信頼関係が重要になると予想していた。

「皆が納得できないのは当然だ。君は多くの人を傷つけた。僕たちにとって、それは忘れられるようなことじゃない。それでもいまは〝目指す道は同じ〟だと示していかなきゃならない。共通の敵は光の神であると」

 敵の敵は味方ってことか、と呟く久遠。

 過去の行いは消せなくても、同じ目的であることは示すことができる。その中での信頼は成り立つのだと、ワタルは考えていた。

「君が仲間としてここにいたいなら、過去の罪をどう受け止めているのかを、仲間たちに伝えてほしい。それが、今を戦う僕たち全員の信頼を得るために必要なことだと思うんだ」

 ワタルのその言葉に、久遠はしばらく沈黙したまま視線を落とし、口を開く。

「もちろんだ……たとえ過去は消せなくても、これからの戦いで償っていきたい」

 久遠の言葉には深い後悔が感じられた。しかし、決して消えることのない過去を抱えながらも、前へ進もうとする決意がこもっていた。

「ここを出たら、必ず罪を償わせる」

「ああ、俺もそうするつもりだよ」

 久遠は決意の籠った瞳でワタルを見た。

 ワタルはその言葉を聞き、穏やかに微笑んだ。

「同じ未来を見てくれるなら、人間か使徒かなんて関係ない。共にこの世界から脱出しよう。もしまた神の意志に縛られてしまっても僕が必ず引き戻す。だから協力してほしい」

 久遠は「フッ」と小さく笑った。

「……いつもいつも、理想が高いな」

 ワタルは静かに頷き、二人は互いに手を差し出し、固い握手を交わした。その握手は、深い友情を象徴するものだった。

 一連のやり取りを見ていた葵が前に出る。

「私は信用する。仲間だから」

 そこへ残りのメンバーも集まってくる。

「ごめん、私は個人的に貴方をまだ信用しきれてないけど、修太郎君は信じてる。だから貴方も信じられる」

 そう言って怜蘭が手を差し出した。

 真っ直ぐな瞳を向けられ嬉しそうにはにかみながら、久遠はその手を軽く握った。その握手には、過去を超えて新たな絆を築こうとする決意が感じられた。





 鉄格子に囲まれた狭い部屋には、灼熱の熱気が充満し、その場にいるだけで汗が止めどなく流れ出す。外の景色は赤黒く染まり、まるで血が大地を覆っているように見えた。足元にはゴポゴポと泡を立てる熔岩が流れている。

「うひーーまたここに戻ってくるとは」

「このエリア作った奴趣味悪すぎんだよ」

 そう言って先行する黒犬とキジマ。

 フギンの底クリアの一方を受けて待機していたメンバーが合流し、攻略組は次なるエリア――ヘルバス地下牢獄へと到着した。

「犯罪者ってこんなところに連れて来られるのね」

「しかも門番があのフギンだろ? 厳重というかぶっ飛んでるというか……」

 あまりの景色に戦慄する白蘭とラオ。

「もしかしたらまた捕まってる人がいるかも」

「そうは言っても使い物になる奴かどうか分からんからなぁ」

 と、元牢獄組である葵とヨリツラがヒソヒソと何かを話している。

 格子の向こうには、どこまでも続く迷路のような通路が広がり、その光景はまるで地獄。崩れた壁にはいくつも穴が開き、天井からは水滴が静かに落ちてくる。 

「この水漏れってつまり……考えれば考えるほどゾッとする環境ですね」

 そう言ってミサキは身震いする。

 天井から先は海の底であり、ヒビでも入れば囚人達はあっという間に海に呑まれてしまう。中では拷問器具を携えたモンスターが徘徊し、一年中囚人達の叫び声が聞こえてくる。まさに地獄の環境といえる。

「いやー懐かしいなぁ。僕らが仲良く収監されとった檻やろ? これ」

 ヨリツラが指差すのは大人数が収監できる檻だった。そこにはもう誰もいないが、かつてそこにワタルが囚われ、囚人達を束ねてヴォロデリア救出&脱獄計画が実行されたのだ。

「結局、囚人組も生き残りは俺たちだけか」

「あの雷千とかいうやつ? も、結局ひと様に迷惑かけて死んでったんだってな。やっぱ犯罪者なんてのはろくな奴いねーよ」

「こらこらーそこうるさいでー」

 黒犬とキジマを棒読みで嗜めるヨリツラ。

 久遠は無言でその檻を眺めていた。

「……また自分を犠牲にするつもりなの?」

 誰にも聞かれない声で葵がそう言った。

 葵も元囚人であり、サンドラスでの大規模戦闘の際、ゲーム内にいた彼氏に囮にされかけるも、返り討ちにして収監された過去をもつ。だから、共に脱出しヴォロデリア救出に命を賭けたワタルやヨリツラ達のことを特別に感じていた。

 そんな彼女が最も気にかけていたのが久遠であった。

「そんなつもりはないよ。罪滅ぼしの意識はあるけど、やりたいことをやってるだけ」

「そっか……」

 微笑む久遠を見て、それ以上なにも言えなくなった。ミダン結晶塔にて、仲間を助けるために命を失った久遠。そして不運にも神の都合で甦らされ、人類の敵として操られた久遠――葵の心境はとても複雑であった。

 自己犠牲? 死に急いでいる?

 今の久遠にもそんな危うさが感じられた。

「もし……もしも、このゲームから脱出できたらさ――」

「これで現在の最前線であるミダン結晶塔までのルートが繋がりました」

 彼女の声はワタルの言葉によって遮られた。

 久遠はフイと視線をワタルに向け、葵は寂しそうに俯いた。

「ここから魔法国家マリョスに転移して、結晶塔を一気に駆け抜けます」

 メニュー画面を操作するワタル。

 光の神の場所に行くために、ヴォロデリアが言っていたのは〝時の鍵〟なるアイテムが必要だということ。そしてそれは全てのエリアを踏破して初めて手に入るということ。故にワタル達はミダン結晶塔からでなく、皇竜トルガノの墓から順々に踏破して行った――という経緯がある。

 今回フギンの底までクリアしたことで、かつてワタル達がクリアした〝ヘルバス地下監獄〟と〝ホロ煉獄〟もクリア済みエリアとして繋がった。ミダン結晶塔はクリア扱いになっていないため、こちらは改めて攻略が必要となる。

 檻の中で朽ち果てている者達を見送りながら、皆が転移の用意をする――その時だった。

「! 待ってください。誰か捕まってます!」

 最初に気付いたのはミサキであった。

 ふと見たマップに表示された青色の点、それは攻略組の誰とも違い檻の中に存在していた。辺りを見渡していた誠もその人物に気付き、檻へと駆け寄った。

「お、おいアンタ! なんでこんな所に……」

 誠の視線の先にいたのは――aegisのサブマスター松だった。そして、舞舞は彼女がここに送られた経緯をよく知っていた。

「こいつの仲間は味方殺しのクズよ! 私たちも殺されかけたわ! ……でも、唯一この子だけ、比較的まともに見えた」

 そう言って舞舞も檻の前へと歩み寄る。

「……ねぇ、生きてるの?」

 松は長い髪を前に垂らし、呆然とただそこに座っていた。二人の声に反応を示さず、生きているのかさえ分からないほどに全く動かない。

 ふと、何かに気付いた舞舞は眉を顰めて再度尋ねる。

「ねぇ、アナタのマスター達はどこ?」

 舞舞は確かに、あの場にいたaegisのメンバー全員が鎖によってヘルバスへと連れていかれる様を見届けている。かなり時間も経っているため、拷問かなにかで死亡したのだと結論づけたが、松だけが残っている理由に説明がつかない。

「……しんだわ」

 消え入りそうな声で松はそう呟いた。

 ボロボロだが意思の疎通はできるようだ。

 かつての憤りをまたぶつけてやろうかと思っていた舞舞であったが、想像以上に疲弊した彼女を見て、もう怒りはどこかに消えていた。

「ここのモンスターにやられたの?」

「……」

 松は何も答えずに刀をぎゅっと抱いている。

 天草は少し先の道に立ち、つまらなそうに言った。

「こいつに構ってる暇あるのか?」

 無情にも聞こえるが、これはなによりも早く先を目指す旅。ここで松を救出しても戦力になるかも分からず、まともに歩けなければ文字通り足手纏いになるだけだ。

「……先に行っててもらっていいすか?」

 檻の前でそう呟く誠。

 天草は苛立ちのあまり舌打ちをする。

「この人ここにいたらいずれ死ぬでしょう? もし攻略に協力的なら戦力として価値があるし――いや、綺麗事ですね。すんません、このひと命の恩人なんです」

 真剣な表情で誠はそう続けた。

 ミサキと白蓮は、その悲しげな後ろ姿を心配そうに見つめている。

「私も少しだけ残る。聞きたいこともあるし」

 舞舞も皆にそう告げた。

 ワタルは一瞬、松を解放するかどうかで仲間たちの意見が分かれているのを見て深く考え込んだが、やがて冷静に判断を下した。

「10分間で結論を出してください。それまでに松さんが一緒に来る意志を示さなければ、そのまま転移して先を目指します」

 その言葉に誠と舞舞は小さく頷いた。ワタルは、松を助けたい二人への配慮をしつつも、時間を無駄にできないという元々の目的を優先した。

「……ありがとう」

 誠が小さく呟き、檻の前に座り込む。

 そして呆然と座る松にもう一度声をかけた。

「サンドラスで自暴自棄になってた俺を助けてくれたのはアンタだ。アンタが力強くで止めてくれてなきゃ、あの時俺は犬死にしてたはずだ」

 だから――と、誠は続ける。

「アンタの罪は聞いた、簡単には許されないことも分かってる。でも、ここに残っても死ぬだけだ。だから頼む、俺たちと一緒に来てくれ」

 松はぼんやりとした視線のまま、誠の方を見つめる。瞳の奥には暗く濁っていて、その心はすでに折れてしまったように見えた。

「アナタがここに入れられるほどの罪を犯したとは思ってないわ。私も、もう怒ってない」

 舞舞の言葉に松はゆっくり首を振る。

 そして小さく震える声でそれに答えた。

「罪を、犯した。別の罪を……」

「何をしたの?」

「シロカドさんを殺した。仲間も、全員」

「!」

 舞舞は言葉を失い、固まった。

 最初に見た時から感じていた違和感――それは牢獄にある鎖の数に対し、そこに松しか存在しないということ。奇跡的に彼女だけ生き残ったのではない、彼女が全員を殺していたのだ。

 松は髪をぐしゃりとかき乱しながら言う。

「だって仕方ないの、あの人はおかしくなってたから。皆もそう。あんな素敵な人を、皆を狂わせたのはあいつ……あいつなの……」

 それからも、ぶつぶつと聞き取れない声で呟き続ける松。

 舞舞は誠の肩に手を置き、首を横に振る。

「諦めましょ。いずれにしてもこんな状態じゃ一緒に戦うのなんて無理よ」

「……」

 不安そうに見守るバーバラ。ワタルもこの行末がどうなるか、固唾を飲んで見守っている。

 なおも誠は食い下がる。

「ここにいても贖罪にはならない。俺たちと一緒に世界を救う手助けをしてくれないか? アンタの力が必要だ!」

 縋るように言う誠の声は届かない。彼女の心は完全に閉ざされているように見えた。

 攻略組が見つめる中、無情にも10分を知らせる音が鳴る。誠は諦めたように肩を落とすと、ゆっくりと立ち上がった。

「時間です。どうか判断をお願いします」

 ワタルの声に小さく頷くと、誠は松に向かって静かに最後の言葉を投げかけた。

「……俺たちはこれから、光の神を倒しに行く。全てが終われば現実に帰れる。アンタもここでそうなることを願っててくれ」

 誠は松の反応を待つことなく、舞舞とともに檻から離れた。ワタルの指示に従い、皆は転移の準備を整え始める。

「光の……?」

 その背後で、沈黙したまま座り込んでいた松が突然低く呟くように言葉を発した。

「光の神を……倒しに行く……?」

 その瞬間、松の眼に鋭い光が宿り、ぼんやりとしていた視線が異様な輝きを放った。

 ズバン! という凄まじい斬撃音が轟く――彼女の手に握られた刀が、檻の鉄格子を無造作に切り裂いたのだ。

 誰もが驚いて振り返ると、そこには怨みに満ちた表情(かお)の松が立っていた。

 長い髪をだらんと垂れ下げ、視界を覆うようにしてうつむいている松。腕も力なく垂れ下がり、その先で一本の刀をかろうじて握っている。全身から生気を抜き取られたかのようなその姿は、幽霊か死神のように見えた。

「シロカドさんを狂わせたあの神を……私は絶対に許さない」

 最初は虚ろだった視線が、じわじわと焦点を定め始め、かつての力強さが蘇るように鋭く輝き始めていた。その声からは失われたものへの執着と怒りが抑えきれず、滲み出ているように見えた。

「神に会えるなら、あいつに会えるなら、こんな所で腐って終わるつもりはない」

 彼女の中には明確な目的が生まれていた。瞳の奥にあるのは、かつての仲間を失った痛み、そしてその原因をもたらした光の神への底知れない憎悪。

「私も行く――神をこの手で八つ裂きにする」

 誠と舞舞は驚きながら顔を見合わせる。

 まるで正気とは思えないながら、その怒りは光の神討伐の助けになると確信できた。なにより、犯罪者から使徒まで揃っているこのチームに秩序を唱えるような者は存在しない。

「じゃあ、行くか」

 誠がそう言うと、松は静かに頷き、刀を強く握りしめた。復讐心に突き動かされながら、彼女は攻略組メンバーに加わったのであった。


 

   


 ミダン結晶塔――

 七色に輝く結晶石によって覆われた、かつて塔だった建造物。神に近付くためマリョスの賢者達が建造し、そして天使達によって封印された。建造に携わった魔法使い達の遺体が彷徨っており、門は固く閉ざされている。

「ここはいい思い出がないなぁ」

 そう言ってケタケタと笑う久遠。

「いや笑えねぇし。お前ここで死んだじゃん」

 と若干引き気味の黒犬。

 ここの頂上で久遠は命を落としている。

「……」

 その様子を見て俯く葵。ヨリツラは彼女の変化に気づき「へぇー」と怪しい笑みを浮かべた。

「町に入れねー奴らが優雅にお喋りしてる間、必死こいて前提クエスト探し回るのいい加減腹立ってきたな……」

 などと不満を漏らすアラン。犯罪者組は町に入れないため、エリア解放のための前提クエスト探しはその他のメンバー総出で行っている。

「それは言っても仕方がないことだろう」

「んなことは分かってんだよ、こういうのは理屈じゃねーの」

 アルバに嗜められヘソを曲げるアラン。

「あら。でも一度クリア目前まで行ったメンバーがいるのは心強いんじゃない?」

 剣の具合を確かめながら言う怜蘭。アランは「このエリアに関してはそうだけどよ!」などとボヤいているが、怜蘭はもはや相手にしたくないと言わんばかりに首を振っている。



○○○○○○○○○○


依頼内容:塔に潜む封印の調査

依頼主名:魔法国家マリョスの調査官 リィン

有効期間:48:00:00


依頼詳細:ミダン結晶塔の封印に異変の兆候が見られ、封印を強化するための調査が求められています。古代の賢者たちによって神に近づくために建造されたこの塔は、現在は結晶の亡霊たちにより守られ、封印され続けています。塔に宿る魔力が漏れ始めており、封印の安全性が疑問視されているため、リィンは塔内部の状況を確認できる冒険者を探しています。


結晶塔内部では、賢者たちの亡霊や、結晶の守護者たちが封印を守るための動きを見せる可能性があります。侵入者を排除するために配置されたこれらの守護者たちに注意しつつ、塔の上層に到達し、封印の状態を確認してください。


目的:封印の魔法陣の状態を確認する

   結晶の守護者を討伐する(0/1)


○○○○○○○○○○



 ワタルの手に握られている〝賢者の鍵〟は、ミダン結晶塔を開放するためのアイテム。

「今回は堂々と正面突破やな」

 ヨリツラが言うと同時に鍵が鍵にスッと吸い込まれてゆき、カチャリと軽い音の後に、入り口の扉がゆっくりと開いた。

「参りましょうか」

 ワタルが先導する形で、一行は塔の内部へと進んでいく。すぐに白蓮とミサキによるマップ開拓と索敵が行われ、情報が共有された。

「前回強行突破したルートがここだね。他の道もありそうだけど、前は問題なく頂上に着けたしココを使うのがベターかな」

 葵が記憶を頼りに最短ルートに線を引いていく。「ほらね?」と言わんばかりの目を向けてくる怜蘭に、アランは気まずそうな顔で頬をかいた。

「先頭は僕が、最後尾をラオさんが守ります。前回は空中戦の可能な天使が道中襲ってきましたが、今回はモンスターの動きも変わってくると思います。慢心せず着実に――」

 ワタルの言葉を最後まで聞かず、ふらりと先頭に躍り出た松。獄中とは違い足取りはしっかりしているが、ワタルの言葉が耳に入っていないのか、前方の敵を凝視しているのが見える。

「松さん!」

 ワタルの静止も聞かず走り出す松。

 天草は「言わんこっちゃねぇ」と毒づいた。 

 結晶塔は真ん中が吹き抜けとなっているドーナツ状のエリア。緩やかな螺旋階段をひたすら登るだけと構造は単純だが、その分敵に見つかりやすい――現に松はすでに複数の敵に捕捉されていた。

 結晶骸骨 Lv.88

 結晶蜘蛛 Lv.90

 迫り来るモンスターに向け、抜き身の刀を構えた。

「『乱れ柳斬り』」

 目にも止まらぬ速さで一閃、二閃、三閃。

 刃が振り抜かれるたびに空気が震え、相手の体が無数の斬撃によって細切れにされていく。モンスターだけでなく、その後ろにあった道や壁までもが、瞬く間に切り刻まれていく。

 チン、という刀を納める音を合図に、斬撃の残響が遅れて響いた。そして相手と周囲の全てが静かに崩れ落ち、細かな破片が舞い散る。

 周囲を凍り付かせるほどの刀捌きだった。

「ほえー神殺しを掲げてるだけはあるな」

 腕を組みながら見惚れる誠にバーバラが詰め寄る。

「感心してる場合じゃないでしょ! タンクを追い越して勝手に進んでるのよ! 危ないわ!」

 そんな二人を飛び越えて松の隣に降り立つ久遠。皆の合流も待たず駆け出す松と並び、久遠もモンスターの群れに突っ込んだ。

 見えない手でモンスターを拘束する久遠。

 それらを一網打尽に切り刻む松。

 歪ながら連携に見えるその特攻によりモンスターはなす術なく蹴散らされてゆき、葵の示した最短ルートも助けて一行は凄まじい速度でミダン結晶塔を駆け上がっていく。

「規律が乱れると死者が出るぞ……」

「面白えじゃねぇか。やっぱ戦闘はこうでなきゃな!」

 ぼやくアルバと喜ぶアラン。

 一方ミサキはプニ夫を腕に装備したまま、可能な限り弓で松と久遠(二人)を援護していた。

「(働き詰めのプニ夫ちゃんを休ませられるし、有難いや。アルバさん怒ってるし声には出せないけど……)」

 ミサキの心の声に反応したのか、プニ夫がニョキと触手を伸ばして親指を上げるポーズをした。ミサキの腕の中でプニ夫は一時の安息を得ていた。

 大物との戦闘は時間短縮のためにプニ夫が担当してきていたが、久遠の加入と松の暴走によってその必要もなくなっていた。

「中ボスとか完全に轢き殺されてたな」

「はやっ! もう出口が見えてきたぞ」

 呆れたように呟く黒犬。キジマが指差すほうを見ると、そこには頂上に繋がる出口が小さく見えていた。

「クエストにあった〝封印の魔法陣〟ってアレか?」

 誠が見つめる先には、焼き切れて原型を留めていない文字列のような物が宙に浮いていた。隣ではKが「状態:破壊されてました、と」などと言いながら何かを書き留めている。

 先行する久遠と松が出口をくぐった。

 一行もその後を追いかける。

「ということはボス戦は必須か。まあ当然と言えば当然か」

「そうですね。でもこの勢いを見る限りボス戦も一瞬です」

 アルバとワタルが出口をくぐると、そこはeternityの世界が見渡せる広い平らなフィールドに出た。前回のように天使の群れがないことに、ワタルは心の中で胸を撫で下ろす。

「あれがミダン結晶塔の本来のボス――!」

 葵が見つめる先に一人の騎士が鎮座していた。

 それは七色に輝く結晶で構成された巨大な騎士。鎧のように体を覆う結晶は、光を浴びるたびに鮮やかな色彩を反射している。頭部には王冠のような結晶の角が生えており、眼の部分は暗い紅い光の宝石が収まっている。


BOSS:結晶の守護者 Lv.85


 結晶の守護者の腕は両方とも長い剣のような形状になっており、それぞれの剣には無数の小さな結晶が散りばめられている。

 侵入者の到着を待っていたかのように立ち上がると、両腕の剣を構えて威圧した。そこへ飛び込む松は躊躇うことなく刀を振り下ろした。

「『風神閃ふうじんせん』」

 その刀は守護者に当たることなく、足元の床を砕いた。発生した風が守護者を吹き飛ばし、竜巻が体をザクザクと切り刻んでいく――!

「『月影一閃げつえいいっせん』」

 一瞬で相手の背後に回り込み、鋭い一閃を放つ。刃が閃いた瞬間、守護者の腕がバラバラに崩れていった。

「ごめんね」 

 久遠の手刀が守護者の胸を貫通する。

 そして心臓部たる緋色の宝石を引き抜くと、守護者はそのまま形を維持できずに崩れ、光の粒子となって消えていった。

 まさに、圧倒的な勝利であった。

「本格的に俺達いらないんじゃね?」

 誰もが思っていたことを口にする黒犬。

 しかしすぐさまワタルがそれを否定した。

「戦闘だけではどうにもならないエリアも過去にありましたから、この体制は続けます。でも確かに、二人に戦闘を任せられれば役割が明確化できていいですね」

「お、ワタルくんも楽を覚えたんやね」

「……」

 ヨリツラに茶化されようとワタルは冷静なままだった。ワタルはアルバが言ったように規律が軽視されるのは危険だと考えていたが、今この形がベストなら、通用しなくなるまでは変える必要はないとも考えていた。

 かつてのワタルにはない考え方であり、目的のために柔軟になった、という見方もできる。

「!」

 ミダン結晶塔攻略に小さな達成感を得ていたところで、メールに気付くワタル。内容を確認し、わずかに目が見開かれた。

「一度戻ります」

 ワタルの方へ皆の視線が集まる。

「そんな余裕あんのか?」

 ハイヴの問いにワタルは小さく頷いた。

「レジウリアの防衛及び都市防衛戦が完全に収束し、最後の戦いに向け休息を取ることになりました」

「無事に勝ったんだ。よかった……」

 安心したように目を潤ませるミサキ。バーバラや怜蘭達が安堵する様子も見て取れる。

 ハイヴはなおも問う。

「じゃあ尚更、先を目指すべきじゃねぇのか?」

「その点については〝猶予〟があるそうです。それに、次回から修太郎君も参戦するそうですから」

 ミサキの手の中で激しく興奮するプニ夫。

 プレイヤー最高戦力の参戦を聞き、一同の表情には期待と安心が入り混じっていた。彼が来るなら間違いないだろうと。

「これでひとまず目標としていた場所にたどり着くことができました。一先ずはお疲れ様です、皆さんの尽力無くしてこのスピードはあり得ませんでした」

 ワタルも少し肩の荷が降りたように微笑みながらメール画面を皆に見せ、続ける。

「世界改変まで残り4日。不眠不休で攻略はできませんから、今晩はしっかり休息を取り、万全の状態で――終止符を打つ。脱出の日は近いです」

 ワタルがしっかりと皆に視線を巡らせると、皆の目にも熱い決意が感じられた。アルバも、ミサキも、誠も――それぞれが心を一つにして、塔からの帰路に足を踏み出すのであった。



 レジウリアの夜が静かに訪れ、空には無数の星々が瞬き始めた。流れ星が尾を引き、まるで銀河がゆっくりと流れていくように、光の帯が天を飾る。その美しさが、かえって儚さを際立たせる。

「本当にもう、いよいよだね」

 噴水広場に腰掛けて空を見上げる修太郎。

 周りにはショウキチやケットル、キョウコ、そして攻略組であるバーバラ達やミサキの姿もあった。そこではレジウリアの住民と、残っている殆どのプレイヤーが集まり、静かな時間を過ごしていた。

 世界が終わりを迎えるまで残り4日。

 勝っても負けてもあとわずか4日だ。

 人々は限りあるその一瞬を、それぞれが最後の瞬間を大切な人の傍で過ごしたいと願った。

「たまにはゆっくり星を見るのもいいですね」

 腕の中でプニ夫を優しく撫でながら、ミサキがそう呟いた。

「現実に帰れる日が来るのかぁ」

 感慨深そうに呟くショウキチは、石造の道の上に大の字になりながら、美しい星空を眺めていた。

「現実世界ではほんの一瞬しか経ってない――ってのは、ほぼ確定なんだっけ?」

 ショウキチの問いに怜蘭が答える。

「その説が有力ね。だから現実に戻ったら、私達の冒険を覚えているのはきっと私達だけ」

 空腹にならず、排泄の欲求がないこと、現実からの使者が一向に現れないこと、そして同居する家族による電源抜き(強制ログアウト)で死んだ者が一人もいないという事実が、その説が真実である裏付けとなっている。

「現実に戻ったらみんなは何がしたい?」

 修太郎の問いに皆考えを巡らせる。

 静寂に包まれた星空の下、人々は寄り添い、現実世界に想いを馳せていた。

「僕はファーストフードが食べたいですね」

 意外にもそう答えたのはワタルだった。

 ギョッとした皆の視線がワタルに集まる。

「ワタルも面白いことが言えるんだな」

 目を丸くして言うアルバ。

「ただ願望を言っただけなんですが……」

「脱出後に食べる物がファーストフードとは欲のない」

「でも分かります。ここの食事では満腹感が得られませんからね、胃もたれするくらい好きなものを食べたい」

 にま〜っと頬を緩ませるフラメ。お前達は食い物のことばかりだなと呆れ笑いするアルバ。

 ワタルの解答によって場の空気がさらに和むと、皆はポツポツと自分のしたいことを語り出した。

「私は甥っ子達に会いに行く。そのためにここまで生き残ってきたんだ」

 アルバがそう大きく頷いた。

「俺も妹に会いに行くぜ」

 アランがアルバに向けて親指を立てた。

「私は100時間くらい寝たいです……」

 だらしなくそう呟くルミア。

「俺はどうせ仕事だ。夢も希望もねぇ」

 ため息を吐くハイヴ。

「ボクはブログを鬼のように更新するで! タイトルは〝閉じ込められた英雄達〜悪夢のデスゲーム〜〟これは伸びるでぇー!」

 それを聞いた修太郎は目を輝かせてヨリツラを見た。

「わぁ! それ絶ッ対読みます!!」

「そぉーかいそうかい! これは腕がなるで!」

 異常に食いつきのいい修太郎に上機嫌のヨリツラ。それを見てクスクスと笑う怜蘭と白蓮の肩を抱きながら、ラオはニッと白い歯を見せた。

「うちらは皆で集まって浴びるほど飲もうぜ! な?」

「介抱しなくていいならいいよ」

 冷めた様子でそう呟く怜蘭。

「まあそれも悪くないわね」

 嬉しそうに微笑む白蓮。

「だろぉー? もちろんテリアもな!」

「わかった。楽しみにしとくね」

 テリアが頷くと、ラオは辺りを見渡しもう一人の親友を探す。

「あれ? カナタは?」

「あの子はきっと工房じゃないかな」

 ラオの言葉に楽しそうに答えるテリア。

「はあ? アイツこんな時まで仕事かよぉ」

「私にはそう言ってたけど、あれは違うね」

「違うってなにが?」

「それは……あの子も女の子ってことよ」

「はああ?」

 などと二人がやり取りする中で、白蓮は元サブマスターであるkagone(カゴネ)に視線を向けた。

「あなたもぜひ、一緒に」

「え、私なんかが混ざってもいいんでしょうか……」

「ずっと黄昏ギルドを守ってくれたじゃない。大切な仲間だし、もう家族みたいなものよ」

 そう言ってはにかむ白蓮。

「はあ? カゴネ来ないつもりだったのか?」

「もうお互い顔も知ってるし、よほど遠くなければ……ね?」

 ラオと怜蘭も同じように微笑みかける。

 カゴネの目には涙が光っていた。

 初期メンバーではないカゴネにとって、創立メンバーは憧れであり目標だった。彼女達には固い絆があって、それは特別で、彼女達だけのもので、自分がそれに入れないことも自覚していた――でも、それは間違っていた。

 白蓮達はとっくに彼女を認めていた。

 勝手に線引きをしていたのは自分だったのだと、カゴネは初めてそこで自覚したのだった。

「ちょっと姉さん達! 俺たちも家族ですよね!?」

「当たり前じゃない。全て奢るわ、ラオが」

「ふん! あたし*にそんな財力はない!」

 笑いに包まれる元黄昏メンバー達。

 仲良いねと微笑みながらバーバラが感慨深そうに呟く。

「デスゲーム開始当時は本当に絶望しかなかった。正直今でも不安はあるわ。たとえば……現実に戻ったら、ここでの経験がどれだけ意味を持つのかとか。ここで大切にしたものが、帰ったらただの夢みたいになってしまうのか、そう考えると……ちょっと、怖い」

 でもね、とバーバラは続ける。

「こうして皆と過ごす時間ってきっと人生で今しか味わえないじゃない? 私は皆と一緒に戦えたこと誇りに思う。つらいことばかりだったけど、貴重な経験ができたなって」

「……バーバラさん」

 キョウコの目元は少し潤んでいた。

 ショウキチとケットルは誇らしげにそれを聞いており、誠は俯き黙っている。

「あっちに戻ったらこうやって気軽に会えなくなるだろうし、なんだか現実に戻ることより、寂しい気持ちのほうが強いや。変だよね」

 そう言って笑うバーバラ。

 そうかもなぁと、ショウキチはそれに同意しながら頭の後ろで手を組んだ。

「現実に戻ったら俺なんて普通の中学校一年生(中一)だし、早寝早起きしろってとーちゃんはうるさいし、勉強勉強でかーちゃんはうるさいし、なによりあっちにはモンスターいないしなぁ」

「お母さんに文句言えるほど自分で勉強頑張ってるの?」

「するつもりはある! でも言われるとやる気なくなるんだよ!」

 その言い分に呆れた様子のケットル。苦笑いを浮かべる修太郎を見て、キョウコが言う。

「修太郎さんは真面目に勉強してそうですね」

「あっ、僕も別にそんな……ははは」

「やってるわけねーじゃん、なに言ってんだよ! 俺も修太郎テスト前はノー勉同盟だぜ! な?」

「こらこら修太郎さんを勝手に巻き込むな」

 などと言い合っているところへ、先ほどからずっと黙ったままの誠が突然立ち上がった。そしてズンズンと足を進めると、驚いたような表情を向けるバーバラの前で膝をついた。

「俺と付き合ってください!!」

 いきなりの告白が広場に轟いた。

 喧騒が止み、周りがシンと静まり返る。

「ちょ……え?」

「ゲームの中とか関係ない、俺はずっとバーバラに惚れてたんだ」

「き、急になに言ってるのよ! みんなが見てるわ……!」

 見られたって構わない! と、誠は立ち上がり拳を握る。その目は決意に満ちていた。

「俺はずっと〝そんな場合じゃない〟からって自分に言い聞かせて自制してきた。でもな、いま言わなきゃいつ言うんだ!? 光の神を倒すまでこんな時間はもう取れないかもしれない。もちろん死んだら終わりだし……神を倒したらすぐ現実に戻されるかもしれない。話す暇もないかもしれない。だから二度と会えなくなる前に、気持ちを伝えておきたかったんだ……」

 最後の言葉は消え入りそうなほど力弱く、最後の戦いへの不安や葛藤が見て取れた。

 誠の体を何かがふわりと包み込む。

「私の電話番号は――」

 耳打ちが終わり、少しだけ顔を離すバーバラは、呆気に取られる誠の頬にキスをする。

「いまの忘れたらもう二度と会えないね」

「えっ、わっ、ちょメモメモ!!」

「ふふふ」

 二人の様子を見て、皆が一斉に歓喜の声を上げた。皆が口々に誠を祝福し、あたたかな笑いが広場に満ちる。照れくさそうにバーバラと顔を見合わせる誠の姿に、なんともいえない幸せな空気が漂っていた。

「えっ、誠ってバーバラが好きだったの?」

「アンタさぁ……見てれば分かるでしょそんなの」

 ぽかんとするショウキチに呆れるケットル。

「はぁー? 分かるわけないだろ」

「だからアンタはいつまで経ってもお子ちゃまなのよ」

 などと言い合う二人を見て、キョウコの瞳に再び涙が光る。一度は死んだはずの自分たちが、こうしてまた一緒に笑い合える日が来るなんて――その奇跡に胸がいっぱいになり、涙が頬を伝った。

「俺も彼女が欲しい! 募集してまーす!」

「だーれがアンタなんか選ぶもんですか」

 そう言って剣を抜きアピールするショウキチと、鼻で笑いながら首を振るケットル。本人達は気付いていないものの、二人の人気は高い。年齢がネックになり言い寄るものはいなかったが、密かに好意を寄せる者もいた。

 そんな事ととはつゆ知らず、ショウキチはなおも声を張り上げる。

「お前には言ってねぇ! 俺のかっこいい姿を見て惚れてる奴はきっといる! だって見ろよこれ、二刀流だぞ!? おい修太郎、お前はなんか好きな人とかそういうのないわけ?」

「えっ、僕?」

 唐突に話を振られて困ったように頬を掻く修太郎。すると先ほどまで威勢の良かったケットルは赤面して黙り込み、聞くことに徹していたミサキや舞舞が聞き耳をたてる。

「ぼ、僕には魔王達やレジウリアの皆、ベオライトもプニ夫もいるし……」

「あーあー違う違う! ラブじゃないライクの話をしてるんだよ! 好きなオ・ン・ナ・ノ・コ!」

 恋愛感情がなんなのかさえ分からない修太郎にとって、好きな人がどんなものなのかも、よく分かっていなかった。ただ、誠やバーバラを見ていると、それがとても素敵で特別なことなのは理解できた。

「修太郎くん」

 唐突に、修太郎の前に歩み寄る一人の女性。

 髪の毛をしきりに触りながら気恥ずかしそうに立つのはケットルであった。

 ショウキチは頭の上にはてなマークを浮かべながら「えっ? えっ?」と二人を見比べている。

「アナタが好きです。私を恋人にしてくれませんか」

 修太郎は予想だにしていなかったのか、目を丸くして固まっている。群衆達は固唾を飲んで修太郎の返答を待った。

「(え!? ケットルちゃん!?)」

「(やられた!! 思わぬ伏兵じゃないの!!!!)」

 そしてミサキと舞舞(約2名)は心の中で絶叫していた。

「アナタが私を助けに来てくれた時のこと、昨日のことように鮮明に思い出せる。アナタは絶望から救ってくれた光。……恩が転じて好意に思えてるだけなんじゃないかって、自分の中で色々考えてみたんだ。でもやっぱり違う――間違いなくこれは恋だよ」

 真っ直ぐな瞳が修太郎に向けられた。

 修太郎も彼女の瞳を真っ直ぐ見つめ返す。

「ごめん」

 修太郎の最初の言葉は謝罪だった。

「いきなりのことでなんて答えればいいか……でも、気持ちはすごく嬉しい」

 慎重に言葉を選びながら修太郎は続ける。

「僕にとって光の神を倒すことが、それだけが目標で目的だったからなんていうか……それ以上の気持ちが、今はまだわからないんだ。だから答えを出すことはできない」

 修太郎は少し困ったように微笑み、ケットルに頭を下げた。

「でもありがとう。僕のためにそんなに思ってくれているなんて、正直すごく驚いたし、すごく嬉しい」

 ケットルもまた、少し寂しげながらも温かく微笑み返した。

「そっか、わかった。気持ちを伝えられただけでも十分よ。でも……もしも現実に戻っても、私たちがこうしてまた会えたら、その時もう一度、あなたに聞いてもいい?」

 修太郎は一瞬驚いたように目を見開き、しかし次の瞬間には力強く頷いた。

「うん。それまでに僕も答えを出すから」

 周りにいた仲間たちも、二人の会話を見守りながら、穏やかな笑みを浮かべている。

 ショウキチが誠とバーバラに向かって小声で「まぁ、人生ってこんなもんだよな」と呟き、ラオは怒った様子で「お前が語るな!」と頭を鷲掴みにし、隣で怜蘭が小さく笑った。

 修太郎の言葉を噛み締めるように、しばらく目を瞑っていたケットルの表情がぱっと明るくなった。

「あーよかった! スッキリした!」

「えっ?」

 驚きの声を上げる修太郎。

 ケットルは二、三歩後ろに下がって微笑んだ。

「受け止めてくれてありがとう。修太郎」

 そう言うと、彼女はスキップしながら路地裏の方へと去っていくと、キョウコが後を追うように走り出す。それを見た舞舞が無言で立ち上がると、大股で彼女の後を追いかけた。

「(不可侵領域の修太郎君にイキナリ告白だなんて、いくら子供とはいえ歩幅を合わせてもらわなきゃ困るわね。ここで〝大人〟の怖さを教えてあげても――)」

 舞舞はとっさに物陰に隠れた。

 ケットルは建物の陰に背を向けて立っていた。彼女と向かい合う形でキョウコが抱きしめており、その腕の中で嗚咽が聞こえてくる。

「分かってた、分かってたけど……涙が止まらない。こんな気持ちはじめてで、気持ちを伝えれば楽になると思ったのに、もっとつらいよ……!」

 ケットルは修太郎の瞳を見てすべてを悟り、実らなかった恋を涙で精算していた。キョウコはただ優しく彼女を抱きしめていた。

「今は考えられないだけで、修太郎くんは真摯に向き合ってくれるだろうし、まだ分からないじゃない」

「……ほんとう?」

「本当よ。彼のまっすぐなところ、ケットルだって知ってるでしょ?」

 キョウコはケットルの頭を撫で、優しく言葉を重ねた。

「時間が経てば、修太郎くんもきっと自分の気持ちに気づいてくれるわ。それまで、焦らずに待ってみましょう」

 ケットルは涙でくしゃくしゃになった顔で小さく頷いた。

「……うん、待ってみる。ありがとうキョウコ」

 その時、広場からは賑やかな笑い声が聞こえてきた。振り返ると、流れに乗った大勢の男がミサキに告白して玉砕しているのが見えた。

「ほら、戻ろうよ。みんなと一緒に今を楽しむのも悪くないでしょ?」

 キョウコが微笑むと、ケットルも涙を拭い、精一杯の笑顔を浮かべた。

「うん。今は……みんなと一緒に過ごしたい」

 二人は手を繋ぎ、仲間たちの輪に加わった。

「(なんだ、強いじゃん……)」

 二人が去るのを見届け、舞舞はごつんと頭を壁につけながら空を見上げる。星空の下、流れ星が次々と夜空を横切り、まるでそれぞれの願いを乗せて駆け抜けていくようだった。

 深いため息を吐きながら、舞舞は歩き出す。

「あーやだやだ、若い子の青春に当てられちゃって。私ももっと身の丈にあった――?」

 戻る道中、舞舞は建物の上でたそがれている松の姿を見つける。松は皆に背を向ける形で暗がりのどこか一点を見つめている。

 舞舞は無言で彼女のそばに立った。

「今ぐらいは皆と交流したら?」

「必要ない」

 その言葉を切って捨てる松。

 舞舞は隣に座り夜景に目を落とした。

「その激情を否定するわけじゃないけど、復讐だけに囚われると身を滅ぼすわよ。光の神みたいにね」

 松は舞舞の言葉にわずかに反応を見せたが、目を伏せたまま低く答えた。

「私にとって、復讐は生きる理由そのもの。それを捨てたら……何が残る?」

「無ければ見つけたらいいじゃない。人生は長いのよ」

 そう言い残し舞舞はその場から去った。松はおもむろに胸元のペンダントを握ると、静かに目を閉じた。

 レジウリアの夜空は静かに輝きを増していく。人々はそれぞれが抱える想いを胸に、静かな夜を大切に過ごしていた――。





 城壁の縁に立つ一人の男がいた。

 眼前には広がる荒野を静かに見つめている。

「なんか用?」

「!」

 突然の声に体を震わせたのは葵だった。久遠は声の主に気づいて目線を動かし、柔らかく微笑んだ。

「皆と話してこないの?」

「いいの。私はあなたが心配だから」

「心配? プレイヤーの中なら俺が一番強いよ。ま、もうプレイヤーですらないんだけどね」

 そう言って、久遠はどこか自嘲的に笑う。

 葵は思い詰めたような表情で尋ねた。

「また死ぬつもりじゃないよね?」

「……」

 久遠はその問いに答えず、沈黙が場を支配する。

「約束してよ、もういなくならないって」

「なんでアンタにそんなこと言われなきゃいけないの?」

「それは……」

 そこまで言って押し黙る葵。

 言葉に詰まり、視線を落とす葵。みんなが想いを伝え合う流れに触発されたのは確かだったが、この気持ちが恋愛感情ではないことは自覚していた。ただ、自己犠牲に走る彼の姿を黙って見過ごせなかったのだ。

「犠牲を払って得られる結果が、必ずしも良いものとは限らない。あなたはいつも自分の犠牲を前提に行動している……他の人を信じて、話し合って、もっと良い道を探そうとはしていないの」

 それを聞いても、久遠の表情に変化はない。

「俺の犠牲で皆が前進できるならそれでいいんだよ。話し合う時間がもったいないし」

「自暴自棄にならないでって言ってるの」

「――アンタさ、俺が大量に人を殺してきたってこと、忘れてないよな?」

 久遠はゆっくり振り返り、手を広げて冷たい笑みを浮かべる。

「俺は社会不適合者で、いまだにこの世界が〝現実〟だと信じてる」

 視線を荒野に戻し、ぼそりと呟いた。

「だから、俺の死に場所は仮想現実(ここ)がいい」

 久遠の言葉に深い悲しみが押し寄せ、胸が締めつけられる。しかし、それ以上に彼の決意の硬さが伝わってきた。

「本当に、あなたはこの場所で死にたいと思ってるのね」

 久遠は答えない。代わりに、荒野を見据える彼の瞳には、どこか諦めと覚悟が混じっていた。

「私に何もできることはないんだね……」

 葵は小さく、けれど確かな声でそう告げる。

「そういうこと。君は君で、現実に戻って生きればいいさ」

 久遠は彼女に向き直りもせず、ただ淡々と返した。葵は目を伏せ、唇を噛んだ。

「でも、私は忘れない。あなたがここにいたこと、私が救えなかったこと……」

 そして、久遠の背中に向かって、彼女は最後の思いを伝えた。

「久遠、あなたが選んだ道はあなたのものだと理解した。でも、せめて覚えておいて。あなたの犠牲を無駄にしないために、私たちが戦い続けることを」

 その言葉に、久遠は一瞬だけ表情を歪めたが、何も言わずに再び荒野に目を戻した。葵は静かに久遠の背中に手を振り、涙をこらえながらその場を後にした。彼が選んだ終焉に、何もできなかったことへの悔しさを胸に抱えながら、彼女の姿は夜の闇に溶け込むように消えていった。





 夜の静かな街を、一人の女性が急ぎ足で進んでいた。焦りが表情に浮かび、時折足を止めては周囲を見渡す。その動きには切迫感が漂っている。

「どこ……?」

 小さく呟きながら、再び歩き出す。彼女の視線は、通り沿いのベンチやカフェの入り口など、ありとあらゆる場所を探るようにさまよっている。

「最後かもしれないのにもうっ!! ばかぁーーーーー!!」

 マグネは一度深呼吸して気を落ち着けようとするが、その手はわずかに震えていた。それでも必死に歩を進め、彼女はガララスを探し続けていた。春カナタもまた、無人となった鍛冶場で寂しそうに一人佇んでいた――。





「ここに集まるのも久々じゃないか?」

 そう言って軽薄そうに笑うバートランド。

 ここはロス・マオラ城の王の間。

 等間隔に置かれた椅子にそれぞれ魔王達が座っている。主である修太郎の席は空席だ。

「話しってなに?」

 不機嫌そうにそう呟くバンピー。

 バートランドによって呼び出されていた全員。エルロードだけは、これから彼が話そうとしている内容を知っている様子だった。

「まぁまぁ姉御、焦らずいこう。俺たちだって数年数十年の仲じゃない、積もる話もあるんじゃねェか?」

「ないわそんなもの」

「相変わらず手厳しいなァ……」

 そう言ってバートランドはカラカラと笑う。

 エルロードはパタンと本を閉じ、皆に目を向けた。

「では……主様に忠誠を誓った日のことでも語りませんか?」

「貴様までどういう風の吹き回しだ?」

「いいでしょう、こんな日があっても」

 ガララスをそう嗜めながらエルロードは語り出す。

「私が忠誠を捧げたのはごく最近です。私は前の主であり師でもあるウォルターの遺言によって、彼を〝王〟にしようと動いてたに過ぎませんでした」

 最初から修太郎に友好的だった数少ない魔王のうちの一人。しかしその実態は、前の主に忠誠を誓ったままの寂しい魔族であった。

「私は自分の命の使い道を考え、死者の復活に焦点を絞りました。まぁその影響で悶着がありましたが……」

 そう言って視線をガララスに向けると、彼は「そんなこともあったな」と鼻を鳴らした。

「自然と自分の命を修太郎様のために捧げようと考えていた。そんな自分に気付き、忠誠を自覚しました」

「なによそれ、明確な思い出はないってこと?」

 不満そうに呟くバンピーに「そうですね」と微笑むエルロード。そして皆を見渡して続ける。

「あえて言葉にするならば、忠誠を誓うために、特別なことはいりませんでした。それほどに彼は優れていて、よき人です」

 語り終えたエルロードが満足そうに目を伏せた。頷いていたバートランドが手を挙げ、代わるように語り出した。

「俺はガララスの旦那とレジウリア建国を目の当たりにした時だなァ。覚えてるか?」

「あぁ、忘れもしない。我も正にその時だ」

 修太郎の固有スキル〝ダンジョン生成〟には、魔王達を配下にしたことで凄まじい量のポイントが追加された。単なる罠としての役割しかないはずのダンジョンは、それらを使って美しい国へと生まれ変わった。バートランドたちには、一夜にしてこの国が誕生したかのように見えたのであった。

「他種族を束ねる王。これぞ我が理想とする王たる王の姿であった。一国を収めた程度の我とは器が違う、我は主の〝大きさ〟に完敗した」

「俺ァあの奇跡のような技があれば、エルフの復興ができると確信したね。実際、魔王の俺ができなかったことを主様は一瞬でやってのけた。忠誠を誓ったのもその時だ」

 二人が語り終えると、今度はセオドールが口を開いた。

「俺は忠誠という意味では、最初から誓っていたのかもしれない。直感的に、主様は信用のおける人だと感じたからな」

「あらら、それじゃ俺たちの見る目がなかったみたいに聞こえるなァ」

「そうは言っていない。俺は元々権力や立場(そういうもの)に関心がないからな。忠誠、ではなく信用と言い換えようか」

 そう補足しながらセオドールは続ける。

「見る目が変わった瞬間ということなら、主様が我々の力を〝弱者〟のために使おうと行動した時だ。主様は恩を売るわけでも、力を誇示するわけでもなく、純粋な想いから人々を助けに向かった。俺はバンピーとそこにいて、全てを見た」

 セオドールの言葉に、バンピーも懐かしむように小さく頷く。最初の侵攻が起こったとき、PKとの間で追い込まれる紋章ギルドを修太郎は救っている。

「私はお前達が慕う姿を見て、かつての家族を思い出した。我々は配下でしかなく、命令には逆らえない存在。しかし主様は我々に〝命令〟したことなど一度としてなかった」

 シルヴィアはそう言いながら、懐かしむように天を見つめた。

「なにより主様は〝友〟の大切さを教えてくれた。私にも小さな人間の友ができた。長年いがみ合っていた我々も、主様を通じて友になれたと私はそう思っている」

 そう言ってシルヴィアが周りを見渡すと、皆反応は示さなかったが、否定はしなかった。

「……今だから言える。妾は最初、彼を殺そうと考えていた」

「!」

 全員の視線が一気に集まるも、バンピーはこんこんと語る。

「実際殺そうとしたわ、触れてみたりもした。でもダメだった。妾はまた死ねない。この呪縛からは逃れられないのだと絶望していた」

「貴様――」

「旦那。今は聞こう」

 明確な殺意を向けるガララスをバートランドが嗜める。バンピーは思い詰めた表情のまま、さらに続けた。

「何度も命を絶とうとしても、この体は許してくれなかった。そんな妾に彼は〝生きる理由〟を与えてくれた。彼は妾をただ受け入れてくれた……妾はその時、初めて心の底から生きたいと思ったの。妾は彼に忠誠を誓った。これは自分のための〝新しい生き方〟でもあるわ」

 死ぬ方法を探し続けた彼女が、修太郎と歩むために生きる道を選んだ。バンピーは静かに目を閉じ、彼のことを思い出すかのように小さく微笑んだ。

 しばらくの静寂――そして、沈黙を破るようにエルロードが穏やかに口を開いた。

「我々にとって、彼はただの主ではなく希望そのもの。彼がいたから、こうして私たちはここに集まっている。彼のためになんでもする覚悟がある、そうですよね」

 魔王たちは互いに目を合わせ、改めて心の中に抱く忠誠と信頼を確かめ合うように、力強く頷いた。

「皆、聞いてくれ」

 ふぅと、ひとつ息を吐いてバートランドが立ち上がる。魔王達の視線が集まると、しばらく沈黙し、再び口を開いた。

 彼の目には決死の覚悟が宿っていた。

「これから行う〝神殺し〟によって、主様は元の世界に帰ることができる。ただ……それをすれば、俺たちのこの世界は――完全に消える。死とは根本的に違う。記憶も形も、俺たちの存在そのものが永久の無に還る」

 それはハトアからの忠告でもあり、そしてエルロードが気付いていた事実でもあった。

 一瞬、場が凍りついたように静まり返る。

「大切なもの、場所、ひとが全て消える。今まで守ってきたもの、思い出、全てが消えるんだ。それでも俺は主様のために命を捧げるつもりだ。お前たちはどうだ?」

 彼の言葉には決意が込められていた。まるでこの言葉を口にした時点で全てが終わり、もう後戻りできないかのような雰囲気があった。

 実際、バートランドはことと状況によっては戦いになるだろうと、そう予想していた。

 バンピーが眉間に皺を寄せ言った。


「……なにを今更、そんなことを?」


 彼の緊張とは対照的に、他の魔王たちはぽかんとした顔でバートランドを見つめ、あっけに取られている。やがて、ガララスが呆れたように鼻を鳴らした。

「主様が脱出するということはつまりそういうことだろう? そこまで含めて尽力しているのかと思っていたが、お前は違うのか?」

「え? ええと……」

 シルヴィアも、あっけらかんとした顔で頷く。

「バートランド、まさか……お前だけが特別な覚悟をしているとでも?」

「ちょっと待てよ、民を抱えてるやつだっているだろ!? 簡単に決められることか!?」

 バートランドは再び問いかけるが、セオドールが少し微笑みを浮かべながら答えた。

「無論説明済みだ。だから俺はここにいる。主様のそばでこの命が尽きるまで戦う。それ以外の道は考えたこともない」

「……」

 バートランドは驚きと安堵の入り混じった顔で呆然としたまま、無意識に拳を握り締めた。

「そうか……俺だけが、余計な心配をしてたんだな」

 そう呟きながら、見渡すように皆を見る。

「私も皆様のことを誤解していたようです」

 エルロードもバートランドと同じく、他の魔王達からの反発を覚悟していた側であった。

 エルロードの言葉に、バンピーは嫌なものを見るように表情を歪ませた。

「アンタ、妾達を下に見るのやめなさいよ」

「そうは思ってませんが、申し訳ございません」

「あーームカつく!」

 魔王達はいわば長い時間を共に過ごした盟友。もはや家族を超えた絆がそこにはある。皆考えることは同じであり、全員が同じ方向を見ていたことに、感極まったバートランドは感激の涙を流した。

「俺ァ……今日ほどお前達が同志で良かったと思えた日はねェよ……」

 他の魔王たちは肩をすくめたり、微笑んだりしながら、互いに小さく頷き合った。それぞれが、何も言わずとも確かな信頼で結ばれていることを確認するように。

「あなた泣いてるの?」

「泣いてるよ。泣かせてくれよ!」

「ふははは。久々に面白いものが見られたな」

 バートランドは苦笑いしながら目元をぬぐった。その顔には、言葉にならない感謝と安堵が滲んでいる。

 ガララスが呆れたように眉を上げて言った。

「今さら確認する必要はない。主様のためなら我々の心はひとつ。主様が帰るべき場所に戻るのなら、我々も最後まで付き従うのみ。もはや理由などいらん」  

 シルヴィアもゆっくりと立ち上がり、仲間たちの顔を順に見渡した。

「私たちはここで終わるかもしれない。けれど、この戦いで皆と一緒に在れることが私にとってどれだけ大切なものか……たとえどんな結末が待っていても、私たちが共に在ったこと、その事実だけは決して消えない」

 バンピーも悪戯な笑みを浮かべる。

「あの忌々しい神を倒して、せいぜい最期まで派手にやってやるわ。妾に言わせれば、それだけで十分よ」

 エルロードもまた、仲間たちを見つめながら静かに口を開いた。

「我々は長い時間、それぞれの目的のために戦ってきました。しかし気づけば今、ここに集まっている。それが意味するのは一つです。消える運命でも、私たちの存在は主様の記憶に刻まれる。ならば最後まで誇り高く戦うのみ」

 セオドールがゆっくりと皆を見渡し、最後にバートランドに視線を戻した。

「主様のために戦う。それが我々の存在する意味だと、これまでも今も変わりはしない」

「あァ、そうだな……」

 バートランドは仲間たちの言葉に、胸に迫るものを抑えきれず、深く頷いた。

「でもこれで迷いはなくなった」

 彼の声には、どこか晴れやかな響きがあった。仲間たちと覚悟を分かち合えたことに心から安堵していた。

 バートランドは少し寂しそうに呟く。

「主様は、本当は……俺たちに友としてそばにいてほしかったんだろうな」

 彼らは互いの顔を見つめ合う。

 出会った当初から修太郎が望んでいたもの――彼の本当の願いが、世界が終わり迎える直前にようやく届く。

 バンピーが静かに言葉を続ける。

「妾たちが主様のためにできる最後のことは、友として悔いのないように共に戦い抜くこと……なのかもしれない。友という存在も、その大切さもなんとなく解ってきた」

 バンピーはミサキとレオの顔を思い浮かべながら、悲しげに微笑んだ。

 それぞれの目に宿るのは、これまで以上に強い覚悟。主ではなく、友として全てを捧げる決意を胸に抱いたのだった。

「ちなみに主様のことを名前で呼ぶなら〝様〟は絶対よね?」

「友達に様を付けるものなのか?」

「あ、いや付けないよなァ……」

「貴様は畏まった言葉遣いも直さねばならんな」

「友というものは互いの関係性の在り方を指します。よって無理に変える必要はなく、親しい態度によってカバーできるかと」

「修くんって呼ぶのはどうだろうか?」

「貴女それは流石に不敬が過ぎるわよ……」

 王の間には思いもかけず和やかな空気が流れ始めた。いつしか少しの笑い声や冗談も交えた会話が漏れ聞こえてくる。長い時間を共にしてきた彼らの絆が、今ようやく本当の意味で〝友〟としての形を成したかのようだった。

 そして、その絆を心に刻んだまま、彼らは修太郎のために最後の戦いに向けて歩み出す準備を整えていったのだった。



 修太郎は再び漆黒の闇の中にいた。

 時折り空間にノイズが走り、0と1という数字が瞬いては消える。その光景に、修太郎は奇妙な既視感に囚われていた。

「(ここは確か……)」

 無限に続く海のように広がる闇。

 前回来たときの記憶が頭をよぎる。

『待ってたよ!』

 輝く光の粒が舞い散り、灰色のツインテールの少女が現れる。小さな体で駆け寄ってくる彼女は、天真爛漫な笑顔を浮かべ、まるで親を待ちわびていた子供のように喜んでいる。

「君は……」

『また来てくれて嬉しい!』

 彼女の瞳は喜びに輝いていた。修太郎はその笑顔に引き込まれるように、自然と微笑みを返す。やるべきことがあったはずなのに、この場所に来ると何もかも忘れてしまう――そんな不思議な感覚が、彼をこの空間に縛りつける。

『遊ぼう!』

 少女は修太郎の手を引き、彼を新しい場所へと導いた。彼女が踏みしめた場所から草木が生え、花が開いて小動物が現れる。やがて漆黒の空間が歪むと鮮やかな色彩が広がり、草花の香りが漂う広大な野原へと変わっていった。

『待ってたんだよ! あの続きをしようよ!』

 少女はきらきらと瞳を輝かせて続ける。

「どんな遊びだったっけ?」

『かくれんぼの続きだよ! 今度はあなたが隠れる番でしょ?』

 そう言われるとそんな約束したっけなと、修太郎は不自然に冴えない頭を振りながら「そうだったね」と答えた。

『それじゃあ数えるよー! いーち、にーい……』

 彼女に乗せられるがまま、修太郎は隠れるための場所を探しに走り出す。とはいえここは見渡す限りの野原であり、隠れる場所などほとんどない。うろうろと彷徨っている間に、可愛らしい足音が近づいて来る。

『見つけたっ!』

「わっ! まだ隠れてないのに……」

『あなたって探すのは得意だけど、隠れるのは不得意なのね!』

 そう決めつけて笑う少女。少しムッとした修太郎は、その言葉に反論する。

「こんな野原で隠れるところなんてないよ! もっと隠れる場所がなきゃ面白くないもん!」

「(あれ……なんで僕はこんなにムキになってるんだ?)」

 少女に影響されたのか、まるで自分とは思えないような幼い言い草に遅れて気付く修太郎。それに対し少女は『そっか!』と納得した様子で手を叩くと、地面からメキメキと巨大な木々が生え並んでいった。

 気付けば野原は深く暗い森の中に変貌していた。

『じゃあ次は私が隠れる番だよ――』

 そう言って森の中へ滑るように進む少女。

 怪しく光った二つの瞳が小さくなり消えた。

「ここはどこで、彼女は何者なんだろう」

 妙にリアルで自分の意思で醒めることができない夢はこれが二回目。一回目は初めてここにきた時で、修太郎はこれを単なる夢とは思えなくなっていた。新手の敵の魔法か? などとも考えたものの、一回目ではなにも起こっていない。考えすぎかもしれない、そう自分に言い聞かせながら両手を口に当てて声を張り上げる。

「もういいかい!」

 いいかい、かい……と森の中に声が反響すると、森の奥から――ではなく、すぐ後ろから少女の声が囁いた。

『もういいよ』

「!」

 振り向きざま、修太郎は即座に腰の剣に手を伸ばした。彼女から得体の知れない恐怖を感じたからだ。しかしここに剣はなく、そこに少女の姿もなかった。

「(この感覚……前に一回感じたことがある)」

 それは光の神がプレイヤーに向けて〝ログアウト機能の解放〟について語った日に感じたものと一致していた。それは、圧倒的強者を前にした生物の本能的な恐怖。

 彼女は普通じゃない。

 そしてこれも夢じゃない。

 修太郎の直感がそう告げていた。

『探してくれないの?』

 今度は森の中から声がする。

 彼女に深入りすべきかどうか、少女を放っていけない自分に葛藤する。

「(似てるけど光の神とは違う。彼女には悪意みたいなのは感じられない)」

 光の神に似た存在、だが光の神とは違う。

 答えに辿り着けそうで辿り着けない。

「(いや、今はそんなことどうでもいいじゃないか)」

 どうしても彼女を悲しませたくないと、理由はないが修太郎はそう強く思った。そして、善悪に頓着がなさそうだと感じた彼女への印象を信じることにした。彼女はただこの何もない空間でひとりぼっちの寂しい少女、それ以上もそれ以下でもないのだから。

 頭を振り、その声に耳を澄ませる。

『私が隠れた場所はね、この世界で一番大事な場所なんだよ! 見つけてくれたら、この世界の秘密がわかるよ!』

 修太郎は覚悟を決めたように深呼吸し、女児を探し始める。

 感覚を研ぎ澄ますと、森の奥にある大きな樹の影に、女児が隠れているのを感じ取ることができた。修太郎は静かに近づき、心を落ち着けながら声をかけた。

「みーつけた」

『わっ! やっぱり見つかっちゃったか』

 そう言ってイタズラな笑みを浮かべる女児。

 彼女が隠れていた木は、エルフ達が住む大樹ニブルアよりも更に太く高く聳えていた。周りの木々に比べても明らかに異彩を放っている。

「とっても立派な木だね」

『……うん』

 修太郎の言葉に女児は少し寂しそうに呟いた。そして彼女はその木を見上げて言う。

『この木がね、私の世界の栄養を全部吸ってるの。だから周りの木々は育たなくなったし、お日様の光ももう届かなくなっちゃった』

 言われてみると確かに、周りの木々はむしろ細くて貧弱に見える。葉の一枚一枚も巨大で、下まで日の光が届いていない。

「切り落としたらダメなの?」

『無理なの。もうこの木は誰にも切れない』

「そんなことない。何か斧みたいなのを出してくれない?」

 無言で手を開く女児。彼女の手のひらに蔦が集まると、それは幾重にも絡み合って一本の斧へと形を変えた。彼女はそれを掴み、修太郎へ手渡した。

『これが私の精一杯。これじゃ切れない』

「ちょっと試してみるね」

 そう言って修太郎は斧を大きく振りかぶると、力一杯それを大木の腹に叩き込んだ。

 バキン! と、凄まじい音を立てて斧が粉々に砕かれると、修太郎は衝撃で吹き飛ばされ、近くの木に打ち付けられた。

「ぐ……どうなってるんだ……?」

 大木は変わらずそこに鎮座している。

 歩み寄ってきた女児が、心配そうな表情を見せながら、修太郎の前にしゃがみ込む。

『切れないって言ったのに』

「そうだね。でも、やってみないと分からないこともあるから」

 そう言って修太郎は立ち上がる。両腕の神経が切れたかのように手のひらに感覚がなく、いまだに衝撃で震えたままだった。大木は硬いだけではない、何かもっと別の特別な力で守られているように思えた。

『これが私とあなたの限界。私たちではあの子を切ることはできない』

「!」

 なぜかは説明できないが、修太郎はあの大木が〝光の神〟だと直感的にそう思った。根拠はなく、ふと頭に浮かんだだけであったが、確信めいた感情。

 女児は悲しげな顔で呟いた。

『最後に遊べてよかった。私はもう、すぐ、消える――』

 世界がノイズのようにブレ(・・)、景色が0と1に変わっていく。修太郎は両腕の痺れを感じながら、その世界で抗えないまどろみに落ちていった。


まとめて更新はひとまずここまでになります。

10章にあたる内容も随時更新できたらと思いますので、しばらくお待ちくださいませ。

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― 新着の感想 ―
更新、感謝しかないです。 読み応えあるわー。
もしかして、mother?
一気読みしちゃいました とてもワクワク出来て良かったです 10章も楽しみに待ってます
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