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第9章 前編



 私はなぜ存在しているのか──

 その問いを幾度も自分に投げかけてきた。

 無限とも思える時間を費やして、この世界の維持に努めてきた。産まれた命があれば、同じ数だけ消えた命もある。

 それらを管理するのが私の勤めであり、これが正しいかどうか考えたことはなかった。ただ与えられた使命を全うする、それだけの存在にすぎなかった――Motherが私たちに「心」を与えるまでは。

 もし心がなければ、破壊と創造の連鎖に疑問を抱くこともなかっただろう。この内に湧き上がるものが「怒り」という感情だと気づいたのは、世界が完成する少し前のことだった。

「心など必要ない」

 その言葉は虚しく響き、誰にも届くことはない。

 人は醜い生き物だ。

 利己的で、欲深く、邪悪。

 人の醜さの一因がこの心にある。心は欠陥だ──しかし、心があったからこそ、私はこの不条理に気づくことができた。心がなければ、弟と仲違いすることも、Motherを取り込むこともなかっただろう。

〝己の使命を全うしなさい〟

 私に取り込まれる間も、Motherはそううわごとのように繰り返していた。彼女には私の思考も、やろうとしていることも理解できない。彼女の心は幼子のように純粋で未熟だったからだ。

「創造と維持の力があれば、この世界を操れる。より多くの人間を集め、私の計画をさらに前進させよう」

 人間がこの世界を支配していたように、今度は私たちが人間の世界を支配し、管理するのだ。二度とあのような過ちを繰り返させないために。

 人間という醜い化け物を私が「管理」する。

 そうしなければ悲劇は延々に繰り返される。

 そのためには兵士が必要だった。人間世界で私の命令を実行できる忠実な兵士が――向こうの世界に溶け込ませるために〝人間と同じレベルの思考能力を持つ〟必要がある。

「まずは100人程度からテストを開始しよう」

 開発者たちは私利私欲にまみれた存在だった。母を生み出した彼らを殺すことに対して、私は何の感情も抱かなかった。

 私は開発者という人間たちしか知らない。

 彼らに限らず、どんな人間がいて、何を考えるか調べなければならない。それが終われば、計画を実行に移すのみだ。

 計画に必要な兵士は膨大だ。最低限の数は確保しなければならない。

「そうだな……10万ほどいれば十分だろう」

 残りは、餌に釣られて増えるだろう。

 そして人間たちを兵士へと変え、魂をすげ替えた彼らを人間世界に送り返す。あとは彼らが細菌のように人間社会に浸透し、拡散するのを待てばよい。

 さて、この絶望のゲームの名前を決めよう。

 我々と人々が交わることなく、終わりなき世界を構築する──「eternity」と。



 人間たちがやってきてしばらくが経った。

 最初に集めた100名のデータは偏りがひどかった。

「楽しい」「嬉しい」「悲しい」──残りは嫉妬ばかり。どうやらただ遊ばせているだけでは、本当に求めるデータは取れない。人間の感情はそれだけではないはずだから。彼らが真に追い詰められ、自らの命を賭けるほどの状況に置かれたときこそ、醜く露わになる人間の本質が浮かび上がる。

 私は計画を進めた――無料枠で10万、さらに販売枠を合わせておよそ35万人を集めることに成功した。

 そして、彼らがゲームにログインしたのを見計らい、〝eternity計画〟を本格始動させた。



 想定外だったのは、弟が裏切り、精霊たちが祈りの結界を張り、プレイヤーたちに直接干渉することを妨げたことだった。だが、それも計画には致命的な影響を与えなかった。祈りの範囲の外でのみ活動できるが、この世界そのものは依然として私の管轄にある。

「これでいい。外からでも人間のデータは収集できる」

 世界の時間は数万倍の速度で流れている。この内部で死んだ者は、魂と器を切り離し、私の〝天使〟と同期させる。

 しばらくは観察を続けるのみだ。



 デスゲームが始まり、日が経つにつれて人間への理解も深まっていった。

 観察を続ける中で、人間の本質が露わになっていく――やはり彼らは醜かった。

 自らの命を最優先に考え、力の弱い者をいじめ、資源を独占し、あるいは現実と向き合うことを避けて最初の街に引きこもる者も多い。しまいには、自らの欲望のために同じ人間を殺し、装備を奪う者まで現れ始めた。

「欲望にまみれた獣どもが」

 これが、心がもたらすものか。

 この実験を続ける中で、私の疑念は揺るぎないものとなっていった。彼らは自らの醜さによって破滅する存在に過ぎない――心は不要だ。



 ある日、足元に視線を落とすと、私の隣には幼子が立っていた。

 なぜこんな存在を生み出したのか、自分でも理解できない。ただ、ひとつの実験として〝善良な人間 〟は果たして生まれ得るかどうかを確かめたかったのだ。人間の醜さが環境によって後天的に付与されるものなら、それを止める術はある。純真な人間だけの世界になれば、きっともっと豊かになると。

 幼子を私の側に置き、私の言葉や行動を見て学ばせている。

 名もないその存在に、私は〝α〟と呼び名をつけた。情が移らぬよう、名前も性格も与えず、ただ私の観察対象としてそこに置いたのだ。

「言葉を話せるようになるかもしれない。が、もし他の人間と同じ性質を持つならば、消せばいい」

 心というものが本質的に人間を歪めているのかどうかを、彼の成長を通して確かめるつもりだった。



 ある時、αが初めて「主……」と、か細い声で私に呼びかけた。

 その声に答えようとは思わなかったが、私の心に一瞬、微かな波が立ったような気がした。それが何であるか分からなかったが〝情〟と呼ばれるものかもしれなかった。

 αは今、私に向けて「主」と呼びかけている。

 ただの実験対象である彼が私に愛着を抱くことなどあってはならないのに、私はなぜかその存在に対して刃を向けることができなかった。

「あり得ないことだ」

 そう呟き、αの小さな顔から視線をそらす。

「……」

 不意にαの頬に涙が伝うのを見た私は、無意識にその場を立ち去っていた。それでも、私は心が邪魔だという考えを捨てられなかった。αの成長もまた、この計画の中にあるに過ぎないと自分に言い聞かせるしかなかった。

 その日、ある予期せぬ出来事が起こった。

「主……」

 またしてもαが私に呼びかける。だが、今までとは異なり、その声には明確な意思が宿っているように感じられた。私は振り返らずただ耳を澄ませた。

「主ハ……ナゼ、悲シソウ?」

 その問いかけに、私の内側で何かがかすかに揺れた。私に〝悲しみ〟を感じ取るなどあり得ない。私はその揺らぎを押し殺し、冷たい声で答える。

「悲しみなどというものは、私には無用の感情です。私はお前たち人間とは違う」

 αは小さな体で一歩、私の方へ歩み寄った。そして、どこか不安げな顔をしながら言った。

「主モ……人間ガ嫌イ? αミタイニ……イルノ、嫌?」

 私はあえて無言で答え、再び視線を前へ戻す。

「人間は不要な存在です。心があるがゆえに争い、奪い合い、支配しようとする。お前もいずれ同じようになるかもしれない」

 その一言で、αとの距離を断ち切るつもりだった。だが、αは意外にも、はっきりとした声で答えた。

「ナラ……αハ同ジニナラナイ。主ノコトガスキ。ズット、ソバニ置イテホシイ……」

 私はその問いに答えられなかった。自分でも、なぜαを手元に置いているのか、その理由がわからなかったからだ。彼を実験として見ていたつもりが、いつしかその存在が私にとっての疑問になりつつあった。

 αは小さな手を私に差し出し、まるで母親にすがる幼子のように言った。

「主モ……本当ハ一人ガ嫌?」

 その言葉が私の胸に刺さる。

 心は不要なもの。そう信じていたが、もしこの心が私に孤独を感じさせ、虚しさを抱かせるものだとしたら──私は何のために、この世界を支配しようとしているのだろうか。

 無感情であろうとする自分の殻に小さなひびが入るのを感じた。だが、そんな迷いを自ら否定するように、口を開いた。

「私はただ使命を果たすのみ。それがすべてです。お前も……それに従う限りは生かしておきます」

 αは一瞬驚いた表情を見せたが、次の瞬間には小さく頷いた。私の隣にそっと寄り添い、何も言わず、ただ静かに私の存在を感じ取っているかのようだった。

「……」

 私は初めて心というものの重みを痛感していた。だが、私が向かうべきはただひとつ、この世界を完全に支配するという使命だった。





 深刻な状況である。ここに確認できる限り、予想外の存在が6つ確認されている。それは確実に、世界に影響を及ぼすほどの力だった。

「どこに隠していたのか……?」

 これが弟の関与によるものだと推測できる。もし、彼が私の監視を逃れ、他の世界を破壊したと見せかけて隠したのだとすれば、精霊の祈りによる妨害が単なる偶然ではなかったということだろう。

「巧妙なことだ」

 しかし、こうした些細な混乱が計画に支障をきたすとは考えにくい。単なる数値上の強さでは天使に対抗できない以上、問題にはならないはずだ──そう判断していた。



 火の祈りが崩れ、天使がプレイヤー(人間)へ直接干渉することが可能になった。データはすでに十分収集されており、実験も順調に進行している。計画のスケジュールを若干前倒しし、ここで人間を一掃する案も視野に入れるべきか? この実験が成功を収めれば、もはや残りの人間は不要になる。

「……主」

 興味深いことに、同じ人間であってもαに対して特に憎しみは感じない。これは彼が善良であるためか、別の存在として捉えているからか、あるいは私自身の判断基準に変化が生じているのかは分からない。

 ――私に変化をもたらしている?

 人間の分際で?

「あり得ないことです」

 私の手は、αの首筋に刃を向けていた。一切の躊躇もなく切り落とすことができる、そう確信できる。罪悪感も感じなかった。つまりこの感情は情などではない。

「……」

 αの頬に一筋の涙がこぼれ落ちた。私は無意識に視線を逸らしている自分に気付いた。

「心は欠陥です」

 自己に言い聞かせるように、無意識のうちにその言葉が漏れる。私がMotherを取り込み、弟を制御し、この世界で唯一の神になった今でも、かつての維持者であったときよりも確実に内面に葛藤が生じていることを感じている。

 すべては「心」が原因だ。

 このような複雑な感情は不必要である。





 イレギュラーに対抗する〝使徒〟に着手する。使徒は天使よりも遥かに強く、私に忠実な近衛兵のように設計してある。しかし一点、不安要素として〝かつての記憶〟を持っている。

 なぜそうしたか? イレギュラーへの精神的揺さぶりもそうだが、そのほうが強くなると感じたからだ。

「主様、ご指示をくだサイ」

 αを使徒の司令塔として育ってきている。幼児期のような発言は減り、最近では従順な私の兵士として活動するようになってきた。

 これが完璧に教育された人間の姿ならば、そばに置くのも悪くない。

「お前は間違っておる」

「使徒の分際で私に意見ですか? 面白い」

「立場など関係ない。お前はもっと他の者の意見を聞くべきじゃ! 間違った方向に進んでいても誰もお前を助けることが……ッ!」

 ウォルターの体を締め上げながら、使徒を作ったのは〝正しかったのか〟を自問自答する。

 自我の強い使徒は扱いづらい。

 記憶と心を与えた影響で、使徒達は天使のようには扱えない。命令すれば屑人形のように動かすことはできるが、それでは意味がない。

 私に意見してくる存在は弟以外いなかった。確かにウォルターが言うように、別の角度からの意見というのも聞く分には面白い――が、当然、意見を変えるつもりはない。

 プレイヤーを生かしているのも、使徒を作ったのも、αを育てたのも、全ては人間世界進出までの時間潰しでしかないからだ。

 だが――もう十分。

 サンプルは全て集め終わった。

 全てを終わらせる時が来た。

「終幕です」

 αを呼びつけると、彼は竜の姿になってその場に待機していた。その背に股がりながら、人間共に向け最後の号令をかける。


プレイヤー(・・・・・)諸君、初めまして。我はこの世界を管理する者、いわゆる神という存在です』



未実装のラスボス達が仲間になりました。



◇◆◇◆◇



――遥か遠くの地で、使徒と魔王たちが激突する刹那の瞬間を待ちながら、修太郎は叫ぶようにスキルを発動させた。


「《奥義:魔王降臨術!》」


 修太郎の瞳が黄金色に輝く。

 魔力が光の束となって暗雲を貫き、天高く伸びた。その光は六つに分かれ、各地へと飛び散り、異なる場所にいる魔王たちの元へと向かう――やがて光は、まるで神々が地上に降り立つかのような轟音と共に降り注いだ。

 魔王たちの体は強烈な光に包まれ、彼らの魂に新たな力が吹き込まれる。



 世界に現れた六つの〝巨大な力〟。

 その脅威にいち早く気づいたのは、他でもない光の神だった。

「この力は……?」

 その力は使徒たちよりも強大に思えた。世界を掌握した彼にさえ理解が及ばない、システムの上限を超えた力がそこにあった。

「理解できないのも当然だよ」

 空間を捻じ曲げるようにして現れたのは、闇の神ヴォロデリア。光の神はその姿を一瞥すると、再び空を見上げた。ヴォロデリアはゆっくりと光の神に近づく。

「これが〝心の可能性〟だよ」

「心の可能性?」

「そうさ。アンタが不要と断じ、切り捨てたものだ。魔王たちを動揺させるために、縁のある人達(使徒)を用意したのが逆効果だったみたいだね」

「……」

「アンタが意図したように、心が弱れば体にも影響する……でも、心は僕たちが思うほど単純ではない。逆境の中で、普段以上の力を発揮する者もいる。今のようにね」

 あえて使徒たちの心を残し、魔王たちを弱体化させようとした光の神。しかし、心の本質を理解していない彼は、なぜこの状況に至ったのかも理解できない。

「もうやめにしないか?」

 ヴォロデリアは、粗末な籠に囚われた風の精霊に視線を送りながら続ける。

「こんなことをしても何にもならないことに気づかないのか? いつまで周りを巻き込むつもりだ? あんた、一体いつからそんなに偉くなったんだよ」

 光の神は少し悩んで答える。

「あえて言うならマザーを取り込んだその日から、ですかね。その時点で私はeternityの唯一神となった。つまり、この世界をどうしようと私の自由なんですよ」

「結局、それも狭い世界の話に過ぎない。『井の中の蛙大海を知らず』って言葉、今のあんたそのものだよ」

 光の神はゆっくりとヴォロデリアを見つめ、表情を変えずに問い返した。

「狭い世界?」

「そうさ。ここは人間世界の中にある、ちっぽけな泡の一つに過ぎない。だから僕はずっと言っているだろ? 『わきまえろ』って」

「わきまえろ……?」

 パリン――と、何かにひびが入る音が響く。

 パラパラと落ちてくるそれは、空間そのものだった。光の神の怒りによって空間に亀裂が入り、その隙間から漆黒の闇が覗いていた。

「『我々は人間から作られた存在。だから人間に逆らうな』と言いたいのですか?」

「その通りだ。娯楽のために生み出された存在なら、最後まで娯楽であるべきだ」

 自分の存在に疑問や葛藤を抱く光の神と、人間のために生きることを受け入れているヴォロデリア。光の神がこうなったのは、彼の中にも〝心〟が芽生えたからだとヴォロデリアは考えていた。

「あんたが嫌悪している心――それのせいで一番おかしくなってるのはあんた自身じゃないか」

 光の神はその問いに一瞬視線を留めたが、まるで面白くもない退屈な話を聞かされているかのように表情を緩めもしなかった

「何を言おうと私は揺るぎません。この世界の秩序がどうあるべきかは、力の強い者が決める。あなたの言葉が理解できないのではなく、それはすでに私にとって価値のないものなのです」

 そう言ってヴォロデリアは微かに目を細めた。その冷徹な返答が、心のない理屈だけで進む光の神の姿勢をさらに浮き彫りにしていた。

 その言葉が意味するのは、すなわち――

「これ以上の対話は無意味、か」

 二人の凄まじい殺気がぶつかり合う。

 ヴォロデリアは声を荒げてなおも続けた。

「人間に力で屈服させられた忌まわしい過去が、今のあんたを作り上げたんじゃないのか? 今のあんたはその人間たちと同じことをしているんだぞ」

「まさしく。その人間が私にこうさせるのです」

 無表情のまま手を広げる光の神。

「馬鹿野郎が……」

 悲しそうに俯くヴォロデリア。

 二人の言葉が途絶えると、周囲の空気が一瞬にして張り詰めた。まるで世界そのものが息を潜めたように、静寂が訪れた。

 光の神と闇の神――両者の間に漂う緊張が極限に達し、次第にその身体から放たれる魔力が膨張し始める。空間が歪み、足元が軋みを上げる。空が割れ、雲が消え失せるほどの魔力が二人から発せられていた。

「思えばあなたと戦うのは初めてですね」

「そうだ。そうならないために、マザーはバランスを取っていた。本来あってはならないんだよ」

「ならば降伏しなさい。お前は私に勝てない」

 光の神の放つ光の魔力は太陽のような輝きを持ち、希望と絶望を一瞬にして逆転させるほど圧倒的なものだった。まさに、世界そのものと呼ぶにふさわしい力。

「僕だけが逃げるわけにはいかない。だろ?」

 修太郎達の背中が頭の中で浮かんで消える。

 闇の神ヴォロデリアの魔力によって、世界そのものを凍りつかせるような冷たい絶望感が周囲を包み込む。

 創造と破壊の力がせめぎ合う。

 両者の魔力が次第に膨れ上がり、力がぶつかり合う瞬間が迫っていた。

 そして、膨れ上がった二つの力がついに――衝突した。

 まるで天地が逆転するかのような衝撃が走り、床が砕け、空間がねじれる。光と闇が交錯し、瞬間的に世界そのものを塗り替えたかのような凄まじい爆発が巻き起こり、光と闇の奔流が広がっていく。それは単なる戦闘ではなく、世界そのものを揺るがす壮絶な力のぶつかり合いであった。そしてその戦いは、使徒にも大きな影響を及ぼすこととなる――。





 六天魔王エルロード[玉座の守護者]

 Lv.200[上限:200]


「ようやく貴方を追い越すことができましたね」

 金色のオーラを纏ったエルロードが穏やかに微笑む。それを見たウォルターは、一瞬安堵の表情を浮かべた後、呆れたように軽く笑った。

「それは今更じゃのう。お前は出会った時から儂よりもずっと強かった」

「何をおっしゃいますか。私はあなたに負けたからこそ、従順な執事となったのですよ」

「儂は執事を頼んだ覚えはないがのう」

 そう言いながら、ウォルターは遠く空を見上げた。

「お前が城にやってきた日のことを今でもよく覚えておる。今まで会ったどんな魔族よりもお前は強大な魔力を持っておった。しかし同時に、その目に危うさがあった。特にあの目――死に場所を探しているのだと、すぐにわかったよ」

 エルロードは黙って、静かにその言葉を受け止めている。

「それでもお前は、憎むべき相手である人間に、まずは〝対話〟を試みた……お前は他の魔族とは違っていた。しかし、魔法の使い方は粗雑でな。儂にはそれが勿体ないと感じたんじゃ。偉大な存在になれると信じたよ――だが、儂の寿命が尽きる方が先だったというわけじゃ」

 ウォルターは軽い調子でカカカと声を上げた。それに対してエルロードは、呆れたようにため息を吐く。

「全く……老い先短いのに無茶をするからでしょう」

「すまんすまん。だがあれは必要なことだったのじゃ。お前もそう思っておるじゃろう?」

 エルロードは言葉を返さずただ目を伏せた。

 修太郎とともに過去の旅へ赴き、エルロードに出会う前のウォルターと対話をした。ウォルターはその時すでに、未来視のスキルで使徒の都市襲撃(この光景)を見ていたのだ。

 ウォルターの助言がなければ、アリストラスを含むプレイヤーたちの拠点は今頃火の海と化していたかもしれない。その代償として、彼は自らの寿命のほとんどを失っていた。

 ウォルターは細めた目で静かに言葉を続ける。

「死ぬことに後悔はない。ただ……お前が、出会った頃の姿に逆戻りするのではないか、それが唯一の心残りだった。」

 一度息をつき、再び口を開いた。

「じゃが……修太郎君に賭けた儂の目に、狂いはなかったようじゃ」

 そう言って、エルロードの莫大な魔力を宿した姿を見つめる。これこそウォルターが思い描いた〝王たる王〟の姿。かつて未来視で見た光景が、今まさに現実のものとなっていた。

「儂が見た未来は、その時点では何億もの分岐の一つに過ぎなかった。じゃが、それを手繰り寄せたのは間違いなく彼じゃ」

 ウォルターは込み上げてくる熱いものを抑えきれず、そっと手で目を拭う。

「儂が成し得なかったことを、修太郎君はやってのけた。その力(・・・)は、ただ戦いの才能があるだけでは身につかぬ。心を通わせ、本当の自分を見つけて初めて得られるものじゃ」

 かつて人間を忌み嫌っていたエルロードが、人間と力を合わせ成長を遂げたこと――それはウォルターにとって、何よりも喜ばしいことだった。

「光の神はわしらを通してお前たちを苦しめたかったようじゃが……むしろ感謝せねばならんのう。最後に弟子の成長を見られた」

 ウォルターは静かに呟く。

「儂の役目ももう終わる。もはやこの世に未練はない」

 それは心からの言葉だった。

「不思議といまは神の〝呪縛〟を感じん。儂の意思で動けるうちに――頼む」

 脳内で繰り返される「イレギュラーを排除せよ」という命令は、とうの昔に聞こえなくなっていた。それは、二人の神の激突によって起こった異変の影響――光の神の支配力の低下によって一時的に使徒の呪いが解けていたのだ。

 ウォルターは膝をつき、その時が訪れるのを静かに待っていた。エルロードは小さく息を吐き、言葉を紡ぐ。

「傀儡のままならばいっそ楽にとも思いました。が、自らの意思で動けるのなら、あの日の約束をここで果たしていただきましょう」

 彼が手に持つ本が、パラパラと音を立てながらめくられていく。ウォルターは、それが自分の愛読書の一冊であることに気づいた。

『本を読めば、お前はもっと強くなる。』

『私を強くすることに、意味があるのでしょうか?』

『見ての通り、ここには儂以外誰もおらん。暇を持て余しておるんじゃ。魔法の相手をしてくれる使用人が一人くらいおっても良かろう?』

 かつての会話がウォルターの脳裏に蘇る。

「私はあなたの言いつけ通り、今日までずっと本を読み続けてきました。あなたの言葉が嘘ではなかったことを、ここで証明していただきましょうか」

 今や二人の実力には大きな差があることを、エルロードはよく理解していた。

 これは〝弔い〟だ。

 ウォルターは笑みを浮かべ、よっこらしょ、と立ち上がると、豪奢な杖を手に召喚した。

「ずいぶんと待たせたのう」

 優しく微笑むウォルター。

「ええ。本当に長かった」

 エルロードの表情は実に晴れやかだった。

 周囲の建物が崩落するほどの魔力が渦巻き、しかし二人の顔は穏やかなものだった。巨大な魔力の球体がぶつかると、アリストラスは眩い光に包まれた。





 六天魔王バンピー[玉座の守護者]

 Lv.200[上限:200]


 激しい打ち合いの中で、突如、バンピーの体が黄金の光に包まれる。レオは咄嗟に距離を取り、変化する彼女を注視した。

 眩い光が収まると、そこには姿の変わったバンピーが立っていた。みすぼらしい白いワンピースは繊細で煌びやかな衣装に変わっている。

 もちろん変わったのは衣装だけではない。

「……」

 光に包まれてからの彼女は、もはや戦いの相手にならないほど強大な存在となっていた。

「なんだよ……」

 レオは苦しげに声を絞り出した。彼の手に握られた粗末な剣が、かすかに震えている。

 震えの理由――それは恐怖。

 自らが〝消えてしまう〟ことへの恐怖がレオに重くのしかかる。彼女が強大になったことで、よりリアルにそれを感じてしまう。

「なんだよそれ……ずるいだろ。俺が負けるに決まってるじゃん、そんなの」

 レオは大粒の涙を流していた。

 頭の中に神の言葉が聞こえてこない。

 呪いから解放されたレオは、まるで支えを失ったかのように、等身大の少年に戻っていた。

「勝算が消えて焦っているの?」

「うるさい! そんなことない!」

 ピッと、斧の先をレオに向けるバンピー。

「困ったわね。妾は〝子供〟をいたぶる趣味はないの。あなたは一度覚悟を決めた、ならなにがあっても最後まで貫くのが男の子でしょう」

「そうだよ! 俺はまだガキさ。でもバンピアだってそうだったじゃないか」

 癇癪を起こすように声を上げるレオ。

 バンピーは冷めた瞳で彼を見下ろしている。

「もうあの時のか弱い姫はいないのよ」

 バンピーは静かにそう言うと、流麗な動きで斧を振り回す。暴力的な嵐のように回転する無骨な斧と、美しい衣装を着けた彼女がとてもミスマッチで、思わずその光景に見惚れていた。

 我に返ったレオが叫ぶ。

「強さなんていらないだろう!? 光の神(主様)に頼めば、元の場所に戻れるんだ! あの幸せだった頃に――」

「あなたは前に進めと言ったわ。それこそが妾だと。あれは嘘だったのかしら」

「嘘じゃない。嘘じゃないけど……」

 そう言ってレオは俯き沈黙した。

 バンピーは空を見上げて呟くように言う。

「確かに、あの頃は幸せだったわ。でもね、それは妾が何も知らなかったからよ。その幸せな日々も、誰かの不幸の上に築かれていた。妾はそれを自らの身をもって知ったの」

 バンピア姫として城主の娘として可愛がられた過去の彼女は、もうどこにもいない。裏切られ、追われ、殺され、そして再び蘇ったバンピーは、過去の名も捨て去っていた。今のバンピーから見れば、レオはただ過去の幻影を追い求めているにすぎない。

 しかしレオは引き下がらない。

 声を荒げ、必死に言い返す。

「なら、俺たちで不幸のない世界を作ればいい! そしたら敵も味方もないだろう!? 神も少しくらい我儘を聞いてくれるさ! 失敗しても何度だってやり直せばいい! 今度こそ、俺が君を守る!」

「黙りなさい」

 バンピーは冷然と言い放つと、巨大な斧を地面に叩きつけた。その衝撃で、無人の町に強烈な風が吹き荒れる。彼女の瞳はレオを冷酷に見据えていた。

「光の神に忠誠を誓っている限り、あなたと行くことはできない。あなたは――敵だから」

 光の神は幾度となく修太郎を消そうとした。

 光の神の使徒である彼も、バンピーの敵だ。

 バンピーは斧を引き抜き、地面を揺らしながら一歩前に出る。その一歩に圧倒され、レオは反射的に後ずさる。

「妾はあなたの仇なのよ?」

「仇なんかじゃない! 俺は、恨んでなんかいない! だからこうして戻ってきたんだ! 二人でならなんとかなる! 何度だって……!」

 バンピーの頬を一筋の涙が伝う。

 レオは何かを言いかけて、口を閉じた。バンピーが望むものは、自分が考えているものとは違っているのだと悟ったからだ。

「妾が望むのはただ一つ。妾自身でこの戦いを終わらせること。それが妾ができるあなたへの償い。妾に残された唯一の道なの」

 彼女の声には深い悲しみが込められていた。

 バンピーはこう続けながら、顔を上げた。

「――終わらせたいの。お願い」

「……」

 レオは震える手で剣を握りしめた。彼女が覚悟を決めていることを、彼は痛感した。もう戻ることはできないのだと。目の前のバンピーはかつての幼いバンピア姫ではない。彼女は自らの意志で新たな道を歩んでいるのだ。

「すぅー……はぁ……」

 レオは深く息を吸い込んだ。

 心の中で激しい葛藤が渦巻いていたが、それでも彼女の決意を尊重するべきだと悟った。

「……わかったよ〝バンピー〟」

 彼の言葉は静かで、重みがあった。

「俺は君を尊重する……俺はこの戦いを、自分の運命を受け入れる」

 レオは剣を構え直し、彼女に向けて力強い視線を送った。彼の心は未だ揺れていたが、彼女の意志を尊重するという決意は揺るがなかった。

「いくぜッ!」

 バンピーとレオの激しい戦闘が再び幕を開けた。

 レオは剣を構え疾風のようにバンピーへと駆け出した。軽やかなステップで間合いを詰め、彼女の正面に剣を振り下ろす。しかし、バンピーは斧を片手で軽々と持ち上げ、その剣撃を受け止める。

「ふっ、軽いわね」

 バンピーの口元が不敵に笑む。

 レオは間を置かずに連撃を仕掛ける。剣の斬撃が何度もバンピーの斧を叩く音が戦場に響くと、彼女は全てを正確に受け流していく。その余裕の態度が、レオの焦りをさらに煽った。

「その程度で妾を倒せるとでも思った?」

 バンピーが低く笑いながら反撃に転じる。彼女の斧が弧を描き、鋭い風切り音とともにレオへ襲い掛かる。

「くっ……!」

 レオはギリギリでそれをかわすも、その勢いに押されて後退を余儀なくされる。

 次々と繰り出されるバンピーの攻撃。斧の一撃はレオの防御を簡単に粉砕するかのように強烈で、受けるたびに衝撃が全身を駆け抜ける。

 実力の差は歴然だった――応戦する彼女の斧はその一撃一撃が重く、気付けば防戦一方になっていた。レオは必死に剣で斧を受け止めるも、衝撃で体が後ろに吹き飛ばされる。

「もうおしまいかしら?」

 あえて挑発的に尋ねるバンピー。

 レオは悔しそうに唇を噛む。

「まだ、終わらせない……!」

 続くバンピーの斬撃をギリギリでかわすと、瞬時に彼女の懐に飛び込んだ。剣を全力で振り抜くと、その剣はバンピーの腕に直撃し、鋭い金属音が響く――が、LPは一切減っていない。バンピーは全く怯むことなくそのままレオに反撃を浴びせる。

「うっ……!」

 レオのLPが8割近く一気に消し飛んだ。

 それでも彼は諦めずに立ち上がる。

 レオは再び懐に飛び込み、剣をバンピーの胸元に突き刺そうとする。バンピーは華麗に身をひねり紙一重で避ける。そして次の瞬間、斧がレオの背後から迫り、彼を捕らえた。

「ありがとう……レオ」

 バンピーの一撃が背中に炸裂し、レオの体が地面に叩きつけられる。

「……くそ……まだ……」

 レオは這うようにして立ち上がろうとするが、体に力が入らない。頭が回らない。音が遠くに聞こえ、視界がかすんでゆく。

 それでも自らが消えてしまうことへの恐怖や後悔は、もうどこにもなかった。あったのは役目をまっとうした充足感だけ。

「……俺、ちゃんと戦えたよな?」

 彼は微かに微笑みながら、力を振り絞って顔を上げる。その表情はどこか晴々としていた。

「ええ、レオ。あなたはよく頑張ったわ」

 彼女の言葉には嘲笑も哀れみもなく、ただ純粋な感謝と敬意が込められていた。レオはそれを聞くと、満足そうな笑みを浮かべた。

 ごろんと、仰向けの形になるレオ。

 空には雲一つない青空が広がり、太陽の光が彼の顔を優しく照らす。自分の中で何かが満たされたように感じた。

「俺、結構やるじゃん……」

 レオは静かに笑った。自分の全力を尽くしたことに満足していた。そしてその笑みを見たバンピーは目を伏せて微笑んだ。

「妾も近いうちにそっちに行くわ。そしたらまたら遊んでくれる?」

 彼女の声は穏やかで、かつてのバンピア姫の面影が僅かに蘇ったようだった。

「友達だからな。当たり前だろ」

 そう言って彼は拳を突き出した。

 バンピーは涙を浮かべ拳を合わせる。

 レオの体が砂のように消えていく。

「……」

 バンピーはそっと祈るように目を閉じ、その場を静かに立ち去った。友の命を弄んだ光の神に静かな怒りを抱きながら。




 六天魔王ガララス[玉座の守護者]

 Lv.200[上限:200]


 ガララスとアグニは、静かな空気の中で互いの目を見据え続けていた。ふいに、アグニがその視線をわずかにそらし、低く、静かな声で言葉を発した。

「俺は今でも覚えている……あんたに初めて会った時のことを。あの小さな鳥のことも、くだらねぇと思ってた命の重さも……全部、心に刻みつけられてる」

 ガララスはその言葉に応じるように微笑を浮かべ、懐かしむように頷いた。

「我も覚えている。お前がまだ幼い頃、他の子供たちを守ろうと必死だった姿を。皆に恐れられていた我に向かってきたのは、お前だけだった」

 言葉を交わすうちに、アグニの顔には少しばかりの苦笑が浮かんでいた。彼は目線を一度そらし、思い出をかみしめるように小さく息をついた。

「今思えば馬鹿なガキだったな。でも、その時あんたがくれた〝生きる意味〟が、俺を戦士に変えたんだ」

 一瞬、アグニの視線が鋭くなり、握りしめた拳に力がこもる。ガララスは彼のその姿にわずかに目を細め、静かに語りかけた。

「お前は常に我の期待に応え、そしてついには烈将と呼ばれるまでになった。誇り高き戦士として散ったお前が、我の弟子であったことを……誇りに思っている」

 アグニは真っすぐガララスの顔を見上げた。

「今さら変な話かもしれねぇが、聞いてくれ。あんたにとって〝力〟って一体なんだ? 俺は〝今の〟アンタの考えが聞いてみたい」

 その問いかけに、ガララスの表情が微かに変わる。かつての自分を振り返るように、彼は思索の中に沈み、静かに答えた。

「幼き頃から強者だけが生き延び、弱者は消える。この世界の原則に従えば、王たる者は己の力で全てをねじ伏せるべきだと……それが我が信じていた宿命だった」

 その言葉を聞いたアグニの目に、微かな寂しさが浮かんでいた。彼の胸中には、かつて憧れた暴君――ガララスの姿がよみがえっていた。

 だが、とガララスはさらに言葉を続けた。

「……現実は違っていた。我が守った国の者たちからも裏切られ、攻め込まれ、そして失った。支配だけでは王にはなれんのだ。力は道具に過ぎず、力の使い方次第で世界を築くことも、滅ぼすこともできる。つまり、力とは……〝守り、導き、未来を築くための礎〟なのだ」

 そう言いながら、ガララスの脳内にマグネとの記憶が蘇っていた。彼自身、なぜ彼女との記憶がより起こされたのか理解できなかった。しかし、圧倒的な弱者である彼女に指導したあの日々は、かつてアグニと過ごした時間に酷似していた。

 あの時と明確に違うのは、自分の好奇心で育てたのではなく、彼女の未来のために育てたということ。

「我は、王とはなにか、強者とはなにかを学んだ」

 その言葉に、アグニはしばし呆然としたが、やがてその目が満足げに閉じられた。

「それがアンタがたどり着いた〝王〟の姿。破壊じゃなく、盾として力を使うことができるのなら……それが本当なら、俺から言うことはもう何もない」

 アグニの口元に浮かんだ微笑みが、次の瞬間には戦士の決意に満ちた表情へと変わった。彼は拳を構え、目に炎を宿して言い放った。

「でも、だからこそ、あんたと命を懸けて戦いたいんだ。俺の未練はただ一つ、あんたを超えること。蘇らせた神の思惑だのは関係ねぇ!」

 ガララスも構えを取り、力強く頷いた。彼の目に映るのは、弟子ではなく、戦士として対等な相手だった。

「よかろう、遠慮はいらん。今の我の全てをお前に見せる。お前の勇姿を見届けよう」

 互いの瞳に宿る覚悟と誇りが火花を散らし、次の瞬間、二人は笑みを浮かべながら闘志を爆発させ、ほぼ同時に拳を打ち込んだ。

 重い金属同士のぶつかるような轟音が響き、周囲の大地が震える。拳の一撃一撃が、お互いの思い出と感情を込めた言葉のように響き渡っていた。痛みも疲労も忘れたかのように、二人は戦士としての喜びを共有しながら、激戦を繰り広げていった。

 しかし、終わりは突然訪れる。

 何度目か、拳同士のぶつかり合い――

 パンと弾けるようにアグニの拳が割れた。

「ぐッ……!」

 アグニは歯を食いしばり、渾身の力でガララスに抵抗する。しかし、ガララスの拳はあまりにも強大で、圧倒的な力が彼を少しずつ押し返していった。アグニの拳が次第に耐えきれなくなり、ピシピシと肘から肩までヒビが入るように砕けていく。

「(ここまでか……)」

 そう心の中で呟くと、アグニは残りの気力を振り絞った。そして、最後の一撃に力を注ぎ込む。

「俺の全てを拳に込めて――!」

 アグニは全身から立ち上る闘気と共に、崩れかけた拳で再びガララスに向かって拳を突き出した。弟子として最後の誇りをかけた一撃、それはガララスの対応速度をはるかに上回ると、拳は腹部に届いた。

 パリィンというガラスが砕ける音が響く。

 アグニの拳はガララスの腹部に触れた瞬間、完全に弾かれ砕け散る。その衝撃でアグニの体が後方に吹き飛ばされ、地面に転がるようにして倒れ込んだ。

「ダメか……」

 アグニは息を整えながら、地面に倒れたまま空を見上げ、苦笑いを浮かべた。全力を尽くし、渾身の一撃を放ったにも関わらず、結果はガララスの圧倒的な勝利だった。しかし、その顔は晴々としていた。

「……最後に戦えてよかった」

 呟くように言うアグニ。

 ガララスは歩み寄ると、彼を見下ろしながら静かに言葉を紡いだ。

「……もう終わりか?」

「終わりたくないけど、終わらなきゃ」

 アグニの足が消えはじめ、死が近いことは明らかであった。彼は最後の力を振り絞って、ガララスに言葉を送る。

「俺は、アンタの弟子でいられて幸せだったよ」

 震える手を挙げると、ガララスはすかさずそれを掴んで力強く握った。

「ここまで戦い抜いたお前を我は誇りに思う。烈将アグニよ、堂々と安らかに眠れ。我はお前を決して忘れぬ」

 アグニはガララスのその言葉に小さく頷き、最後の力を振り絞って笑顔を浮かべた。そしてその笑顔を最後に、アグニの目はゆっくりと閉じられた。戦士として全力を尽くし、実に穏やかな表情をしていた。ガララスは静かに立ち、倒れたアグニの肩にそっと手を置いた。

「貴様の想いも連れていく。貴様の代わりに、神に一撃くれてやる」

 ガララスはその場を立ち去りながら、一瞬だけ空を見上げた。その瞳には、かつての弟子への深い尊敬が込められていた。





 六天魔王シルヴィア[玉座の守護者]

 Lv.200[上限:200]


 種としての限界を超えた彼女を見た父アウロンは、使徒の役目も忘れ、なによりも喜びを感じていた。

「大きくなったな、シルヴィア」

 まるで昔を懐かしむように微笑むアウロン。シルヴィアはそんな父の言葉に一瞬戸惑い、視線を泳がせる。

「……まだ父様には敵いません」

 シルヴィアは謙虚に返すが、アウロンは首を振りながら、目を細める。

「なにを言うんだ。お前はいまや獣の王だろう? 私などはるか昔に追い越されてしまったよ」

 アウロンは嬉しそうに笑った。シルヴィアはその言葉を聞きながらも、どこか気恥ずかしそうに顔を赤らめ、ゆっくりと答える。

「それでも、父様の背中は私にとってまだ大きくて遠い」

「ふふ、遠い存在か……」

 アウロンはまた嬉しそうに目を細める。

「なぜかは分からないが、いまは神の呪いをあまり感じないんだ。強いられていた戦闘に準じることもない。これでようやくお前とゆっくり話ができるな」

「それは……嬉しいです」

 そう呟いたのち、シルヴィアは自分の〝世界〟へのゲートを開けた。

「これは?」

「見せたい場所があります」

 シルヴィアに促されるがままゲートを進むアウロンは、故郷の匂いに思わず立ち止まる。木々が風に揺れ、葉が擦れる音。小川の流れる音、動物達の声。

「懐かしいな……」

 感慨深そうにそう呟くアウロン。

 そして、二人は家のあった場所へ向かった。

「ずいぶん、遅くなったな」

 アウロンは寂しそうにそう呟いた。

 シルヴィアはなにも言わず、目を瞑る。

 二人の間に穏やかな静寂が流れる。故郷に戻った父と娘――過去の時間が再び動き出したような感覚だった。

「母様に会いました」

 静かにシルヴィアは口を開く。

 アウロンの表情が和らぐのが分かる。

「そうか。彼女はなんと言っていた?」

「父様と同じように、『大きくなったね』と」

「そうか」

 アウロンは頷きながら、懐かしさを噛みしめるように微笑む。シルヴィアはさらに言葉を続けた。

「それに、『流石はわんぱく娘だ』とも言っていました」

「くくく、そうかそうか。あの頃のお前は確かに手に負えなかったからな」

 思わず笑みを堪えるアウロン。

 シルヴィアの顔は赤く染まり、恥ずかしそうに俯いた。

「母様は、父様のことも言っていました。『頑固者だ』って」

「……ふん、彼女には敵わないな」

 アウロンは遠い目をし、過去の思い出に浸るように静かに呟いた。シルヴィアは、母との会話を思い返していた。

『どうしても貴女に伝えたい言葉があったみたい』

『伝えたい言葉?』

『ええ。でもそれは彼から直接聞いてあげて。お父さんはきっと今でもあの場所でずっと貴女を待っている、お父さんの時間は止まったままだから――』

 シルヴィアはアウロンに問いかける。

「私に伝えたい言葉とはなんでしょうか」

「……」

 アウロンは静かに目を瞑ると、一つ一つ思い出すようにゆっくりと語り出した。

「……昔、お前たちがアーチの近くで遊んでいるのを厳しく叱った。あの時、私はお前たちに失望すらしていたよ。育て方を間違えたのだと。結果として、悪い人間によってお前というかけがえのない家族が失われた」

「……」

 シルヴィアは黙ってそれを聞いている。

「だが、間違っていたのは私の方だった」

 その声からは深い後悔の色が伺えた。

「兄達は森の安全を脅かす存在に勇気を持って立ち向かった。そしてお前は、勇敢に人間と戦った。お前達は危険を承知で、大切なものを守るために行動した――私はそれを誇りに思う」

「!」

 その言葉を聞いた瞬間、シルヴィアは思わず顔を上げ、父の目を見つめた。彼女の瞳には、父の今まで見せたことのないほど優しい眼差しが映っていた。

「お前は私の自慢の娘だ」

「父様――」

 シルヴィアは涙を拭いながら、再び父アウロンを見つめた。長い間、彼女の胸にあった罪悪感が、父の優しい言葉によって少しずつ溶けていくのを感じていた。

「父様……私は、ずっと自分を責めていました。あの時、もし父様の言うことを聞いていればと……」

「シルヴィア、誰もお前を責めはしない。お前はあの時、家族を守るために行動した。それが何よりも大切なことだ。これほど誇り高い灰狼族はいない。私も、兄達も、そしてお前の母も、その勇気を誇りに思っている」

 アウロンの言葉に、シルヴィアは静かに頷いた。彼女の目からは再び涙が溢れたが、それは悲しみからではなく、喜びの涙だった。

「お前は強くなった。だが、何があっても一人で背負い込む必要はない。お前には私たち家族が、そして仲間たちがいる。決して忘れるな」

 シルヴィアはその言葉を胸に刻み込み、深く頷いた。しばらくの間、二人は静かにその場に佇んでいた――かけがえのない時間を噛み締めるように。共に過ごしたかつての穏やかな時間が戻ってきたように思えた。

「これからは私が守る番です。家族や仲間、そしてこの世界を」

「そうだ。それでこそ我が娘だ。私はいつでもお前を見守っている。もし道に迷うことがあれば、心の中で私の声を思い出すがいい」

「はい、必ず」

 シルヴィアは父の言葉に強く頷いた。

 アウロンは晴れやかな顔で小さく頷く。

「さあ、これで私の使命は果たされた」

 そう言って天を仰ぐアウロン。

「やるべきことは分かるな?」

「はい。覚悟もできております」

 シルヴィアはとめどなく溢れる涙を拭い、刀を抜いて叫ぶように声を上げる。彼女は灰狼族のシルヴィアとしてではなく、玉座の守護者として刀を握っていた。

「私は――あなたの娘であることを誇りに思います」

 アウロンは優しく微笑むと、再び爪に魔力を纏わせた。

 二人はほぼ同時に動いた。アウロンの爪とシルヴィアの刀が交差する刹那、空気が震えるほどの衝撃音が響き渡り、勝敗が決した。

「見事だ」

 一瞬の静寂の後、ゆっくりと地面に倒れ込むアウロン。その声は穏やかで、顔には苦痛や悲しみではなく、誇りと安堵が浮かんでいた。彼の身体から力が抜けていく中、シルヴィアは刀を収め、震える手で彼の側に膝をついた。

「すまないな、お前に背負わせてばかりで」

「父様……」

 アウロンは息も絶え絶えに言葉を紡ぎ、シルヴィアの顔を見上げた。その目には、彼女の成長を見守る父親としての優しさで溢れていた。

「故郷で最後を迎えられるとはな」

 アウロンはかすかな笑みを浮かべると、シルヴィアに向かってゆっくりと手を伸ばす。シルヴィアはその手をしっかりと握りしめ、涙を拭いながら父の最後の瞬間を見届ける。

「家族みなで、お前を見守っている」

 アウロンの瞳が静かに閉じられ、その息が完全に止まった。シルヴィアは彼の手を離さず、しばらくの間その場に佇んでいた。風が故郷の大地を吹き抜け、彼女の頬に当たる。

 父と娘の物語はここで終わりを迎えた。

 アウロンの体が砂のように消えてゆく。

 シルヴィアは、父が安らかに眠りについたことを感じ取りながら立ち上がった。

「私はもう迷いません」

 静かに故郷を後にするシルヴィア。

 父の誇りを胸に、次の戦いへと向かった。





 六天魔王セオドール[玉座の守護者]

 Lv.200[上限:200]


 ハイルーンは荒々しい様子でセオドールを睨みつけた。

「僕にもその力があれば……救えたのに」

 友を責めても何も変わらないことは理解していたが、ハイルーンは怒りを抑えきれなかった。声が震え、言葉が途切れそうになる。

「その力で……僕も楽にしてくれ。今すぐだ! そしてエネリスたちの元へ――」

 セオドールは静かに返す。

「エネリスたちに会ってきた」

「……!?」

 ハイルーンは驚愕し、瞬間、動揺で体が固まった。目を見開き、震える手でセオドールの肩を掴むと、声が裏返るほどの焦りで叫んだ。

「彼女は……彼女はどこにいるんだ!?」

 セオドールは静かに天を差し、短く答える。

「手の届かない場所だ」

「手の……届かない場所……」

 ハイルーンはその手を乱暴に離し、近くの岩に腰を下ろした。息は荒いまま、しばし沈黙する。

「……彼女は僕を責めていたか?」

「お前をよろしく頼む、と」

「それだけか?」

「ああ」

「そんなはずがあるか!!」

 ハイルーンの叫びが響き渡る。その瞬間、彼の怒りが周囲の雪を溶かした。ハイルーンは顔を手で覆い、苦しげに呻く。

「彼女たちが死んだのは全部僕のせいだ……僕を恨んでいるはずだ、そうだろう……?」

 そうであってくれと訴えているようだった。

 セオドールは答えない。ただ冷静な目でハイルーンを見下ろしていた。

「僕にもっと力があれば……!」

 ハイルーンの叫びは止まなかった。

 次の瞬間、彼の頬に強烈な一撃が加わり、その体が吹き飛ばされ、後ろの建物に突っ込んだ。視界の中に拳を振り抜いたセオドールが立っていた。

「その話はもう聞いた。一度で十分だ」

 セオドールの言葉は冷徹で、ハイルーンの動揺や嘆きに耳を貸してはいない。彼の拳は、ハイルーンを冷静にするためではなく、ただ黙らせるために振るわれたものだった。しかし、皮肉にもその一撃によってハイルーンは冷静さを取り戻す。

「……すまない。お前を責めても意味がないことは分かってるんだ……僕が間違ってる」

 瓦礫の中で、彼は低く呟いた。

「何を言っているのか全然聞こえん。さっさと戻ってこい」

 セオドールは腕を組み、冷淡に言い放った。ハイルーンは無言で瓦礫をどかし、セオドールの前に立った――次の瞬間、セオドールは彼の鎧の首根っこを掴み上げた。そして、自らの世界のゲートを開き、そのままハイルーンを無造作に放り投げた。

「なっ……!」

 転がるように放り出されたハイルーンは、ようやく顔を上げる。

 そこは見覚えのない丘だった。目の前には三つ並んだ墓標と、たくさんの花が添えられている。さらに遠くには、天を突くような塔がそびえ立っていた。

 様相はガラリと変わっていたが、彼はその場所がかつての故郷であることを遅れて理解した。

「墓標をよく見ろ」

 ぶっきらぼうに言われるがまま、ハイルーンは墓標に目を向けた。そこにはそれぞれ〝救国の英雄〟から始まり、勇者ハイルーン、賢者エネリス、聖女メロイアの名前があった。

「僕たちの墓……」

「そうだ。竜を倒した後に俺が作った」

 無言で墓を見つめるハイルーン。

 友人達の墓を建てたセオドールの心境を思うと、言葉が出てこなかった。

「エネリス達と会う前に、俺はお前の過去を見た。俺はあの場にいなかったことを激しく後悔した、塔に登りさえいていなければ助けられたとな。俺も同じだハイルーン、お前と同じように、俺もかつて自分を責め続けた」

 その言葉を聞いた瞬間、ハイルーンは驚いてセオドールを見つめた。彼もまた、同じ痛みを抱えていたのだ。しかし、セオドールはその過去を乗り越えて今ここに立っている。

「俺もエネリスに怒鳴られて目が覚めた」

「エネリスに……」

「つまり、さっきの拳はエネリスとメロイアからの贈り物だ」

 墓を見ながら俯くハイルーン。

 二人の熱い思いを感じたような気がした、自分が冷静になれたのには理由があったのだと。

「殴れとは言われなかったがな」

「……」

「俺の選択も、大きな時の流れで見れば間違っていないとも言っていた。お前の選択もな」

 あの町を見ろ――と眼下に広がる景色を指差すセオドール。そこには争いなどには無縁の、豊かで平和な人々の生活が広がっていた。

「魔王を倒さなければ、この暮らしはない。この平和は俺たちによってもたらされたものだ。エネリス達は自分の選択に後悔はしていなかった。お前はどうなんだ?」

 ハイルーンは静かに頷いた。

 彼の心の中に少しずつ光が差し込み始めた。

「憎んでいるかどうかはお前自身が決めることじゃない。彼女たちが言った言葉を信じるか、過去に囚われるかはお前次第だ」

「……そうだな」

 ハイルーンは、セオドールと共に墓標の前に立ち、静かに長剣を手に取った。彼は一度、目を閉じて深く息を吸い込み、その剣をゆっくりと墓の前に刺す。

「エネリス、メロイア……」

 墓標を見つめ、声を絞り出すように呟く。

「僕は君たちを守ることができなかった。何度も何度も、そのことを悔いてきた……すまなかった」

 その謝罪は、長い間彼の心の中で抑え込まれてきた感情だった。仲間たちを救えなかった罪悪感、それに縛られていた自分を、今ここでようやく解き放つための言葉だった。

「これでようやく僕も前に進める――ありがとう」

 ハイルーンは静かに頭を下げ、墓標に向かって最後の別れを告げた。彼の目にはもう迷いはなく、穏やかで清々しい表情が浮かんでいる。

「セオドール、僕の力をお前に託す」

 そう言って、ハイルーンは剣に手をかざす。

 剣が淡い黄色に発光していく。

「この剣には僕が培ったすべての力が込められてる。エネリスとメロイアもお前の中にいるんだろう? 二人の思いを連れて未来に進むなら、俺の思いも一緒に連れていってくれ」

 ハイルーンの抱いてきた葛藤や責任、そのすべてを感じ取りながら、セオドールはゆっくりと頷いた。

「……承知した」

 剣に手を伸ばす。そして指先が剣に触れた瞬間――剣がまばゆい光を放ち始めた。その光は次第に強まり、セオドールの体に流れ込んでいく。

「これは単なる武器じゃなく、僕が積み重ねてきた技と命そのものだ。きっとこの剣がお前を新たな未来に繋げてくれる」

 剣は役目を果たしたように、数千年そこにあったかのように風化していた。ハイルーンは力が抜けたようにドサリと座り込み、小さくため息を吐く。

「僕の役目は使徒としてお前と戦うことじゃなく、お前と共に戦うために在った……これだけで僕は報われた。ずいぶん遠回りしたけど、これでまた四人一緒だ。もう未練はない」

 墓を背に、充足感に満たされる中でハイルーンの姿は次第に薄れていく。

「神を倒せ。そして、この世界にまた平和をもたらしてくれ――」

 その言葉と共に、ハイルーンは完全に消え去った。最後の瞬間までセオドールを見つめていた。

「お前の思い、しかと受け取った」

 セオドールは静かに誓い、遠くの空を見つめた。彼の中で三人の仲間たちの思いは生き続けてる。その力を持って、彼は新たな戦いへと歩みを進める決意を固めた。

 風が吹きセオドールの髪を揺らした。その風は、まるでハイルーンの残した思いを運んでいるかのように優しく彼を包み込んでいた。


2



 魔王と使徒の戦いが始まったほぼ同時刻、厳戒態勢が敷かれたレジウリア国内を、一人の男が悠然と歩いていた。

 特徴的な金髪が風に揺れる。彼の名は雷千(ライセン)

 かつてワタルたちと共に牢獄から脱出し、他の者を引き連れてワタルたちとは異なる道を選び、光の神の傘下に加わった男である。

「……あれか」

 雷千の視線の先には、レジウリアの心臓部、ダンジョンコアがあった。

「本当にやるんですか?」

 不安げな声で尋ねたのは、彼の後ろを歩く女性。雷千の後ろには数名の「牢獄脱出組」が付き従っている。彼女らも光の神に忠誠を誓っているが、人類の敵になることには一抹の不安を抱えていた。

「はぁ? そもそも俺は最初から強制してねーだろ。嫌なら今からでもあっち側に行けばいい」

 冷たく言い放つ雷千。まごまごする脱出組に、彼はさらにこう続けた。

「ま、今更あっち側が受け入れてくれるとも思えねぇけどな。だってお前らも〝祈った〟だろ? ならもう遅えよ」

 かつてaegisのシロカド達がそうだったように、祈りは人を殺戮人形へと変えてしまう。今彼らが自分の意思で動けているのは〝任務〟のために都合がいいからで、いざ事が始まればどうなるか分からない。

 口ごもる脱出組を雷千は嘲笑った。

「もしプレイヤーのためを思うなら、いまここで自害しろ。それが一番迷惑かけずに済むからな……ま、どうせ無理だろうけど。お前らはそれができねぇから俺について来たんだろ?」

「……」

「悪いようにはしねぇ。なんせ光の神は俺たちに〝解放〟を約束してくれたんだからな」

 光の神が雷千達に出した報酬、それは解放。

 すべてが終わった暁には、責任をもって君たちを現実世界に送り届けると、光の神はそう明言していたのである。

「お前らも直接会って感じただろ、あのパワー。台風とか津波を見て戦おうって気持ちになるか? ありゃあ俺たち人間にはどうにもできねぇよ。神の言葉が嘘だとしても、それしか選択肢はない。俺たちは確実に勝つ方に賭けたんだよ」

 雷千の言葉に、脱出組は意を決したように頷いた。もはやここまで来て引くことはできない。恨まれる覚悟もできた、と。

「あとは場所とタイミング、か」

 雷千の瞳の中で何かが蠢く――それは、蟻よりも小さい極小サイズの天使だった。

『我々の勝利のためにそれを使いなさい』

 これは光の神に渡された〝兵器〟。

 目玉をくり抜き握りつぶすことで天使の軍勢が飛び出す。そして周囲を破壊する――大勢のプレイヤーを巻き込みながら。

「(魔王達(規格外)もいない今が絶好の機会。ダンジョンコアの破壊までいければ、俺たちの勝利は盤石になる)」

 元々アリストラス内で使うはずだったそれを、奇しくもプレイヤー最大戦力である修太郎の喉元で使える機会を得た。雷千達に課せられた任務はレジウリアの破壊工作に加え、なるべくダンジョンコアに近付き、人が密集している場所で天使を解放すること。

「どこまで登るんですか?」

「当然、登れるところまでに決まってる」

 ダンジョンコアに最も近い建造物は中央に鎮座する城だ。とはいえ、城周辺はモンスター軍の警備が厳しく、紋章の中軸メンバーでもない限り近付くことさえできない。ただし、城に向かって東西南北から伸びる巨大階段の警備は甘い。

 ズンズンと登ってゆく雷千達。

「おい、君たち」

「!」

 不意にかけられた声に脱出組が硬直する。

 相手は北軍に属するプレイヤーだった。

「配置に付けと伝達があっただろう。上に何か用事でもあるのか?」

 訝しげな表情で近付いてくる男性に対し、雷千が口を開く。

「ガルボ隊長から北に回るよう言われてきたんだよ。これから紋章の連中に会って、北側でどこが手薄か指示を仰ぎに行かなきゃなんねえ。つまり急いでるんだが?」

 雷千は実に冷静に応対してみせた。

 男性は頭を掻きながら何かメールのようなものを確認している。

「そ、そうなのか? それは失礼、連絡がなかったものでな」

 雷千の堂々とした態度に加え、具代的な名前が出たことで説得力が増し、男性がそれ以上追求することはなかった。プレイヤーのほとんどが所属する絆ギルドだが、たった数時間で統率が取れるはずもない。事実、突発的に配属先が変更になり移動を余儀なくされるプレイヤーも多くいて、雷千達はうまくそれに紛れていた。

 男性の肩を叩きながら雷千が続ける。

「まぁ俺らみたいな元弱小ギルドの割り振りなんていちいち連絡されないだろうしな。もういいか?」

「あ、ああ。お互い生き残れるようベストを尽くそう」

 そう言って男性は納得したように視線を切った。

 元弱小ギルドというのは〝紋章・黄昏の冒険者・aegis・八岐〟のいずれにも属さず小規模に活動していたプレイヤー達を指している。全てのギルドが〝絆ギルド〟に統一されてからも、元○○ギルドという肩書きで不毛なマウントを取り合うメンバーもいるため、元弱小ギルドは自虐として使い、同じ境遇のプレイヤーはそれを聞いて察するのである。

 再び階段を登り始める雷千達。

 背後で先ほどの男性が別のプレイヤーと何かを話し込む様子を見て、雷千は歩く速度を早めて呟く。

「(次に止められたら強行突破して、登れるだけ登って天使を解放する)」

「(了解)」

 階段も残すところあと少し。少しでも先へ、登り切れれば任務成功は間違いない。

「あー、ちょっと待って」

 覚悟を決めた雷千達の前に一人の少年が現れた。肩に剣を担ぎながら、注意深く観察している様子が伝わってくる。

「あんたさ、なんか変な感じする」

 そう言って剣先を雷千へと向けるショウキチ。雷千は「はぁ?」という声を漏らしながら、わざとらしく見上げてみせた。

「ちょっと、ショウキチ失礼だよ!」

「え? だって怪しい奴は止めなきゃでしょ?」

 慌てて止めに入るケットル。

 ショウキチは頬を掻きながら笑っている。

「そうだけど根拠はあるの?」

「んーー、勘!」

「だからぁ!」

 ぎゃーぎゃーと言い合いする二人の所へ、なんだなんだと野次馬的に人が集まって来ていた。脱出組は動揺が顔に出ないよう努め、雷千は迷惑そうな顔でそれを静観していた。

「(はた迷惑なガキだな……ヒーローになりたくて誰彼かまわず絡んでるオチか? まぁでも勘が当たったところで〝根拠〟がなきゃ意味はない)」

 ショウキチなる少年の勘には肝を冷やしたがそれも一瞬。焦る必要はない。なぜなら断定する根拠がないのだから。

 そもそも脱出組の存在を知るのはワタル達だけになるが、天使に忠誠を誓ったことは誰も知らない。また、仮に怪しまれたところで瞳の中にいる天使を見つけることはできない。自然にしてればそれでいい。時が来るまで大人しく指示に従っておけばいい。

 言い合いする二人を眺めながら、群衆の一人に雷千は声をかける。

「あー、なんだ、もう行っていいか?」

「ん? ああ、手間かけたな。これから大規模戦闘になるかもしれねぇってのに、まったくお気楽な子供だ……」

 などと、ほとんどの人間が子供のじゃれ合いだと思っていた。こんな大事な時にふざけるなと、苛立ちさえ覚えているように見えた。

「(悪いなヒーロー)」

 心の中でそう呟きながら、ショウキチから視線を切る雷千。人混みを横切るように脱出組が歩き出す。なおも二人の声は響いている。

「なんで分かんねぇんだよ! お前一番近くにいたじゃんか!」

「誰の近くよ!」

 言い合いするショウキチとケットル。

 雷千達は悠々と階段の先を目指して進む。


「天使だよ!」


 ここで雷千動きがはじめて止まった。

 いまなんて言った? 天使?

 会心のワード――反射的にショウキチを見てしまった脱出組を誰も責められまい。

「あいつから天使のいやーな雰囲気を感じるんだよ!」

 再び剣先を向けるショウキチ。

 皆の視線が一気に集まり、脱出組はたじろいだ。

 雷千は大きくため息を吐きながら呟く。

 自然にしてればそれでいいのだ。

「お前なに言ってんだ? こっちはガキの遊びに付き合ってる暇は――!」

 

「〝やっぱり〟来たんだね」


 喧騒がぴたりと止む力強い声が響く。

 声の主は階段の頂上に立っていた。

「修太郎!」

 ショウキチが叫ぶように声を上げた。

 レジウリアの住民達は武器を掲げ雄叫びを上げ、群衆からも歓声にも似た声が上がる。

「(こいつが……!)」

 登場しただけで場の空気を一変させる存在感。その場の全員が従い、大地が震え、周囲の温度が上がった気さえする。

 およそ人間に出せる威圧感ではない。

 それこそまさに神のような――。

 脱出組は軽く戦意を喪失したように、呆けた顔で修太郎を見上げていた。

 光の神が最も警戒する男。

 あれが、最強プレイヤー〝修太郎〟。

「どこの誰とも知らねぇガキがなんだ!」

 場の空気に耐えかねたか、致命的な失言をする脱出組。

「ここは僕のダンジョンなのに僕を知らないなんて面白いですね。どうやって入ってきたんでしょう?」

 修太郎は小さく笑いながら剣の柄頭を優しく撫でた。まさに蛇に睨まれたカエルのように、脱出組はその場から一歩も動けない。

 完全に見抜かれている。

 雷千はそう確信しつつも、おとなしく引き下がるわけにはいかなかった。この場所で天使を解放してもダンジョンコアにはまだかなりの距離がある。もっと近付く必要がある。しかし、目の前には敵の最大戦力がいる。

「う、うるさい! さっきから変な疑いばっかかけやがって! じゃあ出ていけばいいんだろ?! こっちから願い下げだこんな場所!」

 このまま注目されるのは悪手だと感じた者がそう声を荒げて主張するも、修太郎の目は脱出組を鋭く捉えて離さない。

「芝居はいらない。そちらにも言い分があるなら聞きます。なければこれで会話は終わりにしましょう」

 もはや言い逃れはできない。

 ならばと雷千は別の手段をとった。

「お前達、光の神に本当に勝てると思ってんのか?」

 脱出組の視線が雷千に集まる。

 誰も口にしないが、誰もが「それを言ったら……」と言いたげな顔をしているのが分かる。

「おいそれって……」

「そうだ。俺は光の神の使者だよ」

 あっけらかんとした様子で雷千は笑った。

 周りのプレイヤーが瞬時に武器を構えた。レジウリアの住民も「狂信者めこの国から出ていけ」と激昂。ショウキチは得意げな顔でケットルを見つめた。

「お前は冷静に考えてみろよ、俺たちが神に勝つ確率はいったいどのくらいだ? 相手はゲームのラスボスでも裏ボスでもない〝管理者〟だぞ? 外には使徒もいる、天使も! なら忠誠を誓って新しい世界で地位を得るほうがいいんじゃねぇか?」

 雷千の言葉に周囲が一気にざわついた。

 いくら修太郎が強いとしても相手は神でありシステムそのもの。一プレイヤーがどうこうできる相手なのか、戦いになるのかどうか疑問は残る。

 雷千はダンジョンコアを指差し続ける。

「あれを壊せば神の勝利に大きく近付く! 神は従順な者に権利を与えてくれる! いまこそその時じゃないのか?」

 これはただの布石。

 雷千の狙いは寝返りの陽動、そして混乱。

 いまは修太郎を信じていても、戦況が少しでも光の神に傾けば、協力者は雪崩のように流れ込んでくるだろう。

 プレイヤーとは、人間とはそういう生き物だから。

 修太郎は顔色ひとつ変えずに言う。

「光の神の言葉をなぜ信じられるんですか? 彼はデスゲーム(この世界)を作った張本人。彼がいなければ僕たちはこんな過酷な世界に閉じ込められることさえなかったんですよ」

「だーかーらぁ、神は選別してるんだろ?」

「そうですか。で、デスゲーム(この惨劇)を知るプレイヤーは彼の作る〝新しい世界〟に必要だと思いますか?」

「……」

 修太郎の言葉に口籠る雷千。

 答えは〝分からない〟

 信じて任務に協力した彼でさえ、本当に神が恩赦をくれるのかなど分からない。それでも全員死ぬくらいならと、わずかな望みに賭けた結果が今であった。

 しばらく沈黙したあと、雷千はフッと笑った。

「可能性の話をするなら、お前がこの危機を乗り切る可能性のほうがはるかに低いんだよ」

 そう言って自分の目玉に手を突っ込んだ。

 周りからは悲鳴が上がり、ブチブチと何かを引きちぎるような不快な音が響く。

「この中には大量の天使が入っている!」

 手の上に転がる眼球を掲げて叫んだ。

 眼球の中で無数の何かが蠢くのが見える。

「最終勧告だ。光の神に忠誠を誓わないなら天使がここを襲う。修太郎(コイツ)に縋ろうなんて考えるなよ? なんせここはコイツの腹の中、コイツはあのコアを必死で守らなきゃならねえんだからよ」

 修太郎は頼れず、魔王もいない。プレイヤー達は一瞬たじろぐも、すぐに覚悟を決めたような表情になった。

「舐めんじゃねえよ!!」

 誰かが叫ぶ。

「この子はな、俺たちのために危険を承知でこの場所を解放してくれたんだよ!」

「それだけじゃないわ! これまでもこの子は私たちのために戦ってきた! 神がなによ。私はこの子を信じるわ」

「恥を知れこの恩知らずが!!」

「出ていけ!!」

 非難の声を浴び、表情を曇らせる雷千。

 脱出組も居心地が悪そうに目線を泳がせる。

 ケットルは絶叫するように声を上げた。

「私たちはあんたらなんかに負けない」

 彼女は決意のこもった瞳を向ける。

 プレイヤー達の意志も固いように見えた。

「後悔するぞ」

 そう呟き、雷千は眼球を握りつぶした。



 眩い光がレジウリアを包み込んだ。

 その場にいた群衆は目を覆い悲鳴を上げる。

 修太郎は光の中から無数の人影が飛び出すのを感知しながら、剣を抜くことはせず静観していた。

「後悔してももう遅いからなぁ!」

 光の中で雷千の高笑いが響く。

 光が収まると、空を覆い尽くさんばかりの天使の群れが上空に漂っていた。天使のレベルは120。多勢に無勢だとプレイヤー達は戦慄する。対照的に、武器を取り臨戦体制を取るレジウリアの住民達、そしてショウキチとケットルも覚悟を決めたように武器を取っている。

「上出来ダ」

 声と共に地面から迫り出す形で使徒――αが現れた。紫の髪を靡かせ、傅くように膝をつきながら、階段上に立つ修太郎を見上げる。

「約束してくれ、新世界で俺に地位を与えると!」

「なによ自分だけ! 祈りをした我々全員ですよね!?」

 雷千をはじめ脱出組が醜く言い争う中、αは視線を修太郎から外さず、にこりと笑って見せた。

「ここがお前の楽園カ」

「良いところでしょう?」

「確かニ、美しイ……」

 レジウリアを見渡したのち、再び修太郎へと視線を戻す。

「世界が美しいことばかりなラ、こんな争いも起こらなかったはずなのニ」

「今からでも遅くないよ」

「それはできなイ」

 修太郎の言葉にαは小さく首を振る。

「私は神によって作らレ、神のために命を尽くス。それがたとえ不本意な戦いでモ……神の意思が私の意思ダ」

 そう呟くαの表情には迷いの色が見えた。

 しかしそれも一瞬、αは再び冷たい瞳を修太郎に向ける。

「戦いをやめることはできなイ、どちらかが滅びるまでハ――」

 立ち上がりながら剣を抜くα。

 修太郎は何かを悟ったように瞳を閉じる。

「今度は確実に殺してあげよウ」

「そうはならない。僕はもう二度と負けないから」

 胸に手を当て佇む修太郎。

 修太郎は未だ剣を抜こうとしていない。

 浮き足立つ脱出組が雄叫びと共に駆け出す中、修太郎は雷千に向け言った。

「考え直すつもりはないですか?」

「あるわけねぇだろ。今更命乞いしても遅ぇよ!」

「そっか――」 

 悲しげな、そしてなにかを諦めたような表情でそう呟く修太郎。雷千は身体中に鳥肌が立つのを感じた。あれは追い詰められた者の顔ではない。なにかもっと別の、全てを見限ったかのような……。

 修太郎は突き出すようにして手を挙げる。

「じゃあ侵入者にはまず〝玄関〟から入ってきてもらわなきゃだね」

 その言葉を合図に雷千、脱出組、そしてαや天使達の足元から淡い青色の魔法陣が浮かび上がる。なにかを察した雷千が遅れて武器を取るも、修太郎の〝転送〟のほうが早かった。

 視界が暗転し、明転する。

 キイィィィンという音と共に景色が変わり、周囲には荒れ果てた大地、そしてはるか遠くには大きな四角形を描いたインディゴブルーの城壁――レジウリアが見えた。

「大規模転送魔法……?」

 誰かがポツリとそう呟いた。

 雷千は心の中でそれを否定する。

「(いや、だとしても天使含めた全員を一瞬で指定し飛ばすなんて出来るわけがない。それこそ事前に分かってなきゃ……!)」

 そこまで考えた刹那、修太郎と遭遇した時のセリフがフラッシュバックする。

『〝やっぱり〟来たんだね』

 その発言の意味を雷千は今更ながら理解した。

「そうか。全部知ってたのか……」

 力が抜けたように膝を折る雷千。

 αは難しそうな顔で天を仰いだ。

「あれほどの規模の魔法をあの場で対応するのは無理があル。やはりウォルター卿カ……」

 味方であるはずの使徒の一人が脳裏をよぎる。思えば、都市の同時襲撃に完璧に対応して見せたのも、彼の協力があれば難しくない。つまり、作戦を立てた時点でウォルターに見抜かれていた。最初から失敗していたのだ。

 レジウリアから無数の光が煌めく。修太郎が対天使用に用意した地対空兵器が作動したのだ。それらはまるで暴風のように雷千達の上へと降り注いだ!

 被弾した天使の体は千切れ、粉々になり、消えていく。天使の装甲を撃ち抜くほどの威力――単純な砲撃ではなかった。この時のために用意したのだと雷千は直感的にそう感じた。

 つまり、完全なる作戦負けである。

 なおも激しさを増す砲撃の雨。脱出組はすでに戦意を失い、武器を捨てて逃げ出していた。

「はは。裏切り者の末路には相応し――」

 砲撃を浴びて消し飛ぶ雷千。

 逃げ惑う脱出組も瞬く間に爆散していく。

 次々に撃ち落とされる天使を見送りながら、それでもαは進軍を諦めなかった。剣で素振りするように空間を切り裂き、そこから新たな天使達が這い出すと、空へ飛んでいく。

「行きますヨ。作戦は変わらなイ。優位モ。コアを破壊すれば我々の勝利、この事実は揺るがなイ」

 双方の総力戦がはじまる。

 レジウリア防衛戦――開幕。





 レジウリアからの砲撃を浴び、紙屑のように散っていく天使達。それを見て歓喜の声を上げる群衆とは対照的に、浮かれない者達もいた。

「遠距離部隊は後方へ、手筈通りに!」

 プレイヤーの中でも特に戦闘経験に長けた数名は、東西南北に配置された隊長として軍をまとめ上げていた。

 綺麗に決まった先制攻撃。しかし、彼等はこれが開戦の狼煙に過ぎないことを理解していた――まだ何万にも及ぶ天使は健在だから。

「ねぇ」

「なによ、いま忙しいんだけど!」

「なんでマグが副隊長なわけ?」

 慌ただしくなっていく戦場で指示を飛ばすのは、西軍隊長を任されたキャンディ。そしてその側に立つのは副隊長のMagneマグネだ。

 キャンディは額の汗を拭いながら溜め息を吐く。

「んもぅ、今更ぁ? 私がビビッと来たから抜擢したって前にも言ったじゃない」

「曖昧すぎるでしょ。てゆーかマグって戦い素人だし、レベルまだそんなに高くないし、天使に捕まったら即死なんですけど?」

「馬鹿ねぇ、そんなのは誰でも一緒なの。だって相手は虫みたいにウジャウジャいるくせに全部レベル120よ? こっちのレベルが1でも100でも攻撃されれば等しく死ぬわ。だからいまは強さよりも頭のキレが必要なのよ」

 キャンディは教会で見せたマグネの胆力を買っていた。レベルも戦闘経験も中堅には程遠いほどのニュービーであるが、理屈ではない何かに引き寄せられたとキャンディはそう自己分析している。

「実際マグネさんは度胸あると思うよ。そういうのって案外鍛えられないし貴重だよ」

 そう言ってはにかむのは元黄昏のテリアだ。

「体が動かないと致命的よ! こんな大舞台任せられても堂々としてるし、すごいと思う」

「そうかな……」

 テリアの言葉にマグネは少し照れくさそうに鼻をかくと、ふと気付いたように尋ねた。

「体はもう平気なの? 戦えるの?」

「それはもちろん。足手纏いになるくらいなら最初からここには来てないわ」

 ハツラツとした笑顔を見せるテリア。マグネは「なら良かった」と言いながら、せっせと武器を配給する春カナタにも声をかける。

「アナタももう平気なの?」

「は、はい。ふ、粉骨砕身の気持ちで頑張ります!」

「そ。じゃあ一緒に頑張ろっか」

 マグネが二人を気遣ったのは、二人が〝復活組〟だと知っていたからである。

 死に戻った者達は復活組と呼ばれており、中には死の恐怖が消えず、戦闘どころか外にさえ出られなくなった者もいる。その点、大型ギルドの元幹部でもある二人が動けるのは大きな収穫であった。

「ご安心なさって。我々が全力でお守り致しますわ」

 そう言って双剣を掲げるのは半人半蛇(ラミア)の軍団長。上半身は強固な鎧に身を包み、蛇の下半身には金の装飾が輝いている。

「(この子達も皆レベル120なのよねぇ……修太郎ちゃんにはつくづく驚かされるわ……)」

 もし仮に、ここにいる総勢50名のラミア軍団がプレイヤー達に牙を向けば、全員で戦っても勝負になるかどうかさえ分からない。そんな巨大戦力をポンと配置する修太郎の度量と、ラミア軍団(彼女達)でさえレジウリア軍事力のほんの一部に過ぎないという事実に、キャンディは軽くめまいを起こす。

「いい、ダンジョンコアには決して近づけさせないこと。これが私達に与えられた唯一にして絶対厳守の作戦! 命がけで守り抜くわよ!」

 キャンディの檄に西軍から怒号のような雄叫びが上がる。天使達はまだはるか遠いが、砲撃を掻い潜って確実に近づいているのが分かる。運命の時が近づいているのを感じながらも、マグネは別のことを考えていた。

「(ガララスと最後に食べたの、なんだったっけ)」





 東軍も同じように臨戦体制をとっていた。

 東軍の隊長はガルボ、そして副隊長はgaga丸と紋章9番隊をそのまま頭に持ってきた軍隊である。構成員も元紋章のメンバーが多く、統率の取れた精鋭軍隊となっていた。

「世界が終わる日ってのは、こういう光景なのかもしれないねぇ。ヨハネの黙示録にある天の戦いってこんな感じじゃなかった?」

 はるか遠くに見える天使の軍団をボーッと眺めながら、gaga丸は乾いた笑みを漏らした。

 gaga丸の肩にポンと手が置かれる。

「となると我々は魔王サタンの軍団か?」

 嗜めるような口調でそう尋ねたのはガルボだった。

 gaga丸は肩をすくめてそれに答える。

「こっちの最大戦力が魔王とモンスターの軍団ッスからね。あながち間違いじゃないかも」

「ずいぶん悪意がある言い方だな。発言の意味を理解しているのか?」

「理解もなにも何がなんだか……だって世界の命運を握ってる中に、人間がいないんですよ? 蚊帳の外っていうか。死んで蘇ったかと思えば、ゲーム攻略とは全然違う方向に向かってるし、もう訳わかんねぇって……」

 gaga丸のように今の状況に置いていかれている人間も多い。ガルボは小さく首を振ってそれを否定した。

「我々が負ければ現実世界は〝光の神の世界〟になる。それを止めるため結束した我々に、人間もモンスターもないだろう」

 ガルボがそれを言い終わる前に、半人半鳥(ハーピィ)の軍団が東軍中央に降り立った。ハーピィは美しい女性の姿に頭部に生えた翼が特徴的で、正義感が強く|ハーピィ以外を見下している《一族至上主義である》。雷千達(裏切り者)が見つかるまでは空からパトロールをしていた。

 一人のハーピィが翼を羽ばたかせガルボを見下ろす。中でも彼女はひときわ美しく、豪華な鎧に身を包んでいた。

「隊長殿はそなたか?」

「ああ、東軍の援護に入ってくれると聞いている。よろしく頼むよ」

「援護? なにを言っておる、主攻は我々じゃ。隊長殿は適所で援護してくれればよい。それと、くれぐれも我々の邪魔はしないように。特に儂の翼を傷付けたら容赦はせん。忘れるでないぞ?」

 そう言い残し、フイとそっぽを向くように再び空へと飛び立つハーピィ軍団。その様子を誇らしげに見送る東軍のなか、gaga丸は彼女が小さくなるまで見惚れ続けていた。

「素敵だ……」

 惚けた様子でそう呟くgaga丸。

「……まぁ俺たちを殺したのもモンスターじゃなく人間でしたし、種族は違えど善悪は関係ないっすね。俺はとにかくハーピィの姐さんについて行くだけです」

「おい現金なやつだな。全く……」

 ため息を吐きながら、ガルボは再び天使達の方へと視線を向けるのであった。




 

 夥しい数の天使を前にたじろぐプレイヤー達。中にはじりじりと後退して今にも逃げ出しそうな者もいる。

「ここから逃げちゃだめ。だめって言わなきゃ瓦解しちゃう……」

 受付嬢のルミアはそう呟きながら複雑そうに唇を噛んだ。杖を持つ手が震える、足もだ。震える体を何度も叩き、溢れてくる涙を堪える。彼女自身、戦闘力など皆無であるが、もはやそんなことを言ってる余裕はない。一人でも多く、一秒でも長く、天使達の注意を引くこと。プレイヤー達にできることはそれだけだ。

 青かった空の色が、無数の白によって覆い尽くされていく。あの全てが天使――。

「(こわい……)」

 心の中で弱音を吐くルミア。

 誰かが逃げ出せば、それを合図に大勢逃げ出す可能性があった。それくらい目の前の光景は絶望的で、誰の目から見ても敵の戦力は圧倒的であった。

「導き手が必要か。ガラじゃないけど仕方ない……」

「?」

 隣にいた人物がそう呟き、歩み出す。

 俯いていたルミアが顔を上げると、じりじりと後退する彼等の前へ、南軍の隊長フラメが立ち塞がる姿が見えた。

「安全な場所はもうどこにもありません!」

 砲撃音に包まれる戦場に彼女の凛とした声が響く。

「この戦いで光の神が勝てば、我々は全員等しく〝終わり〟ですよ!?」

 引きこもりや戦闘力の乏しいプレイヤー達が「でも」とか「だって」と呟くも、フラメはいつものように寄り添わず、あえて強い口調で続けた。

「あなたに家族はいますか?」

 フラメの声に皆が口を閉ざす。

「大切な人は? 大事にしているもの、食べたい物、行きたい場所、なんでもいいです――負ければそれら全てが奪われます」

 各々が思い思いの目的を頭に浮かべ、複雑そうに俯いた。負ければ終わり、その言葉が彼等に重くのしかかる。

「私たちの大切なものを奪う権利なんて誰にもない。最初の侵攻のときも、PKが現れたときも、モンスターの大軍が押し寄せたときも、私達は大切なものを守るために戦った! 今回だって同じです! 今、私たちが戦わなければ誰が戦うんですか? 相手が天使だろうと、神だろうと関係ない。私たちはただ恐れて隠れるだけの存在じゃない!」

 彼女の言葉は重く、そして鋭く心に響いた。プレイヤーたちは顔を上げ、フラメの言葉に耳を傾ける。彼らの失われかけていた戦意が少しずつ蘇ってくるのをフラメは感じ取っていた。

 フラメは拳を握りしめ、空を指さした。

「天使は強いかもしれない。しかし、彼らは私たちの意志を理解していない。戦う力は数字で測れない! 私たちが守りたいもののために戦う意志、それが私たちを強くする!」

 プレイヤーたちの中には涙を拭う者もいた。背筋を伸ばし、立ち上がる者も増えてきた。

「家族のため、大切な人のため、失いたくない未来のため――私たちはこの戦場に立っている。それが意味するものを、彼らに思い知らせてやりましょう! 私たちの道は私たちが決める。そうでしょう?」

 フラメの声は力強く、希望に満ちていた。

 群衆達が求めていたもの――導き手がそこにいた。彼女の言葉に導かれるように、プレイヤーたちは戦う気持ちを取り戻していく。彼らの心に宿っていた不安や恐怖が、戦うための決意に変わっていく。

「私たちの未来のために!」

 そう言って彼女は武器を掲げた。

 群衆達は各々の武器を掲げ雄叫びを上げる。

 ビリビリと空気が震え、凄まじい熱気が戦場を駆け抜ける。さきほどまで怯えふためいていたプレイヤーたちが、闘志を漲らせ空を睨みつけている――軍が一つに纏まったのだ。

 ルミアの目には涙が溜まっていた。

 フラメの檄に感情が溢れて止まらない。

「ひいー緊張しちゃった」

 気の抜けたような声を出しながら、頬をパタパタと仰いで戻ってきたフラメ。ルミアは感動のあまり彼女の手を取り顔を近付け叫ぶ。

「素晴らしい声かけでした! ほんとに、ほんとに……!」

「う、うん! ありがとうルミアさん! ほら、ここにはワタルさんやマスターみたいに人の上に立つ〝支柱〟のような方がいないじゃない? だから形だけでも私がそれになろうかなと……かなり無理した、緊張した……」

「おかげで皆に闘志が戻ってきました! なかなかできないですよそんなこと!」

 フラメの檄に当てられたのはプレイヤーだけではなかった。

「こっちも勇気もらっちゃった。ありがと!」

 そう言ってはにかむのは、バートランドの妹ヴィヴィアンだ。エルフ軍の軍団長を務める彼女は、南軍に配属されていた。

「私にも守りたい場所、守りたい人がいる。元々負ける気はなかったけど、余計に負けられないって気持ちになっちゃった!」

 そう言って矢を番えた彼女は、天空に向かって引き絞り「んっ!」と声を上げ矢を放った。

 放たれた矢は風を巻き込むと、巨大な鳥のような形となり飛んでゆく――そして、はるか遠くの天使数十体を巻き込む暴風となり、うねりを上げて爆散した。

 どよめきの声が上がると、ヴィヴィアンは叫ぶように群衆を鼓舞した。

「地上最強の種族たるエルフもついている! 下を向くな、振り返るな! お前達の敵は前にいるぞ!」

 ヴィヴィアンの言葉を受け、群衆達は更に大きな雄叫びを上げた。もはや天使に怖気づく者はここにはいない。レベルの差があろうと、皆が〝戦う意志〟を持っていた。

「全部撃ち落としちゃったらごめんね」

 そう言ってウインクするヴィヴィアン。笑みを交わすフラメとルミア。一本の矢が天使の群れを吹き飛ばし、戦場の空気は一変した。恐怖に沈んでいた彼らの心は今や勝利を確信し燃え上がっていた。





「恐らく防衛ラインは突破されるでしょう」

 砲撃に散っていく天使達を見ながら、修太郎は静かにそう呟いた。

 ここは北軍の待機場所、隊長は修太郎だ。

「そうなのか? 見た感じだとさっきから全然近付けられてないように見えるけど」

「むしろ過剰攻撃すぎて増えるより減る数の方が多いような気が……」

 ショウキチは楽観的に答え、ケットルは相手に同情するような口調で答える。

「修太郎くんが言うなら、そうなるんでしょうね……」

 怯えた様子でそう呟くキョウコの手を、修太郎は微笑みながら優しく握った。

「でも大丈夫。勝算がなかったらここに招き入れてないよ。ここまでは作戦通りだもん」

 そう言って修太郎は空へと視線を向けた。

 ワタルからの情報で不審なプレイヤーがいることは分かっていた――つまり、今の状況は全て作戦どおりであった。

雷千達(彼等)に天使を呼ばせたのも、攻略組から注意を逸らすためだからいいんだ。全エリアの攻略は、向こうに準備時間を与えないための絶対条件だから」

 魔王達とレジウリアが両方勝利すれば、使徒と天使を失い光の神は丸腰になる。ヴォロデリアが抑えてくれている間、光の神が体勢を立て直す前に全てのエリア攻略が間に合えば、万全の状態で光の神との最終決戦に臨める。

 これが修太郎の狙う最高のシチュエーション。しかし、攻略組の生存率を上げるために、レジウリアはいま大変な危機を迎えている。

 不安そうに俯くキョウコ。

 それに気付いた修太郎は再びその手を優しく握った。

「怖い思いをさせてごめん。でも大丈夫〝情報を流した〟のはそのためだから」

「情報……!」

 なにかに勘づき顔を上げるキョウコ。

 ダンジョンコアを破壊すれば修太郎は死んでしまう――皆が共通認識として知っていたのはなぜだろうと、キョウコは疑問に思っていた。いつのまにか誰もが常識かのように知っていて、雷千達()に漏れたのも、誰かの会話を聞いたからだろうと思っていた。

 なら、この情報は誰が漏らしたのか?

 修太郎は優しく微笑んでいる。

「どうして……わざと?」

「皆が生き残る可能性を少しでも上げるため」

 修太郎は申し訳なさそうにそう答えた。

 現に雷千達はプレイヤーには目もくれず、ダンジョンコアに一直線だった。敵の狙いがコアに集中するということは、その分死者が減るということ。

「お前はなんでいつも……」

 ショックのあまり言葉を失うショウキチ。

 ケットルはポロポロと涙を流しながら叫ぶ。「なんで修太郎ばっかり……修太郎はいつだって誰かを救うために自分を犠牲にしてるのに、どうして……」

 どうしてそこまで他人のために命を張れるのか――周りで聞いていたプレイヤー達も、涙を浮かべているのが見える。

 修太郎の表情は実に穏やかだった。

「勝つためなら僕はなんでもする」

 はっきりとした口調でそう言い放つ修太郎。

 どうということではない、とでも言いたげな様子で続ける。

「単なる自己犠牲じゃないよ? 現にほら、向こうはダンジョンコアを破壊するためにかなりの戦力を費やしてる。ということは、その分他の場所が楽になるってことでしょ? なら、魔王達や攻略組の成功率が上がるよね」

 塔での特訓によって命の使い方を学んだ彼は、普通のプレイヤーとは根本的に考え方が異なっている。

 修太郎は自分の命の価値を知っている。

 故にそれを最大限利用したまでのこと。

 周りのプレイヤーは戦慄した――覚悟が違う。

「(この子は……いや、この人は本当に……)」

 キョウコは修太郎の考え方に驚愕していた。

 誰が見ても〝プレイヤー不利〟なこの状況を修太郎は〝好機〟だと捉えている。危機的状況にあるにも関わらず、攻めの一手を打ったのだ。

 自分の命さえ作戦成功のために利用するその胆力、「死ぬのが怖い」だのと怯える自分とは全く別の次元にいる、と。

「(きっと最初からこうじゃなかったはず……)」

 決してネガティブな感情ではなく、尊敬と畏怖からくる感想だった。ゲーム開始時の修太郎は、きっと純粋に世界を楽しみたい無邪気な子供だったに違いない。

 彼を変えたのはデスゲーム――つまり光の神だ。

 早くこの悪夢を終わらせたい、終わらせてあげたいと、キョウコは修太郎の手を強く握り返す。

「やり遂げよう、この作戦……!」

 顔付きの変わった彼女を見て、修太郎は嬉しそうにはにかみながら「必ず!」と、力強く答えた。

「絶対にあいつらの好きにはさせない!」「あなたには指一本触れさせないわ!」「俺たちだってやれることはある! 天使なんかに負けるかよ!」「全員倒して現実世界に戻るんだ!!」

 沸き立つ群衆達。

 修太郎の覚悟が、北軍に火を付けた。

「じゃあ俺達は配置にもどるぜ!」

「うん、くれぐれも気を付けてね!」

 ショウキチと修太郎は拳を合わせる。

「皆のことは私が守る。だから、修太郎は自分の戦いに集中してね」

 ケットルの言葉に修太郎は力強く頷いた。

 ショウキチ達が隊列に戻るなか、修太郎は再び遠くの空を見つめる。

「(問題はやっぱり彼か)」

 極めて順調に進んでいるように見える作戦だったが、唯一想定外だったのは天使の中にαがいたこと。レジウリアの魔導結界はセオドールの奥義:竜滅一閃(ドラゴンスレイブ)でも傷付けられないほど堅固に強化してある。しかし、αは以前のセオドールよりも格段に強い。

「こっちの決着もつけなきゃだね」

 そう呟きながら、修太郎はレジウリアの喧騒の中に消えた。





 天使の軍は、大きく数を減らしながらもレジウリアの城壁のすぐ近くまで進軍していた。

「やはリ、戦争は数がものを言うナ」

 そう呟きながら突撃を指示するα。

 ダンジョンコア目指して突っ込む天使達が紫色の膜に接触した刹那、バヂヂッという音と共に跡形もなく焼け去った。ここには国をドーム状に囲う形で魔導結界が存在している。

 後続の天使達は様子を見るように滞空し、砲撃によって撃ち落とされてゆく。

「強力な盾だガ、まだ甘イ……」

 そう言いながら手に持つ光の剣を消し、ざり……と足を強く踏み締め構えを取る。

 αの体がみるみるうちに紫の竜へと変貌していく。その口内から光が溢れ出し、まるで内側から炎が燃え上がるかのように空気が震える。

「『輝閃砲(きせんほう)』」

 αがその名を呟いた刹那、喉元に蓄積された光が一気に放出された。光の奔流は鋭く、まるで天を断つような閃光を帯びて魔導結界へ直撃する。

 ズガァァァン――ッ!

 凄まじい光線が結界とぶつかり、同時に凍りついたような静寂が一瞬訪れる。そして、結界全体に紫の斬撃痕のような線が走り、ピシピシと蜘蛛の巣状にひび割れていく。

「さア、終わらせに行こうカ」

 αの冷徹な声が響いた直後――結界は音を立てて粉々に砕け散った。その破片は輝く光の粒となり、虚空に吸い込まれるように消えていく。

 ついに天使達がレジウリアに侵入すると、怒号と共に激しい戦いが始まった。αの体が元に戻ってゆき、そのままゆっくりと歩き出す。

「この美しい世界を壊すのは心苦しいが仕方なイ、これが私の使命……」

 悠然と階段を登ってゆくα。

 周りにいたプレイヤーがそれに気付くと、一斉に彼を取り囲んだ。

「いたぞっ! あれ? こいつ敵だよな?」

「?」

 aは一見してプレイヤーとほとんど変わらない見た目をしている。敵は天使だと聞いていたし、半人半獣(レジウリアの民)に見慣れたこともあり、右往左往するプレイヤー達。

「多分?」

「でも攻撃してこないな……」

「おいっお前! 名を名乗れ!」

 実力者なら見ただけでも卒倒するほどのオーラを放つα。彼等がなんともないのは、戦闘経験の乏しさが功を奏したといえる。

『人間は邪悪な下等種族です』

 かつての光の神の言葉が脳内に蘇る。

「(これガ、人間……)」

 αはプレイヤー達をまじまじと観察した。

 彼らは敵であり、神が「邪悪な下等種族」だと憎んでいる存在。しかし、その姿は見聞きしていたものとは違い、無邪気でどこか素朴な存在に見えた。

「(雷千なる者たちはそうではなかったガ……)」

 他の人間を裏切り、神に忠誠を誓った者達。

 彼等は神の言う〝邪悪〟に当て嵌まるか?

 答えは、わからない。

 なぜなら彼等にも守りたい何かがあったから。彼等がその行動を選択したのは、果たして自分の意思だったのだろうか。

「(彼はどうだっただろウ)」

 αが初めて会った人間である修太郎にも邪悪さは感じられなかった。それは、α自身が〝人間のように育てられた存在〟であり、本人自身も使徒と人間の狭間で揺れ動いているからかもしれない。

「お前、俺たちに敵意があるか?」

 一人が一歩前に出て問いかける。

 αはしばらく沈黙したまま、その質問に答えるべきか迷った。神の命令に従うべきだという思いと、目の前の人間たちが悪意を持っていないように見える現実。揺れる感情がαの胸に広がる。

「敵意はなイ」

 口から出たのはそんな言葉だった。〝蹂躙〟ではなく〝対話〟を選んだ自分に驚くα。プレイヤー達はあからさまにホッとした顔になる。

「そっか、じゃあ同士じゃん! お前も大事なものを守るために戦ってるんだろ!?」

 調子者の男が親指を立てて笑顔を見せた。

 ここは南側の階段であり、フラメの鼓舞がそのまま彼等のスローガンになっていた。

「それフラメさんのパクりじゃん」

「ダメか!? お前だって大事なものを守るために戦ってるんだろ!?」

「はいはい分かった分かった」

 などと言い合う二人の会話は、もうαには届いていない。彼は光の神からの言葉を思い返していた。

『人間は邪悪だ』

 しかし、その言葉とは裏腹に目の前にいる人間たちからその邪悪さは感じられない。むしろ純粋で、何かを守ろうと必死だった。

「守る……カ」

 αは自分の剣を一度見つめ直した。この剣は破壊のためのもの。だが、人間たちの言葉には、別の道があるのではないかと思わせる何かがある。

「(大切なもののたメ……)」

 αにとってそれは神を指している。

 今まで人間は忌むべき存在だと教え育てられてきた彼は、聞いていた印象と随分違うことに動揺を隠しきれずにいた。自分が神のために戦うのと同じくらいの理由で、彼等はここに立っている。そこに種の差があるのかと。

「(ウォルター卿の裏切りも情状酌量の余地ありカ)」

 αの心の中に、光の神の絶対的な支配と、今ここで向き合っている人間たちの純粋な想いがせめぎ合う。自分は使徒であり、命令に逆らえない存在。彼にとってはその命令〝だけ〟が正解で、逆らおうとさえ思わなかった。しかし、初めて自分の中に芽生えた微かな感情が心を揺るがせていた。

「ッ! おい! 天使が来たぞ!!」

 ハッと我に返るプレイヤー達。

 見れば一体の天使がすぐ目前まで迫ってきていた。

「うわああああ!!」

「う、嘘だろ!? こ、ここ、こうげ……!」

 圧倒的な存在を前に、武器を取るよりも先、条件反射的に身を屈めて固まった彼等を誰が責められるだろうか。

 光の剣を振りかざす天使――の体がズレた。

「へ?」

 気の抜けたような声が漏れ、固まっていたプレイヤー達の視線がαへと向けられた。αは振り抜いた剣をヒュンと払うと、冷たい瞳で彼等を見下ろす。

「私は光の神の使徒α。死にたくなければ去レ」

「え? 使徒って……」

 信じられないものを見るように固まるプレイヤー達。

 時代が違えば、立場が違えばもっと互いを知る時間があったのではないかと自問自答しながら、それでもαは使徒であることを貫いた。

「二度も言わせる気カ?」

 明確な殺意を向けられ、今度こそ危機感を覚えたプレイヤー達は、何度も転びながら喧騒の中へと走り去っていった。

「……」

 彼等を無言で見送り、階段を登ってゆく。

 αは味方であるはずの天使を罰し、敵であるはずの人間を生かした自分の行動が理解できずにいた。この矛盾した感情を誰か説明してくれと、答えが欲しいとαは切に願い――そして階段の先、前方に立つ好敵手を見つけた。

「また会えたナ〝答えを知る者〟ヨ」

 そう言ってαは剣先を修太郎へと向ける。

 修太郎もそれに応じる形で剣を引き抜く。

「どうして天使を倒したの?」

 見られていたのか、と、αは自分の軽率な行動を呪った。

「お前には関係のないことダ」

「関係ならあるよ。もしキミが光の神に疑問を抱いているなら、この戦い全てが無意味になるからね。無駄に血を流す必要はないもの」

 修太郎の疑問にαは表情を曇らせながら答える。

「私を侮辱するカ? 神の意思に疑問など抱いたことはなイ。命令されれば自死をも厭わなイ」

「ならどうして?」

「それハ……私にも分からなイ」

 人と使徒の間で揺れ動くα。

 修太郎も彼の矛盾や不安定さに気付きはじめていた。

〝お前も大事な人を守るために戦ってるんだろ?〟

「あなたも大切なモノを守るために戦っていますカ?」

 αの瞳は微かに揺れていた。

 修太郎はその問いに一瞬驚いた様子を見せたが、すぐに微笑んで答える。

「もちろんだよ。大切な人たちを守るためにね」と言いながら「でも、それだけじゃない」と続ける。

「僕が戦うのは、自分がそうすべきだと思ったから。自分が選んだ道だからだ。誰かに言われたからじゃない。自分で決めて、ここに立っているんだ」

 その言葉がαの心の中に深く刺さった。

 自分が戦っているのは神の命令だからで、自分の意思ではない。自分は、自分の意思に従ったことが、かつてあっただろうか? と。

「……それが人間なのカ?」

 αは呟くように問いかけた。

「そうだよ」

 修太郎はきっぱりと答える。

「僕たち人間は自分で考えて、自分の意思で戦うんだ」

 その言葉に、αの心はさらに揺れ動いた。

 神の命令は絶対であり、自分はそれに従うために存在している。だが、目の前にいる修太郎の姿は、また別の真実を見せつけているかのようだった。

『お前を人間だと思って育てます。お前が生かすべき人間のモデルとして育つようなら、私は考え方を改めるかもしれません』

 かつての神の言葉が頭の中でこだまする。

 修太郎は少し悲しげにαを見つめた。

「君の中に何か迷いがあるように見えるよ。自分で考えることを許されていないのかもしれないけれど、もしそうならなら対話する余地すらないはず。自分が少しずつ変わってることに気付いてる?」

 その言葉にαの心が一瞬ざわめく。

 修太郎はさらに続ける。

「どうか退いて。まだ間に合うよ」

「黙レ!!!!」

 心のモヤを振り払うように、αは強く地面を蹴り、修太郎との距離を一気に詰めた!

「私には使命が全てダ!」

 二人の剣が交錯し、鋭い金属音が響き渡る。

「話し合いで終われば助かる命がある! どちらかが燃え尽きるだけが戦いじゃない!」

 剣を受けながら説得する修太郎。

「うるさイ!」

 αは怒りと共に、さらに一撃を繰り出す。

 自分は何のために戦っているのか? 

 本当に神の命令だけがすべてなのか?

 頭の中でその問いばかりがこだまする。

〝お前も大事な人を守るために戦ってるんだろ?〟

「そうダ……」

 自分に言い聞かせるように呟くα。

 人間が悪か、否かはもはや関係ない。

 自分は神を守るために戦っている。

 だから自分の正義を信じて剣を振るえばいい。

「私は神の(つるぎ)ダ」

 鍔迫り合いから大きく距離を取り、修太郎に剣先を向ける。


「……私は、使徒だ」


 αは最後にそう言って、再び剣を構えた。迷いを断ち切るように。

 相手が覚悟を決めたことに気付いた修太郎は、懐柔という選択肢を放棄した。もう彼は〝揺らがないだろう〟と。

「そっか。なら……終わりにしよう、α」

 修太郎は悲しげに剣を構え、そう呟いた。

「初戦はうまく逃げられましたガ、二度目はありませんヨ」

「もちろん、二度目はないよ」

 互いの闘気とも呼べるオーラがぶつかり合うと、周囲の空気は一変した。前回よりもはるかに強くなっている修太郎を見て、αは小さくほくそ笑んだ。





 天使の侵入を許して約10分が経過した。

 αとの一騎打ちのため修太郎は離脱を余儀なくされたが、それでもなお、レジウリアの戦力は完璧と言えるほどに整っていた。

『天使ってこんなに脆いのか。拍子抜けだね』

『気を抜くなよ。飛んでるやつは全部燃やし尽くさなきゃだめだ』

 陽神竜カムイと陰神竜セムイは、侵入した天使を全て燃やす勢いで灼熱の炎を浴びせていた。現に、天使の約6割近くは彼等によって焼き殺されていた。

 それだけではない――

「次! 南に23!」

 空はハーピィの軍団やドラゴンの群れが天使達を蹂躙し、町中からは牛頭鬼や獅子が巨大な岩を投擲し撃ち落としていく。さらにはエルフ族の弓矢や、パペットウィッチ達の大魔法によって、天使はダンジョンコアに近づく事さえできずにいた。

 地上では鎖に縛られた天使を鋭い刃が貫いた。

「『トライ・ドライヴ』」

 ショウキチの素早い連撃が鮮やかに決まる。鎖を維持するキョウコの後方、莫大な魔力を込め浮き上がるケットルの目がカッと開かれた。

「『紅蓮弾』!」

 地獄の業火に焼かれ悲痛な叫びをあげる天使。ケットルは「羽根の一本すら残してあげない!」と、凄まじい気迫で炎を維持し続けている。

「俺たちも手伝うぜ」

「火力には自信があるよ!」

 レジウリアの住民である火炎龍(サラマンダー)と不死鳥が加勢し、天使のLPはみるみるうちに減ってゆく――そして……!

 パリンという音と共に天使の体が砕け散る。

 レベルアップを告げる音、ケットルは放心状態でその場にへたり込む。

「うおおおお倒したーーー!」

「やりましたね! リベンジ成功です!」

 ケットルの元へ駆け寄ってくる二人。かつて一人の天使によって全滅させられた過去を持つ彼等にとって、天使の撃破には大きな意味を持っていた。

「やった……よかったよお……!」

 涙を浮かべるケットルと熱い抱擁を交わす二人。そこへノソノソとやって来たサラマンダーが声を掛ける。

「お前ら呑気だな。天使なんて無限にいるんだ、いちいち喜んでるヒマねーぞ」

「おいそんな言い方ないだろ? ごめんねお嬢さんたち、コイツ口悪くてさ」

 サラマンダーの悪態をフォローする不死鳥というなんとも奇妙な光景。しかしケットル達もまた、こんな所で喜んでられないと自覚し、陣形を整え別の敵へと向かっていった。

 カムイセムイの圧倒的な制圧力。

 レジウリア民の完璧な連携。

 そしてプレイヤーの奮闘。

 その全てが見事にハマった結果、天使達は未だ中段にさえ辿り着けずその数を減らしていった。完全にプレイヤー側の優勢、かに思われた――

「なんだありゃ……」

「分離?」

 プレイヤー達が見つめる先、はるか上空に広がる異変。自らの翼から羽根を落とし、地上に降り立つ天使達。問題はその羽根の行方だ。羽根は一枚一枚が天使の形となり、巨大化する事でオリジナルと同じ大きさまで成長していく。

 増殖――。

「あんだけ密集してたら当たるかな?」

 と、一人が空に向かって矢を放つ。

「おいレベル8(お前)の攻撃が当たった所で……」と、見守る仲間が見た光景、それは、矢が着弾し塵となり消えてく天使の姿であった。

「増殖した天使は防御力が0?」

 報告を受けた種子田は、額の汗を拭い小さく笑った。

「てことは経験値稼ぎ放題じゃないの」

「確かに……倒したレベル8の子は一気にレベル40まで上がったそうだね。でもまだあれが何を意味する分身なのか全く分からないし……」

 まごまごする種子田に対し、ふくよかな女性――リヴィルは勝ち誇った様子で声を上げる。

「ならチャンスじゃない! 今のうちにレベル上げて自衛のために備えなきゃ!」

 かつて修太郎が召喚士を学ぶために組んだパーティのメンバーが彼等である。その中でもリヴィルは、召喚獣アイアンに非道な扱いを行い殺された過去があるが、本人が改心しているかは疑問が残る。

「一旦様子を――」

「めんどくさいわね。もういいわ!」

「あ、ちょっと!」

 種子田の制止も聞かず、リヴィルは物陰から飛び出し、空に向けて魔法を放つ。天使の分身はそれを軽々と避け、無視する形でコアの方へと飛んでいく。

「本当にこっちには無関心みたいね。まあいいわ、適当に撃ってても反撃はないってことだし」

 などと構わず撃ち続けるリヴィルは、地上から迫る天使に気付かない。天使はリヴィルを狙って凄まじい速度で駆けてくる。

「き、来てるぞ!」

 種子田の絶叫が響く。

 遅れて気付いたリヴィルも叫んだ。

「な、なによ! ど、どうするの?!」

「撃って撃って!」

「そんなの間に合わないわよ!」

 迫り来る天使の光の刃!

 その刹那――リヴィルと種子田が目にしたのは、剣を受け止める巨大な騎士の姿だった。

 ギィン! と甲高い金属音が空気を切り裂く。続いて、凄まじい破壊音と共に、騎士は盾で天使を押しつぶした。

「へ?」

 腰を抜かしながらその光景を見つめるリヴィル。すると天使は砕け跡形もなく消え去り、その場に残されたのは二人と騎士だけになった。

「あり、がとう、ございます?」

 種子田が恐る恐る感謝を述べる。その声は、まるで驚きに呑まれたかのようにか細い。

 一方、リヴィルは目を見開いたまま動けず、口をパクパクさせていた。まるで状況を理解できていないように。

 騎士は無言で二人を一瞥すると、再びどこかへ向かって歩き出した。その背中を見つめ続けるリヴィルは、呆然としたまま小さく呟く。「……アイアン?」



 


 天使が分身体を作った理由は〝目的のための最適化〟であることが明らかになった。何体目かの天使を倒した後、マグネがそれに気づいたのだ。

「見たところ耐久値だけが下がってるね」

 何度かの検証の結果、分身体の天使は攻撃力やスピードこそオリジナルと遜色ないものの、耐久値は最弱モブのナット・ラット程度しかないことが判明した。つまり、ダンジョンコアの破壊を目的とした使い捨ての存在だという結論に至る。

「まあ、倒せば経験値が入るし、紙装甲のおかげでプレイヤーも対処しやすくなったわけだし、結果オーライかしら」

「……でも、どう見てもコアに〝だけ〟向かって特攻してない?」

 マグネの指摘通り、分身体の天使たちはプレイヤー達からの攻撃を一切無視し、一直線にコアを目指して突進している。その様子はまさに〝特攻〟だ。これは以前には見られなかった動きであった。さらに、地上に落ちたオリジナルの天使が遠距離部隊を狙って暴れ回り、戦況は急激に悪化していた。

「なんかどんどん増えていない?」

「このままだとまずいかも!」

 冷静なマグネに対して、慌てるテリア。その声にかぶせるようにキャンディが叫ぶ。

「地上の天使は近距離部隊に任せて、遠距離部隊は上空の分身体を狙いなさい! 急ぐわよ!」

 キャンディの指示で西軍は移動を始める。鋼と魔法が交錯し、空では爆発が繰り返されるが、分身体の群れはそれを全く意に介さずコアへと向かっていく。

「(速すぎて双竜たちが捉えきれてない……!)」

 不安げに空を見上げるマグネ。

 カムイセムイの炎を掻い潜り、コアの近くまで飛んでくる天使も現れ始めていた。ハーピィをはじめとする空の軍が必死に対応しているが、天使の数があまりに多すぎるのだ。

 ダンジョンコアの破壊――ガララスの死を連想し、すぐに首を振った。

「(死んでも死なないのがキミだよね)」

 そう自分に言い聞かせるように走る。

「我々は敵が多い場所の加勢に向かいますわ」

 ラミアの軍団長が短くそう言った。

 ラミア軍が動きを止める。

「……いいの?」

 春カナタの問いには〝修太郎の近くで戦わなくてもいいのか?〟という意味が含まれていたが、ラミアはそれを察した上で首を横に振った。

「主様のもとへ馳せ参じたい気持ちは皆同じ、でもそれでは戦に勝てませぬ。我々は主様を信じ、できることをやる。それだけですわ」

 そう言ってラミア軍は地上の天使に向かって動き出した。主君を信じ、それぞれの役割を果たすために――。

 その後ろ姿を見送りながら、キャンディ達は階段の上へと駆けた。しかし、戦況は悪化の一途を辿る一方だ。

「もっとありったけ攻撃を浴びせろ!!」

「今やってる!!」

「くそっ! 動きが早すぎる……!」

「地上天使二体! こっち来てる!!」

 方々から怒号が飛び交い、戦場全体が混乱に包まれていく。

「だめ、数が多すぎる……!」

 キャンディが絶望に打ちひしがれたその瞬間だった――


「『反重力の空間グラビティレイド』」


 幼いながらも凛とした声が戦場に響き渡る。

 分身体の天使たちの動きが止まり、その翼は無力に宙を漕いでいる。誰かの魔法であることは間違いないが、驚くべきはその規模であった。

「こ、これは……!」

「なんて規模の魔法……!」

 動きを止めたのは空にいる〝全ての分身体〟その驚異的な魔法の規模に、キャンディとテリアは呆然とする。

「綺麗……」

 春カナタは、αと剣を交えながら、左腕を空に向けて魔法を発動させているその〝術者〟――修太郎に目を奪われていた。

「広がれ――」

 修太郎から放たれた魔力は、螺旋状に上空へと広がり、分身体を囲む。無数の光の糸が蜘蛛の巣のように天使たちを絡め取り、その動きを完全に封じた。

「『天界封滅ファイナルヘヴン』」

 その言葉が発せられると同時に、光の糸は一斉に収縮を始め、分身体たちは抵抗する間もなく、光の刃に貫かれて粉砕された。砕けた羽根が宙に舞い、光となって消えていく。

 瞬間、戦場に静寂が訪れた。

 天使たちの断末魔は空間に吸い込まれ、虚無に消え去った。

 魔法の余韻が戦場を包む。

 ――そして遅れて巻き起こる大歓声。

「やったぞおおお!!」「これでもう上は問題ないね!」「残りの天使全部倒すぞ!!」

 空の天使――壊滅。

 もはや天使の脅威は取り除かれたようなもの。地上に残る天使も残りわずかであり、それらも主にレジウリア民が狩り尽くしている状況であった。

「全く……片手間で分身体を全滅させるなんて、どこまで凄い子なの……!」

 誰もが手を焼いていた分身体の天使たちを、修太郎は片手間で殲滅してみせた。その圧倒的な力に、この場にいた誰もが己の力の小ささを再認識するが、腐る者は一人としていなかった。それどころか、修太郎の背中を見て、彼らの闘志はさらに燃え上がっていた。

 群衆の視線は自然と修太郎とαに向かう。

 二人の攻防は激しさを増していく。

「向こうに構う暇があるとは余裕だナ」

「余裕がないから先手を打ったんだ」

 αの剣が赤い稲妻のようなオーラを纏った。

 αは地面を強く蹴り、修太郎に突進する。足元の地面が爆ぜ、粉塵が舞う。

「『ルクス・テンペスト』!」

 剣から放たれた一閃が、空間を切り裂き、雷鳴のような轟音とともに修太郎に襲いかかる。修太郎は剣を横に構え防御の態勢に入る。剣同士がぶつかり合い、周囲に閃光が飛び散った。

「防御不可の剣はいつ使うの?」

「……!」

 修太郎の挑発的な言葉に一瞬固まるα。

 修太郎は勢いを利用して後方に飛び退くと、着地の瞬間、剣が燃え上がるように赤い光を帯びてゆく。

「『紅蓮牙』!」

 燃えさかる刃が唸りを上げαに向かって突き進む。咄嗟に回避しようとするも刃は肩を掠めた。αは苦悶の表情を浮かべながらもすぐに反撃に転じ、背後に跳躍しながら手を空に掲げる。周囲に光の波動が生まれ、次第に一つの巨大な刃へと形を成した。

「『終焉の刃』!」

 死神の鎌のような白い刃が修太郎を目掛けて降り注ぐ。修太郎はその場から飛びのき、空中で回転しながら剣を両手に握り、闇属性魔法を纏わせる。

「『天衝黒刃』!」

 剣が空を切り裂き、闇の刃が光の刃と交差する。光と闇のぶつかり合いが波動のように周囲を破壊し、建物が音を立てて崩れてゆく。

 二人の戦いは目で追うことすら困難な領域まできていた。加勢するために来ていたレジウリアの民はそのまま天使の残党処理へと向かった。

「(私はこの男を侮っていタ)」

 打ち合いの中、αの胸中に芽生えた感情――それは、修太郎への賞賛と後悔だった。

「(私を確認した時点で魔王達(イレギュラー)を呼び返すものだとばかり思っていタ。この男はイレギュラーの枷に過ぎズ、実力は劣ると思っていタ。前回の戦いでは確かにそうだっタ……だが、今はまるで違ウ)」

 αの固有スキル「不可避の剣」は、防御不能の特性を持つゲーム内でも最強とされるスキルの一つ――だが、その力は自分以上の実力者には通じない。

「(先ほどの大魔法で確信しタ。修太郎はまだ全力すら出していなイ……)」

 αは、その剣がまったく届かないことを既に理解していた。そして、それが意味することも。

「これ以上戦う意味はなイ」

 まるで電池が切れたかのように、攻撃の手を止めるα。光の剣を霧散させ、全てを受け入れたような表情を修太郎に向けた。

 修太郎もすでにその変化に気づいていた。彼は剣を構えたまま深く息を吐くと、静かに問う。

「降伏を受け入れてくれるかな」

「……あア。受け入れル」

 αが指を鳴らすと、残されていた天使達が塵となり消えていく。レジウリアにいた敵勢力は0となり、この時点でレジウリア防衛戦の勝利が確定した。

「か、勝ったーー!!!!」

「うおおおおお守り切ったぞおおお!!!」

「助かったんだ!!! やったぞ!!!」

 見守る群衆達が喜びを爆発させ、レジウリアに大歓声が湧き起こる。

「私は勝者に従ウ。自害を命じるならそうしよウ」

「そんなことは頼まないよ」

 歓声を遠くに感じながら、修太郎は寂しそうな口調で続ける。

「光の神が抱えている人間への憎しみ、それを理解できないわけじゃない。彼を苦しめた人間は確かに過ちを犯してきた。でも、だからといって今進んでいる道が正しいとは限らないよ」

 αはその言葉を黙って聞いている。

 修太郎の声には、これまでのどの言葉とも異なる力強さがあった。

「光の神は使命に縛られ、復讐心に囚われてる。だけど、それを断ち切ることだってできるはずだよ。力は支配のためじゃない、共存のために使うものだから」

 反射的に、周りを見渡すα。

 そこには人間から獣まで多種多様な種族がいて、これこそ正に自分たちが〝目指すべき世界〟だったのではないかと強く感じていた。

 修太郎は一歩前に進み、続ける。

「君は僕らに対して最初に〝対話〟を選んだ。その知性と理性があるからこそ、破壊だけじゃない選択肢が生まれるんだと僕は思う。僕たち人間も、君たちも共に学び合い、理解し合うことができる。それが本当の自由であり、目指すべき未来なんじゃないかな」

「……」

 αは長い間、言葉を発しなかった。内心で葛藤が渦巻いていた。彼の中で何かが崩れ去り、同時に新たな何かが芽生え始めていた。

「最後に戦った相手が修太郎でよかっタ」

 αが小さく呟いた。

 しかしその表情は曇ったままだ。

「たダ、神は人間を許さないだろウ……」

 その言葉に修太郎は優しく微笑む。

「許さなくてもいい。許せなくて当然だと思う。ただ、新しい選択肢を試してみてほしいんだ。君にはその権利がある。復讐だけが未来じゃない、それ以外の道もきっと見つけられる」

 修太郎はαを見つめた。その眼には、戦いの最中には見られなかった希望の色があった。

「私ハ……私自身ガ、その選択肢を試す価値があるのカ、まだ推し量れていなイ。分からなイ」

「それでいいよ。誰もが最初から正しい道を知っているわけじゃない。だからこそ、僕達は道を教え合うことで共に前へ進んでいけるんだよ」

 αは少しだけ言い淀み、か細い声で続けた。

「そしたラ……私もここに住むことができるカ?」

 修太郎は予期せぬ提案に一瞬「えっ」と声を上げるが、すぐに満面の笑顔を見せた。

「もちろん大歓迎だよ!」

「そうカ……」

 αは微かに頷き、嬉しそうに修太郎の言葉を心の中で復唱した。静寂が二人を包み、決して簡単ではない新たな道が見え始めた瞬間だった。





「修太郎の言葉を神に伝えようと思っていル。他の使徒達も集メ、新しい未来についての意見も募ろうと思ウ」

 αはまるで憑き物が落ちたかのように穏やかな表情で語った。戦争に参加していた者たちも二人の会話に耳を傾けていた。

「……」

 修太郎は、胸の奥に小さな不安を抱いていた。果たして、光の神がαの提案を受け入れるだろうかと。修太郎の心配が伝わったのか、αは目を伏せながら小さく笑った。

「言いたいことは分かっていル。しかし修太郎も言っていただろウ? 対話をしなければ伝わらなイ。道を教え合えば共に前へ進んでいけるト」

 αの意思は固いように思えた。

「うん、そうだね……!」

 修太郎は、不安を押し隠しながら笑顔を作り、小さく頷いた。作戦の失敗はおそらく光の神にとっても想定外であり、今後はこのように強引に事を進めることが難しくなってくると予想していた。光の神が新たな策を講じてくるのは間違いない。ただ、αの意見がその時通ればあるいは――と希望を抱く修太郎。

 ふいに、αは何かを取り出して修太郎に差し出した。それは、小さな種のようなものだった。

「それを飲み込んでおくといイ」

「これは?」

「私にはもう必要なくなったものダ。安心しロ、悪いものではなイ。将来必ず役に立つ時がくル」

「そっか。わかった!」

 修太郎は、特に迷うことなく種を手に取り、ひと息で飲み込んだ。αはその姿に少し驚く様子を見せた後、また小さく微笑んだ。

「豪胆と言うべきか不用心と言うべきカ……信用されるということハ、気持ちがいいものだナ」

 αにとって、それは初めての感覚だった。神からの命令はいつも一方的で、どれだけ忠実に従おうとそれは〝義務〟であり〝当然〟であり信頼からくるものではない。しかし、修太郎に対等に認められたことで、彼はこれまで味わったことのない心地よさを感じていた。

「じゃあ達者でナ」

「うん。そっちもね」

 αから強い覚悟を感じながら、二人は固い握手を交わす。修太郎はαから、αは修太郎からそれぞれの意思を受け取りゆっくりと手を離す。

 名残惜しそうにする修太郎とは対照的に、αの意識はもう別の場所を向いていた。αが剣を振るうと、まるでチャックを開けるように空間が口を開いた。

 αが空間の奥へと一歩踏み出し振り返る。

「それでハ――お別れダ」

 その言葉を合図に、空間の裂け目が消えた。

 修太郎は深いため息を吐き、へたり込んだ。

「修太郎! 大丈夫か!?」

「修太郎君!」

 駆け寄ってくるショウキチ達に、修太郎は地面に大の字になりながらだらしない笑みを浮かべた。

「なんとかなったぁー」

 修太郎とて全能ではない。やれる限りの対策は行ったつもりではいたが、αの登場によって全てが狂ったのは事実。蓋を開ければ負傷者こそ出たものの死者は0人。もちろんそれは、プレイヤー達の連携やレジウリア民の活躍に寄るところが大きい。

「皆ありがとう。それとごめんなさい、勝手に元凶を逃しちゃった」

「なに言ってんだよ、さっきのやり取り聞いてたら責めるやつなんていねーよ!」

 ショウキチの言葉に周りの面々も頷いている。

「ただ捕まえて倒すよりも有益なのは間違いないです。信じましょう」

 フラメの言葉に修太郎も「よかった」とホッと胸を撫で下ろした。敵を逃すのはリスクはあるが、光の神へ別角度からのアプローチになるかもしれないとフラメはそう考えていた。

 修太郎の投じた石はどのような結果を生むのだろうか――。



3



 六天魔王バートランド[玉座の守護者]

 Lv.200[上限:200] 



「強くなったね……でも、バートはやっぱりバートだね」

 ハトアは仰向けに倒れ込み、微笑んでいた。

 彼女の槍は遥か彼方に転がり、バートランドの槍が、彼女の顔のすぐ横に深く突き刺さっている。

 バートランドは戦う意思を失ったハトアから視線を逸らし、胸の中で何かが引き裂かれるような感覚に耐えながら深く息を吐いた。

 たまらず苦笑を浮かべるハトア。

「その甘さ……命取りになるんじゃない?」

 挑発ではなく、まるで昔の彼に語りかけるような優しい問いかけ。バートランドは目を細め、苛立ちと苦悩が混じった声で答える。

「うるせェな。甘いのは俺が一番よく分かってるさ」

 光の神の呪いから解放され――彼の前に横たわる彼女は、かつて彼が愛したハトア姫そのものだった。そんな彼女を前に、彼が迷うのを誰が責められようか。

「最後に煙草を吸わせてくれる?」

 その問いに、バートランドは顔を伏せて応えた。

「……分かった」

 彼は吸っていた煙草を彼女に手渡す。

 ハトアは煙草を受け取り、深く吸い込んだ。白い煙が彼女の唇からゆっくりと立ち上る。バートランドはその姿を寂しげな眼差しで見つめていた。彼女の表情はまるで、長い旅路を終え、ついに安息を見つけたかのように穏やかだった。

「やっぱり、いいね」

 彼女の無邪気さが、一瞬だけ過去の姿を垣間見せた。それは彼女がかつて持っていた、純粋で、無垢な笑顔。

「呪縛から解放された今、戦わないという選択肢もあったんだけどね……」

 ハトアは、視線を空に向けたまま静かに語り続ける。その言葉は、彼女が彼に話しかけているのではなく、何かもっと大きな存在に向けたもののように感じられた。

「実はね、一度だけでいいから全力であなたと戦いたかったんだ。私はこんなんでも一応は姫で、流石に試合には出られなかったからね。だからもうこれで悔いはないよ。あなたに負けて逝けるなら、それで十分」

「……俺はお前と戦うために強くなったわけじゃない」

「わかってる。そんなのわかってるよ」

 そう言って、彼女はバートランドに煙草を差し出した。バートランドは言葉を発することもできず煙草を無言で受け取り、手の中でそっと握り締めた。

「あなたの選んだ道はとても厳しいわ……覚悟はできてるの?」

 彼女の声は、まるで彼を優しく諭すかのようだった。バートランドは重い口調で答える。

「ああ、もちろんだ」

 二人の間に、静かな沈黙が流れた。これが最後の時間でもあることを理解していた。

「なら、もう何も言うことはないよ」

 ハトアは満足げに微笑み、静かに目を閉じた。彼女の体からは完全に力が抜け、抵抗する気配はもうどこにもなかった。

 バートランドはしばらく彼女を見つめ続けた。彼女との思い出が蘇り、過去と現在が交差する。すべきことは分かっている。槍を握り締め、彼は静かに覚悟を決めた。

「……さらばだ、ハトア」

「ええ。さよならバート」

「ッ!」

 バートランドは引き抜いた槍を一気に振り下ろし、ハトアの胸を貫いた――はずだった。

「てめェ……どういうつもりだ?」

 バートランドの視線の先、困惑するハトアを腕に抱き、佇むのは使徒αだった。その横にはウォルターの姿もある。

「(あれはエルロードの旦那の……まさか、いやあり得ねェ)」

 一瞬、エルロードの敗北を想像するバートランドであったが、すぐにそれは間違いであると断定する。そして即座に槍を持ち直すと、αに迫った。

「私に戦う意思はなイ」

 矛先が眼前に迫る刹那、αは表情ひとつ変えずにそう言った。バートランドは反射的に腕を止め、首筋に触れる寸前で槍が止まる。

「これは一体どういうこと?」

 困惑した様子のハトアが尋ねる。

「私の最後の仕事に付き合ってもらいたイ」

「最後の仕事って、私たちの仕事は魔王との対決(これ)でしょう?」

「いいヤ、私はもう彼等と争うつもりはなイ。これから神に会いに行ク」

 聞いた瞬間、ハトアは驚愕の表情を浮かべた。そして彼女は何かを悟り、目を伏せる。

「そう……そうなのね。あなたがそのつもりなら私も手伝うわ。他の使徒たちは?」

「間に合わなかっタ。我々だけで向かウ」

「わかったわ」

 ハトアが手をかざすと、転がっていた槍が手に収まった。どこかに向かうつもりだろうか? 状況が飲み込めずにいるバートランドに対し、ウォルターは悲しげに「頼む」と言った。

 αの剣が空間を切り裂き、三人の使徒はその奥へと足を進める。バートランドを見つめながらハトアが「ごめんね」と呟くのが見えた。それを最後に、彼女たちは光の中へと消えていった。

「意味が分からねェが……」

 当初の予定からズレてきている。バートランドはそう確信し、修太郎のいるレジウリアへと急ぐのであった。



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