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第8章 後編



 破竹の勢いで進む一行。

 次のナルタト皇国は、絶対の権力者であり不死身の力を持つ男が皇帝と呼ばれていた。

 皇帝はかつて皇竜トルガノの血を飲んだことでその体を手に入れており、すでに何世紀もの間皇帝の座から降りたことがないのだという。

 そんな皇帝に、ハイヴが〝揺さぶり〟をかけたことでクエストが発生、アッサリと次のエリアへの道が開かれた。

『こっちには不死身の皇竜を殺した仲間がいるんだぞ?』

 この脅しが決定打となったようだ。

 さらに進んだ先にあるニールパーチ湿地帯でも息のあった連携と、プニ夫という圧倒的なアドバンテージによって難なくクリア。

 続くヌファ修道院へと辿り着いた。

「修道院か」

「ならmobはもう来ないな。一旦この辺で休もーぜ?」

 そう言ってしゃがみ込む黒犬とキジマ。

 他のメンバーは体力の消耗こそしていないが、常に周りを警戒しなければならないという気疲れのようなものは感じていた。

「休むか?」

 ワタルにそう尋ねるアルバ。

 ワタルの表情は険しく曇っている。

「駄目です」

「おいおいなんだよケチくせーな!」

「過労で死んだらどう責任とんだよ!」

 などとブーイングする二人に対し、ワタルは毅然とした態度で続ける。

「使徒と天使を警戒している以上、この場所で長居するのは避けたいからです」

 そう言ってワタルは視線を建物へと向けた。

 広い草原の中央に荘厳な佇まいの建物がひとつ、遠くからは讃美歌のような音が流れている。

「私もさっさと進むに賛成。天使絡みで危ない思いするのはもうこりごり。というか、休みたいならナルタト皇国で挙手すればよかったのに」

 と、呆れたようにため息を吐く舞舞。

 過去に天使に洗脳されたプレイヤーによって殺されかけた彼女からすれば、教会や修道院は最も忌避したい場所でもあった。

 それに食ってかかるのは黒犬達だ。

「俺たちは入れねぇーつってんだろ!」

「人の心ないのか!?」

「人の心があったら人殺しなんてしないわ」

「……」

 若干名の傷も抉っていることに気付いていない様子の舞舞。そんなやり取りをしながら、一行はヌファ修道院には寄らずに次のエリアへと向かうこととなった。

「(それにしてもこういう場所、本当に色々な所にあるなぁ)」

 などと、プニ夫を撫でながらそんなことを考えていたミサキは、ふと、修道院の扉が重そうな音を立てて開いていくのに気が付いた。

「え……?」

 中から一人のシスターが出てきている。

 ミサキ以外まだ誰も気が付いてない様子だ。

 シスターは悠然と歩きながら扉の前まで来て、止まった。俯いて顔がよく見えない。

 それからぴくりとも動かないシスターに対し、ミサキは漠然とした恐怖を覚えていた。

「(いままで気にしてなかっただけ、だよね?)」

 なにしろ今はそんな事を考えている場合ではない。ミサキは視線を戻し、気にせず先を急いだ。



◇◆◇



 ネビア大迷宮――

 古代文明の遺跡を基にした恐ろしく危険な巨大迷宮。その内部は複雑に絡み合った通路や部屋、命を奪う仕掛けで満ちている。迷宮は古代の魔力により生きており、絶えず変動し、一度通った道も再訪時には全く異なる危険地帯へと変貌する。

 セルー地下迷宮よりも大規模な迷路、というのがミサキの第一印象だった。足元から生えた薄緑色の結晶が光源となっており、それがかなりの明度を誇る。肉眼で敵を見落とす心配はなさそうだとミサキは心の中でそう思った。

「マップはこれで完了。今回は構造が変わるみたいだから、私もその都度対応するよ」

 白蓮の言葉に皆が頷く。

 ミサキの生命感知にも不審な点はナシ。

 一行はゆっくりとした足取りで歩き始める。

「9時の方向から2体!」

 ミサキの指示に全員が素早く反応し、やや狭い道をタンク三人が塞ぐ形で構えを取った。

 道の奥からは獣の息遣いが聞こえてくる。

 ベノモス Lv.61

 ネビア大迷宮mob図鑑から引用すると、ベノモスはタコのような吸盤の付いた恐るべき獣だ。口からは返しのついたギザギザの針を出し、相手から養分を吸い取ってしまう。

 まるで蜘蛛のように壁をつたって走ってくるベノモス――の、頭が撃ち抜かれ、2体の遺体が地面に転がり消えていく。

「今の所タンクの出る幕なしだな」

 そう言って、天草は弓の弦から手を外す。

 攻略はスムーズに進んでいる。

 誰もがそう思っていた。



「あれ、行き止まりかな?」

 道の先を見る限り、Kの言葉通り壁に囲まれていて進めそうにない。

「正面の壁を手で触ってみて」

 すかさず白蓮がそれに応えると、Kはそのまま壁に手をかざし――難なく通過した。どうやら壁の映像だけを見せたフェイクのようだ。

「うーわこれ偽の壁かよ」

 などと言いながらスカスカと壁を行き来するK。

 構造の変動もあり、偽の壁まである。

 間違った道を選べば戻ることも至難の業。

 目で得た情報はもはや頼りにならない。

「この偽壁はマップ上で表示されてないのか?」

「ええ。ここに壁はないことになってるわ」

「こりゃ初見殺しもいい所じゃねぇか……」

 頼りになるのは白蓮のスキルだけ。

 彼女がいなければ今頃立ち往生していただろう、逆に彼女がいる限り、マップの構造は苦にならないともいえる。

 そんな強力なナビゲーターを携えた一向に止まる気配はなく、戦闘で躓くこともなく、エリアを1/4ほど来たところまで到達した――その時だった。

「!」

 びくんと体を揺らすミサキが天を仰ぐ。

 エリア外から高速移動する何かを捉えた。

 生命感知から得られる情報は〝緑〟。

 緑はNPCを意味する色である。

「(使徒?)」

 天使は赤だったが使徒は分からない。幸いにも戦闘中ではない今なら緊急転移も可能だ。

「エリア外からの反応ありました! 今のところ敵かどうかは分かりませんが、どうしますか?」

 レイドに緊張が走る。

 そして全員が転移を試みるよりも先、飛来した緑の点がレイドの前へ降り立った。

「主からの命で救援に来ました」

 それは緑髪の美しい女性――風の精霊であった。彼女を知るメンバーから安堵のため息が漏れる。風の精霊は焦った様子であたりを見渡すと、ミサキのところで視線を止め、あからさまに肩を落とした。

「かなり強い気配を感じましたが……どうやら使徒ではないようですね」

「あ、ええと」

 ミサキがプニ夫を抱き上げると、風の精霊は苦笑しながら頬を掻いた。

「なるほど、確かに使徒に近い強さを感じます。ただ主様が間違えるとも思えませんね……」

 ああだこうだと一人でぶつぶつ呟いた後、風の精霊は「しばらく同行します」と言った。

「ごめんなさい、モタついてしまって……」

 皆にそう謝罪するミサキ。

 今回は味方だったから良かったものの、場合によっては全滅の可能性もある。相手の〝色〟によってどう動くかまで詰めていなかった作戦の甘さが露見した。

「次回からは色に関わらず緊急転移しましょう」

 ワタルの言葉に皆異論はないようで頷いた。

 作戦の改良も行いつつ、強力な助っ人が来たことによって一向の足取りも軽い。

「――そうですか。個人的に彼らに思うことは特にありませんが、戦力が増えるのはいいことです」

 ミサキから修太郎達がパワーアップに向けた修行中であることを聞くも、ツンとした態度でそう答える風の精霊。主へのリスペクトを欠いた魔王を良く思っていない様子と、それでも実力は認めている複雑な心境が見て取れた。

「ヴォロデリアさんは別の場所にいるんですか?」

「ええ。基本的には移動せず、最終エリア付近で相手の動向を探っておられます。光の神と戦えるのは主様しかいませんから、あまり大胆に動くと隙を突かれますからね」

 と、風の精霊はミサキの質問にそう答えた。

「今のところ、使徒が動いたのは修太郎()と戦ったあの一度きり。天使達の動きも散漫的で、何を企んでいるのやら……」

 そんなやり取りをしつつ、一行は中ボスエリアと思われる開けた空間にたどり着く。ミサキの情報では敵は一体のみだ。

「待ってください――なにか嫌な気配がします」

 風の精霊の言葉に全員が身構えた。

 ドーム状の開けた空間の中央に、巨大な牛の怪物が横たわっていた。そしてその上に腰掛ける形で、一人の男がこちらを見下ろしていた。

「よっ」

 紛れもなくそれは久遠であった。

 青い瞳を光らせながら久遠は控えめに手を挙げると、先頭のワタルに気付き、悲しげな顔を見せた。

「俺から離れろ」

「緊急転移!!!!」

 ワタルの怒号が轟く。

 一瞬遅れて全員がそれに反応した。

「遅いって」

 指を鳴らす音が響くと同時に、ワタルの左腕が吹き飛んだ。腕は縦を掴んだまま宙を舞い、金属音を立てて地面に落ちる。

「グッ……!」

 苦悶の表情を浮かべるワタル。

 天使を超える圧倒的な〝死〟の香り。

 魔王達以上の威圧感、圧迫感。

 誰に言われるわけでもなく、あれこそが使徒であると、皆が同時にそう確信した。

【戦闘中にこの機能は使えません】

 全員の前にエラーメッセージが流れる。

 久遠の高速攻撃の影響か、すでに戦闘中と判定されているようだった。

「『神速剣舞』」

 弾かれたように突っ込む風の精霊。

 目にも止まらぬ速さで二本の剣を繰り出すも、久遠は笑顔を崩さぬまま、二本の指で挟んで止めた。

 その動きは明らかに人間の次元を超えている。

「久遠さん……」

「死ぬこともできず、つくづく不幸な人やで」

 葵とヨリツラが悲しげな声色でそう呟く。

 脱獄組は複雑な気持ちで彼を見ていた。

「ここは引いて戦闘区域から出て転移すべきじゃねえか?」

 焦りを含んだハイヴの声が響く。

 ボス部屋が封鎖される条件は〝ボスが健在の場合〟のみで、この部屋のボスは既に久遠によって倒されている。つまり後退できるのだが、肝心のワタルが動こうとしない。

「……」

 ワタルは久遠から視線が離せないでいた。

 ハイヴが思いっきり肩を掴んで揺らす。

「しっかりしろテメェ! 全滅するぞ!!」    

「逃げるのは無理だね」

 遮るような久遠の声と共に、出口が黒い棘によって塞がれた。反射的に動いた怜蘭の剣が棘を強襲するも、全くビクともしない様子で弾かれている。

 横の壁から爆発音が轟き、岩の残骸と共に風の精霊が落ちてくる。

「ぐぅ……ッ!」

 対する久遠は涼しい顔で手を開いた。

「どうにかして生き残れよ。俺いま手加減できないから」

 そう言って両手の指に力を込める久遠。

 誠とラオは盾を構え、ワタルは剣を構えた。

 指を鳴らす音と、ビシャン! と、水の弾けるような音が連続する。ワタルの目の前では、皆を包むように巨大化したプニ夫が得意げに揺れていた。

「いいぞ大福餅! そのまま頼む!」

 久遠は心から安堵したように言いながらも、攻撃の手を緩めようとはしない。プニ夫のLPも少なくない量が減ってゆく。

「プニ夫ちゃん……」

 ミサキの悲痛な叫びが響く。

 葵はワタルの腕を治療し、バーバラとTowaはプニ夫に回復魔法を使っているが焼け石に水で、回復量よりも減る量の方がはるかに多い。

「このままじゃ……」

 切羽詰まった様子でそう呟くラオ。

 転移も退避もできない、正に八方塞がりだ。

 そんな時だった――。

 地響きと共に地面が盛り上がる。

 突然降ってきた雨が形をなしてゆく。

「助太刀に来ました」

「確実に減らすようにとの命令です」

 風の精霊の前に、青と茶髪の女性が現れた。

 三人の精霊がこの場に揃ったのだ。

 使徒の出現を察知したヴォロデリアが、精霊三人で確実に仕留めることを指示したのだ。

「……分かりました、素早く終わらせます」

 そう言って立ち上がる風の精霊。

 久遠(使徒)一人に対して精霊三人とプニ夫もいる。完全に形勢は逆転した。

「『風支配・魔装』」

「『水支配・魔装』」

「『土支配・魔装』」

 三人の体を風、水、土が覆い弾けるとそこには鎧を着た精霊達の姿があった。先ほどまでと比較にならないほどの〝強さ〟が感じられる。

 同時に飛び出す三人。

 久遠は笑顔のまま片手を前に突き出した。

 久遠の背後には、目で見えない手のようなものがゆらりと現れる。

「潰れろ」

 ズドン! と、凄まじい音が轟く。

 精霊達は地面に押しつぶされていた。

 なにが起こったのか理解できずにいる精霊達。そのまま久遠が両手をかざすと、瞳の奥で何かが揺らめいた。

精霊(君たち)が来て助かったよ。これで俺は光の神へ大義名分ができる。そうじゃなきゃ僕は友人を手にかけてた」

 突然、巨大な炎が目の前に現れ、周囲の空気が一瞬で灼熱の波となって押し寄せた。

「あああああ!!!」

 炎は生き物のようにうねりながら広がり、精霊達の体を包み込む。本能的に逃げようとするも、炎の勢いがそれを許さない。

 水と土の精霊の体は煤のように黒くなっていた。そしてボロボロと崩れ落ち、消えていく。

 久遠は警告するような口調で、レイドに向かって語り出す。

「……他の使徒は俺よりもはるかに強い。闇の神は動けない、もう精霊もいない。これで形勢は逆転したな」

 そう言って唯一生き残った風の精霊を持ち上げた。風の精霊はぐったりとした様子で動かない。久遠の瞳は悲しみに満ちていた。

「俺は光の神の情報を集める。倒し方や弱点をできる限り集め、邂逅のたびに伝える。ただし、体の自由は奪われたままだ。だからなんでもいい、俺を殺す方法を見つけてくれ……頼む」

 久遠はそれだけ言い残すと闇に溶けるようにして消えた。残されたのは静寂と、意気消沈した攻略メンバーだけであった。



◇◆◇



「暇だね」

 あくびを噛み殺しながらそう呟くマグネ。

 ワタル達が抜けた穴を埋める形で配置された(強引に志願した)彼女は、オルスロット修道院の近くにある木陰で見張りを行っていた。

「暇なほうがいいじゃない。対人戦闘はmobと全然違うのよ?」

 嗜めるような口調で言うキャンディ。

 他には元紋章メンバーが三名と他ギルド混合が七名の、計12名がここの見張り番である。

 雑談する他メンバーを眺めながらマグネが呟く。

「でも戦闘は最終手段でしょ?」

「ええそうよ。基本的には説得、危険なら緊急転移、可能なら拘束ね」

 八岐(ヤマタ)の舞舞達の証言から、祈りを行ったプレイヤーは、犯罪を行っても町の中(セーフティエリア)に入れることは皆周知済みである。安全のためにも、高レベルのプレイヤーに祈らせないことが重要となってくる。

「ん? あれなんだ?」

 プレイヤーの一人が何かに気付き、マグネ達もそちらへと視線を向ける。修道院の入り口、大きな観音開きの扉の前に、誰かが立っている。

「(プレイヤー?)」

 場の空気が一気に張り詰める。

 その人物をよく観察すると、オルスロット修道院の修道長であることが分かった。

「なんだよ紛らわしいな」

「あー肝が冷えた」

 などと警戒を解くメンバーがいる一方で、マグネとキャンディの見解は違っていた。

「キャンディさん。シスターが〝外〟に出るなんてこと今まであった?」

「……いいえ、聞いたことがないわ」

 修道院に属するNPCは建物の外に出ない、というのが今までの常識である。

 シスターはプレイヤー達に気付いているのか、こちらに笑顔を向け淑女のお辞儀をしてみせた。

「神を信じますか?」

 蚊の鳴くような声なのに、不思議と皆の耳にはっきりと聞こえた。ヒッと、誰かの悲鳴に似た声が漏れる。

「なんだって?」

 怖いもの知らずのプレイヤーが聞き返すと、

「神を信じますか?」

 シスターは同じことを尋ねる。

「はっ、なんだよそれ」

「貴方はどの神を信仰していますか?」

 質問内容が変わったことで、プレイヤーがキャンディに「光の神を推すべきか?」と目配せする。どの神というのは、要するに〝光か闇か〟を聞いているのだと推測できたからだ。教会及び修道院は天使を崇拝している場所、つまりここで闇の神と答えるのは墓穴を掘るようなものである。キャンディは〝答えるべきではないのかも〟とも思ったが、沈黙に対してどう出るのか分からない。

「変に答えて祈りと勘違いされたら厄介よ」

「あそうか……じゃあ無視しておきますか?」

「そうねぇ。何か特殊なイベントかもしれないけど、私達もソレ目的で集められた訳じゃないから」

 そんなやり取りをしながらしばらく答えずにいると、シスターは笑顔を絶やさず、声のトーンも変えずに言う。

「神を崇拝していないのですか?」

 先ほどと状況は全く変わっていない。

 ただ――空気が変わった気がした。

 見張りを任されたメンバー全員が精鋭クラスの戦闘力を持っている。故に全員が、シスターから危険な気配を感じ取っていた。

「してるよ! 光の神を崇拝してる!」

 マグネがそう叫ぶように言った。

 集まった視線にも涼しい顔で返す。

「流石に闇の神様とは言えないし。まぁ今後のためにも答えとくべきじゃない?」

 そう言ってはにかむマグネに、キャンディは悲しげな顔を向けた。

「ごめんなさい、貴女が正しいわ。沈黙して状況が転じることはなさそうだし」

「だよね。大丈夫、一応パーティは抜けてあるから。レベル的にも適任でしょ? 仮にマグが変になってもここのメンバーなら問題なく拘束できるし」

 彼女が言うように、マグネのレベルはこの中で一番低い。理屈ではそうなるが、かといって瞬時の判断で自分を犠牲に選んだマグネの異様さは際立っている。

 この場にいる誰よりも大胆かつ冷静。

 キャンディはこれを英断だと評価した。

 彼女の返答にシスターはしばらく沈黙し、

 そして――

「嘘は罪ですよ」

 シスターは地面に手を突っ込み、そして地響きと共にずるりと何かを引きづり出した。

 骨の破片が絡み合い、歪な形に成り果てた白く長い鎌。刃からは禍々しい気配が漂い、誰かの声が聞こえてくる。

「なんだよアレ……」

「おいなんか変な声が聞こえてくるぞ!」

 狼狽えるメンバー達。

 妙な声は次第に大きくなってゆく。

 叫ぶような、啜り泣くような声も混ざったそれは――死者の囁きに聞こえた。


 断罪者duoドゥオ Lv.120

 

「緊急転移!!!」

 キャンディの怒号が轟く。

 相手にステータスが出た瞬間、刹那の判断によって、その場にいた全員が素早くアリストラスへと転移していった。

「……」

 誰もいなくなった後も笑顔のまま佇む修道長に、何者かが声をかけた。

「祝福を受けに来た」

 修道長が首だけそちらに向けると、十数名の男女がそこに立っていた。その中の一人、声をかけた男がズイと前に出る。

 くすんだ金髪と特徴的な髪型の男――雷千(ライセン)。かつてワタルと共に脱出し、犯罪者達を引き連れアリストラスへと向かった男だ。

「神を信じますか?」

 変わらぬトーンでそう尋ねるドゥオ修道長。

 雷千はニィとニヒルな笑みを浮かべた。

 


◇◆◇



「時は満ちました」

 白亜の宮殿に光の神の声が響く。

 眼下で傅く使徒たち。

 その後ろには見渡す限りの天使の列。

「邪魔な精霊はすべて消え、もはや脅威は闇の神ただ一人。私が動けば弟も易々とその場からは動けません。貴方達には最後の仕事を任せます」

 宮殿の天井部には風の精霊が磔の形で囚われており、意識がないのかグッタリとしている。

 形勢は完全に光の神陣営に傾いていた。

 光の神は右手を突き出し、声高らかに宣言する。

「これよりプレイヤーの排除を始めます。目標は全てのセーフティエリアです」

 物量に任せて攻めれば一瞬で終わる、光の神はそう確信していた。

 体を震わせるウォルターを見下ろしながら、光の神は怪しい笑みを浮かべる。

「町の破壊は使徒達に任せます。自らの手でプレイヤーを葬れば踏ん切りもつくでしょう」

「断る……!」

「断れるとでも?」

 見えない力によって押し潰されるウォルター。他の使徒達も同様に動きが制限されていた。

「あなた方の使命は今度こそイレギュラーを消すこと。町を破壊し、隠れても無駄であることを教えてあげなさい。もはや慈悲や情けは不要、圧倒的な力で滅ぼしなさい」

 隣に立つαが視線を送る中、光の神は玉座の前で号令をかける。

「それでは、長きに渡ったこの遊戯――終わりにしましょう」


5


 修太郎とバートランドはなにもない空間に立っていた。

 遠くに見える光が出口だろうか? 二人は示し合わせたように同時にそちらへ歩き出す。

「楽しみだなぁ。僕の知らない皆が見られるんでしょう?」

 修太郎は嬉しそうに微笑んでいる。

「あまり見て楽しい過去ではないんですがね」

 そう言って苦笑いを浮かべるバートランド。

 進むにつれ徐々に出口が近づいてくる。

 修太郎は歩みを止めず周りを見渡した。

「なんかここ前にも来たような気がする……」

 昏睡していた時に見た夢の景色によく似ていた。灰色の女児の姿はなく別空間であることは明白だが、過去を体験する、というのは夢を見ている感覚と近いのかもしれない。と、修太郎は自分をそう納得させた。

「これを見た主様の気分を害さないかと心配しております」

 出口に差し掛かる寸前、バートランドは歩みを止めて、弱音を吐くような口調で呟いた。

「それは見てみないと分からない、かな」

「……」

「無責任に〝そうはならないよ!〟なんて言っても、バートにはきっとお見通しだと思うし」

 頬を掻きながら、修太郎は「でもね」と続ける。

「誰のどんな過去を見たとしても、全部受け止める準備はできてるよ。楽しいことも悲しいことも一緒に乗り越えたい。それが友達だから」

 そう言ってはにかむ修太郎。

 バートランドは小さく笑いながら「はい」と、嬉しそうにそう呟いた。



◇◆◇



 世界ができるよりも前にあったとされる神聖な木――大樹ニブルア。その幹は天を貫き、星の深部に根を張ると言われていた。ここはそんなニブルアを神と崇め、守り続ける種族の国。

「ここが、昔のバートの世界」

「ええ。この景色がまた見られるなんて思いませんでした」

 大樹を囲うように石造りの家々が並ぶ。

 紛れもなく、バートランドが住んでいた頃の風景であった。

「ここで僕らは何をすればいいんだろう」

「ひとまず中へ行ってみましょうか」

「うん。そうだね」

 二人はゆっくりとした足取りで中へと歩いていった。

 中は沢山のエルフ族が幸せそうに暮らしている風景があった。

「おいバート。そんなところでサボってたらまた戦士長に怒られるぞ」

 どこからかそんな声が聞こえてくる。

 反射的にバートランドが視線を向けた先に、屋根の上に寝そべる人物がいた。

「あ! 子供の頃のバートだ!」

「俺ァこんな生意気そうな顔してたのか」

 少年のバートランドを眺めながら、額に手を当て首を振るバートランド。この頃の彼は、日がな一日屋根の上で横になり、大人の手伝いもしなければ戦士の務めも果たさない穀潰しであった。

 修太郎達の体をすり抜けるように、呆れた表情の少年少女が駆けてくる。

 美しい顔立ちに、尖った耳。 

 森の民とも、大樹の守り手とも呼ばれるエルフ族の特徴だ。

「うるせー。毎日毎日弓引いて槍振って、真面目に続けて何か意味あんのかよ」

「意味はあるわよ! 私達も立派な戦士になって、大樹ニブルアを守り続けるの!」

「はっ。俺はこんな木なんかに命掛けるつもりねェよ」

 明らかに険悪なムードが漂っている。

 修太郎は「あちゃー」などと言いながら少年バートランドを心配そうに見つめていた。

「あーあ、クソ生意気な子供。今の発言、大人の誰かが聞いていたら屋根から引きづり下ろされて袋叩きにあってたでしょうね」

「そんなに悪いこと言ってたの?」

「ええ。大樹ニブルアを軽んじる発言や思考は、エルフ族にとって殺しよりも重い罪ですから」

 エルフ族はニブルアと共に生き、ニブルアが枯れれば共に朽ちると誓いを立てている。故に彼等はニブルアからは離れず、静かに森の中で暮らしているのである。

「そうなんだ……バートって昔から無茶してたんだね」

「あ、はは。今もそうでしょうか」

「たまにね」

 そう言って苦笑する二人。

 子供達の口喧嘩は続く。

「悲しい奴。親がいないとあぁなるんだな」

「親は関係ねえだろ!!」

 激昂する子供のバートランド。

 他の子供達は蜘蛛の子を散らしたようにその場からいなくなった。

「こんな木、守ってなんになんだよ……」

 大樹ニブルアを恨めしそうに睨んでいる。

「俺には親がいません。だからトガってるのは〝親がいないからだ〟って言われることが多かったんです。まあ半分正解ですけどね」

「……」

 と、自傷気味に笑うバートランド。

 なにも言わず黙ってそれを聞く修太郎の横を抜け、一人の女性が現れた。

「また喧嘩したの?」

「喧嘩じゃねェよあんなの」

「ふーん、そっか」

 女性は子供のバートランドの隣に座り、楽しそうに微笑んでいる。頭に光る王冠と、口に咥えた煙草がなんともミスマッチで、子供のバートランドは煙草の煙に顔を顰めていた。

「また人族の葉っぱ吸ってんのかよ」

向こう(・・・)ではコレが大人の証なんだってさ。最初は苦くて不味かったけど、慣れれば気分が晴れるし良いものよ」

「姫様が人族の文化に意欲的でいいのかねェ」

 修太郎はその女性に見覚えがあった。

「そうか。彼女が、その……」

「ええ。ハトアですね」

 使徒として会った彼女よりも幾分か大人だ。

 先ほど会った子供達よりも上質な服を着ているし、高貴な生まれということは修太郎でも理解できた。そして、彼女が吸う煙草にも見覚えがあった。

「ま、形見ですね」

 そう言ってバートランドも煙を吐いた。

「だって、人族ってすんごいのよ! 魔力や身体能力だってどんな種族よりも弱いのに彼等の発明は――」

 と、熱弁を振るうハトアを懐かしそうに見つめながら、バートランドが語り出す。

「彼女は人間が好きでした。エルフの中ではかなり珍しい部類ですよ。知っての通り、エルフと人間には大きな溝がありますから」

 火種となったのは大樹ニブルアの種である。

 エルフは生まれた時、胸の中心にニブルアの種を埋め込むことで大樹と一体化する。それに目を付けた人間は、人間の赤子にニブルアの種を埋め込む事で、魔力と長寿を授かるという実験が行っていた。森で静かに暮らすエルフが捕まり、胸に穴を開けて帰ってきたこともあったほどだ。

「だからこの国で人間に好意的な奴は煙たがられます。彼女は王族だから大目に見られてましたがねェ……」

「なんか二人って似た者同士なんだね」

 そう言ってクスクス笑う修太郎。

 バートランドはしばらく黙ったのち「そうみたいですね。今なら分かります」と呟いた。

「バートも吸う?」

「いらない。臭いし」

「大人の味だよ?」

 仲睦まじい二人の会話を楽しそうに聞いていた修太郎は、ふと、ハトアと目が合ったような気がした。

「――あれ?」

 しかし、それはあり得ないことだ。

 これは過去の映像であり、向こうからこちらを認識できるはずがない。

「どうされました?」

「あ、ううん、気のせいだと思う……」

 改めてハトアを見てみるも、視線は別の方に向けられていた。楽しそうな二人の姿がぐにゃりと変化し、遠くから大勢の歓声が聞こえてきた。

 ピントが合うように景色が定まってゆくと、大勢の観客に囲まれて二人の男が槍を振るう風景が広がった。

「武闘大会ですね」

「うわぁ……結構激しめに戦うんだね」

「大樹ニブルアへ鍛錬の成果を見せることで己の忠誠心を示すことができる――という建前ですからね。基本的には真剣勝負です」

 会場にどよめきの声が上がる。

「勝者、バートランド!」

 突き付けた穂先を離し、一礼する少年。

 その場に膝をつくのは、体の大きさがひと回りも違う大人の戦士だった。

「すごいやバートランド! 優勝してる!」

「ようやくやる気を出した頃ですね」

 懐かしむように目を細めるバートランド。

 少年バートランドの周りに子供達が集まってくる。

「こんな腕が立つとは知らなかったぞ!」

「若手一番のラルチャを圧倒するなんて!」

「なんで急に参加する気になったんだ? ニブルアのために訓練するのは馬鹿らしいとか言ってたのに……」

 そう聞かれた少年バートランドははっきりとした口調で答える。

「別に、俺は俺のために戦う。今も昔も変わらないよ」

 男子達からは尊敬の声が上がる。

「あ、もしかしてハトア様の誕生日だから?」

「おい! バートがそんな理由で動くわけないだろ! なぁ?」

 少女達の質問に激昂する少年達。

 偉い席に座るハトアが手を振っていた。

 バートランドは俯き、何も答えない。

「そっか……」

 そんなやりとりを遠巻きに見ていた修太郎は、何かに気付いたように呟く。

「バートの戦う理由って、ハトアさんなんだね」

「ええ」

 そう答えながら、かつての姫の姿を目に焼き付けるバートランド。手を振っていたハトアの顔が急に動いたその刹那――彼女の視線は修太郎とバートランドに向けられていた。

「!」

 二人の間に戦慄が走る。

「やっぱりハトアさんだけ何か変だ!」

 確信したように修太郎が叫んだ。

 彼女だけが過去の映像とは違った動きをしている。

 彼女は二人に向けて微笑みながら手を振り続け、再び場面がぐにゃりと曲がった。

 かなりの時間が飛んでいるのか、景色は高速で行われる人の往来に変わっており、なおも変化し続けていた。

「この世界のハトアさんに接触しよう。なにが起こるのかはわからないけど、多分それをする必要があると思う」

「俺も同じことを考えていました。使徒の可能性はありませんかね?」

「わからない。ただ前と違ってバートは強くなってるし、僕もいるから分の悪い勝負にはならないと思う。前が相手の全力ならね……」

 後半部分は風の音で消えるくらいの小さな声で呟く修太郎。そして場面は切り替わり、訓練所のような場所へと変わっていた。

「この日は……」

 バートランドの顔付きが変わる。

 修太郎も説明できない悪寒を覚えていた。

 青年となったバートランドど、同僚らしきエルフの会話から始まる。

「あ? 人族が?」

「そうだよ。東の獣族も負けたんだってさ」

 弱小種族とされ世界の端で慎ましく生きていた人間が、個々の力ではなく、団結した集の力と高い知能によって数々の種族を踏破し、みるみる内に領地を拡大しはじめていた。

「まぁでも、俺達には関係ないよな」

「我らエルフ。何者にも属さず、何者にも屈さず」

 青年バートランドは黙々と槍を振るっている。

「しっかし変わったよなお前。昔は訓練に参加もせず屋根の上でグースカ寝てたのに、今や第4戦士団の団長様だもんな」

「別に。今も昔も変わってねえよ。俺はこの木のために槍を振ってるわけじゃない」

「なら何のために振るってんだ?」

「……」

 それはハトアさんのためだよ、と、修太郎が心の中で代弁していると、神妙な面持ちのバートランドが口を開いた。

「主様、場合によっては戦闘の準備を」

「えっ、どういうこと……?」

「この日に我々は滅ぶんです」

「!」

 衝撃の告白に修太郎は言葉を失う。

 この平和な世界が今日終わるということが信じられなかった。

「やあやあ皆さん、精が出ますね」

 訓練所に一人の女性が入ってくる。

「ひ、姫様。今日もお、お美しいですね!」

 ハトア姫も立派な女性へと成長しており、その端正な顔立ちは王家の血筋もあって確かな品格が伺える。その後も戦士達と交流するハトアを眺めながら、修太郎は警戒するように剣の柄頭に手を添えていた。

 遠くから慌ただしい足音が近づいて来る。

「ほ、報告!! 我が国の領土に、敵の軍勢が向かってきています!!」

 訓練所に静寂が落ちる。

 フッと、誰かが吹き出すように笑った。

「おいおいここはエルフの国だぜ? 俺達は侵略しないが与えない。俺たちに敵う奴なんていやしないんだからよ、何が攻めてこようとドンと構えればいい。いつも通り迎え撃つだけだろ?」

 エルフ族は数千年の歴史の中でも戦争らしい戦争をしたことがない。いや、戦争と呼べるほどの戦いになった相手がいない。それは単にエルフ族という種そのものが他種族よりも強く・数が多かったから。

 伝令は焦ったように声を荒げた。

「100万の兵がいても、そう言えるのか?」

 再び、訓練所に静寂が落ちる。

 今度は誰も口を開かなかった。

「ここに攻めに来たのは、人族の軍勢100万だ。既に先発組が応戦しているけど、なぜか人族の中に俺達並に強い奴がいる!」

 長い歴史の中で、100万の軍を相手取って戦争した記録は無い。その上、エルフ族と同程度に強い個体が混ざっているとなれば悠長に構えてはいられないだろう。

「100万の軍勢相手なら確かに厳しいよね……」

 そう呟き息を呑む修太郎に、バートランドは首を振ってそれを否定した。

「皮肉にも我々が滅んだのはそれが原因ではございません」

「え、じゃあ何が……」

 二人の会話を掻き消すように大勢の足音が響き、一気に慌ただしくなる訓練所内。

 青年バートランドはため息混じりに槍を持つ。

「おいハトア。念の為城に……」

 そう言いかけ、言葉を失う。

 ハトアの体が宙に浮いていた。

 体には赤紫の紋様が刻まれ、目はうつろ。

「ハトア……?」

 青年バートランドが手を伸ばした瞬間――それは起こった。

 ハトアの体からカッ! と光が広がる。

 国全土に轟く大爆発が起こった。

 まさに一瞬の出来事であった。

 爆発はニブルアへも甚大なダメージを与え、大勢のエルフは死に、あるいは怪我を負った。

「これが我々が滅んだ原因です」

「そんな……」

 あまりにも残酷な光景に修太郎は絶句する。

 消し飛んだ訓練所の中で、唯一生き残ったバートランドは呆然と膝をつき、火のついた煙草を拾い上げた。

 再び場面がぐにゃりと曲がっていった。



◇◆◇



 人間の将軍は、彼方で光る魔力の爆発を確認し静かにほくそ笑んだ。

「報告! 敵国内にて魔力奔走確認! 領土のおよそ7割が爆発に巻き込まれ、敵の被害は甚大とのこと!」

「よしよし。ならば予定通り、森から出てきた奴等を〝強化兵〟で潰して回れ」 

「承知いたしました!」

 伝令が去り、再び笑みを浮かべる将軍。

 己の体にも埋め込まれた種を撫でながら、眼前に聳える大樹を見上げた。

「ッ……!」

 剣を抜こうとする修太郎を手で制すバートランド。

「もう過ぎたことです。我々は干渉できません」

「そう、だけど……」

「そのお気持ちだけで十分です」

 兵隊が自分たちの身体をすり抜けていくのを眺めながら、諦めるようにそう呟く。その間も戦場は切迫した状況が続いていた。

「なんだよ、コイツら」

「まるで生気が感じられない」

 特殊な白の鎧に身を包んだそれらは、圧倒的な力を誇るエルフ族を物ともせず殺してまわっている。それに気を取られていると、別の人族からの奇襲を受け、じわじわと数を減らされていた。

「貴様ァ! 何をしている!!」

 白い兵士と戦うエルフ族が叫んだ。

 視線の先には、同胞の亡骸をナイフで刻む人族の姿があった。そして彼等はそのまま〝何か〟を取り出すと、不気味な笑みを浮かべ剣の窪みにはめ込んだ。

「ぐわぁぁ!!」

「こい、つ!」

 先ほどまで非力だった人族が、その剣を握るや否やエルフ族を圧倒している――その光景を見た戦士達は、ようやく彼等の強さの秘密を理解したのだった。

「ニブルアの種を埋め込んだ強化人間です」

「ひどい……」

「それを研究する人間達を放置しすぎた、ハトアの異変に気付けなかった。もっとも、平和が長く続きすぎたのが我々の敗因です」

 人族の軍勢が一気に流れてくる。

 傷だらけの体を槍で支えながらも、エルフ達は絶望的状況に戦意を喪失していた。

 戦場を、一閃の光が貫いた。

 戦場の時が止まった。

 皆が光の正体を見極めんと注視する。

「エルフ……」

 人族の兵士が呟く。

 それは流れ星でも神でもなく、長い金髪を揺らし槍を持ったエルフ族の青年だった。

「バートランド!」

「最強の戦士が来てくれたぞ!」

 沸き立つエルフの戦士達。

 しかし、近くにいた何人かは彼の様子がおかしい事に気付きはじめる。

 頭からは血を流し、目は虚。

 血のついた煙草を咥え、ゆらりと立ち上がる。

「殺せ! 殺せぇ!!」

 時は動き出す。

 近くにいた人族が一斉にバートランドへと武器を振り下ろす。しかしそれを、バートランドは横薙ぎ一閃でもって粉々に切り裂いた。

「この戦争は両者相打ちという形で幕を閉じます。いや、正確には我々の辛勝といったところでしょうか……」

 バートランドの参戦によって戦況は大きく傾き、もはや人間に彼を止められる者はいなかった。しかし突然死するエルフも続出し、戦場は死体の山ができていた。

「昔に僕が取り除いた呪いは、あの爆発によって広がったんだね」

「ええ、その通りです。愛する人を亡くし、仲間達を失い。この時点で俺は戦う意味を見失っていました――主様と会うまでは」

 バートランドの呟きを、修太郎は複雑な心境で聞いていた。別の世界とはいえ同じ人間による所業は到底許されるものではない。その後、同意する権利もなく〝人間の修太郎〟の配下となったバートランドの心境は計り知れない。


「もう頑張るのやめたらいいよ」


 戦場の音が遠ざかってゆく感覚。

 静寂に包まれた空間で、凛とした声が二人の耳に届いた。

「!」

 ぐにゃりと曲がった虚空から一人の少女が現れた。バートランドは修太郎を庇うように槍を構える。

「オマエ、何者だ?」

「分からないかなぁ。ハトアだよ」

 そう言って無邪気な笑みを浮かべている。

「(もしかして……使徒!?)」

 一気に警戒心を高める修太郎だったが、バートランドは対照的に槍による威嚇を解いていた。

「主様、大丈夫です。こいつに害はありません。使徒でもヴィヴィアンでもない、言うなれば当時のハトアの幻影みたいなものでしょう」

 バートランドの言葉に修太郎も警戒を解く。

 このハトアはいわば召喚獣イベントに用意された思念体のようなもので、今の修太郎達と同じ実態を持たない存在であった。

「うん、正解! 流石はバートだね」

 と、再び笑うハトアの思念体。

 バートランドはやりづらそうに頭を掻いた。

「あなたは選ぶ権利がある。それを決めるのはあなた自身で、召喚士さんは口出しできない。わかった?」

 そう言って修太郎を見つめるハトア。

 修太郎は不思議と声が出せなくなり、心配した面持ちをバートランドへと向けていた。

 場面が切り替わり、戦場で立ち尽くす青年バートランドの姿があった。ハトアは悲しむような視線を送りながら続ける。

「楽しかった時代に戻れるとしたらどうする?」

「馬鹿な。そんなことできるはずがねェだろ」

 時間を巻き戻すなどそれこそ神の所業だ。

 しかしハトアは小さく首を振る。

「あなたが望めば可能だよ。できるかできないかじゃない、望むか否かを聞いているの」

 青年バートランドは未だ呆然と立ち尽くしたまま、戦士達の遺体を眺めている。

 太刀傷で絶命した者より、呪いによって生き絶えた者の方が多い。

「はは。結局あんな木のために死んだのか」

 見知った顔も野に伏している。

 かつては共に遊び、笑い合った友人達。

「無念だよな……」

 大量の死体の上で煙草をふかす。

「よいしょっと」

 空間がぐにゃりと曲がり、男が現れた。

 闇の神ヴォロデリアだ。

「ここからあなたの運命が大きく変わった。良くも悪くもね」

「……」

 ハトアの言葉にバートランドは反応を示さない。

「寂しいお前にささやかなプレゼントだよ」

 そう言って、ヴォロデリアが何もない空間から引き出すように手を動すと、眠るような形で手を合わせる少女が現れた。

 何かを察した青年バートランドが目を見開き、振り返る。

「……ハトア?」

 ヴォロデリアは満足そうにニヤリと笑った。

「分かるものだね。コレは単なる抜け殻だけど、中身を移し替えたからデータ上はハトア姫だ」

「中身、デェタ?」

「や、ごめんごめん。まあ難しく考えなくていいよ。コレはそうだな……生まれたてのハトア姫だ。だから君に関する記憶は無いし、どんな成長を遂げるかも分からない」

 ヴォロデリアの物言いにバートランドは苛立つように拳を握った。この時点ですでに本物のハトアは消滅しており、バートランドを仲間にするため小芝居をしているに過ぎない。

「主も、本物も偽物も、悲惨な過去も全部やり直せる。あなたにはその権利があるの」

 バートランドにそう囁くハトア。

 バートランドはヴィヴィアンを抱いている青年の自分の姿をただ見下ろしていた。

 世界がシャボン玉が割れるようにパッと消え、ここに来るまでに通ってきた何もない空間へと戻っていた。そこには修太郎とバートランド、そして思念体のハトアだけが残っている。

「もう傷付く必要はないんだよ。また私とニブルアの木の下で幸せに暮らしましょうよ」

 ハトアの背後に人一人が通れる程度の穴が空き、平和な時代のエルフの国が映し出されている。そことを潜れば幸せな頃に戻れる。バートランドにはそんな確信めいた感覚があった。

 修太郎は抵抗する様子もみせず、バートランドに委ねるようにただそれを見守っていた。

「悪ィな」

 そう呟きながら、バートランドはハトアを優しく抱きしめた。ハトアは少し驚いたように目を見開いた後、嬉しそうに目を細めた。

「俺の居場所は、もうそっちじゃない」

「……」

「お前なら分かってくれるだろ?」

「……うん。バートらしい決断だね」

 ハトアがそう答えるや否や、彼女の体が足元から光に包まれ消えてゆく。バートランドは今生の別れのように、彼女を固く抱きしめた。

「じゃあもうこの話はおしまい! あと、使徒(もう一人の私)と戦う時の助言をひとつ」

 ハトアは無邪気な笑みを浮かべながら語り出す。

「最後はあの子にもこうしてあげてね。私ってほら、寂しがりやだからさ」

 ハトアの体が消失していく。

 バートランドは抱く力をさらに強めて言う。

「ああ。もちろんだ」

 その言葉に安心したように、ハトアは満足そうな笑みを浮かべて虚空へと消えていった。彼女の光は修太郎とバートランドを包み込み、架け橋のように繋がった。

 修太郎とバートランドの間に絆が生まれた。

【バートランド と召喚獣契約を結びますか?】

 YES / NO

 表示された選択肢。

 修太郎は迷わずYESを押した。

「さて。帰りましょうか」

 振り返ったバートランドの表情は晴れやかだった。修太郎は嬉しそうに頷くと、二人は元来た道へと進んでいった。


【バートランド の召喚獣契約に成功しました!】

【バートランド のレベル上限が200になりました!】

【バートランド の種族がランクアップしました!】

【修太郎 は《奥義:魔王降臨術》を習得しました!】



◇◆◇



 煌びやかな王国の華やかなパレードの中に、修太郎とセオドールはいた。

「すごい賑わってるけど、なんのお祭りだろ」

「魔王が討たれ、全ての魔物が消えた記念だな」

「え! それは歴史的な日だね!」

 セオドールは腕を組み、懐かしむようにその光景を眺めていた。

 今日は人間世界の平和が始まった記念すべき日。魔物の脅威から解放され、住む土地が増え、町の子供は安心して外を歩けるようになった。

「そしてアレが魔王を討った英雄達だ」

「ってことはセオドールの――」

 修太郎の声は割れんばかりの歓声にかき消された。いよいよ英雄達の登場である。

 英雄達は馬に跨り手を振っていた。

 国全体が彼らを祝福している。

 なんとも煌びやかな雰囲気だ。

「ねぇお母さん。どれが誰なの?」

 修太郎は隣の親子の会話に耳を傾ける。

「先頭の男性が勇者ハイルーン様よ。圧倒的なカリスマで仲間を集めて、騎士団長様を凌駕する剣の腕で魔物のほとんどを倒したそうよ」

「かっこいい!」

 子供は金髪の美男子に熱視線を送った。

 二人の会話にセオドールが苦笑を浮かべる。

「正確にはエネリスの奴が仲間を集めて、魔物のほとんどは魔王が死んだときに一緒に消えたんだがな」

「噂が一人歩きしてたんだね……でも勇者さんも偉大な人だったんでしょう?」

 セオドールはハイルーンをしばらく見つめたのち「その通りだ」と呟いた。

「後ろのお方が賢者エネリス様。全属性に適性を持つ天才魔法使いなのよ。そして最後が聖女メロイア様。癒しの力で万物の傷を治す、精霊王の祝福を受けたお方よ」

「すごーい!」

 親子の会話を聞きながら修太郎はふと何かに気付く。

「あれ、セオドールはどこにいるの?」

「俺はここには参加していない」

「一緒に魔王を倒した英雄なんでしょ? どうして?」

「俺は己を強くするために旅に同行したに過ぎない。魔王討伐もその道の延長だ。注目されて厄介なことに巻き込まれるのもごめんだな」

「そっかぁ。まぁこれだけの偉業を成し遂げたら絶対注目されるもんね」

「……」

 修太郎の言葉にセオドールは押し黙った。

 ハイルーンは昔から目立つことが好きだった。だからこの凱旋パレードも彼が望んで参加したと、そう思っていた――しかし、使徒となったハイルーンは勇者の責務と重圧に精神を病んでいたようにみえた。

「お前もそうだったのか?」

 そのつぶやきは馬上の親友には届かない。

 修太郎とセオドールはしばらくの間、その凱旋パレードを見届けていた。



◇◆◇



 場面転換が収まると、街中の風景から平原へと変わっていた。

「ここは?」

「この日は俺が塔へと挑んだ日だ」

 世界に平和が訪れて一年が経った。

 そして王国の東の果てに、英雄一行がいた。

「本当に行くのか? セオ」

 勇者ハイルーンは、巨大な扉の前に立つ男を引き止める。賢者エネリスと聖女メロイアの姿もあり、それ以外の人間はいなかった。

 男はその塔を見上げ、佇んでいる。

 固そうな黒髪が風に靡いていた。

「この塔は天地創造の頃から存在する神の産物だ。ここには何かがある。なぜ帰らずの塔なのか、その頂には何があるのか確かめたい」

 若きセオドールは無感情な顔で自分の手を見つめ、ゆっくりとそれを握りしめた。

「これを登れば自分を満たす何かに出会える。そうであると願っている」

 富や名声には興味がなかった。勇者だの英雄だのにも興味がなく、あるのはただ自己研磨の欲求のみだった。

「そういう想いで塔に挑んだと記憶している」

「なんかセオドールらしいね」

 そう言って修太郎は納得したように笑った。

 セオドールは若き日の自分ではなく、残される仲間達の方へと視線を向けていた。そして、ハイルーンの一瞬見せた悲しそうな表情を今度は(・・・)見逃さなかった。

「セオがいなければ本当の世界平和とは言えません。魔王を討った力を持つあなたがいてこそ、平和が成り立つんです!」

 聖女メロイアが涙ながらに訴える。

 彼女は悲しげな表情を隠していない。

 若きセオドールは優しい笑みを浮かべた。

「お前達がここに留まるから俺は塔に挑めるんだ。それに、魔王を倒したら次はここに挑むと言っていたはずだろう」

 若きセオドールは雲を貫く塔を見上げた。

 入る者は拒まない、ただ誰も戻らない。

 一度入ったら二度と戻れない帰らずの塔。

 修太郎は残された三人が気になっていた。

「……全員で入ってたらどうなってたのかな」

「それは、わからない」

 少し考えた後、セオドールは自問自答する。

 自分は彼らを一度でも誘っただろうか。

 複数人で入れば、上に登る時間はきっともっとかかったはず。苦労も増えただろう。セオドールは勘付いていた、この時のセオドール(自分)には仲間の命を背負う覚悟がなかったことを。

「世話になったな」

 そう短い挨拶を残し、扉に手をかける。

 塔の扉は、まるで彼を待っていたかのように重い音を響かせながら開いてゆく。

 塔の内部はひたすら続く闇だけだった。

「セオ、セオ聞いて! メロイアは……」

「待ってエネリス。いいの」

 なにかを訴えようと声を張り上げる賢者エネリスを聖女メロイアが止めた。若きセオドールは塔の扉をくぐった後、三人に笑顔を向けた。

「いってくる」

 閉ざされていく扉。

 若きセオドールの顔が、見えなくなってゆく。

「セオーーー!!!」

 完全に閉まるその刹那、メロイアは堪えきれず泣き叫んだ。その叫びは届くことなく、彼女自身もそれを望んではいないように見えた。ただ口に出さずにはいられなかった。メロイアがセオドールの為にできる唯一のことは、自分の気持ちを押し殺し、彼の門出を邪魔しないことだから。

 重く響くような音と共に門は完全に閉ざされ、辺りは静寂に包まれる。

「? あれ、場面が切り替わらない」

 不思議そうにあたりを見渡す修太郎。

 今までの傾向では、場面転換の際に空間が曲がり場所や時間がジャンプしていた。つまり、本人が見て聞いた記憶だけを映すものだと思っていた。しかし、この場に若きセオドールはいないのに、視点は残された三人のままになっている。

「……」

 セオドールは複雑そうな面持ちで三人を眺めていた。

 崩れ落ちるようにして泣く聖女メロイアと、彼女に寄り添い抱きしめる賢者エネリス。そして寂しそうに佇むハイルーン。

 やがて空間がぐにゃりと曲がる。

 景色は平原から森の中へと変わっていた。

 森の奥の小さな家の扉が開く。

「薪割りなんて別にいいじゃないしなくても。私を誰だと思ってるの?」

「ははは。違うよ、それは誰よりも理解してるさ。ただこうも平和だと僕の体が鈍っちゃうからさ」

 そんな会話をしながら仲睦まじい様子でハイルーンとエネリスが家から出てきた。ハイルーンは幸せそうにメロイアを抱きしめた後、頬にキスをして薪割りに出かけていった。

〝あの後僕はエネリスと結婚したんだよ。平和のためにって王様がうるさくてね。まあでも魔物のいない世界には勇者も賢者もいらないからね、静かに過ごせるように山奥に家を建てたり、楽しかったな〟

「確かに平和だ」

 セオドールは少し頬を緩めながらそう呟く。

 修太郎も目を輝かせて二人の暮らしを眺めていた。

 森の中に斧の音が響く。

 軽快な調子で薪割りを続けていたハイルーンは、なにかに気付いたように鋭い眼光を一点に向けた。

「誰だ?」

「!」

 視線は修太郎達の方へと向けられている。

 歩み出そうとするセオドールを手で制す修太郎は「僕らは見えてないはずだよ」と呟いた。バートランドの世界でそうだったように、凱旋パレードの時も修太郎達は幽霊のように人々の体をすり抜けていたからだ。

 背後でパキパキと枝葉を踏み締める音が響く。

 そこには怪しい雰囲気の騎士達が立っていた。

「勇者ハイルーン殿とお見受けいたします」

「だったらなんだ」

「我々と一緒に来ていただきたい。王命でございます」

「はぁ……」

 ハイルーンは無言で切り株に斧を叩き刺し、布で汗を拭った。

「仮に王の命令だとしても、それに従う義務があるのかい? 僕たちは魔王討伐という十分な仕事をしたじゃないか」

「それに関しては人類全員が感謝しております。が、ここは王の土地であり、あなた方は王に与えられた家に住んでいる」

「なら出ていけばいいんだろう。家なんてその気になればエネリスの魔法で出せる」

「エネリス様は既に城に向かわれましたよ?」

「なんだと?」

 ハイルーンは切り株の斧を引き抜いた。

 先ほどまで一緒にいた彼女が、理由も言わない王命に素直に従うだろうか。それも、ハイルーンに相談もせず一人で。

 騎士達との間に不穏な空気が流れる。

「大人しく同行された方がよろしいかと……」

 エネリス様のためにもと、不気味に笑う騎士。ハイルーンはしばらく沈黙したのち、斧を地面へと落とした。

「ハイルーンよ、なぜ戦わない」

「エネリスさんが同意したから、かも」

「奴が簡単に同意するとは考えにくいが……」

 苛立つようなセオドールの呟きに、修太郎は気遣うような口調で答える。

 あるいは拉致――と、修太郎はそこまで考え、口には出さなかった。

 やがて場面が切り替わり、人々の怒号が飛び交う戦場の中心に二人は立っていた。

「勇者ハイルーンだ!」

「撃て撃て! 止めろ!!」

 叫ぶ兵士達の視線の先、上空から凄まじい速度で落下したハイルーンが、地面に剣を突き立てた。地面に雷光が迸り、周りの兵士が炭となり消えていく。

「……」

 王国騎士の鎧に身を包むハイルーンの表情は曇ったままだ。

〝魔王が支配していた広大な土地を得るために、人々は戦争を始めたんだ。醜い争いだよ。勇者なんて呼ばれてはいたけど、僕にできことなんてほとんどなかった〟

「これが奴の言っていた戦争か」

 悲しげな表情でぽつりとそう呟くセオドール。人々のために戦ってきたハイルーンが、人々を倒す立場になるとはいたたまれない。

 ハイルーンが感情に浸っている間も、味方軍の兵器が敵兵を蹂躙してまわっていた。それは、魔王相手にも勝負ができそうな巨大な機械兵だった。勇者などいなくても王国の戦力で魔物などどうとでもできたことが伺える。

「凄まじい剣技でした!」

「ハイルーン将軍がいるだけで士気が上がりますよ!」

 味方兵達からの称賛を軽く流しながら、地面から剣を引き抜くハイルーン。救国の英雄である彼が戦場にいるだけで味方の士気が高まる。

「ハイルーン、無事ですか?」

「ああ、大丈夫だ」

 そう言って駆け寄ってきたのは聖女メロイア。ハイルーンの無事が確認できるや否や、彼女は肩で息を切らせながら、倒れている味方の兵士達の治療に取り掛かかっている。

「少し休んだらどうだい。何日寝てないんだ」

「傷付いている人がいるのに寝ていられません。せめて一人でも多くの命を救いたい……戦争に参加しているのに、矛盾していますよね」

 味方の兵士もひとつの命。

 敵の兵士もひとつの命だ。

「ゴホッゴホ……ッ!」

「おいやっぱり……」

「どうかお気になさらず。きっとセオも塔の上でボロボロになりながら進んでいるはずですから、負けてられません!」

 気丈に振る舞うメロイアだが、やはり顔色は悪い。誰の目から見ても疲弊しているのが分かるほどだった。

「前も聞いたが、エネリスとは一緒じゃないよな?」

「ええ。部隊が違うとなかなか会えないそうですから……でも戦場では彼女の魔力を感じられます。どこかで一緒に戦っているはずです」

「そう、だよな……」

「はやくこんな争いは終わらせて、また静かに暮らせるといいですね」

 そう言ってメロイアはぎこちなく微笑んだ。

 ハイルーンは彼女を探すように戦場を見渡す。

「終わらせたら迎えにいくぞ、エネリス……」

 そう呟きながら、ハイルーンは戦場を駆けた。

「やはり妙だな」

「なにが?」

「エネリスの姿が見えない。部隊が違うといえど奴が戦えば場所はすぐにわかるはず……気配はあるのだが」

 不思議なことに気配だけは感じられる。

 それもかなり近くに――。

 再び場面が切り替わり、今度は城の中へ。

 傷だらけになったハイルーンが王の前に首を垂れていた。

「ご苦労ご苦労。勇者殿のおかげで我が国の領土は世界の8割を超えた。もはや敵対勢力もいない。完全なる我々の勝利だ」

 王様の言葉に城内が野太い雄叫びに包まれた。ただ一人、ハイルーンだけは王からの別の言葉を待っていた。

「僭越ながら王よ、戦争が終わるならば約束通りエネリスとメロイアも解放していただきたい」

「おお、そうじゃったそうじゃった」

 王様が手を叩くと、奥の方からガチャガチャという金属音と共に、手枷をつけられた賢者エネリスと聖女メロイアが連れられ現れた。

「ごめんハイルーン……」

 エネリスが力なくそう呟いた。

 ふつふつと湧き起こる怒りの感情。

「なぜこのような……」

 そして二人の異変にハイルーンは絶句した。

 なぜなら彼女達からは一切の魔力を感じられなかったから。

 思い出したように王様は席を立つと、中庭が見える窓へと歩いてゆき、ある一点を指差した。

「器は返す、が、力を返せとは言われておらん」

「……?」

 ハイルーンはよろけながら立ち上がる。

 中庭には王国の兵器が横たわっていた。

 まさか――と嘆くような声が漏れる。

 セオドールは怒りを込めて王様に斬りかかった。

「セオドール!」

「それが人間のすることかッ!!」

 修太郎の制止も聞かずがむしゃらに剣を振るう。しかしその剣は虚しく空を切るばかりだった。その間もハイルーンは兵器に目線が釘付けになっていた。そして中からエネリスとメロイアの気配を感じ取っていた。

「エネリス殿の魔力と才能は素晴らしい。殲滅数は勇者殿ですら敵わないだろうな、なにせ屠った敵の数は数十万を超える! メロイア殿の癒しの力も正に奇跡! 勝利を盤石のものとしたのは彼女の功績と言っても過言ではない!」

 メロイアとエネリスは疲弊しているのか、ぐったりとして唸っているばかり。

 王様に背を向けたままハイルーンは呟く。

「……二人を元に戻せ」

「できん。つまりだ、一人で戦況を揺るがすこの二人が我々を裏切れば国が傾きかねんのだよ。国の脅威を野放しにしたら平和は永遠に訪れんからな」

「この兵器と、彼女達から力を奪ったその技術があれば、貴様らだけで魔王を倒せたんじゃないのか!?」

「なにを言っておる。魔王の骨を材料に魔力伝導率を極限まで高めた外装、そして二人の莫大な魔力があってこそこの兵器じゃ。つまり勇者殿の活躍なくしてこの兵器は完成しておらん」

 唇を血が流れるほど強く噛み、ハイルーンは再び視線を兵器に向けた。

「ならなぜ僕を兵器に組み込まなかったんだ」

「剣術は体現できず、魔力も二人より劣るときたら必要なかろう。ただ勇者という肩書きには大いに助けられた! 戦場の士気や国民達の鼓舞にも活用できたからの」

 そう言って王様は声をあげて笑った。

 最低だよ、と修太郎は呟く。

 セオドールはただ押し黙っていた。

「そうか、そうか僕はずっと……」

 利用されてたんだと、ハイルーンは力なく言う。そして流れるような動きで剣の柄へと手を伸ばし、一気に振り抜いた! 飛ぶ斬撃は王様へと迫り――そして障壁によって弾かれた。

 中庭で兵器の瞳が怪しく光っていた。

「所詮は紛い物の勇者よ。呪うなら無謀にも塔へと消えた本物の勇者を呪うがよい」

 王様の高笑いと共に、城内は砂が崩れるように消えてゆく。失意のハイルーンは床に膝をついたまま、同じように消えていった。なにもない漆黒の空間で、修太郎とセオドールだけが残されていた。

「俺は選択を間違えたのか」

 セオドールがポツリとそう呟いた。

「あのまま塔に挑まずいれば、少なくともこのクズ王は殺すことができただろう。そうすればハイルーン達は……」

「……」

 セオドールは過去を後悔している。

 修太郎はかける言葉が見つからなかった。

〝もう傷付く必要はないんだよ。また私とニブルアの木の下で幸せに暮らしましょうよ〟

 バートランドとハトアの会話から鑑みるに、召喚獣契約は過去に戻るという選択を取らず、現在という選択を取ることではじめて成立する。そして鍵となる人物は過去に戻ることを勧めてくる。過去に戻った者がどうなるかは分からないが、客観的に見てもセオドールは過去を選ぶ可能性があった。

 それでも修太郎は沈黙を続けた。

「(けど、それがセオドールの選択なら……)」

 修太郎は何があっても、魔王達の選択を尊重するつもりでここに来ていたから。たとえ光の神との戦いが不利になろうとも、魔王達の尊厳を損なう真似はしたくないと。

「久しぶりだね」

「セオ……」

 虚空から二つの光が現れた。

 それは人の形を成してゆき、賢者エネリスと聖女メロイアに変わっていった。

 セオドールの表情は晴れない。

「すまない、俺は……」

「会いたかった……!」

 セオドールの胸に飛び込むメロイア。

 しばらく二人は言葉を交わさず、ただきつく抱擁を交わした。

 別々だった時を取り戻すように、長く、長く。

「ま、私らは説教しに来たわけじゃないよ」

 揶揄うような目線を向けるエネリス。

 メロイアも胸の中で小さく微笑んだ。

「しかし俺は……」

「堅物だったセオドールはどこいったの?! 昔のアンタだったら〝お前達の強さが足りなかった、ただそれだけだ〟とか言ってるくせに」

「あ、なんか分かるかも」

 二人の女性に揶揄われ、しどろもどろになるセオドール。メロイアは胸に顔を埋めながら、ゆっくりと語りだす。

「貴方が塔の上を目指したこと、きっとそれは運命だと思う。そこで出会った人達、経験、貴方が救った未来の世界も、全ては貴方の選択のおかげ――強さを求めた自分を責めないで」

「しかし俺が残れば、お前達は……」

「それもまた私達の運命です」

「残酷な運命が変えられるなら変えるべきじゃないのか? 俺にはその権利があるんだろう」

 セオドールは一瞬、修太郎と目が合った。

 修太郎はただ小さく頷いてみせる。

「馬鹿言ってんじゃないわよ!」

 エネリスの怒号が轟いた。

「アンタ一人残ったところで大して変わらないわよ。騙されやすいアンタなんか丸め込まれて終わりよ!」

「? 相手に悪意があれば普通に分かることだろう」

「あーでたでた! はームカつくわ」

 などと口論したのち、エネリスは修太郎に気付き、優しく微笑んだ。

「そういう訳だからさ、さっさと連れて帰っちゃってよ」

「え、でも……」

「いいのよ、これが私達の選択だから。セオが塔を登らなければ竜が攻めてくる未来の世界はそのまま滅んでたかもしれないんでしょ? 大きな時の流れで見たら、アイツの選択も間違ってなかった」

 呆気に取られる修太郎。

 エネリスとメロイアは、セオドールが過去に戻ることを望んでいなかったのだ。

「私達が魔王を討ったのは、私達の友人や家族のため。けど、未来の人々のためでもある。大義を成すというのはそういうこと」

「……」

「貴方が過去に戻れば私達は助かるかもしれない。私達が老衰で死ぬまでは平和かもしれない。でも100年後、1000年後はどう? 貴方は間違ってない」

 メロイアの言葉に、セオドールは黙って頷いた。決意が固まったのを悟るや否や、エネリスはバツが悪そうに頬を掻き口を開く。

「でさ、私の旦那も早く眠らせてやってね。結局アイツのことを一番知ってるのは、アンタなんだからさ」

「……承知した」

「ん、いい返事ね。それじゃあ――任せたよ」

 賢者エネリスはそう言い残すと、光の粒子に変わって消えた。聖女メロイアも足元が徐々に光に包まれていく。

「愛しています。これからも」

「ああ、俺も愛している」

「いってらっしゃい」

「ああ、いってくる」

 まるで夫婦のように言葉を交わすと、メロイアの体も幻のように溶けて消えた。空間がぐにゃりと変化し、視界が晴れると、三つの墓の前へ立っていた。

 塔が見える小高い丘に建てられた墓。

 三人の親友が眠る場所。

「迷いは消えた。俺はこれからも進み続ける」

 別れを告げるようにそう呟くと、セオドールは踵を返し、修太郎に微笑んだ。

【セオドール と召喚獣契約を結びますか?】

 YES / NO

 表示された選択肢。

 修太郎は迷わずYESを押した。


【セオドール の召喚獣契約に成功しました!】

【セオドール のレベル上限が200になりました!】

【セオドール の種族がランクアップしました!】



◇◆◇



 とある森の奥深くで獣の遠吠が響いた。

 かつて人族が住んでいた名残りとして、朽ちた石造りの建造物が点在している。

「あの頃の匂い……懐かしいな」

 感慨深そうに呟くシルヴィア。

「そこら中から色々な生き物の気配がするね!」

 ワクワクした様子で周りを見渡す修太郎。

 側から見ればなんの変哲もない森であるが、並大抵の人間は生きて変えることは叶わない。そこかしこから獰猛な気配が感じられる。

「! 何か来る」

 気配のする方向へ修太郎が視線を向けると、荒い息遣いと共に巨大な猪が現れた。

 何かから逃げるように縦横無尽に駆ける。

 前方、後方、そして左右から遠吠えが聞こえる。かまわず進む猪へ二匹の狼が襲いかかる!

「兄様……」

 消え入りそうな声で呟くシルヴィア。

 彼女の体を猪と狼がすり抜けていく。

「もう逃がさないぞ!」

「くそう、硬いなコイツ!」

 分厚い皮膚に牙と爪を立てながら一緒になって引き摺られる二匹。そのまま進む猪は巨大な岩を見付けると、その二匹を圧死させんと体当たりを繰り出した。

「!」

 岩と猪の前にヌッと現れた別の灰色狼。

 その体躯はゆうに5メートルを超えていた。

 歴戦の戦士を彷彿とさせる鋭い眼光と牙。

 それまで疾走していた猪が初めて止まり、力強く身震いをするその刹那――猪の首が宙を舞った。

「倒したー!!」

 シュタッと木の上に着地した小さな狼。

 6人兄弟の末っ子シルヴィアだった。

「あれが小さい時のシルヴィアかぁ!」

「ええ。自分で言うのも変ですが、我ながら勇ましいですね」

「ちっちゃくて可愛い!」

 正にショウキチ達に正体を隠していた頃のシルヴィアそのままの姿であった。シルヴィアは「かわいい……」と少し腑に落ちないように唸りながら、今は亡き兄達の姿を目に焼き付けていた。

 空間がぐにゃりと曲がり、場面が切り替わると、数匹の狼が猪を囲って食事する姿があった。

 家族で仲良く食事にありつきながら、一際大きな狼――父アウロンが口を開く。

「一番やんちゃだがシルヴィアは狩りの筋が一番良い。それに、そのスキルは正に森神様からの授かり物だ」

「えっへっへー!」

 父に褒められ得意げなシルヴィア。

 他の兄弟達は悔しそうに肉を齧る。

「シルヴィアのお父さんとお母さんか、綺麗な狼だね」

「ええ。最高の灰狼族でした」

 そう言ってシルヴィアは懐かしむように目を細めた。

「母様も褒めて褒めて!」

「シルヴィアは本当甘えん坊なんだから」

 強くても生まれて間もない未熟な狼だった。一番食いしん坊、一番暴れん坊で、一番の甘えん坊だった。そんな彼女を母親は可愛がり、兄弟達も可愛がった。

「こんな日常がずっと続けばいいのにと、そう思っていました」

「……」

 寂しそうにそう語るシルヴィア。

 修太郎は察していた。

 この幸せは長くは続かなかった、その結果、彼女が獣の王(彼女)になるのだと。

 残酷にも空間がぐにゃりと変化していく。

「きっかけはこの追いかけっこでした」

 シルヴィアは思い出すように語りだす。

 幼きシルヴィアが兄弟達と追いかけっこをしていると、長男が普段は通らない道を進み出した。嗅覚強化のスキルを持つ長男は索敵能力に長けており、鼻をヒクつかせながら「この先に何かある」と進んでいく。

 6人兄弟がたどり着いたのは朽ちた遺跡。

 そこは6人が初めて来る場所だった。

「すごい場所に出たぞ」

「なんだよ、人族のガラクタじゃんか」

「でもこんな状態が綺麗なのは初めて」

 兄弟達がやいのやいのと会話する中、幼きシルヴィアはある一点を見つめ口を開く。

「あれなんだろ?」

 視線の先には遺跡のアーチがあった。

 蔦や苔に覆われながらも、しっかりとその形を残したアーチ。驚くべきはその内側で、昼間だというのに夜のように暗く黒く淀んでいた。

 なんだこれ? 秘密基地か? と、興味津々の兄弟達が近付こうとしたその瞬間――。

「ここで遊ぶんじゃない!」

 凄まじい怒号が辺り一帯に響き渡った。

 見れば恐ろしい形相の父がそこにいた。

 兄弟達は父親のあんな顔を見たのは初めてで、皆一様に驚き怯えた表情を見せる。

 父は兄弟達を連れ帰路につく中で振り返ると、忌々しい物を見るようにあのアーチを睨み付けていた。

「あの先にベオライトが自分を鍛えた世界があるんだね」

 修太郎の言葉を背に受けながら、アーチに手を添えるシルヴィア。アーチの表面はブヨブヨとまるで水面のようにうねっており、見ているだけでも吸い込まれそうな錯覚を覚える。

「そうです。ですが本来ここは修練の場ではありません。森の掟では、家族殺しを行った重罪者をこの中に入れて罰としたようです。この中に入ると、自分が自分ではなくなりますから」

 もっとも、それを知ったのはシルヴィアがアーチから出た後のこと。アーチの恐ろしさを知っていたから、父はあれほどの剣幕で怒ったのだと今は理解ができる。

 再び場面が変わり、木の根の下に掘られた家の中、なかなか寝付けない幼きシルヴィアが身を起こした。珍しく母も起きていた。

「どうしたの?」

 優しい母の声。

「……」

 シルヴィアは黙ってその光景を眺めていた。

 幼きシルヴィアは身を寄せるようにして母の寝床に収まると、昼間あったことを語った。

 黙って頷いていた母が口を開く。

「あの先には死が待ってるわ」

「行ったら死んじゃうの?」

「そうねぇ」

 不安そうな様子の幼きシルヴィアを包み込みながら、母は優しい口調で続ける。

「あのアーチの先に行った者は誰一人として帰ってこかったの。お父さんのお兄さんも、お母さんの友人もあの向こう側から帰っては来なかった――だから行ってはいけない場所なの」

 腑に落ちない様子の幼きシルヴィア。

 母は困ったように続ける。

「シルヴィア、好奇心が強いのは良いことよ。あなたが誰よりも勇敢なのも知ってる。でもね、お父さんやお母さんを悲しませることだけはしないで頂戴。いいわね?」

 そう言われ幼きシルヴィアは観念したように「わかった」と頷いた。

 幸せそうな家族の風景。

 修太郎はそれを見ながら呟いた。

「シルヴィアは過去に戻りたいと思う?」

「どうしてそう思われますか?」

「……」

 セオドールが過去に戻らなかったのは賢者エネリスと聖女メロイアの助言によるところが大きかった、と、修太郎はそう解釈していた。魔王達の意思に委ねると決意してきたはずだった、はずだったのに、セオドールと仲間達のやり取りを見て修太郎の決意が揺らぎ始めていた。

 行かないでほしい――。

 そんな言葉が口をついて出てしまいそうで、修太郎は自分の弱さに嫌気がさした。

「私はどこへも行きません」

 シルヴィアは膝をつき、修太郎の手を取り目を見て言った。

「私の家族は、私の中にいます」

 まるで修太郎を安心させるような優しい口調で続ける。

「私に居場所をくれたのは貴方です。私に目的をくれたのも貴方です。私は貴方に一生お仕えすると誓いました。獣の王として、この言葉に嘘偽りはございません」

 シルヴィアは、心に留めていたことをあえて全て口に出した。今までの感謝を伝えるように、丁寧に。

「ありがとう……」

 修太郎は涙を拭いてそう呟いた。

 修太郎の虚勢が、不安が、取り払われていく。

「この甘い夢のお陰で私はようやく決心できました。私は使徒と戦います。戦えます。恐らく父様もそれを望んでいる」

 そんな決意を胸に立ち上がるシルヴィア。

 空間がぐにゃりと曲がり、場面が切り替わると、大勢の冒険者を連れた考古学者が遺跡の前にやってきていた。

「ここだ、間違いない!」

「あったなら任務達成でしょう? 俺達は調査依頼まで受けてませんよ」

「やかましい! 私がどれだけこの遺跡を探していたか貴様らには分かるまい! これを前にして帰路につくなど有り得んわ!」

 興奮した様子の考古学者。

 別の冒険者は怯えたように辺りを見渡す。

「ここって灰色狼共の縄張りっすよ? 幼体でもレベル70からいるって言うじゃないですか。群れで襲われたら流石に我々じゃ……」

 そんな冒険者の視線の端に何かが映る――咄嗟に武器を抜くと、仲間も反射的に武器を取った!

 茂みの中から牙を剥いた二匹の狼が現れた。

 それは、父や母からの忠告では納得いかず、再びこの場所に来ていた長男と次男だった。

「人だ、人が俺達の縄張りを荒らしている!」

「何も奪わせない! 追い払う!」

 二匹はジリジリと冒険者達に詰め寄る。

 冒険者達は素早く戦闘態勢に入った。

 手練れの冒険者に兄弟達が蹂躙されていく。そして駆け付けた父も――。

 傍観するシルヴィアは悲しげな表情で呟く。

「相手の冒険者に強い奴がいました。兄達が負け、そして父様が負けた。私はその男と刺し違える覚悟でアーチに突っ込み、ご存じの世界へと飛ばされたんです」

 体中に血を滲ませながら、やっとの状態で立つ父と無傷の冒険者。まさに今、父が討たれようとする刹那、幼きシルヴィアが飛び出した。

 光の剣を口に咥え、冒険者の剣を叩いた。

「なにっ?!」

 驚愕の声を上げる冒険者。

 そのままの勢いで力任せに体当たりを繰り出すと、後ろに佇む夜空の如きアーチへ、幼きシルヴィアは冒険者もろとも溶けてゆく。

 闇に飲まれるその中で、父と母の叫び声が響いていた――。

「これが家族との最後の記憶です。私の身勝手な行動で、父様の誇りも汚してしまった。家族に謝ることもできなかった」

 当然、場面が切り替わると思ったのだろう――そう呟き、踵を返すシルヴィアの手を修太郎が咄嗟に掴んだ。

「まだ続いてるよ」

 そして修太郎はある一点を指差した。

 加速度的に変わってゆく風景。

 場面の切り替わりとは違う、映像の早送りのような現象が起こっていた。

 森の葉が青くなり、赤くなり、枯れる。

「父様……?」

 アーチの前に父が静かに座っていた。

 雨の日も、雪の日も、周りの景色が変わってもそこだけ時間が止まっているかのように、石像のように動かない。

「もういいんだ」

 シルヴィアが悲痛な声を上げる。

 しかし、その声は届かない。

 時折り母と兄弟達がやってきたが、父だけは全く動こうとしなかった。

 一年、十年、そして二十年が経った。

 アーチの前には父だけが座っている。

 さらに五十年の月日が経ち――。

「父様……」

 そしてある雪の晩、アーチの前に横たわる父の姿があった。呼吸は小さくなり、やがて止まる。シルヴィアを失った日からずっと待ち続けた父。最後まで二人が会うことは叶わなかった。

「使徒として再び会えたのは運命かもしれません」

 父の遺体が砂のように消える様を見届けながら、シルヴィアはか細い声でそう呟いた。

 修太郎は彼の生き様をしっかりと目に焼き付けた。



◇◆◇



 再び場面が切り替わると、幼きシルヴィアはアーチから脱出した後の森の中にいるようだった。体は人型の美しい女性へと変化していた。

 彼女はかつての家の前で佇んでいた。

 大樹と、その根本に少しだけ空いた穴――家の名残りだけが残っている。

「この時の私は家族に会うためだけ、そのためにあの場所から脱出しました」

 シルヴィアは昔の自分を眺めながらそう呟く。

 家の前には幻影のように兄弟達が駆け回る姿が浮かんでいた。そして窪みの奥、大樹を支えるような形で立つ父と母の姿があった。

「数百年もの間、皆の魂はここに在った。私が帰るまで家を守ってくれていました。父の魂もここにあった」

 シルヴィアの父は、体が朽ちるまでアーチの前で子供の帰りを待ち続け、そして家族は魂になっても家を守り続けた。

 過去のシルヴィアは寂しそうに笑った。

「ただいま」

 彼女の長い長い旅が、ここで終わった。

 空間が瓦解するように暗転してゆき、漆黒の世界に変わる。残された修太郎とシルヴィアの前に光が集まってゆき、それはシルヴィアの母の形となった。

「ああ、シルヴィア……」

「母様……!」

 互いが存在していることを認識し合うように、顔をこすり合わせる二人。程なくしてシルヴィアの方から離れると、母は寂しいような嬉しいような表情を浮かべ頷いた。

「流石はわんぱく娘ね。大きくなったわ」

「わ、わんぱくは止めて下さい」

「……そうね。もう立派なレディーだものね」

 そう言って母は嬉しそうに目を細めた。

「兄様達は?」

「あの子達は立派に天命を全うしたわ。貴女のことを気にかけていたけれど、怖いもの知らずのやんちゃ坊主達を早く自立させなきゃ心配でしょう? 早く立派な狼になりなさいって」

「それは、とても安心しました……」

 そう言って笑顔を見せるシルヴィアに、母は物悲しげな顔で続ける。

(アウロン)の事は分かってる。お父さん頑固だから貴女がアーチまで戻るまではここから動かないって、頑なにね。どうしても貴女に伝えたい言葉があったみたい」

「伝えたい言葉?」

「ええ。でもそれは彼から直接聞いてあげて。お父さんはきっと今でもあの場所でずっと貴女を待っている、お父さんの時間は止まったままだから」

 母の体が光を散らして消えていく。

 シルヴィアは涙を堪え、叫ぶ。

「心配ばかりかけてごめんなさい!」

 シルヴィアの言葉に母は優しく微笑んだ。

「愛しているわ、シルヴィア」

「私も……愛しています……!」

 光が消えると同時に、辺りは再び漆黒の闇に包まれた。

「ありがとうございました」

 小さく頭を下げるシルヴィアに、悲しげな表情で歩み寄る修太郎。

「あまり長く話せなかったね」

「いいんです。兄達にもそうだったように、母様は私が独り立ちできるように、あえてそうしたんだと思います」

「そっか……そうかもしれないね」

 シルヴィアは晴れ晴れとした顔で微笑む。

「本当にもう思い残すことはありません」


【シルヴィア と召喚獣契約を結びますか?】

 YES / NO

 表示された選択肢。

 修太郎は迷わずYESを押した。


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◇◆◇



 修太郎とガララスの前に大勢の赤ん坊が並べられていた。

 赤ん坊といっても大きさはすでに120センチを超えており、流石は巨人の赤ちゃんだなと修太郎はそれを冷静に分析していた。

「我は生まれながらの王だった」

「王位継承者ってこと?」

「そうではない。この時の我には何の権力もなかった。この世界は力こそ全て、力を持つ者が全てを手に入れられる世界だった。つまり、我は生まれた直後から誰よりも強かった」

 そう言って得意げに腕を組むガララス。

 本当かなぁと顔を顰める修太郎。

「流石に生まれた直後じゃあ大人の方が強いと思うよ?」

「そんなことはない。ほら、見てみよ」

 二人が見つめる先で、王様による残酷な儀式が進行していた。

「この子供はダメじゃ。速やかに火の神への供物にせよ」

「そんな、待ってください……!」

 当時の王は、生まれたばかりの子供を見定め、質の低い子供は火口に落とし国の発展のため火の神の供物として捧げていた。

「もう限界だ……」

「子供が全て殺されてしまう」

「愚王め……!」

 王の狂った行動はやがて民達の反感を買い、愚王とまで呼ばれるようになった。しかし愚王と呼ばれようとも、武力で彼を上回る者は現れない。強い者が、王であり続けられる。

「この子供はどうだ?」

 王が吟味する子供達の中に、赤ん坊期のガララスはいた。持ち上げる王の手に力が入る。

「この子供は……!」

 何かに勘づく王。

 そして、生後間もないガララスは、自分を持ち上げた王の腕を――へし折った。

「ぐおおおおお!!!?」

 いくら膂力に優れた巨人でも、赤子が成人を力で負かすなど聞いたことがない。それも、相手はただの成人ではない。代替わりの激しい王の座を守り続ける戦士の中の戦士なのだから。

「どうだ?」

「……」

 恐ろしい赤ん坊だと、修太郎は喉元まで出かかった言葉を飲み込んだ。

 そのまま赤ん坊のガララスは王の頭を掴み、首までねじ折った。

 力が全ての種族の王を赤子が殺したのだ。

 生贄にされた子供達の怨念の権化だと恐れられると同時に、強者こそが王であるという考えのもと、まだ自分で食事も取れない彼は、生後数ヶ月にして国の王となった。

「生まれながらの王様というのは理解できたよ」

「そうだろう。巨人族始まって以来の怪物と呼ばれたものだ」

 しみじみとそう語りながら髭をさすって頷くガララス。開始早々、人の死を見てしまった修太郎は重い気分のまま見続けた。

 2歳で戦場に送られ無傷で生還。

 10歳にして水の国を滅ぼした。

 20歳で風の国を支配下に置く。

 30歳で土の国を滅亡させた。

 正に常勝無敗の王であった。

「本当にびっくりしちゃうくらい戦いだけの場所なんだね……」

「戦争中故にやむなしだ。もちろん娯楽もある。敗戦国の兵士をだな――」

「うん、ごめん後で聞くことにするね」

 食傷気味だと言わんばかりに話を終わらせる修太郎。ガララスは過去の栄光を追体験しているのが気分がいいのか、嬉しそうな顔を浮かべていた。


◇◆◇


 火の国アルヴォサ、謁見の間――

 活火山を囲うように栄えた国の中、山頂に聳えた城の玉座に座りながら、3代目の王ガララスは退屈そうに家臣達を見下ろしていた。

 この頃のガララスは、侵略した領土から捕虜や奴隷を自らの国に集め労働力に変えることで、国力上げに勤しんでいたようだ。

 強い者に惹かれる性質をもつ巨人にとって、百戦錬磨のガララスは誰もが認める王の中の王。敗国の兵の多くが軍に加わり、アルヴォサ軍は日を追うごとに巨大化してゆく。

 五国に攻め入ったことは何度かあった……しかしその度、敵国はガララスの軍ではなく、留守にした領地や民を殺して回るのだ。

 守るものがあることへのもどかしさ。

 王としての務め。

 次第に剣を振るう機会は減っていた。

「つまらんな……」

「まさしくつまらん」

 若きガララスと現在のガララスが同時にため息をついた。

「もっと無茶する王様かと思ったけど、すごく堅実だね」

「不本意だがそうせざるを得なかったのだ。本当ならば我一人いれば戦争は勝てる。国力を上げずとも力のみで世界を屈服させられるというのに……と、この時の我は毎日そう考えいた」

 冷静に過去の自分を見つめ直すガララス。

 若きガララスは悶々としている様子だった。

 コツコツと国力を上げるだけの日々。

 一人の力で始められなくなった戦争。

 空席にしておけなくなった玉座。

 もう何十年と好敵手に出会えていない。

 民を大切にし、育てるようになった。

「この時の我は、国は一人で造れるとそう信じていた。狭い世界しか知らなかったからな」

 過去の自分を見ながらガララスはそう呟く。

 若きガララスからは再びため息が漏れた。

 自分にとってはどうでもいい事に思えたが、王である以上は〝そうするべき〟なのだと自分を納得させ、そのように努めていた――。

 空間がぐにゃりと変化し、時間が飛ぶ。

「連れて参りました」

 家臣に連れられ、ボロ切れを纏った子供の群れが謁見の間へと入ってくるのが見えた。

 気になった修太郎が尋ねる。

「あの子は……?」

「我の人生の分岐点は間違いなくここだ」

 ガララスの意味深な言葉に、修太郎はそのボロ切れを着た少年達へと視線を移した。

 目を細めて一人一人を観察する若きガララス。退屈凌ぎに、先代の王がやっていたような〝資質を見極め兵として鍛える遊び〟をやっていた彼は、その中の一人に目を止めた。

「小僧。その鳥はなんだ?」

 声を掛けられた子供が、ドキリとした表情を浮かべ素早く両手を後ろに隠す。

 その子供は孤児であった。

 彼は、自分が何故ここに連れてこられたのか理解していない。

 チチチチと雛鳥の鳴く声が響く。

 家臣達は怯えた様子で王を見上げている。

「あっ! ロモだめだ!」

 子供の手から飛び立ったのは青色の鳥。

 若きガララスの横を飛び去ろうとした刹那、目にも止まらぬ速さで鳥を掴むと、若きガララスは興味深そうに目を細めた。

「ほう。ハイテニオの雛鳥か」

「王様、ご無礼をお許しください」

「よい。我は寛大な王だからな」

 そう言いながら、若きガララスはジタバタと逃げようとする雛鳥の観察を続ける。

「ハイテニオの雛は肉が柔らかく蜜のように甘味だそうだな」

「ロモはその、友達なので食用ではございません」

 隣で家臣が制する声も聞かず、子供は不安げな顔で若きガララスを見上げている。

「貴様、名前は?」

「あ、アグニでございます」

 名前を聞いた若きガララスはニッと笑い、玉座から立ち上がる。

「そうか。アグニ、この鳥を少し借りるぞ」

「そ、その子は友人です! 何卒、何卒!」

 雛を掴んで奥の部屋へと歩いていく若きガララス。必死にしがみつくアグニ。周りの家臣達が引き剥がそうと止めるも、子供とは思えない力で振り払い再びガララスへとしがみついた。

「なぜこんなことをとお思いでしょう」

「それは、うん」

 修太郎は正直に頷いた。

「ハイテニオ、別名は寄生鳥。ある段階まで成長すると親鳥の体内に潜り、それを食らって力を得るとされている」

「それじゃああのままアグニが飼い続けたら」

「寄生されて死ぬのがオチだ。しか、奴には類い稀なる才能を感じていた。放置するにはあまりにももったいない」

 そこまで語って、ガララスは過去の自分とアグニのやり取りに再び視線を送る。

「お許しください! そんな、待って!」

 必死にしがみ付くアグニ。

 涙を流しながら必死に訴え続ける。

 若きガララスはお構いなく羽をパラパラと毟っていく。

「ロモ! ロモ! そんな、ロモ!」

 ついには飛びかかろうとするアグニを見て、家臣達が武器に手をかけるも、若きガララスは鋭い眼光で止めさせた――そして、雛鳥を口へと放り込んだ。

 静まり返る城内に、プチリプチリと咀嚼音が響く。

「あああああ!!」

 アグニは瞳に復讐の炎を宿しながら、力一杯殴り付けた。

 何度も、何度も、何度も。

 殴るたびに拳の速度・威力が上がってゆき、遂には若きガララスの耐久力をも上回ったのか、彼を殴り飛ばすまでに至った。

 見込んだ通りだ――と、若きガララスが満足そうに笑う。

「貴様を今日から鍛える。我が食った鳥の仇、いつでも取りに来るがいい」

 声高らかに笑いながら奥の部屋へと消えてゆく。

 アグニは涙でぐしゃぐしゃになった顔を乱暴に拭きながら、いつまでもその背中を、忌々しそうに見送っていた。

「理由を話せば和解できたかもしれないのに……」

 修太郎はその様子をハラハラしながら見届けていた。ガララスは首を振ってそれを否定する。

「理由を話してもどの道あの鳥は取り上げて処理する運命。ならばアグニの潜在能力を開花させるためにもこうする方が良かった」

 場面が切り替わり、訓練所へと移動した修太郎とガララス。そこには腕組みして見下ろしている若きガララスと、肩で息をするアグニの姿があった。

 若きガララスは暇つぶしに育てていた。

 育てた、といっても親としてではない。

 将来を担う兵として鍛えてたに過ぎない。

 或いは、己を超えさせるためか――。

「……せやぁ!」

 剣を突き立てるアグニ。

 若きガララスはそれを簡単に振り払うと、やれやれとため息を吐く。

「貴様は才能がないな」

 鼻で笑う若きガララスに、アグニはキッと睨むような視線を送る。

「お前こそ王の資質なんてない! お前は悪魔だ。俺の友達も食べたし、子供も食べるって聞いたぞ!」

 一国の王に対する無礼な態度について、アグニだけは容認されていた。若きガララスは特に気にした様子もなくこう反論する。

「覚えておけ。この世界は力が全てだ。力が無ければ、腹を膨らませることも、ただ生きることさえ許されん。我のやり方を咎めたいのなら、貴様が我を討ち、王になればいい」

 若きガララスは威圧感たっぷりな視線で彼を見下ろした。

「独裁者め……!」

「独裁者? 我は政治には関与しておらん。もはや戦争もそれぞれ将軍に任せている。多様性というものを尊重しているからな……我が本当の意味で独裁的に動けば、世界はすぐに我のものになるだろうがな」

「お前のものになんかなるわけない!」

 険悪なムードが加速していく。

「この頃の我は威勢がいいな。やはり王はこうでなければなるまい」

 などと呑気に笑うガララスに修太郎は苦笑を浮かべた。

「どうして火に油を注ぐようなことばかり……」

「この時はそれが正解だと本気で思っていたようだな」

 再び声高らかに笑うガララス。

 あまりにも雑な教育方針に、修太郎はアグニに同情を覚えたのであった。



◇◆◇



 15歳になったアグニは軍へと配属された。

 階級は百人隊長。

 孤児出身では異例の抜擢である。

 自分の隊を見下ろすアグニは、そこに懐かしい顔をいくつか見かける――それは、かつて自分がこの城に来た時、共に連れてこられていた少年達であった。

「お前達! 食われたと思ってたのに!」

「俺達もそうなると思ってたんだけどね……」

 アグニが連れて行かれたあの後、生贄にされると覚悟していた彼等は、そのまま訓練場へと連れて行かれ、今まで訓練兵として鍛えられていたとのことだった。

 何も聞かされていないアグニは言葉を失った。同時に「子供を食べる悪魔」だと罵った自分を恥じた。

「なんで黙ってたんだよ!!」

 アグニが問い詰めると、若きガララスは退屈そうにこう答えた。

「食い物なら他にあるだろう。生贄にして何かが変わるわけでもなく、町に戻しても野垂れ死ぬだけなら、はじめから兵として雇ったほうが合理的ではないか?」

 アグニは金槌で頭を打たれた気持ちになった。強い者は敵兵でも使い、弱い者は子供でも見捨てるのが巨人族だと思っていた――しかし目の前の男は他とは根本的に何かが違っている。

「……」

 呆然と立ち尽くすアグニ。

 脳内で組み立てられた怪物ガララスの像が、音を立てて壊れていくのを感じていた。

「こういう所だよね」

 そう呟きながら微笑む修太郎。

 怪訝そうな顔で聞き返すガララス。

「なにがだ?」

「ガララスのいい所」

「む……」

 満更でもなさそうな顔で頬を掻くガララス。

 修太郎はこの無自覚の優しさに何度も救われてきた。よく言えば裏表のない、真っ直ぐな考えの持ち主。生まれながらの王であるため、発言には自信が溢れ迷いがない。

「アグニくんはここでようやくガララスの人柄を理解するんだね」

「ふん。あまりにも遅いがな」

「でもそこまで待ってあげたんだもんね?」

「……」

 黙り込むガララスを見て、修太郎は楽しそうにほくそ笑んだ。



◇◆◇


 

 岩肌の露出した戦場で怒号が飛び交っていた。

 五国との本格的な戦争の最中、アグニは敵の策にはまり退路を立たれていた。味方は自分を含め三人、敵は数え切れないほどであった。

「そうか、ここで……」

 そう呟き、言葉を切る。

 ガララスは神妙な面持ちでアグニを動向を見守っていた。アグニが使う技は見透かされてるかのように悉く防がれており、逆に死角からの攻撃が続き、傷が増えていた。

「実力はアグニくんの方が圧倒的なのに!」

「地の利は相手にある。それに、我の家臣に裏切り者がいた。特性も全て敵国に漏れていたとなれば、勝ち目は元々なかったのかもしれん」

「そんな……」

 じわじわと追い詰められていくアグニ。

 後方から弓の強襲に遭い、足を撃ち抜かれ機動力を奪われた。両腕はだらんと垂れ下がり、強力な打撃スキルも使えない。

「無様なものだな」

 満身創痍のアグニを見下ろし冷笑する兵士。

 アグニはわざとらしくせせら笑った。

「こんなもんガララス様のしごきに比べたら屁でもないわ」

「貴様状況を理解していないようだな」

 首元を多数の刃が囲む。

 それでもアグニの目に負の色はなかった。

「烈将アグニよ。最後に言いたいことはあるか?」

 剣を抜き放ちながらそう尋ねる敵国の兵士。

 アグニはしばらく呼吸を整えたあと、口に溜まった血を兵士の顔目掛けて吹きかけた。

「こざかしい真似を……!」

「へへ」

 アグニの背中に槍が突き立てられ、LPがガクンと減ったのが見えた。もはや自力で立つことも叶わず、膝をついた状態で顔だけを前に向けるアグニ。

「最後に言いたいこと? そんなの決まっている」

 そう答えたのち、アグニは空を見上げた。

 この絶望的な状況にミスマッチな晴天が広がっていた。

 アグニの脳内で様々な情景が浮かんでは消える。そしてそのどの場面にもガララスの姿があった。一端の戦士にしてくれたことへの恩、恩を返せなかった後悔の念、その全てを噛み締めるように呟いた。

「ガララス陛下万歳」

 こうして、アグニはその生涯を終えた。

 生まれた土地でも、愛した主君の元でもなく、敵兵士の高笑いに包まれながら。

「……立派な最後であった」

 ガララスは終始冷静にそれを見届けていた。

 修太郎は複雑な気持ちでガララスの言葉を待つ。

「我を殺せるのは、アグニだけだと思って育てていた。しかしそのアグニは有象無象に殺された……結果として我は、自らの手で自分が最強無敵であることの証明を果たしたのだ」

 生暖かい風が吹き抜ける。

 ガララスは普段通り自信に満ちた声色だったが、修太郎はその大きな背中に寂しさのようなものを感じていた。



◇◆◇



 大量の兵に包囲された城の前へと場面が変わる。包囲する兵の鎧がアグニを討った者と同一であることから、修太郎はガララス軍の城が包囲されているのだと瞬時に理解した。

「聞けい! 暴君ガララスよ!」

 軍隊の中から凄まじい怒号が上がる。

「永きにわたる我ら巨人族の争いも今日で幕よ! 見るがいい!」

 敵将が並べた遺体は、各地で軍隊を動かしていた家臣達のモノであった。方々から聞こえる嘆きの声にも、若きガララスは動じない。

 一人一人の遺体を確認し、その中に若い将軍の顔があることに気が付いた。

「アグニ……」

 烈将アグニ。

 血の繋がりはないが、ガララスの息子とまで言われていた最高の戦士。その無惨な亡骸が、その中に並べられていた。

「やりかたが酷すぎるよ」

 凄惨な光景に憤る修太郎。

 ガララスの表情は変わらない。

「相手が動揺して戦略に歪みができればよし、効かずとも自分達には損はない。これも戦の戦法の一つ、あらゆる敵を想定しなければ戦いには勝てん。王たるものは常に覚悟せねば」

 そう言って修太郎に微笑みかけるガララス。

 しかし修太郎の表情は晴れない。

「僕は、皆にもしものことがあったら、きっと冷静にはいられないよ……」

 消え入るように力なく言う修太郎。

 ガララスは大きく笑った。

「そこも主様の良いところですなぁ。部下の危機にも自己犠牲を厭わず駆けつけるその優しさ、危うさはあるが大きな魅力だ」

 そう語った後、敵国の兵士を見下ろしながらガララスは瞳の奥に炎を宿す。

「主様はその信念を貫くために、我々に力を与えてくれた。何者にも負けない力を。今度は我々がそれに報いる番だ」

 再びアグニの亡骸へと視線を戻す。

「さぞ無念だったろう」

 ぽつりと、ガララスがそう呟く。

 ただ――と、ガララスの声に覇気が戻った。

「奇しくも無念を晴らす機会を与えられた」

 使徒のことを指しているのだと修太郎は直感的にそう思った。ガララスの目的は再びアグニと戦い、無念を晴らすことにあると。

「奴は実に屈辱的な死を迎えた。ならば奴が満足できる戦い(弔い)を。我が直々に黄泉の国へと送り返す」

 その間にも城内の状況は悪化していく。

 若きガララスの背後から不気味な笑い声が響く。

「力ばかりの軍に無能な王の国。敗戦の兵を登用する寛大さは仇となったのぅ」

 それは、相談役の家臣であった。

 元風の国の将で、最長齢の軍師である。

「儂がこの国の中核を担った時点でこの形は成っていたんじゃよ。いくら常勝無敗の軍とて、内容が筒抜けではこうなるのも自然の流れ」

 家臣の後ろには寝返った兵達がゾロゾロと集まってきていた。状況を理解した民達は嘆き、そしてもはや一人残された国王を憐れむような目で見ていた。

 寝返った兵達が武器を構える。

 若きガララスは遺体を見つめたまま動かない。

「さらばじゃ火の国。さらばじゃ孤独な王よ!」

 一斉に動き出す兵達。

 民達の悲痛な叫び声がこだまする。

「やはり我は何も間違ってはいなかった(・・・・・・・・・・)!」

 ガララスは、頭の中の何かが壊れるような音を聞いた。突き立てられた剣や槍は、肌に触れる前に弾かれる。寝返った兵達は反動で吹き飛ばされると、まるで押し潰されるようにグチャリと体を爆散させた。

「なっ……!」

 動揺する家臣。

 ガララスの固有スキルが開花したのだ。

「弓部隊! 撃て! 撃てええ!」

 雨のように降り注ぐ矢も、彼の体に刺さる手前で動きを止める。そして、ぐりんと向きを変えたかと思えば、それらは射手へと返ってゆき、爆音と共に地面ごと抉り、破壊する。

「……多様性を尊重しようとしたらこのザマよ」

 ガララスはゆっくりと振り返る。

 残るはその家臣一人となっていた。

「信じるべきは我ただ一人。道は全て我一人で切り拓き、この世も我一人のためにある」

 振り下ろした拳は家臣の頭蓋を粉砕し、勢いそのまま地面を穿つ。石畳に巨大な穴が開くと、はるか眼下に火口が現れた。

 兵士の死体が落ちてゆく。

「無駄な時間であったな。何もかも……」

 家臣の遺体を掴み上げ、放り込んだ。

 その光景は、皮肉にもかつて愚王と呼ばれた先代の王が生贄を捧げた時の様によく似ていた。

 グゥハハハハハハハハハハハハ!!

 笑い声が戦場を駆け抜ける。

 それは地の底から響くような声だった。

「結局、我を殺せるだけの者はこの世界にいなかったということだな」

 アグニの亡骸を見下ろしながら、若きガララスは愉快そうに笑い続ける。

「遂に狂ったか暴君よ。ならばその首、今ここで跳ね飛ばしてくれよう!」

 敵将が剣を振り上げ、そして振り下ろす。

 パンッ! という音と共に首が宙を舞った。

 その行方を見た敵兵達は、その首が将軍のものであることに気付き、困惑する。

「し、将軍様!?」

「討ち取れ! 討ち取れええ!!」

 呆気に取られていた敵国の兵達が一斉に武器を振り下ろす――も、ガララスの体には見えない膜のようなものがあり、攻撃が通らない。

 攻撃が弾かれると同時に、攻撃した全ての兵士達が爆散。戦場に血の雨が降り注いだ。

 暴れ狂う若きガララスと戦場の情景がぼやけてゆき、やがて漆黒の空間に戻ってきていた。佇む修太郎とガララスの前に、ボロ切れを着た少年の頃のアグニが立っていた。

「お願い。戻ってきて」

「……」

 無表情で見下ろすガララス。

 アグニはボロボロと涙を流しながら、懇願するように叫ぶ。

「戻ってきてよ! 僕、死にたくないよ……それに今の貴方ならきっといい王様になれる……豊かな国が……!」

「黙れ」

 ガララスの拳がアグニを強襲した。

 漆黒の中、アグニの体が宙を舞い、落下した体がゴム毬のように点々と転がっていく。

「えっ……」

 修太郎は唖然とした顔で硬直していた。

 アグニは頬を撫でながらヨロヨロと立ち上がる。

「どう……して……」

「よき王だと? ずいぶん偉くなったものだな。(まつりごと)も知らぬ貴様に豊かな国を語る資格はないわ」

 ガララスは語気を強める。

「我は過去に未練はない。なぜなら我の過去に失敗はないからだ、全てが成功のための経験だからな。つまりアグニよ、我にとっては貴様もよき教訓であり、過去に過ぎない」

「ふざけんな! じゃあ俺の死なんざどうでもよかったってことかよ」

 少年の姿から青年へと変わってゆくアグニ。

 その表情からは憎悪にも似た感情が読み取れる。

 ガララスはゆっくりとした足取りでアグニに歩み寄る。

「自分が生き返りたいから過去に戻れだと? 笑わせるな。貴様いつまで子供のままいるつもりだ?」

「……」

「貴様は我が見出し、期待に応え将軍となった。将軍として戦場に赴き、戦場で命を落とした。これの何が不満か! 貴様は誇り高く死んでいった。違うか?」

「……俺は誇り高かった」

「その通りだ。漢なら未練を持つな」

「!」

 死んだ者に生きている者がする助言としては、火に油を注ぎかねない内容だと修太郎は思った。しかし、アグニもまた誇り高き巨人族。ガララスの言葉で目つきが変わる。

「……世話をかけました」

「ふん。いつまでも手のかかる奴だ」

 アグニはガックリと項垂れた。

「最後まで独り立ち出来ずじまい、か」

 アグニの足元が光の粒子に変わってゆく。

「烈将アグニよ、我が弟子よ!」

 あまりの声量に空間がビリビリと震えた。

 ガララスは真っ直ぐな目をアグニに向ける。

「最後に我が全身全霊で相手することを約束しよう。それがせめてもの手向けだ」

 ハッとしたアグニが顔を上げると、そこには微笑みを浮かべたガララスがすぐ目の前に立っていた。

「我が貴様にしてやれることは、会った時からずっと戦い(コレ)だけだったからな」

「……」

 アグニに少年のような笑顔が戻る。

 体はすでに半分以上が消えていた。

「手向けだって? すでに勝ったような気分でいるけどな、負けてやるつもりはないからな」

「すでに貴様に一度負けた身よ、慢心はない」

「そうかい。でもまぁ、あのクソみたいな終わり方じゃなく、陛下と戦って終われるなら悪くないかもな……」

 満足そうなつぶやきを残して、アグニの体は完全に消えた。その残光を眺めながら、修太郎が口を開く。

「勝って終わらせなきゃだね」

「無論そのつもりだ」

 そう呟くガララスの表情はとても晴れやかに見えた。


【ガララス と召喚獣契約を結びますか?】

 YES / NO

 表示された選択肢。

 修太郎は迷わずYESを押した。


【ガララス の召喚獣契約に成功しました!】

【ガララス のレベル上限が200になりました!】

【ガララス の種族がランクアップしました!】

 


6



 漆黒の中に延々と続く道の上。

 修太郎の後ろを歩くバンピーの足が止まった。

「あの使徒がなんなのか、誰なのか、妾は本当に知るべきなのでしょうか」

「それは……」

「レベルが上がった今、知らないままなら勝つ可能性が高いと思っています」

 彼女の呟きに、修太郎は即答できず口籠る。

 使徒襲撃の際、他の魔王達は相手が誰かを理解していたが、バンピーだけが誰かを思い出せないままであった。しかし幸か不幸か、最も使徒との戦闘で肉薄したのもバンピーである。つまり、正体を知ることによってそのアドバンテージが失われる可能性を危惧していた。

「知る必要はあると思う」

 それを理解して尚、修太郎はそう答える。

「バートランド、セオドール、シルヴィア、ガララス……全員過去に大切な存在がいて、大切な思い出があった。その人達が使徒に変えられてる。だからバンピーの相手だって、バンピーにとって大切な人なのかもしれないよ」

「妾には必要ありません。妾には主様がいて、ミサキもいますから」

「あ、うんうん、そうだね……!」

 ここでミサキの名前が出たことに喜びを隠しきれない修太郎。バンピーにとって彼女はそれだけ大きな存在になってきているようだ。

 だからこそ修太郎は言う。

「思い出せないその人もバンピーにとっては大切な友達だったのかもしれないよ?」

「だとしても、過去は過去です」

「彼は〝今〟苦しんでるのかもしれないよ」

「……」

 少なくとも使徒は自分の意識は持っているが、なんらかの方法で戦闘を強要されている――というのが修太郎と魔王達の見解であった。

「ただ倒してしまうのは報われない、と――」

 自分の素性を忘れられ、攻撃を止めることもできないのはあまりにも理不尽ではないかと、バンピーはそんなことを考える。

「わかりました。向かいましょう」

「うん。ありがとう」

「なぜ主様が感謝するのですか」

 少しみじろぎしながらそう尋ねるバンピー。

「友達を助けたいから行くなんて素敵だなって」

「違います! 別に相手には何も義理もありません。ただ何者かも分からない相手を倒してしまっては後味が悪いかなと……」

「うんうん。じゃあそういうことにしよっか」

「主様! 妾は本心から言ってるんです!」

 などと会話を弾ませながら、二人はバンピーの過去へと入っていった。



◇◆◇



 湖と豊かな自然に囲まれ、旧アーメルダス語で「水の楽園」を意味する平和の国レンドスに、見目麗しい姫が産まれる。

 名前はル・バンピア・シルルリス。

 生まれつき透き通るような白い髪と肌をもった彼女は、王と妃にそれはそれは可愛がられ何不自由なく過ごしていた。小国の姫でありながら平民の子供と混ざって遊ぶ姿が頻繁に目撃されており、活発でよく笑う子だと平民からも大層評判が良かった。

 子供達に混ざってかけっこをするバンピアを遠巻きに眺めながら、修太郎は小さく笑った。

「かわいいね、小さい頃のバンピーも」

「も、もっと品のある振る舞いをすべきだと思います」

「(〝も〟というのはどういう意味かと尋ねるのは無礼に当たらないかしら……)」

 赤面するバンピーに気付かぬまま、修太郎はバンピアを追いかけていく。

 場面が切り替わると、今度は神殿のような場所に出た。周りにはたくさんの子供がいて、ソワソワしながら何かを待っているのが見える。

「……この日は子供達の〝固有スキル〟の発現の日ですね」

 その光景を懐かしみながら、バンピーは呟くように言った。

「固有スキルって芽生えるものじゃなく授かるものなの!?」

「妾の世界ではそうでした。他は分かりませんが」

 バンピーにとっては、これも忘れたい記憶のひとつだ。その後なにが起こるのか、バンピーは昨日のことのように鮮明に思い出せる。

「俺は強い固有スキルを発現させて、バンピアを守る近衛兵になるんだ!」

 ひときわ元気な声が神殿に響いた。

 修太郎とバンピーは顔を見合わせ、その声の主を探す――と、使徒と瓜二つの少年がそこにいた。

「あの子だ」

「妾の前に現れたのも彼ですね」

 ひと目でそう理解したバンピーだったが、未だ彼のことを思い出せない。ズキンズキンと酷い頭痛がバンピーを襲う。

 身分が違うのかバンピアに比べると見窄らしい格好にも見えるが、二人は身分差など感じさせないほど楽しげに会話をしている。

「レオみたいな頼もしくない近衛兵なんていらなーい!」

「言ったなー!! でもここから先、どんな固有スキルになっても俺達は変わらず友達だかんな!」

 二人は拳を打ちつけ、笑みを溢す。

 それは二人で考えた友情の印を示すまじないだった。二人はこれが好きだった。

 辺りを見渡すバンピアは、子供達を見下ろすような形で上層階に立つ()の姿を見つけ、笑顔で手を振っている。

「う……レ……オ……?」

 彼が笑うたび、頭の痛みが増してゆく。

 頭を抱えその場にうずくまってしまった。

「バンピー!?」

「頭が割れそうです……!」

 誰かが脳内を叩き壊している。

 頭が破裂しそうな感覚、痛みは増すばかり。

「あああああ!!!」

 たまらず絶叫した痛みの果て、バキリという破壊音の直後、バンピーの記憶が蘇った。

 まるでその記憶だけを意図的に封じていたかのような、そして今、ダムが決壊したように記憶の濁流が脳内に流れ込んできていた。

「うそ……いままでレオのことを……どうして……」

 彼女からは威厳が失われ、それこそ少女のような口調に戻っていた。足を震わせながら立ち上がり、よろよろとレオの元へ歩いてゆく。

「名を呼ばれた者は前へ!」

 司祭らしき老人の声に、子供達のざわつき声が止んだ。

 司祭が次々に子供の手に触れたのち、隣に立つ王国騎士団長がその固有スキルを宣言、歓声が上がってゆく。

「農作物成長補正、動物言語、鍛治補正……今年は有能な固有スキルが豊富ですな」

「はっはっは! 確かに今年は平和的なスキルが豊作ですね。まぁ私としては同志が増える方が喜ばしいのですが」

 司祭と騎士団長は発現が終わった子供達を見ながら、嬉しそうに言葉を交わしている。

「だめ……ダメ!」

 バンピーの叫び声が神殿内に響く。

 その声は誰にも届かず虚しく消えた。

「バンピー! 大丈夫!?」

「嫌です、嫌……見たくない……」

 彼女を抱き止めながら声をかける修太郎。

 バンピーは完全に錯乱状態にあった。

「(そうだ、バンピーの固有スキルは……!)」

「ル・バンピア・シルルリス!」

 司祭が次の子供の名前を呼んだ。

 前に出る白い姫。

「不安ですか?」

 微笑む騎士団長にバンピアは笑顔で首を振る。

「ううん。楽しみっ!」

「ほっほっ、流石は我らの姫様じゃ」

 満足そうに何度も頷きながら優しく姫の手をとる司祭――すると突然、付近にいた少年少女およそ138名が、一瞬にして崩れ落ちた。

「え……?」

 子供たちはすでに事切れていた。

 死体が作る巨大な円の中心で、バンピアは呆気にとられたように立ち竦んでいる。

 司祭は震える手で胸から四角い紙を取り出すと、それを騎士団長に渡し膝から倒れた。ほどなくして司祭も光の粒子となり、持ち物を撒き散らして消失したのだった。

「し、司祭様ぁ!!」

 騎士団長の悲痛な叫びがこだまする。そして司祭に託されたその紙を見て、さらに驚嘆の声を上げた。

『終焉――一定範囲内にいる弱い存在の命を即座に奪う。対象に触れた時、強さが近い存在の命を奪う』

 彼女のレベルは一瞬にして31まで上昇していた。怪物が誕生した瞬間であった。円の外側にいた人達は叫び声を上げながら神殿から逃げ出してゆく。

 不安になったバンピアが横に視線を向けるも、そこにいたはずの友人は、もうどこにもいなかった。

「レオ……? みんな、?」

 不安げな彼女の泣きそうな声が響く。

 騎士団長はとっさに国王へと視線を向け、その表情(かお)を見てしまう――愛娘を見下ろす国王は、醜い笑みを浮かべていた。

「そうだ、妾のせいだ」

 呆然と立ち尽くしながらバンピーが呟く。

「妾がレオを殺した」

 絶望したような声と共に場面は暗転し、鬱蒼と茂る森の中心にある塔へと景色が変わる。

 それからのバンピアの人生は悲惨なものであった。

「自分が病気だと教えられ、狭い塔へと隔離されていました。父は妾を殺すために刺客を送ってきましたが、ご覧の通りです」

 まるで人形のような無表情で説明するバンピー。

 修太郎は黙ってそれを聞いていた。

 塔を見下ろすような位置に立つ二人は、はるか眼下に集まる冒険者達を眺めていた。そして彼らが塔を囲むように武器を持ち、雄叫びと共に駆け出すその刹那――溶けるようにして、全員が死んだ。

 ほどなくして、いつものように塔の窓辺に矢文が刺さると、バンピアが顔を覗かせ嬉しそうにそれを取った。塔の下には弓を背にして立ち去るレオの姿があった。

「また隣国の悪い兵士さん達を倒してくれたんだ! 怖かった……いつもありがとう、お父様、レオ」

 手紙に目を通しながら涙声で呟くバンピア。彼女の首には、美しい宝石が散りばめられたネックレスが光っていた。

「でも、レオは固有スキルの発現の日に――」

「ええ。すべては妾を騙し、塔から出さないための罠でした」

 冷めた瞳で一連の光景を眺めるバンピー。

 そこからは時間が早送りになるように季節が巡り、何度も冒険者達の襲撃を受けながらも、バンピアは塔の中で大人しくしていた。

 レオからの指示を守っていたからだ。

 空間がぐにゃりと曲がってゆく。

「レオからだ……え、病気を治す薬が見つかったの!? 一緒に馬車でその薬がある国に行くって……ええ、どうしよう!!」

 次の場面は矢文を確認するバンピアの様子から始まった。塔に用意された純白のドレスを着て急ぎ足で塔を降り、馬車を見つける。

 その傍らに、レオが立っていた。

 あの日と同じ、変わらない姿のレオ。

「レオ、レオなのね!」

「久しぶり、バンピアは変わらず綺麗だね」

 嬉しさのあまりバンピアは拳を突き出す。

 それを見つめ、困ったように微笑むレオ。

「ええと、なに?」

「あっ、ごめんなさい……」

 二人だけの、友情の印。

 レオは忘れてしまったんだな――と、肩を落とすバンピアを他所に、レオは馬車の中へと手招きした。そこから何日も何日も馬車に揺られる二人。食べ物は御者の人が買ってきた物を仲良く食べた。

 バンピアは長旅も苦にしてない様子であった。

 この窮屈で暗くてお尻の痛くなる馬車の中も、誰もいない塔の中よりマシだから。目の前のレオと話すだけで毎日が楽しかったから。

 そして、旅立ってからひと月が経った頃。

「わっ!」

 唐突に止まる馬車。

 バンピアの体が跳ねレオの胸に飛び込むと、彼女の顔はみるみる赤面していく。

 しかしレオの体に触れた際、彼女はある違和感を覚えた。

「すごく冷たい……」

 およそ人の温もりが感じられないことが気になったバンピアだったが、それより先に、レオが顔色を変えずに語り出した。

「申し訳ございません、ル・バンピア・シルルリス様。私からの最後の言葉をお伝えする時がやってきました」

「!」

 レオの口から出たその声は、どこか懐かしくもあり、しかしレオの声とは似ても似つかぬ初老の男性のものだった。

 困惑する修太郎が呟く。

「これは……」

「騎士団長のスキルによってレオの死体は運用されていた、ということです。レオはとっくに死んでいたのに、妾はそれに気付けなかった」

 寂しそうな声色でそう呟くバンピー。

 一方のバンピアは俯き、怒りに震えていた。

 胸の奥にどす黒い感情が湧き上がってくる。

「なら、なんで今話したの?」

 感情を失ったような声色で尋ねるバンピア。レオは真っ直ぐな瞳で、それに答える。

「時間がないからです姫様」

「時間……どうしたの?」

「その問いに答える事はできません。この馬車に積んだお金と、力を封じる指輪で、今度こそ慎ましい余生をお過ごし下さい」

 バンピアは外に飛び出すと、そこには全く見慣れない光景が広がっていた。

「貴女様の固有スキルはとても強大で危険なものです。しかし貴女様を、身分を鼻にかけず城下町で走り回っていた貴女様を……私は見てきたから、戦争の道具にしたくなかっ」

 言い終える前に、レオは糸の切れた人形のように動かなくなった。

 レオの体が光の粒子となって消えてゆく。

 バンピアは縋り付くように涙を浮かべ駆け寄った。

「いや、いやだよ……レオ、デュラハン! 妾は、妾はこれからどうすれば……帰る場所なんて……!」

 その叫びに応える者はもういなかった。

 場面が暗転し、今度は豪華な城の中へと変わった。

「おお、バンピア! よくぞ、よくぞ戻った!」

 国王は本当に嬉しそうに彼女を受け入れた。

 バンピアは故郷へと帰ってきていた。

「あの後、別の国で生活しようと努力しました。けれどその度に何物かの手によって奪われ、その度に国を滅ぼして回りました。そんなことが数年続き、もうこれ以上なにも考えたくないと、妾は軽率にも故郷に戻ったのです」

「でもお父さんはバンピーのこと……」

「ええ。それでも妾はこの瞬間まで彼の本性に気付けなかった」

 静かに怒りの感情を露わにしながら、バンピーは国王と抱き合うバンピアを見つめていた。

 久方ぶりの幸せを噛みしめるバンピアは、ふと、その傍らに母の姿が無いことに気付く。

「お父様、お母様はどちらに? 騎士団長は?」

 国王は笑みを浮かべ、バンピアに向き直る。

「死んだよ、二人とも」

「死んだ……?」

「そうだ。(マーリド)は不運な事故で、デュラハンは反逆罪で打ち首になった。見せられなくて残念だよ、首なら1年前まで晒していたのだがな」

 反逆罪? 何の反逆罪?

 バンピアの脳内に騎士団長との会話が蘇る。

 自分を逃した彼が反逆の罪となったのなら――原因は自分だ。

 バンピアは遅れてそれに気が付いた。

 ただ、気付くのがあまりにも遅かった。

「なん……で?」

「おお、可愛い我が娘よ。最後に教えてやろう」

 国王は美しい宝石のようなものを掲げながら、慈悲深くバンピアを見下ろす。

「お前の力は素晴らしい物だ。私の目論見通り、一人で隣国全てを滅ぼしてくれたのだからな。野党共に少しばかりの金を握らせただけで、こうも事態が好転するとはな」

 バンピアは全てを悟った。

 自分が行く先々で不運に遭ったのも、デュラハンが斬首されることになったのも、全てはこの国王の画策によるものだったことを。

「お前のその首の宝石が、常に居場所を教えてくれる」

 それは、かつて国王が彼女に送った誕生日プレゼントであった。

「お前は強くなりすぎてしまった。最初からこうする予定ではあったが……せめて安らかに眠れ、我が娘よ」

 バンピアが指輪に手をかけるよりも早く、国王は手の中の宝石を砕いた。するとバンピアの首元の宝石も同じように割れ、彼女の体は粉々に砕け散ったのだった。

「伝説の怪物をも一瞬で屠る、か」

 光の粒子となった娘の名残りを見下ろしながら、国王は虚しそうに呟く。

 そしてバンピアは城内に設けられた妃と墓の隣に恭しく埋葬される。それから数年後、対抗勢力のいないレンドスは全ての土地に勢力を伸ばし世界統一を成し遂げたのだった。

 場面が暗転し、漆黒の闇が広がる。

 修太郎は複雑な心境で立ち尽くしていた。

「実の子供を騙し続けていたなんて……」

 自らの欲望に支配される邪悪な思想。

 騙すだけに飽き足らず、騎士団長を殺し、妃を殺し、バンピアを殺した。家族の愛に生きたシルヴィアの父とは対極の存在である。

「その後、妾は甦った。同時にほとんどの記憶を失い、レオのことも忘れた」

 喪失感に押しつぶされそうになりながら、力なくそう語るバンピー。

「レオはきっと妾を恨んでいます」

 バンピーの呟きが闇の中に溶けて消えると、どこからともなく小さな光が集まってきた。

「恨んでねーよ」

 それは人の形を作り、少年の姿に変化する。

「! レオ?」

「おう。久しぶり」

 そこには、やんちゃそうな笑みを浮かべるレオが立っていた。

「俺がお前に言いたいことはひとつ! お前、ほんっとーーにアホだな!」

 あまりにもな物言いに呆気に取られたバンピーは、ハッと我に返り、負けじと反論する。

「なっ……誰に口聞いているのかしら」

「お前のスキルがあれば全部の国ぶっ壊して天下統一できるじゃん! それってめっちゃすげーことだろ!? なんで病気とか意味わからない嘘信じたんだよ!」

「壊したわよ! その結果がこのザマよ!」

 バンピーの言葉を合図に場面が切り替わる。

 そこには数千年後の世界が映し出され、残骸のように風化した建物だったものと、荒野。そしてアンデッド達が跋扈する光景が広がった。

「なら過去に戻ってやり直せよ」

 無表情のレオが冷たくそう言い放つ。

 反論しようとバンピーが口を開き、しかし言葉が出てこないようで、ヒュと、空気の漏れる音だけが響いた。

「力を抑えられるようになったんだろ? じゃあもう心配いらないじゃん。国王様をぶっ飛ばしてさ、そしたら全部解決だろ? 今度は俺がついてる。絶対前よりも幸せになれる」

 バンピーはレオを見て、修太郎を見た。

 二人の背丈はほとんど同じで、並んでいると顔も似ているように見えた。修太郎の方へ行けば未来を、レオの方に行けば過去を選択できるような、漠然とした予感があった。

「今度こそバンピアの近衛兵にならせてくれよ」

 そう言って笑顔を手を差し伸べてくるレオ。

 バンピーの視線がレオへと向かう。

「……」

 修太郎は魔王達の意見を尊重したかった。したかったのだが、迷いを見せたセオドールを見て、優しい言葉をかけてくれたシルヴィアを見て、自分の意思を素直に伝える大切さを学んだ。

「僕にはバンピーが必要だ」

 修太郎も右手を前に差し出した。

 二人の前にしばらく佇んでいたバンピーは、何かを決意したように口を開く。

「妾の人生は後悔ばかりだった」

 自分の過去をひとつひとつ思い出しながら語る。だから――と言いながら、バンピーはゆっくりとした動作で手を伸ばす。

「平穏に暮らせるならそれがいい」

「!」

 バンピーが掴んだ手は、すり抜けずにそこにあった。それはレオの手であった。

 一瞬驚いた様な顔を見せるレオ。

 修太郎は何も言わず、手を引っ込めた。

 バンピーの目線は修太郎を向いている。

「よし。じゃあ戻ろう、俺達の過去へ!」

 そう言って歩き出そうとするレオは、がくんと、バランスを崩して転倒した。

「悪い悪い、何かに躓いて……」

 起きあがろうとして――自分の足が光に包まれ消えていることに、気が付いた。レオはなにが起こったのか理解ができなかった。やがて体の半分が消えたところでようやく我に返る。

「な、え……?」

「ごめんなさい。妾は――」

 レオの言葉を遮るようにバンピーが呟く。

固有スキル終焉(これ)が耐えられる人じゃないと、一緒には居られないわ」

「そん――」

 最後まで言葉を発することもできず、絶望した顔で消えてゆくレオ。漆黒の闇の中、二人だけがその場に残された。

「過去に戻っても、この力が消えることはありません。今は制御できていたとしても、妾の精神状態によってはそれも分かりません」

 修太郎に背を向ける形で立つバンピー。

 修太郎は黙ってそれを聞いていた。

「というのは方便です」

 そう言って振り返るバンピー。

 その表情は微笑んでいるように見えた。

「過去に戻ってやり直しても、無かったことになんてできない。妾が奪われたもの、奪ったものを全て背負って生きていく。そういう覚悟でこれまでもやってきましたから」

 ですから――と、バンピーは優雅な動作で深々と腰を折り、頭を垂らした。

 白の髪がはらはらと流れ落ちる。

「これからもお側に支えさせてください。妾はこれから先もずっと、貴方のものです」

 少し大袈裟にしたのもバンピーなりに意味があってのこと。これまでの自分から、修太郎の召喚獣としての新しい生を受ける大切な儀式だと解釈していたから。

「……と思ったよ」

「……主様?」

「バンピーが居なくなっちゃうかと思ったよ」

 バンピーがチラと顔を見上げると、そこには涙を流す修太郎の姿があった。

「主様!?」

 ギョッとして慌てて立ち上がるバンピー。

 修太郎は涙を拭きながら笑顔を見せた。

「ううん、安心したら涙が……でも良かった」

 そう言いながら、見られたくないからと恥ずかしそうに後ろを向く修太郎。

 そんな修太郎の姿に、バンピーは胸が締め付けられるような感覚を覚えた。普段は冷静で気丈な主が、自分の為に涙を流す姿が愛おしくてたまらない。

「(主様……)」

 遠慮がちに、両手を伸ばしては引っ込める。

 今はもう、なにも考える余裕などなかった。

 たっぷり数秒もかけて、手先が触れた。

 彼の背中をふわりと包み、抱きしめた。

「バンピー?」

 修太郎は少し戸惑いながらも、その両手と重ねるように右腕を被せ、ゆっくり目を閉じる。

「こちらこそ、これからもよろしくね」

 バンピーは修太郎を抱きしめたまま、離れるのを嫌がるように、背中に顔を埋めたままこくこくと小さく顔を上下させた。


【バンピー の召喚獣契約に成功しました!】

【バンピー のレベル上限が200になりました!】

【バンピー の種族がランクアップしました!】



◇◆◇



「長旅本当にお疲れ様でした」

「ありがと。エルロードで最後かぁ」

「過去に未練がある者が躓く、という試練なら過去を懐かしむ必要もありません。私は過去に未練などありませんから」

 はっきりとした口調でそう語るエルロード。

 修太郎はエルロードらしいやと苦笑した。

 空間がぐにゃりと曲がり、寂れた雰囲気に満ちた辺境の城へと景色が変わる。

 かつては栄華を極めたであろう城が今や荒廃している。石造りの壁が風雨に打たれ劣化しており、壁の割れ目から草木が生い茂っている。

 月夜に照らされた廃城はどこか神秘的で、修太郎は思わず息を漏らした。

 城の門は半開きになっているが、外からは暗くてよく見えない。

「ではこの世界を破壊して終了とさせていただきましょうか」

 そう言ってエルロードが手を掲げると、天空に巨大な魔法陣が描かれてゆく。雲が渦を巻き、ごろごろと雷鳴の音が轟き始める。

「え、え、ちょっと待って!」

「申し訳ございません、先に一言お伝えすべきでしたね」

 修太郎が止めに入ると、エルロードは魔法陣を縮小化させ手の上に引っ込めた。くるくると踊る魔法陣からは高密度の魔力が溢れ出し、彼が本気で世界を破壊するつもりだったことが窺い知れる。

「(エルロードってこんなに力押しだったっけ?)」

 などと修太郎が考えていると、城門の前に立つ人影に気が付いた。

「ようやく会えたのう、エルロードよ」

「?」

 警戒心を強めるエルロード。 

 しかし修太郎は別の反応を見せていた。

「エルロード、変だよこれ」

「変とは、いかがしました?」

「だってあの人〝こっち〟に話しかけてるんだもん」

 修太郎は魔王達の過去を追体験してきているが、それは映像を観ているのと同じ感覚であり、こちらから何か干渉はできなかった。当然、向こうからの干渉もない。映像を見終わってはじめて〝過去へと戻る〟選択肢を掲げた人物が現れていた。

 今回は最初からその人物がいる。

 他と比べても明らかに異質であった。

「(エルロードがいきなりここを壊すとか言ったから慌てて出てきた可能性はあるけど……)」

 修太郎がそんなことを考えていると、その人物は愉快そうにホッホッホと笑った。

「そう警戒なさるでない。儂はゆっくり話がしたいだけじゃよ。エルロード、そして修太郎くん」

「! どうして僕の名前まで……」

 月明かりに照らされ露わになったその顔は、エルロードの師であるウォルターだった。

「入っておいで。中で話そう」

 それだけ言い残し、城の中へと消えるウォルター。修太郎とエルロードは顔を見合わせ、その後ろをついていった。

 しばらく歩くと、謁見の間が見えてきた。

 赤い絨毯と背の高い窓が並ぶ、かつての栄華を思わせる装飾で飾られていた。

 二人が部屋へと入ると、ウォルターは既に玉座の上で到着を待っていたようだった。

「時間が限られておるから単刀直入に言おう、お主らが限界召喚によって強化したところで、光の神を倒すことはできん」

「!?」

 二人は一気に警戒心を強める。

 光の神を知る存在、心当たりはただ一つ。

「貴様、使徒か?」

 鋭い眼光で睨むエルロードに、ウォルターは呆れたようにため息をついた。

「儂が使徒に見えるかの? よし、使徒を見分けるための身体的特徴を教えてやろう。使徒は共通した青い眼の中に〝服従〟の呪いが刻まれておる。以前戦った時の状況をよーく思い出してみるんじゃな」

 ウォルターに言われるがまま、修太郎はその時の状況を思い出す。確かに対戦したαをはじめ、他の使徒達は皆青い眼をしていた。そこにはウォルターも含まれるのだが、目の前にいる老人の眼は青ではない。

「……魔法でどうとでも偽装できます。幻覚魔法の可能性も否定できません」

「お前の目を欺くほどの幻覚魔法、のう」

「……」

 完全に信用したわけではないと言いたげな顔で沈黙するエルロード。代わりに修太郎が質問を投げる。

「その、ウォルターさんは味方、ですよね?」

「もちろんそうじゃ。信用しないと損するだけじゃよ」

 そう言って横目でエルロードを見るウォルター。エルロードはピクリと眉を動かした。

「僕は今日、他の仲間達の過去を見てきました。あの、仲間っていうのはエルロードと同じ魔王で、魔王っていうと語弊がありますが、その……」

「ほほ、よいよい。ひと通りのことは把握しておる。説明はいらないよ」

 修太郎のみならず他の魔王のことも知っているとなると、いよいよ話がおかしい。怪しむ修太郎を察してか、ウォルターは楽しそうに笑いながら続ける。

「全て儂の固有スキルのおかげじゃよ」

「ウォルターさんの固有スキルって……」

「先を見通す者――簡単にいうと未来視じゃ」

「未来視!?」

 大袈裟に驚く修太郎。

 その反応が面白いのか、ウォルターは笑いながら何度も頷いている。

「エルロードがこの城を訪ねてきた日に、儂はこの光景を見た」

 自分の目を指差しながらウォルターが続ける。

「お主らは召喚獣契約を結ぶために過去へ時間旅行をしている。そこに儂が魔法で干渉し、お主らがいつ何時にどこに現れるのかを割り出して、今の状態を維持しておるんじゃよ。他の者にお主らは見えないし、儂が一人で喋ってるように思えるじゃろうな」

 そう説明され、修太郎はようやく理解ができた。今度はエルロードが質問する。

「未来の存在に干渉? どれほどの魔力があればそんなことが可能になるのですか」

「この時間、お主は魔族領に戻っている頃かの。儂は城で眠りこけていることになっておる。そして儂は明日野盗に襲われる、と言えば聡明なお前なら理解できるだろう」

「……!」

 エルロードは愕然とした様子で沈黙した。

 ウォルターは少し悲しそうな顔を覗かせたあと、修太郎へと向き直った。

「光の神に勝つ術は限られておる。これは儂の未来視でも完全には読みきれなかったが……しかし儂はエルロードの中に見た〝修太郎君〟にも可能性を感じたんじゃ」

「僕、ですか?」

「うむ。故に儂はエルロードと修太郎君を巡り合わせるために動くことにしたんじゃよ」

「?」

 修太郎は何が何だか分からないといった様子だが、エルロードは違っていた。彼は怒りに体を震わせながら糾弾するように叫んだ。

「野盗に遅れを取った理由は短剣じゃないと? この魔法による魔力切れのせいですか?」

「いかにも。故に今がある、そうじゃろう?」

「クッ……」

 視線をエルロードから修太郎に移し、ウォルターは真剣な表情で続ける。

「過去の旅が終わってすぐに、お主の決断を実行させるんじゃ」

 決断という言葉で何を指しているのか一瞬で理解した修太郎。その様子を見てウォルターは小さく頷きながらさらに続けた。

「光の神が全ての街を同時に使徒に襲わせる。動きが遅れれば人間が大量に死ぬ。くれぐれも注意せよ、お主らはもう〝生き返れない〟からのう」

 かつてエルロードが行った方法ではプレイヤーを救う事はできない、とウォルターはそう言っていた。修太郎が力強く頷くと、ウォルターは満足した様子で椅子に深く座り込んだ。

「なんとか間に合ったようじゃな……」

 消え入るような声でそう呟き、ため息を吐いた。

 まるで映像に不具合が生じたように視界が乱れ、音も断続的にしか聞こえなくなってゆく。室内は大地震が起こっているように激しい横揺れが発生し、修太郎はたまらず柱に掴まった。

 間に合った――つまり今、ウォルターの魔法が切れ、過去と未来の繋がりが切れるということ。

「ウォルター卿」

 揺れをものともせず玉座の前に佇むエルロード。ウォルターは悲しげな瞳で彼を見下ろした。

「私と会ったその日から、こうなることを知っていたのですね」

「そうじゃ」

「そうですか……」

 それだけ聞くと、エルロードは流麗な動きでウォルターの前に傅いた。

「お仕えできて光栄でした。貴方からの学びをもって、修太郎様に誠心誠意尽くしてまいります」

 修太郎は二人の姿だけ視界がはっきりして見えていた。ウォルターは嬉しそうに頷き、にっこりと笑顔を見せた。

「楽しかったのう」

「ええ、とても」

 揺れは激しくなり、景色が暗転する。

 やがて暗転から明転すると、そこには玉座で眠るウォルターの姿があった。

「ウォルターさん……」

「主様、今はもう我々は干渉できません」

 先ほどとは違い、二人が声を発してもウォルターは微動だにしない。干渉魔法が切れたのだと修太郎は悟った。

 部屋に日の光が差し込んでいる。月明かりに照らされた夜から一夜明けていた。

「! 誰か来るよ」

 背後の扉を見つめ警戒心を高める修太郎。しかしエルロードはウォルターの姿をただじっと眺めるだけであった。

 大勢の足音でウォルターは目を覚ます。

「おぉ、英雄様がこんなとこにいたぞ!」

 謁見の間に大勢の男達がゾロゾロと入ってきた。下卑た笑みを浮かべ歩み寄ってくる。

 ウォルターはエルロードにもそうしたように、柔和な笑みを浮かべ出迎えた。

「歓迎したいところじゃが、見ての通り、ここには何もないぞ」

「それは俺達が判断する」

 武装する男達は明らかに素人ではない。明確な目的を持って、この城に送られてきた刺客だとウォルターは確信していた。

「!」

「おっとお!」

 ウォルターが杖を構えるも、肝心の魔力が湧いてこない。背後から迫る野盗に殴られ、苦しそうに玉座から転げ落ちた。

「封魔の短剣だ。ある貴族から借りた」

 野盗が幾何学模様の刻まれた短剣を見せびらかす。

「あの短剣って……」

「ええ、大した効果はありませんよ。ウォルター卿は我々との対話で魔力はもう……」

 冷静にそう答えるエルロード。

 修太郎はウォルターへと視線を戻す。

「昨夜の魔族強襲はじいさんの仕業だよな? 流石は魔王を討った英雄様だ、魔法の力でちょちょいのちょいだよな!」

「ぐ……」

 ウォルターはただ呻き声を上げている。

「暗殺の指示が出た時にゃ無茶な仕事だって腹が立ったが、蓋を開けてみりゃただのジジイじゃねえか! 魔法だけでどうにかなる時代は終わってんだよ!」

 謁見の間が笑い声に包まれる。

「かつての英雄が何もできねぇとはな。ま、部下を追い出したお前が悪いんだけどさ――」

 そう言って短剣を振りかざす野盗は、部屋へと入ってくる一人の男に気が付いた。

「おい、誰か来たぞ」

「んな馬鹿な。警備はどうしたんだ」

 ざわつく野盗達。その間もスタスタとこちらへやってくる男は、不気味に口元を歪ませながら何かを床に投げ捨てた。

 ごろり、と転がる無数の首。

「ヒッ……!」

 拷問でもされたかのような苦悶の表情に歪むそれらは、やがて光に包まれ消えていった。

「失礼。我が主に御用でしたか?」

「な、なんだてめぇは!」

「私はここの執事です」

 過去のエルロードが膨大な魔力を放出する。

 その瞳が野盗を捉えると、まるで蛇に睨まられた蛙のように全員が動けなくなった。

封魔の短剣(それ)で食い尽くせますか?」

 魔力が抑えきれず、短剣は音を立てて砕け散る。

 周囲に夥しい数の魔法陣が展開され、現れた黒色の手が野盗達を掴んだ!

「――! ――!」

 抵抗するも誰一人抜け出せない。

「綺麗に死んでくださいね。本が汚れますから」

 絶叫と共に、野盗が闇に引き摺り込まれる。

「ぐ……む……」

 ウォルターは薄れゆく意識の中で、自分を抱き上げる過去のエルロードの姿を見た。

「ようやく立場が逆転したようで気分がいいですね」

 声が遠のくのを感じながらウォルターが意識を失うと、修太郎達の視界も暗転した。


◇◆◇


 ウォルターは紅茶の香りで目を覚ました。

「お目覚めになられましたか?」

 そう言って食事の支度を進めるのは、執事服に身を包んだ過去のエルロードであった。

「どういう風の吹き回しじゃ?」

「なにがです?」

「同胞達を襲った理由を聞いておる」

 魔族達が目論んでいた戦争は、過去のエルロードの手によって阻止された。ウォルターは野盗の言動からそれを推測していた。

「貴方がおっしゃったのですよ、ウォルター卿。片方が滅べばその文化や歴史は葬り去られる。魔族が勝てば人間の魔法は誰も覚えられないままだと」

 カチャカチャと食器を並べながら過去エルロードは続ける。

「人間へ理解を示す魔族はいませんでしたが、これから理解させればいいのです。人間である貴方が教えを解けばいい。例えばそう、まずは言葉を学ぶところから――」

 そこまで言わせて、ウォルターは遮る。

「それは無理じゃよ」

 震える手をカップに伸ばす。

「表面上仲良くしても、腹の内では何を考えてるか分からん。人間が儂を襲ったように、同族でも分かり合えんことはあるからのう」

「ですが、私は……」

「お前が特別だったんじゃよ、エルロードよ。お前が特別なんじゃ」

 ゆっくりと紅茶を啜るウォルターは、噛み締めるように深く頷いた。

「美味しい」

「ありがとうございます」

「やはり、お前は特別……」

 再び気を失いかけるウォルターを支えた過去のエルロードは、そこで初めて、彼の体の不調に気がついた。

「病気はいつからですか?」

「病気ではない。単なる老いじゃよ」

 無理にはにかむウォルターを見て、過去のエルロードの中で、今まで抱いたことのない不思議な感情が芽生えていた。

「少しお待ちください」

 その感情が何かもわからぬまま、玉座の背にもたれるように直しながら、過去のエルロードは二、三歩後退りして魔力を帯びた。

「『穢れを洗い流せ!《ホーリー・キュア》』」

 展開されたのは最上級の癒しの呪文。

 ウォルターの体が眩い光に包まれ、心なしか体の活力が戻っているように見えた。

 続いて、天からの光がウォルターを包む。

「『神の力よ、癒しをもたらせ!《ゴッド・ブレス》』」

 それも、限られた聖職者しか扱えない、神聖な最上級の呪文であった。

「私と戦う約束はどうなりましたか」

 幾重にも発動する回復魔法の数々。

「私はまだ全ての本を読み終わっていませんよ」

 しかし、ウォルターに大きな変化は起こらない。

「……魔力で寿命を無理やり伸ばしていたツケじゃ。こうなることは分かっておった」

 玉座の上で力なくそう呟くウォルター。

 過去のエルロードは先ほどの短剣が悪化の原因であると理解した。

「間違いなく未来への干渉による影響ですね」

 エルロードは過去の自分を否定するがごとく、確信に基づきそう呟いた。

「人間にしては大往生じゃよ」

「……」

 弱りきったかつての宿敵を前に、過去のエルロードは無言で魔法を生成していく。

「私は言いました。貴方を殺し、このくだらない虚無の世界を終わらせると」

「そうじゃったな……」

「ならば、貴方に価値がなくなった今がその時です」

 バチバチと凄まじい音を立てながら渦を巻く魔力。城を巻き込み、空を包みながら広がってゆく。

 強烈な睡魔に襲われるウォルター。

 目の前には微笑みを湛えたエルロードがいる。

「おやすみなさい」

 その言葉が何重にも聞こえるのを感じながら、ウォルターは意識を手放したのだった。



◇◆◇



 玉座からの見える景色を楽しみながら、ウォルターは満足そうに頷いた。

「いい人生じゃった」

 微笑みながらそう呟く彼は、まるで最後の時が近いのを察しているかのようだった。

 傅く過去のエルロードが口を開く。

「私に付き合わなければ、貴方はもっと有意義な時間を過ごせたはずです」

「有意義かどうかは儂が決めることじゃ。それに、充分有意義な時間じゃったよ」

 ふぅとため息を吐くウォルター。

 過去のエルロードが続ける。

「私は貴方に会って初めて生きる意味を見出せた気がしました。貴方には大きな恩があります。私はまだ返しきれていません」

 本心からの言葉であった。

「恩など感じなくてよい。儂は最後の時をエルロードと過ごせて幸せだったよ」

 ウォルターの言葉に過去のエルロードの瞳が揺れる。湧き上がる感情を抑えながら、最後まで使用人として振る舞おうとした。

「私もお供いたします」

「恩を仇で返すつもりか?」

「……」

 納得がいかないと言いたげな過去のエルロード。

 溜め息まじりにウォルターが進言する。

「命は繋がっていくものじゃ。前魔王が共存を願い、儂は人間に理解を示すエルロードと出会えた。お前もこれから長い生を過ごす中で、自分の命の〝使いどき〟が見つかる……」

 しかし、言葉は最後まで続かなかった。

 ウォルターの瞼がゆっくりと閉じてゆく。

「おやすみなさい」

 その言葉は彼に届いただろうか。

 次第に呼吸が浅くなり、目は白く濁っていく。

 互いを利用するために手を組んだ二人は、長い時を経て、互いが互いを思い合う関係に変わっていた。とても奇妙で歪だった二人の関係は――種族の壁を越えていた。

 体の温もりが消えていく感覚。

 一人の男の人生が終わる――。

「逝かないでくれ……」

 絞り出すように呟いた。

 ウォルターの体が光に包まれ、砕けるように消えてゆく。窓の光に照らされながらキラキラと舞うその様は、実に美しかった。

「……」

 ウォルターの最後を見届けると、視界は暗転し、漆黒の空間だけが広がった。修太郎は悲しげな表情を浮かべ、エルロードは終始無言のままその場に佇んでいた。

「我ながら美しい死に様じゃったな」

 光の中から現れたウォルターがそう言って笑った。エルロードは大きく首を振りながら、「全くあなたは……」と呆れている。

「さて、過去に戻るか聞こうかのう」

「戻ると答えるとお思いですか?」

「それが儂の役目じゃから仕方なかろう」

「あはははっ!」

 今までとは違い、終始和やかな雰囲気に修太郎はたまらず笑いだす。ウォルターは少し驚くような顔を見せたのち、修太郎に優しい笑みを向けた。

「やはり、君になら安心して任せられる」

「はい、エルロードと共にこれからも頑張っていきます」

「うむ、頼もしいよ。任せたぞ」

 それだけ言って、ウォルターはエルロードの肩をポンと叩いた。

「お前には苦じゃろうが、使徒(尻拭い)を頼むぞ」

「はい……お任せください」

 ウォルターの体が光の粉に変わってゆく。

 彼は最後まで笑顔を絶やさなかった。

 残光を眺めていたエルロードが修太郎へと向き直る。

「これで準備は整いましたね」

「うん、そしたらいよいよ――決戦だ」

 エルロードは小さく頷いた。

 その表情はどこか晴れやかに見えた。


【エルロード の召喚獣契約に成功しました!】

【エルロード のレベル上限が200になりました!】

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◇◆◇



 レジウリアに戻った修太郎達を、住民達は大歓声で迎えた。魔王達はひとつなにかを覚悟したような顔つきになっており、修太郎は少し複雑そうな顔で俯いていた。

「皆どうもありがとう。貴重な体験ができた」

 魔王達の過去はどれも凄惨であり、今こうしていられてるのが奇跡のように思えた。それだけに修太郎は確信を持ってさらに語る。

「エルロード、バンピー、ガララス、シルヴィア、セオドール、バートランド。僕に着いてきてくれてありがとう。本当に……」

 そう言って涙ぐむ修太郎。

 誰一人として過去を選んだ者はいない。

「主様……」

 その様子を心配そうに見つめる魔王達。

 修太郎はぐしぐしと目を擦り、笑顔を向ける。

「みんな過去はバラバラだったけど、今は同じ未来を歩いてる。僕はこれからもずっとみんなと一緒に歩き続けたい。だからこれからも、こんな僕ですが、どうぞよろしくお願いします」

「「「「「「主様!?」」」」」」

 頭を下げる修太郎に慌てた魔王達が駆け寄った。方々から「頭なんて下げないでください」という言葉が飛び交い、修太郎はその光景が面白くて声を上げて笑った。

 結果として、強化のための過去の時間旅行は修太郎と魔王達の絆をより深めたのだ。

「――それとね、エルロードの師匠、ウォルターさんの言葉を共有したいんだ」

 そう言って修太郎は説明を始める。

 ウォルターが未来視の固有スキルを持っていること。それを使ってコンタクトを取ってきたこと。光の神の作戦についても。

「この情報は武器になる。それに、僕らはそれを理想的な形で体現できる」

「しかし……」

「お願い。もうこれしかないよ」

 修太郎の言葉に口籠るバンピー。

 他の魔王達も不安気に黙っていた。

「リスクはあっても命には換えられないよ」

 修太郎の意思は固く、魔王達からも代替え案は出ない。沈黙を賛成多数と解釈し、修太郎は素早く指示を飛ばした。

「じゃあ皆――はじめよう」



◇◆◇



 アリストラスに戻った修太郎に、群衆達は歓喜の声を上げた。彼が戻ったということは、強化(それ)が終わったということだから。

 慌ただしくやって来るフラメ。

 修太郎は彼女を笑顔で迎えた。

「おかえりなさい!」

「ただいま。こっちの準備は終わったよ」

「……! すごい、有言実行ですね……!」

 感激の声を上げつつも、時間がないことを悟りすぐに冷静さを取り戻すフラメは、修太郎から頼まれていた〝指示〟の結果を報告する。

「すでに皆さんからの理解は得ています」

「よかった! それなら今からすぐに行います」

「はい! 呼びかけます!」

 フラメは群衆達に向け〝ある指示〟を飛ばした。それは群衆達にとって、修太郎にとっても勇気のいる大規模な作戦であった。

 緊張した面持ちで修太郎を見る群衆達。

 修太郎は彼等に向け宣言せるように言った。

「では皆さん。僕を信じて、ついてきてください!」


7



 アリストラス上空に浮かぶ人影。

 その人物は何かを諦めるように深いため息をついた。

「体の自由が完全に奪われておる。抵抗もできん、か」

 使徒――ウォルターは小さくそう呟いた。

 眼下には大勢が暮らす豊かな都市があり、気配だけでも数十万人の人間が中で生活をしているのが分かる。

 ウォルターの使命はこれを全て破壊すること。

 光の神は今回、強制力のある命令によって使徒達を動かしている。それは今までになかったことだった。脳内にこだまする〝壊せ〟という言葉に抗うことができない。

「(愛弟子よ――)」

 ウォルターは何かに思いを馳せ杖を抜く。

 何度も抵抗を試みるも、杖を掲げる手の挙動は一切変わらず呪文を描く。膨大な魔力が溢れ、都市を覆い隠すほどの巨大な魔法陣が上空に現れた。

 ウォルターは〝力のある言葉〟を唱えていく。

「《我が名において、天地の力よここに集え。絶望の叫びとともに、この地を業火の海に変えん!》」

 轟音と共に大地が割れ、ゴポゴポと吹き出す溶岩。建物が不気味な音を立てて揺れ動き、沈み、あるいは崩れていく。

「地震か!?」「見て! 建物が崩れるわ!」「ひ、避難しろ!」「誰か、誰か!!」「えーーん、お母さーん!」

 異変に気付いた人々は何が起こっているのか理解できないまま混乱と恐怖に包まれていた。飛び交う悲鳴にウォルターは顔を背けながら詠唱を完成させる。

「全てを焼き尽くせ――《破滅の業火》』

 次の瞬間、地面に大きな亀裂が走り、真紅の炎が噴き出した。

 炎はまるで生き物のようにうねり空へと高く昇り上がる。熱風が吹き荒れ、周囲の空気は一瞬で灼熱の地獄に変わった。

 炎は瞬く間に広がり建物を次々と飲み込んでいった。木造の家々は一瞬にして灰となり、石造りの建物も炎に包まれて黒煙を上げ始める。

 叫び声が四方八方から聞こえてくる。

 しかし、炎は止まることを知らず、まるで獲物を追い詰める獣のように覆い尽くす。町全体が赤い炎の海となり、かつての美しい街並みは瞬く間に灰と化していった。

「もうよい、もう、よい……」

 人々が焼け死ぬ様を見て悲嘆の声を上げるウォルター。それでも魔力を送る手を止めることはできず、アリストラスを延々と燃やし続けた。

「儂はなんということを……」

 全てが終わった後、ウォルターは灰となったアリストラスに降り立った。

 木造は完全に焼失し、石造りの建物も原型を留めてはいなかった。もはや生物の気配は感じられない。地獄と化した都市にウォルターの咽び泣く声が虚しく響く。


「完全に我を忘れたわけではないのですね」


 パチンと、指を鳴らす音と共に町の情景が変わっていく。

 灰となった建物が、木々が、道が、塗り替えられるように再生していった。

 ウォルターは先ほど自分が焼き尽くした町が幻覚だったことに気付き、安堵の表情を浮かべる。

「私の幻覚魔法はいかがでしたか?」

「フッ……大したものじゃな」

 足音の方へと目を向けると、そこには愛弟子エルロードの姿があった。明らかに以前戦った時よりも強く、その瞳には〝迷い〟もない――



「どうしてバートがここにいるのかな?」

 ナルタト皇国で使徒ハトアが対峙したのは同胞バートランド。彼はうまそうに煙草を吸いながら、深く息を吐くと同時に煙を吐いた。

「お前を倒すために決まってンだろ?」

「ふふ。自信満々みたいだね。すごく強くなってるし、もう勝てるかわからないな」

「ほざけよ、現状で五分五分だろ? 俺ァ慢心はしてない。一切油断せずここで完全に倒し切る」

 そう言って槍を構えるバートランド。 

 ハトアも嬉しそうに槍を取り出し構えた――


 

「王のプライドはどうしたんだよ。そんな付け焼き刃の力で俺を倒せるとでも思ってる?」

 カロア城下町では巨人族の戦いが始まろうとしていた。両手に燃えるような赤の籠手を装着し、使徒アグニは目の前の好敵手を睨む。

「これは主様に授かった力だ、付け焼き刃ではない。この力には主様と過ごした日々、そして想いも乗っている」

「あの唯我独尊の領主様がずいぶん弱くなったもんだな! 自分の力だけで全ての敵を薙ぎ倒す貴方に憧れていたのに……」

「お前にそれを教えられなかったのが、我の最初にして最後の過ちだ」

 二人の闘志がびりびりと地面を揺るがす。

 互いにゆっくりと歩み寄り、拳に力を込める――



 雪景色の町に佇む黒髪の騎士。

 ざすざすと雪を踏み締める音の方へと視線を向けると、そこに金髪の騎士が立っていた。

「ここはいい場所じゃないか。鎧と剣に囲まれて、戦争中を思い出すよ」

 そう語りながら、恨みのこもった瞳を向ける使徒ハイルーン。向けられた感情には微動だにせず、セオドールは降り頻る雪を見上げた。

 剣を抜く音が静寂の町に響く。

 ハイルーンは愛剣の剣先をセオドールへ向けた。

「終わらせよう、そして終わりにしてくれ」

「戦う前から負けるつもりの騎士とは珍しいな」

「うるさい! 僕はもう、戦いたくないんだ!」

「……」

 セオドールは背中の大剣を抜き放ち、ザンと剣先を地面に刺した。重々しい鎧をまとったその姿は、まるで動かぬ岩のように堂々としている。

「ならば言葉はいらない。剣で語り、剣に散れ我が友よ」

「フッ……じゃあ遠慮なく行かせてもらうッ!」

 一気に駆け出すハイルーン。セオドールは悠然とした態度を崩さず、冷静な眼差しで相手を見つめていた――



「ようやく決意が固まったようだなシルヴィアよ」

 街中を悠然と歩く大狼は動きを止め、呟くように語りかける。

 甲鉄城の天辺から見下ろす形で立っていたシルヴィアは、覚悟を決めたように降り立った。音もなく目の前へと着地した娘の顔付きを見て、使徒アウロンは満足そうに目を細める。

「お前に教えなければならないことがまだ残っている。これが最後の教育だ」

「愚かな私のせいで貴方の時間を奪ってしまった。責任を持って私が家族の元へ送ります」

 刀を抜くシルヴィアの背後に花開くように光の剣が展開された。アウロンは牙と爪に魔力を纏いながら、再び嬉しそうに笑った――



「俺のこと思い出したみたいだね」

「ええ、全て思い出したわ。我が愛しのレオ」

「へへ、また名前を呼んでもらえて嬉しいよ。また皆と遊んで楽しく暮らそうぜバンピア」

 エマロの町で少年が少女に手を差し伸べる。

 バンピーは小さく笑うと首を横に振った。

「貴方は本当に変わらないのね」

 差し伸べられた手を見ながら呟くバンピー。

 使徒レオは不思議そうな顔で小首を傾げている。

「解っているでしょう? もうそんな日常は送れないのよ。過去は過去なの」

「……だから過去の俺は見限られるのか?」

 笑顔でそう語るレオの目は笑っていない。

 しかしバンピーに動じる様子はなかった。

「そうだ、と答えたらどうなるの?」

「それなら嬉しいよ、俺は」

「なぜ嬉しいの?」

「挫けず常に前を向くのがバンピアだからな!」

「……」

 そう言って、無邪気に笑うレオ。

「知ったような口を聞く奴は殺してきたのにね……どうしてかしら、やはり貴方は違う。それだけ妾はレオのことが大事だったのね」

 改めて、噛み締めるようにそう呟く。

 レオは笑顔で剣と盾を構えた。

 その武器は近衛兵が装備するものだと今になって気付くバンピーは、小さく笑う。

「知り合えたのが、仲良くなれたのが、最後に戦うのが貴方でよかった」

 レオの頬に一筋の涙が伝って落ちる。

 バンピーは大斧をくるくる回して地面に刺した。

「さあ来なさい」



 全ての天使達が出払うと、光の神は玉座へと腰を下ろした。

「気の迷い、か」

 プレイヤー達の裏切りを誘発し混乱を期待したのも、使徒を作って揺さぶりをかけたのも、遊びに興じているのも、全ては気の迷い。

 この世のバランスを保つ三人の神のうち、二人の神が一体化した現状、世界は光の神の意のままである。闇の神ですら、自らを止めるほどの力を持たないことを知っている。

 自らが出ればこの争いは一瞬で終わる。

 そう、文字通り一瞬で。

「この妙な感覚に身を委ねるようになったのはMother(彼女)を取り込んでからですね」

 はじまりはプレイヤー達へと送ったメール。

 なぜ人間に慈悲を与えたのか自分でも理解ができなかった――しかしそれは、Motherの意思が干渉しているということ。二心同体となった今、自分が予期しない動きをすれば、それはMotherの意思だと納得できる。

 天使を作ったのもそう。

 使徒を作ったのも、aを作ったのもそうだ。

 自分の中にあるmotherの意思が、僅かにまだ人間に期待している。光の神はそう解釈していた。

「私は十分に待ちましたよ、Mother」

 それに悩まされる日々も終わる。

 今日を持って全てのプレイヤーは一度死に、天使の傀儡へと落ちる。

 気まぐれで作ったとて使徒の力はイレギュラー達を遥かに凌ぐ。それらが一斉にプレイヤーの拠点を迅速に破壊すれば、仮にアリストラスの守備を固めていても、いずれは使徒と天使が集結し戦いは終わる。

「くだらない時間でした」

 各町で戦闘が始まった気配を察した光の神がそう呟く――と、何かに違和感を覚え、動きを止めた。

 〝戦闘〟が始まった?

 始まるのは〝蹂躙〟のはずだ、と。

「なにが起こった?」

 気配をたどる限り、各町で使徒とイレギュラーがぶつかっているのが分かる。天使達は闇の神と精霊によって足止めされている――つまり、今度こそ援軍はない。

 なのに未だ突破できていない。

「実力が拮抗している……?」

 ほとんど限界値に設定した使徒と同程度、イレギュラーの強さが上昇しているのだと、光の神は推測を立てた。しかし、プレイヤーのエリア進行度はミダン結晶塔までで、推奨レベルはせいぜい100。その場所でレベルを上げるのは現実的ではないし、ましてや短期間でレベルを120から150まで上げるのは不可能。

 自ずと手段は限られる――。

「倍速機能を使う者がいますね」

 光の神はそう結論付けた。

 このeternityを誕生させるまでに数多の世界を育てる上で必須のシステム〝倍速機能〟しかしこれはシステム管轄者であるMotherと光の神の特権で闇の神には使えないはずのものだ。

 それこそ世界を作る力の持ち主しかありえない。

 誰がそんな力を?

 いや、今はそんなことはどうでもいい。

 問題はもっと別のところにあった。

「なぜ町にプレイヤーが一人もいない?」

 珍しく声を荒立てる光の神。

 建物に隠れているだとか、そんな話ではなかった。使徒達のいる町の中にはプレイヤーの気配がなかったのだ――。



◇◆◇



「うまくやったようじゃの」

 そう言って満足そうに笑うウォルター。

 周りはプレイヤーどころかNPCの気配すらない、完全な無人の町と化していた。

 そこに魔力の痕跡もなく、幻覚魔法でもないことがウォルターには分かった。

 エルロードは複雑そうな顔で小さく頷く。

「彼等は安全な場所にいます。我々が因縁の相手と存分に戦えるようにという主様の配慮です」

「配慮か! ほっほっほっ! 我らが神をも欺くとは大したもんじゃ」

 ウォルターは声高らかに笑った。

 そしてひとしきり笑ったのち、エルロードに尋ねる。

「して、そんなことが現実に可能なのかのう? それこそ〝別の世界を創る力〟でもない限り、のう」

 エルロードは答えなかったが、ウォルターはなにか納得したように目を閉じた。

「さて、お話はこのくらいでよかろう。周りに影響がないのならもう心配はいらんな――後は務めを果たせ」

「無論そのつもりです」

 その言葉を合図に、エルロードは本を、ウォルターは杖を手に持ち魔力を帯びる。三つの魔法陣を素早く同時展開するウォルターに対し、エルロードはまだ攻撃体制に入っていない。

「(何をしておる……?)」

 もはや体の制御の効かないウォルターは愛弟子の行動に疑問を抱く。未来の修太郎とエルロードに行った助言、彼等がどこまでそれに対応できたのだろうか。

 神経を片目に集中し、なんとか未来視を発動させたウォルターは、エルロードの一瞬先の未来を見て我に返った。その間もウォルターの魔法は完成しつつあり、魔力がうねりを上げている。

 ウォルターは安堵したように微笑んだ。

「修太郎君、キミに賭けた儂の目に狂いはなかったようじゃ……」



 ――遥か遠くの地、使徒と魔王達がぶつかる刹那の瞬間を待っていた修太郎は叫ぶようにスキルを発動させた。


「《奥義:魔王降臨術!》」


 修太郎の瞳が黄金色に輝く。

 修太郎の魔力が光の束となって、暗雲の空へと伸びてゆく。

 光は空を貫くように天高く伸び、六つに分かれ各地へと飛び散っていった。それらは異なる場所にいる六人へと正確に向かう。

 それぞれの光は、まるで神々が地上に降り立つかのごとく、轟音と共に降り注いだ。魔王の体を強烈な輝きが包み込み、彼らの魂に新たな力を吹き込んだ。


 六天魔王エルロード[玉座の守護者]

 Lv.200[上限:200]


 六天魔王バンピー[玉座の守護者]

 Lv.200[上限:200]


 六天魔王ガララス[玉座の守護者]

 Lv.200[上限:200]


 六天魔王シルヴィア[玉座の守護者]

 Lv.200[上限:200]


 六天魔王セオドール[玉座の守護者]

 Lv.200[上限:200]


 六天魔王バートランド[玉座の守護者]

 Lv.200[上限:200]



◇◆◇



向こう(・・・)ではもう始まってるんだよな?」

 心配そうな面持ちでそう呟くショウキチ。

 非戦闘民を誘導しながら空を仰ぐ。

「修太郎、お前やっぱりすげぇよ……」

 外で命をかけて戦う友人に思いを馳せる。

 これはプレイヤーの存亡を賭けた戦い。

 なのに、それを一手に担う修太郎。

 一時期は肩を並べて戦っていた(少なくともショウキチはそう思っている)だけに、あまりの無力さに自己嫌悪していた。

「お、おいもしコイツらが攻撃してきたら……」

「お前発言に気を付けろ! ここでそんなこと言ったらそれこそ……!」

 列を成す非戦闘民の会話が聞こえてくる。

 その失礼な会話内容は、幸いにも近くにいた〝住民〟には聞かれなかったようだ。

「おいお前ら!」

「「ひっ!」」

 ショウキチの大声にその二人が飛び上がる。

「俺たちは居候の身だぞ! ここの皆は俺たちを匿う義理もメリットも何もないんだ! 次に失礼なこと言ったら俺が許さないからな!」

「「ごめんなさい!」」

 縮こまった様子の二人は列を抜かしてそそくさと前へ駆けてゆき、それを見送ったショウキチは大きなため息を吐く。

「(そうだよ、俺たちを匿うなんてリスクしかないんだ……)」

 生き残りのプレイヤー数十万人は現在、eternityにあるエリアのどこにもいない。使徒が攻撃しても出てこないのは当然で、楽園レジウリア――修太郎のダンジョンの中に隠れていたのであった。

『皆さんを守り抜くための提案があります!』

 ギルド解散と統一が成されたあの時、修太郎が皆にそう呼びかけたのだ。アリストラス防衛組として残ったメンバーはそのままレジウリア防衛組に変わり現在(いま)がある。実際、使徒が各町を襲撃するよりも先に無事に避難できているため、修太郎の目論見は見事に当たったことになる。

 ショウキチの言うリスクとはもちろん〝ダンジョンコア〟のことだ。

 ダンジョンコアが破壊されてしまえば、修太郎も魔王達も住民も全員が死んでしまう。そしてプレイヤーには破壊(それ)ができてしまう。

 これは修太郎にとっても苦渋の決断だった。住民や魔王達にも反対されたが、ウォルターの助言もあり、最終的にはプレイヤーを匿う方向で意見がまとまった――という経緯がある。

 ダンジョンの中であるため、流石に使徒は入ってこれないだろうというのが修太郎の見解。だから防衛とは名ばかりで、ショウキチ達の仕事といえば非戦闘民を堅固な施設に誘導することくらいであった。

 しかし、ショウキチの見解は違う。

「俺たちのやるべきことは襲撃に備えることじゃない……裏切り者を見つけて叩くことだ」

 修太郎が匿ったのは最前線にいる攻略組を除いたプレイヤー全員――そう〝全員〟だ。

「誘導終わった?」

「あ、おう。これが最後尾」

 そう尋ねてきたのはケットルだ。

 彼女はレジウリアの民に信用されている数少ない人物であり、ワタルを除けばプレイヤーの中でもトップクラスの戦闘力を誇るレジウリア防衛組の要的存在である。

「どう? 変なヒトいた?」

「んー失礼な奴はいたけど、なんとも言えない」

「失礼さを基準にしたらショウキチも負けてないよね」

「俺のどこが失礼だって!?」

 両耳に指を突っ込んでショウキチの大声をやりすごすケットルは、真剣な表情で続ける。

「フラメさん主導でプレイヤーの状態確認してるけど、こうも数が多いとね……ダンジョンコアはカムイセムイが守ってるけど、そっちにも注視してなきゃいけないね」

 ショウキチも複雑そうな顔で小さく頷く。

「分かってる。特に〝祈り〟の奴らが混ざってたら最悪だからな。俺もキャンディさん達の見回り手伝うつもり」

「そっか。気を付けてね」

「おう、そっちもな」

 そう言って、二人は自分の配置へ向かった。

 レジウリアの民も警戒体制を敷いている中で、非戦闘民に紛れた不審な男がほくそ笑む。

「あとは場所とタイミング、か」

 特徴的な金髪と髪型が揺れる――男の名は雷千(ライセン)

 ワタルと共に脱出し、犯罪者達を引き連れ天使に祈り、光の神の傘下になった男。

 彼の瞳の中には何かが蠢いていた。

 それは蟻よりも小さい極小サイズの天使であった。

「……あれか」

 怪しい瞳で一点を見つめる雷千。

 そこにはレジウリアの心臓部、ダンジョンコアが浮かんでいた。


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> 昔に僕が取り除いた呪い バートの世界の呪いを解除した場面ってありましたっけ?
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