表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
214/219

第7章 前編


 カロア城下町に少年が呆然と佇んでいた。

 鈍色の鎧に身を包んだ少年は、顔、胸、腰と何かを確認するように恐る恐る触ってゆく。

「助かった…のか?」

 背中でクロスさせた2本の剣が揺れる。

「ッ! ケットルは!?」

 咄嗟に辺りを見渡すショウキチは、先ほどまで(・・・・・)隣にいたはずの少女の姿を探す――

「ショウキチッ!」

「ぐえっ!」

 抱き付かれる形で転倒したショウキチは、その人物が誰であるかを理解し、涙が溢れた。

「バーバラ!!」

「無事だったのね! 良かったァ……!!」

 涙でぐちゃぐちゃになりながら、互いの無事を確かめるように固く強く抱きしめ合う二人。

「なんで……なんで俺たちを助けたんだよ!? そんなことされても俺……」

「馬鹿言わないで。自分の命より可愛い弟と妹分の方がずうっと大事に決まってるじゃない」

 ショウキチは言いたい言葉を全て飲み込み、バーバラの無事を心から喜んだ。

「でも、でも俺、結局襲われて……」

「私も……あれ……?」

 再会の興奮が落ち着き、冷静になった二人の思考が停止する。最後の記憶は間違いなく〝天使に攻撃された光景〟であるのに、こうして生きているのはなぜだろう、と。

「ショウキチ!! バーバラ!!」

 人の群れ(・・・・)をかき分け現れたのは死んだはずのラオ、怜蘭、キョウコだった。

「みんなッ!」

 倒れていた二人も三人に駆け寄り、再び固く抱きしめ合う。

「ほんとうに……よかった……奇跡ってあるのね……!」

 心から安堵したように泣きじゃくるバーバラ。

 三人も涙ぐみ力強く頷いている。

 しかしショウキチの心は別のところにあった。

「な、なぁケットルを見なかったか!?」

 妙に人が多い周囲を見渡しながら、心配した様子でショウキチが尋ねた。

「えっ?」

「じゃ、じゃあまさかケットルだけ……?」

 最悪を想像し顔を青くさせるショウキチに、怜蘭が何かを操作しながら答えた。

「ケットルちゃんも無事みたい。というか、私たちは無事だったわけじゃない。たぶん実際死んでたのよ」

「はぁ? なんだそれ。意味わかんないぞ」

「私も詳しくは分からない。でも見て、フレンド欄の人達が軒並み〝オンライン〟になってる。過去に死んだ人も含めてね。これって多分全員が生き返ったって意味だと思う」

 それに倣ってショウキチもフレンド欄を開くと、確かに全員がオンラインの状態で表示された。その中にケットルの名前や修太郎の名前を見つけ、長い長い安堵のため息を吐く。

 なぜ生き返れたのか。

 その疑問は残ったままだが――。

「まぁ死ぬ瞬間の光景も覚えてるしな。死んだって感覚もなんとなく分かる」

 そう言って頬をかくラオ。

「私なんて自分の命を使って発動するスキルを使いましたし……生きてる方がおかしいです」

 と、苦笑を浮かべるキョウコをジロリと睨みつけるバーバラ。

「貴女はもう……根に持つからね……」

「す、すみません」

「反省会は後にしようぜ! いま問題なのは!ケットルは無事だけどここには居ないってこと。じゃあ探さなきゃだろ?!」

 そう息巻くショウキチに、怜蘭は冷静な様子で待ったをかけた。

「私たちが死んでからそんなに時間は経ってないみたいよ――ほら見て、皆が混乱しないように〝対応〟してくれてる。ケットルちゃんも安全な場所にいるかもしれない」

 そう言って見せてきたメール画面には、



差出人:ルミア


このメールを見られた皆様へ

どうか冷静に最後まで読んでください。


皆様はなんらかの理由で一度亡くなり、

そしてなんらかの理由で蘇りました。


現在ゲーム開始から約半年が経過しています

混乱するかと思いますがこれは事実です。


亡くなる原因となった場所、人物などはどうか今だけ忘れてください。冷静に街の中心部に集まり指示を待ってください。


紋章ギルドが責任を持って保護いたします

どうか冷静に行動してください。



 それは紋章ギルドによる必死の呼びかけメールであった。このメールを読めば自分がいつから死んでいたのか、この後どうすればいいかが理解できるようになっていた。

「流石……仕事が早いわね」

 感心するように頷くバーバラ。

「な、ならケットルもどっかで保護されてるんだよな! 無事ってことだよな!?」

「きっとそうだと思う」

 よかったぁと腰が抜けたようにへたり込むショウキチ。そんな彼をラオは軽々と持ち上げ肩に担いだ。

「ならやることはひとつ! メールに従って街の中心部に行く! だろ?」

「っおい! 離せって! 自分で歩くって!」

 ラオを先頭に残りのメンバーも街の中心部に向かって歩き出した。周りにいた他のプレイヤーも、不安な表情を浮かべながら同じようにして歩き出している。

「(なにが起こったのか分からないけど……)」

 フレンド欄を愛おしそうに撫でる怜蘭。


 白蓮     オンライン

 春カナタ   オンライン

 テリア    オンライン


「(言いたいこと……いっぱいあるんだから……)」

 雪のような白い頬を一筋の涙が伝った。





 大都市アリストラスは未だ混乱の最中であった。

「今の状況をご説明いたしますので、どうか冷静に!!」

 そこに決死に呼びかけるルミアの姿があった。

 ショウキチ達のいたカロア城下町とは対照的に、怒号が飛び交うアリストラス。元凶の大半が、ゲーム開始直後にわけもわからないまま死んでしまったプレイヤーである。

「生き返ったとか言われても意味わからねぇよ」

「家に帰れるの?!」

「どうせドッキリかなんかだろ」

「偉そうに指示してくんな!」

 ゲーム内に閉じ込められた――という、今や皆が受け止め理解している状況から説明しなければならない。しかし相手は聞く耳を持たず、ルミアの呼びかけは無常にかき消されてゆく。

「皆様どうか……!」

 声を枯らしながら声掛けを続ける彼女の前に、巨大な影がずいと現れた。


「やかましいッッ!!!」


 雷鳴の如く轟くその声は、一瞬にして群衆達の声をかき消した。

 人々が恐る恐る見上げた先に、不愉快そうに眉間に皺を寄せた巨人が佇んでいた。

「大人しく指示に従え愚図共。次に余計なことを口走った奴は我が叩き潰す。いいな?」

 忠告、というより脅迫。

 先ほどまで騒がしかった群衆は嘘のように静かになり、ガララスは不機嫌そうに頷きながらルミアへと視線を向けた。

「――皆様! 冷静に聞いてください!」

 ルミアの説明が進められていく傍ら、不機嫌そうに座るガララスに縋るように大声で泣く女が一人。

「えーーーん!! 死んだのがどおもっだよーーー!! いぎでだよーーー!!」

 自慢の病みメイクが涙で流れ、それでも力いっぱい泣きじゃくるマグネ。

 それを迷惑そうに見下ろすガララス。

「貴様が一番やかましい」

「やがまじくでもいいよぉーーーー!!」

「……」

 ガララスは、その丸太のような人差し指と親指でマグネの顔をつまんで持ち上げる。そして、ぐしゃぐしゃになりながら嗚咽するマグネにずぃと顔を近付けた。

「おい。それは我に対する侮辱と同じだ」

「だっで……!」

「そもそも、我が戦って死ぬなど天地がひっくり返っても――」

 エルロードに敗北した記憶が蘇る。

 今まで魔王達の実力は拮抗しており、殺しあっても互角。一度だって勝敗がつかなかった――のに。

「(あれは確実に我の……)」

 拳に力がこもる。

 あの時、エルロードがその気ならば確実に死んでいただろう。生涯不敗を誇っていたガララスに、その事実が重くのしかかる。

「くそおおおおお!!!!!」

 再び轟くガララスの怒号。

 怯え切った群衆達は足早に紋章の建物へと駆け込んでいった。マグネは慣れたもので、涙を流しながらも両耳を塞いでこれを凌いでいる。

「……なんだかご乱心だけど、混乱も落ち着いたし結果オーライね」

 苦笑を浮かべながらやって来るキャンディ。他のメンバーに引き継ぎしてお役御免となったルミアもまた、苦笑気味にガララスを見ている。

「エマロに集まった人達も続々とここに着いてるみたいよ。まだまだ休めそうにないわね」

 言葉とは裏腹に嬉しそうな様子のキャンディ。

「もちろん! 今日は寝ずに対応するくらいのつもりです!」

「その心意気は買うけど、あんたはちょっと休んだ方がいいわ」

「……こんなおめでたい日に休んでなんていられないです」

「ん。それは同感だけどね」

 一層賑やかになったアリストラスの街並みを見つめながら、ルミアとキャンディは感慨に耽る。

「声掛けは代わるから、せめて業務からは外れなさい。声ガラガラになってるわよ」

 それに……と、背後に視線を感じ、振り向きざまに笑みを浮かべるキャンディ。

「働き手も増えたことだし。ネ?」

 ウィンクするその先に、不機嫌そうに腕を組む侍風の男――キッドの姿があった。

 かつてPKによってスパイ紛いのことをさせられ、無念の死を遂げた男だ。

「……」

「私、貴方の後任の戦闘指南役だったけど、支部長に出世しちゃったから引き続き色々お願いね」

 キッドの取り巻きたちがどよめいた。

「え? え? キッドって紋章に入ったの?」「くそーー俺たちが死んでる間に色々変わってんなー!」

 などと騒ぎ立てるのはキッドのかつての仲間達。PK黒犬によって最初期に殺された彼らもまた、揃って蘇生していたのだった。

「戻って早々こき使われるのかよ……」

 そう呟きながらもキッドの表情は明るかった。

 死んでいった友人達との再会でプレイヤー達はかつてないほど活気づく中、蘇生組の中に犯罪者プレイヤーが一人もいないことへ疑問を抱く者もいた。

「ワタルさん、いなかったね」

「ずっとオンラインですから、どこかで無事なのはわかってます。ただ居場所がわからないだけ……」

 街の喧騒を遠くに感じながら並んで座るルミアとマグネ。彼女達の頭の中に、鎖に巻かれ沈んでいくワタルの映像が流れる。

「ワタルさんは監獄に送られたってNPCが言ってたけど、犯罪者達も同じように蘇生してたら全員監獄スタートってことなのかな」

「恐らくそうなりますね」

「久遠くんも生き返ってるのかな」

「全員が生き返るなら恐らく……」

 殺し合った二人が同じ牢屋で再会。

 想像したマグネの顔が青くなってゆく。

「そっか……心配だね」

「心配です、とても……」

 それぞれが想いを抱きながら時間はゆっくりと流れていく。やがてルミアが作成したメールは拡散され、生き残っていた全てのプレイヤーに届くのであった――。





 戦争の傷が癒え、本来の堅牢さを取り戻したサンドラス甲鉄城でも続々と死者が蘇っていた。

 知らせを受けエリア攻略から引き上げて来たパーティの中に、黄昏の冒険者マスターの白蓮はいた。

「嘘……」

 目の前には、紛れもなくあの日死んだ親友――テリアの姿があった。

「えーと、なんか生き返っちゃったみたい」

 そう言いながらイタズラっぽくはにかむテリア。

 白蓮はただその場に立ち尽くしている。

「なんか不思議なんだよねー。私が死ん――」

 言い終わる前に、白蓮が彼女を抱きしめた。

 呆気に取られ一瞬目を見開いたテリアは、優しげな表情で白蓮の頭をゆっくり撫でる。

「……テリアのことがあって、ラオ達はギルド抜けたんだ。ごめん、ごめんね。全部私のせいなんだ……」

「そっか」

「そしたら春も死んじゃって、ほんとキツくて……」

 震える白蓮の背中を優しくさするテリア。

 言葉を繋ぎながら、白蓮は続ける。

「皆……一緒じゃなきゃ、ダメみたい……ッ!」

「そうだね。そうだよね――」

 涙を流す白蓮を抱きしめながら、テリアは母親のように優しく背中を叩き続ける。

「これからはずっと一緒にいようね」

「ッ……!」

 言えなかった謝罪と後悔。親友の温もりに包まれながら、白蓮は静かに泣き続けた。





 天空を切り裂くように天翔る黒竜。

 その背には少年と少女が乗っていた。

『カロア城下町はこの辺りだ』

「突っ込んで!」

『承知した』

 勢いそのままにセオドールが急転直下で街の中心部に降り立つと、巨大な黒竜の出現に悲鳴にも似た声が上がる。

 そんなの気にしてられないといった様子で少女は飛び降り、駆けてきた仲間達の輪に飛び込んだ!

「皆ぁ!! いぎでる……よがっだ、よがっだ!!!」

 涙と鼻水でぐしゃぐしゃになるのも厭わず泣きじゃくるケットル。バーバラやキョウコ、そしてラオや怜蘭の瞳にも涙が浮かぶ。

「ショウキチのバカぁ! バーバラのバカぁ! キョウコのバカぁ! 怜蘭のバカぁ! ラオのバカぁ!!」

 ショウキチの胸を叩き続けながら、ダムが決壊するかの如くケットルは言葉を吐き出す。

「犠牲になって逃すなんてこと……二度と……二度とやめてよ……置いていかないで……ッ!」

 ケットルの言葉に優しく頷く大人達。

「バッカ! 犠牲じゃなくて投資だよ投資! 俺がタダで死ぬかっつーの!」

「うん……うんっ……!!」

 精神が狂うほどの地獄を味わったケットルだったが、言うつもりはなかったし、なにより皆との再会でどうでもよくなっていた。

 なにも言い返さないケットルの頭を撫でながら、ショウキチは照れくさそうに笑った。

「……」

 セオドールから降りた修太郎は、喜びを噛み締めるように涙を堪えていた。

 暗い瞳に光が戻ってゆく――

「おかえり」

 涙を溜めながらも、毅然とした態度で言う修太郎。遠慮がちにやって来た〝親友〟の顔を見て、ショウキチはポロポロと涙を流す。

「ただいま……!」

「――ッ!」

 修太郎の我慢も限界を迎えた。

 固く固く抱きしめ合い、更に泣いた。

「うわあああああああん!!!!」

 不安、責任、後悔、戸惑い、喜び。

 いろんな感情が混ざり、そして弾けた。

「間に……合わなくて……ごめんッ!」

 修太郎の謝罪にショウキチは大きく首を振る。

「お前のせいじゃ……ねぇよ! そもそも……全部……背負いすぎ……なんだよッ!」

 何度も言葉を詰まらせながら言葉を交わす二人。その様子に大人達もまた涙を浮かべている。

「修太郎くん。ケットルを守ってくれてありがとね」

 バーバラの優しい声にまた涙が流れた。

 唇を震わせながら、こくこくと修太郎はただ頷き続けた――

「主様の弱ってる姿、もう二度と見たくない」

 遠目で見つめながらそう呟くバンピー。

 近くにシルヴィア、セオドール、バートランドとプニ夫の姿もある。

「なら我々のやるべきことは決まっている」

 静かに怒りを抑えながらセオドールが言う。

「天使を全員噛み殺せばいいんだろう」

 闘志に燃えるシルヴィアと、負けじとプルプルするプニ夫。天使という明確な敵の出現により、今までバラバラだった魔王達の結束も深まっていた。

「……」

 天を仰ぎ煙草の煙を吐くバートランド。

 彼だけは別のことを考えているようだった。





「どいてくれ。すまん、どいてくれ!」

 人だかりを縫うようにして進む誠は、愛すべきメンバー達の顔を見るなり、弾かれたように飛び出した。

「まこ――」

「バーバラ!!」

 人目もはばからず抱擁する誠。

 バーバラは顔を赤くして固まっている。

「よかった……本当によかった……ッ!」

 小刻みに震える誠の体を、バーバラが優しく撫でる。

「そんな心持ちでよく最前線に行けたわね。ふふ」

「残された側はきついぞ……本当に……」

「……そうだよね」

 そう言ってバーバラは苦笑し小さく頷く。

 つまらなそうにジト目を向けていたショウキチが口を開く。

「あのー俺達もいるんだけど」

「馬鹿野郎。おこちゃまは後だ」

「ひっどーい!」

「それ私も含まれてますよね!?」

 抗議の声を上げるショウキチ、ケットル、キョウコ。すまんすまんと笑う誠の顔は涙に濡れていた。

「ラオ! 怜蘭!」

 目の下を真っ赤にした白蓮が、誰かの手を引っ張って現れる。そこには嬉しそうに手を振る金髪の活発美女テリアと、バツが悪そうに目を逸らす、物静かそうな少女の春カナタの姿があった。

 最初に動いたのはラオだ。

 ずんずんと足を進め春カナタの前へとやって来ると――勢いそのままに平手打ちした。

 システムに阻まれたが、少女の心には届いたようだ。

「どうして頼ってくれなかったんだ!」

 解放者と名乗るPKに騙されこの世を去った春カナタ。彼女自身、親友に相談しなかったことを後悔していたのだろう。今にも消えそうな声でつぶやいた。

「……ごめん」

「ばか……!」

 絞り出すような声で呟く春カナタを力強く抱きしめるラオ。互いの目尻には涙が光っている。

「あれあれ? 怜蘭は泣かないのかなー?」

「泣いてほしい?」

「残念。全員の泣き顔見られると思ったのに」

 そう言いながら楽しそうに白蓮を見るテリア。白蓮は全員が揃ったその光景にまた涙を流している。

「シオラ大塔も無事クリアしたんだってね」

 テリアはそう快活に笑いながら言った。

 シオラ大塔は彼女が死んだ場所であり――彼女達が別れた場所でもある。

「うん。白蓮がリベンジした」

 そう言って怜蘭は感慨深そうに微笑んだ。

 そして、テリアの最後の言葉を思い出す。

「あの時私になんて言ったの?」

「えぇ? もういいじゃない今更ー!」

「結構引きずったんだもん、教えてよ」

 聞き取れなかった4文字の言葉。

 テリアは頬を掻きながら渋々答えた。

「アリガトって、そう言ったのよ」

「……どうしてありがとうなのよ」

「そりゃあ……道半ばで死ぬのは不本意だったけど、皆と一緒だったからここまで来れたわけじゃない。だから、こんな私と一緒に戦ってくれてありがとうって」

 そう言って照れたように笑うテリア。

「なにそれ……もっと聞こえるように言ってよ、バカ」

 怜蘭も憑き物が落ちたように笑った。

「お前ら二度目はないからなー!」

 威嚇する犬のような顔で唸るラオ。

「それはこっちのセリフ!」

 そう言って怒りをあらわにする白蓮こそ、全員の死を経験し乗り越えた一番の苦労人と言えるだろう。

「レベル追いつくの大変そうー」

「鬼のようにしごいてやるから安心しな!」

「僕は非戦闘員だから関係ない……よね?」

 以前の調子を取り戻した〝黄昏の冒険者〟創立メンバー達。その間もそこかしこで再会を喜ぶ声があがり、アリストラスはかつてない活気に溢れていた。

「(よかった……本当に……)」

 再会を喜ぶ皆の様子を遠目で見ながら、ミサキも一人涙していた。

 最前線組が集結し、デスゲーム開始初日ほどの人で溢れたアリストラス。初日と大きく異なるのが人々の表情である。皆が皆、生き返った友人や家族との再会を喜び涙していた。今日という日はeternityが始まって以来の記念すべき日になるだろう。

「(でも一体どうして……?)」

 どうして皆が甦ったのか。

 なぜ今なのか。

 なんの前触れもなく起こった奇跡が天使の所業ではないかと勘繰ってしまうミサキだったが、今はただ再会を喜ぼうと、考えるのをやめた。





 紋章主導で復活組の保護が進められていく。

 人間不信に陥る者(主にPKに殺された者)へのメンタルサポートが課題となったが、それも友人や家族の支えがある今、大きな問題ではなかった。

「――だからもう、大丈夫です」

 修太郎の励ましの言葉に頷いているのは、解放者に騙されこの世を去ったキイチとヨシノであった。

「そうか、解放者達は死んだんだね」

 仇を打ったという言葉に安心するキイチ。

 しかし――

「でもどこかには蘇ってる。そうでしょう?」

「それについては私がお答えします」

 不安がるヨシノの疑問に答えたのは、修太郎ではなくルミアであった。

「彼等は今、監獄にいます」

「監獄って……あの?」

「はい。βテストではPKおよび犯罪行為をしたプレイヤーが死ぬと等しく監獄からスタートになりましたから」

 そう言いながらマップを開くルミアは、最前線から更に先のほうを指差した。

「ヘルバス地下牢獄――推定レベルは、あくまで推測ですが70〜80ほどかと思われます」

「はちじゅう!?」

「なのでまず出てくる心配はないと思います。それに、出られてもアリストラスまでは相当な距離がありますからね」

「そ、そっか。なら安心……かな」

 それを聞いてようやく安心した様子のヨシノ。

 しかし、説明したルミア本人の表情は暗かった。

「(そのくらい過酷な場所にワタルさんがいる……ってことだもんね)」

 桁外れの推奨レベルに加え、犯罪プレイヤー達が蠢いている空間にワタルは閉じ込められている。親愛なる前ギルドマスターの身が心配でならなかった。

「――マスターはどこだ?」

 狼狽えた様子で向かって来たのは、紋章創立メンバーの一人にして久遠に殺されたガルボであった。

「ガルボさん……」

「至急伝えねばならんことがある!」

「あいつ……絶対許せねぇ!」

 同じく久遠に殺されたメンバー達の憤りに気圧され、事情を知るルミアが口篭る。

 なんだなんだと人だかりができると、巻き込まれた修太郎は居心地悪そうに小さくなった。

 副隊長のgaga丸がルミアに迫る。

「なんでワタルさんがいないんだ? 俺達を襲った奴は? やり返さねーと気が済まねぇぞ!」

「gaga丸さん、おち、落ち着いてください……」

「全部説明してくれよ! おい!」

 事情を知らない修太郎はその光景に目を白黒させるばかりだった。

「確かにまだ説明されてないことあるぞ!」

「そもそもなんで犯罪者も蘇ったのよ!」

「ていうかずいぶん時間経ってるのにクリアできてないのかよ」

 不満の声に同調する群衆達。そんな人だかりの中に、派手な髪色の少女が飛び込だ。

 間に割って入ったのはマグネだった。

「ワタルさんは監獄だよ」

「誰だお前! めちゃくちゃなこと言うな!」

 冷静さを失っているgaga丸の物言いにカチンときたマグネは、眉間に皺を寄せ息を大きく吸った。

「あのねぇ!」

 喧騒の音が全て消えるほどの声が、広場にこだまする。

「何も知らずに死んでた奴は黙っててくれるかな!? ワタルさんの事だって、ルミアちゃんがどれだけ苦労したか分からないでしょ!?」

 いきなり、それも見ず知らずの相手に責め立てられればgaga丸も黙ってはいられない。

「んだと――」

 ヒートアップする刹那、gaga丸の肩を掴んで引かせたのはガルボだった。

 彼は申し訳なさそうに頭を下げ、冷静な口調で言った。

「すまない、君の言う通りだ。我々が死んだ後も皆はずっと戦ってくれていたんだろう」

 当たりがシンと静まり返った。

 PKやモンスターによって理不尽な死を迎えた面々も、この言葉から〝戦い続けてくれた人たち〟の存在を再認識することとなった。

「そう。だからまずはルミアちゃん達にありがとうって言ってよ」

 辛そうな声でそう呟くマグネに、ガルボは素直に頷いた。

「そうだな。感謝の言葉の方が先に来るべきだった。我々がこの場所でまた集えたのもルミア達生き残り組の尽力の賜物だ。ありがとう」

 文句ばかり言っていた復活組の面々も、自分の身勝手さを恥じた。

「……この先誰一人死なせないよう、より一層頑張る所存です!」

 ガラガラになった声でそう宣言するルミア。

 声を枯らしながら必死に呼びかける彼女の姿を皆が見ていた。生き残り組の苦労を軽視していたことに、復活組は更にバツが悪そうに黙り込んだ。

「マグネちゃん、ありがと」

 そう小声で言いながらはにかむルミアに、マグネも小さくVサインを送る。

『――お前は黙って俺の言うこと聞けばいいんだよ!』

『――お前みたいな都合いい女いくらでもいるし』

 かつての男達がフラッシュバックする。

「やってくれて当然みたいな空気感、もううんざり……」

 マグネはそう、恨めしそうに呟く。

 過去と決別したマグネは、損な役回りのルミアが自分と被って見えているようだった。

 gaga丸達が落ち着き、ルミアはすぅと深呼吸した後、冷静な口調で報告する。

「順を追って説明します。まずそのPKはワタルさんが倒しました」

 その言葉にどよめくガルボ達。

「俺たち手も足も出なかったぞ……」

「あの妙な技をどうやって……」

「私とマグネさんで戦いの一部始終を見届けました。映像を見てもらって構いませんが、事実です」

 どよめき声が大きくなる。

 僅かな沈黙のあと、ガルボが口を開く。

「もちろん疑うつもりはないが、奴に関しては強さの次元が普通じゃなかったからな」

「それに関してですが……」

 ルミアは二人の戦いを思い出しながら続けた。

「ワタルさんが勝ったのは当然の結果のように見えました。理由は分かりませんが、ワタルさんのレベルはその……100でしたから」

「レベル100だって!?」

 ガルボのみならずその場にいた全員が驚愕の声を上げた。

「ち、ちょっと待ってくれ。俺たちが死んでる間、最前線組はもうレベル100に届いているのか!?」

「いえ、私の知る限り最前線でもせいぜい60くらいだったと思います。ワタルさんだけ異常に強くなっていました」

「ならPKを倒したのも頷ける、か……」

 ひとつの疑問が晴れると同時に、別の疑問が生まれる。

「ワタルは一体どこでそんな――」

「当たり前だ」

 人混みを押し除けるようにして現れたガララスは、もみくちゃになっていた修太郎を救出すると、群衆達に見せつけるかのように彼の前で膝をついた。

「お待ちしておりました、我が主様」

 再びどよめき声が沸き起こる。

 修太郎はガララスが〝わざと〟やっているのだと察して、気まずそうに苦笑した。

「えっ!?」「主って……?」

 視線が修太郎に集中する。

 復活組は何のことかと不思議そうにしているが、特にアリストラスに住むプレイヤーの中ではガララスはかなりの有名人である。只者でない雰囲気と威圧感、しかしよく一緒に行動するマグネは〝主は別にいる〟と答えるし、かなり謎の存在であった。

 ただ、彼はアリストラスを守護してくれている――その事実は皆が周知していた。

「やっぱり修太郎君が……!」

 合流したキャンディはその事実に驚愕する。

 ルミアは驚きで声が出ない様子だった。

 マグネの心境は少し複雑だった。

「(なに? この気持ち……)」

 傲慢でプライドの高い巨人が傅いている。目の前の光景が信じられず、その主へと視線を向けた。

「強くなられましたな」

「うん。頑張ってきたよ」

 ひとめで修太郎の強さを感じ取ったガララス。長い時間を塔で修行していた修太郎にとっては何年振りかの再会で、懐かしそうに目を潤ませていた。

「――主様に報告しなければならない事があります」

 そう言ってガララスは真剣な眼差しで修太郎を見つめた。

ワタル(あの男)が強さを手に入れられたのは、第一位の手引きがあったからです」

「ワタルさんの事情は少し聞いたけど……え、それってどういう……」

 視線を修太郎に戻し、続ける。

「奴は裏切っています」

「!?」

 エルロードが裏切っている?

「一体どういう……」

 ガララスの言葉の意味が理解できなかったが、修太郎は自分の血の気がサァーっと引いていくのを感じた。もはや周りの者達は会話の意味が分からず、ただ困惑するばかりである。

「それは違うぜ旦那ァ」

 なにかを決心した顔のバートランドがそこにいた。ガララスは苛立ちを見せながら立ち上がる。

ワタル(あの男)を鍛えたのは貴様と一位だろう。主様の許可もなく不安要素を増やした――これが裏切り以外のなんだというのだ」

 ガララスが放った威圧感(プレッシャー)が空気を震わせる。プレイヤー達は、まるで過呼吸にでもなったように苦しみうめきだす。

 周囲の建物にはヒビが入ってゆく。

「(なんだ……この怪物は……!)」

 歴戦の戦士であるガルボでさえ、立っているのが精一杯だった。

 久遠(あの時のPK)とは似て非なる純粋な〝恐怖〟。

 戦う権利すら与えられない圧倒的な力の差を感じていた。

「少なくとも旦那は主様を裏切っちゃいない。主様のご友人達が生き返ったということは、旦那の悲願は達成されたんだよ」

 呆然としていた修太郎が口を開く。

「どういう、こと? 皆が生き返ったのって……」

「旦那は――」

 バートランドは複雑な顔を浮かべながら、その時の会話を思い出していた。

『俺ァ忙しいんだよ』

『お願いします。殺さなきゃならない人がいるんです』

 久遠を討つための力が欲しいというワタルの懇願に耳を貸そうとしなかったバートランド。しかしエルロードは違っていた。

『その男、利用価値があるかもしれません』

『利用価値だァ?』

『私の計画の駒にできます』

『〝主様〟がそうしろと仰ったのか?』

『いえ、私個人の判断です』

『なら従う理由はねェよ。そもそも主様に伝えずに動くのは命令違反じゃねェか』

『主様に知らせるわけには参りません。なぜなら――私はこの男をうまく利用して、主様のご友人達を蘇生するつもりですから』

 その言葉にバートランドは耳を疑った。この時点で、エルロードは既に今の状況を描いていたということになる。

『……そんな事になるのか? 本当に』

『今は、恐らくとしか言えません』

『そうか……』

『確実とは言えませんが、やる価値は大いにあります。その仮説が正しければきっと主様の救いになる――』

 なぜワタルを利用して皆を復活させられるのか。聞きたいことは山ほどあれど、バートランドはそれ以上のことを聞かずに手を貸した。もちろん、エルロードの行動が修太郎のためになると信じていたからだ。

「旦那は皆が蘇る(こうなる)と予想し、命を賭けて行動していました。もしそれが失敗に終わっても、それはただの旦那の勘違い。主様を期待させずに済む……悲しませずにすむ、と」

 しばらくの沈黙。

 ズンと、地響きと共に尻餅をついたガララスは、どこか安心した顔で豪快に笑った。

「決死の覚悟ということか……だから奴はあの時、あれほど強かったのか」

 群衆達はワケがわからんという様子で顔を見合わせている。しかしただ一人、修太郎は体を震わせながらバートランドに詰め寄った。

「じゃあ……じゃあこの奇跡は全部……」

「ええ。エルロードの旦那が描いたものです」

「――ッ!」

 愕然とした様子で膝をつく修太郎。

 群衆達も会話の内容を理解しざわつき始める。

「この子の友達が皆を復活させたってことか?」

「ワタルさんも協力したってこと?」

「救世主様だ……」

 ざわつき声が大きくなっていく中、膝をついたまま呆然とする修太郎と、悲しそうな顔で彼を見下ろすバートランドだけがこの空間で浮いているように見えた。

「バート……色々やってくれてありがとう。僕全然気付かなかったよ」

「それを旦那は望んでいましたから。きっと本望でしょう」

 その物言いはまるで――

「……エルロードの行き先は?」

「それは分かりません。安否も正直……」

「なら、僕がやるべきことは決まったよ」

 そう言って修太郎は立ち上がると、バートランド、そしてガララスへと視線を向ける。

「エルロードを探しに行く。今すぐに」

 その言葉にガララスは嬉しそうに、バートランドは目伏せがちに微笑みながら「仰せのままに」と答えたのであった。


2


 アリストラスにアルバ達が到着する頃には、この奇跡が人為的に行われたものだという話が広まっていた。多くの死者を出している紋章ギルドとしても、その人物は大恩人にあたる。

 アルバとフラメが広場に着くと、そこには数万単位の人だかりができていた――修太郎達を取り囲む形で。

「これはいったい……」

「アルバ。ご無沙汰だな」

「ガルボさんッ!」

「! ガルボか?! よくぞ、よくぞ戻った……!」

 固く抱きしめ合う大男二人。フラメも目尻に涙を溜めて歓喜に震えていた。

「こんな遠くまで大変だったでしょ?」

「Kさん! 本当に全員生き返っているんですね……良かった……!」

 そこにはカロア支部長のKの姿もあり、フラメは文字通り全員が蘇ったことを実感する。

 再会の余韻もそこそこに、Kは今の状況を簡単に説明した。

「あそこにいる修太郎君。彼が今回の奇跡を起こしてくれたみたいですよ」

「えっ!?」

 渦中の人が修太郎であると知り、二人は更に驚くこととなる。

「正確には彼の仲間の功績らしい」

 ガルボは誇らしげにそう補足した。

「(規格外の仲間を連れてるだけじゃない……なにより大規模侵攻は彼なしでは乗り切れなかった。その上今回の奇跡までも……)」

 フラメは修太郎の規格外さを再認識する。

 遠巻きに見ていたアルバは、ごくりと生唾を飲んだ。

「わかるか?」

「何がですか?」

「そりゃあもう」

 クエスチョンマークを浮かべるフラメとは対照的に、Kとガルボは薄く笑いながら冷や汗を流している。

 広場の中心、修太郎を囲う形で〝怪物達〟が並んでいる。巨人、白い少女、獣のような女、体格の違う三人の騎士、真っ黒いスライムも含めると数は七体。

 そのいずれも――恐ろしく強い。

 大規模侵攻で何体かの格上ボスを見たアルバもそうだが、天使と相対したKから見ても、あれらの存在感は圧巻であった。

「絶対に倒せないと思った相手はあのクソ天使が初めてでしたけど……それより修太郎君の仲間のほうが遥かに強いですね……」

「そんなにか?」

「はい。確か天使って複数いるんでしたよね? 束になっても敵わないんじゃないかなぁ……」

 測る対象が巨大すぎて、アバウトながらもそう分析するK。天使と対峙した彼がそう言うならとアルバは納得する。

「私はそれよりも――」

 ガルボが口を開く。

「怖さ、という点で見れば修太郎君が最も恐ろしく思えてしまうよ……」

 ガルボは過去に修太郎と手合わせした経験がある。修太郎の剣技に圧倒されつつも、あの時は〝戦い〟になっていたと自負していた。

 いまの彼はすでに別の次元にいる。

 それこそ周りの怪物達と遜色ないほどに。

 自分が死んでいた僅かな期間であれらと同格になるほどレベルを上げたその〝異常な成長スピード〟。尊敬を通り越し、恐怖を抱くのも無理はなかった。

「な、なぁ。冷静に考えたらあそこにいる連中が俺達を殺そうとしたら簡単に……なぁ?」

「滅多なこというなよ! 彼は英雄だぞ!?」

「でも実際そういう力はあるってことじゃない? なんか、ねぇ? 一緒にいるのは怖くない……?」

 などと騒ぎ出す臆病なプレイヤーの会話を聞いたガルボは声を荒げた。

「ふざけるなッ! 一度剣を交えればわかる。彼はそんな人間じゃないッ!」

 ガルボとは対照的に冷静な様子のKが続く。

「彼らには、大きな力を死んだ人間(俺たち)のために振るった事実しかない。憶測や想像で敵を作るのは賢くないよ」

 確かに彼らの力は強大で、その力を悪事に使えば簡単に世界が滅ぶかもしれない。

 しかし、それ以上に二人とも修太郎を気に入っていた。今回の奇跡も含め、修太郎への信頼は揺るぎないものとなっている。

 紋章ギルドの実力者達に責められ、縮こまるように黙るプレイヤー達。ガルボは満足そうにフンっと鼻息を立てる。

「……」

 そんな様子に修太郎本人も気付いていた。

 今まで必死で隠してきた力――しかし今は、それどころではない。

「エルロードが戻ってこれないほどの場所なら、僕も最大戦力で挑む必要がある」

 各拠点に置いていた魔王達を総動員させる必要がある。つまり、プレイヤー達の安全が危ぶまれるということになる。

「なぁ修太郎……」

 魔王達に囲まれる親友の元へ、ショウキチが歩み寄る。

「ここは俺たちに任せろよ」

「!」

 ショウキチは親指を立ててはにかんだ。

「ぶっちゃけお前が只者じゃないってことは知ってたし、もし俺たちがお前の足枷になってるなら――気にしなくていい!」

 修太郎にとってそれは強い励ましの言葉であったが、現実的に、天使が一体でもここへ来れば全滅もあり得る。それほどまでにプレイヤーと天使の間には大きな実力差がある。

「私も戦えるよ」

 そう言って歩み出たのはケットルだ。

「いやいや、お前は隠れてろって!」

「何言ってるのよ。私のレベル見た?」

「そんなの俺と……って、えぇ??!」

 ケットルのレベルを知り腰を抜かすショウキチ。実際、現在のケットルは全プレイヤー中でもトップクラスに高いレベルがある。

「私がいれば戦える。でしょう?」

「そうかもしれないけど……」

 天使のレベルは120。

 地獄を経験し、強くなった彼女でも天使には及ばない。ダンジョン世界(レジウリア)の住民を連れ出すわけにもいかない。

「……」

 何かに勘づくバートランド。

 悩める修太郎の前に最後のピースが現れる。

「君は残りたいの?」

 寡黙な騎士ベオライトが小さく頷いた。

「そういうことか……だがよォ、相手とお前の繋がりはもう切れてるんだぞ?」

 バートランドの言葉にも、ベオライトは再び小さく頷く。

 蘇生された中にはかつての親であるリヴィルがいる。アイアンとしての時間は決して幸せな日々ではなかったが、それも含め、彼には全てがかけがえのない記憶だった。

「君は本当に優しいんだね」

 ベオライトの手を握る修太郎。

「うん……ならベオライトの意志を尊重するよ。こっちのことは任せたからね」

 修太郎の言葉に、ベオライトは力強く頷いた。

 天使と同等の力を持つベオライトがいれば、アリストラスの防衛力はかなり上がる。

「そっか。じゃあ、お願いするね」

「もちろんだぜ! うおおおお燃えてきた!」

 修太郎の言葉にショウキチは一人盛り上がる。しかし保護者達はアリストラスよりも、修太郎の身を案じていた。

「行くしか、ないんだもんね?」

「うん。大切な僕の友達が待ってるんだ」

「そっか……」

 バーバラ達はそれ以上何も言えなかった。付いていっても足手纏いになるだけだと分かっていたから。

「ッ!」

 修太郎のもとへ駆け寄った怜蘭は、優しく彼を抱きしめた。

「微力だけど、ここは任せて」

「個人的に天使に恨みもあるしな」

 そう言って修太郎の頭を撫でるラオ。

「終わったら皆でまたお話ししましょう」

 涙ぐみながら微笑むキョウコ。

「レベルは頼りないかもしれねぇけどよ。〝修太郎〟のことは俺たちが絶対守るからな」

 誠の言葉に、テリア達復活組も大きく頷いた。世間の目からという意味だと理解し、修太郎は瞳を閉じ、小さく深呼吸する。

「(皆、僕の味方でいてくれる。それが知れただけで僕は戦えるよ)」

 何かを決意したように立ち上がった修太郎は、怯える人達に向け口を開いた。


「僕の仲間は、全員モンスターです」


 少なくないどよめきが起こるも、修太郎は意に介さず続ける。

「最初は僕も彼等が怖かった。けどそれは僕が彼等を知ろうとしなかったから……彼等を通じていろんなことが学べました。そのおかげで僕はこうしてたくさんの人と出会えた」

 群衆達を見渡すように微笑む修太郎。

「僕と彼等は運命共同体です。でも、僕は彼等の心までは動かせない。彼等は彼等の意志で僕らを守ってくれていました」

 ショウキチ達をはじめ、大規模侵攻で救われた人々や、各拠点の生き残り組が頷く。

「天使達がそうだったように――大きな力は人々を簡単に不幸にできます。怖いのは仕方ない、理解できます」

 聞き入る群衆達が小さく頷く。

「ですが!」

 修太郎は、皆の心に訴えるように続けた。

「僕の友人はいつだって正義のために力を使ってきました! 今回の奇跡も、僕の大切な友人が命を投げ打って起こしてくれた……!」

 俯きながら、修太郎は続ける。

「その友人の行方がわかりません……死の淵にいるかもしれない……でも!」

 瞳に強い決意を宿し向き直る。

「僕達が必ず助け出す」

 魔王達が力強く頷いた。

「怖がらないで、とまでは言いません。時間がかかるのも分かっています。ただ――僕の大切な友達のことを知ってほしい。知ろうとしてほしい」

 群衆達は少年の演説に釘付けになっていた。

 もはや陰口を言う者などいない。

 その場にいた全員の視線が修太郎に集まっていた。

「互いを知らなければきっと共闘なんてできない。天使を倒せない」

 何も知らなかった者達も、犠牲者達の言葉を受け天使は倒すべき存在だと周知していた。天使に殺された犠牲者は、あの理不尽な暴力を思い出し怒りに震える。

「互いを知り、本来の敵を知り、そして最後は――」

 空を見つめる修太郎。

 群衆は彼の最後の言葉を待った。


「このデスゲームを終わらせましょう」


 アリストラスが、大きく揺れた。

 それは群衆達の雄叫びによるものだった。

 はじめた理由は違えど、今の目的は皆一つ。

「レベル8の雑魚だけど……俺は戦うぞ!」

「わ、私も今度はちゃんと前を向くわ!」

「いける……英雄様が味方ならいけるぞ!」

 このデスゲームを終わらせる。

 群衆達の気持ちは一つになっていた。

「――なぁ貴様ら」

 修太郎の背中を見つめながらガララスが笑う。主の言葉が全ての人間に火をつけたその光景を楽しむように。

「あれこそまさに、全てを束ねる王だ」

 群衆達の心を掴んだ修太郎の姿。

 他の魔王達も皆誇らしげに修太郎を見つめていた。

「抜け駆けした彼も見たかったでしょうね」

「それ旦那が死んだことになってんなァ」

「我々に説明すらしないとは、全く水臭い」

 どこか嬉しそうなバンピー、バートランド、シルヴィアとは対照的に、セオドールは終始難しそうな顔で佇んでいる。

「行き先に心当たりは?」

 そう言って視線を向けた先で、バートランドは肩をすくめてみせた。

「大体の場所は割り出せるよ」

 それに答えたのは修太郎であった。修太郎はそのまま、無数の点が打たれたマップを広げてみせた。

「僕ならダンジョンモンスター()の位置が分かる。エルロードはここだ」

 ワールドマップでいう所のソーン鉱山付近にひとつの点が存在していた。近隣のエリアからは大きく外れており、何か特殊な場所であることは容易に想像がつく。そして、点があるということはまだ生きているという証明でもある。

「罠の可能性も大いにあるな」

 冷静な口調で言うセオドールに、

「罠だろうと何だろうと、真っ向から突破するよ」

 動じない様子で修太郎が答えた。

 小さく微笑み、セオドールは頷いた。

「ではそろそろ――」

「あの、修太郎さん!」

 バンピーの声を遮ったのはミサキだ。

 その表情は何かを決意したように真剣だった。

「お願い修太郎さん。私も連れて行ってくれませんか」

「無理よ」

 ミサキの申し出を突っぱねるバンピー。

「先の侵攻とは状況が違うのよ。いい? 妾と同格の仲間が囚われている可能性があるの。これから行こうとしてるのはそういう場所よ」

 端的に言えば足手纏い。しかし遠回しにだが、ミサキの身を案じた言葉でもあった。

 それでも! とミサキは食い下がる。

「私のスキルは絶対に役立つはず!」

 ミサキの生命感知はエリア内のMobの数と動きが分かる。奇襲の対策にもなる。

「必要ないわ。全ての敵を潰して行けばいい話じゃない」

「危険な場所なんでしょう!? どんな敵が出てくるかも分からないなら尚更だよ!」

「しつこいのね。これは妾達の問題――」

「私は友達を助けたいだけ!」

 ミサキの気迫にバンピーが気圧される。

「修太郎さんも言ってたでしょ、互いを知らなければきっと共闘なんてできないって……しばらく一緒にいて、私はバンピーのこと少しだけ知ることができたよ」

 胸に手を当てながら微笑むミサキ。

 バンピーは言葉が出てこないのか、口をぱくぱくさせるばかりだ。

「私はあなたのために(・・・・・・・)命を賭けたい」

 まっすぐな瞳でバンピーを見つめるミサキ。

 バンピーは不思議な感覚を覚えていた。

 目の前にいる少女は、小指で弾けば飛んでいきそうなほど弱く脆い存在である。しかしどうだ、不思議と頼もしくも思える。

 彼女の意思は固いと踏んだ修太郎は小さく微笑んだ。

「ミサキさんの力を借りよう。これから先、僕たちはそうしていく(・・・・・・)必要がある」

 結論が出るや否や、巨大な黒竜が大きく羽ばたいた。それはセオドールが変身した姿であった。風圧で飛ばされる群衆達を一瞥し、セオドールは「乗れ」と目で促す。

「協力してくれてありがとう」

 修太郎の手を取りながら、ミサキは嬉しそうに黒竜の背に跨った。魔王達もそれに続くと、セオドールはさらに大きく羽ばたいた。

「必ず連れ戻してきてくれよ!」

「直接感謝の言葉を伝えたいわ!」

「ここのことは任せろ!」

 群衆達からエールも受けながら、セオドールはゆっくり上昇していく。アリストラスが徐々に小さくなってゆく。

「帰りたくなってももう遅いわよ」

 ちょこんと座るバンピーがジト目を向けるも、ミサキはクスクスと笑った。

「帰らないよ。皆一緒じゃないとね」

「ふふ……」

 仲睦まじい二人を尻目に、修太郎は前を向く。

「(待っててね――エルロード)」

 アリストラスから飛び立った黒竜は、ぐんぐんスピードを上げ目的の場所へと向かっていった。




 

 目的の場所はソーン鉱山よりも少し外れた所にある、巨大な空洞の真下であった。

「どうなってるの……?」

 ミサキが不安がるのも無理はない。

 攻略手伝いのため一度訪れている彼女は、ソーン鉱山の横にこんな空間はなかったことを覚えている。

『到着だ』

 地面に降り立つセオドール。

 まるでくり抜いたように綺麗に取り除かれた地面の断面は、見える所全てが機械だ。その至るところに穴が空いており、それら全てが出入り口なら数千〜数万はありそうだった。

 修太郎達が降りた最下層部分は、広い床が延々と続く空間だった。東西南北それぞれに巨大な通路が伸びているばかりで、あとは何もない。

「敵の分布図は出せましたが……」

 そこまで言って、ミサキは言い淀む。

「なにか問題があったの?」

 修太郎が覗き込んだミサキのマップには、夥しい数の赤点が蠢いていた。

「これ全部敵みたいです……」

 深刻そうに呟くミサキとは裏腹に、魔王達は楽しそうにしている。

「群れるしか脳のない虫のようね」

「もちろん全部倒していいのだな?」

「ふん。すぐ見つけ出して説教してやる」

「じゃあ旦那を見つけた奴が勝ちってことで」

 バンピー、ガララス、シルヴィア、バートランドは横並びになりながら修太郎の指示を待っていた。

「バンピーはミサキさんとここに残ってもらおうと思う。多分それが一番いい(・・・・)

 エリアの性質を踏まえ、何かの結論に至ったのか、修太郎は真剣な表情でそう呟いた。

「……承知いたしました」

「ごめん、不満だよね」

「いえ。妾もそれが最善だと思いましたから」

 バンピーは特に不貞腐れる様子はなかったが、それを見たミサキは申し訳なさそうに縮こまる。

「私が無理やり付いてきたせい、だよね」

「あら、なにを勘違いしてるのかしら」

 ミサキの顎をクイと上げると、バンピーは無表情で彼女を睨み付けた。

「ここに来たのは貴女の意思だけど、保護対象なんかじゃない。主様は貴女も貴重な戦力として考えた上で配置されたのよ」

 バンピーは無表情のまま、筒状にぽっかり空いたこの空間を見上げる。

「この場所なら貴女の弓はそこそこ活躍できるでしょう?」

「うん、ここなら戦いやすいけど……」

「それに、誰かと一緒なら、敵の動きを逐一報告する全体の〝目〟にもなれる」

 配置に明確な根拠があること以上に、修太郎の意図を正確に把握するバンピーに驚くミサキ。

 それに……と、バンピーはニィと不気味に口角を釣り上げ笑う。

「――妾はここが、天使共を一番殺せる場所だと思ってるわ」

 何かを企む彼女に怖気を覚えつつも、作戦の意図を理解したミサキ。いつの間にか近くに来ていたプニ夫は、親指を上げた手の形に変形する。

「皆、エルロードのいる方角は把握できた?」

 修太郎達の準備も整いつつあった。

「かなり微かですが、匂いがあるのはあの辺りです」

「わかった。じゃあそろそろ出発しよっか」

 シルヴィアが当たりをつけた入り口へと歩き出す修太郎達。見るとどうやら、各入り口に一人ずつ、別々で入っていくように見えた。

「え……修太郎さんも一人で……?」

 違和感を覚え、狼狽えるミサキ。

 魔王達がただの一人も修太郎に着いて行こうとしなかったのだ。それは過去のバンピー達のやりとりを見ていた彼女からすると、異様な光景に見えた。

 プニ夫に至ってもそうだ。自分の側から離れようとしていない。

「何を心配する必要があるの?」

「でも……」

「今回が〝そういう相手〟なら妾達もお側を離れたりしないわ」

「それってどういう……」

「たとえば、アリストラスの平原にあなたが立っていたとして、それって危険だと思う?」

「流石にそれなら……」

「そういうことよ」

 フッと笑い、空を見上げるバンピー。

 全員がそれぞれの道へと消えていくのを呆然と見送ったミサキは、慌ててマップへと視線を落とした。





 修太郎は一人、機械仕掛けの道を進んでいた。

 元々のエリアとして存在しなかったからなのか、延々と続くその道はマップに読み込まれていない。

『不安要素の多いこの案件、主様を巻き込むわけにはまいりません。恐らく時間もかかるでしょう。ですから、しばらく一人で行動させていただきたく思います』

 あの時すでにエルロードは覚悟していたのだと、修太郎は理解した。

 死んだプレイヤーが蘇るかもしれない――そんな事を言われたら、果たして自分はどんな行動に出ていたのだろうか。たとえそれが1%の可能性でも、きっと何を投げ打ってでもエルロードに協力していたのではないだろうか。

 もし仮にエルロードの勘違いだったら。

 きっとその落胆は計り知れない。

「すべては僕に気を使わせないため……」

 だから彼はあえて言わなかったのだ。

『必ず戻ってまいります』

 あの言葉が忘れられない。

「(エルロード……)」

 修太郎は目的地を示す点を頼りに、ひたすら前へと進む。

「(互いを知りましょうだなんて、何も知らなかったのは僕のほうじゃないか)」

『主様。10時の方角に敵の反応です』

 バンピーからの念話でハッと我に返る。

 言われた方角の先、白く光る何かがいた。

「ソチラカラ来ルトハ手間ガ省ケタゾ、イレギュラー」

 のっぺりとした顔の巨大な人型――天使は大きく翼を広げ、半透明の剣を具現化させた。

「……僕の友達はどこにいる?」

「答エルト思ウカ?」

「じゃあいいよ。自分で探す」

 修太郎は吐き捨てるようにそう呟くと、冷たい瞳を向けながら美しい剣を抜く――。

 構えをとった天使の後ろを、修太郎が歩いていた。

「ナン――」

 体を真っ二つにされ爆散する天使。

 ズバン! と、遅れて轟く斬撃音。

「どの道、天使は全部倒すから」

 剣を鞘に収めながら、修太郎はさらに奥へと進んでいった。

 




 広い空間に出たガララスは、修太郎に教わった方角を再確認するため足を止める。

 その表情は、ふつふつと湧き上がる怒りに満ちていた。

「勝ち逃げはさせんぞ」

 屈辱的な敗北を喫し、プライドを破壊されたガララス。しかし、一度負けたことで彼の闘志は逆に燃え上がっていた。

「これは永らく自分の強さに胡座をかいてきたツケだ。思えばこの数百年、自己鍛錬などしてこなかったからな」

 己が最強だと自負していたガララスは強さに飢えていた。そしてこの鬱憤のぶつけ先を探していた。

「侵入者ハ排除セヨ」

 天井の穴から無数の天使が降りてくると、拳にメキメキと力を込めながら、ガララスは楽しそうに嗤った。

 一斉に飛び掛かる天使の剣はガララスの体に届かない――そしてガララスのスキルが発動し、全て跳ね返された。

「ぬるい……準備運動にもならんぞぉーー!」

 ボトボトと落ちてゆく天使達の煙を裂いて、新たな天使が迫ってくる。ガララスは掌に込めたエネルギーを一気に放出し、天使達を紙屑のように千切っていった。

 

 



「え?」

 赤い紙に白の絵の具を塗るかのように、ミサキのマップからものすごい勢いで消えていく赤い点。

 遭遇から撃破までの時間が短すぎる。

 恐らくこれは戦闘ではなく――蹂躙。

「妾達の心配は不要よ。貴女は不審な点だけ見極めて報告すればいいわ」

 言いながら、空を見上げ薄く笑うバンピー。

 側面に空いた穴からは蜂の巣を突いたようにわらわらと天使が飛び出している。やがてそれは、空を埋め尽くすほどの群れとなった。

「ッ! あんなに……!?」

 弓を構えたミサキ――直後、それは起こった。

 剣を持って急降下する天使達が、灰のように崩れ、消えていく。

「この全域が妾の攻撃範囲よ」

 上空から飛んでくる天使や、横穴から出てきた天使は、バンピーのスキルの範囲に入るや否やたちどころに死んでいく。他に出口がない限り、天使達は撤退することもできなくなっていた。

 唖然とするミサキに、バンピーが声をかける。

「だから言ったでしょう? ここが一番殺せる場所だと」

 そう言って妖艶な笑みを浮かべるバンピー。

 しかし天使が増えるスピードも尋常ではない。

「来なさい。全員残らず消してあげる」

 




 研究施設の地下深くにエルロードはいた。

 夥しい数のカプセルは無惨に破壊され、繋がれていた天使は抜け殻のように動かない。

「貴様は何者だ。なぜこんな力を持っている」

「問答が好きですね。答えて私になんの得がありますか?」

「忌々しい……」

 エルロードは包囲されていた。

 三体の天使が片手を突き出し、結界のようなもので動きを封じている。

 体に影響はないのか、エルロードは退屈そうに本をめくっていた。

「私の力の及ばない存在がいたとはな」

「その程度で()を名乗るほうがおこがましいと思いますよ?」

 時間を遡ると、意識を失っていたエルロードが目を覚ました時には、既にこの状況が完成していた。周りを固める三体の天使はいずれも大天使級の力を持っており、結界は簡単に破れそうになかった。

「(私を生かしておくメリットはないはず)」

 いくらでもトドメを刺せたはずなのにそうしなかった――いや、できなかったのだと、会話の中でエルロードはそう推測を立てていた。

 事実、天使達はエルロードを攻撃することができなかった。気絶し無防備なはずのエルロードが、不思議な力に守られていたからだ。

 自分を守る不思議な力。

 エルロードには心当たりがあった。

()はどこにいますか?」

 その言葉に、天使の動きが一瞬止まる。

「奴はもう殺した」

「おや、そうですか。ならばなぜ貴方はまだこんなところ(・・・・・・)で油を売ってるんでしょう」

「……」

「私を殺せていない時点で、彼を殺すことも不可能だったのでしょう」

「その問答に意味はない」

 そう言って天使は沈黙した。

「(もはや確認する術はありませんが、主様のご友人は無事でしょうか)」

 外部との連絡手段を断たれたエルロードにそれを知る術はない。しかし相手の反応を見るに、自分が思い描いた状況になったのだと推測できた。

「貴方は何を企んでいるのですか?」

「いずれその答えは分かる」

 他の天使達とは明らかに異なるその個体は、無機質な声で続ける。

「貴様のやったことが〝無意味〟であることもいずれ分かるだろう」

「……」

 それきり天使は再び沈黙すると、エルロードはつまらなそうにため息を吐き、本へと目を落とした。

「侵入者ヲ発見シマシタ」

「侵入者ヲ発見シマシタ」

「侵入者ヲ発見シマシタ」

「侵入者ヲ発見シマシタ」

「侵入者ヲ発見シマシタ」

 まるでアラームのように騒ぎ立つ天使達と、部屋の壁が大きく破壊されるのは、ほぼ同時であった。


「あらら? 俺が一番乗りかァ」

 

 折り重なるように倒れた天使が消え、瓦礫を踏み越えながら登場するバートランド。

 槍を肩に担ぎ、遠くを見るようなポーズでエルロードを見つけると、安心したようにニッと微笑んだ。

「あれ? 旦那ァ、こんな所で何してんの?」

 ニヤニヤ顔を向けられ、鬱陶しそうに深いため息を吐くエルロード。

「わざわざ死地に来てくれるとは有り難い」

 流暢に喋る個体の合図で天使達が飛び掛かると、バートランドは槍を回しながらこれを迎え討った。

「紫電の突き《レイジングドライブ》」

 紫の電撃を帯びたその一撃で、天使達は瞬く間に倒れて消える。

 残ったのはエルロードを捕獲している大天使が三体と、特殊個体が一体。

「多勢に無勢だが恨まないでくれ」

 合計四体の天使が掌を向け、光の粒子が集まってゆく。対するバートランドには焦った様子もなく、避けようとする様子すらない。

「なんか有益な情報は得られたかィ?」

「はぁ……大して得られませんでしたね」

 バギ、バギ、バギバギッ!

 音を立てて崩れる結界――

 大天使の体を黒の刃が貫いた!

「貴様……まさか……」

 倒れゆく大天使の傍に、無傷のエルロードの姿があった。

「講釈を垂れる割に肝心なことは話していただけませんでしたね」

 ポンポンと埃を払うようにしながら微笑むエルロード。

「旦那は演技力に欠けるからなァ」

「貴方に言われたくないですね」

「私を騙していたとは……!」

 憤る特殊個体にエルロードが微笑みかける。

「もうここに用はないですね」

 パラパラと凄まじい速さで捲れていく本と、呼応するように莫大な魔力が練られていく。

 バートランドは構えた槍に魔力を込め、凝縮されたエネルギーは甲高い金属音のように鳴り響く。

 体を闇の球体が包み、両手を広げるエルロードの体がフワリと浮いた。

 黄金色に輝く槍を回し、バートランドが地面を蹴る。

終焉の混沌(エンドオブカオス)

霊王の神槍(ドゥルーレン・ボルグ)

 放たれた闇のエネルギーは大天使を飲み込み圧殺した。

 ドリルのように盾を貫通した黄金の槍は、勢いそのまま大天使の上半身を消失させた。

 大天使だったモノの残骸が光の屑に変わる。

 残されたのは特殊個体のみ。

「予定は崩れたが計画に変更はない」

 天使は余裕の雰囲気を崩さぬまま、翼で体を包む繭のような形になると、大量の羽根を散らしその場から消えたのだった。

「逃げ足だけは早いですね」

「逃がしてよかったのかァ?」

「どの道、本体を倒さねば意味がありません」

 舞い散る羽根を見ながらそう呟くエルロード。

「今のが神かい?」

「恐らくそうでしょうね」

「ふーん、そうかァ」

 短い会話を交わしたのち、バートランドは気が抜けたようにタバコの煙を吐いた。

「なんにしても、仮説は立証されたぜ」

「そうですか」

 冷静を装ってはいたが、エルロードは安心したように小さく微笑んでいた。

「ワタルの件は説明するのか?」

「……」

「秘密主義もいいけどよォ、主様の信頼を失ってまですることじゃねェだろ」

「それで最高の結果が得られるなら、私の信用など小事です」

「あーーったく、バンピー(姉御)ガララス(旦那)みたいに素直になればいいのによォ」

「……」

 二人の間に沈黙が流れる。

 遠くから聞こえる足音でハッとなったエルロードは、服の汚れや乱れを正し、その時を待った。

 瓦礫を飛び越え、修太郎が現れた。


「エルロード!!」


 飛び込んできた修太郎を抱き止める。

 勝手な行動に加え、危険な場所にまで来させてしまった罪悪感。

 どんな言葉も甘んじて受けようと、エルロードは最愛の主の言葉を待った。

 涙目で顔を上げた修太郎は――

「怪我はない!?」

 何よりも先に、友の身を案じた。

「……!」

「あぁ無事でよかった……ッ!」

 エルロードは何も答えられない。

「みんな……みんなが蘇ったんだ! エルロードのおかげだよね、そうだよね?! ありがとう、ありがとうぅ……!」

 明確な命令違反をした自分を咎めるどころか、出てくるのは感謝の言葉ばかり。

「私のために危険を犯すなど、本来あってはならないことです。それに……」

 そこまで言ってバートランドを睨むエルロード。バートランドは何のことかと肩をすくめてみせた。

「……お怪我はございませんか?」

 恐る恐る、修太郎の頭を撫でるエルロード。敬愛してやまない主の頭は小さく、彼がまだまだ幼いということを再認識する。

『貴様、裏切っているな』

 ガララスの言葉が頭の中に響く。

 主のためとはいえ、主を不安にさせたのもまた事実。罪悪感は増してゆくが、それでいいと思っていた。

 全てに意味があり、全て修太郎のためになる――そう信じていたから。

「(私の命はこのために使うと決めていますから……)」

 エルロードの決意は確固たるものとなった。

「全く。骨折り損ということか?」

 壁にもたれながら不満げにシルヴィアが呟いた。瓦礫の山を崩しながら、ガララスも入ってくる。

「くたばってなかったようだな。裏切り者よ」

「残念ながらそのようです」

 二人の間に不穏な空気がながれるも、ガララスはすぐに興味を失ったように視線を逸らした。

 ズバ! ズバン!

 音のする方に目を向けると、正方形に切られた壁の奥からセオドールが現れた。

 これで捜索組は全員揃ったことになる。

「とはいえ、戻るのもまた一苦労だな」

 ぼやくシルヴィア。

「俺の作った道を戻れば一直線だ」

「……もしかして全部斬ってきたのか?」

「そのほうが早いだろう?」

「そ、そうだな……」

 セオドールのパワープレイに言葉を失うシルヴィア。落ち着きを取り戻した修太郎は、涙を拭いて顔を上げる。

「帰ろう、みんなの所に」

 その言葉にエルロードはゆっくりと頷いた。




 修太郎達が研究施設の入り口に戻ると、そこには涼しい顔で佇むバンピーと、安心したように武器を下ろすミサキの姿があった。

「ただいま」

 はにかむ修太郎を見て涙ぐむミサキ。

「おかえりなさい!」

 プニ夫が修太郎に飛び付き、再会ムードの一方で、魔王達の空気は冷え切っていた。

「自分で尻拭いできないなら、一人でやらないでもらえるかしら?」

「姉御厳しいなァ」

「黙りなさい。貴方も同罪よ」

 冷たい瞳を二人に向けバンピーは続ける。

「妾達だけならいいわ……でもね、主様まで危険に巻き込んでるのよ? あり得ないわ。配下失格。事の重大さをちゃんと理解してるのかしら?」

 バートランドは、ぐうの音も出ないと言った様子で頬を掻き苦笑している。しかしエルロードは態度を変えず、顔色も変えないままだ。

「事を荒立てた第三位が全ての原因です」

「おい! 我を巻き込むな!」

「勘違いから私の行動を不審がり、貴方の攻撃により作戦そのものを台無しにされかけました。さらに、勘違いをそのまま主様に伝え、この地に呼び寄せたのも貴方でしょう」

 口喧嘩はヒートアップしてゆく。

「それを言うなら、共謀した上で黙っていたバートランドこそ真の裏切り者ではないか」

「旦那が早とちりしなければ丸く収まってたのによォ」

「過程の話なんてどうでもいいのよ。主様を騙したのは事実でしょ」

 あーじゃないこーじゃないと続ける魔王達に、修太郎は思わず吹き出した。

「ふふ……」

 魔王達の動きが止まる。

 修太郎からしたら、喧嘩の内容はどうでも良くて、ただ魔王達が仲良さそうにしている光景がとても嬉しかった。

「色々あったのはもう忘れようよ。僕にとって一番大事なのは、皆とまたこうやって一緒にいられることなんだから」

 照れくさそうに鼻を膨らませるシルヴィア。

 セオドールも目を伏せ小さく微笑んでいる。

「エルロードとバートが僕に言えなかった理由も分かるし、バンピーやガララスの気持ちも分かる。これって僕にとってすごく嬉しい事なんだよ――だってそれ全部僕のためなんだもん。僕を大切に思ってくれてるからでしょう」

 エルロードは修太郎の幸せのために、

 バートランドはその手助けを、

 ガララスは修太郎への忠義を貫き、

 バンピーは配下としての在り方を説いた。

 全ては修太郎のためである。

「皆ありがとね。僕、すごく幸せだよ」

 満たされたような笑みを浮かべる修太郎。

 エルロードとバートランドは微笑み、バンピーとガララスは顔を赤くしながら明後日の方向を見ている。

「なんか……いいですね……」

 その横でボロボロと涙を流すミサキ。

「なんで貴女が泣くのよ」

「だっでぇ……!」

 と、涙を拭いながら続ける。

「皆さんの絆が本当に素敵で……」

「貴女、気を張りすぎよ。一度落ち着きなさい」

 バンピーに介抱されるミサキを尻目に、エルロードが口を開く。

「絆、という言葉で思い出しましたが、我々魔王には共通した絆があるようです」

「主様の守護者という意味ではなくか?」

 ガララスがそう尋ねるとエルロードは小さく首を振った。

「それもありますが、もっと根本的な所にです。実際それのおかげもあり、天使達は私に危害を加えられずという場面がありました」

 天使達が気を失っていたエルロードに攻撃できなかった理由……それについて彼には心当たりがあるようだった。

「どうやら我々は〝闇の神〟の加護に守られ、彼の加護で大天使を殺せるようになっているようですね」

「!」

 ロス・マオラ城に閉じ込められる前、魔王達全員が彼と対話している。

「これから我々が探すべき人物。そして――恐らくこの世界の鍵を握る人物でもあります」

「それは誰なの?」

 修太郎は食い気味に尋ねる。

「私達を閉じ込めた張本人〝闇の神ヴォロデリア〟です」

 




 エルロードに連れられ目的の場所に到着した一行――そこは、火の精霊による祈りがあった場所、セルー地下迷宮であった。

 エルロードに先導されるがまま最深部へと足を進めていく。

「主様はケットル(あの少女)と共にここを踏破している。間違いありませんね?」

「あ、うん」

 特に気になるところはなかったと、思い出しながらそう返事をする修太郎。

 全ての魔王が揃った今、モンスターと遭遇したところで何の障害にもならない。皆の視界に入るよりも先に、バンピーの即死スキルの餌食となってゆく。

「(一応最前線付近なんだけどなぁ……)」

 改めて魔王達の強さを知るミサキ。

 一行は一度も足を止めることなく目的地の最深部――ボス部屋の前までやってきた。

「……」

 躊躇なく進むエルロード。

 修太郎達もそれに続くと、部屋の周りを囲うように火が灯ってゆく。

 そして、中央に集まる炎の中から人型の〝怪物〟が姿を現した。

 人型ではあるが、動物に近い見た目のボスだ。怪物は、侵入者を見つけるなり牙を剥き出しにして襲い掛かった。

 エルロードの本がパラパラと捲られていく。

停止する世界時計(イグノタスワールド)

 怪物の周りに時計のエフェクトが弾けると、怪物の動きが徐々に遅くなってゆく。

 99:99:99という数字が表示されると、怪物は石になったように、その動きを完全に停止させた。

 ボスに対して無防備に背中を見せながら、修太郎達へと向き直るエルロード。

「数字が0になるまで動きません」

 本来はコンマ数秒動きを封じるだけの魔法。

 さらに、ボス特性のモンスターには特に効きが悪くなるはずだが、二者の力の差が浮き彫りになっている。

 恐ろしい形相で止まる怪物を前に、エルロードは尋ねた。

「主様。以前戦ったのはこのモンスターですか?」

「うん、そうだよ。名前も一緒の〝火の精霊〟」

「あれ……?」

 修太郎の後ろで誰かが小さく呟く。

 怪物をよく観察したミサキが目を丸くする。

「やっぱりこのボス、なんか聞いてたのと違いますね」

 ミサキは直接見たのはこれが初めてだったが、最前線組から聞いてた造形や特徴とかけ離れていることに気付く。

「火の精霊は美しい女性の姿だったと聞きました……」

「本来はそう。そちらが正しい姿です」

「え、どういうこと?」

 ハテナマークを浮かべる修太郎に、エルロードが説明を続ける。

「見ての通り、このボスは名前こそ〝火の精霊〟ですが実際は全くの別物です」

「!」

 エルロードは聞き集めた情報と、自らの仮説を合わせて続ける。

「最初の火の精霊は対話を望み、しかしそれは叶うことなく倒されています。そして最後は天使に貫かれ絶命したと聞きます。それ以降、火の精霊に彼女の面影はありません」

「じゃあつまり……」

「本来の火の精霊は消滅したようですね。以来全くの別物に成り代わっているということです」

 言うなれば、このボスは火の精霊の抜け殻のようなものであった。

「話を戻しましょう――私はそれなりの時間を費やし闇の神ヴォロデリアの所在を突き止めました。彼と接触するためには、残りの精霊に会い、対話する必要があります」

「理由を聞かせてもらえるかしら」

「〝光の神〟の目的を正確に把握するためです」

「!」

「ええと……」

 置いてけぼり修太郎は遠慮がちに手を上げる。

「光の神っていうのは……?」

「いうなれば天使達の親玉ですね」

「!」

 修太郎的に言えば、人類の敵である。

「私は今回の蘇生を実行する以上に、光の神が何を隠しているのかを探ろうと思いました。しかし彼もまた警戒していたのでしょう――なかなか尻尾を見せてはくれません」

 火の精霊の額に手を当てるエルロード。

 火の精霊はそのまま崩れ落ちるように生き絶え、消えた。

「光の神の目的を知るため、誰よりも早く次の精霊と接触する必要があります」

 その視線は修太郎とミサキに向けられていた。やるべき事を理解し、二人は力強く頷いた。

 


3



 チダ山脈――

 山岳地帯と厳しい気候、深い峡谷、そして氷河湖がこの地域を特徴づけていた。

「見ろよ。めんどくせー雪山ともこれでオサラバだな」

 八岐(ヤマタ)のマスターHiiiiveは地平線一面に広がる広大な原生林を見下ろした。

「死者が復活したって話、あれマジ?」

 どこかで手に入れた部族の衣装を身に纏うアランが尋ねる。

「マジなんじゃね? ヨリツラの名前も光ったし」

「うおおおマジかよ! アイツ戻って来るのか!」

 八岐の仲間達も大いに喜んでいる。

「生き返ってもどーせ牢屋の中だろ。来るかわかんねー奴よりやるべき事を優先しようぜ」

 ハイヴは興味ないと言いたげな顔で、原生林の奥に目を凝らした。

 原生林の奥には次のエリアとの境界を表す緑色の膜のようなものが延々と続いていた。ソーン鉱山前にもあったそれは〝精霊の祈り〟である。

「祈りに着いたら徹底的に調べるからな。道中しんどいかもしれんけど」

「なら魔法少女(舞舞)も連れていけばいいじゃん」

「知らねえよ。勝負に負けたアイツがへそ曲げて来なかっただけだし」

 などと言いながら、チダ山脈の攻略を終えた八岐(ヤマタ)の面々は山を降りていくのであった。





「クソ……ムカつくッ!」

 八岐(ヤマタ)のNo.3に君臨する魔法少女舞舞は愚痴をこぼしながら剣を振るっていた。

 現在地である騎士の国タルヴォスは、騎士文化が根付いた場所で、町の住民は皆騎士として生活している。彼らは鈍色の甲冑で身を包み、その堅固な信念と誇りに満ちた文化がエリア全体に息づいているのが特徴的だ。

「なんでアタシが騎士の真似事を……」

「おい見習い! 後素振り10回だ!」

「分かってるわよ!!」

 タルヴォスは騎士たちの修行の地でもあり、鎧職人たちが技術を磨く場所でもある。先に広がるチダ山脈を解放するために〝騎士の試練〟という前提クエストをこなす必要があった。

『俺らは攻略してくっからクエ進めとけよ〜』

 軽薄そうに笑うハイヴの顔を思い出し、舞舞はムキになり力を込めて剣を振るう。

 クエストの内容は、騎士としての試練に挑む所から始まる。騎士道を学び、鍛える一環として、プレイヤーは特定の任務を果たし、騎士の称号を得る必要があった。

 八岐は早々に騎士の称号を得ると、ハイヴ達精鋭がチダ山脈の攻略に向かい、そしてクリアした。

 舞舞達がやらされてるクエストはクリア後の内容で、重要度は低い。先を急ぐなら無視してもいい内容である。

「よし、今日はここまでにしよう。しかしお前達、チダ部族を蹴散らすなんてやるじゃないか。上級騎士への道も近いぞ!」

「(なりたくないわよそんなもん……!)」

 上官NPCに心の中で悪態をつきながら、舞舞は眼前に聳える巨大な山脈に視線を向けた。

「(それにしても攻略まで早かったわね)」

 八岐の主力だけで挑んだチダ山脈。

 ハイヴ曰く「調べたいことがあるから急ぐ」ということだったのだが、舞舞には何のことやらサッパリだった。ひとつ分かるのは、彼らが早期攻略したせいで、居残り組は休む暇なくクエストを消化するハメになったということだった。

「姐さんも甲冑姿が様になってきましたね」

「こんなの動きにくいったらないわ」

「いやーでも自分で作った鎧ってのもまたオツなもんですよね」

 騎士の国という以前に、ここは鎧職人の国。

 騎士の試練の最初は、自分の鎧を作り上げる所から始まった。

「結構頑張ったのに最低評価だったのはガッカリでしたけどねー。でも物作りってオモロいっすね。この際本格的に技術職に転職するのもアリかも……」

「勝手にしたら?」

「姐さん手厳しいなぁ」

「マスターと喧嘩してるからって俺達に当たらないでくださいよ」

「いちいち言われなくても分かってるわよ!」

「おーこわいこわい」

 クエスト消化要員として、八岐のメンバー数名がここで居残りになっている。お気楽そうに騒ぐメンバー達をため息混じりに眺めていた舞舞は、何かに気付き正門を見た――。

 ごごごごという音を響かせ門が開く。

 そこには人の群れ――それもプレイヤー達の集団がいた。

「アイツ……どこかで……?」

 先頭を歩く男に舞舞は既視感があった。

 白に統一されたギルド衣装の集団。

「あれって〝eigis〟の連中じゃないっすか?」

「言われてみればそうね。あの趣味の悪い白マント、どこかで見覚えあると思ったわ」

 イージスとは、かつて四大ギルドの一角にいた最前線攻略ギルドである。とはいえ、今はほとんどその名を聞くことはなく、舞舞は各ギルドの補助要員として各地に散ったと記憶している。

 イージスの勢いが無くなった原因――それはセルー地下迷宮最深部でギルドマスターの白門(シロカド)と主力のほとんどが死んだことにある。

 そこまで思い出しつつ、改めて先頭の男に目をやった舞舞は、腑に落ちたように頷いた。

「あぁ、本当に蘇ったのね」

 アリストラスに唯一戻らなかった八岐ギルドは、死人の復活を噂程度にしかとらえていなかった。生き返ったプレイヤーは最寄りの拠点(セーフティエリア)に送られるため、騎士の国(ここ)で誰かが蘇ることもなかったからだ。

 早い話、シロカドという絶対的なリーダーが復活したことで、イージスもまた攻略組に復帰した――そういう理由だろうと舞舞は納得する。

「それにしても……」

 何か違和感を覚えつつも、舞舞は向かってきたイージスを出迎えた。

「ご機嫌よう。本当に奇跡が起こったみたいね」

「ええ。これも天使様のご加護のお陰です」

「?」

 舞舞が覚えていた違和感――それは、シロカドの目が明らかに異常だということ。焦点が合っておらず、まるで獲物を探すようにギョロギョロと動いている。

「祈りはこの先ですか?」

「……だったら何?」

「精霊を殺しにいくんですよぉ。そうすればまた天使様に会えるでしょう? それに莫大なレベルも得られる!」

 ヒャヒャヒャと不気味に笑うシロカド。

 異常を察した他の八岐メンバーも続々と集まってくると、二つのギルドが向かい合う形になった。

「ねぇアナタ」

 不機嫌そうに腕を組みながら、舞舞はシロカドではなくその後ろの女武士、松に声をかける。

コレ(・・)おかしいと思わないわけ?」

「……」

 松は目線を逸らし、左手で右腕をギュッと掴んでいる。なにか思うところはあるようだ。

「おかしい?」

 ぐりんと目玉を舞舞に向け真顔になるシロカド。

「おかしいのはあなた方でしょう。ほんの少しの間で、この世界に何が起こった……? せっかく……せっかく私が最高レベル保持者だったのに!! せっかく天使様の寵愛を受けたのにッ!!」

 喚き散らすシロカドに舞舞は舌打ちした。

「あなたが元々こう(・・)だったのかはこの際どうでもいいわ。最高レベルで気持ちよくなってたか知らないけど、あんな大惨事は二度と起こさせない――祈りを破壊されるわけにはいかない」

 祈りが破壊された結果、最前線が壊滅するほどの大規模侵攻に発展した。個人的な欲求を満たすためにそんな真似はさせられないと、舞舞は厳しい視線を向ける。

「アナタの意見は聞いてませんよ」

 シロカドの言葉にフッと笑う舞舞。

「意見を通したいなら強さで語りなよ」

 そう言って舞舞は取り出した魔法の杖をくるくる回す。

「こちらにそれを受ける理由がありますか?」

「あるわよ。アタシが負けたらチダ山脈の解放クエストの情報をあげるわ。どうせそれないと進めないし」

 杖の先端をシロカドに向ける。

 シロカドは少し考え、小さく微笑んだ。

「なるほど……どなたかは存じ上げませんがアナタを倒せば邪魔されずに目的を果たせるんですね?」

 シロカドもそれに倣って本を取り出した。

「……やめておけ」

 沈黙を破り、松は舞舞を睨む。

 額にはうっすらと汗が滲んでいる。

「戦ったら絶対後悔する」

「アナタには関係ないでしょ? 黙ってなさいよ」

 松の忠告を無視し、舞舞は近くのメンバーに耳打ちする。

「急いでマスターに連絡して。万が一コイツらに後ろから襲われたらたまらないでしょ」

「ここでボコったらその心配ないっすよね?」

 楽観視するメンバーは半笑いで答えた。

 舞舞の表情は真剣なままだ。

「ボコれたらね。まぁ無理だと思う。多分アタシじゃ勝てないし」

「!」

 戦う前から白旗を上げる舞舞を初めて見たメンバーは、慌てた様子でメールを打ち始めた。

「あいにくこっちは八岐の残りカスなの。総力戦じゃ被害も大きいし……だから代表の一対一で決着をつけるってことでいいよね?」

「いいですよ。どんな形でも……」

 不敵に笑うシロカド。

 舞舞は覚悟を決めて歩き出した。




 

 タルヴォスの正門前にて対峙する二人。

 少し離れたところで両者のギルドメンバー達が見守っていた。

「負けるのを覚悟して挑む理由はなんですか?」

 開いた本の上に手を置きながら余裕そうに尋ねるシロカド。しかし彼の問いには答えず、舞舞は松のほうへと視線を向けている。

大規模侵攻(あんなの)を経験したくせに、このバカの言いなりとかアナタどうかしてるわ。何があったか知らないけど……もっと自分の意見を持ちなさいよ」

「……」

 舞舞の知る松という女性は、シロカドの信者ではあるが真の通った人物。

 様子がおかしいことは明らかだった。

 しかし、舞舞の言葉に松は俯いたままだ。

「時間が惜しいです。早く対戦方法を決めてください」

「当然デスマッチよ」

「私はそれで構いませんよ」

「姐さん!?」

 八岐メンバーから悲鳴にも似た声が上がる。

 勝ち目のない戦いをデスマッチにする意味がわからなかったからだ。

「こいつ八岐のメンバーじゃねぇんだから、暗黙の了解とか全然知らないはずっすよ! 目とかヤバいし……本気で殺しにきますよ!」

「どうでもいいわよそんなの」

 舞舞はそう言いながら杖を回して構える。

「アタシはね、この状況でまだ自分の利益だけを考えてるコイツが許せないの。死んで治らないなら、もっぺん殺して大人しくなってもらう。それに、こんな奴の言いなりになるくらいなら死んだほうがマシ」

「言いたいことは分かるけど……」

「それに、アタシが牢屋に送られても元三位(ヨリツラ)回収できるしいいじゃない」

 そう言いながら舞舞はニッと笑った。

 デスマッチが選択され、カウントダウンが始まる――シロカドの周りに黄金色の光が集まり、神秘的な雰囲気に包まれてゆく。

「私には天使様の祝福があります」

「ほんとめでたい男ね」

 カウントが0になったその刹那――

 互いの魔法が展開された。

「《流れ星(シューティングスター)》」

 杖を振るう舞舞の横にボッと魔法陣が現れると、そこから五つの光の礫が飛び出した。

「《古代の石板(オリゴン)

 シロカドの前に石板が競り上がり舞舞の魔法が直撃する。わずかにシロカドの魔法が優ったのか、ひび割れながらも形は維持したままだ。

 舞舞はそれを盾の魔法だと解釈する。

「(最大出力でも壊せなかった……)」

「これが例の変光星(バリアブルスター)ですか。評判通り(・・・・)の威力ですね」

 感心したように眼鏡を上げるシロカド。

「さっきは知らないみたいなこと言ってなかったかしら?」

「軽い情報戦ですよ。全てを疑わないと」

 そう言いながらシロカドは本をパラパラとめくり、白紙のページを開いた。

「《大書記のしおり》」

 そこへシロカドが何かを挟むと、石板は役目を終えたように地面へと引き込まれていった。

「《神官召喚(サモン・アヌビス)》」

 今度は犬と人が合体したような怪物の像が競り上がり、大きくヒビが入ったそこから怪物が飛び出した。

 黒い体毛の獣と人の半人半獣。

 手には湾曲した剣を持っている。

「『流星群(メテオレイン)』」

 魔法陣から小さく尖った光の礫が出現する。

 イワシの様に群れをなし、空を泳ぐようにして飛んでいくそれらを舞舞は自身の周りに漂わせている。

「アタシも騎士の端くれだから、ちょっと試してみようかしら――《星の剣・メダリス》」

 舞舞が杖を振るうと、徐々に光が集まり剣の形を成した。剣を構える姿は一端のもので、格好も相まって歴戦の騎士のようだ。

 唾を垂らしながら召喚獣が飛び出してくる。

 軽やかに避け、浮遊させていた星達を操ると――召喚獣の右足を貫通、粉砕した。

 ガクンとバランスを崩し傾く召喚獣。

「動きが単調なのよ!」

 飛び上がる舞舞は勢いそのままに剣を振り下ろし、召喚獣の頭を切り落とした!

「うおおお姐さんすげえ!!!」

「召喚獣一撃じゃん!」

 ギャラリーの歓声を心地良さそうに聞きながら着地した舞舞は、何かを察し、再び飛び上がった。

 何もない地面からスゥと箱状のものが現れると、勢いよく蓋が空き、包帯が飛び出す! しかし舞舞の飛距離の方が僅かに勝り、包帯は力なく落ちてゆく。

「(箱に捕縛する魔法……捕まってたら殺られてたかも)」

 空中で怖気を覚える舞舞。

 シロカドの猛攻は止まらない。

「《貫く火龍の熱線(マリッド・ラクル)》」

「ッ!」

 ゴオオという音を立てながら熱線が伸びる。

 その追撃を紙一重で避ける――が、

「《貫く火龍の熱線(マリッド・ラクル)》」

「(連射!?)」

 バランスを崩した舞舞の体目掛け、同じ魔法が迫る! 浮遊させておいた星達を重ね、防御体制に入った舞舞。

「ッああああ!!!」

 しかし――相手の魔法威力の方が、高い。

 灼熱の痛みが体を貫いた。

 受け身も取れず地面に叩きつけられた舞舞。

 シロカドは、今度は炎と氷の球体を浮遊させながら余裕の笑みを浮かべている。

「便利な固有スキルね……二重魔法(デュアル・マジック)

「お気に召しましたか?」

「ぜんっぜん!」

 残った星を発射させる舞舞。

「《古代の石板(オリゴン)

 再び競り上がった石板がそれを受け、同じ工程を経て地面へと引き込まれてゆく。

 シロカドが楽しそうに微笑んだ。

「これ全部を避けきれますか?」

 そう言って指を鳴らすと、炎と氷の球体が細かく砕け、礫になって舞舞に迫る。

 舞舞はよろけながら立ち上がると、光の剣を解いて杖を天に掲げた。

「《大いなる彗星(ニルヴ・コメット)》」

 声を合図に巨大な魔法陣が空に現れる。

 そこから打ち出されたのは――巨大な隕石。

 天空を切り裂き落下する隕石とシロカドの魔法がぶつかり、爆音と衝撃がギャラリーを襲う!

「(巻き添えでダメージ入れば儲け物だけど……)」

 相手のいた場所に目を向ける舞舞。

 しかし、爆風が止んだそこにシロカドの姿はない。

「(アイツは……!?)」

 シロカドを見失った舞舞は、自分のすぐ後ろに気配を感じ、とっさの判断で最速で展開できる魔法を構築した。

「《流れ星(シューティングスター)》」

 しかし、彼女の杖に反応はない。

 魔法が発動されない。

「――え?」

 舞舞の腹部を星の礫が貫いた。

 鮮やかな赤色のエフェクトが散る。

「姐さんッ!!!」

 仲間達の声が遠くに聞こえるような感覚を覚えながら、吹き飛ばされた舞舞は力なく地面に転がった。LPは残り30%を下回り、腹部に空いた穴の影響で、なおも猛烈な勢いで減り続けている。

「(何が起こったの……?)」

 ゴホと、苦しそうに呻く舞舞。

 魔法不発はスペルミスでもなんでもなく、MPだってまだ十分にあった。それに先ほどの攻撃はまるで自分の――。

 そこまで考え、ようやく謎が解けた。

「(アレのせいか……)」

 石板を出す魔法。

 あれで攻撃を封印し、そして本に栞を挟む魔法で自由に使えるようになるものだと推測した。しかし、対策しようにも舞舞は既に余力が残っていない。

「これは困りましたね」

 そう笑いながら歩み寄るシロカド。

「殺しは罪ですから、アナタに負けを認めさせるしか先に進む方法はない。でもアナタは負けを宣言するつもりもない。つまり、私は先に進めない」

「今更気づいても遅いのよ……」

 苦悶の表情を浮かべながら、舞舞は勝ち誇ったように笑ってみせた。

 このまま負けを認めなければ、舞舞のLPが全損しシロカドは監獄に送られる。

 どっちに転んでも時間は稼げる。

「そうですか。困りましたねぇ」

 そう言いながらシロカドは、ギャラリーに視線を移すと仲間に何かを合図した。

 イージスのメンバーが一斉に武器を取る。

「なにして……」

「言いましたよね? 我々は天使様の加護に守られています、と」

 シロカドの合図と同時にイージスのメンバーが動き出す。襲われたのは八岐のメンバー達だ。

「ざけんじゃねえよ!!」

「多勢に無勢とか汚ねえぞ!」

 なんとか対抗しようと武器を取るメンバー達だったが、八岐は5人に対しイージスは20人近くいる。そもそもの数が違う。

 無情に振り下ろされる武器。

 その何本かが八岐メンバーの体を貫いた。

「うそ……だろ……!?」

「おいマジで刺しやがった!! イカれてんのかてめぇら!!」

 攻撃に一切の迷いがないことに舞舞は違和感を覚える。最悪の想像が頭をよぎり、冷や汗が流れた。

「あんた達……何してきたの……?」

「何って? レベル上げ(・・・・・)ですが?」

 舞舞は違和感の正体に気づいた。

 生き残ったイージスメンバーは30人近くはいたはずなのに、松以外、誰もこの場に来ていない。

「一線を超えたのね」

「本当の強さを得るために必要でしたから」

 仲間を殺してここに来た。

 シロカドはそう言っているのだと気付いた。

 本来プレイヤーの殺害は重罪であり、カルマ値は大きく変動、NPCの態度も変わる――はずなのに、町中のNPCはそれを一切咎めようとしなかった。

 何かが変わり始めている。

 漠然とだが舞舞は世界の異変を感じ、顔を青くした。

「我々は天使様の加護によってこの地に戻り、天使様の加護によって守られている。たとえそれが〝人間として間違った行為〟だとしても、全て天使様が決めること」

 シロカドの周りに小さく尖った光の礫が出現。それらはイワシの様に群れをなし、周囲を泳ぐようにして飛んでいる。

「……死んで脳みそでもいじられたの?」

「貴女も一度死ねば我々と〝同じ〟になれるかもしれませんね」

「それじゃ死んでも死にきれないわね……」

 全てを諦めたように、舞舞は目を閉じる。



「止まって」



 凛とした少年の声が響く――

 不思議と周囲の音が聞こえなくなった。

「?」

 舞舞が顔を上げると、そこには動きを止めたシロカドの姿があった。

 舞舞の体が緑の光に包まれ、消える寸前だったLPは急速に回復し腹の穴が塞がってゆく。

「僕の友人は〝そんなこと〟をさせるために皆を生き返らせたわけじゃない」

 相手は明らかな子供なのに、シロカドは反論するどころか全く動けない様子だった。

 彼だけじゃない。

 イージスのメンバー全員が、その子供から発せられる〝圧力〟のようなものに当てられ身動きが取れなくなっていた。

「ばけ……もの……」

 絞り出すようにシロカドは呟く。

 舞舞は緊張の糸が解け、意識を失った。





 舞舞が目を覚ますと、そこは見覚えのある家の中だった。薄暗くて分かりにくいが、クエスト関連で何度か訪れた騎士の家である。

「(あれ、アタシなんでここに……?)」

 彼女の様子を見ていたメンバーが慌てて立ち上がる。

「姐さん!? おい皆! 姐さん目ぇ覚ましたよ!」 

「ほんとかよ!? 良かったぁ!」

「気絶してるだけって言われてただろ? 大袈裟なんだよお前ら」

「んなこと言ってお前泣いてんじゃねえーか」

 一瞬で家の中が騒がしくなると、そこへあの少年が入ってきた。

「あ、目が覚めたんだ。よかった!」

「はい! マジ修太郎さんのお陰っす!」

 パチパチと揺れる暖炉の炎に照らされて、修太郎の表情が露わになった。

「(この子……いったい何者なの?)」

 纏う雰囲気が子供のそれではない。

 柔和な笑みを浮かべているが、その目が自分を見ているのかさえ分からない。

 恐らく全プレイヤーがこの子の事を知っているし、その多くがこの子に命を救われている。しかし威張るわけでも、何かを求めるわけでもなく、いつの間にか霧のように消えてしまう。

 ひと言でいえば謎である。

 言うなれば、子供の形をしている別の何か。

 ただ命の恩人であることは言うまでもない。

「……ありがとう」

 舞舞の第一声は感謝の言葉だった。

「あのまま皆殺されるところだった」

「(あんな無感情に人を殺そうとする奴等、今まで見たことない……)」

 シロカドに深い怒りを募らせる舞舞。

「ううん。偶然通りかかってよかった」

 そう言ってはにかむ修太郎。

 そしてハッとした彼女が顔を上げた。

「あいつらは!?」

「大丈夫。全員捕まえたよ」

「そっか……」

 その言葉にホッと一息つく舞舞。

 それから舞舞はポツリポツリと語り出す。

「アタシが知るイージスは、超効率主義で貪欲な連中だったけど……人としての一線を越えたりしなかったのに」

「……」

 ライバル達が強くなっていたことへの焦りがあったとしても、あそこまでの立ち回りは見たことがなかった。

「理由はなんとなく察しがつくよ」

「! そうなの?」

「うん。まとめて後で説明するから、今は体を休めてね」

「そんなの全然大丈夫、と」

 無理に立とうとしてよろける舞舞――それを修太郎が抱き留めた。硬直する舞舞を心配そうに覗き込む。

「ね。今はゆっくり休んで」

「……はぃ」

 もそもそと今度は素直に布団に包まる舞舞。

 修太郎はメンバー達に声をかける。

「引き渡しを見届けたら、僕らもすぐここを発たなきゃいけないんだ。それまでにはクエストも終わってるだろうし」

「えぇ!? ガチ寂しいっす! 八岐に入ってくれないんすか!?」

「あはは! でも僕、どこかに所属するつもりないよ」

 そんなやり取りをしながら全員退出したのを布団の隙間から確認する舞舞。のそのそ出てきた彼女の顔は真っ赤に染まっていた。

「暖炉の火、ちょっと暑いわね……」





「チダ山脈に行くためには、騎士の試練を第一段階までクリアする必要があるんす!」

 ザムザムと雪を踏み締めながら、タルヴォスの町を歩く修太郎達。すっかり心を開き舎弟のような立ち回りを見せる八岐のメンバーは、上に許可も取らずクエストの内容をペラペラと喋っていた。

「元々ここには〝騎士王〟ってのがいたんですが、山脈へ剣の修行に行ったきり戻ってこなかった。ここが弱体化したのを見計らってチダ部族が攻め入ってからというもの、騎士達は騎士王の帰りを待ち空の玉座をずっと守り続けているらしいです」

「忠義に厚い連中だな」

 セオドールは感心したように頷いている。

「だからここの連中はとにかく外部の連中に心を開かない! 俺達が最初に来た時、NPCの誰も口聞いてくれませんでしたからねぇ」

 周りを見ると、確かにそれなりの人数の騎士とすれ違うが、修太郎達に何かを言ってくる者はいなかった。

「心を開かないだけで、閉め出されたりはしないんだね」

「それは多分俺達が一緒だからっすね」

「なるほど。じゃあ僕等だけで来てたら最初に一悶着あったかもしれないね」

「俺らの時は、いきなり『出て行けー!』なんて言われるもんだから、うちのマスターが騎士団長と一騎討ちして和解、そっからようやく会話できるようになった感じっす!」

「(エリア攻略後にまた一戦あるのは結構キツイかも……)」

 ここはセルー地下迷宮の次のエリア。

 ボス戦を終えた後にイベント戦があると考えると、かなり過酷と言わざるを得ない。

 修太郎がそんなことを考えていると、演習場のような場所に着いた。八岐メンバーは指導者らしきNPCに声をかけている。

「やあ、彼等の友人なら我々の客人だ。何もない所だがゆっくりしていくといい」

 騎士はそう言って手を差し出した。

 修太郎はにこやかにその手を取る。

「!」

 握手を交わした騎士の表情が固まる。

 そして――

「握手すれば分かる……貴方には一流の騎士の素養がすでに備わっております。この域に達するまで何年、いや何十年掛かることか……」

 演習していた騎士達もなんだなんだとやって来ると、握手を交わした騎士は目を輝かせながら、もう片方の手もがっちり合わせた。

「挨拶が遅れてしまい申し訳ありません。騎士団長のエヴァンでございます」

「ちょ、エヴァンさん俺たちの時と反応違すぎない!?」

 一騎打ちを挑まれるのと握手ですむのとでは対応が大きく違う。しかしこの反応の違いは、修太郎がある条件を満たしていたからに他ならない。

 それは剣術スキルのレベルである。

「私はここまでの境地にいるお方を見るのは初めてでございます。我が主君、騎士王様とてこの域には……」

「ほえぇ?!」

 驚愕の声を上げる八岐のメンバー。

 シルヴィアとセオドールは誇らしげに頷いている。

 なにしろ修太郎の剣術スキルは最大値。

 他のプレイヤーとは一線を画している。

「ここは剣の強さが全ての地――しかし我々は騎士王様にお仕えする身。これ以上のことを申し上げられないのが悔やまれます」

 落胆するように肩を落とす団長。

「忠義に厚いって?」

「……」

 ニヤニヤ顔を向けるシルヴィア。

 セオドールは無言を貫いている。

 タルヴォス独自のシステム、それは〝最も優れた騎士がここを統治する〟というもの。騎士王は揺るぎない存在だが、アリストラスの領主になった紋章ギルドと同じように、ある条件を満たせばプレイヤーが統治することもできる。

「僕はここをどうこうするつもりはないし、山脈を越えることが目的だから」

 微笑みながら修太郎はそれを断った。

「そうですか。それは実に……」

 団長は言葉を必死に飲み込んだ。

「修太郎さんに首ったけじゃん」

「え、じゃあ試練もナシ?」

 ざわつく八岐メンバー。

 団長は大きく息を吸い、そして吐く。

「しかし――我らには我らのルールがあります。もし山脈に挑みたければ、騎士としての試練を乗り越えていただく必要がございます」

「素振り一回とかで通してもらえそうな雰囲気だな」

 先ほどの問答を見ていた八岐メンバーは団長にジト目を向ける。

「試練は公平に行う」

 団長はクワッと目を見開きそう答えた。

「山脈を超えるにはチダ部族との衝突は避けられない。しかし、我らの技なくしてチダ部族は討てない。そして、我らと同じ()をもつ者にしか技は与えられない」

「(実力は認めて貰えたはずなんだけど……)」

 クエストのシステム的な問題で仕方ないかと納得する修太郎。団長は試練の内容を説明していく。

「まず最初の試練は〝鎧の作成〟。我々は騎士である前に職人でもあります。自らの鎧、剣、盾は自らが打つ。これぞ(まこと)の騎士と言えます」

「同感だ」

 フッとセオドールが嬉しそうに笑った。

 一行はそのまま演習場の近くの建物に通される。中には大勢の者達が金槌を振るい、武器や鎧を鍛えていた。

「条件は防御力+10以上の鎧を鍛えること。作り方はこれを参考にしてほしい」

 修太郎が羊皮紙を受け取ると、体に吸い込まれるように消え、目の前にレシピが表示された。



 騎士の試練 1 鎧の作成


 ・必要材料

 レアリティ4以上の鉱石


 ・必要技術

 器用さ50


 ※完成品によって試練の内容が変動します



 制作に詳しい者が見ればすぐ分かるが、この鎧はレベルが10もあれば作れてしまう。

 問題となるのはレアリティ4以上の鉱石だが、道中にあるソーン鉱山を攻略していればほぼ持っているといえる。

 つまり誰もが簡単に達成できる内容である。

「これは俺達の時と一緒っすね」

「そっか。ならフェアだね」

 そう言いながら修太郎は楽しそうに腕をまくる。

「別に本人がやらなくても、仲間の誰かが技術系スキル持ってるならそっちの方がいいですよ! クオリティー高ければ次の試練が結構簡単になりますから」

 その言葉に修太郎はゆっくりと首を振る。

「僕を認めて貰えなきゃ意味がないから」

 妙なこだわりを見せる修太郎。

 八岐メンバーも黙ってそれを見守る姿勢だ。

「あっ、姐さんだ」

 建物の扉が開き、舞舞が顔だけ覗かせ中を見渡している。メンバー達がこっちこっちと手を振ると、少し遠慮がちに中へ入ってきた。

「少しは休めた?」

「あ、ううん……お陰様で……」

「?」

 髪で顔を隠す仕草をしながら答える舞舞。

 修太郎は不思議そうに首を傾げつつ、また作業台の前へと向き直る。

「セオドールに教わったことが活きてくるなぁ」

 下唇をぺろりと舐めながら、修太郎はスキルを発動させた。

「《竜王の加護》《匠の極意》《ハイクオリティマイト》《達人の一振り》《集中作業》《ヴェネディクト》《鎧制作術 極み》《鉱石の声》《炎細工術》……」

 七色に輝く修太郎の体。

 舞舞達は大口を開けて固まっている。

 手に持った金槌が禍々しい光を放っており「なんだなんだ!」とざわめく職人達。

 真っ直ぐ振り上げられた金槌が、ストンと、振り下ろされた刹那――作業場が黄金の光に溢れた!

「何が起こったんだ!?」

「あの人の作業台からだ!」

「まさか……あの技は……!」

 作業中だった騎士達が集まってくる。

 僅か5振りで終わるはずの作業も、修太郎は一回一回、スキルと魂を込めて丁寧に打ち込んでいく。

「あれだけ強いのに純粋な戦闘職じゃないってこと……?」

「修太郎さんってマジで何者?」

「こんなエフェクト見たことねぇよ……」

 舞舞達の声も修太郎の耳には届かない。

 カンッ! カンッ! カンッ!

 振り下ろされる度に輝きを増す鎧。

 その光景に全員が言葉を失い魅入っていた。

 カンッ!

 最後の一振りと同時に、黄金の光が一気に鎧へと収束する。完成した鎧は一見して普通の見た目をしているが、立ち昇るオーラは七色に輝いていた。



騎士の鎧ex 製作者:修太郎

攻撃力 +255,763

防御力 +422,789

特性:チダ部族特効(大)

特性:寒さ耐性(大)

スキル「精錬騎士の一閃」



「どうかな?」

 完成品を見ながらはにかむ修太郎。

 セオドールはそれをよく観察し、

「及第点だな」と微笑んだ。

「もっと火力が高くなるまで待つ方がいい。槌の使い方は良かった。あとはタイミングだ」

「そっかぁ、まだまだ追いつけないなぁ」

「すぐに追いつかれたら俺の立場がないな」

 などと笑い合う修太郎とセオドール。

 周りの人間の気持ちも知らず――。

「(これが及第点……!?)」

 もはや理解が追いつかない舞舞。

「(自分も作ったからよく分かる……このレシピは攻略用の防具を作るためのものじゃなく、あくまでクエストクリア用の〝納品アイテム〟を作るためのもの)」

 鎧職人の町というエリア特徴を活かすための鎧作成(ノルマ)だから、制作スキルを持ってなくても悠々とクリアできる。

 つまり誰でも作れるレシピということになる。

 しかし、修太郎の作った鎧は、最前線でもお目にかかれない伝説級の代物だった――レシピは同じなのに、だ。

「うーん、クオリティはイマイチだけど、とりあえずこれで最初のクエストの基準はクリアかな?」

「バッチリっすよ!」

「(バッチリどころじゃないわよ!!)」

 無邪気に尋ねる修太郎にサムズアップするメンバー達。舞舞は声を荒げそうになったが、修太郎と目が合うのが怖くて黙ったままだった。

 わいのわいの言いながら、去っていく修太郎達を見送った舞舞は頭を掻きむしる。

「ッ〜〜!! あーーーもうっ!」

「わっ! なんすか姐さん……」

「なんでもないッ!」

 そう言って小走りで施設を後にする舞舞。

 残ったメンバーははてなマークを浮かべながら後に続くのだった。

 




 団長の声が演習場に轟いた。

「なんと素晴らしい!! まさに芸術だ!!」

 鎧をうっとり眺め続ける団長に、修太郎は困った様子で声をかける。

「あのぅ……試練のほうは?」

「もちろん合格です! この後にもいくつか試練があるのですが、やるだけ野暮でしょう」

 団長はそう言って、苦笑を浮かべながら首を振った。

「ちなみに俺達の時は体力テストに模擬戦に色々やらされたっすよ」

「そうなんだ。先も急ぎたいし免除は嬉しいなぁ」

 自分の鎧が評価されたことにホクホクの修太郎だったが、団長が神妙な面持ちで向き直っていることに気付いた。

「そうは言いましたが――畏れ多いのは重々承知の上で、私も騎士の端くれとして、ぜひ手合わせをお願いしたいと思っています。まことに勝手ながらこれを最後の試練とさせてください」

「フッ……」

 シルヴィアとセオドールが同時に笑う。

 団長の気持ちが理解できたようだ。

「……時間がないから――」

 そう言って修太郎はゆっくりと剣を抜いた。

 白い竜を思わせる綺麗な刀身が雪景色を反射している。

「一本勝負でお願いします」

「! 有り難い……!」

 演習場の騎士達がゾロゾロ移動し、場所を空けた。団長と修太郎はゆっくり移動し、向かい合う。

 ギャラリーからひょこっと顔を出し、舞舞達も見守っている。

「修太郎さんが戦う所を見るのは初めてね」

「あぁ確かに! いつもめちゃ強い仲間達が戦ってますもんね!」

 完全に観戦モードの舞舞とメンバー達。

 シルヴィアとセオドールも二人の戦いを静観している。

「参ります」

 何千何億と繰り返してきたのだろう。

 腰に下げられた剣を澱みない動きで抜き放つと、団長はそのまま正眼に構えた。

 二人の間に静寂が落ちる。

 そして作業場の槌の音が響くと同時に――


「な……!」


 団長の首筋に剣が当てられていた。

 団長と修太郎の距離は0。

 ぴたりと動きを止め、鋭い視線を向ける修太郎。

 魔王以外の誰もその動きを追えなかった。

「ま、まいり、ました……!」

 団長は最初の構えのまま、信じられないといった様子で目を見開いている。

 修太郎は綺麗な所作で剣を鞘へと収めた。

 ザム、と、膝から崩れる団長。しかしその顔はどこか晴れやかだった。

「お見それ致しました」

「こちらこそ、試練ありがとうございました」

 それだけ言うと、修太郎はそのまま魔王達を連れ演習場から出ていった。残された八岐メンバーも長い硬直から我に返り、その後を追いかけていった。





 雪が降りしきるタルヴォスの正門前に、白いマントの集団が拘束されていた。

「天使様を否定するのですか!?」

 唾を垂らしながら激昂するシロカド。

 他のメンバー達は俯き黙り込んでいる。

「人間をたくさん殺している事も知らず、盲目的に信仰を捧げるとは滑稽極まれり。貴様らは無能なのか?」

「!?」

「大人気ないこと言うなよ旦那ァ」

 つまらなそうに見下ろすガララスと、気の毒そうに呆れるバートランド。

 見張りを任された二人は、セーフティエリアの外側で主の帰還を待っていた。

「ごめんねー、こっちの用事は終わったよ!」

 遠くからやってくる人の群れ。

 試練の第一段階をクリアし、チダ山脈の通過資格を得た修太郎が、八岐を連れてやって来るところだった。

「それは良かった。で、どうしますか?」

 イージスのメンバーを見下ろすバートランド。修太郎は八岐メンバーに聞かせるように話し始める。

「彼らの身に起こったことは、松さんから説明を受けたんだ」

「!」

 事情を知らない舞舞が松を見る。

 イージスメンバーから少し離れた場所で膝を抱えていた松は、沈黙を破り、修太郎から引き継ぐように語り出した。

「……皆が蘇った後……私達は教会に行き、天使の祝福を受けた」

 八岐メンバーが激昂する。

「てめぇ! あんなことがあったのになんで!」

「すまない……私が弱かったせいだ……」

 そう言って、両手で肩を抱えるようにしながら松は震え出す。

「元々マスター達は天使の良い面しか知らない。もちろん止めたが、それ以上に〝先を行かれた〟ことが許せないのだと……」

 各地に散っていた生き残りメンバーからの説得も受けたが、聞く耳を持たなかった。そのままシロカド達は強引に教会に向かい、天使の祝福を得ていた。

 天使が起こした事件を知らない者からすれば、祝福は経験値増加やステータス増強などメリットの塊である――いや、だったというべきか。

 何かに怯えるように口を震わせ、松は続ける。

「祝福を受けてから皆の様子は一変した。前回の祝福には無かった変化だ……まるで、まるで何かに取り憑かれたように……」

「確かに様子が変だとは思ったわ。目つきもなんかヤバかったし」

 同情するように舞舞が答える。

「私達は必死に説得した。説得して、それで……」

 松はその光景を思い出したくないのか、耳を覆って塞ぎ込む。

 でもね、と舞舞は強い口調で語り出す。

「だからって、おかしくなったコイツらにただ黙って従うなんて変でしょ? アナタ、それで他の人も死んだらどうするの?!」

「姐さん落ち着いて!」

「こっちはね、デスマッチに関係ない仲間にまで手出されたのよ!? 落ち着いてられないわよ! アナタは天使に操られてないんでしょ!? こんな危ない連中けしかけやがって!」

 激昂する舞舞に、松はただ頷くばかり。


『3人も倒すとは……剣の腕は健在ですね』

『私達の死を踏み越えただけはある』

『貴女とまともにぶつかれば戦力半減ですね。我々は消えますから、どうか長生きしてください』


 教会前で起こった戦闘を思い出す松。

 一緒に説得にあたった生き残り組は、シロカド達によって全員殺されてしまった。

 恨みもあるし、到底許せる気はしない。

 しかし、彼女はシロカドとの縁を切れなかった。

「おかしくなってるのは私も分かっている……」

 それ以上の言葉は出てこなかった。

 松は首を左右に振り、目元いっぱいに涙を溜め、微笑んだ。

「罪を償う時間だ」

「は? アンタ何言って……」

 舞舞が一歩近づいたその時だった――

 ジャラジャラと鎖の移動するけたたましい音と共に、イージスのメンバー達が拘束されていく。舞舞達も見覚えがあるこれは〝犯罪者の末路〟。

「なんですかこの鎖はッ!」

「くそ、外れねぇよ!!」

 激しく抵抗するメンバー達。

 唯一松だけはそれを受け入れており、目を閉じてその時を待っているようだった。

「どうして今更……?」

「天使の祝福が切れたからだ」

 拘束されたまま答える松。

「天使の祝福はゲームのシステムを根底から否定するような変更がされている。そのせいでマスターや皆はおかしくなってしまった……」

 松とシロカドには深い絆があった。

 片方が死ねば片方も後を追うほどの――。

「紋章のおせっかい男に伝えてほしい」

 鎖で強く縛り上げられながら、松は顔色ひとつ変えず続けた。

 かつて自殺しようとセーフティ外に向かった松は、誠の必死の呼びかけにより踏み止まることができた。

 そのおかげでシロカドとまた会うことができた。

 しかし、思うような結果にはならなかった。

「お前に救われた命、無駄にしてすまないと」

 一筋の涙と共に、松はゆっくり沈みだす。

 イージスのメンバーも皆地面に沈んでゆく。

 目的地は罪人が送られる場所、ヘルバス地下牢獄である。

「泣くくらいなら……」

 舞舞のかすれ声は、鎖の音にかき消える。

 トプン、と、波打つ地面はやがて元の硬さに戻り、彼らがいた痕跡すら綺麗になくなっていた。

「……」

 修太郎は複雑な顔で地面を見つめていた。

「(ロス・マオラ城の牢獄に入れる選択肢もあったけど、あまりにも天使との関わりが深すぎる……レジウリアの民()を危険に晒せない)」

 修太郎には彼らを救済する手段があったのだが、八岐への攻撃などの実害も考慮し、結局行動には移さなかった。

「今のってつまり〝天使の祝福を受けた人は、人格が変わって殺人が黙認される〟ってことで合ってる?」

 恐る恐るそう尋ねる八岐メンバー。

 修太郎が小さく頷くと、悲鳴をあげて顔を青くした。

「この状況でまだ天使を信じてる奴がいるとは思えないけど、皆に知らせておかなきゃいけないわね」

 神妙な面持ちで呟く舞舞は、素早い手つきでメールを作り始めていた。

「皆への連絡はお任せしてもいい?」

「ええ承知したわ。その、修太郎くんは……」

「僕らはそろそろ出発するよ。誰よりも先に祈りに辿り着かなきゃいけないから――」

 そう言ってチダ山脈を見つめる修太郎。

 舞舞は「祈りを壊さないで」と一応忠告しようか迷っていたが、この人に限ってと、余計なお世話はかけないことにした。

「じゃあ、ここでお別れだね」

 四人の魔王を従えながら八岐に向き合う修太郎。

「あの、寒さ対策とかもしたほうが……」

「ううん! コレがあれば熱さも寒さもへっちゃらなんだ!」

 そう言って修太郎は笑顔でくるりとターンして見せた。ヒラリと舞うマントと服は神秘的な光を帯びており、ひと目で一級品であることがわかった。

 少し残念そうにしながらも表情には出さず、舞舞は笑顔で送り出す。

「ではまた、どこかで会いましょうね」

「うん。皆もどうか無茶しないでね」

 明るい笑顔で大きく手を振る修太郎。

 舞舞はズキズキと痛む胸の中心を押さえた。

「うおおお修太郎さーーん!!」

「すきだーーーー! 俺も仲間に入れてくれぇ!」

 メンバーに見送られながら去っていく修太郎達。短い滞在時間だったが、八岐のゴロツキ達全員の心を見事にさらって行ってしまった。

「……この恩は一生忘れない」

 修太郎の後ろ姿を見つめながら、舞舞はそう心に誓う――その視線の先で、

「修太郎さん! エリア解放できたんですね!」

「なぜ妾はいつもミサキと行動させられるのかしら……」

 町の中央で誰かと合流したのを見て、舞舞の動きが止まる。

 メンバー達は両手で双眼鏡を作って身を乗り出した。

「ありゃ紋章の銀弓の女神(アルテミス)じゃん」

「あー、うちのツートップのお気に入り?」

「俺の修太郎さんと仲良さそうにしてるなぁ」

 やいやい言っているメンバー達を尻目に、舞舞の心のうちは穏やかではなかった。

「(なによこれ、なにこの感情……)」

 恨みのこもった瞳でミサキを睨む舞舞。

「(うちのバカ二人じゃ飽き足らず修太郎君まで……!)」

「気に食わないわ……!」

「あれ姐さん嫉妬っすか?」

「してないッ!」

「あの美女には流石に勝てんすよ」

「その、年齢的にもね?」

「オマエラ、好き放題言いやがって……」

 その後、激昂した舞舞にメンバー達が小一時間説教されたことは言うまでもない。



4



 雪道をしばらく進むと、動物の骨で作られた砦が見えてきた。

「あれがチダ部族の集落……」

 モコモコの防寒具に身を包むミサキは、その悍ましい装飾の数々を見てごくりと喉を鳴らした。

 血で描かれた不気味な模様や、腐敗した何かが吊るされていたりと、その近寄り難い雰囲気から部族の残虐さを窺い知ることができる。

「死体を吊るして縄張りを主張しているのか」

 シルヴィアがそう分析し呟く。

「ならば武力に自信がありそうだな」

 楽しそうに笑うガララス。

 ゴキゴキと体を鳴らし、何かが起こるのを期待しているようだ。

 装飾の数々をジッと見つめる修太郎。

「これはたぶん……外部の者への〝警告〟。僕はどちらかというと攻撃性よりも知性を感じる。案外臆病なのかも」

「……合ってると思います。騎士さん達から聞いた話を総合して、私も同じ意見です」

 修太郎の言葉にミサキが同意した。

「というのも、武力絶対主義を主張した一人の騎士が王国から追放され、この地に移り住んだのが騎士の国タルヴォスの始まりと聞きました。チダ部族の住まう土地に騎士が踏み込んできて、勝手に国を築き上げたそうですね」

「それは怒って当然だな」

 ミサキの説明に苛立ちを見せるシルヴィア。

 修太郎達がクエストを担当している間、ミサキとバンピーは山脈に関することや、その先のエリアについての情報収集を担当していた。

「それじゃあ騎士の側についてここを通るよりも、部族と仲良くなるほうが良いのかな?」

 一連の話を聞いて倒すのが忍びなくなった修太郎だったが、ミサキとバンピーは同時に首を振った。

「それはそれで無理みたいです。チダ部族には言葉がなく、部外者に心を許すこともないそうです。それに……」

「知性があるといっても、相手を破壊することや自分達を満たすことにしか使わない連中です。元々、人里に降りて食物や女を略奪するような下等種族ですから」

「そっか」

 二人の意見を聞き、迷いを消す修太郎。ここを超えねば祈りには届かず、時間もないため武力的な交渉を覚悟する。

「ギギャ! グググ!!」

「ギゴ! ギゴ!」

 全員が入り口を超えるや否や、至る所の洞穴から屈強な猿のような巨体が湧いてきた。

 チダ部族 Lv.50

 チダ山脈mob図鑑から引用すると、原住民であるチダ部族は異なる派閥同士で争いが絶えない状態にあったが、絶対的なリーダーが現れ部族は一つとなっている。彼らの習慣として、戦った相手の骨を飾りに体にぶら下げるという残忍な慣習がある。

 熊のような動物の皮を被った彼らは、体にぶら下げた骨をカラカラと鳴らしながら山間を移動してゆく。棍棒や石といった武器を掲げ、修太郎達に襲い掛かった――しかし、

「ここで滅びるつもりかしら?」

 バンピーのスキルが全てを無に返す。

 先鋒隊として飛び掛かった数人が塵となるのを見た部族達は、闇雲にぶつかるのは辞め、修太郎達を警戒するかのように観察を始めた。

「あら。どこぞの天使よりも賢いじゃない」

 そう言ってバンピーは小さく笑う。

 修太郎達を見下ろす形で夥しい数のチダ部族が山間に集結していた。近付くのは愚策と判断したのか、彼等は石を取り出し一斉に投げ始めた。

「発想は悪くないがな」

 今度はガララスのスキルが猛威を振るう。

 投擲された石が弾かれ、持ち主の元へと還ってゆく――勢いを増すそれらは、ガララスの攻撃力を上乗せした威力で襲いかかった!

 ズガガガガガと凄まじい着弾音が響き渡り、その威力を物語るかのように山の表面は大きく削れていた。

 今ので30〜40%の部族が死に、奇跡的に直撃を免れた個体も雪崩れに巻き込まれていく。

「うちの〝盾担当〟達は容赦ねェな」

 同情するようにそう呟くバートランド。

「誰が盾担当よ」

「歯向かう者に容赦はせん」

 不服そうなバンピーと、誇らしそうなガララス。

「(私って絶対場違いだなぁ……)」

 ミサキは構えていた弓を遠慮がちに下ろした。

「――八岐の人達から聞いた話だと〝月〟と〝太陽〟の部族長が持ってる証を使ってボスの部屋まで行けるみたい。ただ洞窟の数がとても多いし、探索は大変だから……」

 修太郎の目配せに気付いたミサキはハッとなり、固有スキルを発動してエリア全体の敵の数そして動きを共有した。

 ボスと思しき大きめの赤点が2つ。

 エリア内にプレイヤーの姿はない。

「大きさ的にこことここ、だと思います」

「匂いから辿ると入り口はそことあっちだ」

 ミサキの生命感知とシルヴィアの超感覚で、相手の大まかな場所の割り出しはできた。

 エルロードが印を結んで魔法陣を生成する。

「《闇の行進》」

 魔法陣の中心からドロリとした何かが溶けるように地面に染みてゆき、辺り一面を不気味な黒に染め上げる。

 足元から現れたのは黒い人型の異形。

 およそ100体ほどのそれらは、四つん這いのまま洞窟の中へと進み散り散りに分かれる。エルロードの目の前には100個の窓がモニターのように表示された。

「……どうやら見つかったようですね」

 そう言ってエルロードが腕を振ると、奥に入った山の中腹辺りに、部族と思しき二体のシルエットが浮かび上がった。

「(ここから一歩も動かずに正確なルートとターゲットの場所まで割り出せるなんて……)」

 シルヴィアの超感覚とエルロードの魔法の性能に心の中で舌を巻くミサキ。これで複雑なマップを攻略する必要はなくなった。

「すごいです! これなら場所は――」

「二人とも、お願いできる?」

「「承知」」

 感動するミサキの横でザッと歩み出るシルヴィア、セオドール。シルヴィアは光の剣を召喚し、セオドールは禍々しい大剣を抜いている。

「あまり被害を出すなよ」

「そのつもりだ」

 短く会話する二人が武器を構える。

 シルヴィアが光の剣を放ち、

 セオドールが大剣を振り抜く。

 そして――山脈に二つの穴が空いた。

「(マップごと……!?)」

 穿たれた二箇所はそれぞれのボスがいた場所で、ボスが死んだためか修太郎の下にキーアイテムである〝族長の証〟が二つ飛んできた。

「これで揃ったかな」

 あっけらかんと言う修太郎。

 もはや驚いているのはミサキ一人だけだ。

「では頂上に参りましょう」

 エルロードがそう答えたと同時に、皆の体がフワリと浮いた。本来数時間かけて山道を進み、入り組んだ洞窟を探索して二体のボスを倒す――というルールを完全に無視した攻略方法。

「ごめんねミサキさん……」

「え、なにがですか?」

「楽しくないよね、こんなやり方……」

 修太郎も思うところがあるようで、声のトーンを落としながらそう呟いた。

「先を急ぐのが目的ですからね」

「……」

「(それ以前に攻略の方法が規格外すぎて驚きっぱなしです……)」

 しばらくの沈黙の後、ミサキが続ける。

「そもそも、修太郎さん達と出会えてなかったら私楽しむ余裕もなく死んでましたから」

 自傷気味に笑うミサキは、はるか眼下に広がる広大なeternityの世界を眺めながら目を輝かせる。

「たくさん嫌な思いをして、たくさん涙を流しましたけど、修太郎さんを心の支えにやってこれました。だからこうやって、一緒に冒険できるだけで私にとっては幸せなことなんです」

「ミサキさん……」

 ミサキの言葉に目元を潤ませる修太郎。

 ミサキの嘘偽りのない言葉は魔王達全員の心にも届いていた。それは、共感に近い感覚。魔王達にとっても、修太郎といられるこの時間こそ特別だと感じていたから。

「修太郎さんがこの世界を好きって気持ちは伝わってきます。デスゲーム(こんなこと)になってしまったけど、新しい出会いがあったり、発見があったり、とても貴重な体験ができてると思います――勉強してるだけじゃ絶対に見つからなかったものも……見つかりました」

 そう言って胸に手を当て目を閉じるミサキ。

 ミサキがなにを得たのか、修太郎には分からなかった。ただその表情から本当に大切にしている気持ちが伝わってくる。

「僕も同じだよ。このゲームをやってなければ見られなかった景色、得られなかったものがたくさんある……絶対誰にも奪われたくない」

 ゲームのルールを捻じ曲げプレイヤー達を苦しめる天使という存在。皆が積み上げてきたものを否定し、唆し、破壊した彼等に修太郎の怒りが込み上げる。

「本当はね、このエリアだって隅々まで探検したい。クエストも全部受けて物語を楽しみたかったんだ。でも今はもう……」

「できますよ」

 ミサキはそれを優しく否定する。

 風に靡く髪を耳にかけ、微笑んだ。

「全部終わった後、また一から探検しなおしましょう!」

「そんなのできるのかな……」

「できますよ! 私も着いていきますから」

 修太郎は全部が終わった後のことなど考えてもいなかった。今を必死に生きていた彼は、その後のことを初めてちゃんと考える。

「(そうだよ……やりたいことは沢山ある。でも一番は――エルロード達と、レジウリアの皆も連れて思いっきり遊びたい)」

 天使達を倒した後、皆とできなかったことを全部やればいい。先の目標を掲げたことで修太郎の目はやる気に満ちていた。

「エルロード! もうそろそろ着く!?」

 高い標高を誇るチダ山脈にも終わりが見え、修太郎は待ちきれないと言わんばかりにそう尋ねた。

「ええ、ここを越えればすぐです」

 エルロードが答えてすぐ、一行はチダ山脈の頂上に到達した。

 頂上には巨大な洞窟の出口があり、三日月のような形の岩の前には金色の玉座が置かれているのが見える。

 そのまま一行がゆっくりと着地すると、修太郎とミサキは頂上からの幻想的な景色に思わず見惚れた。

 相当な標高があったためか、そこは見渡す限りの雲海で、玉座の後ろには星々が煌めいていた。空から見下ろすのとはまだ違う、平面から見た景色。その美しさにゾクゾクしながらも、修太郎は二つの証を取り出した。

「……」

「おい旦那」

 バートランドが声をかけるも、エルロードは呆けたように修太郎のことを見つめていた。

「皆、準備はいい?」

 そう言って振り返る修太郎に魔王達が同意し、ミサキも気合を入れるように大きく頷いた。修太郎はそのまま、玉座の背もたれに開けられた丸状の穴に二つの証をはめ込む――と、まるで陰陽太極図のような溶け合う形でピッタリはまったそれが光を放つ。

 一瞬の明転。その直後、

「えっ?」

 修太郎が戸惑うのも無理はない。

 そこには別の世界が広がっていたから。

 空は赤と黒に染まり、三日月の岩、そして玉座以外なにもない空間に変わっていた。

「皆いる?」

「はい、こちらに」

 言葉を失うミサキを含め、魔王達全員がそこにはいた。おそらく空間転移の類だろうとエルロードは分析する。

 三日月の岩から血のような液体がぽたりぽたりと沁み落ちている。

 玉座には誰も座っていない。

「!」

 何かに気付いたシルヴィアの方を見やると、赤黒い空に一人の騎士が立っていた。

 黄金色の鎧に鬼に似た兜の騎士。

 ♢の形に穴がある槍を持ち、修太郎達を見下ろしている。

「騎士達の使い……私を連れ戻しに来たか」

 低く威厳のある声が空間にこだまする。

「私は冥王ウルティア。かつて騎士の国タルヴォスで王だった男だ」

 彼こそが騎士達が仕えている人物。

 王国を追われ国を作った最初の騎士である。

「ここはどこなんですか……?」

「朝と夜の間の空間。狭間の世界だ。一瞬でもあり、永遠でもある場所」

 不安げに尋ねるミサキに、待ってましたと言わんばかりにそう答える騎士王。

「武を極めんとする者の理想郷はどこか――それは〝時間に縛られない世界〟だ」

 何かのスイッチが入ったように、騎士王は捲し立てるように続ける。

「かつて私はとある国の騎士団に所属していた……しかし、そこは頭の良い者が軍師となり、身分の高い者にばかり位がつく。戦争において最も重要なものはなにか。それは作戦でも、ましてや高潔さでもない。ただ純粋なまでの〝武〟これに限る、そうだろう!?」

 魔王達は微動だにしていない。

 唯一ガララスだけが大きく頷いている。

「私は誰よりも強かった。私がいれば戦争に勝てるほどに! それがどうだ? 手柄は全て位の高い者に贈られる。味方殺しの罪で追放? だからどうした。強さこそが正義ではないのか? 私はそんな場所で貴重な時間を消費するわけにはいかなかった」

 肩で息をしながら、騎士王は続ける。

「世間に知らしめたかった。私は正しく、私こそが真の強者であると」

 兜の奥で赤い瞳がギラリと光る。

「ある魔法使いは言った――空の玉座に昼と夜の証を示せ。さすれば狭間の世界で永遠を得るだろう、と」

 騎士王は両手を広げ高らかに叫ぶ。

「ここならば武の真髄に辿り着ける! 今度こそ、全てを我が物にできる!」

 高笑いする騎士王。

「仲間の所へは帰らないの?」

 修太郎の言葉に騎士王はフンと鼻を鳴らした。

「あんな屑など知らん。元々チダ部族への供物として集めた落ちこぼれ共だ」

 吐き捨てるようにそう答える騎士王。

 王を待ち続けながら稽古に励む騎士達の姿が脳裏に浮かび、修太郎は思わず俯いた。

「こんな場所で……」と、修太郎が呟く。

「何もない場所に一人で来たところで……武の真髄になんて辿り着けるわけないよ」

 騎士王の動きが止まり、鋭い眼光が修太郎を見下ろした。

「貴様。私を否定するのか」

「自分を強くするためには、自分より強い相手に挑み続けなきゃだめなんだよ。何もないこの空間で、あなたが思う武の真髄に到達したとして、誰がそれを判断するの?」

 白竜の剣を抜きながら歩き出す修太郎。チャプチャプと音が響き、空を映す鏡のような水面に波紋が広がる。

「ならば貴様に判断してもらおうか」

 騎士王が槍の先を向け、空に雷雲が轟くと同時に、修太郎の周囲に稲妻が走った。

 不安げに見守っていたミサキは、一切加勢しようとしない魔王達の様子に気付く。

紫電槍術(サンダライトスピア)!」

 稲妻が形を成し、その全てが騎士王と成った。

 稲妻による分身術――その数およそ20。

 それぞれが紫電を帯びた槍を持ち、眼下の修太郎を見下ろしている。

「「「武の真髄を知れ!」」」

 紫色の雷を槍に集めて突進する騎士王。

 修太郎の剣に青色の炎がボゥと宿り、周囲の水が蒸発するほどのエネルギーが修太郎の体に渦巻いてゆく。

 修太郎は剣を正眼に構え、フッと息を吐く!


「《竜閃焔(リュウセンホムラ)》」


 蒼炎がうなるように形を変えながら騎士王とぶつかる――と、騎士王の体は焼き斬れた。

 全ての分身に等しく刻まれた一文字の斬痕。

 雷の分身が形を失い、霧散してゆく。

 槍や鎧が落ち、ジュという音を立てながら水面に沈んでいった。

 再びぐにゃりと空間が歪むと同時に、元の空模様へと変わると、修太郎達はチダ山脈頂上へと戻ってきていた。

 玉座の横には騎士王の兜だけが残されていた。

「皆は貴方のことをずっと待ってたよ」

 兜をストレージにしまいながら尊ぶようにそう呟く修太郎。雲海が晴れていくと地平線の先まで原生林が広がり、その先には緑色の幕のようなもの――精霊の祈りが見えた。





 ツルグル原生林。

 魔力に満ちたこの地には古の種族エルフが住まうとされており、彼等の結界が人間達の方向感覚を狂わせる。まさに自然の大迷宮である。

「……」

 何かを懐かしむようにバートランドが木に手を当てる。

 視界いっぱいに広がる木々。

 高枝から構成される「上の森」と、控えめな樹木や亜樹木から形成される「下の森」が緑の密度を高めている。倒木し朽ちた木には苔が生え、そこかしこに生命の息吹が感じられた。

 原生林という名の通り、道らしき道も存在していない。

「いいですね、ここ」

 振り返ってはにかむバートランド。

 それを見て修太郎も何かに気づいた。

「そういえばここ、バートの世界によく似てるね」

「はい。ここから同胞の気配も感じますね」

 そんな二人をよそに、ミサキは一人「あれ、あれ?」と焦ったように何かを操作していた。

「どうしたの」

「変なんです。ここ、全く赤い点が写りません」

 ミサキのマップにはだだの一つも赤点が存在しなかった。ミサキはまるで古いテレビをそうするように、マップをバシバシ叩いて調子を伺っていた。

「確かに私も何も感じないな」

 シルヴィアがそれに同意すると、いよいよ不審に思ったエルロードが本を開いた。

「変ですね。探ってみましょうか?」

「や、その必要はねェよ」

 そう言って一人歩き出すバートランド。

 チダ山脈とツルグル原生林の境をゆっくり観察するように歩きながら、とある場所で足を止めた。そこにはひときわ巨大な木があった。

「――――」

 バートランドが特殊な言語で呟くと、巨木があったはずの場所はまるで蜃気楼のように解けて消え、先へと続く道ができた。

「エルフによる結界です」

 舗装されてるわけではないが、獣道というわけでもない。まるで木々が自主的に避けて作ったかのような、不思議で自然な道。

 本来この場所は、森の中である条件を満たさない限り、攻略自体ができないという難攻不落のエリアである。

 その条件とは〝武器を捨て、エルフに投降する〟というもの。タルヴォスにいるはぐれエルフ族とのクエストをこなしていれば、ヒントを聞くことができる。

 条件を無視する方法は他に二つある。

 一つは全てのエルフを倒し尽くすこと。

 もう一つは、エルフに認められること――

「闇雲に入ってたら迷ってましたねェ」

 笑いながら煙草の火を消すバートランド。

 結界の解除は、エルフの王にとって造作もないことだった。

 道ができると同時にマップに赤い点が現れ始め、ミサキはほっと胸を撫で下ろす。

「(よかった、お役御免になるところだった……)」

 改めてマップを見下ろすと、少し進んだ先に青い点が複数個あることに気付く。恐らくこれが八岐の攻略組なんだと理解すると、すぐさま修太郎に報告した。





 八岐の攻略組は完全に道に迷っていた。

「だーーー! だからさっきの道は右に行こうぜって言ったじゃねえか!」

「それでアランさんに任せたら謎の中ボスと遭遇してえらい目に逢ったじゃん……」

「ボスがいる方が正解の道に決まってるだろ!」

 ギャーギャーと揉めるアランとメンバー。他のメンバーもそれを見てゲラゲラと笑っていた。

 Hiiiiveは一人マップを開いて何かを考え込んでいる。

「マスターもなんとか言ってくださいよ!」

「ん? 下調べせず突っ込んだアランが悪いぞ」

「急げって言ったのテメェだろ!」

「確かに言ったけど、下山の勢いそのままに突撃するとは思わなかったし」

 アランを追う形でこの自然の迷宮に迷い込んでしまった八岐攻略組。唯一の救いは、進むたびにマップが更新されている(新しい道に進むと起こる現象)ということだが、この表示が合っているのかすら怪しい。

「(ちょっと焦りすぎたかな……)」

 木々の間から見える緑色の膜を見上げながら、ハイヴは大きなため息を吐いた。

「名案を思いついた! こっから全部の木をぶっ倒せば迷うこともないし道もできるし一石二鳥じゃね?」

「名案ですね! もちろんアランさんがやってくれるんでしょ?」

「当たり前だろ! おらああああ《金剛双蛇》!」

 しかし、木は倒れるどころか傷ひとつ付かなかった。まるで衝撃が吸収されているような手応えにアランは首を捻っている。

「(望み薄だがコッチに期待しとくか)」

 事態の深刻さに気付いているハイヴは、タルヴォスに残った舞舞からのメールに視線を移す。そこには短く「祈りは壊すな 助っ人が向かってる」とだけ書かれていた。

 

「あ! いました」


 場の雰囲気に似つかわしくない明るい声が響くと、何もない空間(・・・・・・)からミサキがにゅるりと現れた。

 突然の登場にメンバー達が悲鳴を上げる。

「おまッ……なんでここに!?」

「あれ、メンバーの人に聞いてませんか?」

「いや何も……」

 残念ながらハイヴ以外のメンバーはメールの存在に気付いてすらいなかったようだ。

「とにかく合流できてよかったです!」

 嬉しそうに微笑むミサキに鼻の下を伸ばすメンバー達。

「流石アランさんが贔屓にするだけありますね」

「贔屓になんかしてねぇよ!」

 やかましいやり取りが森の中に響く。

「(おいおい、またえらいの連れてきたな……)」

 ハイヴはミサキの後ろから現れた存在に気付き、思わず目を見開いた。

「バート、周辺に変わったところは?」

「んー、この感じ、そろそろ向こうから接触してきそうな気配がありますねェ」

 見覚えのある少年が怪物達に指示を飛ばしている。いや、以前とは全然違うぞとハイヴは認識を改める。少年の纏う雰囲気も怪物達と同じかそれ以上であったからだ。





 修太郎からイージスのことを聞き、八岐メンバー達は怒りを露わにした。

「それもこれも天使の仕業かよ……!」

 忌々しそうに拳を握るアラン。

 ハイヴはそれを静かに聞いていた。

「天使の企みが分からない以上、下手に進めると向こうの思う壺になる。〝闇の神〟の手がかりを探すために、まずは彼の僕である精霊達に話を聞く必要があるんだ」

 修太郎の言葉にハイヴが頷く。

「……事情はだいたい分かった。というか、礼がまだだったよな。うちの連中を助けてくれてサンキューな。助かったよ」

 そう言って修太郎とハイヴは握手を交わした。

「――元々俺達も精霊を倒すつもりはなかった。セルー地下迷宮で火の精霊を倒した時の違和感、あれの正体について調べるつもりだったんだよ」

「違和感っていうのは?」

「戦う意志を一切感じなかったし、壊さないでくれとも言っていた。その言い方は単なる命乞いとかじゃなく……あれは〝警告〟だった」

「警告……」

 あの火の精霊は何を訴えていたのだろうと、ハイヴは今日の今日まで考え続けていた。そもそも精霊についての文献が不自然に少なく、そのほとんどが神話で語られているような話ばかり。有益な情報は全く手に入らなかった。

 こめかみをグリグリしながらため息を吐くハイヴに、修太郎が微笑みかける。

「ここなら有益な情報が手に入ると思う」

「本当か?」

 思わず修太郎の方を見たハイヴは、その隣に〝バートランド(エルフ族)〟がいることに気付く。

「なるほど、だから迷わずここに来れたのか」

「うん。ミサキさんのスキルと、舞舞さんの情報があってこそだけどね」

 修太郎の説明に納得したように笑みを浮かべるハイヴ。

「それじゃあそろそろ話を聞きましょう」

 そう言いながらバートランドが指を鳴らすと、木々に囲まれた空間がまるで霞が晴れたように消え、本来の景色が現れていく。

 森のハイエルフ Lv.55

 森のハイエルフ Lv.56

 森のハイエルフ Lv.54

 森のハイエルフ Lv.55

「……え?」

 誰かの間抜けな声が漏れる。

 木々の上に矢尻を光らせながら、鋭い眼光のエルフが八岐メンバーを狙っていた。メンバーはここで初めて〝自分たちが取り囲まれていた〟ことに気付いた。


「『争うつもりはない』」

 

 バートランドがハイエルフ達に語りかける。

 人間の言葉ではない、どこか歌のようにも聞こえるその言葉に、ハイエルフ達は反応を示した。

「『王よ、我々の領地に何の用ですか』」

「『おいおいやめてくれ。俺はあんたらの王じゃない』」

「『我々には分かります。貴方は偉大なお方であると』」

 木の上から降りて来たハイエルフ達はバートランドの前に跪いた。プレイヤー達はバートランドが何を話しているのか分からない。修太郎も心配した様子で見守っている。

「『風の精霊に会いたい。案内してくれないか?』」

「『精霊さま――ジジジ……』」

 突如、電撃が走ったように体を痙攣させると、ハイエルフの瞳が暗く曇っていく。

「我々は精霊に迫害されている」

「あの邪悪な怪物をどうか倒してください」

 先ほどまでとは違い、プレイヤーにも理解できる言葉でそう口走るハイエルフ達。

 明らかに様子がおかしい。

 バートランドは困惑したように説明した。

「妙だな、さっきまでこんな感じじゃなかったのに……」

「ハイエルフ達にとって精霊は敵なのかな」

「いえ、むしろ逆のはずですが」

 修太郎の考えを否定しつつ、もはや抜け殻のようになってしまったハイエルフ達に再度呼びかける。

「『どうした、何が起こったんだ?』」

「精霊は我々の子供達を奪い、食べた。奴らは悍ましい存在です、邪悪です」

「どうなってんだァ?」

 困惑するバートランド。

 ハイエルフの様子は一向に戻らない。

「いや、おおむね予想通りだ」

 何かを察したハイヴが違和感の正体について言及する。

「やっぱこの動き、明らかにゲーム側が〝精霊を倒せ〟と促してんな。火の精霊の時もレベルを直接上げるなんていう破格の褒美があったわけだしな。aegisのマスター辺りは話を聞かずに倒してたろうよ」

「で、でも精霊を倒せば祈りが消えてまた大規模な侵攻が発生するんじゃ……」

 ミサキの言葉に肩をすくめるハイヴ。

「そこが引っかかるよな。仮にレベルが上がったところで、あれを相手にしなきゃいけなくなるなら普通は慎重になる……」

「深く考える必要はありません」

 二人の会話をエルロードが遮った。

「まずは精霊の所へ向かいましょう」





 ――一行が到着したのは透き通った湖畔。

 湖の底が見えるほど澄み切った水。

 水中には七色の水草と魚が泳ぎ、まるで珊瑚の海を切り取ったように美しい。

 その中央に佇む緑髪の女性。

 祈るように膝を折り、動かない。

「……」

 無言で精霊の元へ歩き出すエルロード。

 水面に波紋を描きながら、精霊の前で立ち止まった。

『どうか……』

 かつてaegisと八岐が聞いたあの声が響く。

 言葉意味を無視した結果、大規模侵攻という大惨事につながっている――が、エルロードはお構いなしといった様子で手をかざす。

「おい!」

 声を荒げるハイヴを修太郎が手で制す。

「エルロードは考えなしに動く人じゃないよ」

「……」

 口を開き、そして閉じる。

 言いたいことを全て飲み込み、認めているからこそ、ハイヴは修太郎の意見に従った。

「私の解釈が正しければ――」

 エルロードの呟きは、彼から滲み出る黒色のオーラによってかき消された。

 オーラが精霊を包み、精霊の様子に変化が起こる。

『あ、あ、あ……!』

 ピシピシというひび割れるような音の直後、弾けるように何かが砕け、精霊の〝仮面〟が剥がれた。

 前のめりに倒れる精霊を抱き止めることはせず、冷めた表情で傍観するエルロード。精霊はそのまま湖に顔を沈ませ――飛び起きた。

「ヴォロデリア様はッ!?」

 水が滴る顔をブンブンと振りながら辺りを見渡す精霊に、エルロードは冷静に問いかける。

「あなたは風の精霊で間違いないですね」

「? お前は誰だ!」

「私のことはいいです。重要なのは、我々があなたを呪縛から解き放ったということ。そして闇の神は未だ囚われたままということです」

「!」

 風の精霊が声を荒げる。

「それを信用しろと? そもそもお前はなぜ光の神の呪縛を解くことができるんだ!」

我々(・・)も、認めたくはありませんが闇の神の眷属のようなものです」

 言いながらエルロードは小さく頷く。

 風の精霊はエルロードと他の魔王達にも視線を向けながら、何かを察したように頷いた。

「外部の者に力を授けるなどにわかには信じ難いが……見れば分かる。全て理解した」

「ええ。我々も勝手に押し付けれられて迷惑していますよ」

 嫌味っぽく言うエルロードを睨んだのち、風の精霊は深く溜息を吐いた。

「……どうあれ私は救われたのだな」

「現状ではまだ貴女一人しか助けていません。土と水に関してはまだ接触していませんが、火に関しては――もう手遅れです」

「……そうか」

 風の精霊は暗い表情を見せる。

「ねぇエルロード、どうなったの?」

 心配そうな様子で呼びかける修太郎。

 ハッとしたエルロードは、風の精霊を連れて皆のところまで戻ってきた。

「申し訳ございません。無事終わりました」

「あ、ううんごめんね取り込み中だったのに」

「とんでもございません。説明を優先しなかった私の落ち度です」

 傅くエルロードの後ろで首を傾げる風の精霊。

「(この男が頭じゃないの……?)」

 主が力を与えるほどの人物が、誰かの下についていることに驚きを隠せない様子の精霊。

 エルロードが説明を始めた。

「異なる世界にいた我々を、あの城に幽閉したのが闇の王ヴォロデリアです。そして、彼は幽閉するだけではなく、魔王達(我々)に自分の一部を分け与えました」

 エルロードを黒色のオーラが包む。

「我々魔王は神にも干渉できます」

 そう言って、再び手のひらに黒のオーラを纏って見せた。これが天使を消滅させた力。エルロードとガララスの戦闘の際、互いがその力を使い、大怪我を負った経緯がある。

「精霊にかかっていた呪縛を解いたのも、この力です。闇の神は我々にそれを期待し、力を授けたのだと推測しています」

「そんなの、俺たちが精霊をどうにかするなんて無理じゃねえか」

 憤った様子のアランが呟く。

「ええ。我々以外にどうすることもできません」

「なんだよそれ……」

「破滅するように仕組まれているのですよ、最初から。それでも、我々が闇の神に接触できさえすれば、まだ希望はある」

 しかし、とエルロードは先を指差す。

「闇の神ははるか先にいます。とはいえ天使の動きを見るに、そう悠長にしていられない――そこで私達は先手を打つことにしました」

 と、エルロードはバートランドに視線を向けた。

「そっか。ガララスが言ってたのって……」

「はい。そこに繋がります」

 言いづらそうに小さく頷くエルロード。

「正攻法で祈りを超えるには時間がかかりすぎるため、外法を使いました。彼には私の力の一部を仕込んでいます――つまり彼が闇の神解放のピースです」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
修太郎の前で、しおらしくなる舞舞、可愛いな。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ