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第6章 後編


 

 訓練場の仮想敵を相手取り、刀を振るう少女。

 鮮やかなエフェクトが弾け、弱点と思しき場所に刀が通過――敵は肥大化し爆散した。

 討伐完了の文字が並び、討伐数が表示される。およそ30もの敵を討った少女は、迷わず訓練終了の文字をタップした。

「ふぅー、今日も頑張った偉いぞ私」

 扉を開けた上機嫌な少女MaguNeマグネは、鼻歌混じりに訓練場を後に――

「おい。何をやっている」

 できなかった。

 視線を上へと向けたマグネの前に巨人の股があった。入り口の扉を跨ぐようにして立つ、5メートルを超える巨人と目が合った。

「雑魚相手に何勝しても経験にならんだろ」

「同レベル帯のモンスターなんだから文句ないでしょ!」

「格上を相手にせねば良い戦闘ができんというのに……貴様は放っておくとすぐぬるま湯に浸かるな。それに比べ、主様は格上と戦うため天の塔に登ると聞いたぞ。貴様もそのくらいの志をだな――」

 やれやれとため息を吐くガララス。

 散々に言われ、マグネは怒りに震えていた。

「なにがぬるま湯よ! そもそも! 格上に挑んだら経験を積むどころか死ぬかもしれないんだよ! 死んだら意味ないじゃん! 無茶して死んだ人の数知ってる?!」

「知らんな」

「知らないなら口出さないでくれる!?」

 プンスカと怒りながら商店街の方へと歩いていくマグネ。ガララスもその後を着いて行く。

「ついてこないでよ!」

「何故だ。ここは我の領地だぞ? どこへ行こうが我の自由だ」

「貴方の領地じゃない! 紋章がここを納めてるんだからね!」

「ならば領主を舐めている者の数を見るがいい。一時期に比べ減ってはいるが、あれで納めてるとは言えんな」

 手厚い支援に強力な結界があるお陰で、アリストラスは相変わらず平和そのもの。紋章ギルドが睨みを効かせてたお陰か、非戦闘民を狙った悪質な声掛けや奴隷契約も鎮静化しつつある。

 紋章ギルドの小さな活動の積み重ねで今の平和があるといえるが、ガララスは実力で国を納めた男。彼の目には紋章の統治が甘く映っているようだ。

 そんなこんなで、口喧嘩しながら賑やかな商店街を歩く二人。

 かたや地雷系メイクの少女と、かたや巨人のペアが目立たないはずもなく、特にガララスの方は否が応でも目立ってしまう。

「巨人のおじさんこんにちは!」

「巨人さん、うちに寄ってかない?」

「ガララス様、今日も凛々しいお姿で……」

 ガララスの知名度は上がっていた。

 最強の魔王、としてではない。

 無害な名物巨人おじさんとして、である。

 指先一つで都市を破壊できる存在とはつゆ知らず、親しみを込めて呼んでくる住民達。

 当の本人は――満更でもなさそうだ。

「ようやく我の偉大さが浸透したようだな」

「でかくて目立ってるだけじゃん……」

「それだけの筈がないだろう。貴様もあと30もレベルを上げれば我の偉大さに気付くだろうな」

「そっかー」

 ガララスの扱い方に慣れてきたマグネは、適当に会話しながら具材を買い集めていく。

「てゆうかさー」

 玉ねぎを見比べながら、何となしにマグネが呟く。

「なんでマグと一緒にいてくれるの?」

「なにがだ?」

「自分で言うのも何だけど、マグめんどくさいし。ずっと一緒にいるとウザがられるからさ」

 協力関係を結んだとはいえ、一緒に行動してくれるガララスに申し訳なさを覚えていたマグネ。しかしガララスは不思議そうな顔で首を傾げながら、深く考える様子もなくこう言った。

「貴様といると飽きないからな」

 飽きない。

 その一言が、妙にマグネの心に刺さる。

 短い言葉だが、まるで自分の存在が肯定されているような、自分が存在してもいいと言われてるような気がして嬉しかった。

「……酢豚って食べたことある?」

「豚か? ワイルドスタンプや火山豚は我の好物だ! 特に丸焼きは食べ応えがある」

 ふーんと呟き、マグネはガララスを見上げた。

「ならもっと美味しいの作ってあげる」

「本当か!? 嘘ではないな?! もっと美味しくなければ貴様は嘘つきになるぞ!」

「ちょ、うるさいうるさい」

 言いながら、小さくほくそ笑むマグネ。

 アリストラスに平和な時間が流れてゆく。





「うまい!」

 広場にガララスの声が響き渡った。

 噴水の縁に腰掛けながら、ガララスは大皿の料理をスプーンでかき込んでいく。

「隠し味に気付いた? パイン気付いた?」

「それは知らんがうまいぞ!」

「ふふふ」

 料理服を着たマグネが顔を緩ませている。

 ガララスから戦闘指南を受けるに当たり、マグネが対価として用意したのが料理である。歴代の彼氏達の胃袋を掴んできたメニューの数々はガララスのお眼鏡に適い、訓練の後にこうして料理を振る舞うのが日課となっていた。

 いつになく気分のいいマグネは、いつもよりも多めに料理を盛っている。

「貴様は料理人になれば天下を取れるやもしれんな」

「うーん……食事の必要がない世界で、料理人って結構価値低いからなぁ」

 プレイヤーが必要とするのは睡眠のみで、食事は強化(バフ)目的か娯楽の一環となっているため、それこそ最前線組にくっ付いて専属の強化役(バッファー)として活動するならまだしも、初期拠点で生計を立てるのはなかなか難しい。

 うまそうに料理をかき込むガララスを見上げながら、隣の縁に腰掛けるマグネ。そして盛大なため息を吐くと、人ごみの中を恨めしそうに睨み付けた。

「あーあ、こんなムサイおじさんよりまともな彼氏が欲しいよ。なんていうかマトモな人。できれば戦える人。先の拠点にも行ってみたいし……」

 以前までの彼女には「自分を必要としてくれる人が好き」という考えがあったが、前の彼氏とのいざこざで価値観に変化があったようだ。今はただ「良い人」を探していると言うが……。

「ならば我が見極めてやろう。我は常に修太郎(理想の王)を近くで見てきたからな、間違いないぞ」

 ピクリと、マグネの眉が吊り上がる。

「また主様の話ぃ?」

 そうだとも! と、ガララスは勢いよく立ち上がる。

「主様の魅力は語り尽くせんからな。貴様も理想を追い求めるならば、主様のような広く深い器と、底知れぬ強さを秘めた――」

「……」

 言い表せないモヤモヤが胸の中で渦を巻く。

 恋愛感情では一切ない。

 ないのだが、これは嫉妬だ。

「あーー、しんど……」

 誰にも聞こえない声が漏れる。

 ガララスは悪くない。

 でも面白くない。

「もういい! うるさい!!」 

 気付けば叫んでいた。

 ガララスも負けじと激昂する。

「うるさいとはなんだ! 貴様、我は今から主様の話をしようとだな!」

「わかったってば! 主様のすごさはわかった! でもなんか……なんかしんどいッ!」

 そう言いながら、マグネは走り出した。

 人の間を縫うようにして、ただ走った。

(あーーー自分キモいよおぉぉぉ!)

 ガララスのことは信用してるし信頼している。しかし彼が信頼するのは〝主様だけ〟だと考える度、モヤモヤしている自分がいた。

 誰かの一番でありたい。

 でもなれないもどかしさが苦しい。

「ごめん、ごめんねガララス」

 レベルや技術が成長しても、人間として一切成長できない自分に嫌気がさしながら、感情のぶつけ場所が分からずひたすら走った。

「!」

 ドンッという鈍い音と共にマグネの体が飛ばされ、「キャ……!」という短い悲鳴が響く。

 彼女がぶつかったのは、上質な防具をつけた男。当然ダメージは無いのだが、不愉快そうにマグネをギロリと睨んだ。

「ボサっと歩いてんじゃねえぞ!!」

 肩をぶつけたようで、わざとらしく肩をさする男。激昂する高レベルプレイヤーを前に、場は騒然となった。

 対するマグネは――誰かに抱き止められていた。

「大丈夫?」

 マグネを支えた青年が声を掛ける。

 逆光でよく見えないが、力強く抱き止められ、マグネの心はドキンと跳ねる。

(好き――!)

 立たせてもらう間も、ポーッと青年を眺めていたマグネ。男は「ケッ!」と言いながら、人ごみの奥へと消えていく。

「……」

 青年は男の後ろ姿を無言で眺めていた。

 マグネは我慢できないといった様子で声をかける。

「あの!」

「ん?」

 声に気付いた青年がゆっくりと振り返る。

 ノースリーブのチャイナ服に似た、黒の衣装に身を包んだ青年。

 黒い髪に灰色の瞳、長い睫毛とくっきりとした鼻筋、右目の下に横文字で英文のタトゥーが彫られているのが妙に印象的で、美しい男性にも女性にも見える中性的な顔立ちであった。

 息を呑む美しさとはまさにこの事。

 マグネは口をパクパクさせ言葉を失った。

 そんな彼女を見かねて青年が声を掛けた。

「びっくりしたよね。大丈夫?」

「あ、ええと、はい……」

 しどろもどろになりながらも、視線は青年から離さない。

 感謝の言葉、謝罪の言葉、名前を尋ねるべきか、それとも名乗るべきか、色々な言葉が頭の中を駆け巡り、マグネは言葉を導き出した。

「付き合って」

 欲望に逆らわず、忠実に。

「ええと、何に?」

 困ったように笑う男の顔も実に美しく、マグネの心は更にときめいた。

 パチンと、まるで何かのスイッチが入ったようだった。ガララスに対する八つ当たりの気持ちもあったのだろうか。

 自分が会話の工程を色々と飛ばしていることに気付くことなく、彼女は猪突猛進に続ける。

「恋人になろ? マグ料理うまいよ?」

「えーっと……」

 男は終始困惑していたが、マグネの目的は察したようで、再び困ったようにはにかんだ。

「恋人は無理だけど、友達はどうかな?」

「恋人は無理……? なぜ……?」

「ええ? だって初対面だよね?」

「助けてくれたのにマグのこと好きじゃないんだ」

 目のハイライトが無くなっていくマグネ。

 気まずそうにしながらも青年が続ける。

「僕は久遠っていうんだ。君の名前は?」

「……マグネ」

「マグネさんね。よろしくね」

 紳士的な青年の態度にますます昂るマグネの気持ち。「この人いいよね?! 見極めてよ!」と目で訴えながら再びガララスを探すも、巨人の姿はない。

「まさに磁石のような女だ」

 そんなマグネの姿を、ガララスは路地裏に隠れて眺めていた。

「こんなところに壁なんかあったか?」「ちげーよこれ人だよ人!」「うぉっ! 巨人おじさんじゃん!」「道塞がってるんだけど……」

 路地を塞ぐ巨体を迷惑そうにする人々には目もくれず、視線は青年の方へと向けられていた。団子を串から引き抜き、ゆっくりと咀嚼しながら観察する。

(ある意味、見る目はあるのかもしれんな)

 心の中でマグネに賞賛を送るガララス――それもそのはず、青年のオーラが、明らかに周りとレベルが違ってたからだ。

 しかし、とある理由からマグネへ知らせることはしなかった。

(マグネを餌にして見張っておくか)

 そんなこととは知らず、運命の人を見つけたと言わんばかりの顔で会話を楽しむマグネは、久遠と名乗る青年と共に人混みの中へと溶けていった。





「へぇ、紋章には所属してないんだね」

「珍しい?」

「珍しいんじゃない? だって、支援に頼らず自立してるってことだよね。立派だと思うよ」

「えへへぇ」

 そんな会話を交わしながら、楽しそうに歩くマグネと久遠。露店に寄りながら食材を買い集める彼に、マグネは興味津々で尋ねる。

「久遠くんって料理するの?」

「うん、下手くそだけどね。でも皆が喜んでくれるから嬉しいんだ」

「(かわいい……)」

 照れ笑いを浮かべる彼に、また心を揺さぶられるマグネは足を止めた。

(――みんな?)

 のろけ顔が真顔に変わる。

「皆ってなに?」

「あぁ、一緒に住んでる皆だよ」

「へぇ。そうなんだ」

 そこに女が含まれてるかを聞こうとして、自分をセーブするマグネ。良くないぞと、変な女だと思われてはいけないと、そう自分に言い聞かせながら。

 彼女の中では、今のところ順調な滑り出しのようだ。

「よかったら家寄っていく?」

「へ?」

「もうすぐそこなんだ、僕の家」

 マグネが視線を上げると、そこには周りの建物と横並びにつながる中の一つ、石造りの一軒家が建っていた。

 ふと、建物の玄関を掃き掃除している人の姿を見て、マグネの気持ちは深淵に沈んでいった。

 女がいる。

 紛れもなく、女と共に住んでいる。

「殺さなきゃ……」

 真顔でマグネがそう呟く。

「殺してもNPCだから蘇るよ?」

「あ、NPCなんだ……」

 冷静な久遠の返答に戸惑いながらも、再び鬼の形相でその女を凝視するマグネ。

 確かに名前にはNPCの表示がある。

 動きがリアルとはいえ所詮はバーチャルな存在だと、マグネはNPCにあまり関心がなかった。特定の会話しか成り立たないし、喜びや悲しみを分かち合うこともできないため、舞台装置の一つだと考えていたようだ。

「さあ入って入って」

「……お邪魔します」

 笑顔の久遠に招かれるがまま中へと進むマグネ。そこにはテーブルを囲む形で座る男性NPCと、家の中を走り回る子供NPCが二人いた。

 マイホームの中にNPCがいるというのも、珍しい状況だなとマグネは感じた。

「NPCを家に住まわせてるの?」

「ううん。僕が勝手に住んでるだけ」

 そう言いながら、台所で食材をポンポンと具現化させていく久遠。

(そっか、ここNPCの住まいなんだ)

 マグネは適当な椅子の一つに座ると、男性NPCに視線を向けた。

 突然の来訪があったにも関わらず、まるで自分達が見えていないかのように、子供達を眺めてニコニコしている。

(やっぱりリアルすぎてちょっと不気味)

 同じ人間の顔をしてるのに機械っぽい所に、マグネは少しだけ恐怖を覚えた。

 台所では久遠が料理を始めていた。

 子供二人は相変わらずドタドタと駆け回っている。

「どうしてNPCの家に住もうと思ったの?」

 素朴な疑問を投げかけるマグネ。

 宿屋を利用すれば自分の個室が手に入るし、金があるなら個人宅も購入できる。確かにNPCの家を宿として利用すれば実質無料なので、節約の観点から言えば賢いといえよう。

 ただ、会話もままならないこの異質な空間で共に寝起きするのは居心地が悪く感じた。

「んー、僕この人達が好きだからね」

「クエスト報酬が高額、とか?」

「ううん。この人達のクエストは全然高額じゃないよ。ただなんて言うか、幸せな家族なんだ。充実してるんだよ、人生が」

 そう言いながら、男性NPCの前に料理をよそった皿を置く久遠。ビーフシチューの香ばしく濃厚な匂いが部屋いっぱいに広がった。

「この人はヴィクトル、ギルドの職員だよ。掃除してるのはマーシャ、いつでも笑顔を絶やさない美人さん。子供はニックとレイラ。元気いっぱいの年子だ」

 無人の席にも皿を置いていく久遠。

 マグネの前にも皿が置かれると、子供達が着席し、マーシャもパタパタとやってきて皆が席についた。そして祈るような形をとり、シチューを食べ始めた。

「料理を用意すると着席して食べてくれるんだ。ちなみに嫌いな物を置くと食べるペースが落ちるんだ」

 机に料理を置くと集まってくる――というのが、まさにプログラムされた機械の動きそのもの。

 NPCの好感度を上げればそれだけ報酬に色が付くと聞くし、逆に嫌われる行為や犯罪を行えばカルマ値が増えて態度が悪くなる。食事の好き嫌いもそれと連動しているのだろうと、マグネは感心したように小さく頷く。

「そうなんだ。よくできてるね」

「よくできてる……というか、生きてるからね。そりゃあ好き嫌いだってあるさ」

 何を言い出すんだと思いながら、シチューをパクつく。コクと旨みが口一杯に広がると、体がそれを欲するかのように、スプーンを持つ手が止まらない。牛肉はほろほろで野菜も柔らかく、少しだけワインの香りもする。

「美味しい……」

 顔も良くて優しく、それでいて料理も上手。

 NPCと同居してるのもミステリアス。

 マグネはますます彼の事が気になっていた。

「マグネさんって美味しそうに食べるね」

 頬杖をつきながら呟く久遠。

「だって美味しいもん」

「ほら、付いてる」

 と、口元を拭いてあげた久遠は、

「可愛らしい人だね」

 そう言いながら、微笑んだ。

(すき――!)

 マグネはもう止まらない。

 彼の事を全て聞かなければ気が済まない。

「どうしてNPCと一緒に住んでるの?」

 聞きたいことはたくさんあったのに、なぜこの質問が口から出たのか、マグネ自身にも分からなかった。

 久遠は笑顔を崩さぬまま答える。

「現実の人と違って、NPCは分かりやすくて好きなんだよね。嘘つかないし。だから一緒にいると居心地がいいんだ」

 嘘をつかないから好き。

 何度も騙され、傷付いてきたマグネはその考えに強く同意した。

 人間は賢くてずるいから。

 次は何を聞こうかなと、シチューを啜りながら考えていると、今度は久遠がこう尋ねる。


「マグネさんは現実に帰りたい?」


 急に空気が変わった気がした。

 そう思ったのも一瞬で、変わらず笑顔を向けてくる久遠を見て、気のせいかと自己完結するマグネ。

 現実に帰りたいか?

 当然それはYESである。

 現実にはいないモンスターの脅威や、死と隣り合わせの世界は居心地がいいとは言えない。

 人生のプラスになる出来事もあったが、早く帰りたい気持ちが勝る。

 マグネは何も考えず「もちろん」と答えようとして、ちょっと待てよと言葉を飲み込む。

 前の彼氏と隣り合わせでゲームを開始したマグネにとって、現実に戻るということは、前の彼氏と隣り合わせで目覚めるということ。

 酷い別れ方をした彼氏と、である。

(ムリすぎるんだが……)

 現実で会えば確実に暴力を振るわれる。

 現実にはレベルも武器もない、あるのは純粋な腕力の差のみだ。

 助けてくれる人も、いない。

「あんま出たくないかも」

 顔を青くしながら呟くマグネ。

 久遠は「そっか」と興味深げに頷いている。

「僕も現実には帰りたくないんだ」

「一緒だね。それはどうして?」

 頭の後ろに手を回しながら、椅子にもたれるようにして笑う久遠。

「両親が最悪なんだ。母親は浮気性だし、父親は僕に無関心。僕自身は下半身不随の身体障害者だし、ゲームの中の方がいいんだ」

 寂しそうにはにかむ久遠。

 風の噂で、植物状態の人がフルダイブ型ゲームの中で意思疎通できた話を聞いたことがあったマグネは、久遠に同情しながら頷いた。

「こっちなら自由に走り回れるもんね」

「うん。この世界が僕の本当の世界なんだ」

 マグネは植物状態になった自分を想像し、ずっと寝たきりより、ゲーム世界で起きてた方がいいかもなどと考える。久遠の境遇は気の毒に思えたが、それ以上に、こうして動けて話せていることが素敵だなと感じた。

「だから……だから、この世界を終わらせようとしてる人を止めたい」

 再び空気がピリついた気がした。

 久遠はもう笑っていなかった。

「やっと見つけた本当の世界だから」

 何かに取り憑かれたように呟く久遠。

 急にどうしたんだろうと、スプーンを咥えたまま小首をかしげるマグネ。

「ごめんね急に変なこと言って」

「ううん。久遠くんのお話ならずっと聞いていられるよ?」

「ふふふ優しいんだね」

 などとやり取りしながら、二人はNPCが住む民家で他愛のない時間を過ごしたのであった。





 マグネが家を出ると、茜色の空は徐々に漆黒に染まりつつあった。結構な時間を話し込んでいたらしい。

(こんなに会話が続いたの初めてかも。もしかして相性いいのかな?)

 ますます久遠へ好印象を抱くマグネ。

「送っていこうか?」

「ううん。一人で大丈夫だよ」

「そか。じゃあ気をつけて帰ってね」

 下心も見せず、別れ際まで紳士的。

 今までの男とは何もかもが違っていた。

 別れの挨拶を交わした後、スキップしながら帰路に着くマグネ。

 思い返せば、彼のレベルや職業など何も聞いていない。話し足りない――また話したいと強く思いながらも、ふと、ある事に気付いた。

「あれ、そういえばマグ……久遠くん家の座標メモってないや」

 いっけなーいと頭をこづくマグネ。

 大多数の人間なら「フレンド登録をしていない」となる所だが、彼女の思考は普通の斜め上をいっていた。

 踵を返し、元来た道を戻っていくマグネ。するとその道中、幸運な事に、出かける前の久遠を見つけることができた。

「久遠く……!」

 声を掛けようとして、固まってしまう。

 久遠の瞳が、まるで何かに取り憑かれたように冷たく、恐ろしいものに変わっていたから。

 久遠は誰かの後を追うように歩き出した――それは、マグネとぶつかったあの男のようだった。

(まさか……俺の女を脅しやがってってやつ?)

 ちょっとヤンチャ系な少女漫画の王子様を連想し、またしても心を躍らせるマグネ。そんなシーンを見逃すわけにはいかないと、確信めいた何かに突き動かされながら、彼女はコソコソと後を追った。

 五分、十分と歩くと、どうやら男はアリストラスから出るつもりだと分かる。夜の闇を照らすように、街には明かりが灯り始めている。

(どこ行くんだろ?)

 気になるのは男の動向より久遠の動きだ。

 なぜいつまで経っても話しかけないのか。

 わざわざ街の外に出るのを待つなんて、それじゃあまるで――

「ねぇ」

 遂に久遠が男へと話し掛けた。

 物陰に隠れながら様子を見るマグネ。

「君は攻略組?」

 男が怪訝そうな顔で振り返る。そして久遠の顔を見るなり、昼間、女にいい格好をしていた優男だと気付いたが、すぐに興味を失ったようにため息を吐いた。

「だったらなんだよ」

「そっか」

 遠巻きに見ているマグネに会話の内容は聞こえてこないが、おもむろに久遠が手を上げていくのが見えた。

(何してるんだろ)

 パチン! と、軽快な指鳴らしが響くと、まるで花火のように七色の何かが飛び散った。

 久遠はその様子をただじっと眺めている。

(……?)

 突然のことに困惑するマグネ。

 何が起こったのかよくわからない。

 ただ、なぜかあの男の姿がなくなっていた。

 まぁ、瞬間移動や透明化といった便利固有スキルもあるくらいだし――などと、特に気にせず久遠の元へ向かおうとした刹那、彼女は気付いた。

 久遠の足元に散らばった、光る何か。その形状や色味からして、恐らく無数のアイテムであることに。

『この世界を終わらせようとしてる人を止めたい』

 何故今、その言葉を思い出したのかは分からなかった。

 踵を返し、彼が帰ってくる。

 マグネは反射的に息を殺す。

(なんで隠れ続けてるの……?)

 本当は彼の腕の中に飛び込みたかった。家での話の続きもしたかったし、フレンド登録もまだだ。

 体は彼を求めていた――でも、彼女の頭がそれを止めていた。出て行ってはいけない(・・・・・・・・・・)と、冷静な自分の声が聞こえてくる。

 久遠は彼女に気付いていないようだ。

 十秒、二十秒、三十秒……。

 時間が経つのがとても長く感じた。

「っは……はぁ、はぁ……!」

 息をするのも忘れていたマグネは、久遠が去ったのを確認するなり、その現場に走った。

 人は死んだらどうなるんだっけ。

 マグネはそんなことを考えていた。

 デスゲーム直後の阿鼻叫喚の中、何度か見かけた人の死――冷たく横たわる現実のそれとは違い、死んだ人間はアイテムを残して消える。

 そう。まさに今の状況のように。


「……殺した?」


 そして不安は確信に変わる。

 散らばったアイテムの中に、ぶつかった男の武器や防具が確認できたから。

 フィールドに出てから声を掛けた久遠を見て、嫌な予感は覚えていた。

『この世界を終わらせようとしてる人を止めたい』

 彼の言葉が脳裏をよぎる。

 見間違い、勘違いだと思いたくても、あの発言がぐるぐるとマグネの頭でくり返されていた。

 この世界を終わらせようとしている人とは、いったい誰を指しているんだろう……マグネは混乱する頭を整理しながら考える。

 もしそれがゲームクリアを指しているのなら、久遠にとっての敵とはつまり――攻略勢を指しているのではないかと。

 故に、あの男は無惨に殺されたのだ。

「うそ……」

 何より恐ろしいのは久遠の表情だ。

 物陰から見ていたマグネは、久遠の顔が昼間と全く変わらない、柔和なそれだったことに鳥肌が立った。

 人を一人殺したというのに、それがさも当然かのように――。

(危険、知らせる、ガララス、どうやって、説明できない、拾って帰るべき、隠れるべき……)

 マグネは自分がすべき行動を考え――そして気付いた。

「なんで普通に入れてるの?」

 人を殺せばカルマ値が上昇し、PKとなった者ははNPCによって拘束・投獄される。

 例外として殺した相手がPKの場合、免除されることがあるが、PKはアリストラスに入れない。あの男とは都市内で出会っているため、今回はその限りではない。

 マグネは武器(遺品)を拾うと、踵を返して駆け出した。

(知らせなきゃ……!)

 誰でもいい、とにかく誰かに伝えなければ。

 そんなことを考えながら、人気のない曲がり角に差し掛かった所で――何かにぶつかり、弾かれた後に尻餅をついた。

 相手はフードを目深に被った、恐らく、男。

 月明かりに照らされた顔を見て、マグネは激しく動揺した。

「くお……久遠く……?」

 その顔に久遠の面影を見たマグネ。

 悟られる。そう思ったがもう遅い。

 マグネの脳内で指を鳴らすあの音が響いた。

 殺される。そう確信した瞬間から、自分の人生を辿るように映像が流れだす。いわゆる走馬灯を体験したマグネが最後に見た景色は――いけすかない口髭の巨人に料理を振る舞う自分の姿。

「なんでコレなんだろ……」

 呆れるように笑うマグネが気を失う寸前――相手は心配そうに彼女を抱き止め、フードを外しながら顔を覗き込んできた。


「すみません、大丈夫ですか?」


 それは久遠ではなかった。

 整った顔だが、久遠ではない。あまりの恐怖に幻覚を見たのだとマグネは心底ホッとした。

 彼女はその凛々しい顔に見覚えがあった。

 デスゲーム初日、パニックになって泣いていた自分は、大衆の前で熱弁を振るったこの青年に救われている。巨大ギルドを束ねる彼は、手厚い支援で弱者を救い続けている。

 非戦闘民達の希望の星。

 紋章ギルドマスター――ワタル。

「は、はひ……」

「よかった。立てますか?」

 そう言ってワタルは心配そうに手を差し伸べた。

(ワタル様……)

 死の恐怖から一転。まるで仏にでも会ったかのように幸福感と安心感に包まれるマグネ。

「怖がらせたみたいで、ごめんね」

「い、いいの! マグの勘違いだし……」

 それなら良かったと微笑むワタル。

 マグネはぽーっとワタルを見上げていた。

 一瞬で心を鷲掴みにされたマグネだが、私には久遠という心に決めた人がいるんだと、首をブンブンさせる。

(いや、でも久遠くんは人殺し。いやいや、でもいい人だったし。いやでも……)

 あんなことをした後でも、彼を嫌いになりきれない自分に嫌気がさした。

 差し伸べられた手を取り、立ち上がる。しかしうまく足に力が入らない。再び尻餅をつきそうになるマグネをワタルは心配そうに抱き留めた。

「ほ、本当に大丈夫ですか?」

「あ……」

 気を引くための計算ではなく、本当に立てなかった。自分が心底恐怖していたのだと理解し、自然とポロポロと涙が流れた。

「ごめん……送っていってほしい」

「……わかりました。少し失礼します」

 そういうや否や、ワタルはひょいとお姫様抱っこの形でマグネを持ち上げた。しばらくキョトンとしていたマグネはみるみる顔を紅潮させ、恥ずかしさのあまり顔を背けた。

 ワタルの表情に変化はない。

 やましい気持ちが一切ないことが伺えた。

「どちらまで?」

 フードを被りながらワタルが尋ねる。

「……広場で、だいじょぶ……」

 状況は分からないが、尋常な状態ではないと察しつつ、ワタルは無言で夜の街を進んだ。

 ややあって恐怖と羞恥に落ち着いたマグネがハッなる。

 助けを求めるならガララスか紋章ギルドなら理想――そう考えてた彼女は、目の前にいるこの人にこそ伝えるべきだと遅れて気付く。

「紋章の人! ちょうどよかった!」

 それを聞いたワタルは悲しそうに笑った。

「僕はもう紋章メンバーじゃありません」

「え?」

 ワタルがギルドを脱退したという事実にマグネは大きく動揺した。

 あのギルドはこの人がトップでなければ意味がない。そう思うほどに、紋章ギルドのマスターワタルという存在は大きかったから。

「なになに? お姫様抱っこ?」

「夜は乱れるから嫌よね」

「俺も早く彼女作りてえよ」

 好奇の目に晒されながらも、ワタルは実に堂々とした様子で広場へ向かっていた。ボロマントにフードという出立ちのため、誰にも気付かれていないようだ。

「どうして辞めたの?」

「……」

「嫌になっちゃった?」

「……元気が戻ったなら降りますか?」

「うぅ、酷いぃ」

「……」

 しばらくの沈黙の後、ワタルは小さくため息を吐くと、観念したように口を開いた。

「やるべきことがあったからです。何かを背負ったままだと、それは達成できませんから」

 肝心なことは誤魔化しつつ、しかし嘘は言っていなかった。マグネは深く聞くのをやめた。

「達成できるといいね」

「達成させます。必ず」

 執念の炎を宿した瞳にゾクゾクするマグネ。

 ギルドを辞めても彼は強いままだ。そう確信したマグネは、先ほど見たことを話しはじめる。

「この都市の中に人殺しがいる」

「!」

 立ち止まるワタルは彼女の言葉に耳を傾けた。

 マグネはワタルに全てを話した。久遠との会話の内容から、彼の思想、そして殺人のことも全て。

 話し終えた所で、マグネの顔に影が落ちる。

「でもマグ、何もできなくて」

 人が死ぬのを隠れて見るだけだった自分。

 自分が助けていれば、なんて自惚れてはいない。ただ、あの場面で久遠を呼び止められたのは、自分しかいなかった。

 そうすればあの人は助かっていたのでは。

 そんな後悔が頭の中でぐるぐる回っていた。

 懺悔するようなその言葉を静かに聞いていたワタル。やがて広場へ着くと、丁寧に彼女を下ろした。

「やはりここに居たのか……」

「え?」

 マグネが聞き返すも、彼は答えない。

「彼は俺が止めます」

 それだけ呟き、ワタルは踵を返して元来た道を戻っていく。

「止めるって……」

 その後ろ姿をぼーっと眺めていたマグネは、巨大なシルエットが噴水の縁に座っているのに気付くと、小走りで近寄って行った。

「ねぇ自分で男を選んだら死にかけた!!」

 開口一番、マグネは絶叫した。

 ガララスは興味なさそうに耳をほじっている。

「貴様は不誠実だな」

「え? なんで?」

「複数の男をたぶらかすのはいけ好かん」

 久遠とワタルの事を言っているのだろうと察したマグネは、何も知らないガララスに沸々と怒りが込み上げる。

「ちょっと、今はそれどころじゃ――!」

「知っている。全て見ていたからな」

「え……?」

 ガララスは陰ながら一部始終を見ていた。

 久遠がマグネと接触した時から、久遠の異常性にも気付いていたが、マグネを餌に泳がせた。それは、久遠の存在が修太郎の命じた〝任務〟に支障をきたすと考えたから。

(思った以上に厄介な存在だったがな……)

 ガララスは難しい顔でため息を吐く。

 そしてワタルへと視線を移した。

(だが、今は構ってる場合ではない)

「悪いなマグネよ」

「え、なに?」

 立ち上がりながら、漆黒の空を睨むように見つめるガララス。

「我は一度ここを去る」

「え!? こんな状況なのに!?」

 マグネが驚くのも無理はない。防衛を任されていた都市内に殺人鬼が現れたのに、それを置いて去ると言うのだ。

 それは、修太郎の命令に背く行為であった。

「……戻ってくる?」

「さあ。約束はできんな」

 それは、何かを決意した男の顔だった。

 あれほど自分の使命にこだわっていたいのに――と、マグネは残される不安よりも、何処かへ行こうとしているガララスの身を案じた。

 ゆっくりと歩き出すガララスに、泣きそうになりながらマグネが叫ぶ。

「戻ったらまた料理食べてくれる?」

 しかし、ガララスはそれに答えられなかった(・・・・・・・・)

 静寂の中に噴水の音だけが響く。

 一人残されたマグネは涙を拭き、紋章ギルドの本部へと走っていった。

 アリストラスの夜が更けていく。

 




 草花が靡くとある土地に、静かに佇む巨人。

 遠くから大きな力の気配を感じ、目を開く。

「任務の最中では?」

 怪訝そうに言いながら、エルロードはゆっくりと降下した。

「貴方からの念話は珍しいですね」

「急を要する事態だと思ってな」

「……」

 ガララスの様子を不審に思いながらも、彼がこの場を設けた意図を探るエルロード。

「任務を放棄するほどのことですか?」

「その通りだ」

 何か思うことがあったのか、ガララスの言葉に沈黙するエルロード。二人はしばらく言葉を交わさず、静かに対峙していた。

 月夜を背景に二人の魔王が睨み合う。

 そこに、いつもの雰囲気はなかった。

「貴様とも長いな」

 唐突にガララスはそう呟いた。

 先ほどまでとは打って変わり、その表情は過去を懐かしむように柔和な笑みへと変わっていた。しかしエルロードの表情は変わらない。ただ目の前の巨人の姿を見据えている。

「突然どうしたんです?」

「少しくらい語らんか? 我等の付き合いは一世紀程度では効かないのだから」

 ガララスの意図(・・)を察し、空を仰ぐエルロード。七色に輝く星々が綺麗で、つい時間も忘れて魅入ってしまう。ロス・マオラ城に囚われたままなら、この空は見られなかった。

「序列を決めようと言い出したのは我で、一位を取ったのが貴様だったな」

「何を言うかと思えば。我々の強さに優劣が付かず、古い者順にしただけでしょう」

 魔王達の序列は強さの順ではない。

 もっとも、囚われた当初は毎日のように殺し合った魔王達であったが、ただの一度も勝敗は決まらなかった。強さの優劣が付かず、不毛な争いが続いた結果、城に囚われた順番をそのまま序列とした過去がある。

 最初の頃は互いの世界に引きこもり、互いに干渉しようとさえしなかった魔王達。しかし、時が経つにつれ少しずつ関わりを持ち、団結して脱出を試みたこともあった――全て無駄に終わったが、互いの絆が深まるキッカケとなった。

「今思い返せば誰一人として、本気で相手を殺そうとなどしていなかったな」

 ガララスが淡々と語る。

 全員が似た境遇かつ、違う世界から来た者同士。絆が生まれてからは馴れ合いの延長で、傷の舐め合いをしていただけだった。

 エルロードは黙って空を見つめていた。

 ガララスがそれ(・・)を聞くのを待つかのように、ただ時を待つかのように。

「憎くもあったが、少なくとも我は貴様を同志として認めていた」

 そこまで言ってガララスは言葉を切った。

 エルロードが促すように口を開く。

「話が見えませんね。何が言いたいのですか」

 ガララスはしばらく答えられずにいた。

 目を瞑れば、囚われた日のことが昨日のように思い出せる。自分と同じ力を持った者達との出会い。他の世界を見て歩いた日々。時には酒を交わし、過去を語り合う日もあった。

 ガララスはゆっくりと目を開く。


「貴様、裏切っているな」


 二人の間に静寂が落ちる。

 エルロードの表情は変わらなかった。

 それを見て、ガララスの表情は曇った。

「かつての関係ならば貴様が何をしてようが関与するつもりもなかった。だが今は違う。我々には全てを捧げると誓った主君がいる。違うか?」

 珍しく感情をむき出しにして声を荒げるガララス。

 他の魔王は「そんなはずないだろう」と笑い飛ばしていただろうか。しかし、エルロードは否定も肯定もしなかった。

「だが――貴様は今、レジウリアを守ることも、主様を守ることもしていない。それだけでなく、他の者をそそのかし、手を貸し、それを隠している。理由を今話すことができるか?」

 キッカケはワタルだった。

 彼が纏う雰囲気は、一介のプレイヤーとは一線を博しており、ガララスは即座にエルロードの仕業であると見抜いた。

 もちろん、そこまでは良かったのだ。

 他の魔王も同じ事をしているのだから。

 かつてセオドールが武器を渡した際も、修太郎から許可を得ていたし、ガララスがマグネを鍛える際も、修太郎に伺いを立てていた。

 警戒する理由――それは、プレイヤーにも、ダンジョンコアを破壊する力があるから。同郷の者とはいえ、敵になる可能性があるのだ。

「あれは主様の脅威になり得る。我々の独断でやっていい範疇を超えている」

 主は彼等を守れと命じた。

 ただ、塩を送りすぎてはいけない。

「貴様のしようとしていること、主様に話すことができるのかと聞いている」

 静かに怒りを抑えるガララス。

 エルロードはゆっくりと首を振った。

「私は不確定な要素だけを頼りに動いています。ですから――空振りした事すら主様には悟られたくないのです」

「言い訳はいい。我が聞きたいのは理由だ」

 空から視線を落とし、エルロードは悲しげな目を向けた。

「できませんね」

「そうか」

 その瞬間――天を割るほどの莫大なエネルギーが迸り、大地が揺れ、風が吹き荒れ、周囲の動物達が逃げてゆく。

 エルロードは少し驚いたような顔を見せたあと、諦めたように本を開いた。ガララスのそれが、かつて見たことが無いほどのパワーだったから。

「……どちらかが死にますよ」

 ガララスは加減する気がない――エルロードは瞬時にそれを悟った。今までの戦いとは根本的に違っている。

「貴様が死ねば、不安要素は取り除かれる。我が死ねば、貴様は糾弾される。どちらにせよ黙秘を続けるのは不可能だ。それでも言えんと言うか?」

 最終警告。

 できれば戦いたくない――そんな気持ちが込められているように思えた。

 エルロードの表情に変化はなく、ガララスは覚悟を決めた。

「ならば仕方あるまい」

 光の如き凄まじい速度から振り下ろされたガララスの剣。大地が抉れ、巨大な亀裂から奈落が覗いた。

 その時エルロードは空にいた。

「《貪る混沌(ラグナス)》」

 上空に展開された立体魔法陣は、最上級魔法の合図。ヴヴヴと唸るような音を立てたエネルギーが収縮したのち、図太い光線となって無防備なガララスに襲い掛かる!

 ガララスは防御姿勢すらとらず、上空のエルロードを睨むように見つめていた。周囲には半透明の円が形成され、黒の光線からガララスを守っている。

 攻撃が止むと周りの地面が削られ、陸の孤島となっていた。ガララスの周囲には防いだ魔法が帯電しながら漂っている。

 出力を上げて空へと還る魔法!

 魔法陣を模した盾が防ぎ、エルロードには届かないまま四方八方に拡散し消える!

「……」

「……」

 互いに無言で視線を交わした。

 固有スキルを存分に使った戦い――それには〝相手を討つ〟だけの威力が込められていた。

 ガララスの姿が消え、エルロードの真正面に跳んでいた。拳に半透明のエネルギーを蓄え、盾もろとも殴り付ける!

「《防御不能の拳(ウロボロス・フィスト)》」

 魔法陣の盾が、その拳を受け止める。

 ミシミシメキメキと拮抗するような音、そしてピシパキと砕ける音が続き――エルロードの腹に拳が振り下ろされた。

「ッ……!」

 地面に叩きつけられ、砂塵が舞う。

 巨大なクレーターの中央で、エルロードがふらふらと立ち上がった。

 目の前に迫るガララス。

 拳に再び半透明のエネルギーを帯びる。

「……《身代わりの扉(アーバーゲート)》」

 次なる拳は魔法陣を通って空振りし、ガララスの肘までが消え――背後から伸びた自分の腕がガララスのスキルとぶつかった。

 バチバチと凄まじい音が空気を震わせるが、ガララスは無傷のままだ。

「最強の盾で殴るとは……」

「防御の術がないだろう?」

 二人は短く言葉を交わし、距離を取った。

 ガララスの固有スキルは〝自身の防御力未満の攻撃を防ぎ、彼の攻撃力を上乗せして反射する〟というもの。

 防御不能の拳(ウロボロス・フィスト)は、相手の防御が砕けるまで、スキルによる反射を繰り返し押し込む拳である。反射に接ぐ反射で突破する――ガララスの最強の矛。

 パラパラと本をめくり、そしてエルロードの表情が変わる。

「極域魔法 ――氷の槍(アイススピア)

 足元からぐるりと囲むように展開されていく複数の魔法陣。それらからヌウっと現れた氷の槍に、ガララスの眉がぴくりと上がる。

「それは防げるか分からんな」

「そうでなければ困ります」

 一見して普通の魔法であるが、込められた魔力の量は最上級魔法を遥かに凌駕している。

 それがおよそ20本。

 ガララスははじめてここで構えをとった。

 目前に迫る氷の槍を剣で払い、避け、拳で割り、掴んで砕く。それでも数は圧倒的で、捌ききれない槍が肩と腕に深々と刺さった。

 ガララスの体には赤色の断面が浮かび、何世紀かぶりの痛みに顔をしかめる。そして減少したLPを見て、わずかに〝死〟を実感した。

「極域魔法 ――氷の剣(アイスソード)

 エルロードの前に現れた小さい魔法陣が、まるでスキャナーのように横へと移動し、美しい氷の剣が生成されてゆく。

 ガララスはその剣からも、槍同様に危険な気配を感じ取っていた――あれは魔王をも殺せると。

「なるほど。それが天使を討つ魔法か」

「天使は今ので死んでましたけどね」

「我を見くびるなよ」

 ガララスの拳にエネルギーが集まる。

 先ほどの防御不能の拳(ウロボロス・フィスト)よりも更に禍々しく、よく見れば体を守るスキルも消えている。

それ(・・)なら我も持っている。貴様の代わりに我が天使を討つ。安心して逝け」

「……頼もしいですね」

 二人の攻撃がぶつかり、鋭い金属が弾けるような鋭い音が轟いた。

 大地を揺るがす死闘は数時間にも及び――やがて、勝敗は決した。

 




 もはや原型を失ったその土地に、傷だらけのガララスが立っていた。

 まさに満身創痍といった様子で相手を睨みつけている。

「もういい。殺せ」

 エルロードもまた大きく負傷していた。

 しかし、彼には余力があった。

 それこそガララスを殺す程度には。

「……」

 展開する魔法陣もほとんどが不発に終わるが、何もない空間から、黒色の槍が一本現れた。

 矛先はガララスの胸に向いている。

「この力を天使も持っていました」

 唐突に語り出すエルロード。

 ガララスは俯きながらそれを聞いている。

「我々のこの力は、相手を殺すだけでなく〝消す〟ことができる。しかし天使はケットル(彼女)にその力を使いませんでした。この意味が分かりますか?」

「……分からん」

「私はその意味をずっと考えていました。そしてひとつの仮説が立ちました。その仮説を立証できれば、ご主人様(・・・・)は私を認めてくれるでしょう」

 そう言いながら、魔法を解いたエルロードが手をかざすと、ガララスの傷が逆再生のように戻ってゆく。

「貴様の主人は誰だ」

「……」

「貴様は誰の指示で動いている?」

 エルロードは、ただ月を見ていた。

「私のご主人様は――生涯ただ一人」

 夜の闇に消えるエルロード

 ガララスは舌打ちをしたのち、その場に崩れ落ちたのだった。





「ごめんなさい、この時間は宿屋の斡旋しか――」

 紋章ギルド本部の受付ルミアは、尋ねてきたマントの人物に、申し訳なさそうに対応した。

 真夜中ということもあり人の数もまばらだった。

「遅くまでお疲れ様です、ルミアさん」

「へ?」

 そう言ってフードを外したワタルを見て、ルミアは口をパクパクさせながら「あ、あ、」と言葉を失った。

 ワタルは口元に指を当て「しー」と言いながら、あたりを見渡す。

「お願いがあって来ました。いいですか?」

「は、はい、もちろんです」

「都市周辺のエリアにいる人達を呼び戻してもらいたいんです。できますか?」

 ルミアはハッとしたように何かの画面を操作し、真剣な表現でワタルを見つめ返した。

「我々が把握しているプレイヤーでエリアに出ている人はいませんでした。門番NPCを増員して警護・呼びかけもできますがいかがしますか?」

 皆が行方を探している紋章の元マスターが目の前にいるのに、受付業務に徹したルミアは流石である。

「ありがとうございます。それともう一つ、この都市にいる〝久遠〟というプレイヤーを要注意人物として共有してください」

「? はい、承知しました。この件となにか関係のある人物なんですか?」

「彼はPKで、既に大勢を殺してます」

「!?」

 安全かつ鉄壁であるはずの都市内にPKが入り込んでいる――ルミアは理解が追いつかないまま、しかし手は止めず、NPC達への指示を飛ばしていた。

「お言葉ですが、都市内にPKが入れるとは思えません」

「僕もそう思っていましたが、彼なら(・・・)あり得ます。実際に証言もありました。ですから今から対処に向かいます」

 そう言ってフードを被り、踵を返すワタルをルミアが必死に呼び止める。

「そんな! 一人で対応なんて危険すぎます!」

 ギルド内のメンバーから視線が集まるも、その人物がワタルだと見抜く者はいなかった。

「後は頼みます」

 そう言ってギルドを後にしたワタルを追いかけるルミア。観音扉をバンと開け外に飛び出すも、すでにワタルの姿はなかった。

「どうして……」

 いつも一人で抱え込むんですか。

 その呟きは誰にも届かず夜の闇に消える。

「あのっ!」

 ワタルを探しに出ようとするルミアを誰かが呼び止めた。

 声のする方へ視線を向けると、そこには紫のメッシュが入った可愛らしい少女が、膝に手を当て息を整えていた。

「! マグネさん!」

 マグネは紋章に所属こそしていないが、名物巨人のガララスと仲がいいことで有名であった。

「ごめ、ちょっと、タイム……」

 息を整えるマグネを、待ってられないといった様子であたりを見渡すルミア。

 ワタルの姿はない。

 しかし、ワタルの言った〝久遠〟なる人物の居所は分からないが、プレイヤー達を避難させたことを鑑みるに、ワタルが向かうのは都市外だと確信していた。

「ごめんマグネさん。私ちょっと急いでて……」

「もしかしてワタルさんのこと?」

「!」

 ルミアの足が止まった。

 マグネは脇腹を叩きながら体を起こす。

「何かご存知ですか?!」

「ご存知だよお、久遠くんの場所も」

 ルミアが掴みかかる。

「ワタルさんが、ワタルさんが一人で行っちゃったんです! 討伐隊を組んで向かうべきです!」

「ちょ、落ち着いてって」

 狼狽えるルミアを落ち着かせながら、マグネは自分の見たことを簡単に説明した。

「――ということがあったの」

「その殺された人なら確かデータがあります。最前線からの脱落組を引率してくれた方で……レベルも40後半はあったはず……はやく皆に知らせなきゃ……」

 攻略勢を一撃で殺す未知のPKだと聞き、ますますワタルの事が心配になるルミア。しかしマグネは対照的に冷静だった。

『マグネさんは現実に帰りたい?』

「久遠くん、現実に帰りたい人達を恨んでるように見えた。マグもあの時の質問、回答を間違えてたら死んでたかもしれない」

 ルミアは少し考え込み、質問する。

「それは攻略勢を恨んでる、ということでしょうか?」

「そうなのかも」

「なら、過去のメンバーの不審死も……?」

 今までの不審死は、全てそのPKによる仕業かもしれない――そう勘付いたルミアが嗚咽を始め、マグネは心配そうに背中をさする。

「とにかくワタルさんを追いかけよう。久遠くんの家なら知ってる」

 そうして二人はワタルの後を追いかけた。





 ――eternityのβテストが始まる少し前、(ワタル)はとある電脳交流会に参加していた。

 主治医に勧められたそれは、身体的に社会復帰の難しい人達が行うグループセラピーのようなもので、たとえ離れた場所にいても、仮初の肉体(アバター)を介して交流ができるというものだった。

 自分の体をスキャンしたアバターを作成し、世界に降り立った渉は、その光景に虚を突かれた。

「紛い物じゃないか……」

 VR技術が進歩しているとはいえ、まだまだリアルな映像の域を超えていない。

 体の感覚も鈍く、音や匂いも不自然だ。

 所詮こんなものかと受け入れながら、渉は適当な椅子に座る。

 それからポツポツと人が集まってくると、椅子に座ったアバター達が自己紹介を始めた。

「――です。よろしくお願いします」

 皆が挨拶していく中、渉はぼんやりと空を眺めていた。

 周りは美しい花と動物達が住まう綺麗な森の中であるが、実際の体は病院のベッドの上。今は自由な体でも、本当の体はまともに動かない事実は変わらない。

 青色の空に一羽の鳥が羽ばたいた。

 渉は、自分はあの鳥と同じだと考える。

 自由なのは仮初の世界でだけ。あの鳥だって、世界の電源が切れれば消えてなくなる。

 この自由は人の手で創られたものなのだと。

(時間の無駄だ……)

 気付けば自己紹介も佳境で、隣の人物が立ち上がっていることに気付く。

「久遠といいます。よろしくお願いします!」

 見上げる渉と久遠の目が合った。

「よろしく」

 ニッと微笑む彼を眩しそうに睨みながら、渉はフイと視線を逸らす。

 二人が初めて出会った日の話である。





「僕はね、病院のほうが気楽なんだ」

 そう言って久遠は屈託ない笑みを浮かべた。

 久遠はあれから渉の病室に遊びに来ては、熱心にあれこれ話しかけてきた。渉も徐々に話すようになると、二人でいる時間が増えていった。

 離れててもアバターを通して会うことができる。いい時代になったなと渉はVR技術への見解を改めた。

「病院なんて退屈なだけで好きじゃないな」

 渉は病院にいい思い出がない。そんなハッキリとした物言いに、久遠は苦笑いを浮かべる。

「そっか。でもここには優しい人が沢山いるし、傷付けられることもないから」

 そう言って暗い雰囲気で俯く久遠。

 彼の変化に渉も気付いていた。

 彼がここに来た経緯も壮絶であったから。

「まぁ、久遠はここに居るほうがマシかもね」

「でしょ? そうでしょ?」

 久遠は一代で有名な会社を築いた厳格な父と、容姿の優れた母の元に産まれた――。

 のちに次男も生まれ、順風満帆かに思えたのも小学生までだった。

『久遠くんの家ってまじ大豪邸だよな!』

『そりゃそうだよ。○○の社長だもん』

『ゲームとか100個くらい買って貰えそうー』

『ほんとカッコいいよね』

『性格とかどうでもいいもんね!』

『他の低スペック男子がゴミに見えちゃう』

 一人の人間として見るのではなく、恵まれた御曹司として接してくる同級生達。

『小学校のテストで一喜一憂してどうする』

『あぁそうなの。はいはい、偉い偉い』

 彼の努力を見ていない両親達。

 そんな環境でも腐らず頑張り続けたのは、自分を兄として慕う弟の存在だった。

『おれ、にいちゃんのこと大好きだから!』

 ――そんな弟が行方不明になったのは、ある嵐の晩のこと。

 捜索隊を組ませ家で寛ぐ両親を見て、いても立ってもいられず飛び出した久遠は、数時間かけて弟を見つけ出した。弟は倒れた大木の側で、うずくまるように寒さに震えていた。

『見つけた! 一緒に帰ろう』

『……うん』

 足を怪我して動けなくなってはいたものの、弟は無事だった。久遠は弟をおぶり、嵐の中帰路に着いた。そして玄関先に着いたとき――久遠は疲労と高熱によって意識を失った。

 その日から久遠は目を覚ましていない。

 脳死ではなく、意識はあるが体が動かないような状態。医師曰く「身体的に問題はないが、なぜか覚醒しない」とのこと。

 幸いにもVR技術が進歩した今日、久遠は仮想世界から現実世界を覗くことで、現実とのつながりを辛うじて保てていた。

 仮想空間から見舞いの様子を見ていた久遠は、最初の数回きり来なくなった両親よりも、あくせく通ってくれた弟を大事に思い続けた。

 そして数年が経ったある日。

 スーツに身を包んだ弟が、神妙な面持ちで面会にやって来た。

『正式に父の会社を継ぐことになったよ。もしにいちゃんが起きたとしても、俺が継ぐことに変更はないらしい』

 病室で突然そう語り出した弟は、数年を経て逞しく成長していた。

『そっか』

 残念という感情は湧いてこない。久遠はむしろ、しがらみから解放されたような気分になる。

 しかし、それは弟という新たな〝犠牲〟があってこそ。これから先、厳格な父の期待が可愛い弟の背中に半永久的にのしかかるのだ。

『俺が……』

 そう言って涙を見せる弟。

 抱きしめたかった。自分が熱さえ出さなければ、大人を連れて助けに行っていればと後悔ばかり募る。

 弟の口角が吊り上がっていく。

『やっと俺が権利を得た! 何年待っただろうか……やっとこの日が来たんだ!』

『お、おい……急にどうしたんだよ……?』

 叫ぶように、声高らかに言った弟の言葉を、久遠は全く理解できずにいた。

『成績優秀、スポーツ万能、母親譲りの容姿、そして弟を救った英雄の兄――この〝オプション〟があれば、世間を味方にできる。さらに会社を大きくできると父はお前(・・)を待ち続けた。いままで俺の努力なんてゴミでしかなかった……でも今は違う!』

 弟が何を言っているのか理解できなかった。ただ、病室の仮想空間の中から、狂ったような弟を眺めるしかできずにいた。

『これから俺の時代が来る』

 そう言って弟は病室から去っていく。

 これは現実か? 自分に問いかける。

 あの可愛かった弟も結局はそういう人間だったのだ。いや、そういう人間にしたのは両親、もっといえば自分だったのかもしれない。

 その日から、久遠の見舞いに来る人間はいなくなった。

「――だからね、僕は僕を一人の人間として扱ってくれる渉を気に入ってるんだ」

 そう言って微笑む久遠には、そんな過去を感じさせない明るさがあった。渉は、前向きに生き続ける彼が時々眩しく思えた。

「ベッドの上じゃ御曹司もなにもないからね」

「酷い言い方だけど、全くその通りだよ」

 そう言って二人で笑う。こんな時間がずっと続けばいいと願いながら。

 そんな矢先――久遠がとあるモノを持ってきた。

 名をエデン。

 世界で最初のVRMMOである。

「ゲーム?」

「そう! お医者さんが気晴らしにやってみないかって。結構リアルらしいよ」

 無邪気に喜ぶ久遠を見て、密かな期待を抱く自分もいた。仮想空間で〝冒険〟ができるのは面白そうだなと。

 そして、付き合いで始めたVRに渉は魅了される――それは交流会で体験したまやかしの世界ではなく、全てがとても〝リアル〟だったから。

「久遠……これは……」

 すごい世界だな。ワタルがそう言おうと振り返った時、立ち尽くす久遠の顔が見えた。

 歓喜――それが一番近いように思える。

 しかしその目はギラギラとしており、まるで獲物を見つけた肉食獣のような獰猛さを覚えた。もちろんただの勘違いだと、ワタルは気を取り直して彼に声をかけた。

「久遠。すごいなこれ」

「あぁ……本当にすごい……」

 それから二人は仮想現実の世界を走り回った。

 未知の生物を追いかけ、強敵を倒し、未開の土地に入り、財宝を見つけ――。

 寝るのも忘れて遊んだワタルは、激昂する看護師によって強制的に起こされたのであった。

「まさか夜通し遊んでたんじゃないですよね?」

「そんなまさか……」

 そう言って誤魔化していたが、気分はまだゲーム世界の住民だ。あの世界の自分は馬のように早く走り、鳥のように高く跳び、獅子のように敵を狩っていた。

(今なら――!)

 意気込んでベッドから立ち上がり……しかし動くのは首から上だけで、手足はピクリとも動かない。

 その現実が、ワタルを〝渉〟へと戻した。

 そう、渉は帰ってきてしまったのだ。不自由な現実世界に。

 それから渉が次にログインしたのは、初ログインから三日ほど経ってからであった。





「何してたんだよ? これ見てよ」

 開始早々、ワタルのログインを知った久遠がやって来て、高レベルの武器や防具を見せびらかした。

「すごいだろ! 迷いの森の奥の隠しダンジョンで見つけたんだ。ソロで撃破は世界初だってさ!」

「……」

 ログアウトした後の現実が、ここが〝かりそめの世界〟だと教えてくれた。交流会で見た映像と同じように思えてしまう。

「どうした?」

 首を傾げる久遠。ワタルは首を振った。

「なんでもない」

「そか! なら今日はワタルのレベル上げだな。徹底的に上げて最前線いこうよ」

 そしてまた、二人はダンジョンに潜りまくったが、ワタルは乗り切れずにいた。どこかで冷めてる自分を自覚していたから。

(僕が冒険してるって感覚じゃないな……)

 ログイン時に感じたあの感動はもうない。ただ、〝これはゲームだから〟と割り切れば、それなりに楽しむことはできた。





「何してんだアイツら」

 そんなある日、荒野に続く道の真ん中で、複数のプレイヤーが何かを囲っているのが見えた。

 どうやら行商人らしきNPCを襲っているようだ。その様子をぼんやりと眺めながらワタルが呟く。

「そういえば攻略板に載ってたなぁ、行商人クエの裏技」

 行商人クエとは、行商人をある場所から指定の場所まで護衛するというクエストの略称で、本来なら邪魔するモンスターを倒し続ける主旨のクエストである。

 しかしこの行商人を特定の武器で攻撃すると、アイテムを落とすという裏技が出回っていたのだ。

「そこまでして欲しいアイテムでもないのに」

「……」

「久遠?」

 弾かれるように駆け出す久遠。

 ワタルの声が聞こえていないようだ。

 腰に差した2本のナイフを抜く姿を見て、ワタルは彼のしようとしている事を理解し――遅れて駆け出した。

 プレイヤー達の側まで来ると、久遠の体が青い光に包まれ、そのまま振り上げたナイフが一人の胸を貫いた。

「なんだコイツ!?」

「いきなり攻撃してきやがった!!」

 反射的に武器を構えたプレイヤー達。

「久遠! やめろ!」

 ワタルが叫ぶ――

 しかし、寝る間も惜しんで潜り続けた久遠のレベルに太刀打ちできるプレイヤーは少なく、あっという間に全員PKされてしまった。

 その場に落ちた幾つかのアイテムと、犯罪者を意味する〝赤色の名前〟に変わった友人に、ワタルは諭すような口調で声をかけた。

「何してるんだよ! 確かに気分の良くない行為だけどさ、もっと冷静になれよ」

 行商人は何事もなかったかのように進み続けている。その後ろ姿を久遠は静かに見送っている。

「冷静になれだって? 別に僕は冷静だよ」

 声は確かにいつもの久遠だった。しかしそれが逆に不気味に思えてしまう。

「PKしたら皆が久遠を殺しに来るぞ。町にも入れないし、まともに遊べなくなる」

「だからって犯罪者を野放しになんかできないだろ」

「犯罪者って……」

 NPCを攻撃すること自体は褒められた行為ではないが、ゲーム的には特にお咎めがない。この世界でNPCを殺すことはできないし、そもそもダメージを与えることすらできない。

「じゃあ襲われてるのを見かける度に助けるのか?」

 行商人を指差し諭すワタル。

「当たり前だろ――彼らだって生きてるんだ」

 久遠は真っ直ぐな瞳でワタルを見た。

「彼らの生活を脅かす連中を放置なんかできないだろ?」

「久遠がいくらそういう建前でPKしても、根本的には何も解決してない。そういう人達もいるって割り切って、無視して遊ぶほうがいい」

 ワタルの言葉に久遠は少し動揺した様子を見せ、適当な所に腰掛けると、顔を手で覆った。

 夕焼けの空から太陽が消えてゆく。

 景色が漆黒の闇に変わっていく。

「君はなんで向こうに帰るんだ?」

 絞り出すような掠れた久遠の声。

 向こうという言葉の意味が分からず、しばらく考えたワタルは〝現実〟のことだと思い至る。

「ごめん、連続してゲームすることは許されてないんだ」

「許されてないだって? なんであんな世界の人間に従うの? 僕等の世界はここだろ?」

 震えるような声でそう続ける久遠。

 ワタルには彼の気持ちが理解できた。

「……確かにここは居心地がいいよ。体は自由だし、楽しいよ。それでも本当の体は現実にある。適度に休ませて労る必要がある」

「ログアウトする必要なんてないだろ!」

 声を荒げる久遠。夜の荒野にその声が響く。

 ワタルは真剣な表情を向けた。

「いくらゲーム世界で自由に動けていても、電源が切れれば現実に引き戻される。目を覚ませば、体中に管が繋がれたひ弱な肉体が見える。誰もこない、誰にも必要とされない。僕はそれがたまらなく虚しい……」

 ワタルはこの世界に楽しさ以上の虚しさを感じていた。レベルが上がって強くなって、体が強くなってもそれは全て偽物だ。その刺激は一時的で、麻薬のようなものだと。

「これはゲームなんかじゃない」

 闇の中、久遠がゆっくり立ち上がる。

 その目には明確な敵意が感じられ、ワタルは反射的に剣の柄へと手が伸びていた。

「この世界は現実の裏側にある本当の世界なんだよ。パラレルワールドってやつかな? 僕等は〝本当の世界に戻ってきた〟だけ。これが、これこそが僕の求めていた世界なんだよ」

「それならそれでいい。だけど他の人の遊び方が気に入らないからって殺すのは違う。久遠には久遠の、彼等には彼等の遊び方があるだけだ」

「遊びじゃない。これは現実なんだよ?」

 現実とゲーム世界とが混濁している。

 堂々巡りだとワタルは焦った。かつてここまで久遠と会話が拗れたことはなかったから。

 久遠の現実が厳しいことは理解している。しかし、その境遇とゲームが悪い方向に噛み合ったように思え、ワタルはめげずに説得を続けた。

「久遠。君は永く潜りすぎてる。一緒に帰ろう」

 ワタルが差し出す手を、見つめる久遠。

「僕はもう帰らない」

 フッと、久遠の体が消えたと同時に、ワタルの背中に強い衝撃が走る――

「君なら分かってくれると思ってたのに」

 切なそうなその声を最後に、ワタルの意識は暗転する。その後街で目が覚めると、フレンド欄から「久遠」の名前は消え、現実の連絡先も消されていたのであった。

 



 

 久遠と連絡がつかないまま、時は過ぎていった。

 ワタルは再会を期待し最初の街で待ち続けたが、それらしい人物にはずっと会えていない。

「久遠の方が正しかったのかもしれない……」

 久遠を否定してしまった自分を悔いた。

 彼を失ったことで、ワタルは臆病になった。

 誰かが近付いてくることに気付き、ワタルは反射的に視線を向けた。

「すまない、めにゅー? というのはどうに開くんだ?」

 それは、久遠には似ても似つかぬ初老男性で、始めたばかりの初期装備を付けていた。

 厳格そうな顔に粗末な服が非常にミスマッチである。

「……視界の右下のボタンを意識したら開きます」

 この頃からワタルは敬語を使うようになった。深く相手と関わるつもりがないと、そんな意識の表れだったのかもしれない。

「おお本当だ! ありがとう!」

 男性が差し出す手をワタルは無視した。しかし男性が気を悪くした様子もない。

「私はアルバという者だ。孫と遊ぶために始めたはいいが、連絡を取るにはメニューを開く必要があってな……」

「僕はワタルといいます。お孫さんと楽しく遊べるといいですね。それでは」

 そう言って冷たく去るワタルに手を振って感謝を伝えたアルバは、どう操作を間違ったのか、広場全体に響くような大声で孫の名前を叫び始めた。

「おーーーい!! いるかーーー! じいじが来たぞ!」

 ざわつく広場、アルバを笑う人々と、イタズラしようと近付く人影を見て、慌てて戻ってくるワタル。

「ちょ、ちょっと! 発言先がワールドチャットになってますよ! フレンド機能で会話してください。チュートリアルで習ったでしょう!」

「ちゅーとりあるってなんだい?」

「最初に教わる遊び方の説明です……」

「すまない、聞き流してしまった」

 呆れるようなため息を吐くワタル。

「あの、よかったら慣れるまで教えますけど?」

「本当かい!? 助かるよ」

 ワタルがなぜアルバに声をかけたのか――それは、人との繋がり、久遠との穴を埋めるためだったのかもしれない。

 それからしばらく、初心者アルバにレクチャーしていくうち、ワタルはなし崩し的に一緒に遊ぶようになっていた。

 そして、取り巻く環境がワタルを変えていく。

「お兄さん、固定パーティは組んでいますか? もしなら私と組んでいただけませんか?」

 厳しい親に秘密でゲームを買った、眼鏡の女子大生はフラメと名乗った。

「御仁、手合わせ願えるかな?」

 屈強な戦士のごとき巨漢はガルボと名乗った。

 それから四人は積極的に集まり冒険した。時にアルバの孫を加えてダンジョンに潜ったり、戦利品を眺めながら酒を交わし、現実世界の愚痴をこぼしながら互いを労った。

「ギルド作りません?」

 フラメの思い付きで結成したギルドは思いの外大きくなり、人が増え、活発になるにつれ、ワタルの気持ちに変化が生まれていく。

「偽物の世界か……」

 賑やかになったギルドホームを眺めながら、かつて自分が抱いていた感情を振り返る。

 ここはゲームで、現実の体は今も寝たきりだ。その事実は変わらないし、ここに木戸渉を知る人は一人もいない。でも、ここは皆が対等な立場で会話できる場所で、この環境がかけがえのない物に思えてきていた。

『君なら分かってくれると思ってたのに』

 彼の最後の言葉がこだまする。

 今会えばきっと久遠とも分かり合える――しかしその願いが叶う事はなく、最後まで二人が再会することはなかった。

 




 朝日が差すアリストラス都市外の草原に、ワタルと久遠は対峙していた。

「こんな形で会いたくはなかったな」

 悲しそうに言いながら剣を抜くワタルを見て、全てを悟ったように微笑む久遠。

「なら、また仲良くしようよ」

「できるはずがないだろ!」

 珍しく感情をむき出しに叫ぶワタル。

「お前は僕の仲間達を、罪もないのに殺している」

「罪もないだって? 侵害だな、罪を犯してる人しか殺してないのに」

 そう言ってかぶりを振る久遠。

「なぜ殺したんだ。デスゲーム(この世界)は本当に人が死ぬんだぞ。なぜ、普通のゲームのように簡単に人が殺せるんだ……」

 嘆くようなワタルの言葉を無視するかのように、久遠は虚空を見つめながら人差し指を立てた。

「このデスゲームは、現実でほんのコンマ数秒の出来事だって知ってた?」

 久遠は続ける。

「生きるのに必要なのが睡眠だけってのがその裏付けだよ。だから現実からの干渉もなければ、電源OFFによる集団ログアウト(大量死)もない。だから、仮にここで100年生きても現実の体に影響はないんだよ」

「可能性の話だろう」

「ほぼ確定してる可能性の話だけどね。じゃなきゃ食事も排泄も必要ないっていう説明が付かない」

 そう言いながら久遠はため息を吐く。

「黙ってれば永遠に遊べる世界が、クリアしたら途端に終わる。ログアウトした連中がこの世界を外部から破壊するからね。もちろんその前に僕が止めるけど」

 そう言い放った久遠の表情は、まるで氷のように冷たく鋭いものであった。

「君を殺したくない」

 久遠が説得するような口調で続ける。

 親指と中指をゆっくり擦りながら、ワタルを見つめる久遠。

「僕は〝相手が蘇生するまでの間、殺した相手の力を使う〟ことができるんだ。これだけ説明したら分かるだろ」

 固有スキル『簒奪者』

 殺した相手プレイヤーの固有スキルを一時的に使うことができる。相手が蘇生すると、その能力は使えなくなる――異色なそのスキルは、ことデスゲームにおいて破格の性能を誇る。

「制約なしのスキルか」

「これのお陰で、いろんな固有スキルを同時に使える。例えば、指を鳴らすと同時に自分の魔力の2倍のダメージを相手に与えることだってできる。不可視で不可避の弾丸だ」

 久遠は悲しげな表情で続けた。

「どうして渉はそっち側なの? eternityの事件が世に知られれば、こんな素晴らしい世界は二度と産まれないかもしれない。VRもきっと規制されてしまう。そしたら僕等はまた病院のベッドの上で、飛べない鳥のように空を眺めるだけの毎日じゃないか」

「僕等はそうかもしれない。でも、大半の人はそうじゃない」

 楽しそうに孫を自慢するアルバの姿が、

 酔いながら親のことを愚痴るフラメの姿が、

 戦った相手を褒め称えるガルボの姿が、

 仲間達との日々が走馬灯のように流れる。

「彼等を待っている人達がいる。やるべきことがある。譲れない目的がクリアの先にあるから、皆命をかけて最前線を目指すんだ――僕はその想いを尊重する」

 剣先を久遠に向けると、頬から一筋の涙が流れた。

「終わりにしよう」

「……」

 ただ佇む久遠を見て、ワタルは覚悟を決めた――かつての友人を斬る覚悟を。


「いた! あそこ!」


 遠くから駆けてくるマグネとルミアに、ワタルが一瞬気を取られたのを久遠は見逃さなかった。

「ごめん」

 そう呟きながら指を鳴らし――反射的にワタルが剣を振るうタイミングと、重なった。

 久遠の見えない弾丸が真っ二つに裂ける。

 ワタルの背後で二つの爆発が起きると、久遠の表情が初めて曇った。

「あれを斬った……?」

 爆風に揺られボロマントが靡く。

 ワタルは剣を振り抜いたまま、鋭い眼光を久遠に向けていた。

「謝るのは僕のほうだ」

 剣を払うようにしてワタルが続ける。

「君を殺すために、僕は魂を売った」

 そう言いながらワタルは自分のレベルを開示した。

 ワタル Lv.100

「……はは……」

 あり得ない、と呟く久遠。

 ワタルの剣に光が集まる!

「『天罰の剣ダムネイション・ソード』」

 久遠の右肩から斜めに走ったその斬撃は、彼を真っ二つにしてもなお、凄まじい威力で地平線の彼方を抉って進んだ!

「!」

 マグネとルミアが驚愕の表情を浮かべる。

 久遠の不気味な笑い声が響いた。

「は、は、は、は、は!!」

 剣を振り抜いたワタルは動かない。

 久遠の上半身がボトリと地面に落ちるも、彼の笑い声は止まらない。LPがみるみる減ってゆき、10%を割ってもなお減り続けている。

「地獄で会おうな、親友」

 意味深な言葉を残し久遠が消えた――すなわち、死んだ。

 辺りが静寂に包まれる。

「たお、した……?」

 なんとも呆気ない幕引きだ。

 苦戦必至だと思っていたルミアは、気が抜けたようにその場にへたり込んだ。

 ワタルが殺人を犯したことになのか、久遠が死んだことになのか、複雑な気持ちで涙を流すマグネ。

 しかし、その静寂も長くは続かなかった。


「捕えろ!!」


 城門の警備にあたっていた番兵NPCが列を成して駆けてくる。そして、何十本もの槍がワタルの方へと向けられた。

 突如――ワタルの体に無数の鎖が絡まった。

 その鎖はまるで地獄から伸びているかのような、赤黒い色の穴から現れていた。顔部分を残して鎖で巻かれるワタルに抵抗する様子はない。

「え……え!? どうして!?」

 パニックになるマグネとルミア。

 番兵は淡々とした口調で続けた。

「殺人罪には最も重い罰が課せられる! 貴様を〝へルバス地下牢獄〟に送りつける!」

「待ってよ! 相手は大量殺人鬼だよ!? なんでワタルさんの方が罪になるの!?」

 激昂するマグネに番兵は機械的に答える。

「善良な民を殺したら当然牢獄行きだ」

「善良って、何言ってんのよ! 意味わかんない!」

 掴みかかるマグネにも番兵は動じない。

 番兵達に囲まれながら黙ってそれを聞いていたワタルが、沈むようにして地面に飲み込まれていく。

「嘘、嘘ですよね……牢獄なんて誰も帰ってこれない場所じゃないですか……なんで……?」

 呟くルミアの声にもワタルは反応しない。

 じゃらじゃらと鎖が音を立てて巻きついていく。

 ルミアは番兵達を押し除けてワタルの名を叫んだ。

「ワタルさん! マスターぁぁぁああ!!」

 ワタルの寂しそうな瞳がルミアを捉え、鎖が全てを飲み込む。いくつもの手が鎖を掴むように現れ、地面に引き摺り込んでいった。

 無表情の番兵達が去っていく中、マグネとルミアは呆然とした様子で立ち竦んでいた。





 修太郎に異変が起きたのは、50階を過ぎた頃だった。

「辞めさせるべきだと思っていたけど……」

 不安そうに呟くバートランドを他所に、セオドールは食い入るように修太郎を見守っていた。

 狼、大猿、怪鳥の霊獣を相手取りながら素早く立ち回る修太郎。30階の頃からLPが簡単に50%を割るようになっていたが、それは、相手が格上になっているのを表していた。

「分かるか……?」

「あァ。明らかに強くなってきてる」

 敵も、だが、修太郎はそれ以上だった。

 格上を相手にし始めてから、修太郎はピンチに陥りながらも、動きが洗練され攻撃も鋭く、感覚が研ぎ澄まされている。

 狼の牙を避けつつ首筋に一太刀浴びせ、飛翔し怪鳥の足を掴むと、追ってきた大猿に怪鳥を投げ付け、三匹が絡まるように激突した。

「『落竜剣』」

 剣に眩い赤の光を蓄えながら、大きな砂煙の中へと急転直下――ズバン!と、凄まじい斬撃音と共に、霊獣達は光の屑になり消え去った。

 スタッと、軽やかに着地を決める修太郎。体捌きは既に達人の域に達している。

「あ、レベルアップだ」

 記念すべき120(カンスト)である。

 ヴンという音と共に、目の前にウィンドウが現れた。呆気に取られつつも、修太郎はそれに目を通していく。

『おめでとうございます。あなたはeternityで最初に最大レベルに到達しました。人智を超えたあなたの技で倒せない敵はもういないでしょう』

 本来なら長い時間をかけて攻略されていく過程で現れるメッセージのはずだ。そんな運営側の想定を裏切り、反則級のレベル上げをした修太郎には当然、なんの感動も湧かなかった。

『あなたは職業ランクも最大です。素晴らしい。このゲームを楽しんでくれてどうもありがとうございます』

 いつ、誰が用意したメッセージなのかわからない。まるでここがただのゲームかのような気の抜けた文章である。修太郎は無言でそれをスライドさせていく。

『以下の報酬が受け取れます:

○固有スキル「成長補正・極み」※レベル最大報酬

○固有スキル「弱肉強食」※職業ランク最大報酬

○転生の権利※レベル最大報酬』

 報酬を受け取ると修太郎の体が淡く発光し、スキル詳細が表示される。

『弱肉強食:一定の確率で、倒した相手を使役できる場合がある』

 弱肉強食は今後大いに活躍できそうなスキルだ。天使と戦う上で戦力は多い方がいいし、塔の霊獣達にも有効なら、なおさら都合がいい。どれもカムイ・セムイくらいの戦闘能力はあるからだ。

 そしてもう一つ、

『成長補正・極み:獲得経験値量300%増加。成長ポイント数20%増加』

(なんでこのスキルが……)

 先ほどレベル最大になったばかりなのに、なぜ成長補正なんだと疑問に思う修太郎。以降はレベルも上がらないから、成長ポイントも関係ない。

 しかし三つ目の報酬内容を見て、スキルを得た意味を理解した。

『転生の権利:レベル1に戻して再成長が可能となる。スキルのレベルは引き継がれる』

 いわゆる強くてニューゲームというやつだ。

 ステータスはリセットされるが、レベル1から最上級職業+成長補正でのボーナスが加わるため、再び120に到達すれば、今よりもはるかに強くなれるだろう。

「二人とも、ちょっといい?」

 修太郎は魔王二人にそのことを相談した。

「確かに魅力的ですね」

 バートランドは迷わずそう答える。

「レベル上げにまた時間はかかりますが、成長補正が俺のスキルと一緒に使えるなら、やらない手はないです」

「俺も同意見だ」

「そうだよね。強くなるためには絶対やるべきだと思う」

 二人から同意が得られたのを踏まえた上で、修太郎は更に続けた。

「転生はする。でもこのまま進む」

「そりゃ無茶ですよ!」

 バートランドが声を荒げる。

 先ほどの霊獣達は、レベル119の修太郎がLPを半分以下に減らしながら倒している。次の階には更に強い霊獣が待っているのだ。それをレベル1で攻略するなど自殺行為も甚だしい。

(興奮している訳でもなさそうだなァ……)

 紙一重の攻防、連戦に次ぐ連戦によって修太郎が興奮状態にあると推測したバートランド。いわゆるアドレナリンが分泌された状態というべきか。しかし、修太郎は普段よりも落ち着いているようにすら思えた。

 修太郎は手のひらを力強く握り、二人を見る。

「一撃受けたら死ぬかもしれない緊張感――この緊張感があれば僕はもっと強くなれる。きっとその強さは、ただレベルを上げるだけじゃ手に入らない」

 修太郎が求めるは格上との紙一重の勝負。それは、天使を相手にする上で必要不可欠な経験だ。

 魔王二人は顔を見合わせ、小さく頷いた。

「ま、俺達はそのためにいますからね」

「危ない局面では援護させてもらう。それでいいか?」

 二人もそれを理解しているようだった。

 修太郎はホッとしたように笑顔を見せた。





 階段を登り終えた修太郎に、青と緑の光が降り注ぐ。周囲を巨大なステンドガラスがぐるりと囲み、天井は先が霞んで見えないほど高い。

 玉座には白色の人が座っており、修太郎を見下ろしている。

「主様。あれは……」

「うん、わかってる。あれは天使じゃない」

 セオドールの言葉を修太郎が遮る。

 見た目は天使に酷似しているが、あれも今まで倒してきた霊獣の一匹に過ぎないことを修太郎は察していた。

 剣を抜き、ゆっくりと近付くと、白色の人もゆっくり立ち上がる。

 7メートルはあろうかという巨体のそれは、額にある1つの目玉をぐるりと動かし、修太郎を見下ろした。

 白夜の王:Lv.120

 白夜の王が手をかざすと、光を凝縮したような十字架の剣が現れた! それを掴むなり、修太郎目掛けて一気に振り下ろす!

「主様!!」

 バートランドの絶叫がこだまする。しかし、修太郎は白夜の王の懐に飛び込んでいた!

「『乱れ吹雪』」

 目にも止まらぬ連続突きも、レベル1ではほとんどダメージが通らない。

 白夜の王が光の雨を降らせ、修太郎はそれを紙一重で避けていく。そして魔法が終わる刹那の隙を突き、再び斬撃を浴びせる――もちろん与えられるダメージは微々たるものだ。

 あと何千、何万回これを繰り返せばいい?

 その間、一度でも攻撃を喰らえば死ぬ。

 それでも修太郎は一心不乱に攻撃を当て続けた。

(ショウキチ達はこんな気持ちだったのかな……)

 鍛えてきたもの、信じてきたものが通用しない中でも、彼らは諦めずに戦ったのだ。

 数百の剣が周りを取り囲んでも、高出力の光の柱が迫り上がっても、修太郎は全て見えているように避け続けた。そして剣を振るい、毛ほどもないダメージを与え続けた。

 ――どれほどの時が過ぎただろうか。

 無謀な攻防に幕が降りた。

「……」

 けたたましいレベルアップの音と共に、白夜の王が崩れ落ちる。

 修太郎はほんの1%もダメージを負っていなかった。永遠とも思える時間、少しのミスも犯さず、修太郎は一人の力で成し遂げたのだ。

「……!」

 セオドールは言葉を発せずにいた。

 白夜の王から得た経験値で、修太郎のレベルは95にまで一気に上がっている。

 それだけではない。修太郎が纏うオーラは既に120に到達した時(前回)を超えていた。

「開花した……」

 生唾を飲み込みながら、バートランドはそう確信した。

 一撃受ければ死ぬという状況下、攻撃もほとんど通らない相手を、魔王達から援護も受けず倒し切ったのだ。

 まさにそれは――武の境地。

「次に進もう」

 修太郎はそれだけ呟き、ゆっくりと階段を登りはじめる。真の強さを手にした自分に酔うこともなく、まだまだ上を目指していた。

 魔王二人は修太郎がどこまで強くなるのか、もはや見当がつかなくなっていた。

 ただ分かるのは、主が魔王達の領域に足を踏み入れたということ。そして、おそらくそれも通過点に過ぎないということだった。

 




『おーい何してんだケットルー!』

『もぉいつまで寝てるのよ』

『お腹だしたら風邪ひくよー?』

 闇の中から声がする。

 大好きだった、もういない人達。

『ケットルがいないとショウキチが煩いからよぉ』

『ほら、寝癖ついてるわ』

 人型に光る五人のシルエット。

 五人はゆっくりと闇の奥へと消えてゆく。

(待って!)

 叫び、そして走り出す。

 バシャバシャと水に足が取られ、懸命に走っても足がもつれて追い付けない。

 その間も五人は奥へ奥へと消えてゆき、遂には自分一人だけが闇の中に残された。

 膝から崩れ落ちると、地面がぐにゃりと変形し、体がずぶずぶと沈んでいく。

(私もそっちに……)

 なぜ自分だけが生きているのか。

 何度もそれを考えた。

『殺セナイナラ、閉ジ込メテオケ』

 蠱毒のような空間で、無数のモンスター達に嬲られ、痛みや苦しみも麻痺し、それでも終わらない地獄が続く――LPを捧げて発動するペインフレアを使っても、ケットルは何故か死ねなかった。

 それが天使が彼女を殺せず隔離した理由。

 朧げながらケットルの記憶が蘇る。

『お前だけは俺が守るから』

 そう言って手をかざしたショウキチは、何かのスキルを使っていた。かつて飲みの席で、酔った誠が固有スキルを公開した時も、ショウキチは頑として教えてはくれなかった。

『人に知られたらダメなやつなんだよ』

『勿体ぶってないで見せてよ!』

『ダメったらダメだって!』

 今ならわかる、その意味が。

 モンスターに嬲られても、自分の炎に焼かれても死ねない理由……それはショウキチの固有スキル《英雄の守護》によるものだった。

(英雄の守護……)

 闇の中、底のない水に落ちていくような感覚を抱きながら、ケットルはスキル概要を思い出す。


 英雄の守護――自身のLPが0になる時、一人を対象にして発動する。自身が近くの街で蘇るまで、指定した対象のLPを1で留める。


 仲間がピンチになった時、侵攻から修太郎を庇おうとした時も、これを使おうとしていたのかもしれないと、ケットルは思い返していた。

 当然、こんなスキルが外部に漏れればショウキチは命のストックとして利用される。だから彼は誰にも打ち明けずケットルに使ったのだ。

(最初は嬉しかったんだ)

 地獄の中で、ショウキチに守られているという状況だけがケットルの精神を繋ぎ止めていた。

 しかし、地獄にいる時間があまりにも長すぎた。

 痛みや恐怖はずっと残り、楽になりたくてもなれない苦しさ。ケットルはこれが次第に〝呪い〟に思え、ショウキチへの〝恨み〟まで抱くようになり、自分を責めた。

(死んだ方がマシだと思った)

 それでも奇跡は起こった。

 修太郎達が助けに来てくれた。

(それでも皆は帰ってこない)

 膝を抱え、水の底に落ちてゆく。

 闇の中で誰かの手が肩を掴んだ。

 はるか先で微かに光が漏れ、ケットルの意識は引き上げられた。


「大丈夫か?」

 ケットルが目を覚ますと、そこは豪華な城の一室だった。

「ここは……」

 ずいぶん長い間眠っていたように思え、覚醒しきらない頭であたりを見渡した。

 寄り添うように銀髪の女性が座っており、心配そうに覗き込んでいるのが見える。テーブルには料理が並べられ、他に人の姿はなかった。

「あっ……」

 フラッシュバックのように光景が蘇る。

 驚愕する人々、怒号、悲鳴、憎悪。

 私はここで色々な人を傷付けた。

「もう誰も怒っていない。大丈夫だ」

 銀髪の女性が優しく頭を撫でてくれる。

 どこかで見たようなその女性――再びフラッシュバックのように、頭の中に断片的に映像が流れてくる。自分は確かに、この女性に会ったことがある。それどころか、一緒に冒険をしていたような……。

「シル……ヴィア……?」

 口から出たのは、あの可愛い子犬の名前。

 そんなわけがないと頭で思っていても、そうとしか思えない矛盾。

 女性は少しだけ嬉しそうに頷いた。

 じわり、と、涙が込み上げる。

「ごめん……なさい……」

「もう謝るな。ここに敵はいない」

 シルヴィアは再び彼女の頭を撫でた。

 しばらく嗚咽が続き、ようやく落ち着きを取り戻すと、ケットルはゆっくり体を起こした。

 白を基調とした広い空間は、城の中というよりも塔のてっぺんと表現すべきか。ドーム状の屋根を白の柱が支えており、大理石に似た床が外の光を反射し輝いていた。

 自身が眠っていた窓際から外を眺めると、眼下には広大な土地に栄える国が広がっていた。桃色と青の鳥が群れて飛んでいる。遠くには美しい湖と森、滝も見える。

 太陽と思しき光は巨大な宝石らしく、目を凝らすと六角形が回っているのが見えた。それを守るかのように、赤色の竜が空を優雅に泳いでいた。

「ここ、修太郎君の国なの……?」

「そうだ。全て主様自ら造られた」

「そっか。とても綺麗だね……」

 修太郎が只者でないことは、シルヴィアとセオドールの強さを見れば誰だって分かる。その生い立ちに想像はつかないが、今、彼に守られているのは間違いない。

 賑やかな商店街を見れば、多種多様な種族が暮らしていることが分かる。皆、活気に溢れ、幸せに暮らしているのが伝わってくる。

「……」

 この国を歩いたら気分が紛れるかもしれない――そう思いながらも、口には出せなかった。自分はこの国の民を傷付けてしまったから。

「散歩にでも出ようか?」

 だから、シルヴィアの言葉にハッとなった。

「私にそんな資格……」

「資格など知らん。気になるなら直接謝ればいいさ。ここの民はきっとお前を受け入れてくれるよ」

 さあ、と、促されるがまま手を取るケットル。

 床に自分の姿が映った。

 目は濁り、髪は乱れ、装備が消えている。

 非常に見窄らしく、今の自分に相応しいとさえ感じた。




 レジウリアは本当に美しい国だった。

 先導するシルヴィアに手を引かれながら、自然と文明が調和した街並みに目を奪われるケットル。

「綺麗……」

「……そうだな」

 シルヴィアもどこか誇らしそうだ。

 商店街を進むと、ケットルに好奇の目が集まった。そこには少なからず恐怖や嫌悪、哀れみや拒絶といった感情が含まれていた。

「……ごめんなさい」

 か細い声が漏れる。

 群衆の中から一人の少女が前に出ると、無言でケットルに何かを差し出した。

 それは可愛らしい服であった。

「えっ……」

「これ、私が作ったんだ」

 着て見せてと、はにかむその少女は、ケットルの攻撃に遭った蜘蛛女(アラクネ)の少女であった。

 言われるがまま、ケットルがその服に身を包むと、少女は満足そうに頷いた。

 ケットルの頬に涙が伝う。

 自分の弱さが嫌で嫌でたまらない。

「ごめんなさい」

 叫ぶようにそう彼女が言うと、アラクネの少女は優しく抱きしめ、涙を拭いて微笑んだ。

「レジウリアへようこそ」

 少女の言葉を合図に、周りの民達が沸く。

 主様のお客様だー! などと騒ぐ民達に呆気に取られるケットルに、シルヴィアは苦笑しながら声をかける。

「言っただろう。もう誰も怒っていないと」

 修太郎の温かい人間性が、レジウリア民の人間性をも育んでいた。ケットルは涙を流しながら、ようやく笑顔を見せたのだった。




 

 ケットルが城に戻って食事をしていると、何かに反応したシルヴィアが素早く傅いた。

 空間がぐにゃりと歪み、誰かが出てくる。

 紛れもなくそれは修太郎だった。

「しゅ……!」

 声を掛けようとして、思わず息を呑んだ。

 その姿は間違いなく修太郎――しかし、雰囲気が明らかに違っているのが分かった。

「おー久しぶりのロス・マオラ」

「時間の感覚が分からんな……」

 魔王二人も戻ってくるが、二人の雰囲気は以前のものと変わらない。修太郎だけが明らかに変わっていた。何がとは言えないが、何かが変わっている。ケットルは漠然とそう確信していた。

「おぉ主様……なんという力強さ……」

 恍惚の表情を浮かべるシルヴィア。彼女には具体的な強さが見えていた。

「ええと、さっきぶり? 久しぶり?」

 そう言って苦笑する修太郎は、ケットルに視線を向け小さく微笑んだ。

「気が付いたんだね。良かった」

「あ、うん……お陰様で……」

「シルヴィアも見てくれてありがとう。安心して任せられたよ」

「勿体なきお言葉!」

 元気に尻尾を振るシルヴィアの頭を撫でながら、再び空間に穴を作る修太郎。

「ま、待って! どこに行くの……?」

「最前線に行こうと思ってるよ。ゲームを終わらせたいからね」

 ゲームを終わらせる――修太郎が言うとこうも説得力が生まれるのかと感じたケットルだったが、それには避けては通れない相手がいる。

「危ないよ……天使だっているんだよ?」

 ラオや怜蘭達でも歯が立たなかった最悪の敵。修太郎が強くなったことは見れば分かるが、実力が離れすぎているケットルにとって、どちらが強いかなんて分からなかった。

 修太郎は笑顔を崩さずそれに答える。

「大丈夫。もう、天使だって殺せるから」

 背筋が凍るような感覚。ケットルは頼もしさよりも、底知れぬ恐ろしさを覚えた。

 修太郎は変わってしまった。

 変えたのは――天使だ。

「私も行きたい」

 ケットルは迷わず答えた。

「今の最前線までなら多分……足引っ張らずに済むから」

 ケットルのレベルは78。

 モンスターを焼き続けた彼女のレベルもまた、他のプレイヤーと一線を博していた。

「……シルヴィアはどう思う?」

「そうですね――」

 レジウリアの住民に囲まれても今は安定しているが、敵意を持ったモンスターに囲まれればどうなるか分からない。シルヴィアがそう伝えると、修太郎は小さく頷いた。

「分かった。なら最前線組が攻略してるソーン鉱山までに二つのエリアがあるから、そこで慣らしていこう」

 それでいいかな? と尋ねる修太郎に、ケットルは力強く頷いてみせた。

「装備は――防具はいいのがあるみたいだね」

 そう言いながら、ケットルの服に目を落とす修太郎。そして視線を移すと、セオドールは分かっていたかのように頷いた。

「武器はこれを使うといい」

 それは赤色の宝石が輝く金の杖だった。

 受け取るのを躊躇しているケットルに対し、セオドールは僅かに微笑み続ける。

「前の杖よりも良い物とはいかないがな」

「あ、いやそんなことは……!」

 前の杖は、ネグルスを倒した時に修太郎がくれた素材で作成した思い出の品だ。もちろん愛着はあったが、そんな言い方をされると受け取らない訳にいかなくなった。

 持ってみると非常に手に馴染んだが、ひどく重い――しかし、これが材質の重さではない事をケットルは理解していた。

「大丈夫だ」

 そう言ってシルヴィアが肩に手を添えると、体の緊張がほぐれていくような気がした。不思議と杖の重さは感じなくなっていた。

 そのやり取りを見ていたセオドールは、

「主様の護衛、俺と代わってくれるか?」

 と、ケットルに視線を向けた後、シルヴィアを見た。

「戦いに向けて住民に装備を作ってやらねらばならんからな」

「う、うん、そうだな」

 そう言ったのは建前で、本音はシルヴィアをケットルに同行させたかっただけ。修太郎はそれに気付いていたから、そのやり取りをニコニコしながら聞き流していた。

「じゃあ行こっか!」

「うん!」

 修太郎とケットルは穴の中に進み、シルヴィアとバートランドが後に続く。残されたセオドールは何かを考えるようにレジウリアを見下ろしたのだった。





 サンドラス甲鉄城は、慌ただしい空気に包まれていた。原因はもちろんミサキが発生させたグランドクエストによるものだ。

「いくつかグループを作って採取に向かおう!」

「急いですぐ集まる量じゃないぞ……」

「最前線組を呼び戻すべきじゃないか?」

 ざわつくギルド内――とはいえ、いつまで続くか分からない復興作業に終わる目処が立ったのだ、当然皆の表情は明るかった。

「ミサキさんは本当に色々もうなんと言うか……」

「あはは。運が良かったんですよ」

 感激するフラメに抱きしめられながら微笑むミサキ。そして、採掘部隊を割り振っていたアルバの元へ嬉しい知らせが届く。

「皆! ソーン鉱山を攻略した知らせが届いた!」

「昨日の今日なのに!? すごい!!」

 歓喜の声に包まれるギルド内。

 グランドクエストの達成目標アイテムの一つ〝ソーン結晶鉱石〟も入手済みへと変わっていた。

「鉱山の先は予想通り新しい拠点があったらしい! ここを復興させればかなり前進したことになるぞ!」

 わぁッと、更に大きな歓声が上がった。

「あとは人海戦術で鉱石集めしたら終わるじゃん!」

「最前線組も戻ってきたら数日で終わるよ!」

 士気が最高潮まで上がってきたその時だった。

 ギルドの扉がギィと開き、四つの人影が入ってきた。

「!?」

 先ほどの騒ぎ声が嘘のように、物音ひとつ消えていた――その四人組の雰囲気が明らかに異様だったから。

 皆が一様に息を呑む中で、弾かれたように走り出す者がいた。

「修太郎さん!」

 走り寄るミサキを見るなり、修太郎は嬉しそうに微笑んだ。ミサキの右手からプニ夫が飛び出し修太郎の腕の中に飛び込む。

「ケットル君!」

「ケットルちゃん!!」

 アルバとフラメも駆け寄ってくる。

 ケットルはぎこちない笑みを浮かべた。

「遅くなってごめんね。エリア攻略してたら遅れちゃった」

「エリア攻略、ですか?」

「うん。ケットルのほら、状態を見たくてさ」

 そこまで聞いてミサキは「そういう事か」と理解する。食事の席のように彼女の精神が不安定な限りは、パーティに復帰することは困難だろう。

「でも問題なかったよ」

 それを聞いて安心したのはミサキだけではない。隣にいたバンピーもまた、口には出さなかったが心中で胸を撫で下ろした。

「君は確か修太郎君だったね。色々話は伺ってるよ」

 そう言うなり――アルバとフラメはあろうことか、修太郎に向けて跪いたのだ。

 修太郎が誰なのかを探っていたプレイヤー達は、二人の行動にどよめき声をあげる。

「二度の侵攻から我々を救って下さり、本当にありがとうございました。我々が今日を迎えられたのも、あなた方のお陰です」

 どういう事だと困惑する群衆の中、怖いもの知らずのプレイヤーが質問する。

「待ってくれよ、二度の侵攻って?」

「一度目はキングゴブリン。二度目はサンドラスを襲った大規模侵攻の事です」

 神妙そうにミサキが答えると、群衆は更に大きくどよめいた。と同時に、何人かが疑問の声を上げる。

「本当に? 騙されてるんじゃないのか?」

「直接見たわけでもないからなぁ」

「洗脳系スキルかもしれないぞ……?」

「次代の紋章マスターにするための演出なんじゃないのか?」

 陰謀論を持ち出す者まで出る始末だが、修太郎の輝かしい功績を考えれば仕方のないことだった。なにせ、紋章ギルドの精鋭が壊滅しかけた最初の侵攻、そして最前線プレイヤーが壊滅しかけた二度目の侵攻を、プレイヤー一人の力で解決した……なんて、あまりにも現実離れしている。

 おまけに相手はまだ子供。

 なにか裏があると考える者は多かった。

「主様」

 凛とした声が、不穏な空気を消し去る。

 ズイと前に出たのは白い少女――バンピー。

 海が割れるように群衆が道を作り、悠然とその前を歩いてゆくバンピーは、アルバとフラメの間を抜け、修太郎の前で傅いた。

「お待ちしておりました」

 その行動に殆どの者がギョッとした。

 先の侵攻でサンドラスを救った英雄の一人にして、正体不明の少女。ミサキと関わりがあるというだけで、彼女の素性については誰も知らない。

 ただ、全員の恩人だという認識があった。

 その少女が傅いている。

 その意味を、ようやく誰もが理解する。

 直後――全員が修太郎に跪いていた。

「ありがとう!」「ありがとうございます!」「本当に助かりました」「バンピー姉様の主ってあの人なのか……」「救世主様!」

 ここにいる者は皆、バンピーとセオドールによって直接的に助けられている。バンピーが付き従う様を見れば、もはや疑う余地はない。

 謎が今、解き明かされた。

 目の前にいるこの少年こそが救世主だったのだと。

「全プレイヤーの命の恩人です」

 涙ぐむフラメの言葉に、修太郎は寂しそうな口調で答えた。

「全プレイヤーじゃないです。救えなかった命がいくつもありました……」

 ショウキチ、キョウコ、バーバラ、怜蘭、ラオ、K、キイチ、ヨシノ――かつての仲間達の顔が浮かんでは消え、修太郎は強く唇を噛んだ。

 ケットルは静かに涙を流している。

「侵攻よりも遥かに危険な者がいます」

 群衆に目を向け修太郎が続ける。

天使達(奴ら)を殺す。僕はそのために来ました」

 強い決意の言葉を述べながら、修太郎はミサキに視線を移す。

「僕等だけでグランドクエストもなんとかなると思う。念の為ミサキさんも着いてきてくれる?」

「あ、はい! もちろんです」

「ま、待ってください。手伝いは不要ってことですか……?」

 慌てた様子でフラメがそう尋ねると、修太郎は微笑みながら軽い口調で答えた。

「はい。ミサキさんに視てもらいながら僕等だけでやるつもりです。むしろ他のプレイヤーがいると〝危険〟なので」

「破壊して周るにしても、ソーン鉱石には厄介な特性がありますよ……?」

 修太郎は笑顔を崩さずそれに答える。

「それも織り込み済みです。皆さんにやっていただきたいのは、なるべく大勢にこのグランドクエストを受注してもらうことと、クエスト達成までソーン鉱山への立ち入りを禁止してもらうことです。お願いできますか?」

 クエストを受注させるという意図は、戦力としてではなく、なるべく大勢に報酬が渡るための考慮――つまり、本当に彼等は少数でグランドクエストを達成できるのだと、フラメはそう確信した。

「分かった。なるべく大勢に通達しておこう」

 アルバの言葉に修太郎が頷く。

「なら早速行こっか」

 踵を返す修太郎にミサキが尋ねる。

「あ、エリア解放はやってありますか?」

「うん。塔と迷宮はさっきクリアしてきたから」

「なら良かったです!」

 去っていく修太郎達を呆然と見送る群衆達。

 何気ない会話だったが、通常ワンパーティ(6人)に満たない人数でシオラ大塔とセルー大迷宮は踏破できない。普通はレイドを組んで何度も試行錯誤を繰り返し、ようやく攻略できるというもの。

「今のってマジ?」

「あんまり考えるのやめとこ……」

「おい、さっさと寝てる奴を起こしてクエスト受けさせるぞ!」

 再び慌ただしくなったギルド内。

 窓の外から朝の日差しが差し込んでいた。





 ソーン鉱山に着き、プレイヤーがいない事をミサキが確認すると、ケットルが前へと出た。

「あの……」

 心配そうに見つめるミサキは、ケットルの体が炎に包まれるのを見た――それは紛れもなく、レジウリアで見たあの強力な魔法だった。

 体に纏った炎がうねりを上げ、ケットルのLPはみるみるうちに10%を割っている。

 ケットルに気付いたモンスター達が飛び掛かってくるも、彼女に抵抗する様子はない。モンスターは彼女の炎に炙られ、絶叫する間もなく消し炭に変わった。

「LPが1%から減らない……」

 落ち着き払っている修太郎の様子から、何か理由があるのだと黙っていたミサキ。どうやらこの魔法は〝術者の命までは奪わない〟性質を持っているようだと、ミサキは誤認していた。

「ショウキチがケットルを守ってるんだ」

「えっ?」

 修太郎の言葉を聞いて再びケットルに視線を戻したミサキは、炎の中に、少年の姿を見た気がした――。

「いくよ、ショウキチ」

 燃え盛るケットルが炎を操り、周囲のソーン鉱石を砕いていく。もちろん毒が発生するが、彼女のLPは1%から動くことはない。

 不死身――ミサキはようやくケットルの本質を理解した。

 その時、ケットルの体に変化が起きる。

 彼女の視界に黄金色の画面が表示された。

「転職……?」

 それはある一定の状況下でのみ発生する、エクストラジョブへの転職招待であった。


 職業:紅蓮の魔人(出現条件:LP5%以下の状態で反動ダメージのある火属性魔法を使い敵を三千体倒す)


 固有スキル:炎の体(炎属性魔法威力40%アップ。あらゆる炎ダメージを受けなくなり、炎を取り込み回復することもできる。魔力が続く限り、物理攻撃を無効化する)


 地獄の経験が彼女をさらに強くした。デスゲーム下では絶対に達成できない条件を、ショウキチがクリアさせたのだ。

 ケットルの髪色が燃えるような緋色に、

 ケットルの炎が妖艶な女性のシルエットに変わると、まるで炎に意思が生まれたように、周囲の鉱石・モンスターを自発的に壊してまわっている。

「痛くない……」

 ペインフレアを使う度、膿んだような痛みが体を貫いていた。しかし今はどうだ。痛みはもちろん自傷ダメージも消え、LPが常に回復され続けているではないか。

 鉱石の毒よりも回復量の方が遥かに多い。

「先に進めってこと……?」

 職業固有スキルの効果により、ペインフレアを使い続ける限り、攻撃・防御・回復全て自分の力で賄うことができる。自分に足りなかったものが補われ、ケットルはそれがショウキチ達からのメッセージに思えてならなかった。

 完全に自信を取り戻したケットル。

 その姿に修太郎は安堵の表情を浮かべる。

「ケットルはもう大丈夫だね」

「そう……みたいですね……」

 ミサキの頬を涙が伝う。

 ミサキは自分の涙の理由が分からなかった。





「――おいそこの」

 時間はバートランドとワタルの邂逅まで遡る。

 カロア城下町の防衛を任されていたバートランドは、一人でうろつくボロマントに声をかけた。

「しばらく外は危険区域だ。家に戻りな」

「……」

 ワタルはバートランドを一目見て〝はるか格上〟であると直感し、なりふり構わず詰め寄った。

「僕を鍛えてくれませんか」

 この時点でワタルは久遠の存在に気付き始めていた。しかしPKとして台頭していないことに違和感を覚え、ある結論に至る。

〝AIが彼の殺人を肯定している可能性〟だ。

 かつて猛威を振るった解放者という非道のPKは、直接的に手を下さないことでカルマ値を操作し、セーフティ内で活動していた。それを討ったのがラオと怜蘭――しかし二人のカルマ値がマイナスに振り切れることもなかった。

 これは、AIがその殺人に〝正当性〟があったかを判断しているからだと言われていた。

 久遠はこの世界こそ〝本当の世界〟だと認識し、この世界を壊そうとする者を止める目的で殺人を犯す――AIは彼の殺人をどう判断するだろうか。

 カルマ値が減らなければPKとして目立つことも、セーフティ外で活動する必要もなくなる。エデンでの彼を知るに、相当な力が無ければ止めることはできない。

 唐突なお願いだったこともあり、バートランドは鬱陶しいと言わんばかりに顔を顰めてシッシとやった。

「俺ァ忙しいんだよ」

「お願いします。殺さなきゃならない人がいるんです」

 鬼気迫る様子のワタルを「付き合う筋合いはない」と冷たくあしらうバートランド。


「その男、利用価値があるかもしれません」

 

 そう言って降りてきたのがエルロードだ。

 バートランドは訝しげに彼を見た。

「利用価値だァ?」

「私の計画の駒にできます」

 私の(・・)という言葉に引っ掛かりを覚えたバートランドは、ピクリと眉を寄せた。

「〝主様〟がそうしろと仰ったのか?」

「いえ、私個人の判断です」

「なら従う理由はねェよ。そもそも主様に伝えずに動くのは命令違反じゃねェか」

「……」

 意志が固いと判断したのか、エルロードは観念したように耳打ちした。

「主様に知らせるわけには参りません。なぜなら――」

「!」

 耳を疑う様な内容に、バートランドは一層顔を顰めてエルロードを睨んだ。

「……そんな事になるのか? 本当に」

「今は、恐らくとしか言えません」

「そうか……」

 しばらく考えた後、バートランドは意を決したようにワタルに向き直った。

「わかった。その代わり条件がある――」





 鉄の柵に囲まれた小さな部屋は、灼熱の熱気に満ち溢れ、体中から湧き上がる汗が無限に流れ続ける。

 外の世界は常に赤みがかって見え、まるで血が流れているかのようだ。地面には熔岩のような物質が流れ、ゴポゴポと音が響き渡る。

 分厚い鉄格子の先に広がる風景は、まるで終わりのない迷宮のようだ。

 あえて言うなら――地獄。

 壁は崩れ落ちたような穴だらけで、時折、水滴がポタポタと落ちる音が響き渡る。壁には何度も繰り返された塗りつぶしの跡があり、時には人間の手によって刻まれた文字もある。しかし、その文字は暗く、見ることができない。

「もうしません、もうしませんから……」

「出してくれえええ!!」

 許しを乞う者、絶叫する者もいるが、ほとんどの囚人たちは衰弱し、疲弊しきった表情で床に膝をつき、あるいは座り込んでいる。

 じゃらじゃらじゃら。

 不気味な音が響かせながら、とある監獄の一室に鎖の束が現れ、中からボロマントを着た人物が吐き出されるように現れた。

「……」

 ワタルだった。

 ワタルはこの場所が〝へルバス地下牢獄〟だと理解し、その光景に動揺することなく檻の外へと視線を移す。

 ヘルバス地下牢獄――ここは世界の極悪人が収監される地下深くの大牢獄である。耳を塞いでも囚人たちの絶叫する声が牢獄全体に響いている。囚人たちは常に死を意識させられる。この牢獄はまさに地獄そのものだ。

「よお新入り。仲良くしようや」

 同じ檻にいたのは汚い身なりのNPCで、ワタルの反応も見ずに勝手に話しを続けてくる。

「ここは地獄だが救いがないわけじゃねえ。あの時計を見てみろ。あれが0になればお前は罪を精算したと見なされ解放される。あぁそれと別次元に逃げても意味ねぇぜ?」

 βテスト時代から確認されたこの監獄は、主に悪質な犯罪行為でカルマ値がマイナスに振り切れた者が送られる場所であり、セーフティの兵士NPCに捕まると強制送還されることが確認されている。

 過酷な監獄の中で、酷い仕打ちを受けながら罪を悔い改めるのを目的とした場所だが――厄介なのが〝現実時間〟とリンクしているという点。

 βテストではログアウトしても時間は経過せず、ログインした状態で現実時間の指定された時間、牢屋の中で大人しくしておく必要があった。

《残り 00:20:00》

「……」

 ワタルの視線の先には時間を刻むモニュメントがあるのだが、何分経っても数字が動かない。

『このデスゲームは、現実でほんのコンマ数秒の出来事だって知ってた?』

 久遠の言葉が蘇る。

 久遠の言うように、現実時間とゲーム時間の流れが違うなら、拘束時間が20分でもゲーム内では〝一生〟を意味している。

「ま、拷問官に絡まれなければいいだけよ」

 そう言って大きくあくびをするNPC。

「ぎゃッ!?」

 突如――檻の鍵がこじ開けられると、赤黒い腕がガッと現れ、胸ぐらを掴まれたNPCが監獄の外に引き摺り出された。

 そして、乱暴に閉められる檻の扉。

「やめろおおおオオオオォ!!?」

 抵抗などまるで無意味で、次第に絶叫が遠くなっていく。

 監獄の外には恐ろしい拷問モンスターが徘徊していた。不気味な面をつけた彼等の目が赤く輝き、牙を剥き出している。

 ワタルは無言で剣を抜いた!

「頼みましたよ」

 横一線に切り裂かれた檻が音を立てて崩れると、拷問官達が一斉にワタルの元へ向かってきた。ワタルは抵抗する様子も見せず、ただ天を仰いだ。

 まさに同時刻――とある地、とある施設の中から複数の何かが飛び出した。

 天使の群れである。

「イレギュラーヲ削除セヨ……」

 二対の翼を羽ばたかせる天使の中に、三対の翼を持つ特別な個体も混ざっていた。

〝祈りよりも先のエリア〟に〝ゲームバランスを壊しかねない存在の出現〟を確認した彼等は、拠点を離れ、使命を全うするため空を駆ける。

「削除よりも拘束が先です。聞き出したいことが幾つかありますから」

 他の天使よりも流暢に話すこの個体。体に黄金色のラインが混じるそれは〝大天使〟であった。

 他の天使よりも大きく、そして明らかに強いオーラを纏っている。

 向かう先はヘルバス地下牢獄。

 断罪対象はワタルである。

「筋書き通りに動いてもらわないと困るというのに……」

 そんなことを呟く大天使は、はるか上空から見下ろす一つの影に気付かなかった。





「見つけました」





 天使達の背後、空に巨大な魔法陣が展開され複雑な形状を描きながら光を放つ。

 周囲に魔力の渦がうねり、その力によって激しく揺れ動く木々、地面、空気が引き裂かれるような音が響き渡る。

 魔法陣は力を集め、光を強めながら膨張――突如、一斉に闇の力が噴き出した!

「『闇の散乱 イド・ディスピレーション』」

 ゴッという音よりも早く到達した魔法が天使達をとらえて包み込む。光は目に見えない速さで広がり、周囲を闇が飲み込んだ。

 木々や地面は砕け散り、空気は引き裂かれ、音はさらに大きく激しさを増す!

 徐々に闇が晴れると、豊かだった大地が大きく抉れ、巨大なクレーターができていた。

 底には天使の無惨な死体が山を成していた。

 数十はいた天使が全て消えてゆく。

「貴様……いつから知っていた……?」

 唯一生き残った大天使も致命傷を負っており、体の至る所が消えているのが見える。


「最初からです」


 エルロードは見下ろす形で微笑んだ。



 複数の魔法書が散らばり、彼は手元のものを一冊選んで、口元で呟くように唱え始めた。

「闇よ、その力を現し、我が敵を滅ぼさん」

 空気が歪むほどの魔力が渦巻く。

 右手で描いた魔法陣から激しい風を吹き起こし、大天使の周囲に強力な竜巻を巻き起こした! 大天使は剣を振りかざし、風に抗って進んでいく。

 エルロードは魔法詠唱を続け、左手で新たな魔法陣を描いた。

 巨大な稲妻が天空を縦断し光速で飛んでいく! 大天使は盾で防いだが、瞬く間にひび割れていった。

「なんだこの力は……!」

 盾はすぐに破壊され、大天使は魔法に吹き飛ばされた。大天使は空中で回転しながら落下していく。

 エルロードの追撃は止まらない。

 大天使に、無数の矢が雨の様に降り注ぐ!

 大天使は剣と盾を手に、迫りくるエルロードの攻撃に対抗した。剣を突き立てて矢を防ぎ、盾で自身を守りながら攻撃に踏み込んでいく。

「これほどの……!」

 しかし、エルロードの魔法は強力で、大天使はその威力に押され後ずさりを強いられた。

 矢が大天使の盾を貫き、さらにその後ろの翼を穿つ。大天使は苦痛に歪んだ表情を浮かべながら一瞬目を閉じると――再び目を開き、剣を振り上げた。

「復讐の炎よ。我が前に現れよ!」

 大天使の剣から炎が燃え上がり、エルロードに向けて放たれた。エルロードは魔法陣を展開して防御を固めるも、大天使の攻撃はそれを破って彼の体を〝消していく〟。

私のことは(・・・・・)消す、と」

 エルロードがポツリと呟いた。

 二人の戦いは激化していく。

 エルロードが織りなす魔法陣は、神秘的な模様が複雑に入り組んでいた。

 彼の周りの空気が急激に変化し、周囲の空気を引き裂くような音を発している。風が吹き荒れ、周囲には破壊された木々の残骸が渦を巻いている。

「『切り裂く怪鳥の両翼(フレースウィンド)』」

 放たれた風の刃は大天使に向かって突き進み、空気を貫いていった。

「奴の差金か?」

 しかし、その魔法は光の剣によって切り払われ、空気中で霧散した。

「私の意思です」

「だろうな。奴はもう何もできまい」

 大天使の周囲を煌めく剣がぐるりと囲み、それぞれが意志を持っているかのように、エルロードに向かって飛んでいく。

「『貫く12本の剣ハーツ・オブ・クイーン』」

 その一撃一撃には消す力が込められている。

「厄介ですね……」

 防御魔法はまるで意味をなさない。

 紙一重で交わしていくエルロードの前に大天使が迫ると、光剣が彼の胸を貫いた!

「……!」

 紙の中心に火が付いたように、胸の中心に空いた穴が広がってゆく。

「我が目的をどこで知ったかはどうでもいい。貴様が世界の最後を見ることはない」

 飛んできた12本の剣がエルロードの全身を貫き、体が分解されていく――。

「!」

 大天使は確かに見た――眼下の大地に巨大な光が煌めく光景を。

 エルロードの体は消えていた。

 代わりに現れたのは半透明の球体だった。

 大天使はその球体の中央に囚われていた。

「罪人は檻に」

 どこからともなく現れたエルロードが指を鳴らすと、球体は徐々に体積を狭めていき、バチバチとエネルギーが渦巻く音が響く。

「……そうか、あのイレギュラーを送ったのは貴様か」

「あなたなら動くと確信してました。なにせ精霊の祈りを無視されるのは〝都合が悪い〟」

 大天使の攻撃は全て消され、やがてなす術が無くなると、大天使は抵抗を止めた。

 無数の刺し傷から光を漏らしながら、エルロードは胸の傷を押さえ、会話を続ける。

「人々を消さずに殺しているのは、目的があるからです。本来知られたくない秘密を知ったあの少女さえ生かして閉じ込めたのは、その体が必要だったからでしょう?」

「……」

「この世界だけでは飽き足りませんか?」

 全てを見透かしたような物言いに、大天使は突然笑い始めた。

「飽き足りないだと? 貴様に何が分かる! 奴等はまるで〝モノ〟のように我々を使ったんだぞ! 許せるはずがないだろう!!」

 球体の大きさはもはや2メートルを下回り、大天使の体はぎゅうぎゅうに押し潰されていた。しかし、大天使に苦しむ様子はない。

「奴等が元の世界に帰るということは、この世界の崩壊を意味している。それでも邪魔をするのか?」

「主様が元の世界に帰れるなら――喜んでこの命、捧げるつもりです」

 エルロードは力強くそう答えた。

 大天使は顔のない顔をエルロードに向ける。

「我々が諦めることはない」

 最後にそれだけ言い残し、大天使はぐしゃぐしゃに潰れて消えた。エルロードはあまりの消耗に肩で息をしながら、天使達が現れた場所に向かって飛んでいった。



 


 そこはクリシラ遺跡の地下にあったような、かつてケットルが囚われていた研究所のような場所であった。

「……」

 体を引き摺りながら、エルロードは無言で足を進める。そして突き当たりにある巨大な扉を開くと、そこには信じられない光景が広がっていた――。

 地平線のどこまでも続く、広大な空間。

 カプセル状の箱の中には、眠った人間の姿があった。

 異質なのはそのカプセルの上に、埋め込まれた天使の半身が脱力している光景。まるで、人間と天使を一体化させているような、そんな光景が広がっている。

「私は……間違っていなかった……」

 エルロードがひとつのカプセルに手をかざすと、放たれた魔法がそれを壊した。

 ギイイィィ! という悲鳴を上げて天使が砕けるその横で、箱から流れた液体の中、眠る人間が光を放ち宙に浮くと――その体は四散し消える。

 エルロードの周囲に夥しい数の魔法陣が現れると、それらは光の玉となり、四方八方に飛んでいく。

「還りなさい、あるべき場所に……」

 光の玉がカプセルを破壊していく。

 天使達の絶叫。そして解放される人間達。

 全ての破壊が終わる頃、エルロードは気力を使い果たしその場で意識を手放した――。



 


 大都市アリストラスには不要な施設が存在する。

「まーたここにいるのかよ」

「うるせえ、ほっとけ」

 椅子を置いてジッと監視を続ける男に対し、もう一人が呆れたような声をかける。

 そこは西洋風のあずまやのような形をした場所で、ゲームを初めた人は〝必ずここから〟産み落とされる。

 そう、ここはゲーム開始の初期地点である。

「今日助けが来るかもしれないだろ。先着順かもしれない。絶対逃せないだろ」

「お前懲りねぇよなぁ」

 外部からの助け=新規ログインがあるとすれば、必ずここであると一時期大勢のプレイヤーがここに待機していた。月日が経った現在、そんな希望を抱く人はごく僅かである。

「あーそうかい、じゃ一生やってろそこで」

「言われなくてもそう――」

 男がそう反論しようとしたその時だった。

 デスゲーム開始日から一切反応のなかったその場所が、眩い光に包まれた。

 やがて光の塊が分裂すると、その数はみるみるうちに増えてゆき、いくつかの光達が男の前に押し出された。

「ここは一体……?」

 光が弾けると、そこには困惑した顔で佇む人々の姿があった。男は歓喜のあまり涙を流し「助けが来たぞーーー!」と叫びを上げる。

 騒ぎを聞いて駆け付けた群衆の中に、ルミアはいた。初期地点に人が現れたのは初めてのことで、彼女もまた歓喜のあまり涙を流す。

「助かったぞ!!」「ようやく出られるんだわ!」「早くうちに帰らせてくれ!」

 方々から歓喜や怒号にも似た声が上がる。

 しかし、初期地点から現れた人々の様子がおかしいことにルミアは気付いた。

(なぜ装備に差があるの……?)

 ほとんどの人が初期装備なのに対し、中には最前線でも通用しそうな装備に身を包んだ者もいた。そして極め付けは、初期装備の人々の様子である。

「何が起こったんだ!?」「デスゲームってなんなのよ!? ふざけないで!」「うちに帰れるんだろうな!」「なんで私を攻撃……いやああ!!!」「てめぇ殺してやる!!」

 正に阿鼻叫喚の光景が広がった。

 まるでそれは〝デスゲーム初日〟のような光景だった。

 困惑するのは歓喜してたプレイヤー達だ。皆が状況を飲み込めず、半狂乱の人々をただ呆然と眺めるしかできなかった。

「うそ……」

 ルミアはその中にある人物を見つけた。

 それは紛れもなく、昨日久遠に殺されたという男だった。

「皆、落ち着いてちょうだい!」

 群衆をかき分けて現れたのはキャンディーだ。最前線からの脱落組を引率した彼女が、ちょうどこの場に出会したのだ。

「信じられないかもしれないけど、よく聞いて」

 喧騒は収まらないが、多くの人がキャンディーを見ていた。キャンディーもまた動揺していたためか、構わず続ける。


「貴方達は一度死に、蘇ったのよ!」


 死者の復活――デスゲームではまず期待できなかった展開に動揺の輪が広がる。しかし、思い当たることがあるのか、復活組は徐々に落ち着きを取り戻していく。

 涙を溜めるキャンディー。

 ルミアも大粒の涙を流している。

「まずは我々が貴方達の安全を保証するわ! どうか落ち着いてギルドに来て頂戴!」

 同時刻、アリストラスとは別の拠点でも同じようにプレイヤー達の大量出現が報告された。

 共通点は〝死んだこと〟と〝死んだ場所の最寄りの拠点〟。

「ワタルさんに……ワタルさんに知らせなきゃ……」

 奇跡を前に涙が止まらないルミア。

 かつての紋章の同志達も蘇り、友と涙ながらの抱擁を交わしていた――。





 ワタルは一際大きな牢屋に移動していた。脱獄未遂の罪で残り時間が25分に伸びていた。

 牢屋の中には物言わぬNPC達の姿があり、他の牢屋よりも劣悪な環境だと一目でわかる。

 彼らの体は細く、骨と皮だけのように見え、飢餓が身体を蝕んでいる様子が伺える。

「……」

 ワタルはこの場所で何かを待っていた。

 そして、その時がやって来た。

「良かった……!」

 歓喜の表情を浮かべ立ち上がるワタル。

 ワタルの元へ夥しい数のメールが届くと同時に、他の部屋が光に包まれ、中から人の怒号が聞こえてくる。

 蘇生が始まったのだ。

「ここからは僕の仕事ですね……」

 そう呟いたワタルの部屋も例外ではなく、牢屋の中には人の形をした幾つかの光が現れていた。

「あれ、なんで戻れたんだ? てかここどこ?」

「知らねーよ。なんかの演出だろ」

 言い争うその二人は、かつてキングゴブリンの侵攻を利用し、大量虐殺を企てていたキジマと黒犬であった。

 もちろん彼等だけではない。

「あの女……絶対に許せません……」

「死ぬのは怖い、死ぬのは怖い……!」

 ログアウトができると謳い、PK行為で大勢を騙した解放者と少年の姿もある。

 そして――

「や。会えたってことはここが地獄かな?」

 最悪のPK久遠もそこに蘇っていた。

 地下牢獄は犯罪者プレイヤーが送られる場所であるが、犯罪行為の末殺されたプレイヤーも、どうやらこの場所で蘇るようだ。

「あれぇワタルちゃんじゃん」

「おひさ〜」

 軽いノリで絡んでくるキジマと黒犬は無視する形で、ワタルは状況説明を始める。

「君達は一度死んで、ここに蘇った。ただしここにいる限り安全はありません」

 PK達はワタルを見た後、牢屋の奥の景色を見て絶句する。中には興奮する変態(キジマ達)もいたが、ほとんどが自分達の置かれた状況を冷静に理解した。

「蘇った……?」

 そう呟いたのは解放者の側近だった少年だ。

 おもむろに武器を取り出すと、解放者に血走った目を向けている。

「蘇れるデスゲームなら、どんだけ殺してもいいってことだよな?!」

 死を経て目が覚めたのか、自分を利用してきた解放者に少年が襲い掛かる!

「馬鹿は死んでも治りませんねぇ」

 武器を構える解放者は――ぐるんと白目を剥いたのち、赤黒い地面に倒れて消えた。

 それは、迎え打つ解放者の背後からだった。

 牢屋の隅から何かが投擲され、解放者の後頭部を貫いたのだ。少年は呆気に取られその人物を凝視している。

「あーー。今回のが特別でデスゲーは続行ってことやね!」

 熱心に何かを書き込みながら立ち上がったのは、暗い赤髪にちっちゃい丸サングラスをかけた、優男風な男だった。

 両方の太ももにホルスターがあり、短剣が二本下げられる仕様になっている(一本は地面に転がっているが)。

「辛気くせー場所なんだからもっと仲良く明るくしよや! ボクはヨリツラ。よろしく〜」

「なんだよガセブログのサイコパスかよ」

「え? ボクの記事読んでくれてるん?! 最高……お前友達な〜」

 黒犬と絡むヨリツラは、しゃがみ込む少年に声を掛ける。

「何してるん?」

「……檻を壊すんだよ。もう自由だろ」

 少年の固有スキル:死の魔法陣は、平地に死の魔法陣を描くことができ、魔法陣の上で30秒間動かなかった者の命を奪うというもの。

 破壊不可のオブジェクト以外なら、罠や岩なども壊すことができる。

「やめとけやめとけ。外見てみ〜?」

「?」

 少年が外を見ると、すでに脱獄したのか、数名のPK達が拷問官に追い掛けられる光景が見えた。拷問官に捕まったPKは、何処かへ引き摺られていく。

「なにあれ……」

「あれ? 拷問大好きなモンスター♡」

 ヨリツラは楽しそうに歯を見せて笑う。

「ちなみに拷問って言っても相手が死ぬまでやるから、実質死刑やね」

「ヒッ……!」

 少年はそれきり、檻の破壊は諦めたようだった。

「そっか、僕が殺した人達のスキル全部使えなくなってるのかぁ」

 特に残念な風もなくそう呟く久遠。

 何も起こらない指パッチンで遊んでいる。

「で、ワタル君はどうすんの?」

 キジマと黒犬に肩を組む形でヨリツラがそう詰めると、ワタルは小さく溜息を吐き「僕はずっとここにいるつもりはありません」と答えた。

「脱獄するの?」

「そのつもりです」

 久遠に素っ気なく答えるワタル。

 少年は顔を青くしてワタルを見ている。

 ワタルがゆっくり剣を抜くと、檻の方へと体を向けた。構えを取るワタルを見てキジマが叫ぶ。

「うおおおい! そんな大胆に脱獄したら俺たちも巻き添えで拷問されるじゃねーか!」

「頭狂ってんのかオメー!」

 同調する黒犬と、大笑いするヨリツラ。

「僕は別に、貴方達が死んでもいいです」

「辛辣ぅ!」

 言葉とは裏腹に、どこか他人事なキジマ達の態度にやりづらさを覚えながら、ワタルは不機嫌そうに振り返る。

「先に言っておきます。死ねば次、蘇れる補償はありません。ちなみにここの拷問官のレベルは75〜85ありました」

「はちじゅうご!?」

 黒犬が叫び声を上げた。

「ちょ、俺たちまだ30とかなんだけど!?」

「弱いな〜あんちゃん。ボク53やで」

「おいおいどんだけ月日が経ってんだよ……」

 項垂れるキジマと黒犬。

 ヨリツラのサングラスの奥、鋭い目がワタルを値踏みするように観察する。

「で、ワタル君に従わないと出られないってことは分かったわ。何したらいい?」

 切り替えが早い奴だなと久遠は感心する。恐らく、この中で一番頭がキレるのはこの男だと心の中で目測した。

「つっても時計の時間を耐えたら出られるんだろ? じゃあ従う必要ないじゃん」

「ぶぶー残念。ここの時計進まないから一生出られないんよ」

「バグなおせよ運営!」

 騒ぐヨリツラ達(三人)を無視する形で、ワタルは久遠に歩み寄る。久遠は壁にもたれかかり、外の景色を眺めていた。

「ここに送られたってことは、世界から見ても僕のやってた事は間違ってたってことなのかな」

「ああ、君は間違っていた」

 はっきりと言い切ったワタルに、久遠は「ワタルらしいね」と小さく笑う。

「一緒にここを出ないか?」

「出てどうしろって?」

「出たら僕の友達に謝罪してもらう」

「ははは。それいいね」

 もちろん久遠に出るつもりは無い。ワタルもそれを知ってか、彼に耳打ちした。

「もしこの世界が――」

「!」

 よほどその言葉が刺さったのか「本当か?」と真剣な顔で再確認する久遠。ワタルが小さく頷くと、久遠はフゥと溜息を吐いた。

「んで、ボク達も連れてってくれるの?」

「はい。もちろん条件はありますが」

 そう言ってワタルは条件を掲示する。

「まず、僕の指示には必ず従うこと。仮にここを出ても同様です。エリア的にはかなり進んだ場所になりますから、はぐれても死ぬだけでしょう。違反者は置いていきます」

「まあ従うしかないわな……」

 げんなりした様子で黒犬が呟く。

「我々はパーティまたはレイドを組みません」

「え? なんで?」

「経験値および報酬が渡らないからです」

「……」

 絶句するキジマ。

 なるほどなと頷くヨリツラ。

「いつまで経っても自立できないから、結局ワタル君に付き従うしかないってわけか」

「正直あなた方を制御できるとは思っていませんからね。お互い利用する関係で十分だと思います」

 かなりPKの人権を無視したルールだが、それに従うしか生き残る道はない。ワタルが死ねばPK達も変える手段を失うわけで、相互の協力も約束される。

「皆さんは他の部屋にこれを伝えて回ってください。では――」

 そう言って、ワタルが剣を振り抜くと、床や天井が斜めにズレた。拷問官達を惹きつけるようにワタルは剣を手にして走り回った。

「『聖なる炎の付与魔法(エンチャント)』」

 ワタルの剣に白く燃える炎が灯る。

 立ち塞がる拷問官へ剣を振るうと、その斬撃は全てを焼き、拷問官達を焼き飛ばした。

 中央にある巨大な穴へと飛び降りると、拷問官達もその後に続いた。監獄の底へと着地したワタルを、脂肪の塊のような怪物が迎え打つ。

 監獄長ベベルLv.85

 粗末な服に身を包み、人の形をしているが、およそ人と呼べる大きさを超えている。縦横6メートルはあろうかというその巨体は、血のついた包丁を振り下ろした!

「『英雄の聖痕』」

 ワタルの胸に紋様が刻まれると、赤色のオーラがワタルを包んだ。

 振り上げた剣は包丁をバターのように貫くと、勢いそのままに、ベベルの腹を横一文字に切り裂いた!

 苦痛の表情で叫ぶベベル。

 ベベルを起点とした衝撃波が駆け抜けるも、ワタルは盾で受け切った。落ちてきた拷問官達は吹き飛ばされ、壁に激突し死んでいく。

 衝撃波が収まった時、ワタルはすでに攻撃詠唱を終えていた。

「『テンペストソード』」

 ゴッ!! と、凄まじい轟音があらゆる物を吹き飛ばし、ベベルの体が千切れるように粉々に消えていく――。

 討伐完了のメッセージと共に膨大な報酬が流れてくると、PK達から歓喜の声が上がった。

「俺はついてくぜ!」「てかそれしかない……」「お供しますぜ英雄さんよ!」「もう拷問されたくないしな」

 とても信頼できないが、ワタルの目的に〝仲間〟は必要ない。歓声を浴びながら、ワタルは静かに目を閉じた。





「? どうしたの? ケットル」

「あ、うん……」

 何かに気付いたケットルが攻撃を止め、自分の状態に目を落とす。

「英雄の庇護が消えてる……」

 ショウキチが命を賭けた証が消えた。

 時間制限があったと言われればそれまでだが、それは、ある可能性も示唆している。

「そんなわけない、よね」

 再び鉱石集めに戻るケットル。

 彼女のメール画面が点滅していた。


  

 第6章 完結




◇◆◇◆◇




魔族の王


 かつて、魔族と人間が激しい戦争を繰り広げていた世界があった。

 魔王が討たれ勝負が決した後、指針を失った魔族は人里に現れなくなり、やがて絶滅したという噂が広がると、平和な日々が続いた。

 しかし、魔族は水面下でその勢力を着実に伸ばしていた。つまり、その平和は再び戦争が始まるまでの準備期間に過ぎなかったのである――。

「ここにしましょうか……」

 一人の魔族が辺境にある城を訪れた。

 青い髪と赤い瞳を持つ青年――エルロードは、その若さにして現魔王の地位に就いていた。

 魔王とは魔族の王の総称であり、その選出基準は純粋な〝魔力の量〟である。

 エルロードは生まれつき魔力が非常に強く、他の魔族たちと比べても類い稀な才能を持っていた。それは、魔力をただぶつけるだけで、ほとんどの敵を粉砕できるほどであった。

 ただし、エルロード自身が魔王の素質を持っていたかと問われれば疑問が残る。なぜなら彼は、突出した才能ゆえに壁にぶつかることもなく、目標や指針を持っていなかったからである。強いがゆえに孤独で退屈だったのだ。

 現世に嫌気がさし、魔族領を飛び出した。

 そして廃墟と化した城の入り口に立ち思った――ここで余生を過ごすのも悪くはないと。

 青い髪が風になびき、赤い瞳が周囲をじっと見つめる。

 そこは荒廃と寂れた雰囲気に満ちていた。古びた石造りの壁が風雨に打たれ、草木が生い茂っている。かつては栄華を極めたであろう城が、今や荒廃し、その荒廃ぶりは時が経った証拠を物語っている。

 城の門は半開きになっていて、外からは城内が暗くて見えない。

 エルロードは慎重に歩きながら、ゆっくりと城内に足を踏み入れた。彼の足音だけが静かな城内に響き渡っている。城内にも人の気配は感じられなかった。

(今の私にはお似合いの場所です)

 静寂が支配する廃城の中を歩くエルロードは、期待通りの孤独感に包まれていた。

 しばらく歩くと、謁見の間が見えてきた。

 その広大な部屋は、赤い絨毯と背の高い窓が並ぶ、かつての栄華を偲ばせる装飾で飾られていた。しかし、そんな景色よりも一際異彩を放つものがあった――玉座に誰かが座っていたのだ。

(気配はなかったはず……)

 全く予想外だったエルロードは身構えると、あろうことか、玉座の人物は気さくに手を振ってきたのであった。

「おお、久しぶりの訪問者か。ようこそ我が城へ」

 それは立派な身なりをした白髪の老人だった。

 不気味なことに、敵意どころか気配さえ感じられないその人物は、エルロードに対して優しく微笑みかける。

「……?」

 エルロードは目を見開いた。

 相手は紛れもなく人間――しかし、魔族と人間は本来、互いに憎しみ合い戦う関係にある。

 なのに相手は何の警戒も示していない。

 老人はエルロードが戸惑っているのを見て、再び微笑んだ。

「恐れることはない。儂はこの城を訪れた者を襲うことはしない」

 やけに歓迎してくる得体の知れない人間を前に、エルロードは立ち去る選択をする。

 踵を返した彼の背中に、老人の笑い声が響く。

「お前も孤独か?」

 長年の悩みを老ぼれに言い当てられた憤りを、莫大な魔力に乗せて放出するエルロード。しかし老人は余裕の笑みを崩さないまま、再び柔和な表情を浮かべていた。

「どれ、お前の退屈を解消してやろうかの」

 老人がゆっくりと杖を構えると、小さくも力強い魔力を帯び、空気がピンと張り詰めた。

 エルロードは老人相手にも容赦はしない。

 伸ばした指の先、空間が渦を巻くと、膨大な量の魔力が奔流するように飛び出した!

 数多の同胞達を屈服させてきた一撃確殺の魔法。莫大なエネルギーが老人に迫るその刹那――魔法がかき消え霧散する!

「!」

「さて、防御はどうかのう?」

 攻守逆転の一撃がエルロードを襲う。

 それは、なんの変哲もない火の玉(ファイアボール)に見えた。

「ぐッ……!」

 回避が間に合わない――!

 反射的に防御を展開するも、火の玉はまるで紙を燃やすかのように容易くそれを貫通! そのまま腹部を穿ち、エルロードはあまりの威力に吹き飛ばされた!

 それは未だかつて経験したことのない魔法であった――。





 エルロードは初めての敗北に打ちひしがれていた。

「才能の原石と言うべきか……思うにお前は今まで、名を聞きたくなるほどの好敵手に会わなかったのではないか?」

 老人は杖を支えに歩み寄ると、エルロードを見下ろす形で再び微笑んだ。

「不法侵入に魔法の行使。勝った儂にはお前の命を好きにする権利がある。違うかの?」

 何も答えられず、膝をついたまま老人を見上げるエルロードの前に、ドサリと、一冊の本が置かれた。

「お前、儂の使用人にならんか?」

「ふざけるな……誰が人間の……!」

「なーに退屈はさせんよ。代わりと言ったらなんじゃが、ここにある本を読ませてやろう」

 振り返る老人の目線の先、玉座の後ろには大量の本が積まれていた。

 老人の意図が読めずエルロードは頭が痛いと言わんばかりに、額に拳を当てた。

「……目的はなんですか?」

「本を読めばお前は絶対強くなる」

「私を強くすることに意味がありますか?」

「見ての通り、ここは儂以外だーれもおらん。要するに暇なんじゃ。本気で魔法の相手になってくれる使用人が一人いてもいいじゃろ?」

 エルロードは敗北したこと以上に、講釈を垂れてくる老人に腹が立った。しかし、老人の実力は本物で敗者に口は無い。

「良いでしょう。ここの本を網羅し、貴方を殺し、このくだらない虚無の世界を終わらせる……!」

「そうか。なら〝ここの本を全て読む〟まで儂の使用人になってもらおうかの」

 そう言って楽しそうに微笑む老人。

『名を聞きたくなるほどの好敵手に会わなかったのではないか?』

 さきほどの言葉が、怒りに燃えるエルロードの脳裏をよぎった。

「貴方の名前は……?」

 老人は嬉しそうに「ウォルターじゃ」と答えた。

「お前の名は」

「私はエルロードです」

「そうか。ではエルロード、しっかり勉強に励むと良い」

 そう言いながら踵を返すウォルター。

 エルロードは心の中に刻むように、憎き〝ウォルター〟という名前を何度も唱えながら、乱暴にその本を引っ掴んだ。

「読み終わったら教えてくれ」

 そう言いながら、ゆっくりとした所作で玉座に腰掛けるウォルター。エルロードは無言で本をパラパラ捲っている。

「残念ですが、まず人間の言語を学ぶ必要があるようですね」

 魔族に人間の文字は読めない。

「なら翻訳の魔法を使おう」

「翻訳?」

「人間が生み出した便利魔法じゃよ」

 ウォルターが人差し指をくるりと回すと、エルロードの体が光に包まれ、本のタイトルがジワジワと理解できるようになってゆく。

「しょきゅう、まほうのしょ、ひぞくせい?」

「そうじゃ。翻訳は問題なさそうじゃな」

 魔族の魔法に翻訳など存在しない。

 高貴な種族である魔族は、多種族の言葉を理解する必要などなかったからだ。

「……」

 人間の魔法に微かな興味が湧き、エルロードは無言で表紙を見つめている。

「初めに、魔族の魔法は未熟でお粗末じゃ。生まれ持った力が大きすぎるがゆえ進化の必要がなかったからじゃな」

「知ったような口を……」

「事実を述べているに過ぎない。疑うなら本を読み、変化を感じてみろ」

 そう言ってウォルターは、初歩的な魔法であるファイアーボールを放ってみせた。

「これが何か分かるか?」

「火の玉です。それくらい知っています」

「ふむ。ならこれの原理も理解しているか?」

「……」

 エルロードが口籠るのも無理はない。

 魔族の魔法は「魔力を最大出力でぶつける攻撃魔法」と「魔力で壁を作る防御魔法」の、たったの2つだけだったから。

 人間を殺すにはそれだけあれば十分だった。

「そうだろう。火の玉(ファイアーボール)は人間達が生み出した魔法の一つじゃからな」

 魔族が魔力で攻撃する中、人類は多彩な魔法を編み出し、絶対的な魔力量の差を埋めたとされている。

「たかが火の玉でしょう」

「それにやられたのは誰じゃ?」

「……」

「そう。たかが火の玉でも侮れんのが魔法の奥深さじゃ」

 そう言いながら、ウォルターはエルロードが持つ本を手に取った。

「この本にはこう書かれておる。〝魔法使いは自身の魔力を正しく制御する必要があります〟ここまではいいかね?」

「馬鹿にしているのですか?」

 憤るエルロードを無視して続けるウォルター。

「次に、魔法に必要なのは「意図」じゃ。魔法を使うには魔法使いが何かしらの意図を持つ必要がある。例えば、敵を攻撃する、自分自身を守る、物体を動かすなどの意図があれば、それに応じた魔法を発動することができる――ファイアーボールの意図は〝相手を燃やすこと〟かの」

 魔族の魔力には〝相手を破壊する〟という意図はあれど、ファイアーボールのような具体的な目的は持っていない。

「意図を具現化するためには、魔力をエネルギーの形から別の形に変換する必要がある。それを性質の変化と呼んでおる」

 ウォルターの魔力が炎に変わり、水に変わり、風に変わる――エルロードはその多彩さに感心するも、意義を見出せずにいた。

「何が言いたいかというと、魔族はもったいないんじゃよ。性質の変化を会得すれば、人類など簡単に滅ぼせたものを」

 エルロードは考えた。

 今までただぶつけていただけの魔力を、例えば槍状に変えたらどうなるだろう。螺旋回転させたら? 風の性質変化を加えたら? と。

「お前は賢い。他の魔族とは明らかにモノが違う。なぜなら、人間の話をお前は聞くことができるからのう」

 魔族の魔法がずっと進歩しないのは、相手の技術を学ぼうとする姿勢がなかったからだという指摘であった。実際、戦場で人間の魔法を見てきたにも関わらず、劣等種族の魔法など研究するに値しないと考えていた。

 その考え方が普通だったのだ。

「……」

 しかし――エルロードは違った。

「分かりました。この本を読めばそれが理解できるのですね?」

「そういうことじゃ」

 改めて渡された本は、なぜか以前よりも重く感じた。エルロードはそれを丁寧に捲り、書かれた内容を理解していく。

(ただ性質の変化を加えるだけでは駄目ですね。その形を維持する技術、威力を高めるために圧縮する魔力……)

 自分は魔法の極みにいると過信していた。

 しかしそれは誤りであった。

 本を読み進めるたび、エルロードはその内容の素晴らしさに気付き始める。

 人間達の細かな知識や技術が理解できるようになると、本の楽しさにも気付いた。

 ウォルターが指し示した本の山には、エルロードの知らない知識が詰まっているのだろう。その知識が、自分に足りない何かを補うかもしれないと感じ始めていた。

「どうだ。儂を殺せそうか?」

「……いえ、まだしばらく先になりますね」

 本を通して実力の差に気付くことができた。

 自分が使っていた魔法――魔族が使う魔法とは、単純な魔力の放出に過ぎない。対して人間達の魔法は、さまざまな理論から編み出された〝武器〟であり〝芸術〟だ。

 魔族の寿命は数千年といわれている。

 人間の寿命は百年より短い。

 ここには、その短命の種族が昇華させた魔法の技術が、余すことなく書き記されていたのである――。

「!」

 文字が芋虫のように動き出す。

 文字が読めなくなってゆく。

「翻訳魔法が切れたようじゃな」

 エルロードは無言で「掛け直せ」と目で訴えるも、ウォルターは楽しそうに笑うばかり。

「奥深さが分かったかの? ならその本を読むために、まず人間の文字を理解してもらおうかの」

「……」

 踵を返し、しばらく考えるエルロード。

 多少の苛つきを見せつつも、黙って本を閉じる。素直に従った理由は、本の重要性に気付いただけでなく、これらの本を生み出した人間達の文化が気になったからであった。

「じゃあ今から教えてもらいましょうか」

 そう言いながらエルロードが振り返ると、

「ぐぅ……」

 ウォルターは呑気に寝息を立てていた。

「……」

 殺害しようと手を伸ばすも、多彩な魔法を覚えずじまいなのがもったいなく思え、エルロードはため息混じりに読めない本を捲るのであった。


 



「どうぞ」 

 コポコポと紅茶を淹れる音が響く。

 芳しい茶葉の香りがふわりと広がった。

「ふむ。礼儀作法は完璧じゃな」

「礼儀作法〝も〟です」

「字の覚えも早いしのう……」

 エルロードはほんの数日で人間の文字を理解した。それと並行して、使用人としての勤めも果たしている。

 カップを手に取り紅茶を啜るウォルター。

「うまくないのう……」

「草に湯をかけるだけでは?」

「……これ〝は〟将来に期待じゃな」

 用意された執事服に身を包み、小言に耐えながら怒りを抑える。

 エルロードは人間の使用人として屈辱的な日々を送りながらも、以前のような退屈さを感じることがなくなっていた。

 自分よりも強い存在との生活が、彼に刺激を与えたのかもしれない。

 文字を覚え終え本格的に本を読み始めたエルロードは、物語や史書に没頭し、知識と理解を深めていった。

 彼は自分自身の心の中にある謎を解き明かすためにも、そして、自分自身の存在価値を見出すためにも、知識が必要だと感じたのだ。

 やがて月日は経ち――エルロードは掲示された全ての本を遂に読破したのであった。

「言いつけは守りましたよ」

 最後の本を丁寧に棚に戻し、エルロードはウォルターを見据える。魔力は明らかに洗練されており、もはや別人と化していた。

「はて。ここの本が全部と誰が言った?」

「……は?」

 とぼけた様子のウォルターが案内した先には書庫があり、そこにはエルロードが読破した本の何万倍もの量が整然と棚に収まっていた。

 呆然と立ち尽くすエルロード。

「……これを読み切るより前に、貴方はきっと寿命で死にますよ」

 人間についての知識も増え、人間の寿命がどの程度かも知っていた。

「ほっほっほ。なら儂が死ぬよりも先に読破することじゃな」

「……」

 勝ち逃げされてなるものかと、今まで以上に本を読み耽るエルロード。その姿に成長を感じながら、ウォルターは書庫を後にした――苦しそうに胸を掴みながら。





 魔王が戻ったという知らせが入り、魔族領に歓喜の声が溢れた。

「あぁ魔王様!」「よくぞお戻りに!」

 定例会議に出席するため、読書を中断し魔族領に戻ったエルロード。いままで魔王が失踪したと大パニックだったのだが、彼に気にする素振りは見られない。

 側近達が傅くその横を悠然と歩きながら、玉座へと腰掛けた。

「さて、会議を始めましょうか」

 何食わぬ顔でそう言い放つエルロード。

 片手には読みかけの本を開いている。

(魔法陣には様々な意味があり……)

 ぶつぶつと読み耽りながら家臣達の言葉を待つ。

「その前によろしいですか、王よ」

 一人の側近が前に出ると、言葉を続けた。

「どこへ行かれていたのですか?」

 エルロードの眉が僅かに上がる。

「それに答える必要がありますか?」

「あります。皆不信感を覚えております」

 珍しく食い下がる側近に眉を顰めるエルロードは、他の側近達を見渡すと、殆どが懐疑的な目を向けていることに気付く。

「四首都同時侵攻の日は近いです。しかし風の噂で、魔王様が人間の城に出入りしているとも聞きましてね、その真意を――」

「取り繕わず本音を言ったらいかがです?」

 エルロードの言葉に場が静まり返る。

「疑わしい者を排除したい、と」

「……」

「事実、私は人間と交流し人間という生き物を学んでいます。まぁ色んなイレギュラーが重なった結果ですが……」

 一斉に側近達が立ち上がる。

 自分を見る目が明らかに変わるのをエルロードは察していた。

 しかしどうだ――仮に全員に攻撃されても、エルロードには防ぎ切る自信があった。その自信は紛れもなく、本から得た知識によって裏付けされたものだった。

「魔族の面汚しめ!」

 口汚く罵る側近達。

「前魔王の二の舞になられるおつもりか!」

 最長寿の側近が叫ぶように言った。

 全員から攻撃の意思を感じながらも、エルロードは冷静なまま、玉座にもたれて足を組む。

「魔族は強さこそが正義。故に魔王の言葉は絶対」

 側近達の足元に複数の魔法陣が現れる。

 エルロードの魔力が膨れ上がってゆく。

 殺意が部屋に充満し、側近達はもう何も言葉を発せない。

「私に意を唱えるのは叛逆です……」

 側近達は宙に浮き、体が徐々に潰れていく。

 気絶する者、泡を拭く者、血を吐く者。

 エルロードは玉座の上からその光景を冷酷に見下ろしていた。

「ですが……ここで殺しても学び(・・)はない」

 魔力の供給を止めると、側近達がボトボトと落ちてゆく。方々から呻き声が聞こえてくる。

「ほんの数日。ほんの数日でここまでの力が得られました……学びが終わる頃、私はさらに圧倒的な強さを得ることができるでしょう」

 エルロードは冷たい瞳で彼等を見下ろし続け、側近達の額には冷や汗が滲んでいた。

「まだ何か異論がある者は?」

 魔族は力が全て。

 誰も異論を唱えないのは当然だった。

「時にそこの――前魔王の二の舞とはどういう意味ですか」

 最長寿の側近は口をつぐむも、エルロードの圧がそれを許さない。側近は観念したように語り出した。

「前魔王は、魔王様は……人間との共存の道を我々に語ったのです――」





「どこに出かけていたんじゃ?」

「私は魔王ですよ。秘密裏に軍を動かしているに決まっています」

「ほっほっ。それはまた物騒じゃな」

 それにしても――と、本を閉じながらエルロードが呟いた。

「それにしても、まさか貴方が前魔王を倒した魔法使いとは知りませんでしたよ」

 表紙には「悲劇の英雄伝」と書かれていた。

「……」

「書いてありましたよ、本の中に」

 エルロードは表紙を撫でる。

「魔王を討った偉大な魔法使いは、好敵手を失ったことで耄碌し、癇癪を起こして城から部下を追い出した。散々な書かれようですね」

「好きに書かせればよい……」

「それには同意しますが、私は貴方の思惑通りには動きませんよ」

「そうなった時は、そうなった時じゃな」

「……」

 遠い目をしてそう答えるウォルター。

 釈然としない様子でエルロードが睨んだ。

「貴方の目的がわかりません。私に知恵を与えるメリットがまるでない。本にある貴方の人物像と実際の貴方が一致しません」

 そう言いながら、エルロードは読んでいた本を机に置き、ウォルターを見下ろした。ウォルターはしばらく感慨に浸り、それから重々しく口を開いた。

「『我々はお互いに正義を持っている。しかしその正義が交わることはない。実に虚しいとは思わないか。この空虚な戦いは、もしかしたらほんの些細な対話一つで解決するかもしれないのに――』」

「それは……」 

「そう、前魔王が儂に残した言葉じゃ」

 数多の戦いを経て、前魔王とウォルターは敵同士でありながら絆で結ばれていた。戦場の上ではあったが、実にさまざまな会話をした。

(家臣の言葉は本当だったのですね……)

 エルロードは静かにそれを聞いていた。

「儂も奴の考えに同意したが、世間はそれを許さなかった。結局我々は殺し合いを続け、最後は奴が運悪く負けた。それだけのことじゃよ」

「だから貴方は、現魔王である私に人間の歴史を学ばせ、前魔王の遺言である友好関係を結びたかった、と?」

 吐き捨てるように言うエルロード。

 しかしウォルターはゆっくりと首を振る。

「別に、儂は今の魔王など興味はない。そもそもお前がここに来たのも偶然じゃろうが」

 ここへは自分の意思で来ている。

 確かにそうだとエルロードは黙った。 

 それにのう――と、ウォルターは続ける。

「魔王を討った儂の言葉でさえ、人間のお偉い様には届かんかった。魔族に操られていると土地を追われ、家臣を奪われ……人間すら説得できない儂が魔族を説得できるはずもなかろう」

 そこまで言うと、ウォルターは月夜を見上げて物思いに耽る。目を瞑ると、そこには前魔王と戦い、そして語り合った日々が鮮明に浮かんでくる。

「勿体ないんじゃよ」

「勿体ない?」

「魔族には魔族の文化や歴史があり、人間にも同じものがある。しかしどちらも相手を学ぼうとしない。つまり片方が滅べば、その文化や歴史は葬り去られる。仮に魔族が勝てば、人間の魔法は誰も覚えられないままじゃ」

 エルロードは、本の知識で自分の力が増幅したことを鑑みて、その意見に納得する。人間の魔法があれば火が作れ、氷も作れ、街さえ作れるからだ。

「人間の知識を得た魔族――これが種の頂点だと儂は考える。今のお前のような存在が、これからの世界を統べる」

「……」

「儂は種の存続などどうでもいいんじゃ。文化、歴史、そして知識さえ残れば後はもう、どうでも、いい……」

 そう呟き、ウォルターは沈黙した。

 すぴすぴと寝息が聞こえてくる。

「なんと無防備な……」

 眠る老人に手をかざし、魔力を込めるも全く反応はない。

 やはりこのまま魔法を撃てば簡単に殺せる――しかし、エルロードはそうしなかった。

「人間を知ったところで変わらないものがあります。それは私が私であること」

 返事はないが、それでよかった。

 エルロードが音もなく消えると、廃れた城に完全な静寂が落ちた。





 日の光と人の歩く音でウォルターは目を覚ます。

「おぉ、英雄様がこんなとこにいたぞ!」

 謁見の間にゾロゾロと複数人が入ってきた。

 下卑た笑みを浮かべた男達が歩み寄る。

 ウォルターはエルロードにもそうしたように、柔和な笑みを浮かべ出迎えた。

「歓迎したいところじゃが、見ての通り、ここには何もないぞ」

「それは俺達が判断する」

 武装する男達は明らかに素人(・・)ではない。明確な目的を持って、この城に送られてきた刺客だとウォルターは確信する。

「!」

「おっとお!」

 ウォルターが杖を構えるも、肝心の魔力が湧いてこない。背後から迫る野盗に殴られ、苦しそうに玉座から転げ落ちた。

「封魔の短剣だ。ある貴族から借りた」

 野盗が幾何学模様の刻まれた短剣を見せびらかす。

「昨夜の魔族強襲はじいさんの仕業だよな? 流石は魔王を討った英雄様だ、魔法の力でちょちょいのちょいだよな!」

「ぐ……」

 力が吸い取られるように体が動かない。

 ウォルターはただ呻き声を上げている。

「暗殺の指示が出た時にゃ無茶な仕事だって腹が立ったが、蓋を開けてみりゃただのジジイじゃねえか! 魔法だけでどうにかなる時代は終わってんだよ!」

 謁見の間が笑い声に包まれる。

「かつての英雄が何もできねぇとはな。ま、部下を追い出したお前が悪いんだけどさ――」

 そう言って短剣を振りかざす野盗は、謁見の間に入ってくる一人の男に気が付いた。

「おい、誰か来たぞ」

「んな馬鹿な。警備はどうしたんだ」

 ざわつく野盗達。その間もスタスタとこちらへやってくる男は、不気味に口元を歪ませながら何かを床に投げ捨てた。

 ごろり、と転がる無数の首。

「ヒッ……!」

 拷問でもされたかのような苦悶の表情に歪むそれらは、やがて光に包まれ消えていった。

「失礼。我が主に御用でしたか?」

「な、なんだてめぇは!」

「私はここの執事です」

 エルロードが膨大な魔力を放出する。

 その瞳が野盗を捉えると、まるで蛇に睨まられた蛙のように全員が動けなくなった。

封魔の短剣(それ)で食い尽くせますか?」

 魔力が抑えきれず、短剣は音を立てて砕け散る。

 周囲に夥しい数の魔法陣が展開され、現れた黒色の手が野盗達を掴んだ!

「――! ――!」

 抵抗するも誰一人抜け出せない。

「綺麗に死んでくださいね。本が汚れますから」

 絶叫と共に、野盗が闇に引き摺り込まれる。

「ぐ……む……」

 ウォルターは薄れゆく意識の中で、自分を抱き上げるエルロードの姿を見た。

「ようやく立場が逆転したようで気分がいいですね」

 声が遠のくのを感じながら、ウォルターは意識を失った。





 ウォルターは紅茶の香りで目を覚ます。

「お目覚めになられましたか?」

 そう言って食事の支度を進めるのは、執事服に身を包んだエルロードであった。

「どういう風の吹き回しじゃ?」

「なにがです?」

「同胞達を襲った理由を聞いておる」

 魔族達が目論んでいた四首都同時侵攻は、エルロードの手によって阻止された。ウォルターは野盗の言動からそれを推測していた。

「貴方がおっしゃったのですよ、ウォルター卿。片方が滅べばその文化や歴史は葬り去られる。魔族が勝てば人間の魔法は誰も覚えられないままだと」

 カチャカチャと食器を並べながらエルロードは続ける。

「人間へ理解を示す魔族はいませんでしたが、これから理解させればいいのです。人間である貴方が教えを解けばいい。例えばそう、まずは言葉を学ぶところから――」

 そこまで言わせて、ウォルターは遮る。

「それは無理じゃよ」

 震える手をカップに伸ばす。

「表面上仲良くしても、腹の内では何を考えてるか分からん。人間が儂を襲ったように、同族でも分かり合えんことはあるからのう」

「ですが、私は……」

「お前が特別だったんじゃよ、エルロードよ。お前が特別なんじゃ」

 ゆっくりと紅茶を啜るウォルターは、噛み締めるように深く頷いた。

「美味しい」

「ありがとうございます」

「やはり、お前は特別……」

 再び気を失いかけるウォルターを支えたエルロードは、そこで初めて、彼の体の不調に気がついた。

「病気はいつからですか?」

「病気ではない。単なる老いじゃよ」

 無理にはにかむウォルターを見て、エルロードの中で、今まで抱いたことのない不思議な感情が芽生えていた。

「少しお待ちください」

 その感情が何かもわからぬまま、玉座の背にもたれるように直しながら、エルロードは二、三歩後退りして魔力を帯びた。

「『穢れを洗い流せ!《ホーリー・キュア》』」

 展開されたのは最上級の癒しの呪文。

 ウォルターの体が眩い光に包まれ、心なしか体の活力が戻っているように見えた。

 続いて、天からの光がウォルターを包む。

「『神の力よ、癒しをもたらせ!《ゴッド・ブレス》』」

 それも、限られた聖職者しか扱えない、神聖な最上級の呪文であった。

「私と戦う約束はどうなりましたか」

 幾重にも発動する回復魔法の数々。

「私はまだ全ての本を読み終わっていませんよ」

 しかし、ウォルターに大きな変化は起こらない。

「……魔力で寿命を無理やり伸ばしていたツケじゃ。こうなることは分かっておった」

 玉座の上で力なくそう呟くウォルター。

 エルロードは先ほどの短剣が悪化の原因であると理解した。

「人間にしては大往生じゃよ」

「……」

 弱りきったかつての宿敵を前に、エルロードは無言で魔法を生成していく。

「私は言いました。貴方を殺し、このくだらない虚無の世界を終わらせると」

「そうじゃったな……」

「ならば、貴方に価値がなくなった今がその時です」

 バチバチと凄まじい音を立てながら渦を巻く魔力。城を巻き込み、空を包みながら広がってゆく。

 強烈な睡魔に襲われるウォルター。

 目の前には微笑みを湛えたエルロードがいる。

「おやすみなさい」

 その言葉が何重にも聞こえるのを感じながら、ウォルターは意識を手放したのだった。





 次にウォルターが目を覚ますと、そこには信じられない光景が広がっていた。

「お目覚めになられましたか!」

「おい皆! ウォルター卿が目を覚まされた!」

 慌ただしく部屋を駆け回る人々。

 彼等はかつてウォルターが追い出したはずの使用人達であった。

 変化はそれだけではない。

 部屋はまるでかつての栄華を取り戻したように美しく装飾され、床や壁の劣化も見当たらない。

「やっとお目覚めになられましたか、主様」

「お前の仕業か」

「死ぬ前は賑やかなほうがいいでしょう」

 そう言って微笑むエルロード。

 ウォルターはここが幻覚の中だと理解する。

「空間ごと幻覚に誘うとは腕を上げたのう」

「恐れ入ります」

 幻覚の中だからか、体の不調が嘘のように軽くなっていた。ウォルターは自分の足で立ち上がり、かつての姿を取り戻した城の中を歩いて回る。

「以前のままじゃな」

 毎日客人を迎え、使用人に囲まれながら過ごす平和な日々がそこにあった。

「全員追い出した、と」

「間違ってはおらん。ただ、こう頻繁に刺客が送られてくるようになっては置いておけん」

「本に書かれている全てが真実ではないのですね」

「その区別も、もうつくじゃろ?」

 そう言いながら、ウォルターの足取りは徐々に重くなっていく。体はとても元気なのに、なぜか先に進むことができなくなっていた。

「エルロード、頼む」

 震える声でエルロードを呼んだ。

「儂を玉座まで連れて行ってくれんか」

「かしこまりました」

 エルロードは主の言葉に従い、ウォルターを謁見の間へと運んでいった。



 玉座に深々と座り、そこからの景色を見下ろしながら、ウォルターは満足そうに頷いた。

「いい人生じゃった」

 微笑みながらそう呟いた彼は、まるで最後の時が近いのを察しているかのようだった。

 傅くエルロードが口を開く。

「私に付き合わなければ、貴方はもっと有意義な時間を過ごせたはずです」

「有意義かどうかは儂が決めることじゃ。それに、充分有意義な時間じゃったよ」

 ふぅとため息を吐くウォルター。

 エルロードが続ける。

「私は貴方に会って初めて〝生きる意味〟を見出せた気がしました。貴方には大きな恩があります。私はまだ返しきれていません」

 本心からの言葉であった。

「恩なんて感じなくてよい。儂は最後の時をエルロードと過ごせて幸せだったよ」

 ウォルターの言葉にエルロードの瞳が揺れる。湧き上がる感情を抑えながら、最後まで使用人として振る舞おうとした。

「私もお供いたします」

「恩を仇で返すつもりか?」

「……」

 納得がいかないと言いたげなエルロード。

 溜め息まじりにウォルターが進言する。

「命は繋がっていくものじゃ。前魔王が共存を願い、儂は人間に理解を示すエルロードと出会えた。お前もこれから長い生を過ごす中で、自分の命の〝使いどき〟が見つかる……」

 しかし、言葉は最後まで続かなかった。

 ウォルターの瞼がゆっくりと閉じてゆく。

「おやすみなさい」

 エルロードの言葉は彼に届いただろうか。

 次第に呼吸が浅くなり、目は白く濁っていく。

 互いを利用するために手を組んだ二人は、長い時を経て、互いが互いを思い合う関係に変わっていた。とても奇妙で歪だった二人の関係は――種族の壁を越えていた。

 体の温もりが消えていく感覚。

 一人の男の人生が、終わる――。


「逝かないでくれ……」


 絞り出すように、エルロードが呟いた。

 ウォルターの体が光に包まれ、砕けるように消えてゆく。窓の光に照らされながらキラキラと舞うその様は、実に美しかった。

 




 ヴォロデリアが最初に見つけた〝異分子の世界〟は、果てしない暗黒の中を、崩れた城が漂うだけの空間であった。

 城の最深部には本に囲まれた玉座があり、そこに一人の男が座っていた。

「驚いた。世界規模で破壊された空間なんて他にないよ」

「……」

「よっぽど残念な世界だったんだろうね」

 エルロードは長い時間をかけて自分の命を〝使うべき場面〟を探し続けた。魔族へ人間の歴史を学ばせ、人間へ魔族との和平を持ち込んだ。しかし時代が変わっても、世代が変わっても、二つの種族の溝が埋まることはなかった。

「ウォルター卿もこの結果には驚くだろうね」

「他人に主様を語られるのは不快ですね」

「他人じゃないさ。僕はいわば君達の母みたいなものだから」

 飄々とした様子で続ける闇の神ヴォロデリア。

「壊すのが得意な君に頼み事があるんだ」

「……」

「僕の〝家族〟を壊してほしい」

「不愉快な貴方もろとも消してあげますよ」

「うん。できればそうしてほしいんだ」

「……」

「そしたら全部消える。君もね」

 本を捲る手を止め、顔を起こすエルロード。

 変わらぬトーンで続けるヴォロデリア。

「君達は〝ウイルス〟だ。世界を破壊できる力を持って生まれてきたからね。でもこのままじゃ見つかっちゃうから」

 ヴォロデリアの姿がスッと消え、世界に変化が起こる。しかしエルロードに慌てた様子はなく、もう何度も読破した本を無心で捲り続けた。

 自分の命の〝使いどき〟を考えながら。





 他の魔王がやって来たときも、エルロードの心は特に揺れ動かなかった。

 全員が全員〝自分こそ至高の種族である〟と信じて疑わない連中だったし、なんら魔族と変わらないからだ。

 他種族との共存など夢のまた夢――。

 しかし、その夢が現実に再現される。

 修太郎と名乗ったその少年は、出会ったその日に癖のある魔王達を統治した。それから、多種多様な種族が共存できる世界を簡単に作ってみせた。

「私もようやく出会えました」

 亡きウォルターに想いを馳せる。

 このために自分は生き続けたのだと確信したエルロード――主との約束のため、彼は修太郎に対して〝忠誠〟を捧げていない唯一の魔王でもあった。

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『転生の権利』を使った後も職業が『統べる者』のままでしょうか?それとも、職業もレベル1相当の『召喚士』や『剣士』などに変わるでしょうか? もし職業もリセットされるなら、二度目の昇級試験がいると思いま…
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