202話 s
冒険者ギルドは閑散としていた。
普段は無所属プレイヤー達で賑わうはずのその場所は、まるで打ち捨てられた廃屋の様に静まり返っている。
最前線には精鋭が壊滅するほどの未知の敵がたくさんいて、カロア城下町でも大勢が死んだ。そんな状況の中、先を目指すプレイヤーが少ないのも無理はない。
そもそもNPCが運営する冒険者ギルドよりも、紋章が管理する本部でクエストを受けた方が手厚い支援が受けられるし安全だ――ただ、そんな常識さえ知らないプレイヤーもアリストラスに大勢いるのが現状だった。
(クエスト……受ければいいんだっけ?)
不安な表情を浮かべながらクエストボードを眺めるマグネ。
引き篭もり勢の彼女は、キングゴブリンによる侵攻の時も、解放者によるPKの時も、依存先からの援助を受け、ぬくぬくと過ごしてきた。
これは彼女に限った話ではない。
アリストラスにいる約65%ほどのプレイヤーは、未だ剣すら振るったことのない引き篭もりばかりなのだから。
「……マグみたいなクズは誰かに寄生して生きていくしかないのに」
怒りに任せクエストボードを叩くマグネ。
自分はか弱い存在であるが、そもそもこんな世界に適応できる人の方がおかしいのだ。だから自分は悪くないし、別に多くを望んでいるわけじゃない。安眠できる場所があればいいだけなのに――そう自分を正当化しながら、再度、クエストボードへと視線を戻した。
「討伐依頼は無理……だよね……」
そもそものシステムをあまり理解していないマグネは、誰かを頼ろうとあたりを見渡す。
「依頼を受けますか?」
受付の方から無機質な声が聞こえる。
そこには柔和な笑みを浮かべた女性NPCが立っており、マグネは安心した様に駆け寄った。
「あ、あの、クエストを受けたいです……」
「そうですか。報酬として何を最も重視しているか教えていただけますか?」
勢いで来たものの、マグネは自立するつもりはなかった。ただガララスを見返してやるために、自分でも出来ることを証明するためにここに来ただけだ。
(一番必要なのはお金だよね)
「最も重要な報酬はお金ですね」
「そうですか。では報酬が高額なものをご用意いたしますね」
そう言いながら受付が手慣れた手つきで虚空を操作すると、マグネの前にクエストウインドウが表示された。
○○○○○○○○○
依頼内容:あの泥棒猫を捕まえてくれ
依頼主名:シャロン
有効期間:48:00:00
依頼詳細:うちの家宝が入った箱を猫が盗んで行きやがった。普段魚屋の近くをウロウロしてる野良猫だ。奴を捕まえて箱を取り返してくれ! 家宝以外の中身はくれてやる!
目的:家宝が入った箱の奪取(0/1)
報酬内容:1,200G/ 80exp
○○○○○○○○○
「報酬……1,200G!?」
あまりの金額に驚きの声を上げるマグネ。
宿屋の一泊は50Gなので、野良猫一匹を捕まえるだけで、24日分の宿代が手に入ってしまう計算になる。
依存先からのお小遣いが平均して500G。
紋章からの支援金は月に一度2,000G。
そのほとんどを娯楽費に回すことができる。
「こ、これにします!」
そう言って承認を押すマグネ。
視界の端にクエスト進行中の文字が浮かんでいる。
「魚屋の座標をマークしておきます。頑張ってくださいね」
そう言ってはにかむ受付NPC。
マグネは上機嫌でギルドを後にし、マークされた場所まで走って行った。
◇
魚屋に着いたマグネは、口に小さな箱を咥える黒猫を見つけた。
「いたぁ!」
とんとん拍子に進みすぎている。
熟練のプレイヤーなら、この違和感に気付けただろう。
通常、お使いクエストの報酬は良くても100〜120G程度であるため、このクエストがいかに〝異常〟かが分かる。
当然、初めてクエストを受けた彼女に分かるはずもない。
マグネが黒猫に近付くと、黒猫は彼女を嘲笑うかのように路地裏へと歩いて行った。マグネは後を追うのだが、その奥には大柄な人陰があった。
「いいぞゼレ、お前は賢い猫だ」
そう言って黒猫の喉を撫でるその男。
上質な鎖帷子をはじめとする、仕立てのいい防具。そして腰には汚れた斧が下げられている。
男はマグネに気付くと、その表情を変えた。
「……この箱の持ち主か? 悪いがコレは俺のモノになったんだ。諦めてくれ」
そう言いながら箱を開け、中に入っていた指輪を値踏みする様に天へとかざす。
(何この展開……聞いてない……)
「あ、諦め、ます……」
そう言って後退りするマグネに、男は深いため息と共に「まぁ諦めるわけねぇよな」と言いながら、腰の斧をゆっくりと抜いた。
おたずね者のリック Lv.6
「え?」
状況が飲み込めないマグネ。
「《土壁》」
リックが地面に手をつくと、マグネの後方で土の壁が音を立てて競り上がってゆく。
尻餅をつく彼女――すぐ後ろは壁だ。
(閉じ込められた……?)
退路が断たれたことに遅れて気付いた。
「見られちまったからには殺すしかねえよ」
飛び上がったリックがそのまま斧を振り下ろすと、無防備な肩に金属の刃が深々と突き刺さり、鮮血にも似たエフェクトが宙を舞う。
「?!?!?」
呆気に取られるマグネ。
LPが一気に残り3割まで減っていく。
重み――熱――恐怖――そして激しい痛み。
筋肉と骨が裂けていく痛みが彼女を襲った。
「ぎぃいい?!!!?」
あまりの痛みにのたうち回りながら、勝手に出てくる涙と鼻水に顔を濡らし、一心不乱に這って逃げる。
「ここ、町中、攻撃……痛い痛い痛いあああ!!!」
町中なら如何なる攻撃も無効。
そう勘違いして生きていたマグネにとって、これはゲーム内で初めて受けた痛みであった。
プレイヤー同士での攻撃は都市内で禁止されており、城壁がある限り、町中での戦闘は不可能――それはもちろん〝プレイヤー同士〟での話である。
この〝泥棒猫クエスト〟は、表向きはお使いだが、最終的にNPCとの戦闘に突入する特殊な内容となっている。イベント戦で死ぬ可能性がある危険なクエストとして、紋章ギルド本部では要注意リストに名を連ねているほどだ。
斧の先で土壁を削りながら、リックがゆっくりとした足取りでマグネに近付いてゆく。
「楽にしてやろう」
「い、いや……いやだ……なんでもします。なんでもしますからぁ!!」
命乞いもNPCには届かない。
マグネを見下ろす形まで近付くと、リックは血塗られた斧を振りかざす。死を覚悟したマグネの頭の中では、なぜかガララスの言葉が蘇っていた。
『追い込まれれば子供ですら戦えるということだ。その点貴様はどうだ?』
マグネの顔つきが変わる。
何か覚悟を決めたような、そんな顔に見えた。
「《強化付与・脚力》」
呟く様に何かを唱えるマグネ。
右足に赤色の光が灯る。
『女が男に勝つには正確に弱点を突けばいいだろう。あの形からなら金的が最も――』
そのまま思い切り足で蹴り上げると、リックは苦悶の表情を浮かべながら宙に浮いた。
LPが3割ほど削れていく。
「死ぬ時は好きピと一緒にって決めてるんだから!!!」
謎のキレ方をするマグネだったが、闘志に火がついたことで、彼女は奇跡的に立つことができた。彼女はそのままストレージからボロの剣を取り出すと、不恰好に構える。
『これもう要らねえからやるよ』
それは最愛の彼から受け取った、ゲーム内最初で最後の贈り物だった。
「《 強化付与・武器」
ボロの剣に赤色の光が灯る。
彼女の固有スキルは〝強化付与〟。その効果は「段階的にその部分を強化する」というもので、現状で「2段階」までの強化を行うことができる。
最愛の彼と何度か行ったフィールドで、彼に喜んでもらうため、彼女は「戦闘に入ったら強化付与を行う」ことを体に馴染ませていた。
土壇場でその経験が呼び起こされたようだ。
よろめくリックにマグネが突っ込んでいく。
「うぁああああ!!!」
力任せに振り下ろした剣は、脚力強化による加速も相まって、凄まじい威力を発揮。斧のガードを突き破り、リックの右顔面を押し潰す。
剣の耐久値が0となり、音を立てて砕け散った。
「ぐおおおお!!!」
リックはLPを1割未満まで減らされながらも、鬼の形相で彼女の首を掴み上げる。
マグネは拳に力を込め、リックの首元を見下ろした。
「《 強化付与・腕力》」
ズドン!! という凄まじい音と共に拳がリックの首を撃ち抜いた。リックは白目を剥きながら泡を噴くと、その場に崩れる様にして消えていったのだった。
レベルアップを告げる音が二度ほど続く。
しかしマグネにそれを喜ぶ余裕はなかった。
「ありがとう、恵介くん……」
最愛の彼の名前を呟きながら、折れた剣を抱き、咽び泣いた。