200話
大都市アリストラス――
非力なプレイヤー達も、有力ギルドからの援助もあって自立できる者が日に日に増えていた。自立した人達は装備と回復薬を揃えてフィールドに繰り出し、日課となったクエストをこなすのである。
そんな平和なアリストラスの風景は、ある時期を境に変化を遂げていた。
「ボス戦代行たったの1万Gどうすかー?」
「俺達[黄泉の常闇]に入ってくれれば最前線でも使える剣を貸し出し――」
「奴隷募集してます。ちなみに俺一等地に家持ちで、元最前線組です。契約してくれるなら毎日遊んで暮らせますよー!」
最近になって、都市の大通りで何かを宣伝する人の姿が多く見られるようになっていた。
彼等の殆どが前線からのドロップアウト組であり、紋章とは別のギルドに所属するプレイヤーである。
プレイヤー間の暗黙の了解として〝過度な金銭的・物的支援〟や〝奴隷契約〟を禁止している。
前者は線引きが難しい所だが、受け取ったプレイヤーが短期間で大幅なレベルアップを遂げた結果、様々なタイプの敵・罠との経験を積めなかったことで難関エリアに躓き、そのまま死亡するパターンがデータとして多く出ている。
後者は双方が満足していれば文句は言えないが、これは道徳的な問題である。デスゲームから解放された後のことも考え、犯罪者予備軍を量産する恐れがある奴隷は大っぴらに禁止令が敷かれていた。
しかし今、高レベルプレイヤー達はまるでタガが外れたように振る舞っている――その全ての原因が大規模侵攻にあった。
道ゆく人々が彼等に訝しげな顔を向けて立ち止まる。
「最近ああいうの増えたよな」
「ちょっと前まで最前線にいたから超レベル高いし、力づくで止められる人いないし。やりたい放題だよ」
「てかなんで最前線から戻ってきてるんだ?」
「知らないのか? 最前線組が壊滅した話」
会話をする二人は引きこもり勢だ。
そんな二人にも、最前線からの悪い知らせは届いていた。
「ええ? じゃあクリアが遠のいたってこと?」
「端的に言うとそうなるけど……」
「まじかよ使えねぇな。あーーもーいつになるんだよ」
心ない言葉に誰も反応を示さない。
一度でも死線をくぐった者なら、そんな言葉は口をついて出るはずがない。
「命を賭した人達に対してそんな言いかたしないでください!」
商店街にドスの効いた声が響いた。
二人組は青ざめた顔で振り返る。
そこには乱れた髪と憔悴した顔で睨みつける、紋章アリストラス本部の受付ルミアが立っていた。
相手が女性だったからか、二人組は「驚いて損した」と言わんばかりに安堵すると、悪びれる様子もなくこう続ける。
「はぁ? 戦うも籠るも自由だって選択させたのは紋章ギルドだろ? それに従った俺達がなんで責められるんだ」
「女はいいよな。困ったら強い奴と奴隷契約結べば将来安泰じゃん」
そう言って去っていく二人組の背中を見ながら、ルミアは肩を震わせその場に泣き崩れた。
引きこもり勢の支援が落ち着き、新設部隊の戦闘訓練も順調で、ウル水門やイリアナ坑道の踏破報告が増えてきた矢先のことだった。
ギルドの心臓であるアルバ達が無事だったのは不幸中の幸いだが、ガルボ達第6部隊からはじまり、支部長のK、バーバラ達第7部隊、最前線組の相次ぐ死亡報告――そしてワタルの離脱。
ギルドの中軸を担っていたプレイヤー達が相次いで死亡したことで戦意喪失した者も多く、脱退者は増える一方だ。管理体制も崩壊寸前。アルバやフラメが指揮をとっているが、状況は一向に回復していない。
「皆……いなくなってしまう」
ルミアはワタルやミサキ達を送り出したあの日の光景が頭から離れなかった。
あの中の何人が死んだのだろう。
引きこもり勢を自立させ次の街に送る行為が本当に正しかったのだろうか――と、ルミアは自分を責めた。
「ルミア。辛いでしょうがやるべきことは山積みよ」
彼女を気遣うようにして、背を向けたまま話しかけるキャンディ。
恋人が死のうが、友が死のうが、悲観しても現状は何も変わらない。
進まなければならない。
進まなければ、終わることはない。
「そう、ですね……」
残ったメンバーの確認と配属先の再設定。今後の方針や支援の割り振りなどを幹部達と早急に話し合う必要がある。
悲しんでいる暇はないのだ。
「地下迷宮を踏破した。大規模侵攻で全滅しなかった。この2つだけでもいいニュースとして受け止めるしかないわね」
「そうですね。一歩前進したんですもんね」
「将来的に、私がカロアの支部を切り盛りするかもしれないし……その時は本部のこと、任せたわよ?」
キャンディは空席となった支部長の席を打診されている。
メンバーから厚い信頼を得ていることと、単純な武力を総合的に見ても彼女しか適任者はいない。
「仕方ないですもんね……」
「今は体制を立て直すことが何より大事だからね。ちゃんと道を示してあげなきゃ、皆すぐ死んでいっちゃうから」
ルミアは再び暗い顔を浮かべ天を仰いだ。
曇天の空は、紋章ギルドのこれからを示唆しているように見えた。
◇
治安が悪くなりつつあるアリストラスの街中を、一人の女性がすたすたと歩いていた。
血色感のない白い肌はまるで人形のようで、端正な顔立ちはどこか儚い印象を受ける。
メッシュの入った黒の長髪。
グレーの瞳、華奢な体。
リップは暗めのローズ。
下瞼にしっかり引かれたアイラインに赤系統のアイシャドウなど、いわゆる〝地雷系メイク〟が施されている。
「あ! みーくん待った?」
壁にもたれながらタバコを吸う男を見つけると、彼女は嬉しそうに小走りで駆け寄った。
男の装備はアリストラス近辺では敵なしといったハイクラスな代物で、一目で彼が〝最前線組〟であることが見てとれる。
「おせーよ。早く行くぞ」
「はあい!」
浮かれた様子の彼女は、男に腕を絡めながら歩き出す。二人は商店街の方へと歩いてゆき食事や買い物を堪能した後、男の個人宅へと消えていった。
翌朝――
「じゃあまた夜にね!」
「あー無理無理。今日は予定があるんだよ」
男は鬱陶しそうに手でシッシとやっている。
「え、でも今日は……」
「なに? 俺の言うこと聞けねぇの?」
「あ……ううん。みーくんがそう言うなら、今日はもうここには来ないようにするから」
まるで邪魔だと言わんばかりの男の対応にも、彼女はめげることなく笑顔で手を振った。
「たっ……!」
振り返った直後――誰かとぶつかり尻もちをつく。
「ごめんなさ……」
「邪魔よ! ったく」
ぶつかってきた女性は謝ろうともせず、ずんずんと歩き去っていった。
「……」
おもむろに振り返った彼女が見た光景は、先ほどまで愛を確かめ合っていた男とその女性が家へと消える姿だった。
しばらく座り込んでいた彼女は「お姉さんかな?」などと呟きながら、お尻をぽんぽんと払い立ち上がる。
無意識に噛んでいた唇に笑みを浮かべ、彼女はそれを見なかったことにして歩き出した。
彼女の名前はMaguNe。
半同棲していた彼氏がeternityの無料配布枠に当選。離れたくない一心で自費購入した彼女は、彼氏と共にこの世界へと生み落とされた。
離れまいとする意思がそのまま名前の由来となっている。
先ほどの〝みーくん〟がその彼氏かといえばそうではなく、みーくんはマグネにとって何人目かの依存先だ。
言われるがままに従い、されるがままに扱われ、そして捨てられる。純情を散らしてもここは仮想世界であり、自分の体は清らかなまま――そう言い聞かせながら、マグネは自分の行動を正当化して毎日を生きていた。
「恵介くん……」
つい溢れた最愛の彼の名前。
周りに彼がいるはずもなく、マグネは自分がたまらなく惨めに感じていた。
しかし彼女はこの生き方しか知らない。
一時の惨めさを埋めるため、こんな自分を肯定してくれる依存相手を作り、偽りの愛情を抱いて眠りにつく。
◇
マグネは実に数ヶ月ぶりにフィールドへ出た。
彼女に戦闘の経験など殆どなかったが、最愛の彼と冒険した数十分の経験値で、レベルは7となっている。
レベル7もあれば、アリストラス周辺で即死するようなことは滅多にない。
「行くぞ! アイシングストライク!」
冷気を帯びた剣がネズミの体を貫くと、ネズミは光の粒子を散らしながら地面を二、三度跳ね、爆散した。
「ふぅー決まったな。どう? 俺のアイシングストライク。ハッキリ言ってこの辺の敵は相手にならないね。マグたんは俺が守るし、どんどん倒していこうか」
振り返り微笑んだのはまた別の男だ。
引きこもりから脱却したばかりの彼は、レベル7になったことで自信を持ち、マグネをフィールドワークに連れ出したのだった。
活躍する様を見せたかったのだろう。
マグネの反応を見てほくそ笑む男。
彼の中では、手応えが十分にあったようだ。
「うん! マグも頑張って手伝うね!」
元気よくそう答えながら、二人は適当にナット・ラットを狩りまわっていた。
男は戦うマグネの体を見ながら口元を緩める。
「そろそろ休憩する?」
「うん。じゃああそこで座ろっ?」
マグネが木陰を指差すと、男は少し不機嫌そうな様子で首を横に振った。
「き、休憩って言ったら、や、宿屋しかないでしょ」
マグネは知らぬ間に自分が唇を噛み締めていることに気付き、慌てて微笑みを作る。結局そうなるのかと嫌気がさしたが、彼女にとってそれは取るに足らないこと。
最前線で起こった大規模侵攻によって、各拠点の治安は目に見えて悪くなっていた。
拠点の守護者たる紋章ギルドの戦力が半減した結果、粗暴なプレイヤーを厳しく取り締まる余裕がなくなり、やさぐれた最前線組が流れてきた影響で、アリストラスとカロアの治安は特に酷くなっている。
力のない者は憂さ晴らしの相手にされ、しかしその強者を誰も咎めることができない。ステータスが全てのこの世界において〝強い者が全て正しい〟という、最悪の事態に発展したといえる。
尊厳と引き換えに強者に取り入る者も増えた。その影響で、強引なアプローチをする輩も増える結果となっていた。
(今日はこの人か……)
男の顔をぼーっと見つめるマグネ。
求められることは嫌いじゃなかった。
この世界にいていいのだと、必要な存在だと、赦されているような気持ちになれるから。
何もかもを忘れ、眠ることができるならなんだってよかった。
「紅騎士君が言うなら、そうしよっか」
自分はちゃんと笑えていただろうか。
乱暴に手を引かれながら、マグネは茜色に染まる空を見上げ、それから考えるのを辞めた。
そうしてフィールドから戻る道中、マグネ達は数名のプレイヤーと鉢合わせしたのだった。
「あれ、君見ない顔だね」
「なになに? 可愛いじゃん」
「ちょっとメンヘラっぽいけどな」
マグネが同伴者に視線を向けると、同伴者の男は勇気を出してプレイヤー達に抗議する。
「こ、こいつは俺の女だぞ! この日のために何度もご飯を奢ってるんだ!」
その抗議の様子に、男達は顔を見合わせた。
そして彼の装備を確認し、とある結論を導き出す。
「君、引きこもり勢でしょ?」
「え! な、なんでそんな……」
「見りゃわかるし。てか弱いくせにイキがっててウケるな。こっちはカロアを拠点に活動してんだわ」
彼等のレベルは平均して32。
引きこもり達にとっては雲の上の存在だ。
「チッ!」
たまらず駆け出す同伴者。
残されたマグネが男達に囲まれる。
「休憩がどうとかって言ってたけど、俺たちと休憩すればいいよね?」
「あの辺で休憩しようよ」
そう言った男達は木陰の方を指差した。
マグネの手を取り、引っ張っていく。
「さあ着いた着いた」
まるでモノを扱うように、ぞんざいに地面に放り出されるマグネ。
芝の上で仰向けにされ、揺れる木の葉をぼーっと眺めていると、一人が彼女の頬に触れた。
マグネはピクリと体を震わせる。
自分は必要とされるんだと言い聞かせる――そうやって自己を肯定し続けることで、彼女は精神を保つことができる。
何かが覆いかぶさると、彼女の視界は薄橙色の一色に変わった。
バギ、ギキキキキ!!
凄まじい音が鳴り響いた。
まるで大木が折れて倒れるような音だ。
「木が倒れるぞ!」
誰かが叫び――実際に大木が倒れてくる。
幸いマグネ達とは別方向に倒れた木に皆が唖然としている中で、誰かがソレを見て絶句した。
「ば、化け物だ!!」
マグネを置いて逃げ出す男達。
マグネも遅れてソレに気付いた。
「ひっ……!」
見上げるほどの大男。
赤い髪と立派な髭、豪華な鎧を付けており、どこぞの将軍のようだとマグネは思った。
「ここには弱い奴しかおらんようだな」
面倒そうに頭を掻く大男は、足元で小魚のように口をぱくぱくさせる、奇妙な容姿の女を見つけた。
「おい貴様。アリストラスへはどう入ればいいんだ」
あまりの迫力に気圧されながらも「あ、あ、あの門から……」と答えると、大男は満足そうに笑いながら彼女をひょいとつまみ上げた。
「よし女。我を案内しろ」
「へ?」
これが――第三位魔王ガララスと、これから数奇な人生を送るマグネの出会いであった。
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