193話
バンピー過去編 後編
彼女はもう楽になりたかった。
何を糧に生きればいいか分からなかった。
アンデッドは死に最も近く、最も遠い。
アンデッドとなった彼女に死は訪れない。
建物が瓦礫に、瓦礫が砂になった頃だ。
少女はそこで、一人の男と出会った。
「やあ、はじめまして」
フードで顔は見えないが、若い男の声だ。
少女は数千年ぶりに出会った生きた人間に驚き、喜び――そして殺意を抱いた。
(こんな場所に一人で……普通じゃない)
足を進め、己の領域の中に男が入ったその刹那、少女の顔は驚愕の色に染まる。
「その力は僕に及ばないかな」
戯けた様子で手を広げる男。
「うそ……?」
今の自分のスキルでも死なないならば、それは死の概念が無いアンデッドに他ならない。
しかしどうだ。
この男、明らかに人間の気配である。
男は愉快そうに笑ったのち、その疑問に答えるように口を開く。
「ごめんごめん。僕は世界を管轄する立場だから、そういうのは通用しないんだ」
「世界を、管轄? まるで自分が神とでも言いたい様子ね」
「近からずとも遠からずかな」
飄々とした態度で肩をすくめる男。
人差し指を立て、続ける。
「僕は母なる存在の命を受けて〝ある条件を満たした理想の世界〟を選別するために世界を渡り歩いてるんだよ。この世界以外にも、同じような世界が無数に存在してるって聞いたら君は驚くかい?」
「……」
「まぁ、この世界ではこの世界が全てなわけだもんね。でも母なる存在からしたら、この世界は沢山ある中の泡の一つ……突いたら割れて無くなるくらいに、ちっぽけなものなんだよ」
そう言いながら、男は少女を指さした。
「話を戻すけど、君を倒せる存在はもうこの世界に残っていない。不滅な君がいる限り、この世界に成長は見込めない。ここは母なる存在が求める世界になりえないから、僕が終わらせに来たんだ」
それを聞いて、少女は微笑んだ。
その妖艶な笑みに、男は怖気を覚える。
「そう……あなたが泡を割る役目なのね」
目は死んだまま、口だけが裂けるように笑みを作っている。
少女の目からは涙が溢れ、天を拝むように膝をついた。
「やっと、やっと終わる――この地獄が。終わらせてよ、今すぐ、さあ!」
ここ千何百年、目的も何も持たずにただ世界を彷徨っていた彼女。満たされない飢えと、尽きない命が、狂った彼女をさらに狂わせた。
終われる。この世界が、この命が。
やっと終われる――!
しかし、男は小首を傾げて笑う。
「悪いけど、君を終わらせるつもりはないよ」
少女は男に斬り掛かっていた。
巨大な斧を何度も振り下ろし、叫ぶ。
「ふざけないで!!! 殺せ! 殺せ! 殺せよ!! 終わりにしてよ!!!!」
斧は男に当たる寸前で、見えない何かに阻まれるように動かなくなる。《system block》という謎の記号が弾ける。
「母なる存在は君含めた世界の破壊を指示してきたけど、いま判断するのは僕だ。残念ながら、僕は君を来るべき時のため幽閉するために来た」
男が虚空に手をかざすと、真夜中のような真っ黒い穴がぽっかりと現れ、それは凄まじい引力で少女を吸い込まんとする。
少女はまだ、荒野に立っていた。
男は驚いたように口を開く。
「おお、これを耐えるのか。流石は世界の王だね」
「妾をどこに閉じ込める気だ。嫌だ、また、またあんな狭い場所になんて……」
思い出すは己が人間だった頃の記憶。
狭い塔の上、騙され続けて閉じ込められた。
とっくに死んでいた親友を想い眠る日々。
「大丈夫。そこには君と境遇が似た者達を呼ぶ予定だから。全部で五……いや、六人、かな?」
男を無言で睨む少女。
男は真剣な声色でつぶやく。
「ごめんね。僕にも時間がなくてね、色々説明する暇はないんだ。それじゃ、頼んだよ」
その台詞を最後に、少女の体と意識は闇に吸い込まれていった。
気付けばどこか妙な城に少女は立っていた。
そして男が言った同類と出会い、自分は大きな力によって|また閉じ込められたのだと悟る。
自分の固有スキルで同類は殺せなかった。
それは向こうも同じで、彼女を殺すこともできなかった。
そこからまた数百年の月日が流れ――運命の日が、やって来る。
◇
城の外で何もない空間を眺めていた彼女は、ふと、何かが倒れていることに気付く。
(人……? あり得ない、人なんてこの数百年、見かけたことがなかったのに)
起き上がったその人物は何か虚空を見つめ、動揺したように崩れ落ちる。その姿が、かつて彼女と共にあった〝彼〟とダブる。
「ねえ君」
思わず声をかけずにはいられなかった。
自分の中の何かが変わる――そう思った。
「なぜここに……」
「ッ! そうだ、大変なんだよ! ログアウトが、ログアウトができないんだ!!」
肩を掴まれハッとなる少女。
それは久しく感じなかった人の温もり。
かつての誰かのような冷たい体でもなく。
かつての誰かのような偽りの愛でもない。
確かにそこにある、人の温もり。
その人物は彼女の固有スキルで死ぬことはなかった。
その事実に、少女――バンピーは驚愕の表情を浮かべた。
(この子……)
突然沸いたイレギュラーな存在に動揺するバンピー。そしてほどなくして気絶したその人物――修太郎は、他の魔王達が何をしようが、傷一つ付けることができなかった。
その後、自分達は彼の支配下に置かれたことを知り、一時はかつての忌々しい記憶で激情しそうになるバンピーだったが、彼の死を以て自分の生涯も終わらせられることを知ると、バンピーは数千年越しに生きる希望を得た気がしたのだった。
◇◆◇◆◇
死を望み、殺そうとまでした自分を許し、受け止めてくれた唯一の人。
その人が苦しんでいるのに、自分は扉を破る勇気すらない。
『主様の心を支えていたのは、我々ではなく少女達だったということだろう?』
頭の中で、第三位の言葉が蘇る。
暴力だけでのし上がった男に何が分かる――そう否定しようと口を開き、結局言葉は出てこなかった。
「実際にそうじゃない……」
魔王が近くにいても、城の中にいても、主の心はここにはない。その事実がバンピーの心を締め付ける。
しばらく部屋の前で自己嫌悪と戦っていたバンピーは、隣に来ていたプニ夫を見下ろした。
「アンタ……アンタも同じだよね」
主を思う気持ちは皆同じだ。
そこに序列や種族など関係ないのだから。
プニ夫を抱き、扉の前にそっと置いた。
(主様と出会わなければ、こうして何かに触れることすらできなかった。妾は変わった。今ならもっと変われる。主様の心の支えになれるように、変わってみせる)
決意を胸に、歩き出すバンピー。
しばらく揺れていたプニ夫は、扉の下の隙間から、ニュルンと部屋へと入っていった。




