190話
ワタルが消えた部屋内は重苦しい空気に包まれていた。
「今後の流れを決めようか」
アルバは必死に考えを巡らせながら続ける。
精神的支柱であったワタルの離脱は大きな痛手となったが、新ギルドマスターにアルバが就任したことで、大きな混乱は生まれなかった。
「近々で我々がやるべきことは二つ。サンドラスの復興手伝いと、エリア開拓だ」
サンドラス甲鉄城は、斬撃や爆撃による損害で城壁が崩れた状態だ。ワタルが言っていたように、先を目指す上でも拠点の強化は優先度の高い仕事といえるだろう。
「復興手伝いはフラメ先導の下行うものとする。クラフター達を引っ張ってきて対処できそうか?」
「え、ええ、まぁ」
なんとも歯切れ悪く答えるフラメ。
ワタル脱退のショックが隠しきれない様子だ。
アルバは構わず続ける。
「我々は練兵や徴兵を行い、ゆくゆくは攻略も目指すが……その前に、誰かをサブマスターに据えたいところだな」
そう言ってアルバは会議室をぐるりと見渡す。
今まではワタルという指導者がいて、アルバとフラメが別の視点からそれに意見し、今後の流れを決めていた。人数を奇数にしていたのは、意見が割れれば多数決が取れ一極化せずに済むからだ。
「なら、天草さんが適任じゃないですか?」
誰かが言うなり、周りは「確かにそうだな」と頷き始める。
軽薄そうな笑みを浮かべる細目の男。
退屈そうに椅子にもたれかかっていた本人は「え? 僕が?」などと困ったような表情を浮かべている。
そんな天草に視線を向けるフラメ。
(確かに、トップが変わって不安定な今こそ、彼の派閥を引き入れておくべきかもしれない。このままごっそり脱退という可能性だってあるだろうし……)
紋章ギルドには大きく分けて2つの派閥がある。
ひとつはワタル――というよりも紋章の行動理念に賛同するワタル派と、少々過激だがエリア攻略で高い成果を出している天草派だ。
「んー、僕は方針を曲げるつもりないけど、そこん所は容認してもらえるのかな?」
そう言いながらフラメを見つめ返す天草。
笑っているようで笑っていない、全てを見透かすような細目に、フラメは底知れぬ不気味さを感じていた。
アルバが庇うように口を開く。
「ギルド全体の意見としてではなく、あくまでもサブマスターの一意見として取り入れるつもりではいる」
「そっかそっか。まぁ僕はどっちでもいいよ」
などと言いながら、天草はカラカラと笑う。
(奴は今の紋章にとって毒のようなものだ)
アルバもフラメ同様に複雑な心境だった。
天草派の方針は八岐やaegisと似た「攻略絶対主義」な所があり、非戦闘民の待遇についてしばしば衝突した過去もある。
とはいえ、最前線組の練兵というだけなら、天草の能力には一定の期待値があった。
こうして、紋章のギルドマスターにアルバが臨時就任し、サブマスターに天草が就任したのであった。
◇
ボロ切れのようなマントが風に靡く。
フレンド欄を眺めながら亡くなった仲間達の名前をなぞると、彼等の顔が浮かび、塵のように儚く消えた。
友として一緒に冒険した者。
自分が誘って加入した者。
ギルド方針に感銘を受けた者。
皆――自分の指示で死んでいった。
リタイア組をカロア城下町へと送り届けたワタルは、その足で30名が消息を絶ったオルスロット修道院へと向かっていた。
「カロア支部に顔を出すべきだったかな……いや、もう僕は何者でもないんだったな」
自傷気味に笑うワタル。
土を踏み締める音だけが響いている。
「おいそこの」
不意にかけられた声に視線を向けると、そこには豪華な鎧を身に纏った、金髪の騎士が立っていた。
◇
時間は進み――ロス・マオラ城。
魔王達は王の間に集まっていた。
大規模侵攻を抑え込み、他の町も被害ゼロと完璧な防衛を成功させた魔王達。
しかし、その表情は暗く険しいものだった。
空席を見つめながら、神妙な面持ちでバンピーが口を開く。
「主様の状態はどうなの?」
その問いに答えたのはエルロードだった。
「精神安定魔法でなんとか持っているという印象です。ただ、睡眠を取らないおつもりなのか、催眠魔法も抵抗されてしまう状況です」
体を心配するエルロードの必死の呼びかけにようやく答えたのが、侵攻の日から2日後のことだった。
丸2日――修太郎は不眠不休でケットルを探し続けたのだ。
「そう。貴方の魔法でも駄目なのね」
精神操作系の魔法は、抗う意志が強ければ効果を打ち消すこともできる――が、それは実力が拮抗した相手に限った話だ。
レベル差というのは早々埋められるものではなく、5も離れていれば抵抗できずに操作されることだろう。
修太郎とエルロードには大きなレベル差があるが、それでも抵抗力が優ったということは、修太郎の精神が尋常ではないという証拠。
精神安定が効きづらくなっているのも同じ理由からであった。
「第四位はどうした?」
もう一つの空席を見下ろすガララス。
「引き続き探せ、と、私が指示を出しました」
「見つかれば主様の精神も安定するだろうからねェ」
もはや修太郎を回復させるにはケットルの発見が必須条件となっており、深刻そうにそう呟いたバートランドもまた、それしかないと理解しているようだった。
ガララスは口髭をさすって溜息を吐く。
「我等の献身が足りなかった、ということか」
「ちょっと。何でそうなるのよ」
その物言いにカチンと来たバンピーが食ってかかると、ガララスは淡々とした様子でこう続けた。
「主様の心を支えていたのは、我々ではなく少女達だったということだろう?」
「そんな話をなんで今するの?!」
「おいおい落ち着けよ。今やるべきは喧嘩じゃなく話し合いじゃねェのかよ」
バートランドが二人を止め、しばらくの静寂が落ちる――そんな中で口を開いたのはセオドールだった。
「今後の方針を提案するならば、主様が命じたことを継続するべきではないか?」
それは、各町およびプレイヤー達を侵攻から守るというもの。修太郎は〝頃合いを見て戦線から離脱せよ〟という指示は伝えていたが、任務を終了しろとは言っていない。
現に、外界への通路は繋がったままである。
「外界の治安維持、ねェ」
ポツリと、そう呟いたバートランドは、エマロで出会ったボロマントの青年の事を思い出していた。
『なぜ僕に良くしてくれるんですか?』
『〝祭り立てられた〟王様同士、お前に共感できるところがあるからなァ』
彼との会話が蘇る。
セオドールが鋭い視線を向けた。
「不服か?」
しばらくタバコをふかしながら考え込んでいたバートランドは、ふぅと深く息を吐き、首を振った。
「いや……確かにそのくらいしか今やれることはねェな」
バートランドが賛成の意向を示すと、他の魔王達も同意するように頷いた。
◇
魔王達の話し合いから数分後――
主の部屋の前にガララスは立っていた。
部屋の扉は重く固く閉ざされている。
(思えば最初に主がやってきた時に通されたのは客間であり、その後も、休む場所といえば誰かの世界やレジウリアの中だったな)
家臣を大事にする主君。
民想いの主君。
絶対的強者であるにも関わらず、強さを誇示せず、弱き者に手を差し伸べ、寄り添うような大きさと芯の強さを持つ偉大な主君。
しかし、数名の死によって主君は変わってしまった。
今や見る影もない。
「納得いかんな……」
ガララスはその重厚な扉をむんずと掴むと、バキリとむしり取るように扉を破壊した。
部屋の中に修太郎はいた。
眠ることもせず、呼び掛けにも応じず、ベッドの上に腰掛け、天井を眺めている。
その目はどこか虚で、感情が読み取れない。
「主様」
ガララスの声量でも、まるで聴こえていないように修太郎は動かない。痺れを切らしたガララスがズカズカと部屋へと入ってゆく。
修太郎はようやくガララスに気付いたようだが、虚な目はそのままに「どうしたの?」と微笑んだ。
その笑顔がひどく痛々しく、ガララスは奥歯を噛み潰す。
「どうしたらいいか分かんないんだ」
修太郎は投げやりにそう言った。
まるで覇気のない声色だった。
ガララスは拳を握り、修太郎の前に傅く。
「酷なことを申します。主様には為すべきことがあり、それをするべきだと考えます。王とは、失ったものを振り返るのではなく、悲しみに暮れるでもなく、超えていくものです」
その言葉に修太郎は俯いたままだ。
ガララスは構わず続ける。
「一人を助けるよりも、大勢を解放するため先を目指すべきです。我が貴方の剣となり、盾となりましょう。必要なのは供養ではない。全ての敵を討ち、安寧の世を築く――それこそが〝救い〟でございます」
修太郎は何も答えない。
その目に光が戻らない。
懇願するガララスに、ただ哀しい目を向けていた。
自分の言葉が届いていないことが分かると、悲しい表情を浮かべながら、ガララスは拳からゆっくりと力を抜いたのだった。
「何事です!!」
物音に気付いた魔王達は部屋の惨状を見て絶句し、ガララスを睨みつけた。
ガララスは動じることなく、無言で部屋を出ようとする。
「待ちなさい。どういうことか説明してもらえるかしら?」
バンピーの声は殺気を帯びている。
ガララスは冷めた瞳を魔王達に向けた。
「防衛に向かう」
そのままガララスが去ると、部屋に静寂が落ちた。
魔王達は心配した面持ちで修太郎に視線を向ける。
「主様……奴に何か言われましたか?」
バンピーの言葉にも修太郎は無言のままだ。
「俺がちょっと言ってきますわ」
そう言ってガララスを追うバートランド。
エルロードが壊れた扉に手をかざすと、扉は逆再生するかのごとく、ひとりでに修復していった。




