189話
修太郎はオルスロット修道院にいい思い出がない。
大切な友人を解放者の手によって奪われ、再びここで友人達を奪われた。もはや〝無い方がいい〟とさえ思いながら、修太郎は修道院の中をゆっくりと歩いていた。
(何度も来てるけど、特に違和感はないかな)
設備自体に変化はない。
大きく変わったといえばNPCが出現したという所だが、その挙動も、他の教会と何ら変わりはないように思えた。
かつて薄暗かった室内には月の光が差し込み、非常に明るく感じた。それは照明の効果ではなく、天井に空いた大穴の影響であった。
天井に空いた穴――これが唯一の変化だといえる。
「お祈りに参られたのですか?」
声のした方に視線を向けると、そこには温和な笑みを浮かべた女性NPCが立っていた。
何の変哲もない修道女に見えるし、とても害のある存在には見えないのだが、修太郎はとても冷ややかな視線を彼女に向けている。
「いいえ……」
その言葉に、修道女は残念そうな顔で「そうですか」と答えた。
「私はここの修道院長のドゥオと申します。教会・修道院の利用について分からないことがあれば、なんでも仰ってくださいね」
徐に天井を指差す修太郎。
「あの穴はいつから空いてるんですか?」
「さぁ……分かりません」
本当に分からないといった様子で首を横に振るドゥオ。
「ここで起こった失踪事件について教えてください」
「すみません。それはどういったことでしょう?」
「友人の一人が行方不明なんです」
「すみません。それはどういったことでしょう?」
機械的な返答に修太郎はため息を吐く。
このNPCは自分の役割以上のことを話さない仕様になっているようだと理解する。
「……もう聞くことはないです」
「そうですか。救いが必要な時にはぜひ利用してくださいね」と、微笑みかけるドゥオ。
時間の無駄だったと言わんばかりに、足早にその場を離れる修太郎は、帰り際、寂しそうな口調でつぶやく。
「救ってくれる神が本当にいるなら、皆助かったのに」
そのまま扉を押し開け、修道院を後にした。
◇
漆黒の闇の中、三つの影が空を駆ける。
一人は執事服を着た青髪の男。
一人は長い銀髪の美女。
そしてもう一人――涙に頬を濡らす少年。
闇夜の空を飛んでいる三人は、オルスロット修道院、イリアナ坑道、ウル水門の調査を終え、次なる目的地へと向かっていた。
『エマロはベオライトがいる。アリストラスにはガララス、カロア城下町にはバートランドが向かうし、彼等に調査してもらえばいい。僕たちはキレン墓地に向かおう』
主から発せられた声は驚くほど冷めていた。
死んだ動物のように濁った瞳で先を見ている。
冷静な声色とは裏腹に、手には抜き身の剣を持ち、落ち着きがあるとは言い難い。
『失礼、主様……』
エルロードが手をかざすと、修太郎の体が不思議な光に包まれる。すると修太郎の目に徐々に光が戻ってゆき、飛翔する速度が徐々に落ちてゆく。
『ありがとう』
少し落ち着きを取り戻した修太郎。
エルロードは小さく頷いた。
精神安定の魔法。
何度使ったかも分からないその魔法は、回数を重ねるにつれ、持続時間が短くなっているように思えた。
(はやく見つけ出さねば主様の精神が持たない……)
ケットルの足取りを追っている三人。
幾つかのエリアをくまなく捜索し終えた所だが、未だ消息は全く掴めていない。フレンド欄に光る『オンライン』の文字だけが、彼女の生存を証明する唯一の標となっていた。
『次の祈りはまだ残ってるよね?』
『はい。間違いございません』
修太郎の問いに、エルロードが返答する。
セルー地下迷宮の先にあった祈りは、精霊の撃破に伴い破壊された。お陰で先に進めるようになったが、同時に侵攻がなだれ込む事態を招いた。
侵攻は最前線の合同軍によって食い止められ、駆けつけたバンピーとセオドールによって全て処理されている。
最前線組は被害こそあったが大量の経験値を得た。
そしてセルー地下迷宮の先のエリア――『ソーン鉱山』への攻略権利も得たはずだ。
『次の祈りまでに5つのエリアが存在します』
『考え難いけど、そのどこかにケットルがいるかもしれないよね』
祈りがある限り、何人たりともその間を往来することはできない(少なくとも魔王達の力では不可能であった)。
つまり、修太郎たちの捜索範囲は、祈りよりも前のエリアまでの『全域』ということになる。
ひと口にエリアといっても、行き止まりや隠し部屋、宿屋の中や水路など、探す場所を挙げたらキリがない。それでも修太郎たちは、ウル水門までの全ての捜索を終えている。
文字通り、全てだ。
(ここまで不眠不休で探しておられる……場合によって魔法で眠らせねば体が持たない)
シルヴィアがエルロードに目配せすると、エルロードも同じ気持ちなようで、全てわかっているかのように頷いた。
『だめだよ』
前を飛んでいる修太郎の声だった。
修太郎は後ろを振り向かぬまま続ける。
『ケットルを見つけるまで僕は眠らない。眠らないって、決めたから』
シルヴィアは何も答えられず、ただごくりと唾を飲み込むしかできなかった。
精神安定の魔法が既に切れている。
エルロードの魔法をも押さえ込む修太郎の精神力に怖気を憶えながらも、魔王たち二人はただ主に付き従い、夜空を飛翔するばかりであった。
◇
合計48名。
今回の侵攻で命を落とした精鋭の数だ。
「俺はもう、ここでは戦えねぇよ」
鎧の男が絞り出すような声でそう言った。
会議用テーブルと椅子が並んだ薄暗い部屋の中、揺れる松明に、甲冑を付けた人の群れが照らされている。
冒険者ギルドに集まった数十名のプレイヤーは、ワタル達幹部数名を囲うようにして、今後のことを話し合っていた。
フラメが弁明するように口を開く。
「無理な防衛に参加させてしまったことは申し訳ありません。ですが、ここで食い止めなければいずれは――」
「防衛に参加するのは仕方ねぇと思ってるよ。俺達も同意してたし、アレを放っておけば終わってたのも事実だと思う。けどな、今回に関しても他のギルド連中が大した下調べもなくボスを倒した結果だっていうじゃねえか! 足並みが揃うように話し合いしておくべきだったんじゃないのか!?」
もちろんそれは結果論にすぎないが、男には冷静に物事を考えるだけの余裕はなかった。
彼は紋章に所属する前衛――そしてここ最近で、二人の友を失った人物でもあったから。
感情の赴くままに言葉を続ける。
「俺は正直、マスターが旗振ってデスゲ開始の混乱を収めた時からこのギルドが好きだよ。アリストラス防衛の時も、町を守れるなら、友人を守れるなら死んでもいいとさえ思ったさ!」
でもな! と、男は声を張り上げる。
「侵攻が終わったと思えば、またカロアで大量死だ。後ろの町を守れたと思ったのに、俺の友達……死んじまったよ……」
周りは静寂に包まれた。
解放者による大量PK。今回の侵攻。そして原因不明の大量死――と、直近であまりにも人が死にすぎたことで、メンバー達の心的疲労はピークに達していたのだ。
口を挟むべきかを悩むフラメ。
悲しそうに唇を噛み締めるアルバ。
ワタルは俯き、押し黙っている。
「大量PKのことを黙ってたのは納得できたよ。先に進んでクリアを目指すことが俺たちにできる弔いだと思ってたからな。でもよ、先に進んでも侵攻や大量死ばっかり起こるなら、進む意欲なんて湧かなくなる。それでもこのギルドが〝攻略ギルド〟であり続けるなら、俺はもう一緒には戦えない」
そう言って、男は席を立った。
彼の後ろにいる数名も意見が同じなのか、同調するように頷いている。
アルバが口を開く。
「生きている者達の脱出に繋がるんだぞ」
「最果てのボスを倒したら出られるなんて、MotherAIは言ってないだろ。何も証拠がないのに行き当たりばったりな指示にはもう従えない。俺はアリストラスに戻る」
その言葉に、周りのメンバー達も一様に顔を暗くさせた。
ゲームクリアとは何か。
多くのPRGゲームでは「最終エリアのラスボスを倒したら終わり」というストーリーが殆どであるため、eternityも例に漏れずそうではないかと推測されている。
そう、これはあくまで推測である。
Mother AIがメール文書で語った〝彼を壊す〟という文言には、いわゆるラスボスを指しているかどうかは言及されていない。
最終エリアに行っても脱出できる保証はない――それは、皆思っていたが口には出さなかった言葉だった。
「確証がないから目指さない……ということか」と、アルバが難しい顔で呟く。
男は眉を顰めて食い気味に言った。
「目指すより先にすべきことがあるだろう」
その言葉に大きく頷くアルバ。
「カロアの調査は皆で戻って行う予定を立てていた所だ。原因を見つけて、対処してから先を目指すとしても納得いかないか?」
「その後は結局最前線に戻るんだろ? 俺はもう先のエリアを目指さない。なんならカロアの調査は俺達が引き受けるさ。友人のために全力を尽くすよ。ただ戻ったらそれきりだ」
二人の意見は平行線だ。
アルバは声のトーンを上げて言う。
「かと言って、初期地点にいても何も進展しないだろう! 何か明確な変化があったか? 現実の体がずっと無事な補償もないだろう」
「現実からの救助を待つのだって現実的だろう。先に進むリスクを考えて、最初の拠点を命懸けで防衛しながら救助を待つ……これが俺の導き出した最適解だ」
男は周囲を見渡しながら言葉を続けた。
「アリストラスに戻るやつはいるか? カロアで途中下車しても構わないぞ」
事実上、最前線からのリタイア便だ。
周りのメンバーは少しだけ迷った後、ここにいる約3割がリアイアする意向を固めた。
「ッ……」
もどかしさに拳を握りしめるアルバ。
しかし、男の言い分は一理あった。
今回のようなことが続けば、攻略勢はどんどん数が減っていく。ならば全員でアリストラスを固めた方がいいのではないか? 彼が言うように、現実からの救護を待つという方法もある。
一理、というより、そちらのほうが正しいとさえ思ってしまう――アルバの心は揺れていた。
ずっと沈黙していたワタルが立ち上がる。
皆、自然と彼の言葉を待っていた。
「僕が責任を持って皆さんをお送りします」
「!」「!」
動揺したのはアルバとフラメだ。
「戻る人達と同じ意見ってことですか……?」
恐る恐るそう尋ねるフラメに、ワタルは微笑みかける。
「後ろで起こっている異変にもしっかり目を通さなければ意味がない。アリストラス、エマロ、そしてカロアと続く強固な拠点が断たれれば最前線組は孤立します」
攻略ギルドのトップが戻る意向を固めていることに、戻る組は少なからず驚いていた。
「僕はずっと先ばかりを見据えて皆に道を示してきました――が、あえて言います。今後も紋章の目指す場所は変わりません。世界情勢、各町で得られる情報や資源など、先を切り開くことで得られるものはとても多い」
食ってかかろうと口を開く男を手で制しながら、今度は彼のほうに微笑みかけた。
「僕の判断で大勢を死なせたこともまた事実です」
そう言いながら、彼は身に纏っていた鎧と盾を解除した。
その場にいる全員が呆気に取られている。
「行動の多くが裏目に出ていることは理解しています。だから――責任を取る必要があります」
「ダメ!!」
そこまで聞いてフラメが叫ぶ。
それでもワタルの意思は固かった。
「僕は紋章ギルドを脱退します」
部屋内に静寂が落ちる。
ワタルは何の意匠も施されていない無骨な盾に持ち替えると、身軽な鎧を着て、体全体が隠れるほどのマントを羽織った。
「だ、脱退するっても……なあ?」
焦ったように皆の意見を仰ぐ男。
意見したせいで紋章のトップが辞める事態になるとは想像もできなかったようだ。
「これ以上、僕の個人的な都合で人を振り回し、死なせるわけにはいきませんから。今後は各拠点の巡回と侵攻の処理、また最前線で得た情報の共有などで罪滅ぼしとさせてください」
それは、自分が描いた方針を、ギルド単位で目指した方向を、今後は自分一人でこなしていくという意味だった。
もちろんこの場にいる全員がワタルに全責任があるとは思っていなかった。しかし、たらればの話になるが、解放者事件を知った時点でカロアに戻る判断をしていれば、少なくとも謎の大量死は防げたのでは――とも考えてしまう。
(シオラ大塔攻略時点で、あの人は非難に晒されながらも皆の意見を仰いだ。残ったのは各々の意思だし、このメンツが残ってなければ侵攻での被害はもっと出てたはずなのに……)
唇を噛んで涙を堪えるフラメ。
彼が悩み、大きなものを一人で抱え込んでいることを知っていた彼女には止められなかった。紋章のトップが抜けた後の混乱よりも、ワタル個人を解放してあげたいという気持ちの方が強かったから。
ワタルはアルバに視線を向けた。
「後を頼みます」
「……」
アルバもまた、フラメと同じ気持ちであった。だから反論することもなく、静かに頷くだけだった。
◇
城内の警備にあたっていたミサキは、十数名から成る青色を見つけて現場に急いでいた。
現着したミサキが見た光景は、紋章ギルドのメンバーが今まさに北門から出る所であった。
こんな時間に集団で外に出る話など聞いていない。
頭をよぎったのは――集団心中。
「これは何の集まりですか!?」
問いただす様に声を上げるミサキ。
その場にいた皆が言い淀む中、一人だけボロのマントを着た男が代表して前に出てきた。
フードを取るマントの男。
「……ワタルさん……?」
そこには弱々しく笑うワタルの姿があった。
「何かトラブルですか? 私でよければお手伝いします!」
そう続けるミサキに対し、ワタルは首を振って再び微笑んだ。
「ミサキさんがこの場に残ってくれた方が安心できます。カロアの調査に参加したいなら歓迎しますが――僕にはもう、紋章の人を動かす権限はありませんから」
その言葉を聞いてミサキは気付いた。
ワタルの頭上にあったはずのエンブレム――ギルド所属を意味するマークが無いことに。
「それって……」
一瞬にして理解しつつも、頭の中のミサキが否定し続けている。困惑する彼女を見て、ワタルは白状するように言葉を続けた。
「僕はこれまで自分がやろうとしている事は〝正しい〟と疑いませんでした。結果的に亡くなった方が出てしまっても、最善のための尊い犠牲であると、ただ前を向いてきました」
そこまで言って俯くワタル。
ミサキは周りのメンバー達に視線を移す。
そこにいる全員が気まずそうに顔を背けた。
「カロア城下町で起こった事は、僕の判断次第で防げた可能性がありました。解放者事件の時点で攻略を中止しておけば、30名を助けられたかもしれない――僕は自分がトップで居続けていいのかと自問自答を繰り返しました」
風に靡くボロマントの奥には、いつもの鎧を纏っていなかった。それに気付いたミサキは、ワタルの意志が揺るぎないものだと確信し、そこで初めて涙が溢れてきた。
「誰も貴方の責任だなんて思ってませんよ! 貴方を失えば紋章は道を見失ってしまう!」
切羽詰まった様子でそう叫ぶミサキ。
今ギリギリの状態で留まっている紋章は、ワタルという求心力が失われれば、音を立てて瓦解する。そんな事は分かりきっている筈なのに、誰も止めようとしない周りのメンバーに苛立ちを感じていた。
「迷いが生まれているんです」
呟く様にワタルが言った。
「自分の考えに迷いがある者が、人の命を左右する様な指示を出したらいけないと思っています。僕はその未熟さに、多くの犠牲を出してからようやく気付いたんです」
そこまで語ると、ワタルは深々とフードを被って踵を返した。メンバー達はチラチラとミサキに視線を向けつつも、ワタルを追う様に歩き始める。
『私――ずっと戦います!』
あの時、ミサキは迷いなく言葉をかけることができた。しかし、小さくなるワタルの背中が消えてなくなるその最後まで、言葉は見つからないままだった。