187話
時間は侵入者討伐後まで遡る――
牢獄の中、ホリヴァイは近付く誰かの足音に怯えていた。
「聞きたいことがあります」
異様な雰囲気の美青年がそう言った。
執事服を着たその人物は、深く、冷たい殺気をホリヴァイに向けていた。
「な、なんでしょう」
「貴方が答えられる町の情報、周辺の情報が知りたいのです。それと――祈りについても」
祈り、という言葉について、ホリヴァイは心当たりがあった。しかし、自分が話せるかどうかはまた別である。
「祈り、ですか?」
「ええ。どんな些細なことでもいいです」
ホリヴァイは知っていた。
人類最果ての国レーン大国から南に行ったエリア[リンドヲ樹海]と[ル=ビ砂漠]の間に、緑色の結界のようなものがあることを。
伝承によればそれは精霊の祈りというもの。
世界が変わったある時から現れた見えない壁。
そして祈りに対するモンスター達の異常な行動についても――
「祈りは檻です」
ホリヴァイは自分の口からするすると出る言葉に驚いた。
「檻……」
「モンスターは祈りの向こうを目指しています。祈りは決して破れない。レーン大国は祈りに群がるモンスターの群れを諦めました」
そう言い終わるよりも先に、執事服の男はその場から消えていた。
*****
王の間が開け放たれると、そこには珍しく焦った様子のエルロードが立っていた。
「どうしたの……?」
心配そうにそう尋ねる修太郎。
他の魔王達の視線もエルロードに集まる。
「失礼、事実確認をしている暇がなく、大部分が私の推測によるものですが、早急にお伝えせねばならない件があります」
エルロードが捕虜に会いに行ったことは皆が知っていたため、捕虜に関する重大な事実――たとえばダンジョン侵攻の第二陣がすぐに来るとか、そういった内容を予想し、修太郎は身構えた。
しかし、修太郎の予想は外れることになる。
「精霊の祈りについてです」
「精霊の祈りがどうしたの?」
「はい。結論から申し上げますと――祈りが破壊されることで、外側にいる何かが、こちら側へとなだれ込む可能性があります」
「!」
修太郎の心臓は激しく脈打った。
かつてエルロードと共に精霊の祈りの破壊を試みた際、エルロードの魔法によっても全く壊れる気配はなかった。修太郎は、祈りの原因であるその精霊を倒すことによって、先へ進めるという結論に至ったと記憶していた。
精霊がいる場所は――セルー地下迷宮だ。
「ホリヴァイさんがそう言っていたの?」
「そのようなことを仄めかしていました。彼の言葉が真実ならば、彼の住む国の先にある祈りにも、夥しい数のモンスターが群がっているそうです」
捕虜の言葉を完全に信用するのは危険だが、かといってそんな嘘をついたところで、捕虜にとって何の得になるのだろうか。
「行かなきゃ……」
修太郎は魔王達に向き直る。
その顔は焦りの色に染まっていた。
「行かなきゃ! だって最前線組はもうセルー地下迷宮に挑んでるんだ!」
K達からの情報で修太郎はそれを知っていた。しかし、どの程度の進捗かまでは把握していなかった。
「ご命令を、我が主――」
魔王達全員がその場に跪く。
そして、修太郎の言葉を待った。
「全員で出よう!」
*****
カロア城下町のエリア外に出た修太郎。
続くようにして、エルロード、バンピー、ガララス、シルヴィア、セオドール、バートランド、そしてベオライトが並んだ。
レベルが上がり、職業上は召喚術で呼べる数が5体となった修太郎だったが、人の目を気にしないのなら、呼び出せる数は無限である。
「全員でセルー地下迷宮に飛ぼう。エルロード、皆を連れて飛べる?」
「もちろんでございます」
そう言って魔法陣を描くエルロード。
皆の体がふわりと浮き、自由に飛行ができるようになった。
サンドラス甲鉄城の位置を確認した修太郎は、何かを思い出したようにメニューを開く。
「そうだ、皆には極力拠点から出ないように呼びかけなきゃ」
どんな敵が相手かも分からない――アリストラス、エマロ、カロア、サンドラスのプレイヤーには拠点外に出ないよう呼び掛けるのが安全だと、可能な限り全員にメールを送ろうと考えたのだ。
特にアリストラスのルミアとキャンディー、カロア支部長のKの影響力と人脈を期待した。
《メール送信が完了しました》
システムメッセージを確認したのち、修太郎は空を目指して浮かび上がる。
「時間がないからすぐに――」
《一件のメール送信に失敗しました》
ピタリと、修太郎の動きが止まる。
それは初めて見るエラーメッセージだった。
メール画面からその人物の名前を確認する。
(他の人には送れてるはずなのに、誰だろ)
K 《送信失敗》
それはカロア支部支部長のKだった。
仕方がないのでもう一度個別に送信する。
《メール送信が完了しました》
《一件のメール送信に失敗しました》
すると、すぐにエラーが戻ってきた。
どうやってもメールが送れない。
修太郎はすぐに伝達方法を切り替え、口頭で伝えようと電話をかけた。
《オフラインのプレイヤーに電話機能は使えません》
修太郎の思考が一瞬止まった。
オフラインのプレイヤーとはなんなのか。
オフラインだなんてまるで――
「死んじゃったみたいな……」
もはや侵攻の事など頭から消え去っていた。
頭の中が真っ白に染まっていくのを感じながら、フレンド欄からKの名前を探した。
「え?」
ショウキチ オフライン
ケットル オンライン
キョウコ オフライン
バーバラ オフライン
ラオ オフライン
怜蘭 オフライン
K オフライン
オフライン。
修太郎は、その言葉が意味することを嫌というほど学んできた。
ショウキチに電話をかけた。
表示のミスとか、電波が悪いからだとか、あらゆる可能性を頭に巡らせ、自分にそう言い聞かせて電話をかけ続ける。
《オフラインのプレイヤーに電話機能は使えません》
《オフラインのプレイヤーに電話機能は使えません》
《オフラインのプレイヤーに電話機能は使えません》
「主様……?」
異変に気付いたバンピー。
修太郎には声が届いていないようだった。
「いやだ……いや……」
無機質なメッセージがひたすら流れる。
修太郎の中で何かが割れるような音がした。
『大丈夫、大丈夫だよ』『よろしくね、修太郎君』『俺の側から離れるな!! お前のことは死んでも俺が守る!』『そんな事言ってないわよー!』『フレンド登録しようぜ!』『私は幸運来たるだって! これが日頃の行いの差ね〜』『そか。なら嬉しいな』『おーし! 昨日は怜蘭だったから今日はお姉さんとカロア観光しようなー!』『本当に心強いよ』『騙された人達は確かに救えなかった、でも修太郎はここにいる全員を助けた。誇っていい、胸張っていい!』
とめどなく、溢れる。
『同い年じゃん! 友達になろうぜ』
「ああぁ……ああああ………」
フッと、修太郎の体が落下する。
とっくに限界を迎えてもおかしくない状況の中、修太郎の心を繋ぎ止めていたのは魔王達――そして友の存在。
「主様!!」
魔王達全員がその体を抱き抱えた。
彼等の腕の中で、修太郎は叫んだ。
「あああああああ!!!!!!!」
未成熟な心が音を立てて崩れてゆく。
不思議と涙は出なかった。
体が闇の奥底に落ちてゆくような感覚だけがあった。
「主様! 主様!!」
涙を浮かべながら必死に訴えるバンピー。
虚空を眺め、ただただ沈黙する修太郎。
目は開かれ、しかしその瞳に光は無かった。
まるで記憶や感情の何もかもを失ってしまったかのようなその表情に、魔王達はさらに大きく狼狽えた。
「今すぐ城へ連れ帰るべきだ!」
「何言ってんだよ、主様の同国の民が脅威に晒されているんだぞ!」
「今はそんなことを言ってる場合じゃないわ。主様の安全が最優先よ!」
ガララスとバンピーは、今すぐに戻るべきだと主張し、バートランドは責務を果たすべきだと主張した――ベオライトは震え、シルヴィアは俯き、セオドールは沈黙し、エルロードは修太郎の言葉を待ち続けた。
「バンピー、セオドール」
それは恐ろしく無感情な呟きだった。
呼ばれたバンピーとセオドールは跪き、主の次の言葉を待つ。
無表情の修太郎は虚空を見つめたまま、口だけを動かした。
「二人はセルー地下迷宮に向かってほしい。最前線のみんなを守って」
バンピーは涙を流して「承知いたしました」と答え、セオドールは黙って頷く。
「ガララスはアリストラス、バートランドはこのままカロア城下町、ベオライトはエマロの町に向かってほしい。不測の事態に対応できるように、万全を期したい」
修太郎は、最前線のみならず全ての町の防衛を指示した。
三人もまた、黙ってそれに同意する。
「エルロード、シルヴィアは僕と一緒に」
修太郎はメニュー画面から再びフレンド欄を見つめ、無感情な瞳で一点を見つめた。
ケットル オンライン
なぜ彼女だけがオンラインなのか、今の修太郎には気にならなかった。彼の中にあるのは「ケットルだけは助ける」という確固たる決意だけで、それ以外の感情を、邪魔だといわんばかりに消し去っていた。
魔王達は複雑な想いを胸にしまいながら、各々がプレイヤー達を助けるために散った。
シルヴィアはケットルの痕跡を辿り、エルロードは少ない情報から正解への道を探す。
そして修太郎は――
「全部終わったら、少しだけ――眠りたい」
まるでそれが最後の一滴かのように、
目尻から一筋の涙が流れ、そして落ちた。
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ダンジョンへの侵入者という事態に見舞われながらも、ベオライト・プニ夫の力によって難なく危機を乗り越えた修太郎。一方でaegis・八岐が地下迷宮をクリアし、世界に異変が起こる。
大規模侵攻という大きな苦難を乗り越えるも、大きな被害を受けた最前線組。修太郎もまた、かけがえのないものを失い、失意の底に沈んでいった。
精霊の祈りは破壊され、新たな世界が始まる。
修太郎の心は壊れ、魔王達は変わってゆく。
絶望の中に希望はあるのか?
そしてケットルの行方は――?
第四章 完結




