186話
言葉がうまく口をついて出なかった。
ミサキは混乱する頭でその人物に注視した。
「久しいな、ミサキ殿」
かつてイリアナ坑道で出会った恩人の一人。
人の恐怖や装備の大切さを教えてくれた人。
その声には包み込むような安心感があった。
ミサキの目に涙が溢れる。
セオドールはミサキが持つ銀弓を見下ろすと、嬉しそうにフッと笑った。
「よく使い込まれている。約束通り鍛錬を欠かさなかったようだな」
頑張ったな――優しいその言葉に、ミサキは涙が止まらなくなった。
おもむろにミサキへ手をかざすセオドール。
ミサキの体が黒の光に包まれてゆく。
傍に銀の矢を詰めた矢筒が置かれた。
「わたし、わたしっ……!」
うまく言葉にして伝えられず、ただただ泣きじゃくるミサキ。
一連の光景を眺めていたプレイヤー達は、セオドールが何者なのかを測っているようだったが、ミサキの様子から少なくとも敵ではないことに安堵した。
「こいつはまだ闘えるといっている」
セオドールは銀弓を見下ろし言った。
ミサキはハッとなり、弓を強く握る。
「お前はまだ闘えるか?」
その言葉にミサキは大きく頷くと、セオドールは「それでいい」と、満足そうに呟いた。
*****
力が漲ってくる――
まれびと達のマスター海猫は、軽快に剣を振るいながら、この漠然とした万能感を不思議に感じていた。
敵が弱っている?
いや違う、自分が強くなっているのだ。
「敵が簡単に死んでいくぞ……!」
数分にも及ぶ一進一退の攻防によって、ようやく一体が関の山だった。しかし現在、まるで初期エリアの敵を倒してるかのような、およそ脅威にならなくなったモンスター達を海猫は嘲笑った。
隠された最強スキルの開花?
それとも秘められた潜在能力の解放?
「俺が全部倒す!!」
そう意気込む海猫は初めて違和感に気付く。
戦っている者が自分しかいない。
みな一様に、どこか一点を見つめ、呆けたように動かない。
「お前ら何ぼさっとしてるんだよ! 減らしていかなきゃ勝てないんだぞ!!」
気が大きくなっている海猫は怒鳴った。
そんな彼の耳にサブマスターの呟きが届く。
「勝った……」
海猫は「何を言ってるのか」と更に怒鳴ろうとして、ようやくそれに気付いた。
半壊したサンドラス甲鉄城。
大きく割れた城門と大地。
そして巨大な騎士に向かう男の姿を。
古代騎士リンペラーの鎧が縦に割れる。
無限にも等しいLPが一気に減るも、しかしミリドットの所で持ち堪えた。
(一撃で……!?)
海猫は驚愕の表情で視線を男に落とす。
大剣を振り切った形で止まるその男は笑っていた。
「ほう、大した耐久力だ」
男がそう呟いた直後――古代騎士リンペラーのLPは全快となった。
驚異的な再生能力。それがこのボスが持つ特性だった。そんな反則級のスキルを前にしても、男は冷静なまま剣の腹を撫でる。
「《炎剣術:始動》」
大剣に炎が灯り、炎は剣全体を包み込む。
男の姿が消え――古代騎士の胸に炎が弾けた。
猛烈な勢いで減少したLPはとうとう全失し、光に包まれながら古代騎士が消えていった。
(レベル100をほぼ一撃で……?)
あっという間の決着。
海猫は皆と同じようにポカンと戦場に立ち尽くしながら、男の行く末を見守っていた。
「面倒だな」
そう呟く男が天高く飛翔、そのままの勢いで反転し、その体を黒竜へと変えた。
黒竜の口内から炎が滲み出る。
地下迷宮の入り口――侵攻が湧き出てくるその場所に向け、灼熱の炎が放たれた。
空からの豪火に焼かれる大規模侵攻。
黒竜はそのまま地下迷宮の入り口を陣取ると、後続のモンスターを全て焼き払ってゆく。
(何が起こってるんだよ……)
モンスター同士が小競り合いしている姿を見ていた海猫は、ボス同士が争った末、他のモンスターを殺しに出たのだと推測していた。
ならば今応援すべきは黒竜だろう。
しかし、倒し切った後に残るのは、侵攻をほぼ一体で蹂躙したあの黒竜ということになる。
「いやしかし、この力さえあれば……」
海猫は出どころの分からない力を頼った。
苦戦していたモンスター達を一撃で倒せるようになったこの力があれば――と。
「ま、マスター! 何してるんですか!」
「俺は今絶好調なんだよ! あの黒竜を倒してドラゴンスレイヤーの称号をいただく!」
そう言って駆け出そうとする海猫を、サブマスターは呆れたような声色で制止した。
「何言ってるんですか! あの竜は恐らく、味方ですよ!」
「みかた?」
キョトンとした様子で立ち止まる海猫。
「マスターが気持ち良くなってるその力だって、あの竜の人がやってくれたバフみたいなものですよ。私達は邪魔せず見守りましょうよ」
サブマスターは理解していた。
この絶望な戦いは既に終わっていることを。
黒の光に包まれたプレイヤー達は、セオドールの《竜王の加護》による効果でステータスが上昇している――そして黒と入り混じるようにして、今度は白の光が全員の体を包み込んだ。
「後はこっちね」
割れた城門からゆっくりと現れた少女。
服、髪、肌、そして目に至るまで全て白。
城内へと侵入していたモンスターの群れは、まるで昇天するように散ってゆき、戦場に残された残党達も、同じように死滅していった。
白い少女の前に、黒の竜が降りてくる。
竜は人の姿となり、スタッと地面に着地した。
「雑に倒さないでもらえるかしら?」
「そうか。悪かった」
短く言葉を交わすバンピーとセオドール。
過去類を見ない規模の侵攻は、二人の魔王によって無事殲滅されたのだった。
*****
荒野は大歓声に包まれていた。
もはや絶体絶命の状態からの幕引き。
全員がこの〝名も知らぬ二人〟に感謝した。
モンスターの反応が0になっているのを確認したミサキは、再び涙を流しながら、安堵の表情を浮かべた。
「バンピーさん、セオドールさん!」
二人を唯一知るミサキが声を上げる。
セオドールは小さく頷き、
バンピーは無感情な顔で彼女を出迎える。
ミサキが二人と知り合いであることを見た群衆の反応はさまざまで、大半が感謝だったが、困惑、疑問、不信感、そして少なからず憎むような感情まで向ける者もいた。
この戦場で友を亡くした者達だ。
助っ人を最初から呼んでくれていたら、せめて最初から話してくれていれば――などと、誰かに責任を押し付けずにはいられない心の弱い者もいるのである。
特にバンピーはその感情に気付いていたが、彼等に何の感情も湧かなかった。
彼女には取るに足りないことだったから。
「どなたか存じませんが、この度の助勢、心から感謝いたします」
そう言って前に出たのはワタルだった。
バンピーは無感情な顔を彼に向けた。
「するべき事をしたまでよ」
およそ感情の読めないその雰囲気に、多くのプレイヤーは恐ろしさを感じた。
恐怖するのも無理はない。
既にほとんどの者が気付いている事実――目の前にいるこの二人は、紛れもなくボスモンスターであるのだから。
恩人、しかし二人もモンスター。
プレイヤー達の心中は複雑である。
「用は済んだわ。行きましょう」
そのままスタスタと歩き出すバンピー。
セオドールも彼女に続き、歩き出す。
ミサキは弾かれたように駆け寄った。
「あ、あのっ――お二人の主人様はどこに……?」
群衆達の反応が好意的なものだけでないことを察したミサキは、名前は告げずに尋ねた。
別れたあの日から今日まで、ミサキが彼を探さなかった日はなかった。
どんなに疲れていても、忙しくても、常にマップの〝紫色〟を探し、待ち焦がれた。
この感情が恋なのか、それとも愛なのか。
もう分からなくなるほどに、ミサキは修太郎との再会を願い続けていたのである。
「主様は――」
そう言いかけて、しばらく黙るセオドール。
見れば無感情だったバンピーの表情も、陰を落としているように見えた。
ミサキは急かさず答えを待つ。
そしてセオドールが再び口を開いた。
「ここに来てはいない」
淡い期待が音を立てて崩れていくのを感じながらも、ミサキは落ち込んだりはしなかった。
きっとどこかで、また自分の想像もつかないような何かと戦っているんだ――そう解釈していたから。
セオドールは言葉を続ける。
「来れなかった、というべきか……」
「喋りすぎよ」
怒りの感情を露わにしたバンピーに咎められ、セオドールは暗い表情のまま沈黙した。
(来れなかった?)
そのひと言が引っかかる。
彼の身に何かあったのかもしれないと、直感的にそう推測したミサキは、食い下がるように続けた。
「なにか、なにかあったんですか?!」
しかし、どちらも何も答えない。
二人はそのまま歩き出すと、振り返ったバンピーがミサキを見つめた。
「どうか元気で」
哀愁漂う声色でそう呟くと、ほどなくして二人は溶けるように姿を消したのだった。




