174話 s
サンドラス甲鉄城・謁見の間。
歯車が回り、蒸気の噴き出す音が響く部屋の中。
絨毯がずうっと伸びたその先に玉座と王の姿があった。
かつて天使によって滅ぼされかけた(厳密には建てた塔を半壊させられた)大国サンドラスは、天使を殺すため、失われた機械の力を得て要塞と化した。
要塞も、それを守る兵も全てが機械。
機械の力に対抗できない隣国は次々と滅ぼされ、サンドラスの周りには今、何もない荒野だけが続いている。
圧倒的な武力でもってこの地を収めたサンドラスの王タイロンは、今しがた到着した冒険者達を見下ろしながら、不敵な笑みを浮かべた。
「面をあげい! 有能な冒険者諸君!」
眼下に跪く三人の冒険者達。
彼等は永らく〝雷鳥フェンダール〟によって占領されていたシオラ大塔を攻略してみせた極めて優秀な冒険者であり、タイロンにとってすれば逃すわけにはいかない存在でもあった。
三人の冒険者――もとい、ミサキ、白蓮、誠は顔を上げる。
シオラ大塔攻略クエストは、フェンダール討伐で終わりではない。サンドラス甲鉄城の王と謁見し、褒美をもらうまでがクエスト内容に含まれている。
「褒美はたっぷり用意しておいた、受け取るがいい」
偉そうなじじい、と、白蓮が呟く。
横にいたミサキが慌てて注意した。
「しっ! 聞こえますよっ!」
「ごめんごめん。聞こえないように気をつける」
「そうではなくてですね……」
白蓮からしてみたら、同胞達が多く死んだあの塔を産み、今日まで放置していたタイロンは面白い存在ではなかった。
完全に八つ当たりではあるが。
「有難うございます」
微笑みながら誠はそう答えた。
タイロンは機械の杖をつきながら立ち上がる。
脂肪に包まれた醜い顔には、かつて歴戦の戦士だった面影を見ることができる。
しかし機械の力を手に入れてから、戦場はおろか椅子から立つことすらしなくなったという。
そんなタイロンが光る鍵を取り出した。
「その手腕を見込んでもう一つ頼まれてほしい」
それは宙に消えると、謁見の間にいる全員のアイテムストレージおよびギルドの共有ストレージに収まった。
[重要アイテム:セルー地下迷宮の鍵]
重要なクエスト報酬である。
「塔の眼下に巨大な迷宮があったろう? あれが儂を悩ませる魔物の住処だ。今は強力な錠によって入り口を塞いでいるが、溢れ出したら叶わんからな……旅のついでに迷宮掃除をして行ってくれい」
頼んだぞと、再び玉座に沈むタイロン。
ミサキ達は「もうここに用はない」と言いたげな様子で立ち上がると、さっさと部屋から出て行ったのだった。
「もう一つの悩みの種まで我々にどうにかさせようなんて、何のための機械軍団なんだか」
ぐちぐちと怒りながら先に進む白蓮。
ごもっともだと誠が同意する。
「先に貰えるものは貰っておこうと思ったけど正解だったね。レベルあがっちゃったもん」
クエスト報酬は膨大なものだった。
ミサキと誠はレベルが+2され、白蓮もレベルが+1されている。
塔のボス フェンダールの経験値と合わせれば、レベル30くらいのプレイヤーなら+3くらいは上がっている計算となる。
そして膨大な量の報酬金も得られた。
装備を更新するアテにはなるだろう。
城から出た三人は無言のまましばらく歩き、ほどなくして立ち止まった。
「これからどうする?」
白蓮がそう言った。
シオラ大塔攻略という大仕事を終えたものの、
PK事件のおかげで先行きは見えない。
「もちろん明日カロアに向かいます」
と、ミサキが言った。
白蓮と誠もそれに同意し頷いた。
「悪いがこの後用事があるんだ」
そう言ってバツが悪そうに笑う誠。
白蓮は察したように「そっか」と呟く。
「私も今日はもう帰ろうかな」
憔悴したような声の二人。
引き止める理由もないため、ミサキは無理して微笑んだ。
「ではまた明日」
「うん、また明日ね」
白蓮はそう言って、誠は何も言わずにその場から去って行った。しばらく俯いていたミサキも、ほどなくして歩き出したのだった。
*****
束の間の休息時間を得たプレイヤー達。
ある者は悲しみを紛らわすため酒場に篭り、
ある者は絶望の中で宿屋に引き籠り、
そして、多くが前線を去る決断をした。
多くの死者を出した解放者達の事件は、最前線を戦う者達の「大切な人」をも奪っていった。悲しみに暮れた彼等には、死地で戦い抜く気力と理由が無くなっていたのだった。
各々が自分の時間を過ごしている中、宿屋の自室にて、一気飲みした酒樽をドンと置く男――誠は、意を決して電話をかける。
しばらくの呼び出し音が続く。
机の上には3本の酒樽が転がっており、彼がこの電話をかけるために、どれほどの酒を費やしたのかが伺える。
(格好つけて出ていった手前、でっかい功績を上げるまでは帰らない――なんて思ってたら……まさか侵攻に遭って、それを討伐してたなんて……おまけにPK軍団まで……)
無知は罪だ――。
バーバラ達と何度もメールでやり取りしていたにもかかわらず、誠は全く知らなかった。
大きな事件に巻き込まれていたかつての仲間たち。何も知らずにのうのうと生きていた自分に腹が立っていた。
『もしもし。どうしたの?』
電話口の向こうから、優しい声が聞こえた。
その声を聞いた誠は、体の力がフッと抜けるような気がした。
「最前線……あのさ、最前線の……いや、今はもう先のエリアが突破されたから――違う違う、そんな報告じゃなくて……あぁくそ!」
話そうと思っていた内容は全部飛んでいた。
電話の前に三杯もの酒を飲んだせいだった。
或いは、バーバラの声を聞いたせいだった。
電話の向こうからクスクスと笑い声が響く。
『なによ、酔ってんの?』
「ばっ、こんな昼間っから飲んでるわけない」
『だよねー。だって誠はもう私達のお守りじゃなくて、立派な最前線の精鋭なんだもんね』
クスクスと笑いながらバーバラは言った。
その言葉によって、誠の酔いは一気に醒めた。
「……シオラ大塔を無事に攻略した」
『すごい、がんばってるわね! 私達の送った装備が役に立ったんじゃない?』
彼女の嬉しそうなその声が、誠をさらに惨めにさせた。
誠は口を震わせながら目頭を指で押さえる。
「ごめん、ごめん俺――バーバラ達が侵攻に襲われたこと知らなかった。PK軍団もだ。知った後も、すぐに連絡できなかったんだ」
ダムの決壊が如く、言葉と涙が溢れた。
『どうして連絡できなかったの?』
言葉を選びながらそう尋ねるバーバラは、誠の次の言葉を待った。
「シオラ大塔を――最前線のエリア攻略に貢献できれば、実績が作れれば〝俺はこっちで頑張ってるぞ〟って、〝だからそっちにいられないのは仕方ないんだぞ〟って、そう思いたかった……んだと思う」
かつて大規模な侵攻討伐に参加した経験を持つ誠は、
それがどんな物か、どれほど恐ろしいかを知っていた。
だから彼は、側にいてやれなかった自分を激しく責めたのだ。
バーバラが再びクスッと笑う。
『ご心配なく。誠がいなくてもうちは十分やっていけてるわ。それに、あの時は本当に運が良かったの。あの時はそう――むしろ誠がいなかったから、私達は生き残ることができたんだ』
事実、誠が抜けた穴に、修太郎とシルヴィアが一時的に入ってくれたお陰で、バーバラ達は九死に一生を得たのだ。
口籠る誠に、かまわずバーバラは続ける。
『ごめん、黙ってて。皆には私から頼んで言わないようにしていたの。だってそうでしょう? 私達に万が一のことがあったら、あなたはいても立ってもいられなくなる。そんな心配を抱えて戦えるほど、最前線って甘くないと思うから』
それは、ワタルの考え方とよく似ていた。
最初こそ言うべきか悩んだバーバラだったが、泥酔して懺悔する姿を電話越しに聞いて、自分の判断は正しかったと安堵する。
『誠が抜けるときに覚悟してたんだ。これから先、そういう事態にも私達だけの力で対処しなければならないってこと。前のように戦えなくなるかもしれない、進むのが怖くなるかもしれない――そういう心配や不安もひっくるめて、それでも貴方の背中を押したの。私達はそれだけ貴方を大切に思っているってこと、伝わった?』
優しい口調でそう続けるバーバラ。
誠はもう、返事をする余裕すら無かった。
ただただ、彼女の声を聞いていた。
『一番覚悟ができてなかったのは、誠だったのかもね』
誠の嗚咽が漏れると、バーバラは苦笑しながら『もしかして外じゃないでしょうね』と言った。
誠は相手に見えるわけでもないのに、こくこくと頷くしかできなかった。
困ったように笑ったバーバラは、声をひそめて続けた。
『泣いてる所、私以外に見せちゃだめよ』
古臭い宿屋の片隅、転がった酒樽の前で情けなく泣く男の声を、バーバラはただ静かに聞いていたのだった。
*****
黄昏の冒険者ギルドホーム。
かつて破竹の勢いで最前線を駆け上がり、毎日のように対人戦闘で順位を争ったあの頃の活気はすでに無い。
雇ったNPCが暇そうに立っているだけと、寂しい限りである。
「ただいま」
白蓮は寂しそうにそう呟きながら、
懐かしむように部屋の中を歩いてゆく。
きっかけは忌々しい塔での悲劇――しかし、ギルドを崩壊させたのは、他でもない自分であると、白蓮は自覚している。
後ろめたさは一生ついて回るだろう。
仲間たちの十字架と共に。
ひと通りの部屋を見て回った後、
白蓮は最後の部屋へと向かった。
ホーム内のとある部屋――墓標の上にいくつもの武器が並ぶその部屋は、あの日に失ったメンバー達を弔うために作られたものだ。
「……」
墓標の一つ一つを指でなぞりながら、
かつて決別したかけがえのない友へ電話をかける。
『……どした。何かあったのか?』
電話の向こうから、懐かしい声が返ってくる。開口一番に〝自分の身を案じる〟言葉をかけられたことに、白蓮の胸は苦しくなった。
「PKと戦ったって聞いた。怪我してない?」
『ああ、そのことか。全然大丈夫』
「怪我というか、精神的には、どう?」
『ま、覚悟してたからな』
色々用意してきた世間話も、
友の声を聞いたらどこかへ飛んでしまった。
白蓮はほっと胸を撫で下ろし、自分の近況も報告した。
「シオラ大塔。攻略してきたんだ」
友達ができたとか、パーティを組んだとか、ギルドが再稼働したとか、紋章と協力関係にあるとか――話したいことが沢山あった。
何度か口をぱくぱくさせ、白蓮は俯く。
喉元まで出かかった言葉。
しかし、彼女はそれら全てを飲み込んだ。
(私はいつも何を話してたっけ)
久々に親友の声が聞けた――
それだけで充分じゃないかと、自分にそう言い聞かせる。
「明日、紋章の人達と一緒に、PK達の残党がいないか確かめながらカロアに戻るわ」
『そっか。まあ、大丈夫だと思うけど』
「ならいいんだけど……」
白蓮は「それじゃ」と電話を切ろうとした。
『うちらも最前線に向かうつもりだから』
ラオの言葉に、白蓮の指が止まる。
『怜蘭も一緒だ。ほら、なんか言ってやれよ』
『ちょ、ちょ! ラオと違って私は連絡取ってたし』
ガザガザと電話口からノイズが入った後、どうやらラオと怜蘭が並んだようで、同じくらいの声量で会話が続く。
『あのね、ラオったら早く会いたいってうるさいくらいに呟いてるのよ。今だって顔をニヤニヤさせて……』
『ばか! 余計なこと言うなって!』
『昨日だって、合流した後のことを熱心に喋ってたじゃないの』
『最前線に復帰するんだし……そ、そりゃ合流した後のことを考えるのは当たり前だろ?』
『ふうん? そうなんだ?』
元気そうな二人の声を聞いて、
白蓮は「変わらないなぁ」と安堵する。
目の前にある[春カナタ][テリア]の墓に視線を送りながら、白蓮は二人の会話に耳を傾けていた。
しばらく二人の会話が続いたのち、改まった様子で怜蘭の声が聞こえた。
『……白蓮。仇を討ってくれたんだね』
白蓮はただ「うん」とだけ答えた。
仇を討ったと威張れるようなものではない。
紋章ギルドや自分を見捨てずに残ってくれたギルドメンバー達の尽力あってこその攻略で、自分はほとんど何もしていないのだから。
『――ごめんね。つらかったね』
しばらく沈黙した後の、怜蘭の言葉。
白蓮は強く口を結んだ。
こぼれ落ちそうな涙を堪えるために。
その一瞬、さまざまな光景が白蓮の頭の中を巡った。最初に浮かぶはあの塔のこと、そして喧嘩別れした場面、過去の喧嘩の数々、デスゲームに巻き込まれた日のこと――
ラオが言葉を続ける。
『今までのこと、これからのこと、話してもいいか?』
白蓮は「うん、うん……」と答えた。
彼女の瞳から大粒の涙が溢れていた。
それからどのくらい話しただろうか――ラオがバーバラ達とパーティを組んだことや、ショウキチとケットルに手を焼かされたこと、修太郎という天才に出会ったことを嬉しそうに語ると、白蓮は先ほど言いかけた話を語った。
絶交状態だったにも関わらず、白蓮とラオはデスゲームに巻き込まれるよりも前の、かつての仲の良さを取り戻したように語らった。
二人の会話を、怜蘭は嬉しそうに聞いていた。
『でな、皆と一緒に過ごして改めて思ったんだ――私もそろそろ、前を向いてもいいんじゃないかって』
白蓮はか細い声で「うん」と答えた。
自分もミサキや誠に会って同じ気持ちになっていたから、
ラオの気持ちがよく分かったのだ。
『だからさ……その、あれだな……合流したら、また一緒に前に進もうぜ。戻ったらまたオールナイトPvP付き合えよな!』
懐かしい言葉が出た。
もう二度とやることはないと思っていた。
白蓮はたまらず吹き出し、涙を拭く。
「全速前進で最前線、駆け抜けるからね。遅いと置いていくから」
『そうこなきゃな!』
こうして、カロア城下町で起こった「解放者事件」は、良くも悪くも大勢のプレイヤーに大きな影響を及ぼしたのである。