173話 s
シオラ大塔は歓喜の渦に包まれていた。
特に黄昏のメンバー達の喜び様は凄まじかった。とはいえ、長年の宿敵を倒したのだから当然の反応ともいえる。
大量の経験値と報酬が皆の元へ届く。
命掛けの報酬としては少ないものの、確実にゲームクリアへ一歩前進したと言えるだろう。
「同盟のおかげです……」
「やった、遂にやったぞ!!」
「本当にありがとうございました!」
方々から感謝の言葉が飛び交い、紋章メンバーと黄昏メンバーは抱き合い、勝利を分かち合っていた。
「無事に倒せてよかったです……」
そう言いながらミサキがワタルに歩み寄る。
一瞬、どこか悲しそうな表情を浮かべたワタルが意味深な発言をする。
「僕に感謝される権利があるか……」
「ん? 何か言った?」
「いえ……とにかく町へ戻りましょうか」
そう言って何事もなかったかのように踵を返すと、ワタル先導の元、攻略メンバー達は帰路に着く。
「……?」
ミサキだけが気付いた――彼が涙を流していたことに。
ようやく先へと進める感動からくるものなのか、過去の苦労に涙したのかは分からない。結局、ミサキがその涙の意味を知ったのは、もう少し経ってからのことだった。
*****
サンドラス甲鉄城に着くや否や、攻略メンバー以外も含む、最前線の紋章・黄昏メンバー全員が集められた。
勝利の余韻に浸る者。
他のギルドの進行具合に焦る者。
早く帰って寝たい者と、反応はそれぞれだった。
「皆さん、本当にお疲れ様でした」
皆に労いの言葉をかけるワタルの顔が、再び悲しそうなものへと変わるのを、ミサキは見逃さなかった。
「皆さんに伝えなければならないことがあります」
その声色を聞いて、皆のざわめき声が止む。
シンと静まり返る広場にワタルの声がよく通った。
「カロア城下町にてPKが発生しました」
短い悲鳴が起こると同時に、再びざわつき声が沸く。
ワタルは構わず続けた。
「現在騒動は鎮火し、今は大丈夫だという知らせも届いています」
それを聞いて皆に安堵の声が漏れる。
ワタルは「ただ……」と再び口を開く。
「犠牲者の数は恐らく100名以上いるそうです。今回のPK達はログアウト可能を偽り、姑息な方法で欺き、活動していたといいます――そして僕は事件の知らせに気付いていました」
ざわつき声が大きくなる。
「気付いてたってどういう意味だ?」
「多くの死人が出たのを黙ってたってこと?」
「なぜ黙る必要がある?」
飛び交う不安、疑心、焦りの声――
その中の一人が声を上げる。
「……そのPKはどうなったんですか?」
ワタルは小さく俯き、それに答えた。
「過去最大級の被害を出した今回の事件……支部長のK、第7部隊のラオさん、怜蘭さんによってPKは討伐されました」
白蓮の目が大きく見開かれる。
第7部隊と聞いて、誠とミサキにも動揺が走った。
ワタルが頭を下げた。
アルバ、フラメの両名も同じく頭を下げる。
「黙っていて本当に申し訳ありません。知らせを受けたのはボス戦の最中、その時には既に事件は終息したとありましたが、中止し、引き返してでもカロア組との合流を優先すべきだった」
様々な声が飛び交った。
その考えに賛同する者、ボス戦の優先は正しかったと否定する者、ただ悲しみの声を上げる者。
「ボス戦中には終息していたんですよね? なら我々ができることなんて、被害者への追悼程度だったのでは……」
誰かがそう呟くと、同調する者が出る。
しかし、それに反論する者も当然いた。
「認知してない残党が残っている可能性を考えたら、やっぱり万全を期して合流を優先しても良かったと思う」
「ボス戦中だぞ?! 撤退戦がいかに危険で、物資の兼ね合いも考えたらあり得ないだろ!」
対立意見は次第に口論の種となり、
論調が過激なものへと変わってゆく。
ひとつの綻びで簡単に崩れるのがボス戦だ。
ボス戦でのイレギュラーは、時としてメンバー全員を危険に晒すことになる。特に今回のような重大な内容の場合、心の弱い者の戦意喪失にも繋がる。
黙るも地獄、語るも地獄ならと、ワタル達は前者を取ったのだ。
「我々は明日の朝、万全の準備をしてカロアへと合流します。道中にPKの残党がいれば……対処します」
生唾を飲む音、ため息、反応は様々だ。
三つの拠点を安定させ、黄昏の冒険者という大型ギルドとの同盟を成立。そしてシオラ大塔の攻略と、これからという時にことごとく足止めを食らってしまう――その事への不満が、少なからずあるようだった。
ワタルはひと呼吸置いて、続ける。
「サンドラスの王に会えば、クエスト達成報酬が貰えるはずです。前線から退きたいという申し出があれば、全て受けるつもりでいます。申し訳ありませんでした」
そう言って再び頭を下げるワタル。
とはいえ、ここにいるメンバーは、良くも悪くも色々経験してきた戦士達。暴徒化する者はおらず、むしろ黙っていた3人の意図を汲み取り、怒りは次第に悲しみへと変わっていった。
エリア攻略で高まっていた士気が一気に下がった瞬間でもあった。
黄昏メンバーも複雑な心境だ。
創立メンバーである2人の活躍――しかし彼女達が所属するのは紋章であり、黄昏を抜けた事実は変わらない。
喜んだらいいのか、悲しんだらいいのか、分からないといった様子であった。
「明日の朝7時にここを発ちます。黄昏の皆さんはどうしますか?」
「当然、私達もカロアに向かうよ」
白蓮の返答を聞き、ワタルが安心したように頷くと、この場はお開きとなった。
方々へと解散していく皆を見送ると、
ワタルは一人暗い路地の方へと歩いて行く。
「ワタルさん!」
振り返ったワタルの珍しく憔悴したような顔にミサキは思わず口籠る。
ワタルはすぐにいつもの笑顔を見せ、「どうしました?」と返事をした。
「……大切な人を亡くされたんですか?」
地下迷宮で見せた涙の訳を今理解したミサキは、
確信めいた感情を秘めそう尋ねた。
「顔に出てましたか?」
「出てました」
「まいったな……」
そう呟き、ワタルは空を見上げた。
「うちのメンバーもかなり亡くなったと聞きました。その中には、このゲームが始まる前からの友人で、僕が心から信頼する人の名前もありました」
ワタルは寂しそうに笑い、続ける。
「最前線を希望した彼等を、カロアの防衛目的として残したのは僕の判断でした」
「!」
ギルドマスターとしてではなく、ワタルとしての判断。
いまだに初心者の死亡率の高いカロア城下町に、信頼の厚い友人を残しておきたかった――結果、その命は奪われてしまったのだ。
「昔話……昔話を、してもいいですか?」
自然と口をついて出た言葉に、ワタル自身が驚く。
なぜそんなことを言ったのだろう。
ワタルは自分の行動の意図が分からなかった。
「聞かせてください」
真っ直ぐな瞳でミサキが答える。
彼の力になりたい――その一心だった。
俯きがちに、ワタルは語り出した。
*****
木戸渉は普通の青年だった。
特別頭が良いわけでもなければ、運動神経が良いわけでもない。
それでも彼の周りには自然と人が集まった。
弛まぬ努力と、強い正義感が彼の魅力だった。
そんな中だ、あの事故が起こったのは――
「おい大丈夫かあれ」
「煙出てるぞ、やばい!」
自動車の正面衝突。
(あれは――!)
現場に居合わせた渉は、
車内に取り残された子供を見つけて飛び出した。
今にも炎上しそうな車内。
「掴まれ!!」
懸命に手を伸ばし、子供の手を掴んだ。
子供を抱きかかえ、車を背にした瞬間――車が激しく爆発したのである。
「残念だが、もう歩くことはできないだろう」
医師の言葉を、渉は冷静に聞いていた。
命だけは助かった。命だけは。
全身の火傷に加え、頚椎の損傷、首から下の麻痺。
歩くどころか起き上がることさえできない。
体もかつての面影はない。
正義に溢れた彼は、余生をベッドの上で過ごすことになる。
お見舞いに来た子供の両親からは涙ながらに感謝され、医者や看護師からも温かい言葉をかけられる日々を過ごした。
「いっそ死んでしまいたい……」
ベッドの上で、渉はそう呟いた。
命をかけて子供を救ったという誇りは彼にとって財産となるが、体の不自由さに苦悩し、稀に「あの時助けなければ今頃……」と後悔し、人知れず涙することもあった。
彼を変えたのは友の存在だった。
友といえど現実ではない。
仮想現実の中で、彼等と出会った。
「これが……バーチャルリアリティ」
医師が「気晴らしに」と用意してくれたVR器具で、
渉は初めて仮想現実の世界へと降り立った。
はっきりと景色が見える。
しっかりと音が聞こえる。
好きなものが食べられる。
好きなように――動ける。
脳で見、脳で嗅ぎ、脳で動ける世界。
ここでは体の不自由など関係がない。
病院のベッドとはまるで違う世界がそこにあった。
ワタルは一日の大半をそこで過ごした。
そして多くの人と出会い、共に冒険した。
「すまない、めにゅー? というのはどうに開くんだ?」
ある時は、遠方に住む孫と遊ぶため、不慣れなVRに苦戦する男と出会った。
「お兄さん、固定パーティは組んでいますか? もしなら私と組んでいただけませんか?」
ある時は、厳しい親に秘密でゲームを買った、眼鏡の女子大生と出会った。
「御仁、手合わせ願えるかな?」
そしてある時は、屈強な戦士のごとき巨漢と出会った。
「可哀想な英雄」として友人達から距離を置かれた。だから、境遇を知らず接してくれるプレイヤー達の世界は居心地の良いものだった。
仮想現実でできた友人達は彼に奇異の目を向けなかった。
ワタルを、渉を、一人の人間として見てくれたのだ。
ワタルはVRの世界を駆け抜けた。
失った手足を動かし、大きく羽ばたいた。
幸運にも得た「eternity」のベータテスト当選権利。
友人達と冒険し、ギルドを設立し――そして正式稼働の日、それは起こった。
皆がログアウト不可に嘆く中、ワタルだけは「この世界にずっといられる可能性」に少しだけ嬉しく思っていた。
クリアを目指せば、脱出できれば、きっとVRはもう無くなるだろうと、進むのを躊躇したい気持ちにもなっていた。
「他人を不幸にしてまで自分の幸せは願いたくない」
人々の悲しむ姿やパニックになる現状を見て、
自分の役目を自覚し行動に移してゆく。
全ては楽しい時間をくれた友人達のため。
そのために前を向いて進んできたのだ――
ワタルの過去を聞いたミサキは泣いていた。
ベッドの上から動けない現実と、死と隣り合わせの今。
ワタルにとって、どちらが本当の幸せなのだろう。
この世界で静かに暮らす選択もできたはず。
心が弱ければ、PK達のような道に堕ちてもおかしくはない。
でもそれをしなかった――
不幸な自分の現実よりも、皆の現実を重んじたのだ。
(どこまで強いの……この人は……!)
ワタルの過去に触れ、
紋章ギルドの強い結束の理由を知ったミサキ。
結束の根底にあるのは創立メンバー達の存在。
そのひとつを、彼は失ったのだ。
「ガルボさん……」
自分の内情を話し、受け止めてくれた創立メンバーの死――ワタルはその現実を受け入れられず、拳を強く握る。
「自分の采配によって人が死ぬのはどうやっても慣れません。慣れるべきでもありません。僕は見送ってくれた彼等の顔を一生忘れないでしょう」
唇を強く噛むワタル。
悔やんでも悔やみきれない思い。
初日の混乱を納めた英雄で、侵攻に挑んだ英雄で、最大規模ギルドを束ねるリーダーの彼も、傷付き、悩み、悲しむひとりの人間なんだと、ミサキはこの時強く感じていた。
メンバーの死を、傷を、後悔を――
その全てをワタルは背負って進んでいる。
ミサキもまた、ワタルの判断によって生まれた犠牲者といっても過言ではない。
ワタルが指示を出して、有能なスキルを持つ彼女を〝平凡な日常〟から引き摺り出したのだから。
侵攻を経験してからというもの、ミサキは満足な睡眠をとることもできなくなり、血の滲むような鍛錬を積むようになる。
彼女の未来はワタルによって変えられたのだ。
ミサキに背を向ける形で佇む彼の背中。
普段は見上げるほどに高く、広く見えたその背中が、脆く、傷だらけに見えた。
「私――ずっと戦います!」
同情する言葉も、慰めるような行為も、今のワタルには届かないと思った。
ミサキは〝彼がやってきたこれまで〟を肯定し〝彼がやっていくこれから〟を肯定する。
貴方は間違っていないんだと、だから今の私はここにいるんだと、真っ直ぐな瞳でそう伝えたのだ。
「ありがとう……本当に……」
ぽつりと、そう呟くワタル。
そのままマントをはためかせ、歩き出す。
ミサキは彼の背中が見えなくなるまで、頭を下げて見送っていた。




