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時間は遡り、月の神セムイ。
セムイは、徐々に近寄ってくる〝化け物〟の実力の底を推し量れずにいた。
妖艶な笑みを浮かべた白い少女。
(違う。これは戦うとか、逃げるとか、そういう理屈が通る相手じゃない)
かつて神だった竜、セムイ。
カムイとの争いは常に互いを殺すつもりでやっていたし、何者かに介入されても、戦いの余波で塵となり消え失せるため気にする必要は無かった。
カムイとセムイにとって己の主以外は皆等しく〝興味のないもの〟であり〝有象無象〟であったから――しかしどうだ、今まさに己を討たんと迫るアレの前では、己の命など吹いて消える程度のものでしかない。
有象無象の側に、初めて立った感覚。
抗えない敗北、そして死の恐怖。
「怯えているの?」
バンピーはセムイに尋ねる。
セムイの体は小刻みに震えていた。
セムイの体に触れた手は、
氷のように冷たく、そして小さかった。
「賢い子は好き。私は戦って散るのが真の美徳とは思わないから」
命が凍りつくような真っ白なオーラ。
死神のような少女。
陰陽の召喚士に縛られて百数年。かつての主は祭壇に祀られ、主の形をした幻影に従うのを辞めたのが、ちょうど百年前だった。
セムイは最果てにいる己の片割れを想いながら、覚悟を決めた眼でバンピーを見た。
*****
太陽の神カムイは悟っていた。
目の前の男が、自分よりはるか格上である事を。
エルロードの周りには夥しい数の魔法陣が浮かんでおり、エルロードはカムイの動きを観察しているように見える。
(魔法ならば、己の肉体で耐えられる)
カムイとセムイの鱗は特別だった。
二匹の鱗は神の位置にいた頃に着ていた衣が変化したもので、あらゆる属性の魔法に耐性を持つ。
しかし何故だろう。
こんなにも恐ろしいのは。
カムイは自然と自分が〝攻撃を防ぐ〟ことを第一に考えている事に気付く――かつては神として崇められ、竜となった今も世界の覇者である己が、目の前の男に圧倒されている。
(舐めるなよ!)
『《プロミネンス・ノヴァ》』
エルロードに向け放たれたのは巨大な炎の塊。それが轟々と音を立てながらエルロードに迫ると、顔色も変えずエルロードが指を動かした。
銀色の懐中時計のエフェクトが回る。
コッチ、カッチ
コッ……チ、カッ……チ
懐中時計の針が進むと共に、炎の塊の速度が徐々に徐々に遅くなってゆく。
カッ…………チ………!
そして、完全にそれが空中で止まった。
エルロードはそれを観察するように眺めながら指で弾くように触れると、カムイの攻撃は光の粒子となり儚く消えた。
エルロードは肩を竦めてみせる。
「一瞬で格の差を感じ取ったまでは良い。闘争心も結構。しかしその後放ったのは小手調べの軟弱攻撃――実に興醒めです」
そう言いながら、エルロードは周囲の魔法陣の中から一つを取り出すと、自分の掌の上に置く。そのまま掌をカムイに向けると、不敵に笑った。
「一撃で倒すつもりの魔法というのは、こういうものです」
それは、漆黒の閃光。
ほんの0.2秒間の出力。
しかし、威力は絶大だった。
カムイの肩から先が無くなっていたのだ。
『ぐおおおおおおお!!!』
遅れてくる痛みにのたうちまわるカムイ。
撃ち抜かれた――ということまで予想がついたカムイだが、この魔法には恐ろしい効果が秘められていた。
撃ち抜かれた傷口がみるみるうちに黒ずんでゆき、たちどころに腐っていく。いや、腐るというよりも〝食われている〟と形容した方が適当かもしれない。
「《深淵の蟲》」
『?』
「それは相手の魔力に引かれる蟲を模した魔法です。対象を喰らい尽くすまで攻撃の効果は続き、受けた傷は治りません」
一撃でハッキリした実力の差。
最強の防御だと思っていた己の鱗が簡単に貫かれ、反撃の時間すら許されない事実上〝詰み〟を叩きつける魔法。
(実力の一端を見たからこそ分かる)
カムイはエルロードから滲み出る底無しの魔力を感じていた……彼が実力のほんの少しも出していないことも。
カムイに抗う術はない。
神の誇りか、命乞いもしない。
(すまん我が半身、先に逝くぞ)
悟ったように首を垂れ、頭を見せる。
『やれ』
「元よりそのつもりです」
また一つ、魔法陣を掴むエルロード。
掌で魔法陣が大きくなり、黒炎が灯ったように見えた。
「《黒の――」
『待って』
とどめを迫るその刹那――念話が届いた。




