011 s
目を覚ました少女――ミサキは、短い伸びと共に「ぁふ」と、可愛らしい声を漏らす。
(今日は朝練があるんだった。顧問の田所の顔、朝から見るの嫌だなぁ)
ナイーブな気持ちになりながら、いつものようにカーテンを――と、窓に手を掛けた時、彼女は〝現実〟へと引き戻された。
(あ……そっか)
そこにあるのは、格子状に編まれた金属と硝子。
そして外側に木製の扉のような物。
窓を上へと押し上げ、小さな扉を開くと、眼下に広がるのは中世ヨーロッパ然とした街並み。
活気ある商店街を行く人々はみな武装しており、遥か遠くまで続く町並みの奥、地平線の彼方には黒い壁が延々と続いている。
「夢じゃ、なかったんだ」
ポツリと、口から溢れた言葉。
自然と流れ出た涙が止まらない。
昨日起こったアレは現実だったのだと、デスゲーム二日目の朝、プレイヤー達は諦めたように実感するのだった。
* * * *
宿屋の食堂は混沌とした雰囲気に包まれていた。
昨日の成果を見せつけるかのように、太った皮袋をジャラジャラと揺らす男達と、彼等にビールに似た何かを注ぐ女。
朝から肉や酒のフルコースを堪能する冒険者風NPCとは対照的なのが、机をじっと眺めながら動かない男や、声を殺して泣く女――地獄の朝を迎えたプレイヤー達だ。
ミサキは朝食のパンとサラダを食べながら、昨日の夕方、鎧を着たプレイヤーから送られてきたメールを読んでいた。
(頼れそうな人達だったなぁ……状況は同じなのに、なんでああも気丈でいられるのかな)
昨日、紋章ギルドのメンバーが宿屋を訪れ、ここの食堂に集めたプレイヤー達に向け現在の状況や今後のことを説明していた。
ミサキは肩を落とすようにため息を吐く。
もみあげの長い栗色のショートカットがハラリと揺れた。
ミサキは10万人募集で当選したいわゆる第二陣のプレイヤー。デスゲーム開始前は圧倒的なクオリティで描かれた街並みに魅了され、戦闘はおろか、未だステータス確認もしていない。
その後、暴徒化したプレイヤーに襲われそうになるも必死に逃げ、鎮圧した紋章ギルドの呼び掛けに習い非戦闘希望のプレイヤー群に紛れている。
メニュー画面を開き、所持品を開く。
そこには宿泊代の50ゴールドを引かれ、950ゴールドとなった全財産と、未だ使う機会の無い〝初心者の弓〟そして百本の矢。
(うまく使えば一ヶ月は平和に過ごせる。じゃあその先は――?)
一ヶ月後、死ぬかもしれない世界で自分が弓を持って宿代のために戦っている姿を想像し「無理! 怖い!」と首を振る。
商店街にある冒険者ギルドと呼ばれる場所でお使いをこなせば、戦わずしてお金を得ることができるって言ってたな。と、ミサキはフォークでトマトを転がしながら、そんな事を考えていた。
宿屋は夕食+朝食付き。
50ゴールドがこの世界でどの程度の価値なのか分からなかったが、初期地点であるし、かなり良心的な金額ではなかろうかと非戦闘希望プレイヤー達の中では言われている。
お金を全て使い終わってから動いたのでは遅すぎる。
ミサキは席を立ち、観音式の扉を押し開け外に出た。
昨日、プレイヤーの手によって怖い経験をしているにも関わらず、強い決意を持って足を進められるのは、事態を収拾させようと躍起になる紋章ギルドのメンバー達の姿を見ていたからだった。
あの人達の負担を減らしたい。
そう考え、ミサキは冒険者ギルドを探す。
当然ながら、ミサキのように一日で立ち直り、行動に移せる非戦闘希望プレイヤーはごくごく少数である。
店先に甲冑や剣、果物や野菜、見たこともない魚や動物の肉などなど、主に小中学校の男子が小躍りしそうな要素が詰まった商店街を進んでいき、ミサキは剣が交差した看板の施設の前で止まる。
単純な先入観だけでここを冒険者ギルドだと考えたミサキは、扉を押し開け中へと入っていった。
中は、露店で並んでいた剣や斧、槍が所狭しと並べられており、ミサキは即座に「間違った」と気付く。
ここは冒険者ギルドではなく、武器屋だった。
「何かお探しですか、お嬢さん」
「あっ! いや、その……」
不意に声をかけられあたふたするミサキ。
奥から出てきたのは屈強そうな男で、昨日の件もあり、ミサキは恐怖を覚える。
そんなミサキの様子を見てか、店主の男は笑いながら続ける。
「すまない、こんな見た目だから怖がらせることが多いんだ。でも、大剣だの斧だのを売ってるのが皺くちゃの婆さんだったら、商品の試し斬りもしてないんじゃないかって思わないかい?」
「は、はぁ、確かに」
小粋なジョークを混ぜてくるNPC。
ミサキは警戒レベルを少しだけ下げ、せっかくだからと弓のコーナーへと向かう。
弓は大きく分けて三タイプあり、身の丈以上ある〝大弓〟と、取り回しが効く〝短弓〟、弦を引いた状態でセットした矢を撃ち出す〝弩〟が並んでいた。
「君のような女性には、その弩がいいかもしれない。弦を引くのもレバーを引っ張れば大した力も要らないからね」
ミサキに気を遣ったのか、店主はカウンターから出ようとはせず弩の販促をかけてくる。しかし、元々買うつもりも無いが、並んだ弓の値段を見たミサキは見るのをやめた。
(げぇー、安くても3000ゴールドかぁ)
宿屋60日分と考えると、簡単には手が出ない。こちとら明日の食事にありつけるかも分からない身なんですよ――と、ミサキは心の中で愚痴った。
ただ黙って店を後にするのも悪いと感じたミサキは扉の前で立ち止まり、店主に声をかける。
「あの、冒険者ギルドってこの辺りにありますか?」
「ああ、それならこの店の向かい側の建物がそうだよ」
まさか正面とは思わなかった、でもすぐ近くにあって良かった……と、ミサキは胸を撫で下ろす。
「ありがとうございます。そうそう、昨日空に現れた竜? みたいな生き物、あれってなんていうんですか?」
別に知っても何もならない情報だが、世間話のひとつとして話を店主に振るミサキ。
しかし、店主は笑顔を崩さず「いらっしゃい。今日はどんな御用かな?」と言うばかりで、少し不気味に思ったミサキは足早に武器屋を後にし、再び商店街の道へと出た。
(そっか……見た目は人間みたいだけど、NPCなんだ。会話も限られた内容しか答えないんだ)
NPCについての理解を深め、ミサキはそのまま正面にある冒険者ギルドの扉を開いた――ちなみに冒険者ギルドは半分にめくれた羊皮紙の看板である。
中に入るとそこは朝の食堂に近い光景が広がっており、酒場で騒ぐ男女に加え、大きな掲示板に貼られた紙と睨めっこする人が見える。
冒険者ギルド。
ワタル達の設立した〝プレイヤーギルド〟とは違い、最初からゲームに存在する施設の名称。
そこでは多くの者が想像するように、その土地に住むNPCが〝お使い〟だったり〝探し物〟だったり〝清掃〟だったり、時にはmobの討伐や賞金首の討伐まで幅広く依頼され、クエストボードという名の掲示板に貼り出される。
ここにいる人達は冒険者という括りで、町中や稀にフィールドでも遭遇する。mobを遊撃して周っていたりもするため、侵攻を防ぐという意味では門番と役目は同じだが、行動ルーチンがランダム設定のため、侵攻発生の際もあまり期待できないとされている。
(ここから受けたいクエストを剥がして受付に持っていくんだったよね……)
ミサキはクエストボードを眺めながら、一番危険の少なそうな紙をちぎった。ちなみに依頼書の内容はこのように記されている。
○○○○○○○○○
依頼内容:妙薬作りの手伝い
依頼主名:キーレ・アナンドラ
有効期間:48:00:00
依頼詳細:妙薬に必要な材料を採取し、指示通りに調合すること。まずはキーレの妙薬屋(座標:120.50.-304)を訪ねてみよう。
必要材料:デミ・ラットの尻尾(0/3)
:魔草(0/3)
:純水(0/3)
報酬内容:400G/500exp
○○○○○○○○○
ミサキは受付NPCに依頼書を渡す。
滞りなく受理されたと同時に、視界の端に《妙薬作りの手伝い》というクエスト内容に加え、制限時間が表示された。さらに左上にある小さな円形のマップには、星のついたピンが立っている。
(座標的にあそこがクエスト開始場所か。よかった、すごく親切で)
人々をデスゲームに閉じ込めたmother AIに対して〝すごく親切〟だなんて皮肉が効いているな――などと考えながら、ミサキはギルドを出る直前、深呼吸して腹を括る。
ここから出たら後戻りができない。
ミサキは漠然とそう感じた。
(ここはもう安全な日本じゃないんだもんね)
不慣れな手つきでアイテムウィンドウを開き、背中に初心者の弓と初心者の矢筒を装備すると、質量以上に重みを感じた。
街中でmobは沸かない。
これは〝対人用〟の武装。
武装はミサキの覚悟の現れだった。
願わくばこれを人に向けて使う日が来なければいいと願いながら、ミサキは座標に従い歩き出した。




