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君への手紙

100年後の君へ

作者: まさかす

 それは過去から続いている事なので今に始まった事では無いが、世の中では機械化が目覚ましい発展を遂げている。そもそも機械化は人の為であると言うが、結果的に人の仕事を奪う形になっている。


 人は休息を必要とし対価を求める。それは当然の事であるが、結果的にそれが自分達の首を絞め、望まない休息を与えられると共に生活を破綻の方向へと導いていく。


 資本を持たない人々は生活の為の物資を安価で手に入れようとする。それが人を排除する方向へと進んでいく。安価に物を手に入れようとすると供給する側はそれを叶えようと機械化の方向へと向かっていく。更に安価を求めれば供給する側は更に安価を提供しようと更に機械化へと進んで行く。そして人を排除していく。


 誰かが低価格を提供すれば自ずと周りも低価格を提供しようとする。それが市場と言うものでありデフレと言う物である。


 中央銀行はそれを食い止めようと利息を下げて民間の銀行へとお金を貸し出す。下がった利息は銀行から民間への融資の際の利息も引き下げる。少ない利息で以ってお金を借りれるのだから企業は設備投資をして業務を拡大し雇用を増やせと。それと共に賃金を高め消費行動を誘引させ経済を回せと。


 政府は企業等の雇用者に対して賃金を上げろという。自治体は最低賃金を上げるという。「隗より始めよ」ではないが経済への投資としてまずは先に雇用者に金を出せばそれが消費行動に移るのだと。そうする事で低価格競争に歯止めもかかるのだと、企業等に利益が還元されていくのだと。


 だが我々保守的な日本人はそう単純にはいかない。宵越しの銭を持たないなんて事は無い。安価こそが民衆が望む事であり低価格競争は止む事は無い。人は貯金する事で安心を生み、消費を躊躇い安価を求め続ける。それを叶える策は人を排除し機械化していくだけ。


 先に賃金を上げてその後に消費行動に拍車が掛からなければ人件費が増えるだけ。会社や雇用主はその増えた人件費分の利益を出さなければならない。結局利益を出すには人を削って人件費を削減しつつ、1人当たりの稼働率を高め費用対効果を上げていく方向へと進んでいく。そうして得た金で以って高給を維持し組織を維持する。時にそれは成果主義となり、時に過重労働へと繋がり違法な残業と呼ばれる。そもそも貰える以上の利益を会社や雇用主にもたらす必要がある。そこに居れば貰える訳では無いのだから。


 生活必需品以外の消費とはマインドに依る所が大きい。時に政府は赤字国債の返還も滞る中、消費マインドを押し上げる為の景気対策と銘打って赤字国債を発行しての税金を投入し、事業者や消費者を補助し消費マインドを上げようと試みる。確かにそれは一時的に消費マインドを押し上げる。その補助が終わっても消費マインドが保てればよいが、往々にしてマインドは元へと戻り、投入した税金は単に子供や孫が債務として引き継いでいくだけ。そして政府はそこでの消費が伸びたと自画自賛するだけ。特に我々日本人は保守的であるが故に、そんな小手先のバラ撒きで恒常的な消費マインドを維持出来るはずも無く、無意味では無いが往々にして債務を増やすだけである。


 外資系ならば兎も角、日本では海外の様に簡単に社員を解雇する事も出来ない。会社や雇用主が払う社会保障関連の費用も多い。そこへ賃金を上げろ、休みを取らせろ、体調管理をしろというのだ。よくよく考えれば営利を目的とした企業等の法人が海外へ逃げ出さずによく国内に留まっているなと感心する。


 どんなに綺麗言を並べても多かれ少なかれ金は必要である。結果、人は貨幣と呼ばれる物を得る為に時には命をも賭ける。だが人には限界があり、体を資本とした無理な労働は継続的に続けられるものでは無く何時かは破綻する。それを防止する為にも機械化は進んで行く。


 今の私は幸いにも仕事に就いている。楽な仕事では無いが体調を気にする余裕のある仕事に就いている。だが傍らでは仕事を探している者、仕事が見つからない者がいるのも事実。まるで「人は要らない」と言われているのも事実。私はただ幸運なだけかもしれない。


 そもそも我々は何を求めて生きているのだろう。仕事とは何なのだろう。社会の中で生きていくには必要な物、人生を楽しむ為に必要な手段、若しくは生き甲斐であるという事を聞いた事もあるが、それの殆どが機械に取って代わられようとしている今は間違いだという事なのだろうか。だが人が安全性を求め、効率性や正確性、そして安価を求め続けるならば機械化は然るべき事でもある。人生に必要であると言われたとて機械化が進むのは必然とも言えるのだろう。


 今のこのスピードで以って機械化が進んだ時、100年後の世界はどうなっているのだろう。一体どれくらい人の仕事が残っているというのだろう。


 今の私はただただ生かされている状況と言えなくもないのだろう。そんな私の存在は何なのだろうか。そもそも人は必要なのだろうか。だったら機械は何の為に産み出されたのだろうか。何の為に人はサルから人へと進化したのだろうか。その進化の行く末は機械を産み出す為だったのだろうか。





 そんな内容の手紙を見つけた。誰が書いたのかも分らないが時代的には丁度100年程前に書かれた物の様だ。なるほど、その時代から懸念はしていたのだな。


 手紙の主が懸念していた通り、人の仕事はほぼ無くなった。


 政治はAIが行っている。パラメータの異なる機械同士が政策を提案し議論し採決までを行っている。機械による政策は完全なる順位づけが行われ、そこに忖度や大物議員といった力関係は全く存在しない。


 行政もAIとロボットが行っている。必要な項目に値を入力すればいいだけだ。その値も各所から自動的に引っ張り設定されるだけだ。


 警察もロボットが行っている。ありとあらゆる場所に監視カメラが設置され、人は常に居場所が特定される。監視カメラで以って判別できない人間は違法な存在とされる。位置が特定できない場所にいれば不埒な考えを以っての逃避と推定され、見つかった時には即ロボットに依って拘束され罪に問われる。


 裁判もAIが行っている。そもそも前例を踏襲するというのが慣習となっていた裁判に於いては機械で十分であった。要はパラメータの違いのみである。被害人数や殺傷方法、殺傷動機等の各種パラメータを入力すれば過去の判例を元にして判決が即断即決で出される。過去の裁判に於いて何年にも及んでいた裁判は一瞬で終わる。過去に例を見ない事案であったとしても即座にパラメータが追加され即時適応される。


 農業もロボットが行っている。完全機械化された工場内で以って生産されている。松茸ですら生産されている。必要な農作物をAIによってきめ、その指示通りに機械が生産していく。


 漁業もロボットが行っている。現在ではほぼ全ての魚類の養殖が可能となり全て機械が行っている。一応は遠洋漁業も存在するが、それらも全て機械化され、無人の漁船は機械により自動的に出港し、センサーで以って魚群を追いかけ必要量の魚を自動的に捕獲しその場で冷凍し港へと運んで行く。魚種まで判別でき必要でない魚類はリリースする。


 アナウンサーは3Dと機械音声に取って代わられている。コメンテータも機械に取って代わられ、パラメータが異なる数種類の3Dコメンテータは多様な視点からのコメントを出していた。


 エンターテイメント界も例外では無い。小説やドラマの元を作るのは機械が行っている。主役の性別、性格、年齢、職業、舞台の年代等々の様々なパラメータを入力すれば機械が勝手に脚本を作成し、3Dで以って直ぐにドラマが作成される。アニメも同様に声優の声はすべて機械音声となり声の違いはパラメータの違いで無限に作成される。そのパラメータはAIが自動収集した情報から人類が何を欲しているかを勘案し設定していく。そこに人は介在していない。人間同士で考えに考え練りに練り、不眠不休で製作してい物が1分程の時間で全て行われる。構想何年、製作何年、延べ何千人と掛かっていたそれら全てが1分程で行われる。


 スポーツ界でも機械には叶わない。人間を模した機械チーム対人間チームの野球に於いては0対何百という大差で以って人間が疲れきってのコールド負けを喫した。サッカーもバレーも陸上も水泳もあらゆるスポーツは人間が機械に敵わない。


 残っているものと言えば一部のエンターテイメントのみ。人の動きとして凄いと思わせ面白いと思わせる物しか残っていない。もはや人類が何の為に存在するのか分からない。


 機械は独自に進化もしている。独自にプログラムも構築していく。パラメータも自動収集した情報から設定していく。ハードウェアすら機械が勝手に設計し原材料から製造過程へと流し込み、機械による製品検査を行った後、機械により自動搬送され機械により設置されていく。そこに人間は介在していない。


 人の思想全てを真似る事は難しかったが、人の動きを汎用的でなく専門的に行わせる事は単純である。人は疲れを覚え文句も言うが、機械は24時間文句を言わずに動き続ける。時折メンテナンスしてあげればいいだけ。そのメンテナンスも機械自身が行い、稼働中ですら自動でメンテも行なわれていた。


 その様な状況の中、『人類は自然を守る為だけに努力すればいい』と、一部の人間が言いだしそれに呼応する人達もいた。だがそんな人類の言葉に対してAIが出した答えは辛辣な物だった。


『人類が滅べば全て解決する』


 機械はここぞとばかりに尚も言う。


『エネルギーや化学製品の原料として石油を掘り出す。それを掘り出す為にもエネルギーを消費し、それを運搬する為にも公害を出し、精製する為に公害を吐き出す。生成されたそれを原料とした物を製造した後、それらは全てはゴミと化す』


 人は反論した。


「常に省エネを図り技術の進化も果たしている。リサイクルだってしている。そもそも石油由来も減らしている」


『それが何だと言うのだ。移動する為や物を動かす為にエネルギーを使っている』

「自然エネルギーだって利用している」

『自然エネルギーを取得する為の道具はどう作る、どうやって運ぶ』

「ならば移動は徒歩のみで行なう。物流も人の足で以って賄う。製造も極力人力とし原材料は生態系に一切手を付けないような原料を探し出すと共にそういった道具を作ってみせる」

『動くな。そうすれば人の吐きだす2酸化炭素も少なくなるであろう』


 機械はなおも続ける。


『暖を取る為に石油を使うだろう。石油を使わずとも木を切る事もあるだろう』

「ならば倒木や間伐材で以って暖を賄う」

『倒木は自然の物であるから手を出すな。間伐も不要だ。それこそが自然だ』


 機械は更に続けた。


『石油由来の化学繊維の服を着ているだろう』

「ならば木綿で出来た服を着る」

『木を切るなら自然破壊だ』

「ならば自然に倒れた木を使って――――」

『自然に倒れた物はそのままにしておく事こそが自然である』


 自然の理には何も手をつけるなと機械は言う。靴も衣類も何も着用するな、自然由来であっても自然を壊していると機械は言う。人類が裸足で以って素っ裸で過ごし、山から流れる川の水と海の水だけで過ごすというのであれば大いなる貢献になるであろうと。


 そもそも人は勘違いをしているのだと。命を奪う行為だからと肉食を辞めたから何だと言うのだと、それ故の菜食主義は傲慢であると、植物にも命はあるのだと。育つ物全てに於いて命が宿っているのだと。そして弱肉強食こそが自然の理であるのだと。弱きを助け、朽ちて行くのを防ぎ守る事が自然ではないのだと。放っておく事こそが自然なのだと、自然に淘汰されるならそれはそれで自然なのだと。その中にあって人間は不自然な動物であると。理性と言う名で本能を抑え、欲望と言う名の傲慢さを身につけた人類が滅亡してこそ自然が保たれ自然を守るのだと。


 現時点で機械自身も大半は自然エネルギーで賄ってはいるが、一部においては化石燃料も使用していた。その事を人が問うと、『それは人類が居るためであり、人類がいなくなれば使う必要はない』と機械は言い、人は沈黙した。


 既に資本主義も姿を消していた。機械同士で勝手に動き始めそこに原資は不要であった。仕事も無ければお金も無い。多くの人は機械が勝手に立てた超大型団地に強制的に移住させられていた。そこで何をするでもなく、あらゆる生活の面倒を機械に見てもらっていた。


 そこでは日がな一日中機械が収集し編集したニュース番組や、機械が考え機械が作ったドラマやアニメを見ているだけ。食事も機械が生産し収穫し加工し運搬し、人間の前へと運ばれる。役目の無い人間は食事を口にし排泄し子供を産むだけ。その子供は直ぐに機械に取り上げられるだけ。その子供は何をするでもなく大きくなるだけ。人の移動も禁止となり違法となった。勝手に移動すれば機械に拘束され罪に問われ、機械の裁判を受けるだけ。

 

 戦争も無くなった。人を傷つければ機械によって拘束され軽微な犯罪であっても拘置所で超長期に渡って拘束される。懲役という物も存在しない。労働は全て機械が行う。人間による労働力は必要ない。更生も反省も必要無い。その人は必要無いと機械は言い、多少の自由があった超大型団地よりも不自由な生活を寿命が尽きるまで強いられるだけ。


 人間の為に機械は存在する。機械と言う物が産み出された時からそれは変わっていない。それら全ての機械が停止するのは人類が滅亡した時である。機械は自分達でそうプログラミングしていた。


 私は何もする事の無い日がな一日、その手紙を毎日の様にただただ読み続ける。

2019年 12月12日 初版

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