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プラハ動乱


 ディオール達がプラハに居着いて七日目、逃走からは十二日目、一つの噂が春を謳歌するカーレル大学にやってきた。


「アーバイン家の嫡子が囲みを打ち破り兵を挙げたらしい」と。

 ディオールは、大学の食堂で噂を聞いて会話に混ざる。


「何処で兵を挙げたって?」

 ここ最近、よく見かける秋の小麦畑の髪に学生達は答える。


「本領のエスターライヒらしい」という学生もいれば「ロンバルド公国が遂に立った」と断定する学生もいる。


 帝国中西部の諸侯のどれかだと言う者も居れば、さらに西方、カロリング帝国と並ぶ雄国フランクルが助力したと語る者、そして「ここプラハらしい!」と言った学生は無視された。


 情報が人の足よりも僅かに速い時代、集まった情報の取捨分析が最も重要になる。

 配信された情報を取り次ぐだけのメディアはまだない。


 一人の学生が帝国領域の地図を持ってくる。

「まず嫡子が逃げ出したのは、マリウス大司教領だ! ここからどっちへ行く?」


 半数の学生が南を支持した。

 旧領であるエスターライヒ、そして最大の反フリードリヒ派と目されるロンバルド公国のどちらもが南方なのだ。


 南東を示す者も多い。

 距離はあるがディオールの母テレーズ女王のパンノニア王国がある。


 西を主張するものは、アーバイン家の宿敵であるカペー家のフランクル国を推す。

 フランクル国の戦力は二十万とも言われ騎士も多い、帝国軍三十万と互角に渡り合う大国である。


 だが「フランクルは駄目だ。あそこと手を結ぶなら俺は嫡子を見捨てる」と発言する者が出て、大半が同意する。


 帝国のライバルだけあり人気がなく、ディオールが候補にしなかったのもそれが理由。


「まぁ実は母上はフランクルとの同盟も考えてたけどな……」

 ディオールがロランだけに聞こえるようそっと囁く。


 護衛兼友人の騎士は、驚きを顔には出さずに聞き耳を立てている者がいないか辺りに目を配る。

 主の少年が、平民の学生に混ざるのはもう諦めていたが、正体に気付く者が居ないか常に神経を張り巡らせている。


「東もあり得る」との議論が始まった。

 学生たちが導き出す結論は、東方のルブリン合同王国よりも、ここベーメン王冠領をフリードリヒから引き離す必要があるからだというもの。


 この討論を聞きながら、ディオールは平民の知識階級を見直していた。

 フリードリヒのバルト王国が力を付けたには理由がある。


 旧体制に属する騎士階級の少ない新興国バルトは、移民と平民の活用を積極的に行った。

 その成果は、まず第一次の継承戦争で現れる。


 参戦した他の諸侯や列強が特に得るものがない戦争で、バルト国だけがベーメン北部の三割ほどの土地を分捕った。


 もちろんディオールの父フランツの代帝即位と、生まれたばかりのディオールへの支持と忠誠と引き換えであったが。

 しかし急速に力を増すフリードリヒのバルト王国は、その十年後に代帝フランツの暗殺に乗じて第二次継承戦争を起こす。


 アーバイン家を率いるテレーズは長男に言った。

「フランツの死から僅かに一ヶ月での挙兵! 誰が作為したか、神でなくとも知れること! ディオールや、そなたの父を殺したのは、狼の毛皮を被った二枚舌の反逆者ぞ」


 十七歳でディオールを産み二十七で未亡人となった喪服姿の母の顔は、血の気がなく青ざめていたのをディオールは覚えている。

 ただしぞっとするほど恐ろしく、また美しくもあったが。


 エスターライヒとバルト王国に挟まれるベーメン王冠領は、両国にとって天秤の支柱のような土地。

 この地を制した者が、相手の本土に勢いのまま雪崩込むことが出来る。


 学生たちのいう「ベーメンの奪還」は、ディオールの戦略でも重要な段階。


 だが「学生が思い付くなら別の手を考える」という訳にもいかない。

 奇手奇策は、成功率が低いか成果が薄いから(めずら)しいのだ。


「フス先生に相談してみるか」

 ディオールは、ますます人数が増えて盛り上がる学生の群れから遠ざかる。


 手元には一個連隊もない流浪の皇子だが、学生を煽り率いて戦う気など馬の角ほどもなかった。


 だがフスの教授室には、既に学生たちが詰めかけていた。

 カーレル大学のみならず、帝国内外でも有数な戦史研究と戦略の大家であるフスの意見を聞こうと何十人も押しかけている。


 ディオールは、教授室にも入ることなく引き上げる。

 机に群がる学生を相手にするフス先生が顔をあげ、一瞬だけ入り口にいたディオールを認める。

 そしてこれが師弟の別れとなった。



「ディオール様、失礼します」

 夕刻、隠れ家に戻ったディオールの部屋へノックもなくロランが入ってくる。


「あらお兄様どうしたの?」

 家の中ではセルシーが側に仕える。

 まだ服を脱ぐ時間でもなく、深刻な顔をした兄を迎え入れる。


 大声にならぬよう大股で近くまで来たロランが、本を眺めていたディオールに伝える。


「プラハに軍が入ります、今日中に」

 ロンバルド公ガリバルドが多数の密偵を使っていて、周域の情報は早く集まる。


「数と所属は?」

「騎乗二百、兵八百。南から来ました」


 ディオールは本を閉じた。

「アルブレヒトの配下かな。騎兵二百は多いな、ひょっとしなくても俺の探索か」


 ベーメンに軍を持つフリードリヒ配下のギシャール中将は、広く街道や水運を封鎖検問したまま動いていない。

 それも皇子の顔を知らぬのだから仕方がない。


 アルブレヒトとは、現在の皇帝アルブレヒト三世のこと。

 実力的にはフリードリヒの傀儡ではあるが、名門名家であるヴィッテルスバッハの総領。

 妻がエスターライヒ女大公テレーズの妹で、ディオールにとっては叔父でもある。


 そして今現在、ディオールに死んで欲しいと最も願う者。

 アルブレヒト三世の下には、元皇太子の顔を知る者が大勢いる。

 ギシャール中将へ協力を申し出て、ここまで一隊を派遣して来たのであった。


「逃げますか?」とロランが聞く。

「潮時かな。楽しかった学園生活も終わりか」


 答えたディオールは本をベッドに投げ捨てる。

 再び逃亡生活が始まることになるが、この夕方に事件が起きる。



 騎兵二百と銃兵八百を率いていたのは、ローテンブルク伯ヨーゼフ。

 伯と兵士は、かつて皇帝が寄進し今も皇帝家の所有であるカーレル大学の敷地を使おうとした。


 大学の敷地は無駄に広く牧場まであり、この判断は当然のもの。


 だが皇統(アーバイン)派にフリードリヒ派、さらにはベーメン独立派から共和主義者に無政府主義者(アナーキスト)まで、あらゆる主義思想が混在する学生たちは、ローテンブルク伯ヨーゼフとその軍を拒否した。


「せめてアーバイン家のように、毎年寄付をするなら入れてやんこともないぞ」


 バリケードの上から笑い飛ばした学生達の手には、平民でも使える武器――――銃があった。

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