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ディオールは、カーレル大学に潜り込んでいた。
この大学は学生数が二千人、医神法の主要な三学部に加え哲学や歴史に語学まで扱う。
そして構内には、常に三千人から五千人の若者がたむろしていた。
中には教授陣の弟子もいたが、まったく関係なく入ってくる者、卒業しても出ていかぬ者、これらの連中が誘い呼び寄せる者で、定員などあって無いようなもの。
大学側は部外者を気にもとめない。
運営は寄付で成り立ち、授業料という概念がないからだ。
ただし近年では経営が危ぶまれていた。
最大のパトロンであったアーバイン家が、帝国領内から追い出されたからである。
「と言う訳で、わしも殿下には頑張っていただきたい」
フス教授は、ディオールに自身の持つ知識を全て伝えようとしていた。
「わしの見る限り、フリードリヒ王にも弱点はある。むしろ戦場以外では弱点だらけと言っても良い」
フス教授は、外交や戦略を人で語る。
戦術でさえも、敵将の人となりを知るべきだとの考えで革新的であった。
授業は続く。
「戦場におけるフリードリヒ王は、当代一の名将で間違いない。モルヴィッツの戦いを見るが良い。一度は騎士団の突撃により崩壊したと思われた右翼を、抵抗力が残ると見るや素早く掌握し、騎士団の疲労と後退を待って再び前進させた。崩壊したはずの敵右翼が現れたエスターライヒ軍は、逆に側面を突かれる。これを陣頭で行える王は他にない」
さらにフス教授は、最も重要なことをディオールに告げる。
「これを可能にするのも、王が直々に参加し号令を飛ばす猛訓練があってこそじゃ。平民農民あがりの徴募兵を、騎士と戦わせるにはどうするか。それだけを考え鍛え抜いた結果であるな」
フリードリヒのバルト王国は、新興の勢力として扱われる。
従う騎士家だけで八百を数えたアーバイン家とは、戦闘階級の数では比べ物にならない。
発達著しい銃と、力を持たぬはずの平民。
この二つを組み合わせたのが、フリードリヒの強さ。
もちろん他の国も銃兵は使う、使うのだが訓練してまで主力に育てるという発想がない。
何故ならば、この大陸の銃は、五十メートルの距離では1割も当たらない。
だが騎士の剛弓や投げ槍は、その距離ならば必ず体を貫く。
一般兵同士なら撃ち合いになるが、騎士団が現れれば後退するしかないのがこれまでの戦争。
だが騎士にも苦手はある。
深い堀や高い壁に囲まれた城や要塞には手も足も出ないし、消耗も避けたいので使われない。
立てこもった兵士より多い数で包囲して大砲でも撃つしかない。
「それで先生、フリードリヒの弱点とやらは?」
ディオールが先を促した。
季節は春で夜の涼しさは授業の熱さを冷ますのにちょうどよく、師弟二人の授業は終わるところを知らない。
フリードリヒ王の内政は官僚に丸投げ、外交は好き嫌いで行うので壊滅的とまで喋ってから、フス先生は卓上のベルを鳴らした。
小柄な少年が香り草を浮かべた湯を持って入ってくる。
「孫のエミリオ、男の子じゃ」と紹介されていた。
フス教授の娘夫婦は流行病で亡くなり、今は唯一の身内だとも。
そしてディオールは、この少年が気になっていた。
「……エミリオ、小遣いをやろう」
ディオールは数枚の金貨を取り出す。
持つ物も称号も、あらかた消え去ったとは言え、ガリバルドのように心寄せる諸侯も多く困窮することはない。
「い、いえ結構です。そんな頂けません!」
白い灰と銀の中間の髪と目を持つエミリオは、声変わりをしてない声で断った。
「ふーん、そうか。欲がないな、おっと」
袋に仕舞おうとした金貨が一枚、足元に落ちた。
「あ、自分が拾います」と屈んだエミリオを、ディオールは逃さなかった。
するりと腰に手を回し持ち上げて細さを確かめると、胸を確認するまでもなかった。
「きゃあ!」とかわいい悲鳴があがっていた。
「ほほう、やはり女子か。先生に似なくて良かったな」
ディオールにも、弱点があった。
逆らうものなし、ただし唯一怖いのが母親といった環境で育ち、他の女性に対する態度が酷く悪い。
「喝っ!」
フス先生が孫娘を救おうと杖を振るい、ディオールは甘んじて頭で受けてからエミリオを離した。
「いてて、酷いじゃないですか先生。自分に嘘をつくなんて」
「酷いのはお前じゃ。まあ、そなたの女癖の悪さは、散々に宣伝されたでな。念の為じゃ」
ディオールは、十三歳で休戦協定に挑んだ。
それから十四歳になり、交渉が妥結するまでの間は首都ヴィアーナの宮殿に限った自由があった。
自分一人の物になったシェーンブルン宮殿に、ディオールは居残った首都の貴族や騎士の娘、さらに街の娘まで呼んでとっかえひっかえの大乱行を始めた。
帝国の民は、行く末に悲観した、阿呆を装っておられる、女を通じて外と連絡を取っておられる、あれが本性などと噂した。
そのどれもが当たっていて、この態度が後の修道院送りに繋がり、また時々呼ばれる女の中にセルシーも混ざっていた。
今後、ディオールが勝てば伝説の一つとなり、負ければ乱痴気の皇子と揶揄されるであろう。
ディオールは、立ち上がったフスが椅子に座り直すのを手伝いながら謝った。
「すいません、先生。どうしても気になったもので」
「手を出すと許さんぞ、まだ十四じゃ。ふう……」
一度立って杖を振るっただけで、フスの息は切れていた。
広い見識と古今の知識、それに大局的な判断が出来るフス教授を、ディオールは軍師参謀役として連れて行きたいと思っていた。
だがそれが叶わぬことは、師弟のどちらも分かっていた。
旅に出て耐えられるほどの健康が、もうフスにはなかった。
それゆえ、ディオールはプラハに留まって教えを乞う。
平民の学生達との触れ合いと議論、そしてフスの教えは、ディオールの行く末に大きく影響する。
だが今の元皇子は、祖父にひざ掛けを持って来た優しい孫娘の体を値踏みしていた。
しかも「まだ青い。あと1年くらいかな」と無礼なことを考えながら。
弱点の無い人間はいない。
それが傑出した軍人王でも、稀代の帝王でもだ。
そして時代の女神は、まだフリードリヒを祝福し続けていた。
強力な戦士階級の存在が、汎用武器の銃の発展を遅らせた世界です
特別な力を持つ人々も出るファンタジーですが、能力バトルまでは行きません
剣と銃が同時に活躍する物語になります
気長に楽しんでいただければ幸いです