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「殿下は、最初からここプラハに来るおつもりで?」

 フス教授は、外に漏れぬ声で尋ねた。


「いいえ、当初はもっと遠くまで逃げようと思っていました」

 ディオールは、東だと思う方角を指差した。


「ふむ。さもありなん」

 教師は生徒の答えに満足したようだった。

 近隣では最大の都市プラハも人口は十万余り、隠れるにも反乱軍を起こすにも小さすぎる。


「先生、誰が邪魔してくれたか分かりますか?」


 各領邦の主君の名前は伝わっても、その家臣となるとディオールにも難しい。

 ただし、アーバイン家の領有する土地の貴族と騎士は全て覚えているが。


「この地の軍権はハンス・ギシャールが握っております。変わり者ですが切れ者との噂で、なんと言っても平民出身で中将じゃからのう……」


 髭を撫でつけながら答えたフスは、以前のように教師口調に戻り始めていた。


 ディオールが逃げ遅れたには、一人の将軍の存在があった。

 北琅王の麾下には戦場に最適化した将帥が多数揃う。


 しかし新しく領土となったベーメン王冠領の統治には苦労した。

 かつてアーバイン家も苦労したほど自主の気風が強い土地で、この地にカーレル大学を作ったのも現地民の心を掴むためであった。


 ある日、北琅王は参謀部の大佐に尋ねた。

「君の父は異国から来て私に仕えた。その息子の君もよく仕えてくれている。しかしベーメンの羊臭い連中は、一向に私に懐こうとしない。どうすれば貴官のように従順になるのかね?」


 いささか意地の悪い質問だが、ギシャール大佐は一礼して下問に答えた。


「小官はこれとこれで、陛下に仕えております」

 右手で胸の勲章を示し、左手は軍服のズボンから小銭を一枚取り出す。


「……ベーメンを優遇せよと言うのか?」


 北琅王フリードリヒは僅かに鼻白む。

 莫大な戦費で宮廷は火の車、早くに豊かなベーメン一帯から租税をあげねば、破産すらありえる状況なのだ。


「ですが陛下、失礼致します」


 そう言ってギシャール大佐は、毛織物のハンカチとコインをフリードリヒの両手に握らせて続けた。

「そのまま剣をお抜き下さいませ」と。

 

 毛織物はベーメンの特産で、コインはそのまま租税を意味する。

 占領地から税金を取りながら、反乱を潰して回るなど不可能だとギシャールは述べたのだった。


 その翌日に少将へと昇進したギシャールは、ベーメン駐屯軍司令官として占領地に入り、懐柔策を持って人心の掌握に努めた。

 早期に従った地域は五年の租税軽減を、抵抗する地域は攻め込むこともせず放置する。

 ただし軍をもって人と物の往来を制限した。


 戦火が通り過ぎ復興する地域を見た反フリードリヒ派の街や貴族は、冬の休戦期に頭を冷やし、この三年間で次々と恭順の意志を示した。


 この者はと、フス先生が解説する。

「大目標の為に遠回りする事を辞さぬのじゃ。先を見通すとも少し違うの、来年良くなる為には今一歩を引くことを知る。今年の勝利に拘る貴族上がりの将軍とは、別の目線を持っておる」


 ディオールにも、先生がギシャールを高く評価して、かつ何故に自分が足止めされたか理解した。


「ベーメンの駐留軍は、自分を追ってこないどころか、探そうともしませんでした」

 ディオールの言葉に「さもありなん」とフス先生が頷く。


 当初の計画では、真っ直ぐ東へ逃げる予定であった。


 現地の焼死体をフリードリヒの手の者が検めるまでに二日から三日、そこから指令を仰ぎ、改めて軍隊を動かすのにさらに五日はかかる。

 指輪の小細工が生きれば、まともな組織ほど報告と連絡と確認に時間を使い、労せずして帝国の領域外へ抜け出るつもりであった。


 だがギシャール中将が指揮する駐留軍一万一千は、東と南を封鎖だけして動かなかった。


 最悪の事態――元皇太子が生きて逃亡――であっても、この二方面へさえ行かなければ良いと遠回りの判断をされたのだ。


「ふむ、少し整理せねばな」

 フス先生が机に地図を広げ、ディオールとセルシーも覗き込む。


「ああ、殿下は口を開かぬように。わしは知らぬ方がよいでな」

 初老の軍略家は楽しそうに地図の上に指先を滑らせ、二人は黙ったままで皺だらけの指を追う、


「まずは北じゃ」

 プラハの北方はフリードリヒの勢力圏で、バルト王国と従う諸侯が点在する。


 左へ指を回すと帝国中央から西方の国境地帯。

 ここは中小の諸侯が百以上もひしめき、味方も多いが戦力的に頼りにならない。


 そして南部。

 ガリバルドのロンバルド公国は、帝国諸侯でも十指に入る大邦で、南部防衛の要石である。

 内戦と言えど軽々に動かす訳にもいかず、公国の軍事力は丸ごと温存されていた。


 だがロンバルド公国を単独で動かしても、総戦力は百の騎士家と兵一万余り。

 二百の騎士家と八万の軍を備えたフリードリヒ相手に勝ち目はない。

 実際に、バルト王国はここベーメン王冠領の駐屯軍だけで一万一千である。


「そして、最後に東じゃ」

 フスの指はベーメンから帝国領域を飛び出る。


 ここより先は蛮族の土地になる文化圏の東端に、ルブリン合同王国がある。

 国土は広く人口は帝国の半数以下だが、伝統的に兵士は強い。


「ふむ。ルブリン王国から兵を借り、さらに南方へ……御母上のおられるパンノニア王国と力を合わせればあるいわ」


 特に語らずとも、ディオール達の計画はフス教授には分かった。


「しかして、上手くルブリンからの助力を取り付けれるかの?」

 先生は生徒に尋ねる。


「自分は独身で、四席まで空いてます、あいてっ! つねるなよ……あと三人まで結婚出来ます」

 ディオールの言葉を、第三夫人候補が訂正させた。


 王族(レクス)は四人まで妻を持てる。

 すなわち四人の舅があるということで、冷静に考えればぞっとする話だが、それだけ後ろ盾を増やせるのだ。


 アーバイン家の嫡男の第一夫人となれば、ルブリン合同王国にも見返りが大きい。

 さらにルブリン合同王国と国境を接するフリードリヒのバルト王国は、ここ五十年で四度も干戈を交えた仲でもある。

 北琅王フリードリヒの伸張を最も恐れている国の一つであるルブリン王国が、味方になる可能性は高かった。


「少なくとも、殺されはしません。利用価値が高いですし、王族の娘の一人くらい寄越すでしょう」


 ――あとはベッドの中で言うことを聞かせれば良い、とまではディオールは口にしなかった。

 隣でセルシーニアが睨んでいたから。


「待て待つのじゃ、それ以上はここで話すな。壁に耳あり鍵穴に目ありと、昔から言うじゃろう」


 痩せて年老いたフスの目は、爛々と光っていた。

 野心ではなく、積み重ねた知識を解き放つ機会を与えられたからだろうとディオールは思う。

 可能ならばフス先生を、参謀役として同行させたいとも考えていた――。


 話の続きは、夜中にフスの家でと決まった。


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