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 月夜の逃亡から五日、ディオール達は帝国東北部の都市プラハに居た。

 マリウス大司教領と隣接する封国である。


「まさか、これほど動きが早いとはなあ……」

 隠れることもせずに、ディオールはカーレル大学のベンチに座っていた。


 この帝国最古の研究教育機関には、教会や都市に準じる自治がある。

 しかも若者が多く、ディオールが居ても目立たない。


 万が一に追手が来ても、学生達は突然の兵士の乱入を歓迎しないだろう。

 カーレル大学の学生達は、気に入らない教授を窓から放り投げることで有名なほど血気盛んなのだ。


 今もディオールの見る先では、一人の学生が「下らない貴族支配層は追い出すべきだ」と力説していた。

 ただし、真面目に聞いているのは元皇太子だけだったが。


「さ、ディオール様、あーんしてください」

 隣では護衛兼恋人役のセルシーが、屋台で買った羊肉を口に運ぼうと頑張っていた。


「その名前は出すなって言ったろ、セール」

「はい、分かりました。あなた……」


「夫婦のふりもするな」

「はーい」


 女子の学生は居ないが、恋人連れの学生は多い。

 昨今のご時世では、優雅に勉学出来る身分というだけで女には不自由しない。


「下らない貴族支配層は追い出すべきだ」と扇動していた学生の演説が終わり、ディオールは拍手を送った。

 終わる頃には聴衆も数人に増えていて、次に別の学生がベンチのある噴水広場に立つ。


 今度は「逆賊フリードリヒを追い出せ」という演説が始まった。

 カーレル大学を抱える都市プラハとそれを包むベーメン王冠領は、数年前までアーバイン家の領地であった。


「今では北のオオカミのものだがな……。さて行こうか」

 気まずくなったディオールが立ち上がる。


 例え旧主を支持する者が集まろうと、正体がばれる心配はない。

 ディオールの顔を間近で見た学生など一人も居ないから。


「けれど、こういう雰囲気って良いですね。同世代の人が沢山集まって……」

 セルシーが名残惜しそうにいった。


 騎士や貴族となれば、勉学は必ず家庭教師を雇う。

 ディオールにも、名門カーレル大学の一学部に匹敵する数と質の教師がいた。

 その中の一人が、今は教授としてここに居る。


「信用出来るんですか、その教授」

 一歩後ろを付いてくるセルシーが肩越しに聞いた。


「さあね、会ってみなければ分からない。にしても、目立つなお前」


 町娘の衣装を着たセルシーだったが、引き締まり均整の取れた体つきは隠せない。

 翠色の瞳が印象的な顔立ちとあいまって学生の目を惹きつけていた。


「兄上よりはましですわ」

 ロランは筋肉の鎧を持っていて、学府に出現すれば異質でしかない。


「さてと着いたぞ」

 文学部に属するとある教授室の戸をディオールは叩く。

「入りなさい」と静かで落ち着いた声が、前触れもない客を迎えてくれた。


「失礼します。先生、お久しぶりです」

 ディオールはなるべく昔の笑顔、自然で無邪気なものを思い出しながら戸を開いた。


 初老の教授が、女連れでやってきた教え子を見つめる。

 そして「扉を締めて」と催促した。


 ディオールがフス教授の教えを受けたのは四年前が最後。

 背が伸びて、人並みの苦労を味わった皇子の姿を見分けられなくても不思議ではなかったが。


 教授は目を閉じて顔を上げ、天を仰ぎながら言った。

「神よ、私は初めてあなたに心から感謝いたします」と。


 フスは、アーバイン家の乗馬指南役の長男だった。

 しかし生まれつき足が弱く馬に乗れず、廃嫡は決まっていた。


 だがディオールの祖父が引見し、聖職か学問の道を勧めてフスは学問を選んだ。

 主君は忠誠の対価として、役に立たないからと言って見捨てたりはしない。

 そしてフスは歴史学の道に進み、戦史研究の第一人者となった。


 ディオールは覚えていた。

 初めて会った時から、フス先生の目の奥は蒼く澄んでいたことを。


「先生、ちょっと困ってるのんです。先生の智慧をお借りしたいなと思って」


 臣下の礼をとろうとするフス教授を押し留めて、ディオールは老人の目をしっかりと見てから、セルシーに合図を送った。

 セルシーはゆったりとした服の中でナイフの柄から手を離す、老人を殺さずに済んだ事に安堵しながら。


「殿下、よくぞご無事で」

 抑えた声のままフスは教え子の手を握った。


「坊主の園からは逃げたのですが、思いの外に敵の動きが早く的確でして。プラハで足止めをくらいました。先生、フリードリヒと戦うにはどうすれば良いですか?」


 フス教授は驚いたが嬉しそうに頷き返す。

 フスの著書に『敗軍の理由』という歴史本がある。


 これまで勝者からしか語られなかった戦争を、敗者の側から何故負けたかを考察したもの。

 時機と外交、軍兵と将軍の質、輸送と兵站、そして君主のありようと、かつてない視点から書き上げた意欲作であったが封建社会においては評判が悪かった。


 何故なら栄光ある君主と勇猛な騎士がいれば、戦争は勝つものだと信じているのだから。


 しかしディオールの母テレーズは、フスの本を読み感銘を受けて宮廷に呼び出した。

 息子の家庭教師とする為に。


 ディオールは、戦略を知る人物を得ようとここに来たのだった。


定番の まずは軍師を味方にしよう

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