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月夜の出発


「泣くな、じい。それどころではない」

「分かっております、分かっておりますが……!」


 ディオールは、年寄りの扱いに困り果てていた。


 先代のロンバルド公、ガリバルド・パウルス・ランゴバルド。

 祖父帝カール六世の時代から仕え、ディオール母テレーズを託す後見の一人として遺言された人物で、年齢は七十歳も過ぎた宿将である。


 屋敷を出てきた小麦畑の髪色を見つけるなり、老人の緩い涙腺は崩壊した。

 二年もあれば若者は変わるが年寄りは変わらない。


 見慣れたガリバルドの顔を見たディオールも大いに感激し、右手で『じい』の左肘を掴んで喜びを表したのだが、老人はその手を握り返して離さない。


「じい、もう泣き止んで手を自由にしてくれ。これからが本番だ」

「分かっております、分かっておりますが……ご立派になられて……!」


 それでもガリバルドは、深く皺の刻まれた顔をようやくあげた。

 戦場を駆け巡った老人は漁師かと思えるほど日に焼けていて、強い視線の奥には蒼い炎が揺らめいているのをディオールは確認した。


 ガリバルドの忠誠は変わらない。


 ディオールの両脇に立つ兄妹の瞳は翠晶石を溶かし込んだ色だが、奥底の輝きは同じく蒼。

 そして裏切り者は赤に変わると、ディオールは知っている。


 ――幼き日々のディオールは、自分を見つめる者の瞳の奥は、全員が蒼いものだと思っていた。

 だが戦が起これば、口先では忠義と献身を勇ましくする騎士でさえ容易に赤く変わる。


 疑問に思った幼ディルは、懸命にも忙しい母にそっと相談した。

 アーバイン家の女当主であるテレーズ・エリザベートは、驚きそして息子に尋ねた。


「そのこと、誰かに話したかい?」

「ううん、まだセール――乳兄妹のセルシーニア――にも言ってない」


 テレーズは膝に小さなディルを乗せ、抑えた声でだがはっきりと言った。


「その事は、誰にも話してはならないよ。ロランやセルシーニアでもね。その目は、偉大なる祖帝マクシミリアンと同じもの。おお神よ、憂苦の時にこの子を与えて下さったことに感謝します!」


 指輪で飾り立てた母の指が食い込んで痛かったが、ディオールは嬉しかった。

 夕食時にも会うのが難しい母が、これほどに自分の存在を喜んでくれたのだから。



 帝王の眼――その力と危険性が今のディオールには分かる。

 忠誠を見抜かれて喜ばぬ者はいないが、一時でも心離れたことを知られるのは耐え難い。


 知られるならばいっそと、思い切るのが人である。

 もしディオールを囚えた敵方がこの秘密を知っていたなら、戦火の拡大など恐れずに殺した。


 ただし蒼と赤が見えるには条件もある。

「最初から忠誠など無い者は、何の色もない」とディオールは気付いた。


 三度会ったことのある、”北琅王”フリードリヒの瞳は本来の色を映したままだったのだ。


 戦場の天才と呼ばれるこの帝国貴族は、最初からアーバイン家にも帝国にも忠誠などない。

 ただ己の才幹と野心のままに、全てを喰らい尽くすべく戦場に立つ。


 本来は、忠誠が一世一代に生まれる事はありえない。

 家と一族と子孫を通じて形成される物である。

 

 ロランとセルシーの一族は、アーバイン家と六百年は共に過ごしている。

 数十年限りの雇い主が忠誠を求めるなど出来ないし、下の者から見れば噴飯もの。


 ただし一つの若き才能が駆け上がる時だけは、その輝きと重力に惹かれ新しき星々が集まり光に忠誠を誓う。

 ”北琅王”フリードリヒ配下の将軍と幕僚は当に正しくそれであった。


 辺境防衛を担う帝国貴族から一代で王号を受け、遂には帝国北部の過半を支配下に置いた。


 頭を押さえるべきアーバイン家の領土は、もう帝国内にはない。

 この状況から、ディオールは古き血筋だけを頼りに戦いを始める。


「ディル様、この子どうしましょう?」

 セルシーが十歳の女の子を抱えて聞いた。


「仕方ない連れて行く。置いていったら何もかも台無しだ」

 命令すればロランが森の中で始末するだろうが、ディオールは荷物を増やす事にした。


「良かったですねー。あらこの子、よく見れば整った顔をしてますよ。きっと将来は美人さんですね」


「ふーんなら、数年後を楽しみにするか」

 ディオールとしては、当たり前の反応だった。


「へぇ、ディル様。わたしの前でそういうこと言いますか……」

 セルシーニアの眉が釣り上がり瞳が怪しく光る、それも赤色に。

「な、なんで!? 悪かった、ほんの冗談だ!」

 

 忠誠と反逆を見抜く帝王の眼には、まだ秘密が多かった。


「ちゃんと第三夫人にするから」との説得で、騎士家の娘の瞳は蒼く戻る。


 諸侯王族(レクス)には、四人まで妻帯が認められている。

 口うるさい教会でさえも妥協した。


 何故ならば、卓越した才能を持った者の子孫は、同じ力を持つことが多いから。

 祖帝から受け継いだディオールのように。


「さあ行きますぞ! のんびりする暇はございません!」

 何時の間にか涙が収まったガリバルドが、年齢を感じさせない足取りで先頭に立った。


 次にディオールが続き、セルシーが子供を背負って続き、しんがりはロランが締める。

 戦闘階級である騎士の血を引くセルシーにとって、この程度の荷物など何でもない。

 街の若者程度なら、何十人出てこようが叩きのめすことが出来る。


 いずれ元皇太子が生きてるのは露見する。

 それまでに、何処で誰に出会うことが出来るか。


 ディオールは己を高く評価していない。

 血筋と家名を頼りに、一代の英雄を相手に何処まで挑めるものかと考えていた。


 だが幼馴染の兄妹にとっては違う。

 十七歳の少年はただの主家の嫡男ではない、自ら光を放つ恒星だと信じていた。


北琅王のモデルはフリードリヒ大王

母テレーザはマリア・テレジアです

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