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 戦争が始まっても、毎日戦争するわけではない。

 むしろ戦闘がない日の方が多い。


 スモレンスク公国とディスワフの連合軍が迫る十日ほど前、ディオール達は休養と補給のために兵を動かさずにいた。


 しかし、何時までも兵を遊ばせるておくわけにはいかない。

 特に異民族を引き連れて占領軍となったディオールにとって、頭の痛い問題だった。


「やらせたいことは色々とあるが、頭が足りない」とディオールは頭を抱えていたのだ。


 司令部としては、文字の読み書き出来て、計算が出来るだけで即戦力。

 人質から解放されたエミーリアまで書類仕事に励んでいた。


 同盟の証として人質となっていたエミーリアとサーシャだが、「使える役人を寄越せ」とディオールが要求すると、女王エカテリンは二人を送って返した。


 遊牧民の宮廷には、盤石な官僚組織などない。

 有能な人材を貸し出す代わりに、誠意として人質を解放したのだった。

 戦争が既に始まり、裏切る恐れが低くなったせいでもあるが。


 一万余の軍隊となれば、日々の食糧と薪、寝床と息抜きの酒、火薬と弾の手配と振り分けだけで莫大な業務となる。

 小さな体が書類に埋もれそうになったエミーリアが、切れた。


「どーして皆様、貴族のくせに数字一つ読めないんですか!?」

「数くらい分かるぞ。まあ細かい計算は苦手だが……」


 椅子に座って剣を磨いていたロランが代表して答える。

 貴族官僚として栄達する気があれば必須の技能も、限りなく戦場向きなロランやエーバーにとっては無意味。


 セルシーでさえ、財政の知識は『高価な宝石や服を買いすぎれば良くない』といった程度で、無責任な発言をする。


「平気よ、平気。ここの食い物がなくなったら、別の街に移動すれば良いんだから」

「うわっ、セルシーニア様! すっかり遊牧民に馴染みましたねっ!」


 唯一の常識人エミーリアは、かつて祖父のもとで家計を切り盛りしていた経験を生かし、何とか兵と馬が飢えないようにと手配する。

 食糧があっても口に届かなければ、また無意味である。


 だが、それも限界を迎えようとしていた。


「あれ、これ鉄の請求書? って現物は? こっちは大麦? 馬の餌はライ麦でしょ」

 エミーリアの知らない紙切れが山のように出てくる。


「もう無理ですー!」

 とどめ、とばかりに大量の借用書が出てきたところでエミーリアが降参した。

 飛び散った書類を、セルシーが苦笑いしながら拾って回る。


「まあ少し、手伝ってあげるわ。私だって帳簿の一つや二つ……って、なにこれ?」


 セルシーニアの手にあったのは『春と花の館』という名前の、ブリャンスクでは一番高級な酒場の請求書。

 しかも署名は兄のロランであった。


「なにこれ!? これも、こっちも! お兄様!?」


 戦場では怖い者がないロラン・オルランドも、怒れる母と妹だけは恐れる。

 敗軍の将のように怯えながら、ロランはあっさりと主君を売った。


「ああ、それな。うん、あれだ。土地の暮らしを見たいとディオール様が言い出してな、必要経費だ」


 半分は事実で、半分は嘘だった。

 名門アーバイン家のディオールは、容赦のない暴君として君臨するわけにはいかない。


 ブリャンスク伯を追い出した後も、民衆や農民は息を潜めて様子を見守るだけで、反乱や抵抗を起こすこともなかった。

 名高く歴史あるアーバイン家の統治はどんな物かと、静かに見守っていた。

 そこでディオールは、部下を引き連れ市中に繰り出し金をばら撒き、地元の女性と愛を語るという、古典的な手法を用いた。


「どうでも良いわよ、そんなこと! どうりで最近、わたしの所に来ないと思ったら! ディオールは何処!?」


 余りに古典的過ぎて、セルシーには理解できなかった。

 激怒する妹をなだめながら、ロランが奥の部屋を指差す。


「セルシー、その口の聞き方はなんだ。それにディオール様は、今は客人と歓談中だ、抑えなさい」

「ほー。その客とやらも女かしら?」


 かつてアーバイン家の宮殿で、女性では大公陛下とその子女の次に位置していたセルシーは遠慮というものを知らない。

 兄の制止を無視して扉に手をかけようとしたところで、内側から開きディオールが出てくる。


「うん? なんだセルシーか、どうした何か用事か? 丁度良い、紹介しておこう。カウニッツだ、見知り置け」

「あ、あら、ごきげんよう。お初にお目にかかりますわ」


 ディオールと共に扉から出てきた男――カウニッツ――は、細身で小柄で眼鏡をかけたいかにも官吏といった風貌で、本来ならセルシーは会釈だけで通り過ぎるが主君から直々に紹介されれば別である。

 激怒の真っ最中であっても、即座に笑顔を作り優雅にお辞儀をしてみせるのは宮廷育ちならではの特技。


「カウニッツ、こちらはオルランド家の令嬢、セルシーニアだ。知っているか? ロランもこちらに来い。こっちはオルランドの現当主。二人共、わたしの乳兄弟でいわば分身だ」


「ご高名はかねがね伺っております」と、カウニッツが丁寧に挨拶を返す。

 カウニッツの背丈は、セルシーよりも低い。

 体の幅も厚みもなく、戦場において役に立つようには見えなかったが、ディオールが自ら会った理由を説明する。


「カウニッツの父君は、ネーデルラントの天文官でな。優れた本を幾冊も残した」

 ネーデルラントはアーバイン家の所領の一つ。

 父を褒められたカウニッツはそのようなと謙遜したが、ディオールは構わず続ける。


「息子の彼もまた、数学に才を示し、ネーデルラント総督の下で財務官として働いていた。此度、余の挙兵にあたり真っ先に駆けつけてくれたというわけだ」


 ディオールの説明を黙って聞いていたロランだったが、疑問を覚えていた。

 爵位の説明がないということは、カウニッツは平民である。

 累代に渡りアーバイン家と共にあり、滅ぶも栄えるも一蓮托生のオルランド家とは立場が違う、優秀ならば新しい君主に取り入れば良いのだ。


 武人であるロランは率直に聞いた。

「カウニッツ殿は、なぜ殿下のところへ? 未だルブリン王国の十分の一にも満たぬ勢力である。明日にも死ぬ覚悟がなければ参上する気にはなるまい」


「オルランド様、その……自分の望みは、大きな数字を動かすことです。この大陸で最も広く、豊かであったのがアーバイン様の率いるカロリング帝国です。あの……自分はその財政を全て動かしてみたい、て、帝国の宰相になるのが夢ですので……大それたとは自覚しておりますが……」


 ただ黙って立っているだけで、ロランは迫力がある。

 アーバイン家最強の騎士に見つめられた数字狂の青年は、徐々に声が小さくなっていった。

 見かねたディオールが救い船を出す。


「やめろ、ロラン。今は忠誠がなくとも良い、俺はカウニッツの野望を買った。帝国宰相になりたいなど、俺に直接ぶつけた奴は初めてだ。それに、財務管理の能力はネーデルラントで証明している」


 ディオールの言葉に、今度はカウニッツが驚いた。

 アーバインの所領の役人とはいえ、実務は全て総督が取り仕切り、本家の嫡男であるディオールが知っているとは想像もしていなかったのだ。


「あ、ありがとうございます、殿下! 精一杯勤めさせていただきます!」


 感激から深々と礼をしたカウニッツを横目に、セルシーだけは皇子の嘘を見破っていた。

 アーバイン家の者は、下の者ほどよく褒める。

 知りもしない地方役人に「何時もご苦労さま」と声をかけるのは日常茶飯事、主君にとっては一瞬でも、相手にとっては生涯の思い出となると良く知っているのだ。


 だがセルシーはそれをずるいとは思わない。

 数万にもなる廷臣や役人を束ねる皇家に、相応しい態度であると確信している。

 そしてアーバイン家がきつくあたるのは、オルランド家のような歴代の家臣に対してのみであり、そのことを誇りにもしていた。


 カウニッツは早速仕事にかかる。

 書類の山の八割をエミーリアから引き取り、五倍の速度で決済を進めて行く、この数字狂の才能は本物であった。


 見届けたディオールは満足気、人差し指でロランを呼び、こっそりと囁いた。


「おい、今晩も出かけるぞ。何時もの店だ」


 しかし、ロランは渋い表情になり、妹に聞かれぬように囁き返した。


「……ディオール様、セルシーニアにばれました。申し訳ありません」


 若く生気あふれる皇子は、そっと幼馴染の女騎士の手元を見る。

 握りつぶされた請求書が何であるか確認したところで、決断は早かった。


「ロラン、エーバー! ただちに出撃する。補給は後方に任せ、北方スモレンスクの様子を伺う。セ、セルシーはここに残れ!」


 皇子の動きは、かつてない程に素早かった。

 長駆進出した騎兵を使っての拠点襲撃と略奪と同時に、歩兵を工兵として使い、各所にある橋を取り壊して、自らの望む位置にかけ直した。


 味方の機動線を確保し、敵の動きを妨げるのが狙いであったが、これは後に重要な日数を稼ぐことになる。


 スモレンスク領内での抵抗は、驚くほど弱かった。

 嫡子の戦死で、ウラジミールが戦意を失ったか、新たな後継者争いで内紛が起きたかとディオールが錯覚するほどであった。


 しかし――スモレンスク公ウラジミールは、領地の南半分を荒らされても動かぬだけの胆力があった。

 公爵は、逃げ帰った兵と指揮官を一人も罰することなく、特に副官を務めていたコモロフスキ卿と、息子の死体を敵から奪った従者イエールを褒めた。


 公爵の態度は、他の逃げ帰った諸侯豪族に、もう一度参戦する気を与えるに十分であった。

 もしここで激情からコモロフスキ卿以下の責任者を処罰していれば、ディオールの戦いは簡単に進むはずであったのだが。


 ウラジミールは同じく息子を失い嘆く妻に告げていた。


「ミハエルの仇は取る。必ず取るが、それは臣下の者から奪うのではない。そなたもそれを心に命じて、生きて帰った者達にあたってくれい」と。


 老公と呼ばれる一歩手前のウラジミールは、この境においてどう振る舞うべきが理解していた。


「ミハエルを失ったのはわしの不明よ。まさか遊牧民に戦術を与えるとはな。アーバインの若獅子め、やりおるわい。出会いが違えば、足下に膝を付くもやぶさかではないが、息子の仇となればそれもありえん」


 再び動員をかけたスモレンスク公の麾下、同盟諸侯からは、落脱する者は一騎もなかった。


 少なくない勢力の離反寝返りを期待していたディオールにとって、最初の誤算であった。


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