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 開戦の前、ディオールは800の騎兵を率いて草原に寝転がっていた。


 草原とはいえ、かつて氷河が削り水が流れた大地は起伏が多い。

 あちこちに大陸氷河の置き土産、迷子石まで転がり、水気のある地所には背丈の高い草が群生する。


 そこへ馬を引き連れて入り込み、馬をなだめて寝かせて共に転がる、遊牧民特有の隠れ方であった。


「なるほどな、離れて居ても敵の所在が分かる」

 ディオールが高い空を見上げながらつぶやいた。


 白い雲の下に猛禽類がヒナに食わせる餌を狙い、隠れたつもりの八百騎を見下しては飛び去って行く。


 ディオール達から丘三つは離れた場所を、スモレンスクの騎兵二千が駆け抜けていく。

 その響きが、大地を通して皇子の背にも伝わるのだ。


 騎兵による待ち伏せである。

 本来、軍事的な待ち伏せとは、機動する敵集団をこちらも移動しながら捕捉する。

 隠れた場所へと、敵軍が警戒も索敵もなしにやって来るなど、まずありえない。


 敵を誘引する囮が必ず必要で、今回のディオールはその役目をガリバルドに任せた。

 それでも道もない草原で、相手の動きを完全に読み切るのは難しい。


 それゆえ、ディオールは必ず相手の意表を付ける戦術を選んだ。

 敵をやり過ごし、後方から追尾しての襲撃である。

 この戦術なら、移動する敵を運良く捕まえる伏兵よりも格段に成功率が高いが、まず受け止める囮役の負担が大きい。


「心配ですか? ロンバルド前公のことが?」

 空を見るディオールのすぐ隣から、セルシーニアが話しかける。


「いや、心配していない。ガリバルドに無理なら誰にも無理だ、俺は最善の手を打っている」


 ディオールは自分に言い聞かせるように答える。

 歴戦の宿将ガリバルドは、兵士の心を掴むのが上手い。

 直ぐにも必要な単語を三百ほど覚え、遊牧民の兵士たちを怒ったり笑ったりしながら手なづけていた。


 実績に裏打ちされた自信と的確な命令は、すぐにも兵士達の尊敬を得る。

 戦場に女連れでやって来て、今も横にはべらす皇子とは大違いであった。


「ロランとガリバルドが俺に服従しているから、兵士も従っている」と、ディオールも気付いていた。


 そこが封建制度由来の若き君主の辛い所で、兵士相手に腕前を見せたり、輪の中に飛び込んで歌って歓心を集めたりする訳にはいかない。


 自然と慣れたセルシー相手に愚痴をこぼし、『女好きの駄目大将』の評判が広まることになる。

 しかしディオールは、気前は良かった。

 肉と脂のある食事を三度用意し、必要な武具も買い揃えては惜しみなく与える。


 兵士にとっては命をかける程ではないが、見捨てるのは忍びない、その程度の関係をようやく築きつつあった。

 であるから、此度のディオールは命を張る。


「一度やり過ごした敵軍の後方から攻める。突撃の先頭には余が立つ、右翼騎兵はロラン、左翼はエーバーに任せる」と決めた時、幕下の全員が反対した。


 彼らの戦略はカロリング帝国皇統家アーバインが嫡子を擁する、この一点で成り立っていた。

 戦死者が一人でもそれがディオールならば負けである。


「出過ぎるな、余が決めたことだ。大陸に戦乱を呼ぶのに、神の判断に任せるのも良いだろう。俺が直接兵を率いて勝てば、風が吹く」


 死ねば大きな混乱を起こす前に終わる、帝国諸侯は北琅王フリードリヒに膝を折るしかなく、対して勇猛に戦い勝てばディオール・アーバインここにありと全諸侯、全国家に示すことが出来る。


 まず皇子の覚悟を読み取ったガリバルドが従った。

「ふむ、何処へゆかれましょうとも、じいがお供いたしますぞ」と、いざとなった時に生き残る気がないことを告げた。


 エーバーは、好ましい笑いを浮かべていた。

 騎士として王に従い疾走するに不満など何一つない。


「必ずや戦果をあげて、ご覧いただきとうございます」とだけ述べた。


 ロランは意見を折らなかった。

 自身が先頭に立つ方が良い、絶対に敵将の首をあげてみせますと三度も懇願した。


 だが妹に裏切られた。

「わたしが、お側で戦うことを許して下さるなら」


 セルシーは自らの手で主君を守る事を選び、孤立無援のロランも渋々ながらディオールの出陣を認める。


「せめて我ら兄妹でお守りいたすわけには……」

 さらにしつこく食い下がったが、ディオールは却下する。


 今回の戦いでは、敵中央に位置する敵将を逃がすわけにはいかず、両翼の突破力が鍵となる。


 固く小さな豆粒を針で突き通そうとしても上手くいかないが、三叉のフォークならば押さえ込んだ後で殻を破ることが出来る。

 左右と中央にある三隊のどれが弱くても成立せず、三人目の騎士としてディオールが出陣するのは当然であった。


 じっくりと時を計り、草むらから八百の騎兵が立ち上がる。

 それぞれに手早く準備を済ませた後、遊牧民の兵が願い事をした。


「いくさの神に祈らせてくれ」と申し出たのだ。

 ディオールが洗礼を受けた唯一神とは違うが、教会の守護者であるはずの帝国の後継者は、これを快く許す。

 そして自らも混ざって遊牧民の神に祈った。


 二百年も前なら、これだけで破門され諸侯からも非難される行為であったが、今では教会の威信が地に落ちて久しい。

 兵の忠誠が少しでも得られるならと、ディオールにも迷うとこはなかった。


 戦いの神らしく、捧げる言葉は驚くほど短かった。

 騎乗兵は鞭など持たない、それぞれが馬の腹を蹴りなるべく静かに出発する。

 運も向いていた、ディオール達は風下になり、音が流れる心配はなかった。



 ディオールが17歳の年、7月の4日。

 小規模で名前も付かぬが激しい戦闘が始まろうとしていた。


 後方からの襲撃を受けたスモレンスク軍の本陣は、大いに慌てていた。

 取るべき道は幾つかあった。


 まず最もあり得るのが、総指揮官のミハエルを守り本陣が一団となって戦場から離脱することだった。

 残された千六百は総崩れとなるが、全滅は免れる。

 方陣を組んだガリバルドには追撃する術がないのだ。


 次に本陣ごと前線に出て重装騎兵二千で壁を作る。

 あえて挟撃を受け止める形になるが、後方に現れた敵騎兵が僅か800であったことを考えれば、集結して突破を図れば高い可能性で成功する。


 最後に、本陣が迎え撃って歩兵と戦闘中の主力の帰還を待つこと。

 上手くゆけば敵の騎兵を完全に殲滅することが出来るが、最もリスクが高い。


 ディオールは三番目の手段を選ばせたい。

「戦術とも言えぬ小細工だが……行け!」


 距離を詰めながら前衛の二百騎に合図を送る。

 鞍だけ置いた馬に乗った鎧も着けない兵士が、増速して一挙に詰め寄る。


「弓が来る」とスモレンスク軍は判断した。

 軽装騎兵とコンポジットボウによる一撃離脱戦法は、遊牧民の編み出した最良の戦術である。

 ただし機動力のある相手、装甲のある相手とはほとんど戦えない。


 二百歩をおいて止まった二百騎を見て、スモレンスク軍は手綱を握った。

 この距離ならば、空に矢を打ち出した直後に動けば被害は出ない。


 だがこの遊牧民の部隊は、弓でなくフリントロック銃を持っていた。

 短銃を持つ騎兵はあるが、長銃を持つ騎兵など皆無である。

 何故ならば、一度撃てば馬上で再装填など出来ず、高価な軍用銃が無用になる上に、他に槍などの武器を持てない、つまり役に立たないのだ。


 二百の銃口を向けられた時、ミハエルの周囲を固める者たちが動いた。


「閣下、我らの陰に」と、スモレンスク公爵家の長男の前に五騎十騎と壁になり守る。

 銃弾が当たる可能性はほとんどなく、近習による本能的な動きであった。


 そして、この動きをディオールは見ていた。

 ロランとエーバーもである。


 二百歩、およそ百二十メートル、の距離から放たれた弾丸はほとんど当たらない。

 重装騎兵の鎧に弾かれ音を立てたものが十発ほど、運の悪い馬に跳弾が当たり、いななきを上げた程度であった。


 最初の攻撃を凌いだミハエルと周囲の騎士は、息を吐く。

 まるでここが戦場であった事を思い出したかのように。

 汗をぬぐって、素早く命令を下せる時間はあったが、ミハエルには経験がなかった。


 黒色火薬の煙が晴れる前に、銃を撃った部隊はその場を離れる。

 一瞬だけ視界を遮った黒煙を貫くようにして、後続の六百が姿を現す。


「敵将はあそこだ、三方から押し包め! 首を取れば樽一杯の銀をやるぞ!」


 ディオールが右手に持った剣は、正確にミハエルを指していた。

 速度が乗った騎兵は、二百歩の距離を呼吸を三回も行えば駆け抜ける。

 四度目の息を吐く時には、三つに別れた穂先がスモレンスク軍の本陣に食い込んでいた。


 馬と馬、人と人、鉄と鉄がぶつかる音が小高い丘を埋め尽くす。

 無人の野を往くがごとく、真っ先に深く侵入したのはロランだった。

 両脚だけで馬を操り、鉄板で補強した長槍を右へ左へと叩きつける。


 勇敢な一騎が、ロランに挑む。

「貴公! さぞかし名のある騎士とお見受けした! スコルコフ家が一子、クレイバーである」


 視線だけ左に振ったロランは、ディオールが無事であることを確かめてから名乗る。


「アーバインの騎士、オルランド家のロラン。通してもらう」

「なんと、オルランド!」


 クレイバーは、勇士であった。

 騎士の詩にも謳われるオルランドの名を聞いて、臆することなく挑みかかったのだから。

 赤と白で塗り分けられた単純な紋章―それは歴史の長さを示している―ロランの鎧に付けられたオルランドの赤白紋が、クレイバーがこの世で見た最後のものであった。


 ロランが右から左へ薙ぎ払った槍は、受けようとしたクレイバーの盾ごと頭蓋を叩いていた。

 クレイバーの兜は歪み、首の骨が折れる即死であった。


 この戦場に、代々騎士の血を重ねたロランとエーバーと戦える者は互いしか居ない。

 雄猪の渾名を持つエーバーは、二本の牙の代わりに両手に剣を持ち立ち塞がる者を切り捨てていた。


 両翼を任された二人の役目は、敵陣を突き抜け三分割した後でミハエルの退路を断つこと。

 与えられた兵は百五十ずつで多くはなく、馬の扱いは上手いが槍は慣れていない遊牧民ばかり。

 だが二人は部下がすり減ることを気にもとめず、十数騎になりながらも一気に敵陣を突き抜けた。


 エーバーが剣の血を拭いながら声を出す。

「ロラン、殿下はあそこだ!」


 返事もせずに、ロランは馬を返して敵が維持する最後の集団に飛び込んだ。

 ディオール率いる三百が、ミハエルの青い旗を飲み込もうとする瞬間であった。


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