東方戦域
スモレンスク公爵家の紋章は青字に金色の剣。
ミハエルの旗には、嫡男である証、ケイデンシーマークとして星が付く。
黄金の剣と星に導かれ、乾いた大地を二千もの有翼重騎兵が行軍する。
「ミハエル様、ミハエル様、少し速度を落とし下さいませ!」
ミハエルの従者が声をかける、馬蹄の音に消されぬよう大声で。
「おお、そうか。感謝するぞ、イエール」気付いたミハエルが手綱を引いた。
スモレンスクの跡継ぎは気が先走り、それが馬にも伝わっていた。
従者イエールは、安堵した表情で自身の足も緩め、後ろを振り返る。
ミハエルには五人の従者が付き、替えの馬が二頭に武器と鎧、細々した用品まで運んでいた。
だが、従う全ての騎兵が替えの馬を持っているわけではない。
副馬があるのは二千の内のせいぜい四百ほどで、残りの千六百は騎乗している一頭限り。
この一頭を完全に疲れさせてしまうと、騎兵の本領が失われてしまう。
戦場経験は少なくとも、そのことはミハエルも十分に承知している。
全隊の速度を並足に落としながら、従者に話しかけた。
「イエールよ。この戦に勝てば、我が国は一挙に潤う。遊牧の部族の馬も大量に手に入る。騎士それぞれに副馬と従者を配ることもできよう、もちろんお前も従者から騎士見習いだ」
今は自分の足で馬を引いて付いていくイエールは、主家の若様を見上げて、嬉しそうに応える。
「ありがとうございます! 必ずお役に立ってみせます!」
イエールは十四歳で、騎士となるに遅い年齢ではない。
四代に渡りスモレンスク公爵家に仕える庭師の息子だが、幼い頃より運動に優れ、ミハエルの父ウラジミールの目に止まり従者に引き上げられた。
しかも後継者たるミハエル付きの従者である。
少年イエールは誰よりも熱心に仕え、馬と剣を覚え、何時か側を固める一騎にと願っていた。
少年の忠義に揺らぎなどない。
死ねと言われれば死ぬ、殺せと言われれば殺すだけの覚悟がある。
ミハエルの周りには、そうやって代々養ってきた騎士が三百も集まり若様を守る。
残りの千七百は、協力や支配関係にある豪族と貴族になるが、この異民族の地で裏切る可能性は寸毫もない。
敵がどのように備えようと、二千の重騎兵の突撃を防ぐ戦力はあろうはずがなかった。
「見えた!」と総指揮官らしくもなく先頭を走るミハエルが叫ぶ。
声に呼応して、左右から騎士隊がミハエルを包み込んだ。
これから先は戦場なのだ、用心をしてし過ぎることはないと諌めるように。
「分かってる、分かっておる。何時までも子供扱いするな!」
左右から挟む騎士に辟易とした顔で命じながら、ミハエルは望遠鏡を要求した。
従者から手渡された望遠鏡――五倍程度だが視野が広く折り畳めるエスターライヒ製の高級品――を覗き込んだ公子は、周りに聞こえるように語る。
「なだらかな丘に……五千、いや四千か。歩卒ばかりだ。しかも銃に、野砲まで。旗が見える、大半はこの辺りの部族のものか? 中央の指旗だけは趣が違うな、紋章官を連れてこれば良かった」
戦場の経験が浅い公子だったが、ほぼ正確にディオール軍の戦力を読み取っていた。
馬や羊を描いた旗は東方遊牧民が好む旗で、違いを読み取った旗はビショーネと呼ばれる竜が記されていた。
竜や獅子は、カロリング帝国内で好んで使われる。
その中でも人を呑む竜または蛇は、帝国南方を占めるロンバルド公国の紋章だった。
先代のロンバルド公ガリバルド、ディオールが最も頼りにする将軍率いる一隊が待ち構えていた。
「イエール、お前も見てみろ」と、ミハエルが従者に望遠鏡を渡す。
若き騎士候補を育てやろうとの思いが公子にはあった。
「ありがとうございます」
恭しく受け取ったイエールは、三十歩ほど走り出て丁寧にガリバルドの軍を眺め、また走って戻り報告する。
「閣下、中央の旗は竜に見えます! 鮮やかな色使いから、南から来たものではと愚考します。それに、我らを待ち受けているように見えます!」
見えた限りの情報をイエールは伝える。
「そうだな、間違ってはおらんが、それはレンズを通さなくても分かるぞ」
主君がからかうと、周りの騎士達は合わせて笑う。
張り切る少年を馬鹿にするではなく、これから始まる戦闘の緊張を和らげるように。
二千の騎兵と数百の従者が集まりきったところで、ミハエル軍は従軍牧師の下で神に祈りを捧げた。
遊牧民は異教徒である、神の祝福も最大限に期待出来るはずであった。
地に膝を付いた祈りが終わり、再びミハエルと兵士達が騎乗した。
次に地面に降りるのは、戦闘が終わった後か死んだ時である。
戦に逸り、己を英雄となしたいミハエルも、戦場の指揮は歴戦の者に任せる。
「クラトフスキ、貴様に任せる。蹂躙して追い散らせ。戦果よりもあれだ、敵が持つ野砲を必ず奪え。砲があればキーエフ攻めが楽になる」
四十を幾つか超えた騎士、クラトフスキ卿に指揮は託された。
戦場経験があり、ウラジミールが息子の為に選りすぐって付けた男であった。
「若様、感謝しますぞ! お任せください、必ずやご下命を果たしましょう!」
「若様はやめろ。もう若くもない、それに父上は年寄りだ」
三十を超えたミハエルは一言訂正し、次代の主君が誰かをはっきりと示した。
それはここまで付いて来た騎士にとって、望ましいものであった。
ミハエルの眼前で立てる武功が、物を言う時代になるのだ。
「失礼しました、閣下。それでは、ご照覧下さいませ」
クラトフスキ卿は、わざと派手な音を立てて兜の覆いを下ろし、指揮杖の代わりに剣を抜く。
それを合図に二千の騎兵の内、千六百が前進し更に二手に別れる。
総大将たるミハエルを中心に四百を残し予備として、従者達はさらに後方へまとめて下げる。
丘に陣取る四千の歩兵は驚異であったが、重装騎兵の突撃を防げる程に分厚くはならない。
例え馬防柵を設けて、銃剣で密集しようともだ。
むしろ集まりすぎれば押し潰されて壊滅する、騎兵の圧力はそれほどに強い。
スモレンスク公子ミハエルは、勝ちを確信するほど愚かではなかったが、負ける気配は一切感じ取っていなかった。
優速の騎兵を持ち、攻めるも引くも己の手の内。
丘の上から四門の野砲が火を吹いたが、機動する騎兵を捉えるほどではない。
一塊の敵兵は、緒戦こそ頑強に抵抗しても、木の板で鉄の錐を防ぐようなもので、いずれは二つ三つに分断される。
戦死は出る予定、それも優秀な騎兵が数十人か百人か。
だがスモレンスク軍にとって致命傷には遠い損害であった。
「クラトフスキ様が行きますな」
ミハエルの左から誰かが声をあげた。
定石通りに、敵軍の左翼を指向したクラトフスキは、絶妙な距離まで詰めてから斉射を受け、そして後退した。
重装騎兵の正面装甲で受ければ、多少の銃弾では損害は出ない。
一度撃たせておいて、二列目の騎兵が突撃を開始する。
両翼に三段の戦列を整えていたガリバルドだが、二度の斉射では八百の騎兵を止めることは不可能であった。
有翼重騎兵の一団が深く戦列に食い込み、その直ぐ隣にクラトフスキが率いる八百が噛み付く。
ガリバルド軍の左翼は、再び弾を込める間もなく瓦解していた。
スモレンスク軍の本陣からさらに後方、非戦闘員である従者ばかりが固まる集団の中で、イエールは戦争を見ていた。
クラトフスキの突撃が成功し、従者から歓声があがり、イエールも「やった!」と叫んだ。
イエールの主ミハエルは、本陣から動く気配はない。
そのことに胸をなでおろしながらイエールは戦争を見つめていたが、ふと異変に気付く。
「この音に揺れ、何処から……?」
従者達全員が前方の戦争に集中する中で、イエールは必死に異変の原因を探る。
替えの馬や槍をかき分け、イエールは自分達が来た方向を見つめる。
「……騎兵!? 後ろから!」
先頭は遊牧民の乗る軽装騎兵。
だが中央の馬と人は騎士の装い、そして掲げられた旗は、スモレンスク公国から出たことがないイエールでも知っていた。
「お、黄金の獅子! カロリング帝国、アーバイン皇家の旗!? ミ、ミハエル様!!」
一気に増速したディオール軍は、従者の群れなど目にもかけずに通り過ぎる。
狙いは総司令官、スモレンスク公子ミハエルの首ただ一つ。
囮となったガリバルドが、ここで陣形を変える。
突撃してきた騎兵をもう一度止め、さらにミハエル本陣の注目を集めるに十分な動きだった。
前方の戦場に目を取られていたミハエルが叫ぶ。
「方陣だと! 遊牧民風情が生意気な!!」
火銃による防御力を最も高める陣形に移行したガリバルドが、負傷兵を内に庇いつつ、五列の銃弾と銃剣の壁を築く。
四方には野砲を据え、方陣の弱点となる角を固め、これ以上の侵入は例え重騎兵が相手でも許さない。
そして、スモレンスク軍の本陣も気付く、後方からの騎兵の接近に。
ミハエルと周囲の者は、一度は味方になった遊牧民かと誤認した。
だが旗が見える距離になれば、誰もが一斉に悟る。
「ア、アーバインの獅子!」
大陸で最も有名な戦旗が翻り、速度を落とさぬまま突撃を敢行した。




