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流浪の皇子ディオールは、東方蛮族の領域に居た。
「想像していたよりも、まともだな」と言うのがディオールの第一印象。
『草原から馬と人が穫れる』などと揶揄される、遊牧民族の支配地にも最低限の生活基盤が整っていた。
馬車も引ける街道と数里ごとの公共井戸、水と土地に恵まれた地方では定住集落もある。
「いずれは、畑から兵士が獲れるようになるかも知れませんなあ」
銃弾に抉られた足をさすりながらガリバルドも言う。
広大な土地に低い人口密度、だが増え続ける遊牧民は農耕にも目を向け、領域国家へと変態しつつある。
それがここ東方蛮族の住む大地だった。
二十六人の中規模なキャラバンを形成するディオールの所には、次々と商人や小さな商隊が合流する。
ロランやセルシーは良い顔をしない。
二人にとってはディオールだけが優先で、知らぬ者を近づけるなどリスクが増すばかり。
ディオールは右後ろに付いてくるセルシーをなだめる。
「まあそう怒るな、これが交易の常識だ。追い返した方が目立つだろ?」
「ですけどー、万が一の事があったらー」
皇子の乳兄妹は、語尾を伸ばして不満を表明する。
「だからお前たち二人が常に付いてくるのを許してるだろ?」
ロランは左後ろで油断なく周囲に目を配っている。
余程に目立つ行動であった。
「そうじゃなくてー、せっかく合流したのにー、人が多くて野宿ばかりだもん。夜、寂しくない?」
セルシーは彼女だけに許された態度でディオールの右腕にしがみついた。
右腕に女が抱き付くと、いざと言う時に左腰の剣が抜けない。
この時代の騎士は右手を自由にしておくのが常識だった。
「セルシーニア、離れなさい」とロランが忠告する。
気付いたセルシーが左腕に移ると、兄のロランが右側に移動する。
とても交易商人とは思えない一行の正体は、他の商人達の話題の中心であった。
何処ぞの貴族であることには違いなく、何処の子息かが問題になっていたが。
一人の商人がディオール達に近づいて来た。
顔には商売人特有の愛想だけは良い笑顔を貼り付け、伴をさせる少年に布にくるんだ長物を持たせている。
ロランが近づききる前に止めた。
「そこで待て。何用か?」
商人は恭しく頭を下げると、ロランに向けて喋った。
「献上したき物がございます。一品物の銃なのですが、わたくしどもよりも騎士様方がお持ちになられる方が相応しいかと……」
商人達は、ディオールを測っていた。
既に薄々とは正体にも気付いている、彼らの耳は兎よりも鋭い。
カロリング帝国の皇子の情報は売れる、それも高値で。
だが身柄の値段は比べ物にならない、さりとて見るからに上位と思われる騎士が常に付きそう――ディオール本人も商人の雇う護衛ごときなら、苦戦すらしない。
「ならば取り入っておくのも良いのでは?」と考えるのが常識的な商人。
代々に渡り五百年も帝冠を守ったアーバイン家の嫡子、正統に受け継ぐべき地位と権力と武力は、今もって人を惹き寄せる。
「銃か、見せてみよ」
ディオールが答え、商人は連れてきた少年から荷を受け取り、さらにロランを経由して皇子の手元に渡る。
「この状況でも面倒なことだな。何も傾国の美女が包まれている訳でもあるまいし」
ディオールが民衆に向けるべく訓練された爽やかな笑顔で商人に問いかけた。
「は、はい! サヴォイア公国の銃職人が作ったものでございます」
商人は古代の逸話に構わず商品の伝来だけを言った。
「ほう、良い銃だな……」
ディオールには価格は分からぬが武器の質は分かる。
贈答用の宝飾品ではないが、金属部は飾り彫りの入った高級品。
歪みなく均一に仕上げた鋼は、並の軍用銃とは一線を画す。
「ふむ、線条が刻んであるのか」
銃口を覗いたディオールが言った。
まだ一般的ではないライフリングが手作業で付けられていた。
ライフリングが一般的でないには理由がある。
手間もあるが、そもそも丸い弾では余り効果がない。
軍用の弾丸は、火薬と弾を一体にした紙製の薬莢として使用する。
その紙に弾をくるんで押し込むので、回転が上手く伝わらない。
しかも球形の弾では、回転軸がずれるとあらぬ方向に急激に曲がる。
高価なライフリング銃は近い距離で鳥や獣を狙う、貴族の狩猟用でしか役に立っていない。
「わたくしどもが持っていても、仕方のない物でございまして」
商人はディオールの反応を伺う。
喜ぶかどうかでなく、この方式の銃を知っていること自体が、貴族の生まれの証のようなもの。
「戦場向きではないが、祖国を取り戻した時に使うとしようか。貴公の名を聞いてもよいか?」
銃を見るふりをして考えたディオールは、商人たちが探る正体を確定させる事にした。
ルブリン合同国を出発して十日余り、目的地のキーエフは目前。
名乗りを上げるには良い頃合いだった。
丁寧に名前と出身を告げた商人が去っていく。
足取りはネズミのように速く、仕入れた情報を仲間の商人と分かち合うのだ。
そして相談するだろう、この好機を商人としてどう生かすべきかと。
ディオールが、故郷より遥か東の空を見上げて決断した。
「そうだな……ロラン」
「はい」
直ぐに応じた忠実な騎士に、皇子として命令する。
「余の旗を掲げよ。槍に付け、マシニッサに持たせろ。これよりは、アーバインとして行動する」
「御意」
一休みしていたキャラバンの先頭に、旌旗が翻る。
二足で立つ赤い獅子、個々の君主家では最も有名な紋章が青空に舞った。
第二次継承戦争の終結から三年、アーバイン家の軍がここに復活した。
ロランの合図で、まずはディオール達が出発する。
呆然と旗を見上げていた商人の内、立ち直った者から急いで後ろに続く。
揉め事を避けたければ赤い獅子からは離れた方が良いが、一攫千金どころか万金を狙える機会であった、
最後まで迷った優柔不断な商人も、従って東へ向かうと決めた。
二百人近い大所帯に膨れ上がった一行がキーエフに着く。
先頭は騎乗して旗を持つマシニッサ、次いでロランとエーバーに挟まれたディオール。
このキーエフを仕切っているのは、ゴットルプ族の女王エカテリン。
直ぐにもアーバインの旗が現れたとの報せが届く。
女王エカテリンは、困ったとばかりに虎の毛皮張りの椅子に深くかけ直す。
「西方の戦乱をこちらに持ち込むとは。余程に自信があるのか、それとも自称文明人らしからぬ大馬鹿か。試してみましょう、部族の兵を集めなさい」
この地は、まだディオールの味方ではない――。




