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六月の五日から六日にかけて、ディオールは情報を集め整理し、何処に使者を送るか慎重に見極めた。
王都クラクフは、ルブリン王を世襲したと宣言したディスワフが抑えていた。
西からはバルト国軍が迫り、この圧力により西部の諸侯はヤギェウォ家のディスワフに恭順の意を示す。
ディスワフの目的はバルト国フリードリヒとの同盟、対価は北部にある港の使用権。
最重要の商港ダンチヒを渡すつもりは僭王ディスワフにもなく、バルト国も今は無理な要求はしない。
クラクフから南部は、反ディスワフの色が濃くなりつつあった。
この地域にはラウエンブルク家があり、ポラニエ人よりもフォルク人が多い。
潜在的には最もディオールの味方となる可能性があったが、今はむしろフリードリヒの歓心を得ようとしていた。
北西部から迫るバルト軍が味方になれば、しかも同民族のフォルク人である、劣勢など一瞬でひっくり返る。
戦場の天才フリードリヒと列強最強のバルト軍を敵に回して戦うつもりはなく、ディスワフには従わない程度の反抗だった。
そしてルブリン東部は、未だ旗色鮮明ならず。
要となるスモレンスク公が態度を決めていない、ふりをしていた。
最後に、ルブリンの東方国境にいるディオールの元へ、悲壮な報せが届いた。
遅れてクラクフを発った者が、インスブルック伯の最期を伝えた。
「……インスブルック伯が死んだか」
「はい。敵兵に囲まれても最後まで門扉を開かず、用意した火薬と共に……」
ディオールを見失ったディスワフは、当然ながらアーバイン家の公館へ押し寄せた。
容疑は王殺しである、外交特権など何の意味も持たない。
居るとも居ないとも言わず、ただ時間だけを稼いだインスブルック伯は、ヤギェウォ家の兵が銃弾を放ち踏み込むまで待って公館を爆破した。
屋敷に残ったのは伯爵一人で、十数人の兵士を道連れにした最期は、ルブリン王国に騒乱ありを諸侯諸国に強く印象づけた。
「伯には、まだ年若い孫が存命だ。必ず報いると……もう本人には言えぬな」
「殿下のお言葉に、主も喜びましょう」
訃報を届けたのはインスブルック伯の家臣で、ディオールから見れば遠く離れた陪臣に過ぎぬが、今はこの者に約束する他ない。
「伯の敵は必ず取ろう。アーバインの名と旗にかけて」
インスブルック伯の家臣は、深々と頭を下げる。
「ところで、お前はどうする? エスターライヒのインスブルック家まで行くか? 行かずとも責めはしない、本国は遠いしな。充分な報奨を渡すつもりだ、自由にして良いぞ」
家臣の名は、マシニッサといった。
マシニッサは、座っていた椅子から立ち上がり一歩下がった。
「殿下、自分をお連れ下さい。亡き主の仇のため、必ずお役に立ってみせます!」
覇気のある若者でここまで馬を飛ばした技術は見事、麾下に加えるにディオールも依存はなかったが、苦笑いしながら空いた椅子を示して言った。
「マシニッサといったか、急に立つな。ロランとエーバーが緊張するではないか」
ディオールの両サイドに座る二人の騎士は、既に剣を掴んで中腰の体勢で、若者が何か取り取り出そうとしたら首が落ちていた。
「はっ、す、すいません」と恐縮しながらマシニッサが座り直す。
「その名はムーア人の物だな。祖先の出身は南か」
面接ではないが、ディオールも身の上を聞くことにした。
「はい、祖父の代にインスブルック伯家に仕えました。元は交易商人の一族だったのですが、伯爵閣下に気に入られた祖父は十八歳で身分を与えられました。自分は生まれも育ちもエスターライヒです。もちろん信じる神も一つです」
ムーア人は異教徒が多く、また肌の色も濃い。
二代を経ていたが、マシニッサは褐色が強く残っていた。
「まあそこらへんは良い。我が家は、民族も宗派も問わぬ。むしろ勝手にインスブルック家から引き抜くのは良くないが……非常時だ、大目に見てもらうか」
アーバイン家は飛び地の領土が多い。
それゆえ、五つの言語に四つの民族、三つの公国に二つの王国、そして一つの帝冠などと謳われていたが、実際は民族だけで十を超えて支配してきた。
マシニッサの様な変わり者を引き立てるのに、ディオールに障壁はない。
ただし瞳の奥は覗き見た、そこにはまだ薄くだが忠誠の蒼が灯り始めていた。
そこまで確認したディオールは、試しに問うてみる。
「マシニッサよ、そなたムーア人の言葉を父や祖父から習っていないか?」
「はい! 幼少の頃、父より教えられました! インスブルックは外交に携わる家、何時何処で役に立つかもしれないと」
上流家庭ではバイリンガルは珍しくない時代。
ディオールも、教会の使う古代祖語の他に三ヶ国語で日常会話なら出来る。
だが異教徒の使う言葉までは話せない。
「お、お役に立てますか?」
おずおずと聞いた褐色の青年に、皇子は満足の笑みを返した。
「これから役に立つぞ、俺たちは東へ行く。異教徒の商人とも会うつもりだ。存分に働くが良い、伯国の一つくらいくれてやる!」
他所者を雇う、通訳を連れていく心配はなくなった。
ロランやエーバーも、見ず知らずの者よりはインスブルックの家臣の方が信頼出来ると、何の異議も唱えなかった。
ただしロランが一言だけ忠告した。
「殿下のお側で急に剣を抜いたりはするなよ、反射的に殺してしまう」と。
農民崩れの追い剥ぎを十三人、これに六名の従者が加わった。
少女が三人と、ロランとガリバルドにエーバーの三騎士、そしてディオール。
合計二十六名の集団が、四台の馬車を連ねてルブリン王国を離れた。
三台には武器と黄金、残る一台には重傷のガリバルト。
商人ならば一端のキャラバンだが、ディオールの身分からすればささやかな行列。
行く先は各国の商人と蛮族が集う交易地キーエフ。
三十日もすればスモレンスク公の軍勢が迫るその土地へ、ディオールは一足早く出発する事が出来た。




