ルブリン分割
東方守護の大領主スモレンスク公爵。
支配する領域はルブリン国土の一割にも及び、東方蛮族と接する境界線の三分の二を担当している。
このような貴族の領地は、辺境諸侯国と呼ばれる事がある。
ディオールの祖国エスターライヒ大公国も、カロリング帝国の南東部を遊牧騎馬民族から防衛する為に置かれた。
国境付近に大諸侯を置くのは、二つの点で中央政府にとって有利である。
一つは国境の防衛を一任出来る点、もう一つは反乱が起きても中央まで遠い点である。
ディオールのアーバイン家は、子孫の絶えたカロリング家を後継するとして皇帝になった。
自然とカロリング帝国の重心は東へ移る。
エスターライヒ大公国が帝国の文化経済の中心となり、首都ヴィアーナは帝都とまで称された。
だが中央の政変に興味が無い辺境諸侯もいる、当代のスモレンスク公ウラジミールがそれ。
「ジギスムントが死んだか……」
「御意にございます」
スモレンスク公ウラジミールは、ほぼ同じ内容の報告を三通受け取った。
三通目を受け取ったのは六月の四日で、もう疑いようもなかった。
「偉大な王であったことには違いない、わしとは気が合わなかったがな。息子よ付き合え、王の死に杯を手向ける」
ウラジミールは、嫡男のミハイルを誘いテーブルに付いた。
三つの杯にワインが注がれ、侍従が下がり、ウラジミールとミハイルがグラスを持ち上げた。
テーブルに置かれたままのグラスに向かって、スモレンスク公は目を閉じて厳かに捧げた。
「英邁な王の死に」
次いで公子ミハイルも続く。
「ジギスムント陛下に」
一口だけワインを飲み、ウラジミールはグラスを置いた。
公爵の年齢は五十過ぎ、代々に渡り東方守護の大任を務めるだけあって体に緩むところは無いが、髪や髭には白いものが混ざる。
「さて息子よ、これからのわしらの身の振り方であるが……」
ウラジミールは、試すように三十近い嫡男ミハエルに尋ねた。
ミハエルも待ってましたとばかりに口を開く。
「父上、ルブリンは割れます。ジギスムント王の子、ディスワフ様が王殺しの犯人を名指ししました」
「ほう、誰だったかな?」
ウラジミールは楽しそうに聞き返した。
辺境公として高い軍事力を持つスモレンスクにとって、平和安泰一辺倒のジギスムント王は余り好ましくない王であった。
だがウラジミールは、ジギスムントの考えと手腕を認め、王の生存中は一度もクラクフに剣を向けたことはない。
むしろ徹底した王党派として振る舞い支持し、ジギスムントもルブリン国の東方貿易を黙認も含め全面的にウラジミールに任せた。
今やスモレンスク公爵は、諸侯でも頭一つ抜けた存在になりつつある。
「アーバイン家のディオール殿下です。貴族院で裁判にかけ、即日死刑を求めるおつもりのようでしたな、ディスワフは」
ミハエルは、王の息子から敬称を外した。
「だが、そうはいかなかったと……」
「はい、妹の反乱に会いまして」
同世代の公子の失策をミハエルは楽しそうに父に告げる。
「証人として名乗り出たウリヤナ様が神に宣誓して、獅子の紋章を片手に証言したそうです。ディオール殿下は自分と会っていた、父の部屋へまで行く時間などない、何故兄上は恐ろしいことをなさったのですか、と」
ディオールと交換した獅子のブローチを、ウリヤナは証拠として持ち出した。
ジギスムントの末娘で、王宮の誰に聞いても大人しく控えめな淑女と答えるウリヤナの大胆な告発に、裁判に関わった全ての者が驚いた。
ディスワフは「お前は兄を裏切るのか!」と叫んだが、ウリヤナは「最初に家族を裏切ったのは兄上です!」と一歩も引かず、裁判は休廷となった。
そして今、六月の五日になっても再開される予定はない。
「お前も妹や弟を大事にせねばならんぞ? もちろん母やわしもだ」
ウラジミールは幼子に語りかける口調で言い、ミハエルも子供のように肩をすくめた。
「父殺しのような大罪を誰が犯すことが出来ましょう。弟達も可愛がりますよ、心配なされますな」
スモレンスク公爵ほどの家となると、お家争いとも無縁ではない。
問題なく相続を済ませてこそ名君であると、ウラジミールは良く知っている。
ウラジミールは息子の軽口は気にせず続けた。
「ジギスムント王の業績を考えれば、ヤギェウォ家のディスワフが次期王に選ばれる可能性は高かったが、何を焦ったのか」
「フリードリヒ王ですな、歳も近い私には分かります。隣国が大きく動く中で、何もせぬ父王に嫌気が刺したのでしょう。実際、ディスワフはバルト国軍をルブリンに引き入れるようです」
もう一口ワインを飲んだ公爵は眉をきつく寄せる。
「愚かなことだ。父が守った国を息子が売るつもりか。ルブリンを強い王権で支配するために、あの北琅王が手を貸すはずがあるまい」
ミハエルが懐から二通の手紙を取り出す。
間諜が出した文とは違い、最高級の羊皮紙に封蝋のされた公文書。
「父上宛てです。もちろん開封はしてませんが、内容は分かります。一通はヤギェウォ家から、もう一通はラウエンブルク家からです」
ラウエンブルク家は、ディスワフの母の生家である。
本来であればディスワフの強力な後ろ盾となる勢力だったが、ディスワフが無用な証言をしたウリヤナに激怒し、庇う母と一緒に幽閉したことで亀裂が入った。
さらにディスワフが外国のフリードリヒを頼ると知ったラウエンブルク家は、公然と反ディスワフ勢力を募り始めていた。
「どちらにしますか? 我がスモレンスクが付いた方が勝ちますよ。新たな領土でも宰相でも、ひょっとすれば王冠さえも思いのままですよ、父上」
ウラジミールは息子の目を見て『フリードリヒに影響された世代』の意味を理解した。
ミハエルの目は、野心に溢れ弾けぬばかりであったのだ。
「まあ待つが良い息子よ。北南西、周辺の諸侯がどちらに付くか見極めねば、遠くクラクフまで軍をやる事は出来ぬ」
「なら我らは様子見ですか!?」
ミハエルの声は不満げであった。
ここで返答を誤れば、自身もジギスムントと同じ目に合うかもしれないとウラジミールの頭に浮かんだが、それを振り払うように首を振った公爵が答える。
「わしらが目指すのはまず東、蛮族を一叩きせねば西ヘなど行けぬ。一度追い払い、家畜と穀物を奪い、奴隷をとって売る。今年は麦の出来が悪いでな、それに代わる収入がなければ戦争は出来ぬ。他の諸侯とて同じであるぞ、今年は大きな戦いは起きぬ、まずは足元を固めるのだ」
ミハエルは大きく頷いて父の言葉を飲み込んだ。
その目には、野心よりも一族を率いる棟梁への尊敬が強くなっていた。
「それでは父上、東征の準備を?」
「うむ、スモレンスク中の騎士に集合をかけよ。兵卒は常の三分の一で良いが、必ず当主か代理の者が馬で参上せよとな。武器もいるぞ、火薬もな。商人を城に呼べ、ありったけ買い占めよ」
スモレンスク公爵家が総動員をかければ、兵は七千から八千、騎兵は二千にもなる。
それも有翼重騎兵と呼ばれ列強でも恐れられる精鋭騎兵。
まとまりの無い蛮族など、触れれば溶ける勢いで蹂躙することが可能であった。
――そしてこの六月五日、ウラジミールとミハエルが語る城館から東へ半日ばかりの交易都市。
「ディル様!」と「ディオール様!」
セルシーとエミーリアが、小麦畑の髪色の若者に飛びついていた。
「二人とも! それにサーシャも皆も、よく頑張ってくれた。礼を言うぞ」
アーバイン家の公館に居た五人の男が、三人の少女と三台の馬車を運び切った。
五人とも、ディオールが瞳に輝く忠誠の強さを基準に選んだ者だった。
「殿下もご無事で……!」
感無量の面持ちで五人はねぎらいに答える。
「これがあれば、一波乱起こすことも可能だからな」
ディオールが積荷に被せた藁をめくると、長方形の木箱が現れる。
中身は歩兵銃、それも最新式のフリントロック銃が四百丁。
他にバルト軍が使う小型の野戦砲が四門に、ディオールの体重以上もある黄金。
どれもルブリン大使のインスブルック伯が周到に集めていたもの。
「これで蛮……いや、サーシャの仲間を雇って武装する。こんな田舎諸侯が相手なら、城の二つ三つ取れるさ」
ディオールは自信も満々に言い切った。
ポーランドの運命は一つ




