戦乱の始まり
「誰か、アーバイン殿下の行く先を知らぬか?」
王の下命に宰相が聞き返した。
「……ディオール殿下のことでございましょうや?」
「もちろんだ」
宰相は一礼して聞き返した無礼を侘び、陸軍大臣に振った。
ディオールには弟がいて、妹は三人もいる。
母テレーズと父フランツの仲は良好で、十年余りの結婚生活で七人もの子に恵まれた。
アーバイン家の特徴は多産である。
ディオールの女癖も家系を考えれば致し方のないもの。
七人の子の内、二人は嬰児の内に身罷ったが五人は元気に育っている。
そして年若い四人の皇子皇女は、母と共にパンノニア王国に逃げ込んだ。
パンノニア王国の貴族と騎士は、今も誓いを遵守し女王とアーバイン家を奉じ守護している。
ただ一人、行方知れずのアーバインの男子、ディオールの事を北琅王が尋ねた。
陸軍大臣は、さらに下座の元帥の一人に振る。
戦争を好み常勝のフリードリヒの配下には、現役の元帥だけで九人もいる。
「元帥杖を与えるのが趣味」とバルト軍の兵士は笑い話にするが、生きて現役の間に杖を受け取るものは、例外なく優れた軍人であった。
ベーメン駐屯軍の指揮官ギシャール中将を指揮下に持つ、ヨアヒム・ベルンハルト・フォン・プリットヴィッツ元帥が起立した。
プリットヴィッツ元帥は貴族出身、自身の力量は並みの騎士程度だが、第一次継承戦争ではバルト軍の竜騎兵連隊を率い、最強のエスターライヒ騎士団と対峙した。
「何故に自分と部下ばかりこのような目に!」と、フリードリヒに三度も直接抗議したと言われ、それだけならば軍人としての資質が問われかねないが、当時大佐であったプリットヴィッツは良く抵抗した。
エスターライヒ騎士団に勝つのは諦め、敵部隊を戦場から遠ざける事に徹したプリットヴィッツの戦術は『逃げのヨハヒム大佐』などと揶揄されたが、フリードリヒは彼を高く評価する。
第一次継承戦争が終わる頃には少将、第二次が始まる時には大将となり、戦後はベーメンの軍と味方になった諸侯軍の全てを統括する元帥となった。
まだ三十七歳でバルト国でも三番目に若い元帥が、同い年の主君に、余計な修辞など使わず淡々と事実のみを述べる。
「ギシャール中将からの報告を繰り返します。マリウス大司教領で起きたグレゴリウス司教の惨殺、犯人は間違いなく騎士級の力を持ち剣の訓練を受けた者。護衛と思しき者共も、一刀で殺されておりますゆえ。当初、ディオール・アーバイン殿下と推測された死体は、別人だとギシャールは確信しております」
プリットヴィッツは手元にある資料に、ほとんど目を落とさずに続ける。
「続いてプラハにおけるローテンブルク伯の射殺ですが、これは弓で行われています」
同席する軍人と貴族がざわついた。
百五十歩も離れた距離から、仮にも貴族を一矢で射抜くなど平民には不可能。
強い腕力を持ち鍛え上げた騎士階級以上の者の仕業であることに疑いの余地はない。
少しだけ待ったプリットヴィッツは、現在の状況を報告する。
「ギシャール中将はプラハを完全に掌握いたしましたが、その為に軍の再配置を余儀なくされております。また此度のプラハ、カーレル大学における騒動の首謀者はヤン=フス、かつてディオール殿下の家庭教師を勤めていたそうで……」
「ふん、麗しき師弟愛というやつか。まあアーバインの影響力と名は今でも大きいが」
プリットヴィッツ元帥の言葉を遮ったのは、王の隣の椅子に座るシュヴェリーン元帥。
最も年長で最も戦歴の長いシュヴェリーンは、序列下位の元帥を問い詰めた。
「プリットヴィッツよ、そこまで分かっておきながら、何故に捜索と追討の部隊を送らぬ。我軍にもそれくらいの余裕はあろう」
「はぁ……それが」と、プリットヴィッツは気の抜けた返事をしながら王を見た。
「陛下には逐次ご報告致したのですが、探すに及ばずと」
シュヴェリーンも他の元帥も高官らも、今度はフリードリヒに体を向けた。
「何故に」と問うのではなく「それでどう動くのか」と。
既に知っていた情報を諸将諸官と共有した王が語る。
「余は、十三歳の殿下にお会いしたことがある。驚くことに、歴史ある芸術の都ヴィアーナを包囲しようとした一軍を、殿下自らが撃破なされた直後であった」
エスターライヒの首都ヴィアーナに北東西から迫ったフリードリヒの軍は、東に回した一万八千を、ディオールを含む七百の騎士に押し返された。
「余は……後悔しておる。殿下を弑し奉らなかったことではないぞ? あれほどの皇帝に相応しきお方がアーバイン家におられるならば、後五年程を我慢しなかったことにだ。殿下が最初から敵軍の陣頭にお立ちになれば、我が民族の行く末を決めるに相応しき戦いになったであろうに」
多くの者は表情に出さなかったが、最年長のシュヴェリーンだけが露骨に不満の表情を示す。
「陛下……兵は木彫りの玩具ではございませぬぞ」
フリードリヒの父にも仕え、軍事における教師でもあったシュヴェリーンは、時に面前でも陛下に苦言を申し立てることを許されている。
「許せ、シュヴェリーン」
だが北琅王は悪気なく穏やかに笑う。
「かの若者が立てば、騒乱となるに違いない。それは未だ我がバルトに従わぬ諸侯、その全てを呼び集めた大戦となろう。軍勢を起こすには旗が要る、それもなるべく大きく華やかな旗が良い」
今や帝国内にフリードリヒに勝る勢力はないが、敵視する者は多い。
十年か二十年をかければ穏便に済むはずの統一事業を、フリードリヒは一度の戦争で終わらせるつもりであった。
「であるから、諸将諸賢にはそのつもりで準備を……」
王の最後の言葉の途中で会議室の扉が開いた。
飛び込んできた官僚は、張り詰めた空気と主君と上司を含む王国中枢の視線に怯えたが己の義務をかろうじて果たす。
外交を司る外務主事の元へ背を伸ばして歩き、手書きの報せを届けた。
短い文章に目を通した外務主事は、起立して発言を求める。
「許す、言え」
フリードリヒはいささか不満げに応じたが、外務主事の言葉で顔色が変わった。
「本日は五月二十一日でございますが、本月の十七日に、アーバイン家の長女アントーニア様が、フ、フランクル王国へ到着。ルイ15世陛下の嫡孫ルイ=オーギュスト殿下とのご婚約を発表されました。同時に、アーバイン家及びカペー家は同盟を宣言! 目標は我がバルト国かと……」
ディオールの母テレーズは、長男を囚われてからの三年間、泣き暮らしていたわけではなかった。
息子はまだ一人居るし、娘は三人もいる。
十五歳になった長女アントーニアを使い、列強最強の陸軍国と同盟を結んだ。
「……若獅子に翼を与えたのは失敗だったかな。母獅子の存在を忘れておった」
フリードリヒも今度は本気で後悔した。
同じく五月二十一日、四月一日生まれのディオールは、五十日をかけて生まれ育ったカロリング帝国の外へ出ていた。
東方のルブリン合同国へ。
もしルブリン王家の助力を得ることが出来れば、バルト国は西のフランクル王国、東にはルブリン合同国、南方からはパンノニア王国とロンバルド公国と、三方から攻められる事になる。
「さてと、蛇が出るか竜が出るか。試してみないと分からんな」
ディオール達六人は、ルブリンの首都クラクフへ足を向けた。
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