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 バルト王国の首府バーリン。

 市街の中央にヴィルヘルム宮殿がある。


 宮殿を起工したヴィルヘルム大公の名を貰い、本人の性格を反映し実用性を追求した正方形の宮殿で、壮麗さより牢獄とでも見紛う煉瓦仕立ての外壁が目立つ。

 衛兵は多くとも防壁も堀もなく、周辺の諸庁舎と一体化した政治の為の城。


 バーリンの市民は味気のない五階建ての茶色い宮殿を、親愛を込めて”威圧宮”などと呼んでいた。


 中央会議室に、バルト国の頭脳と手足が集まっていた。

 宰相に陸海の大臣、財務主事、外交主事と外交最高顧問、他にも内政を司る高官らに加え軍服を着た七人の元帥。



 北琅王フリードリヒは、戦争王とも呼ばれる。

 十七歳で即位して、半年後には東隣のルブリン合同国に兵を出した。


 これはディオールの祖父帝カール六世や周辺列強からもきつく咎められ、僅か三ヶ月で引き上げた。


 本領を発揮したのは更に三年後。

 カール六世の突然の崩御に合わせ、長女テレーズによるアーバイン家領全ての相続に異を唱えて兵を挙げた。


 それまでしきりと兵を動かしていたのは、この時に向けた準備運動に過ぎなかったと周辺諸国は知る。


 バルト王国の攻撃で第一次継承戦争は始まった。

 しかも西の大国フランクルと島国ハイランド=ロンドニウム王国、南ではネアポリス都市連合を味方に付けた準備万端の開戦だった。


 最初の冬までに、ディオールが生まれる間際だったアーバイン家は、ベーメンの七割を失陥する。

 ただしアーバイン家が最も警戒していたのは西の大国フランクル。


 身重のアーバイン家当主テレーズ・エリザベートは、怒鳴り散らして腹の子が驚いたりしないよう、静かに家臣団へ告げた。


「まずはフランクル王国を押し返しなさい。バルト公に奪われし物は帝国の一部のままですが、奴らに奪われれば帝国の物ではなくなります」


 皇帝に就けぬ女大公は、帝国の一体化を優先した。

 開戦から五ヶ月でようやく軍兵が揃い、冬の雪を漕いで西方国境に展開したエスターライヒ軍は、八ヶ月目から反撃した。


 西方中央ロレーヌ地方に、ナイペルク伯が指揮する三万と騎士四千。

 西北部の低地地方に、ディオールの父の弟になるカール公子軍二万と騎士三千。


 カール公子は生まれがロレーヌ地方であったが、女大公テレーズはあえて持ち場を交換させた。


「カールの能力は未知数で、故郷を前に冷静な戦いは出来まい」と歳上の義弟をあえて北上させた。

 低地地方には旗向きを定かにしない諸侯が多く、義弟の立場で味方を増すことに重点を置き、最も重用な西方中央は経験豊かなナイペルク伯の担当とした。


 そしてこれが当たる。

 優雅な貴公子であったカールは諸侯の支持を集め、フランクル王国の軍を次々に撃破し始めた。


 ナイペルク伯は、川を超えたフランクル軍を一度押し止めると、徹底的に拘束した。

 西部戦線の北端を抜けたカール軍は南方への旋回を成功させ、完全勝利もあり得る状況であったが……このタイミングでプラハがフリードリヒに降伏した。


 ディオールの母テレーズは激怒したと伝わる。

「あの役立たずの頭でっかちどもめ! 歴史と文化を謳う王都プラハを北の野蛮人に明け渡すとは、誇りも意気地もないのか! こうなったら、覚えてらしゃい。必ずプラハ城の窓から放り捨ててやる!」と。


 バルトの首都バーリンからプラハ、そしてエスターライヒの首都ヴィアーナは北から三ツ星のように等間隔に並ぶ。

 プラハの南は、ヴィアーナの北なのだ。


 名将の誉れを得つつあったナイペルク伯は、拘束していた七万の大軍を国境の川向うへ押し返すと、軍勢をまとめて東進するが到底間に合わない。


 そして生後二ヶ月のディオールと母テレーズは、首都ヴィアーナを離れる。

 避難するためではなく、味方を求めて。


 エスターライヒ大公国の南東部から繋がる帝国外に、アーバイン家が継承する王国がある。

 パンノニア王国――貴族豪族が乱立し独立と日和見志向が強く、統治の難しいこの王国へテレーズ・エリザベートは趣き、戴冠式と同時に集まった貴族に出兵を要請した。


 対価は大幅な自治と減税、動機は産んだばかりの息子。

 パンノニア王国の至宝、イシュトヴァーンの聖王冠を小さな頭に被った十八歳の母は、右腕に幼き息子を抱いて窮状を訴えた。

 しかも衣装は華やかな戴冠式から一変した黒い喪服――父帝カール六世の死亡を悼むもの。


 女王は議場の中央で、涙を見せることなく静かに告げた。


「偉大な父を失い戸惑うばかりの私と、幼きこの子を救えるのは、マジャールの戦士よ、そなた達だけなのです。我がアーバインは二百年の統治で、この国を異教徒どもから守り抜きました。我が父、祖父、そして祖先が率いし戦士たちよ、どうか私と息子の剣と盾になり給うことを願わん」


 女王が言葉を切った一瞬の静寂を捉えてディオールが泣き出した、もちろん本人は覚えていないが。


 パンノニア王国の議場では、赤子の泣き声を覆う歓声が上がり、貴族は一斉に「我らが血と命を女王とその息子に捧げん」と唱和した。


 ほぼ全軍を動員したパンノニア軍は、歩卒三万と騎士一千、そして東方フサ―ルと呼ばれる軽騎兵が五千。

 若く美しい女王への忠誠に燃える彼らは、ベーメンを占領し広く展開したフルードリヒ軍に猛然と襲いかかった。


 後にフリードリヒは語った。

「どの将軍よりも、スカートを履いたパンノニアの女王が恐ろしい」


 第一次継承戦争は膠着した。

 西のフランクル王国は追い出され、南はロンバルド公ガリバルドが踏ん張り続けむしろ優勢、北部戦線はプラハも含めてベーメン王冠領の大半をアーバイン家が取り戻す。


 だが逆進行をかけたナイペルク伯の軍勢をフリードリヒが直卒して撃破し、ナイペルクは戦死し元帥となった。


「ここまでか……」

 二度目の冬を迎える頃、エスターライヒ女大公にしてパンノニア女王テレーズは、休戦を考え始めた。


 最後までフリードリヒが死守したベーメン北部を渡すと、あっさりと旗を取り替えたバルト王国はフランクル王国に宣戦する。

 貧乏くじを引いた形になったフランクルも講和を申し出て、カロリング帝国は形の上では一体となり終戦した。


 それから九年後、第二次継承戦争が始まる。

 今度は代帝フランツ1世――ディオールの父――の死に乗じて。


 前回フリードリヒに裏切られたフランクル王国は、今度はアーバイン寄りの中立だった。

 だが今回のフリードリヒは、倍増させた国力を使い正面決戦を挑む。


「細やかな同盟連結は好かぬ、出てくる軍を全て叩けば良いのだ」

 フリードリヒの戦略は暴論だったが、本人の才覚と麾下の将兵が正論に変えた。


 歴史上初の、バルト国が始めた参謀本部と幕僚制度。

 馬に轢かせた小型野戦砲を使った火力増強。

 勝てぬと分かったアーバイン家の騎士団が出てくれば、陣地を造りひたすらに閉じこもった。


 そしてバルト国最高の将軍であるフリードリヒ自身が戦線を飛び回り、戦いに挑んだ会戦では尽く勝った。


 戦争王の優勢を見てとった周辺諸国が、再びなびき始めるまで二年。

 さらに一年後、フリードリヒの完全勝利を目前にして、ディオールは和平交渉に挑む羽目になった。



 ――ヴィルヘルム宮殿の会議室に主が現れる。

 無駄な呼び込みなどない登場だが、臣下は慣れた様子で起立して主君の着席を待つ。


 北琅王フリードリヒ、在位は二十年、当年三十七歳。

 男として最も油の乗る時期で、床を蹴る規則正しい軍靴の音からも充実が伺える。

 この王は、常から黒い軍服を着る。


 しかし個人的な趣味は詩と音楽で、それも女に囁いたりするのではなく、当代一流と呼ばれる者を集めての品評を好む。

 むしろ付け加えるならば、フリードリヒ王は女性を見下す傾向が強く、宮中の花達からさえ評判が悪く、妻との間も冷え切っている。


「女傑テレーズの風下に立つのが嫌で反乱を起こした」と言われるほど。


 そして主座に付いたフリードリヒは、集まった家臣が椅子を直すのも待たずに、議題に無いことを聞いた。


「誰か、アーバイン殿下の行く先を知らぬか?」と。


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