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 バルト王国の首都バリーンは、エルベ川とオーダー川、南から北へ流れる大河に挟まれた広い平地と湿地帯に造られた都市。


 バルト国の政治と軍事の中心地であり、今や帝国東北部で最も重要な都市の座をプラハから奪った。

 かつては円状防壁を持っていたが、今では旧市街に僅かに遺跡として残るのみ。


 都市城壁の寿命は短い。

 人が増えれば百年もせずに新市街が壁の外に広がり、人が増えない街には……城壁など必要ない。


 合理的なフリードリヒは、歴史ある城壁を壊して増えつづける家屋敷の建材として払い下げた。


 機能や効率を重視する北琅王が何故にベーメン領に拘ったか、今のディオールには分かる。


「なるほどね。エルベもオーダーも、ここバリーンを流れるシュプレー川も、全てベーメン王冠領が源流か。フリードリヒにとっては頭を押さえられたに等しいと感じてたわけか」


 川に沿って下っても川船を使っても良し、フリードリヒが恐れたアーバイン家の領土はバルト国の首都へ攻め込むに最良の位置だった。


 だがアーバイン家のディオールにとって、敵とは東西南から迫る帝国外の列強のこと。

 パクス・ライヒと呼べる諸侯の軍事盟主が皇帝である。

 フリードリヒのシュタウフェン家でさえ、ディオールにとっては守るべき臣下の一つであったが……。


「フリードリヒ王の考えてることは違うようですね!」と、フス教授の孫娘エミーリアが満面の笑みで机の上にあれやこれやをぶち撒けた。


 ディオールは、エミーリアに戦場での軍師的な役割は期待してもいないし求めもしない。

 ヤン=フスの知識を受け継ぐ者として、何度か的確な助言が出来、さらに考えを整理する時の話し相手となれば良いと思っていた。


 そのエミーリアは、ここバリーンに来て生き生きとしていた。

 バルト国の高官や列強諸国の外交官には、ディオールの顔を知る者がいて、昼間の外出は控えていた。


 その代わりに顔の割れていないエミーリアやセルシーが外に出て、週刊の新聞や宮廷情報誌、書物などを買ってくる。

 都市では活版印刷と教育が普及していて、少女が買い求めても不思議に思われることもない。


 これらの文字列から『フリードリヒの考え』を読み解くのが、二人が取り掛かっている事だった。


 ディオールは、以前からの疑問を口に出す。


「皇帝とは、帝国の最高司令官だ。どちらが先と言うものではない、必要があって皇帝と帝国が生まれ、統一した軍事力を率いる。我がアーバインは広大な領邦と優秀な臣下をもって地位と責務を全うしてきた。だが何故に、帝国で最強の君主となったフリードリヒは帝位を襲わなかったのか?」


 アーバイン家も帝国を創生した訳ではない。

 古代の例にならい、まずはカロリング家が諸侯豪族の代表として皇帝を復活させた。


 数代を経てカロリング家が絶え、大空位時代と呼ばれる帝国の概念は残ったが皇帝不在の時代が続き、力を付けたアーバイン家が諸侯の推薦を受けて新王朝を立てた。


 以後は、帝国の諸侯となる代わりに外の強敵から守ることで、カロリング帝国は一体性を保ってきたのだ。


 フリードリヒは、帝冠を被るに相応しい勝利を収めたが固辞した。

 そしてアーバインに次ぐ名門ではあるが、実力の伴わぬヴィッテルスバッハ家のレオポルトにくれてやった。


「価値がないと言われたようで頭にくる」が、ディオールの本音。

 だがここで大量の新聞を抱えたエミーリアが答えをくれる。


「ディオールさまディオールさま、見て下さい! この記事にも、こちらにも!」


 首都バリーンの刊行物には、特徴的な単語が散りばめられていた。

 フリードリヒ王が好んで口にして、臣民に印象付けたい言葉、民族主義(フェルキッシュ)である。


 バルト国人ではなく、帝国を構成する七割方が属するフォルク人を元に生まれた単語で、団結や一つの民族といった勇ましい言葉と並んで書かれていた。


「フォルク人による……統一民族国家の成立? いやまさか、不可能だろ……」


 ディオールは懐疑的。

 何故ならばアーバインの家領は、フォルク人以外の土地にも及び、宮廷にはあらゆる民族が集まる。

 そもそもフォルク人の住まう土地は、カロリング帝国よりも小さいのだ。


「けど多分そうですよ。お祖父様も同じ様な論文を書いていました。共和主義は失敗するが民族主義の時代は来ると」


 エミーリアが新聞を広げて皇子に見せつける。

 そこには『フリードリヒ王、ルブリン合同国に対しフォルク人が住むダンチヒの割譲を要求』とあった。


「あ、それはまずいな。ダンチヒは北海ことバルティアナ海の要衝だ。勢力が伸びる何てものでは済まない」


 広域の戦略に対してはディオールも瞬時の判断が出来る。

 だが時代の判断は難しい、なんと言ってもまだ世間知らずの十七に過ぎないのだ。


 しかし可能性の一つに辿り着いたディオールは、宿敵の軍事行動をもう一度見直すことにする


 ガリバルドのロンバルド国は、帝国最南端でフォルク人の国ではない。

 まだ母テレーズが立て籠もるパンノニア王国は帝国外の家領で、フォルク人とは言語まで違う。


 そしてそのどちらもフリードリヒは無理攻めをせず、隣国のフォルク人が住むダンチヒを目標にしている。


「あり得るのか……」

 ディオールは恐ろしい未来を予想した。

 フリードリヒは、旧体制の帝国を破壊して新しい体制を志向しているかも知れないと。


 奪われるのと打ち砕かれること、どちらも大差のない不幸ではあるが、本人が受けるダメージは後者が大きい。


 ディオールの目の前では、活字を得たエミーリアが水を得た魚のようにあれやこれやと仮説を立てている。

 開明の時代は近づいているが、まだ女の情報分析官などの例はない。


 逃亡中の元皇太子に拾われたことで、彼女は能力と知識を活かす場所を得た。


「ふむ……」と、ディオールは耳を澄ます。

 部屋には二人切りで、外からセルシーの声は聞こえない。


「おいエミーリア」

「なんですか、ディオールさま」


 まだ忠誠の蒼は見えないが、この十日ほどで信頼の色を濃くした十四歳の瞳があった。


「そうだな、お前に世界の半分を教えてやろう」

「えっ!? そんな秘奥がアーバイン家には伝わってるのですか! 是非教えてください」


 少女エミーリアは、さらに瞳を輝かせる。

 椅子から立ったディオールは、一歩ずつ近づきエミーリアの肩に手を置きながらいった。


「いいか? 世界の半分は男だ」

「……はい?」

「つまり、男を知れば世界の半分を知ったも同じだ!」


 中世期の王族ならば美徳と言えなくもないディオールの女癖は、時と相手を選ばない。

 とはいえ勝算がない戦いもしない。


 戦闘階級の血筋と豊かな食生活で背は高く、エスターライヒの聖石と呼ばれた母から受け継いだ美貌は、流浪の今でも女を惹きつける。


 世間知らずのエミーリアなど、瞳を覗きこめば一瞬で防御を突破出来るはずだった。

 金属のドアノブが音を立て、扉が静かに開き怒れる女騎士が現れるまでは。


「あ、あれ、セール。帰ってたんだ……」

「しばらく前から、外で待機しておりました。重要な会議の邪魔を致しませぬようにと」


 ディオールは、エミーリアからそっと一歩離れていった。

「許せ。そなたの白銀に輝く髪が余を惑わしたのだ」と。


 エミーリアは謝罪を無視してセルシーに飛びつく。


「セ、セルシーニア様! あの男が!」


 セルシーは優しく少女の頭を抱いて慰めてから「許してあげて、あれは病気なの」とはっきり言った。


 皇太子として生まれたディオールには、注意を促す者は多くいたが、叱る者など父母以外にはいなかった。

 そして今日から三人目が加わった。



 誰が検証検討しようとも、今の若き皇子に勝ち目はない。

 フリードリヒの権勢と軍事力は強大で、統治は二十年に及び揺らぐ気配もない。


 だが北琅と称させる偉大な王のお膝元で、妹分から長い説教を貰う人物だけが勝利の道筋を探していた。


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