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 ローテンブルク伯ヨーゼフは、主君を侮辱されたことに激怒し、学生に銃弾の鉄槌を加えようとした。


 だが伯爵には成りたてでも、大佐として連隊を率いた経験もあるローテンブルク伯はかろうじて思いとどまる。

 集まった数百人の学生の命を考慮した訳ではなく、彼の兵士は単純に戦う準備が出来ていない。


 銃先には覆いを被せ――フリードリヒ王の領地を通過するので配慮した――弾も火薬も油紙に包み背嚢に仕舞い込ませたままである。


 ローテンブルク伯ヨーゼフが振り返って問うた。

「諸卿よ、我らが皇帝陛下に対し不遜不逞な物言いなるが、如何に!」


 伯の後ろに並ぶのは、三十名もの騎士階級。

 しかしほとんどがエスターライヒ大公国の者であった。


 皇帝アルブレヒト三世は、妻が女大公テレーズの妹であったので、フリードリヒ王の後押しでエスターライヒ大公国の共同統治者となった。

 元は中堅諸侯のバイエル公に過ぎず、騎士らの忠誠を受けているとは言い難い。


「伯爵閣下」と、一人の騎士が代表して答えた。

 頬に残る傷跡を無精髭で隠した、およそ騎士には見えぬ容貌であったが、目つきは鋭い。

 この男が口を開くと、他の騎士も注目した。


 男の名はレオポルト・”エーバー”・ダーウン、雄の猪を意味するエーバーのあだ名を持つ突進型の騎士である。


「おお、ダーウン卿か! ここは一つ忠義を証明して貰えるかね!」


 ローテンブルク伯の立場からすれば、この三十人の騎士は新たな主君アルブレヒト陛下に忠誠を見せるべく、率先して働くはずであった。

 だがエーバーは、凶悪な面に笑顔を浮かべて手を振った。


「伯爵閣下、冗談はいけませぬな。たかが学生風情に我らを出したとあっては、陛下の名声も地に落ちるというものですよ。ほら、天もそんな一方的な戦いなど見たくないと仰る」


 エーバーは馬上で空を見る。

 僅かに茜色が残るが、紫が濃くなる一方だった。


 ローテンブルク伯は尊大な貴族だったが、戦闘準備もせずに知らぬ都市で夜戦を行うような人物ではない。


「学園長を通じて抗議するぞ! 覚悟しておけ!」と捨て台詞をしてプラハ郊外に引き上げる。


 しかし伯爵は麾下の中から信用できる者を選び出し、プラハから外へ通じる街道を見晴らせる。

 学生達の予想外に激烈な反応で、当たりを引いたのではと思っていた。


 さらに伯爵は、歴戦の騎士であったがエーバーを信用するのも止めた。

 この者は、ディオールの旗下で戦い生き延びた三百名の騎士の一人だった。


 首尾よくディオールを捕らえるか殺すかすれば、主君の地位は盤石となり、自身は諸侯と呼ばれる国を持つ貴族になれる。


 ローテンブルク伯にとって、長く楽しみな春の夜となった。



 一方のディオールは、カーレル大学の正門が見える隠れ家へと、居場所を変えただけだった。

 移動したのはロランと二人で、正門前でのいざこざを窓から見つめる。


「好機ですな」とだけロランがいう。

「それはそうだがな」


 如何なる犠牲も厭わずに冷酷になるべきだとディオールには分かっていて、実践するつもりであった。

 もう既に彼の視線の中で死んだ騎士だけでも四百を超えるのだ。


 関わりの無い所で学生が暴発し敵を引きつけてくれるなど、ワイン片手に乾杯しても良い状況だった。


「ロラン、俺は甘いか?」

 三つ上の乳兄弟にしか聞けぬことを、ディオールは聞いた。


「ディオール様は優しゅうございますよ。配下にも女性にも」

 兄貴分は余計な一言を付け加えるのを忘れない。


 出歩くのは危険だと判断した二人は、顔の知れていないセルシーをフス教授の家へと走らせていた。

 セルシーは離宮への出入りも自由で、女大公テレーズにも大層可愛がられたが、他の貴族や騎士に軽々しく顔を見せたりはしない。

 首都ヴィアーナでの移動は全て馬車であった。


 だが兄のロランは別である。

 ディオールの最側近として、また卓越した膂力を持つ若武者として知られた存在であった。


 そしてセルシーが持ち帰ったのは「フス教授の家には誰も居ない」だった。

 二人しか居ない使用人も、孫娘もいなかった。


 フス先生が急に思い立って密告した可能性もあったが、ディオールは最後に目を合わせた時も忠誠の蒼を見ていた。

 捕らわれたとの情報もなく、孫娘のエミーリアの行方も心配だったが、翌朝にはディオールの元へ一報が入る。


 ヤン=フス教授、当代きっての軍事研究家は、騒ぎを起こした学生に担がれるがままに助言指導する立場に収まったと。


「血を見るな、これは」

 窓を通して見るディオールの先では、昨晩に増して守りを固めた学生と、今度は戦う気でやってきたローテンブルク伯の軍が睨みあっていた。


 幾人かの大人が説得しても、学生達は耳を貸さない。

 持ち込んだ銃の数は大きく増えている。

 二度の大規模な内戦で、中古品が安く大量に出回ったのだ。


 ローテンブルク伯の最終通告から数刻、椅子と机を積み上げたバリケードを挟んで、帝国正規軍とカーレル大学の学生との間で銃撃戦が始まった。


 後に――プラハの春動乱――と呼ばれる、三度目の内戦の火蓋であった。


 そして八百の銃兵は、あっという間に正門に造られたバリケードを抜いた。

 半分は障害物を左右に片付け、残りの四百は蜘蛛の子を散らす学生達を追撃する。


「前皇太子はここにいる」

 この可能性を持ったローテンブルク伯は容赦しない。


 兵士の銃は水平に向けられ、脅しではない斉射が飛んだ。

 二人の学生が背中を撃たれ、これが最初の死者になった。


プラハの春は荒れます

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