30年間の苦悩の日々
第26章 憎しみの感情
私自身の心はすでにズタズタで
何が何だか分からなかったり
病院との予約約束を忘れたり
夫の病気のセミナーの予約を入れては忘れてしまったり、そんなまともとはいえない日々が続きました。
歩いていても何もないところで
転んでしまい膝や足首を怪我して
血をタラタラ流しながら家まで歩いて帰り情けなくて泣きながら
水で流し、オキシドールで化粧用のコットンを浸しそっと拭いて
もう一度同じようにコットンを浸し再び拭いて血をぬぐい切れた足の傷に塗り薬を塗りました。
こんなことが度々ありました。
注意力散漫なのか足が上がってないのかは定かではありませんが
いつも心ここにあらずのような状態でした。
ワイドショーを見たくないのに見てしまう
新聞も見たくないのに見てしまう
息子の事が書かれていたり
放送されたりすることもわかっていながら
見てしまう
電話が鳴れば出てみると世間の方のお叱りの言葉
詫びて詫びて叱られて叱られて
どうすることもできない情けない母親ですと何度も何回も見知らぬ電話の向こうの方にお詫びしていました。
何で子供なんか産んだんだろう
あんな子産まなければよかった
夫と結婚したのがいけなかった
私なんか誰とも結婚しなければ
よかった
私なんか生まれて来なければ
よかった
あんな子産んだばっかりになんでこんなことになるんだろう
悪魔がついたのかと考えたり
呪われてるのかと考えたり
私の考えもどんどんおかしくなっていきました。
その頃にはお金も底をつき
家を売却して借家住まいをせざるを得なくなりました。
たくさんの不動産屋さんに借家を借りたくて探し回りましたが
息子の事で断られる事がしばしばありました。
苗字を変えたいと思いました。
日本全国多分どこへ行っても借家は借りれないと諦めて社会福祉協議会に相談に行きました。
土地、家屋を売却できる財産があるのでそれを売って現金を用意して借家を借りてください。
と言われて何の助けもありませんでした。
憎しみがヨガの先生にも又自分の産んだはずの息子にもどんどん深まっていくのがよくわかりました。
何でこんな目にあわされなければならないのかと
憎しみが息子に向いていく自分自身がとても嫌いでした。