願いごとスイッチ
一通りスイッチの動作を確認し終えて、あとはテストとして誰かに使ってもらう必要がありました。そこで目をつけたのは、近所の子供です。
いかにも怪しい人だったので警戒はされましたが、小さな子はガジェットが好きですねぇ。うまいこと気を引いてスイッチを貸すことができました。
あまり大きな願いごとはしないように言い含めて、ね。
一応、何かあった時の備えはしてありましたが。そうなった場合の後始末は楽な方が良いですから。
そうして、一月ほどたった頃。
データも十分取れただろうから、そろそろ返してもらおうか。
そんなことを考えて自室に入った私の目の前に、まだ貸したままだったはずのスイッチがありました。
何か、想定外の事が起こったのだろう。そう察することは容易でしたが、具体的に何があったのかは分かりません。
私はスイッチからデータを読み出して、動作ログを確認することにしました。元々、スイッチを返してもらったらそうする予定でしたから。
素直な子、だったんでしょうね。
願いごとのログには、「ジャンケンに勝つ」とか「先生に指されない」といった、 年齢相応の簡単な願いが並んでいました。
時系列順に動作を追っていって、最後に叶えた願いごとにたどり着いた訳ですが、これがどうにも奇妙なもので。
まず、時刻が真夜中になっていた。
他の記録は大体昼間から夕方くらいに使用していたことを示しているのに、その一回だけ深夜に起動しているんですよ。
そしてもう一つ、願いごとがはっきりしない。
ログの表示をする際、このスイッチは願いごとの内容を短い文章で表現してくれるんですが、この一回だけそれが空白だった。
詳細を確認すると、スイッチはそもそも願いごととは言えないような思考を読み取って、それを誤認したらしい。
この時点で、何が起こったのかおおよそ察しはつきました。寝ぼけて、あるいは夢うつつで偶然スイッチを押してしまったんでしょう。
実現の可能性がゼロの願いごとでは起動しないように、フィルターをつけていたんですよ。ただ、願いごとかどうかも怪しいイメージが入力されるのは想定していなかったため、スイッチは誤作動を起こした。
……それでなぜ、私のところにスイッチが戻ってきたか。
それを話す前に、このスイッチがどうやって願いごとを叶えるのか、を話さなければなりません。
ある出来事が起こる確率は「起こり得る全ての結果」のうち、「その出来事が起こる割合」ですよね。
「ある出来事が起こる確率」が高くなると言うことは、「全ての結果」の中で「ある出来事が起こる結果」が増えると言うこと。
「ある出来事が起こらない結果」が減る、とも言い換えられる訳ですが、このスイッチがやっているのはまさにそれなんです。
スイッチは押されると、押した人の願いごとを覚えます。
そしてそれが「叶わなかった」と判断した時点で、その結果を『消去』します。
「平行世界を消滅させる」と言った方がイメージしやすいでしょうか。
スイッチが押された時点から分岐する、全ての平行世界でこれが行われれば、残るのは「願いごとが叶った」という結果だけ。
これはそうやって願いごとを叶えるんです。
話を戻します。
スイッチが夢を願いごとと誤認した結果、そこから派生する全ての結果が消去されたのでしょう。
そして平行世界が全て消滅したため、つじつま合わせとして「そもそも私はスイッチを誰かに貸していない」という改変が発生した。
「寝ぼけてスイッチが押されなかった」とならなかったのは、結果の消去で発生したゆがみを、まとめて解消するように復元力が作用したから。
……それだけで済んだら面倒はなかったんですけどね。
よくよく確認してみると、一つ大きな問題がありました。
つじつま合わせに巻き込まれて、スイッチを貸した子の存在も消えていたんです。
何度もスイッチを使用して、「なかったことになる出来事」全てに関わっていたのがまずかったんでしょう。
スイッチにロールバック機能を、動作する前の状態を記憶して復旧する機能をつけてあったので、何とかなりはしました。
復旧時に「スイッチを貸したが、動作はしていない」と改変を行ったので、ほぼ元通りです。
消滅していた子からちゃんとスイッチも返してもらえたんですが、「インチキじゃないの、これ」と言われてしまったのはちょっとショックでしたね。
まあ、インチキという事で済んで良かった。
……実は、これの前に作った試作のスイッチもあるんです。
ひどい欠陥があって、今回と同様に何とかなったものの、被験者をとんでもない目にあわせてしまいました。
今のスイッチは、「望ましくない結果を全て消す」ことで願いを叶えますが、昔のは「試行回数を増やす」タイプでした。
アニメなんかでも聞いたことあるでしょう?
「目的を達成するまでループする」みたいな話。
あれは押された時に願いを覚えて、「叶わなかった」と判断したら記憶を引き継がせてスイッチを押した瞬間に戻ります。
そしてそれを、願いごとが叶うまで繰り返し、叶ったら試行中の記憶を消す。
この時点で嫌な予感がする? 勘が良いですね。
このスイッチの欠陥は二つ。
一つは、実現の可能性がどれほど低くても、小数点以下何十桁というレベルだろうと可能性があれば試行を始めること。
もう一つは、「願いごとが叶う」以外にループを抜ける条件を設定していなかったこと。
……推測混じりの話になります。
このスイッチを渡された被験者は、「実現の可能性が極端に低い」、「一回の試行にかかる時間が長い」、「前の試行で得た経験が確率の改善に寄与しない」といった性質の願いをしたのでしょう。
そして、膨大なループの回数に精神が耐えられなかった。
正常な判断力を失った被験者は、「願いを叶えられなかった」と判断され、スイッチを押した時点に戻される。
巻き戻しの原因である、『正常な判断力を失った』状態を引き継いで。
……私が異常に気がついて対処した時には、被験者は外部からの刺激に何の反応もしなくなっていました。
本人の主観で言えば、スイッチを押した瞬間から巻き戻しが実行されるまでの、ほんの一瞬に閉じ込められるんです。そうもなるのも無理はないでしょう。
ちゃんと、責任を取って救助しましたよ?
ループを強制終了して、ループ中の記憶と精神への影響も取り除いて。
お詫びに以後の人生における幸運を、確率を偏らせて贈りました。筆舌に尽くしがたいレベルでひどい目にあったことを考えれば、割に合わない程度でしたけどね。
別にケチったとかそういう訳ではなく、私の技術であれ以上やると不幸な偶然も誘発してしまうんです。
まあ、そんな経緯でループ型のスイッチはお蔵入りになりました。
新しい方なら、消去型ならいいのか、ですか?
逆に聞きますが、あなたは平行世界の自分の人数を、自分という存在が持つ『可能性の幅』を気にしますか?
それに、不幸になるという結果なら、むしろ消してしまいたいと思うのでは?
「このままでは望ましくない結果を迎えると知り、それを避けようとする」といった筋書きの話、よく聞きますよ。
無理矢理使わせるようなことはしないから、安心してください。
……でも、もしスイッチを押してみたいと思ったら。その時は声をかけてください。
喜んで、お貸ししますよ。