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終わりは次の始まりだ!

作者: 三歩

夏の太陽が、学校のグラウンドを容赦なく照りつける。蝉の声が聞こえていた筈だったが、今耳に届いてくるのは、大きな歓声。

マウンドの上からホームをただ見ていた。三塁ベースを回って帰ってきたバッターはネクストサークルから飛び出した仲間と抱き合い、相手チームのベンチは互いに勝利を分かち合っている。その光景を、ただ俺は立ったまま無言で見ていた。ほんの僅かな前までは、身体中を流れる汗を鬱陶しいと感じていたが、今は感じない。

すると、俺の肩を誰かがたたいた。セカンドを守ってくれていた高瀬だった。


「ありがとう・・・ノブ。」


 高瀬は少し震えた声でそう言ってくれたが、俺と顔を合わすことなく、ホームベースへと歩いていく。外野の仲間達も、帽子で顔を覆い、涙を隠しながら歩いている。その仲間の肩を持つ仲間も、また泣いていた。

ベンチに座っていた後輩達も、泣いていた。監督は腕組を解くと、キャッチャーでありキャプテンの中島に、「整列させて挨拶を」と手で合図を行なった。監督を見た後、中島は俺を見ていた。そして、駆け足で歩み寄ってくると、肩を握ってくれた。


「お疲れ、ノブ。ありがとう、投げてくれて。お前がいなかったら、俺たちはここまで来れなかった。、、、本当に、ありがとう!」


涙を堪えているのだろう。目の周りは赤く腫れ、潤んでいた。それから中島は手を振りながら、グラウンドに立つ仲間を呼んだ。


整列後に大きな挨拶を交わした互いのチームは、相手側ベンチに挨拶へと向かい、それが終わると次は自分達のベンチへと戻る。ベンチで待っていたのは監督、後輩達、そしてネットの後ろ側では大きな拍手を送ってくれる観客。中島を始め、整列した選手たちは背筋を伸ばす。


「礼!」


「ありがとうございました!!」


中島の掛け声に続き、一斉に頭を下げて挨拶をする。これまでに何度も繰り返してきたが、今日だけは違った。皆の気迫であり、送られてくる拍手の大きさがそれを物語っていた。

だが、その中において、いつもどおりの奴もいた。誰よりも高らかな拍手を2回起こすと、皆がそいつに注目した。


「皆んな、そこまでー!さあ片付けないと!次のチームが後ろで待ってるよ!学校に帰ったら、思いっきりできるんだからさ!」


明るく声を掛けてきたのは、野球部3年の女子マネージャー、橘。泣きじゃくる後輩の背中を叩きながら、せっせと指示を出す。


「た、たぢばなぜんぱぁ〜い!!悔しいですよぉー!」


「ありがとうね、泣いてくれて。でも土田君、今度は2年生が主役なんだから、あんまり泣いてると1年生からコケにされるぞ。あ、もうなってたか。」


土田をおちょくりながらも、他の選手や後輩マネージャーへと指示を繰り返し行なっていく。お陰で、他校の選手がアップを終えて戻る頃には、ベンチから離れることが出来た。


マイクロバスが待つ駐車場へと向かう中、俺は足を止めていた。視線の先に見えるのは、試合が始まっているグラウンド。

もし、あの時。あの時打たれなければ、マウンドには俺が立っていた。そうだ、俺が打たれなければ。


「ノブー!」


突然、あだ名を叫びながらメガホンで殴ってきたのは、アイツだ。痛くはないが、ひとまず声が聞こえた方を振り返る。怒っているような顔をしているくせに、何故か口元は笑っている。


「帰ったら、もう一回投げられるでしょ?まだノブの高校ピッチャーは終わってないぞ!ほら、急いで帰るよ!」


そう強引に言葉を投げると、俺の手を握って駆け出す。彼女に引かれながら、皆の元へと向かった。


学校へと戻ってからは、日が落ちていくのを早く感じた。午後の時刻へと変わる頃、グラウンドで昼ご飯を食べる。マネージャーや選手達の家族が弁当を調達してくれていた。今日の試合を振り返りながら、今日までの練習を振り返りながら、それぞれの思い出を皆で話すことで、皆の空気はとても明るく感じた。

高校生にもなって、鬼ごっこまで始まる。ゴムボールを手に投げ合っている。ピッチングコーチである森本さんがボールを持てば、無条件に顔面めがけて投げられる。

ベースランでは、まさかのマネージャーとの競争まで行われた。足の速い2年生女子マネージャーに追いつける選手がまさかの0人。俺も混ざったが、後輩には勝てなかった。

その場で適当に人数を分けて、家族や監督達全員を巻き込んでの紅白戦も始まった。昔野球をやっていたお父さんやお母さん達、少年野球部に通う子供達、とても上手い人たちが多いのに驚いた。


俺たち3年生は、今日が最後の試合だった。結果は俺の球が打たれて、逆転サヨナラホームランで負けた。悔しいという気持ちが大きくて、俺は表情や行動、気持ちをどうすればいいかわからずにいた。仲間たちはさっきまで泣いていたのに、今は嘘のように笑って、はしゃいでいる。俺には責任があるはずなのに、皆俺を囲んで、声を掛けてくれて、応援をしてくれていた。


そして、


「橘ー!次はお前だぞー!」


「ノブ!打たれるなよー!」


最終マウンドに俺が立ち、アイツがバッターボックスに立った。ヘルメットの被る位置を調整し、足元の土を足でなぞり、なじませている。

 俺は試合の後ということもあり、万一の怪我を考慮してライトを守っていたのだが、最終回のツーアウトにマウンドへと呼ばれた。ランナーなし、点数はこちらが一点リードしている。アウトをとれば、ここで終わる。


「そう簡単にいくと思わないでね。」


突然、透き通るような大きい声が、正面から聞こえた。前を向くと、俺の目をまっすぐ見つめるアイツがいた。


「まだ、終わらせないから。」


不敵に笑い、俺の頭上に向けてバットを向けた。


「ホームラン予告だ!」


「うそ!先輩が宣言した!」


「いや、橘なら打つぞ!」


 ベンチにいる白組は盛り上がっているが、それ以上にこちらの守備も何故か盛り上がっている。声援は俺の名前とアイツの名前だけ。だが、さすがに本気で投げるわけにはいかない。安全を考慮した軟式ボールを使用しているから、無理な肩への負荷は怪我の元になることを、予め約束はしていた。それに、もしコントロールを欠いてしまえば。自然と俺は、セットポジションで構えることにした。キャッチャーミットを見て、そこへと投げるだけ。

 その一瞬だけ、アイツと目があった。俺を目を真っ直ぐ見つめ返していた。この最終回までの和気藹々とした中で見せていた笑顔や悔しそうな顔とは違う。


 本気で、俺に挑んできている。


「・・・。」


「おい、まさかノブ。」


 無言で立っていた俺が、両腕を上げるのを皆注目していた。辺りに聞こえていた声援が、突然消失した。

 大きく、俺は振りかぶる。右足を下げ、左足を軸にゆっくりと右足を持ち上げ、腕を胸の前へと持ってくる。体の軸をギリギリまで捻り、ボールを握る左手に力を籠める。


(ほ、本気のオーバースローだ!!!!)


 一斉に、寡黙な監督をはじめとした観客は、背筋に汗を感じた。だが、俺は俺の怪我を心配などしていない。そして、アイツの怪我も同時に。

 体の回りきった軸を反動に、腰を回し、右足を大きく伸ばす。マウンドの土が一気に抉れ、土が舞う。左腕はバネとなった体に引かれ、俺の力を加えて加速した。


「・・・うおおおおっ!!」


 そして、ボールを思い切り投げた。俺は直感した。ど真ん中へとボールが向かっていくのを。上手く投げることが出来たと、投げた俺は満足していた。


「!!」


 アイツもまた、体の軸が弾け、一気に左足を前へと出した。右スイングが周りだす。


 快音という名の、金属バットの甲高い音が、グラウンドに響いた。振り放った俺の視界には打たれた瞬間の光景しか見えていない。だが、キャッチャーの中島と、審判をしていたコーチは上空を見ていた。そして、アイツもボールの行く末を見ていた。


 高く飛んでいった球は放物線を描き、そしてスピードを増して落ちたのは、レフトで守る1年馬場のグローブの中だった。俺にも、グローブへと落ちた音が聞こえてきた。


「アウトー!!」


 コーチが大きな声で合図すると同時に、大歓声が生まれた。俺への賞賛はなく、勝利を喜ぶ味方同士の歓喜でもなかった。


「すげー!橘がノブの球を打った!」


「女子が高校球児の球を!」


「凄いぞ橘ー!」


 バッターボックスへと皆が集まり、アイツを囲んでいた。悔しさと笑顔と、困った顔を忙しそうに浮かべるアイツの姿は、楽しそうに見える。結果では負けたはずだったが、喜んでいるように見えた。その時、俺を見ていたアイツは、笑顔で右腕を伸ばして親指を立てていた。


 いよいよ、俺達3年生の最後となるノックが始まった。監督が3年生の名前を呼びながら、5球打つ間にそいつへ言葉を送る。これが俺の高校の、最初となった恒例行事だ。

 卒部の代表として、中島が挨拶を行った。監督やコーチ、見守ってくれた家族、そして野球部皆へ全力で、泣きじゃくりながら声を上げていた。




 日がすっかりと傾き、空は夕焼けの太陽と影へと形を変えた入道雲が浮かんでいる。

 グラウンドは綺麗に整備され、先程まで人だかりとなっていたベンチは静けさを取り戻していた。今このグラウンドに残っているのは、俺だけだ。皆と一緒に帰ったが、何故か此処へとまた戻って来ていた。何をするわけでもなく立っていると、視界の中に別の影が現れた。少し横を見ると、橘が隣に立っていた。ジャージから制服に着替えており、俺を見らずにグラウンドを見つめていた。俺も、グラウンドへと視線を戻した。

 腕を後ろで組んでいる橘は、一言喋った。


「ありがとう。」


 短い言葉のはずだったが、それに答えるのには長い時間が掛かった。


「終わったな。3年なんて、あっという間に終わるんだな。」


「そうかな。私は、とても長く感じたよ。誰かさんが野球未経験なものだから、最初の1年なんて特にね。」


「今更になるが、何で俺に入部を勧めたんだ?中島や轟達のように経験者ならわかるが。」


 3年間の間、俺の中で不思議に感じていたことを、さりげなく聞いてみた。恐らく、このタイミングでしか聞けないことだから。


「あー。あの時か。今でも覚えているよ。ノブが初めて試合でヒットを打った時以上に。」


 橘はふわりとした喋り方で、昔起きたことをゆっくりと思い返すような答え方をしていた。すると、俺に一枚の紙を見せてきた。俺はその紙を見て、すぐにわかったことがあった。


「俺の入部届。」


 クシャクシャで、色あせた紙であったが、そこに写っていた内容をよく覚えている。正式な部への入部届ではない、手書きで懸命に描かれた「野球部募集」と描かれたハンドビラだった。紙一面に精一杯描かれたイラストの中で、左下の空白に俺が書いた俺の名前があった。


「学校の皆に配っていた。でも、正式な部として存在しないのに入る人なんているわけがなかった。あきらめようかと思ったときに、手に持っていた一枚が風で飛んでいったの。それを拾ってくれたのがノブ。無愛想な印象だってしばらくして思ったけど、あの時はそんなこと考える暇もなかったんだよ。」


 橘は見せていたビラを両手で持つと、それを懐かしそうに眺め始めた。


「入ってください!って、お願いして、もし断られたら私は諦めていた。そしたら、鞄をわざわざ開けて、筆記用具を出して、その場で名前を書いちゃうんだもん。入部届でもないのに。」


 独り言のように離している橘の思い出話は、内容を辿る度に俺も思い返す。そして不思議なことに、俺もよく覚えている。


「ねえノブ。キャッチボールしよ。」


 突然橘はそういうと、フェンスの裏へと駆け出した。しゃがみこんだ彼女の手には、右利き用のグローブと、俺達選手が使う硬式ボールが握られていた。顔は夕日が背にあるため、どんな表情をしているか見えなかった。


 整備したグラウンドを、2人で使うことにした。橘がボールを投げて、俺が受け止める。次は俺が投げて、橘が受けとる。


「凄く上手くなったよね。まっすぐ投げるのも精一杯だったのに。」


「そうだな。」


 今となっては懐かしいことだ。成長の見込みが無いのに、アイツは暴投した俺のボールを必死に追いかけ、何度も何度も俺とキャッチボールをしてくれた。


「私は高校生になっても野球をやりたかった。でも、女子野球部なんてあるわけもなく、ここの学校でも女子生徒は集まるはずもなかった。いつの間にか女子野球部の募集じゃなくて、野球をしたい人を募集するようになってたんだ。理由は単純だけど、本当に野球をただやりたかっただけなんだよ。

 小・中学校で男子と一緒に交じって一生懸命練習したけど、結局レギュラーにはなれなかった。でも、皆で一緒に頑張れる野球が大好きになった。毎日がとても楽しくて、ずっと続けていきたいと思っていた。」


 俺は橘の投げたボールを受け取り、投げ返そうとした。でも、投げれなかった。アイツは、手にはめたグローブを見つめていたからだった。


「でも、それが終わってしまうと思った。中学を卒業してからは、皆とは離れ離れになってしまう。男子は甲子園を目指して野球の強豪校に行ってしまって、一緒にいた唯一の女子部員は、別の夢を追いかけて別々の高校になってしまったし。気づいたら、私の周りにはキャッチボールをしてくれた仲間がいなくなってた。

 終わりって、簡単に言葉で出てくるけど、この言葉って凄く重たく感じる。一緒にやりたいこと、一緒に目指したいことが無くなってしまうのが、とても恐いの。」


 俯いた顔を持ち上げ、グローブを橘は構えた。それを見た俺はボールを投げた。橘は受け取り、ボールをふりかぶる。


「でも、ノブが一緒に野球をしてくれた。」


 そう言い放ちながら、ボールを橘は投げた。俺はその時、橘の目から光るものが流れ出ていくのが見えた。飛んできたボールは弧を描いてゆっくりだったが、ちゃんと俺の正面に向かってきた。


 俺が内容を読んでいるときの彼女の表情が、とても怯えたような顔をしていたのを覚えてる。そして、俺が名前を書いてそれを返した時、彼女は。


「そして、私は沢山泣いた。あの時だけ。一杯、一杯。終わりと思っていたのに、また始められるんだって。な、なんだかあの時、わたしは、おかしかったんだと、思う。また、また出来るんだって思ったら・・・。」


 声は震えていた。喋っているはずの唇も震え、ボールを握ってもいないのに、右手は拳を作っていた。でも、左手に構えるグローブは降ろしていなかった。そして、俺を見つめる視線も、俺にずっと向けていた。

 俺はそのグローブに向けて、ボールをそっと投げるつもりだった。だが、力がこもっていたのに投げた瞬間気づいた。

 だが、橘は目を見開いたまま、それをしっかりとグローブでキャッチした。激しく皮を叩く音が聞こえ、相当速く投げてしまったのだと、俺は後悔した。

 橘はというと、微動だにしていない。しかし、顔が徐々にしかめてくると、大声で叫んだ。


「いったあああぁぁい!!!」


 グローブを強く握り締め右手で左腕を握り締めた。前を向いていた顔を俯かせた時、俺は心配になって近づこうとした。


「ノブのばかぁ!!!」


 その一喝が飛んでくると、駆け寄ろうとした足が止まる。


 ゆっくりと顔を上げた彼女の顔を、俺は見た。


 彼女が、泣いていた。泣いていたどころじゃない。大号泣だ。滝が流れるようにというのは、まさにこのことなのだと納得できる。


 すると彼女は一気にフォームを作ると、思い切り投げ返してきた。俺はそれを受け取る瞬間、皮叩く音と動じに、その皮を貫いて右手に痛みが走った。彼女は息遣い荒く、肩を揺らしていた。


「泣かないで我慢していたのに!絶対家に帰るまで泣かないって決めていたのに!ノブのせいだ!馬鹿ノブ!!」


 橘が怒っている。でも、その怒りの感情の意味が、少しずつ俺に伝わってくる。どんどん、俺の中に入ってきている。


「なんで思いっきり投げるんだよ!」


「・・・お前が、」


 おい、俺は何を言おうとしているんだ。


「お前が悪いんだよ!」


 再び俺も、投げ返した。すると、彼女はまた受け取ると顔をしかめた。だが、次に罵声が飛んでくるかと思えば、目を見開いた表情が返って来た。


「あんな困った顔をしていたら、断れるわけねえだろ!」


「なに・・・、入部した理由って、私が泣きそうにしていたからが理由なの!」


「違う!!」


「じゃあ何よ!!」


「お前とやってみたかったからだよ!!」


「っ!!」


 互いにボールの投げあいをしていたが、橘は投げる姿勢のまま止まった。


「なんでそんなに一生懸命になれるのか不思議だった!特にやることもなかった俺は、そもそも部活なんて興味なかったんだよ!だから、俺が始めてみたいと思ったんだよ!」


「・・・。」


「今日の今日まで、俺は野球をやりたくて仕方がなくなってたんだ!初めてお前からボールの投げ方を教えて貰って、バットの振り方を見せてくれて、守備の動きや、野球のルール!

全部楽しかった!俺がそんなボールを投げてしまうのは!力が篭ってしまうのは全部、お前が原因なんだよ!」


なんだ、目の前にいるアイツの顔が、急にぼやけて見える。橘はというと、俺を見ている目が見開いていた。


「ノブ、泣いてる、、、。」


そう橘が声を掛けた時、はっと気づいた。目元を触り、頰を触ってみると、濡れた感触が伝わってくる。俺まで、泣いているのか。


「畜生、俺も泣かないつもりだったのによぉ、、、。今日勝てば、明日も皆と試合が出来るのに、俺は打たれた。お前達と野球がもう出来なくなると思ったら、どんな風に振る舞えばいいかわからなくなった。

ごめん、、、。ごめんな橘。今日が、最後の日になってしまって。」


「最後じゃない!!!!」


橘はそう叫ぶと、思い切りボールを投げてきた。遥かに左側へと暴投した球へグローブを伸ばし、なんとか受け取ることが出来た。


「終わらない、終わらせないよ!だってノブ!まだ私の本気の球を、バットに当てたことないじゃん!」


橘はグローブを脱ぎながら、再びフェンスの裏へと駆け出した。橘がそこから持ち上げたのは、バットケース。チャックを開けて取り出したのは、一本の金属バット。中央には、『橘』と名前がマジックで薄く書かれている。


「打って見せてよ、私のボールを。始まりが2人だった時と同じように。決着をつけるよ。」


高校野球は、夏の甲子園を目指す大会が最後となる。グラウンドに帰ってチームと共に試合をするのが最後になる。だが、俺達の最後はどちらでもなかった。

今度は、俺がバッターボックスに立つ。ヘルメットは無いが、必要ない。そしてマウンドには、橘が立っている。長ズボンを履き、マネージャーとして使っていた日焼けしている帽子を被っていた。橘は硬式ボールの握り方を何度も確認していた。


「ねえ、ノブ。」


マウンドから橘が声を掛けてきた。俺は素振りをしながらとりあえず返事をした。


「なんだ?」


「この勝負が終わったら、全部終わってしまうのかな。」


「・・・。」


「高校を卒業したら、ノブとも離れてしまうしね。そして、皆とも。もう皆でそろって、できなくなるんだ。」


アイツの言葉に、俺は返事ができなかった。そう、これが本当に最後だ。今日という日から、俺達3年生はOBとなり、後輩達の練習を手伝うことしかできない。野球部の選手としてこのグラウンドに立てるのは、この打席だけ。橘はプレートへと足を揃えた。俺もそれを確認し、バットを構える。

質問への答えは出ていない。だが、今はバッターとピッチャー。アイツは本気で投げてくる。だから俺も、本気をだす。


橘は腕を上げ、大きく振りかぶる。その動きは、俺の動きそのままだ。


――――――――――

「こうやって、腕を上げて。そうそう、そんな感じ。」


「足を上げて、体を捻る。私の動き、ちゃんと見ててね。」


「そう!そのままの形!で、ここから思いっきり!!」


――――――――――


腰をひねるタイミングと足を上げる高さ。俺が左利きだったお陰で、アイツの動きを覚えることが出来た。


3球は要らない。1球勝負に賭ける。


左足を一気に踏み込むと、腕を大きく振る。


「はああああ!」


橘は渾身の力でボールを投げた。直球勝負とは分かっていたが、思ったよりも球速が伸びている。


(だが、スイングで追いつけば!)


右足を踏み込み、腰の回転と同時にバットを回す。そしてバットへと球が触れる。快音とは程遠い、芯から下に球が当たった詰まりの打球。


「なぁっ!?」


「あっ・・・!っと!」


ツーバウンドで向かう先は、橘ミットの中であった。

だが、野球はこれでは終わらない。


「くそぉ!」


「させない!」


俺が走り出すと、橘も走り出す。ファーストに選手がいないため、ベースに触れるまでが勝負。駆け出したタイミングはほぼ同じだった。ファーストベースまでもう少しだが、左から伸びてくるグラブが見えた。

俺は思い切り地面を蹴り、ベースへとヘッドスライディングを仕掛ける。橘もまた、同じように飛び出した。


日が沈み、茜色の空が夜の暗がりへと変わっていく。ファーストベースの側で、俺と橘は仰向けで倒れていた。全力で走ったため呼吸が整っておらず、何度も荒い息を繰り返している。


「なあ、今のは、どっちが勝ったんだ?」


「殆ど、同時だから、わかんないよ。もー、塁審なんでいないのー!」


俺も同感だった。こんな半端な結果で終わってしまうとは思ってもいなかったのだが。


「・・・ふふ。あはははははは!」


 突然、橘が笑い出す。


「ノブ、下手!あはははは!」


「女子の投げる球だから、遅いと思ったんだよ!そしたら結構球筋が伸びてて。」


「あーあ。結局私に勝てないままで終わっちゃったね。高校球児とあろうものが、まさか野球経験があるだけの女子に負けるとは。将来が大変だなこりゃ。」


「くそ・・・!」


 ボロクソに言ってくれる。お前が俺に投げてくれたのは、あの時だけじゃないか。1年の頃に実力を見るためといって、本気で俺に投げてきやがった。人が三振ばかりを繰り返すのを、何度も何度も笑って見ていた。それからは中島達が入部してあいつ等がバッティング練習のときにだけ投げる。橘はもうその日から、

マネージャーとしてメンバーの中に加わっていた。

 もう投げることはないのだと、思っていた。


「はぁー。終わっちゃったなぁ。でも、最後はすごく楽しかった。」


 溜息をついて、橘は仰向けのまま空を見た。俺にはその時の表情は見えなかったが、アイツは本当に満足したような顔をしている。本当に、コイツは何処で練習をしていたのか。


「中学校の練習に混ざって練習した甲斐があったよ。」


 思い出した、コイツ弟がいた。試験日が近い日は部活動ができなくなるが、そんなことをしていたのか。

 謎が解けてからは、再び沈黙したまま空を見ていた。もう茜色の空は何処にもなく、暗闇に月明かりがよく見える。しかし、改めて考えてみれば。


「これで終わらなくなったわけだ。」


「・・・え?」


 俺の突然の言葉に、橘が驚いた声をあげる。


「決着、つかなかったわけだ。だからまたいつか、野球やろう。

 高校生でやれるのは今日で最後だ。でも、卒業してからだってできる。誰かと何かをするのって、案外簡単にできるんだな。野球知らなければこんな気持ちにはならなかっただろうし。やってみるっていうのも、必要だってことにも気がついた。」


 俺は起き上がり、バックネットを見る。


「お前が中学のときに感じていたのがよくわかる。試合も、練習も、バッティングもキャッチボールも、1人じゃできないしな。

 でも、今は俺がいる。また誘ってくれたら、いつでもできるさ。」


「・・・本当に?」


「ああ。・・・って、お前!」


 返事が返ってきたが、様子がおかしいのに俺は気づいた。だから橘へと振り返ると、また涙を流して泣いていた。


「本当に、また、一緒にキャッチボールできるのかな・・・?」


「当たり前だ!だってほら、今じゃ携帯電話を持ってるから連絡も楽だし、卒業してから時間が無いわけじゃないし。そう、そうだ!これがそうなんだよ!」


 俺は勢いよく立ち上がる。そして、仰向けのまま俺を見ている橘へと向き直り、手を伸ばす。


「俺に教えてくれた三年間の、恩返しをするときだ。今度は俺が、お前がやりたいことを手伝う番だ。なにかやりたくなったら俺に声を掛けてくれ。俺も全力で出来るように助ける。困ったことがあれば、俺が変わりにやってやる。呼んでくれたら、お前のところにすぐ駆けつける。結果的にお前といることで、俺も楽しいわけだし。それで、どうだ?」


 思いつきのような提案になったが、考えてみればこれが一番良い結果になる。コイツと一緒にいれば、俺も野球ができるし、コイツのために何かをしてあげることができる。


「・・・・・・・・・・・・。」


 橘の目から、涙がこぼれるのを止めた。ぽかんとした顔を浮かべたまま、橘が膠着しているようにも見える。また「ありがとう。」と言葉をくれる、喜ばせてあげれると思ったが、何故か無言のままである橘。

 ちょっとまて、俺今は。


 俺は、橘になんて言った。


 思考をめぐらせているうちに、突然俺の手を橘が握ってきた。腕を引きながら橘は立ち上がる。立ち上がったまま、俺の手を離さない橘。改めてわかったことがある。コイツの手は、俺よりも小さい。こんな小さな手で、硬式ボールをよく投げられたなと思ってしまう。手の中が、徐々に熱くなっていくのがわかる。だが、橘はまだ手を離さない。


「だめだよ、そんなこと言っちゃ。」


 俯く顔は、帽子の唾に隠れてよく見えない。だが否定されたと思った瞬間、何故か俺は心臓が痛くなったのを感じる。俺は必死に答えたつもりだったが、伝わらなかったのか。


「そんなこと言われたら、」


 橘は、ゆっくりと、顔を上げた。俺は、初めてのコイツの表情を見た。泣きじゃくっているのに、とても嬉しそうに笑っていた。


「離れたく、なくなっちゃうじゃないの・・・!」


「・・・・!!!」


 驚いた、では済まない。硬式ボールが胸に直撃した、では済まない。金属バットでフルスイングで殴られた。

 これだ。重たく、胸に金属バットで思い切りフルスイングで殴られたような衝撃が走った。



 俺は生まれたときから、何かに没頭するようなことは無かった。挑戦するような度胸もなかった。

 でも、俺は橘と出会ってから、変われたんだ。始めて野球をしたときの喜びを知った。試合で負けたときの辛さを覚えた。皆と練習する時間が楽しかった。そして、高校生として皆と野球をやれることが終わってしまうことに、悲しさを覚えた。色々な感情と体験を、コイツから教えてもらった。

 そして同時に、始まることも。もうこのグラウンドで野球はできないが、それでも皆と通じ合えることはできる。野球だけじゃなく他のことであっても。

 全てが完結してしまう終わりは存在しない。終わることができたからこそ、次に始められることが見つけられる。


 終わりは次の始まりだ!

最後まで読んで頂きありがとうございました。自分で書いてて正直恥ずかしい文章ばかりです。ノブと橘は性格が異なるので、互いの感情をわけることで上手く表現できてるかと思っております。

人生はどんどん進んでいくしかないですが、終わったら終わったで、また次が始まります。勿論嫌なこともですがね。喜怒哀楽は人それぞれ違うと言いますが、その中でも「喜」「楽」は共通だと思っております。深い悲しみって聞くとあまり根深く感じたくないです。でも、最高の歓喜と聞けば、上をどんどん感じたくなります。何かきっかけがあれば、それがどんどん大きくなっていくものです。

これからの将来に向けてもし不安なことがあったときに、この2人の出来事が少しでも前向きに進む動力源になればよいかと思っております。

では、また別のお話でお会いしましょう!


・・・ノブ、金属バットで殴られるってどんな表現だよ。

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