第9話
<虹の背中9>
ロマンチストではない鳴海にとって虹というものは、空気にある細かい水滴に当たった太陽のスペクトルが見えているに過ぎなかった。
種類にもよるが、CDの書込面でも同じようなスペクトルを見る事が出来る。
普段ならそんなものを感激して見ている人物に対して、ある種軽蔑めいた気持ちを抱くのであるが、今に限っては
(子供の心を失っていない純真な心の持ち主)
だと、好意的に受けとめられた。
「ごめんなさい。話の途中に・・・」
立ち上がっていた美奈子は、席に座って続けた。
「虹は私にとって、とっても特別な物なんです。父の影響なんですけどね」
「何かつぶやいてたようやけど、何て言ってたん?」
鳴海の質問に、美奈子は
「それは言えないんです」
とだけ言って、笑顔を浮かべた。
前と同じく、どこかしら悲しそうだった。
その顔を見て、
(この話をしないほうがいい)
と感じていた。
「ところで」
鳴海は話を変えた。
「さっき言ってた、『前はわざとださくしてた』というのはどういう事?」
「ああ、あれですか。実は、私興信所の調査員じゃないんです」
美奈子の悪びれた様もなく返事した。
「そしたら、何で木下の事を調べてたん?」
そう訊きながら、自分が木下について美奈子に話した内容を思い出していた。
「私は木下さんの婚約者・小田切妙さんと同じ銀行に勤めています。妙さんから直接頼まれて、木下さんの女性関係を調査していました」
鳴海の顔を直視して美奈子は答えた。
「ごめんなさい。鳴海さんを騙そうとか、そう言う気持ちはありませんでした。ただ、同じ勤め先の人間よりも興信所の人間としてお話したほうが、真実を話してくれはると考えただけです」
美奈子は続ける。
「木下さんについては、小田切家でお見合いの前に興信所を使って素行調査をしはったそうです。もちろん別に何もありませんでした。でもお見合いをしてみて、妙さんが『あんな優しくてイケメンで仕事の出来る人に、女がいない訳はない』と思ってしまったようです。それで、同期で顔見知りの私にもう一度女性問題の調査をして欲しいと頼んできはったんです」
言われてみると説得力があった。
「有給休暇を取って一週間くらい調べたんですけど、結局は問題なしやったです」
鳴海の美奈子への疑念は晴れていた。
「なるほどね。そういうことでしたか。それで興信所の調査員らしい格好をねぇ・・・」
「ええ、そうなんです。気を悪くしはったんなら謝ります」
美奈子は頭を下げた。
「いやぁ~、めでたい話やし気にせんとってください」
腕時計を見ながら、鳴海はそう答えた。
窓の外に見えていた虹は消えて、東の空は雲一つ無い青空に変わっていた。
ケーキを食べ終わった美奈子が、フォークを置いて言った。
「私前は木下さんの事ばっかり訊いてて・・・。今日は鳴海さんの事を教えて下さい」
「オレの事なんか訊いても面白くはないよぉ」
鳴海は照れて頭を掻きながら答えた。
「鳴海さんは、どこか父に似てるんです。鳴海さんの事教えてくれはりませんか?」
美奈子にそう言われて、喜んで良いのか悲しんで良いのか複雑な思いだった。
それに、自分の生い立ちや人生観を他人に話すのが好きではなかった。
迷ったあげくにぽつりぽつり語り始めた。
四国の梅原町という田舎に一人っ子として生まれ、何不自由なく一流進学校に進学したが、高校一年生の冬に交通事故で両親を失い天涯孤独となる。
仕方なく高校を中退し1年間働いて生活費を貯め、その後アルバイトをかけもちしながら県庁所在地・香山市の定時制高校・夜間大学を卒業。
東亜電機に就職したが、忙しさにかまけて学生時代以来恋人も出来ない事 等々
黙って話を聞いていた美奈子は、いつの間にか涙を浮かべていた。
「苦労しはったんですねぇ・・・」
鳴海は女性の涙にはすこぶる弱かった。ハンカチをポケットから取りだし渡すと、
「と、とにかく、落ち着いて・・・」
周りの席を気にしてキョロキョロしている。
美奈子はハンカチで涙を拭き少し落ち着いたようだった。
「出ましょか?」
鳴海は大きな引き出物袋を持つと、出口へ向かっていった。
(自分の生い立ちの話なんかするんやなかった)
と後悔していた。
1階へ下りるエレベータの中、鳴海と美奈子は二人っきりになった。
途中の階で止まる時エレベータが少し揺れ、1m程離れて立っていた美奈子がよろけて鳴海の体にぶつかってきた。