第7話
<虹の背中7>
いつも声の大きい北島が声をひそめて言った。
「もうじきウチの家電事業部からリコールが出る」
鳴海と木下は驚いて、思わず顔を見合わせた。
「5年前発売したDVDレコーダーの電源部分に不具合が発見されたらしい。今顧客対策室で対応策を協議中で、数億円規模の対策費がかかる見込みだ。原因は設計のミスだと判断されている」
元々映像メーカーとしてスタートした東亜電機にとって、DVDレコーダーは主力製品である。
リコールなどあってはならぬことだった。
北島は続けた。
「この一件を契機として、役員会では各部署のスキルアップを名目とする、事業部間を含めた大規模な人事異動をもくろんでる。もちろん、その中でリストラをも敢行しようという考えだ」
企業というのは利益を追求する集団であるから、何かあるとそれが一層顕著に現れる。
「そこでだ・・・」
北島の声がここで体勢を戻し、声が少し大きくなった。
「俺は東京事業所に転属願いを出そうと思う。東京のプラント事業部はまだ弱いからな」
確かに、東京事業所のプラント事業部の売上は大阪の半分強程度しかなかった。
これは大阪を発祥としている企業の、ある面仕方のない現象である。
「鳴海、木下。お前達も一緒に東京に行かないか?」
急な誘いに二人とも直ぐには返事が出来なかった。
「鳴海は天涯孤独だし、木下は自分自身もフィアンセも東京出身じゃないか。問題ないだろ?」
鳴海は起業する夢を誰にもうち明けてはいない。勿論北島にも・・・。
返答に窮していた。
すると、俯いていた木下が困ったような顔で返事をした。
「北島部長に誘って頂いたのに申し訳ないんですが、一人前になってからじゃいと東京に帰らないって決めているんで、もう少し大阪で修行させて下さい」
北島の予想に反して木下は誘いを断った。
北島は、二人とも必ず誘いに乗ってくるとタカをくくっていたのだ。
「お前は充分一人前だよ。なぁ鳴海?」
「そら俺の片腕というか、両腕みたいなもんですわ」
鳴海も木下の言葉を意外に思っていた。
「兎に角、もう少し大阪にいさせて下さい」
木下は深く頭を下げた。
この結婚を機にして東京に帰るのが木下にとっては一番得策と鳴海は思ったが、帰れない深い事情があるのかと勘ぐりたくなる程の固辞ぶりだった。
北島もそういう木下の強い意志を感じてか、東京行きの話はそれ以上しなかった。
鳴海は自分の返事に事が及ばなかったので、内心ほっとした。
それからは仕事の話は無しで、北島の面白話を二人が聞くといういつもの飲み会モードになった。
客の話・野球部の話・女子社員の話 等々
北島は営業部長だけあって話が上手く、知らず知らずの内に時間は過ぎていった。
「北島さん、そろそろ閉店しまっせぇ。今日は日曜日やさかいに・・・」
店主らしき人物の言葉でやっとお開きとなった。
鳴海は、最後まで興信所の調査員が木下の事を調べている事を話さなかった。
差し障りのある話はしてないから話そうかとも思ったが、美奈子への思いがそれを言わせなかったのかもしれない。
「おい、結婚式はいつやるんだ?」
店を出て別れ際に北島が木下に訊いた。
「六月が彼女の誕生日なんで、来年の六月になりそうです」
「ジューンブライドか。ロマンチックだな、この野郎!あっはっは」
北島は木下の頭を手のひらで軽く叩いて大声で笑うと
「お疲れさん」
そう言ってJRの駅に向かって大股で歩いて行った。
「木下、車やろ。ちゃあんと代行で帰れよ」
鳴海は、長かった非日常の1日を思い返しながら帰路に就いた。
第2章
秋が深まったある日曜日、鳴海は月曜日の会議資料作りの為に出勤した。
普段は木下に任せている仕事だが、木下がこの連休を利用して帰京していた。結婚準備のためである。
早くに出社して仕事を始めたが、慣れないせいもあって手間取ってしまい終わった頃には昼を大きく過ぎていた。
午前中に一雨あった大阪は、排気ガスで覆われた汚い空気の街ではなく、生駒山が直ぐそこに臨めるくらいに澄み切った空気の街になっていた。
長くなった髪を左手でかき上げながら、足早に本町の理髪店に向かた。
木下に紹介して貰った本町の理髪店『カットギャラリーPlus1』は、完全予約制という欠点はあったが店の雰囲気が明るく接客態度も良かった。
何よりスタッフ全員女性というのが魅力で、最近女性とふれあう事の少ない鳴海にとって、顔剃り・シャンプー・マッサージの時に肌に触れる女性の柔らかい手の感触が、体全体を癒してくれる気がするのだ。
理髪店に向かう最後の角にあるブティックのショーウインドウにスーツ姿が映っているのを見つけると、立ち止まりネクタイを締め直す。
あの日以来スーツで通勤している。
北島の忠告に納得したのもあるが、それよりも
(街で美奈子に会った時に嫌われるような格好をしていたくない)
という気持ちが強かったからかもしれない。
角を曲がって歩き出した時だった。
ブティックの隣にある結婚式場から、招待客の一団が出て来てそれぞれタクシーに乗り込んでいた。
礼服や留袖を着た人々が、それぞれに大きな袋を抱えている。
ところがタクシーの数が足りずに、最後に一人だけタクシーに乗れなかった女性が取り残された。