第33話
<虹の背中33>
塚口は、被害者の兄・木下隆一に聞いてきた話を一課のみんなに話した。
話が終わると、望月刑事が不満そうな顔つきで塚口に言う。
「ええと塚さん、その話はガイシャの兄の話やないですか。ガイシャの過去と関係ないんやないですか?ガイシャの兄より、ガイシャの過去を徹底的に調べるべきですわ」
「それやったら、近所の人やらガイシャの友達やら聞き込みはしてきましたよ。そやけど、悪い話は全く出て来んのですよ。木下健司の過去に何かがあるとしたら、大阪に来てからやないですかねぇ?」
小川が口をとんがらせて、望月の不満顔に言葉を返した。
「代理、ちゃんと調べて来たんやろなぁ?」
「聞き込みはちゃんとやって来ましたよ。望月さんみたいに、夕方になったら直ぐに飲みに行ったりせずに、3日とも寝る間を惜しんで捜査してました」
「おい!人聞きの悪い事言うなよ!飲みに行くのは、いつも捜査が終わってからからや!」
望月は小川の物言いに怒り、小川に詰め寄って行った。
菅課長は何かを考え込んでいる塚口に気づき、塚口に話しかけた。
「塚さん、何考えてるんや?何か気になる事でもあるんかいな?」
そう訊かれて、塚口は菅課長の方に向き直り、自分の考えを話し始める。
「今話したんは確かにガイシャの兄・隆一氏の事ですが、これをガイシャ本人の健司に置き換えて考えていたんですわ。もし健司が悪い事をしたとしたら、父親の宗介氏は警察関係者に頼んで、その罪に手心を加えて貰ったんじゃないかと思うんです。宗介氏は隆一氏より健司の方を可愛がっていたようですからね。しかし、ガイシャには悪い噂が全く出ない。という事は、その罪が既に償われているか、または発覚してないからやないかと思いましてねぇ」
「なるほどな。それやったら悪い噂は出てこんわな。もし発覚してない事件を捜査するとなると、かなり難しなるなぁ」
「そうですなぁ。まぁ罪を犯したかどうかは未だ解ってへんですけど、そう考えるとガイシャの行動に納得出来る部分があるですわ」
さっきまで望月ともめていた小川が、塚口の話を聞いて質問した。
「今の話ですが、ガイシャが恋人と肉体関係を持とうとしなかったのとは繋がらへんのやないですか?」
塚口は小川に振り向いて言った。
「解らんのはそこや。もし過去に罪を犯して時効を待ってたとしたら、金持ちでありながら出来るだけ地味に真面目に生活しようとしてきたんは理解出来る。けど、何で恋人との肉体関係を拒んできたんか?そこはまだ解らんわ。第一今の話は私の想像やからあんまり気にするなよ」
塚口が小川の肩を叩きながら返事する。
「よっしゃ。明日は、塚さん達が調べてきた、ガイシャの兄・隆一が起こした事件の被害者を念のために調べてくれ。ひょっとしたら何か出るかもしれん。今日は雪が降ってるから、これで帰ろ」
「はい、解りました」
菅課長の言葉で、梅田北署の捜査一課は珍しく早めに解散をした。
それから1週間あまりが経ったある日、東京・赤坂の老舗料亭「赤木」の一室に二人の男が向かい合って座っていた。
その部屋は、数寄屋造りの座敷と渡り廊下で繋がる日本庭園で囲まれた『離れ』になっており、床の間には狩野正信の水墨画の掛け軸が掛けられ優美な雰囲気をかもし出している。
また、手入れの行き届いた日本庭園には獅子脅しがあり、一定の間隔でその澄み渡った音が静寂の中に響いて、都会にいることを忘れさせた。
あぐらをかいて上座に座っていた男が、下座で正座をしている男に話しかけた。
「木下さん、息子さんが亡くなってそろそろ1ヶ月ですが、少しは落ち着きましたか?」 「はい。健司の葬儀の際には、荒木先生に弔電までいただきましてありがとうございました。お陰様で少し落ち着きました。いつまでも亡くなった者の事を考えている訳にいきませんので、これからは先の事を考えて行こうと妻と話し合っています」
上座は与党・民和党幹事長の荒木幸直、下座は木下宗介である。
「そうですか。いや、それがいいですよ。まぁ一杯やって下さい」
「はい、いただきます」
荒木が熱燗徳利を差し出すと、宗介は杯を両手でうやうやしく持ちグイッと呑んだ。
「まだ息子さんの49日の法要も終わっていないのにこんな事を言っては何ですが、木下さんには夏の参議院選にどうしても出馬していただこうと思っているんですが、どうですか?」
「ええ!私がですか!?」
宗介は荒木から呼び出された理由が、参議院への出馬要請などと思ってもいなかったため、ただただ驚いていた。
「私が参議院に出馬なんて、考えた事もありません。市会議員になれただけでも幸せだと思っています。それに、私なんか立候補しても落選して荒木先生にご迷惑をおかけするだけだと思います」
「そんな事ないですよ。青少年の防犯に20年も尽くされてきた貴方だからお願いしているんです。今すぐ返事をして貰う必要はありません。ゆっくり前向きに考えて下さい」
「はぁ、しかし私がそれにふさわしい人間かどうか・・・」
宗介は考え込んでいた。
「今参議院は我が民和党にとって非情に厳しい状況です。今回の改選で半数以上を獲らないと、政局は苦しい状況に陥りかねません。貴方のようにクリーンで誠実な人物に出馬して貰いたいんですよ。もし貴方が出馬して下さるなら、私も精一杯応援させて貰いますよ。どうです?新しい日本を一緒に創っていきませんか?」
「有り難いお話ではありますが、もう暫く考えさせて下さい。お返事は、4月の始めという事でいかがでしょうか?」
「そうですね。ゆっくりお考え下さい。出来れば前向きに。あっはっはっはっは」
荒木の突然の申し出に宗介は困惑しながらも、千載一遇のチャンスではあると思い始めていた。
事件発生から3ヶ月が経過した。
結局、木下隆一が起こした事件の被害者にアリバイのない者はなく、また木下健司の過去に新しい発見がないままで、時間だけが過ぎ去っていった。
既に季節は春になり、桜の花が開花を始めている。
夜の梅田北署・捜査一課には捜査員達が捜査を終えて、疲れた顔でコーヒーをすすっていた。
既に捜査本部は解散し、府警の手を放れ梅田北署の捜査一課に一任されていた。
指揮を執っていた署長も府警の手が放れた途端に指揮を捜査一課長に委ねて、捜査から身を引いてしまっていた。
「えっと、結局署長が指揮を執ってたんは、府警へのおべっかやったんですね」
口の悪い望月刑事が悔しそうに春日刑事に言った。
「代理、塚さんはどうした?」
「ああ、塚さんは具合が悪い言うてさっき家に帰りましたよ」
塚口は珍しく体調を崩し、発熱したため早めに自宅に帰っていた。
それを聞いて、また望月が嬉しそうに笑いながら呟く。
「ああ、鬼の霍乱っちゅうやつやな。いひひひ」
「あーっ、望月さんがそう言うてたて、塚さんに言うときますわ」
「こらぁ!絶対内緒やぞ!」
望月が小川の胸をこづいている時に、捜査一課の扉が開いた。
「お兄ちゃん刑事さ~~ん」
その声は、小川にとって聞き覚えのある風俗嬢・桃花のそれだった。




