第28話
<虹の背中28>
明日には仕事納めを迎え、午前中一杯で業務を終えるというのに、木下の後任は決まっていなかった。
木下程のスキルを持っている者が他にいなかかったし、繁忙期を迎えている現在、いきなり新しい仕事を抱えられる人材の余裕もなかった。
美奈子とは、あれ以来話をしていない。
警察が鳴海のアリバイを確認したのだから、山陰ペテロ病院に美奈子がいるのは間違いなかったが、美奈子の自分に対する愛情を早く確認したい焦りと、母親の看病をしている美奈子をそっとして置いてやりたい気持ちが交錯して、連絡が出来ずにいた。
(今日中に両方とも解決しよう)
そう考えていた鳴海に、越田部長から電話があった。
「ちょっと部屋に来てくれるか。話したい事があるさかいに」
「解りました。直ぐ行きますわ」
鳴海が同じフロアの隅にある部長室へ着くと、越田部長がいきなり言った。
「木下君の後任やが、東京から星野君に来て貰う事になった。年明け早々に大阪へ転勤して来るから、引継を頼むわ。星野君は、君も知ってるやろ?」
「ええ、知ってます。そうですか、星野が後任ですか・・・」
星野昌樹は、東京事業所の第3設計課で係長をしている。
木下と同期の32歳で、システムエンジニアとしてのスキルも高い。
ただ、星野は自信過剰のきらいがあり、大きなプロジェクトを任せるのは不安を感じる。
「不安はあるやろけど、決まった事や。君がフォローしてやってくれ」
「解ってます。木下を失ったんは、ホンマに痛いですわ」
鳴海は、一つの心配が片づいて、また一つの心配を抱える事になった。
塚口刑事と小川刑事は、難波のはずれにある雑居ビルに向かっていた。
「代理、えらい嬉しそうに返事してたな」
「風俗嬢の聞き込みやなんて、何か嬉しいやないですか。若くて可愛い娘やったらええなぁ。殺人事件の捜査てもうちょっと格好ええかと思ってましたけど、ただもうしんどいばっかりで・・・」
小川刑事は、交通課から応援に来てからまだ2週間しか経っていない。
「あたりまえや。交通課に戻りたかったらいつでも戻ってええで」
「塚さん、そんな事言わんとってくださいよぉ」
目指す風俗店『桃色学園』の事務所は、雑居ビルの5階にあった。
チャイムを押すと、眠そうな顔をした茶髪の男が顔を出す。
「なに?どちらさん?」
「警察や。ちょっと訊きたい事があるんやが、入ってええか?」
塚口刑事が警察手帳を見せながら言った。
「ご苦労さんです!刑事さん、ウチはちゃんと届け出もしてますし、違法な営業なんかしてへんですわ」
急に態度が丁寧になった男が、リビングルームのフローリングに折りたたみ椅子を置いて、座るように勧めてくれる。
リビングルームの隣が、女の娘の控室になっているようだ。
「そうやない。殺人事件の捜査や。ここに桃花て娘いてるやろ?話が訊きたいんやが、今居てるかな?」
「桃花ちゃんなら、もうすぐ出勤してきますわ。それまでお茶でも飲んで待っとってください」
男は二人の刑事に、番茶を入れて渡した。
そのお茶手を付けない内に、一人の若い娘が玄関から入ってきた。
「おはよう。店長、うち予約入ってるやろか?」
未成年にしか見えない幼い顔立ち、黒いショートヘア、それにデニムの超ミニが妙にアンバランスで、小川刑事はその娘に見入っている。
さっきの男が店長なのか、男が彼女に耳打ちをした。
「君が桃花ちゃん?警察やけど、ちょっと話訊かせてくれる?」
「うん、ええよぉ」
小川刑事に話しかけられて、彼女は椅子に腰掛け足を組んだ。
塚口刑事が、木下の写真を見せながら質問を開始した。
「君、この男の部屋に行った事あるやろ?」
「あ!あるでぇ。凄い部屋やったからよう覚えてるわ。この人が殺されたニュース見たけど、ホンマびっくりしたわ」
桃花は、まだ化粧っ気のない顔で答えた。
「この男、何か人と変わったとことかなかったか?」
「うん、この人変わってたで。うちの顔見てなぁ、もう何もせんでもええからなぁ、マッサージだけしてくれ言うてなぁ、マッサージと耳掃除しかせぇへんかったんやんかぁ。男前やったし、もっとイチャイチャしたかったのに、残念やってん」
酷く残念そうな顔である。
「君が行ったの、いつやったんや?」
「ちょっと待ってな。ノート見てみるわ。うちな、『デス・ノート』の真似して『エッチ・ノート』つけてんねん」
彼女は大きなバッグからノートを取り出し、パラパラとめくって調べている。
「9月10日の日曜日、朝10時やわ。まだ暑い頃やったなぁ」
「それ、間違いないか?」
「うん、間違いないよぉ。『エッチ・ノート』に書いてるし・・・」
塚口は、日付が木下の婚約以降だったのが気になった。
「何でマッサージだけでええてなったか、理由を言うてなかったか?」
「あのなぁ、ホンマはなぁ、イチャイチャしたかったらしいねん。それまでなぁ、何かの理由でそういうのを我慢してた言うてはったんやんかぁ。そやけどなぁ、やっぱり無理やったらしいねん」




