第4話、5話
<虹の背中4>
女性は茶色の名刺入れから鳴海に名刺を差し出した。
「丸商興業の都築と申します。お休みなのにわざわざ来て頂きまして恐れ入ります。」
名刺には『丸商興業株式会社 調査部 調査係 都築美奈子』とあった。
事務所は日本橋となっている。
「東亜電機の鳴海です。えっと、私の事はもうご存じなんですね?」
「はい、ご自宅の電話を調べる時に少し調べさせて頂きました」
そう言うと申し訳なさそうに少し頭を下げ、座るように促された。
注文を取りに来たウエイトレスにアメリカンを注文する。
それまでうつむき加減だった美奈子が鳴海の顔を直視すると、思い切ったように語り始めた。
「単刀直入に申し上げます。実は鳴海さんの部下の木下健司さんの事をお聞かせ頂きたいんですが・・・」
(はぁ、やっぱりオレの事じゃなかったか・・・)
鳴海の期待は一気にしぼみ、身体の中を風が吹き抜けていくような脱力感に襲われた。
「都築さんは探偵事務所の方で、木下君の結婚の調査をしてるという事ですか?」
美奈子は一拍おいて返事した。
「はい、そうなんです。木下さんのお相手は私の友達なんです」
鳴海は美奈子のしっかりした様子と真面目な雰囲気に好感を持ち始めていた。
(この娘なら、木下の情報を変な風には使わんやろ)
そう確信し、訊かれる事を丁寧に答えていった。
木下の出身地や出身校、実家の事、住んでいるマンションを父親から譲り受けていること、真面目な仕事ぶり、女性問題など無い事、現在恋人がいない事、・・・
手帳に記入をしていた美奈子は顔を上げると、いぶかしそうな顔を浮かべていた。
「鳴海さんはなんか褒めてばっかりですね。木下さんて悪いとこないんですか?」
それまで標準語で喋っていた美奈子が、この時の語尾が大阪弁のアクセントになっていた。
(たまに出る大阪弁は可愛いな)
鳴海は美奈子に対してグンと親しみを感じた気がした。
「あいつはええ奴ですわ。私が女やったらあいつと結婚したいんやないかなぁ」
いつも喋っている口調で答えている自分がおかしかった。
「最後にお聴きしますが・・・」
と、そこで鳴海の携帯が鳴った。
「ちょっと失礼」
トイレの前に行くと携帯に出た。木下からだった。
「はい、鳴海」
「鳴海さん、大変です。うちの収めた下水プラントで制御盤が焼けたっていうんです」
いつも冷静な木下が、少し慌てた口調でそう言った。
「なに!」
「会社に来られますか?」
「行くわ。1時間以内に着くと思う」
「待ってますので・・・」
もし設計や製造上のミスが原因であれば、会社として大きな責任問題にも発展しかねない案件である。
鳴海が難しい顔で席に戻ると、美奈子が心配そうに鳴海を見た。
「急用ですか?」
「いや、もう暫くは大丈夫です」
鳴海は笑顔で返事した。
ここから真っ直ぐ会社に行けば15分程で行けるが、鳴海は余裕を見て1時間と返事した。
美奈子との時間はそれほど心地良くなっていた。
「それは良かった」
美奈子も笑った。しかし、その笑顔はどこかしら淋しそうだった。
「最後なんですが、木下さんに賞罰はありますか?」
「それはないですわ。木下は悪い事はしませんが良い事もしませんからねぇ、あはは」
「・・・」
鳴海は軽口をたたいた自分に自己嫌悪を感じた。
「木下の悪い所と言えば、真面目すぎる事くらいですよ」
「そうですか」
美奈子は手帳を封筒に入れ、飲んでいたコーヒーの残りを飲み干した。
「今日は本当にありがとうございました」
そう言いレシートを持ってレジに歩いて行く。鳴海も後に続いた。
喫茶店の外は割と静かで、日曜日にしてはあまり人も歩いていなかった。
「それでは失礼します」
美奈子は鳴海に挨拶し、横をすり抜けるように梅田駅の方向に歩いていく。
鳴海は美奈子の香水が僅かに香ったのを感じていた。
(上品な香りやな)
香水の事など全く解らないくせにそう感じたのは、美奈子への思いが感じさせたのだろうか。
鳴海は後ろ姿を優しい顔で見送ると、深呼吸をして会社の方向に歩き出した。
もう企業人の顔になっていた。
<虹の背中5>
東亜電機は昭和40年台後半に、映像と音響のメーカーとして大阪に設立された。
その後、他メーカー品の強引な模倣と徹底的な低価格により総合家電メーカーとして大手に次ぐ地位を築く。
昭和60年神戸市青葉区の埋め立て地に広大な土地を購入、手狭になった工場を移設するとともに本社機能も神戸に移していた。
鳴海の所属は『大阪事業所 プラント事業部』で、東亜電機としては家電以外の新しい事業として平成4年に立ち上げた事業で期待されてもいた。
大阪事業所は梅田の旧大阪本社ビルをそのまま利用しており、場所柄もあり家電事業部やIT事業部の営業所としても利用されている。
『プラント事業部 公共プラント部 第3設計課長』それが彼のポジションである。
鳴海は大阪事業所ビルのエレベータを4階で下りると、デスクへ向かった。
事務所には日曜日にもかかわらず20人は来ているであろうか、集まって話し合っている者、営業セクションの方へ小走りで向かう者、慌ただしさが溢れていた。
「鳴海さん、早かったですね」
木下が鳴海のデスクに飛んできた。
「買い物で近くまで来てたんでな・・・・・・。そんで、どうなってるんや?」
鳴海はスーツの上着を脱ぎながら木下に訊いた。
「京洛北下水処理場で盤が燃えたらしいんですが、状況がよくわからんのですよ・・・」
京洛北下水処理場は、3年前木下がシステムエンジニアとして仕様決めを行い、まだ係長だった鳴海が設計をしたプラントだった。
「ふむ・・・」
「今サービス員が向かってますが遠いもので、あと2時間くらいは待機ということになりますね」
「図面を用意して待つしかないということやな」
そう言うと、木下は既に全ての図面をコピーして用意していたらしく
「これです」
鳴海のデスクの右上にある図面を指さした。
そこに隣のフロアから公共営業部長の北島洋太郎がやって来て、隣のデスクの椅子に腰掛け鳴海の肩に手をかけながら言った。
「おい、鳴海大丈夫なんだろうな?」
北島は京洛北下水処理場の営業責任者だった。彼は親分肌で口は悪いが、鳴海にとっては社内で数少ない理解者である。
「多分大丈夫ですわ。そんな問題のある設計じゃなかったですから」
「お前が設計してなかったら心配しないんだけどなぁ。我が社の責任だったら賠償問題で大変だぞ。オレのポケットマネーじゃ無理だからな。あっはっはっは」
鳴海は思わず苦笑いを返す。北島はそれだけ言うと営業セクションへ向かい歩いて行った。
(北島さんなりに気を遣ってくれたんやろな)
そう感じていた。
重苦しい空気が事務所内を流れていた。こういう雰囲気の中での2時間はとても長く感じる。
鳴海は喫煙室とデスクを何往復もしながらサービス員からの報告を待っていた。
まだ止められない煙草と、一緒に飲んだコーヒーで胃が気持ち悪い。
鳴海が次の煙草に火を点け、一服吸ったところで事務所の代表電話がけたたましく鳴った。
「はい、東亜電機でございます。」
電話に出たのは木下だった。
「おお、お疲れさまです!設計の木下です。それでどうなんですか?」
それまでちりぢりに事務所にいた人々は木下の周りに集まってきた。北島も向こうから走ってくる。
全員電話の声が気になって、固唾を呑んで木下の方を見ていた。