第21話
<虹の背中21>
美奈子の髪の毛から、また着ている薄いピンクのロングコートの裾から、水滴がしたたり落ちている。
下俯いて立ちつくす美奈子は、青白い顔をして震えているように見える。
「美奈子さん、どないしたん?寒いの?とにかく部屋の中に入って」
鳴海は美奈子を部屋に引き入れ、美奈子の濡れたコートを脱がしてコート掛けに掛けた。
しかし、強い雨風でコートの下に着ているセーターやスカートもグッショリと濡れていた。
「こら、あかんわ。濡れた物、全部脱いで。そこの乾燥機に入れといたら直ぐ乾くから」
美奈子を無理矢理風呂場の前の廊下に連れて行く。
押し黙ったままの美奈子は、力無くその場に座り込んでしまった。
「これ1回着たけどちゃんと洗濯してあるから、これに着替えたらええわ」
鳴海は美奈子に自分のジャージを渡しながら言った。
「そや、風呂に入らな風邪引いてしまうな。直ぐお湯溜めるからちょっと待ってて」
美奈子に何か重大な事が起こった事は察知出来た鳴海であったが、今は濡れて冷たくなった体を温めてやるのが先決と考えて、何があったか訊くのは後で良いと思っていた。
お湯が溜まったところで、美奈子を立ち上がらせ背中を押して脱衣場に押し込んだ。
鳴海は部屋に戻って、エアコンの暖房スイッチを入れた。
いつもは対流式の石油ストーブだけを使っているが、今日は特別だ。
直ぐに部屋の中は、外の嵐を忘れるくらいに暖かくなった。
30分以上経って、ようやく美奈子が鳴海のジャージを着て部屋に入ってきた。
青白かった顔は、風呂に入ったおかげで生気を取り戻し、ピンクの若々しい肌に戻っている。
美奈子は部屋の隅の石油ストーブの正面あたりで、膝を両手で抱える様な格好をして座り、顔を両膝に伏せてしまってた。
そんな様子に、鳴海は声を掛ける事が出来なかった。
雨は一層激しく降りつけ、風も強くなってきた。
雷鳴がだんだん近くに聞こえ始めている。
沈黙がどれほど経過したのだろう、美奈子がようやく顔を上げた。
「実は、父が死んだという電話が母にあったんです・・・」
それだけ言うと、また膝に顔を埋めてしまう。
「えっ!お父さんて、蒸発してたお父さんの事?」
鳴海は、何故美奈子が蒸発した父親の死でそんなにショックを受けているのか解らなかった。
美奈子が、涙を浮かべた顔を上げて答える。
「そうです・・・。でも、それだけじゃないんです・・・」
「どういうこと?他に何があったの?」
美奈子の頬に涙が流れ始めていた。
「その電話を受けた直後に母が倒れて・・・、救急車で浜中の病院へ運ばれました・・・。私は病院からの連絡で浜中へ帰ったんです・・・」
「それは大変やったねぇ。そんで、お母さんの具合どうなん?」
鳴海は、悪い予感がしながら訊いた。
「精密検査を受けたんですが・・・、末期の胃癌でした・・・。あと3ヶ月の命だと宣告されました・・・」
「えええっ!」
先週楽しそうにデートを楽しんでくれた美奈子の身に、たった一週間でそんな不幸な事が起こるなんて、鳴海は美奈子のショックがどれほどのものであったか解る気がした。
「母を山陰ペテロ病院という、ホスピスのある病院へ転院させました。そこは山の中で、携帯がなかなか繋がらなくて・・・。鳴海さんには申し訳なかったです・・・」
「いやぁ、俺の事なんかどうでもええよ。それより、美奈子さんこれからどうするの?」
美奈子は、一度大きく深呼吸して返事した。
「母には身寄りがいません。私が銀行を休職して、母の看病をしに帰ります。帰る前に、会って鳴海さんにお礼が言いたくて・・・。本当にお世話になりました・・・」
「お礼なんか・・・」
鳴海は何と声を掛けたらよいのか迷っていた。
美奈子の母親が元気でいればいる程、休職が長く続くかもしれないし、休職中に浜中支店への異動となってしまうかも知れない。
父親が亡くなったのが解った今となっては、美奈子が大阪にとどまる理由はもうない。
だが鳴海は、自分と同じように悲しい運命に晒される事になった美奈子に、また一層強い思いを抱き始めていた。
「バリバリバリ」
まさにその時、雷がそこに落ちたかというもの凄い雷鳴を上げて、部屋は停電になった。
部屋の隅にある石油ストーブだけが、赤々と光っている。
鳴海はカーテンを開けて、外の様子を見てみた。
どうやら、このあたり一帯が停電になってしまったようだった。
「ちょっと待ってな。懐中電灯があったはずや」
鳴海は、押入にある懐中電灯を取りだして、点けてみる。
「あれ?電池が切れてるみたいやな」
うろたえている鳴海を、美奈子が呼ぶ。
「鳴海さん・・・」
鳴海が美奈子の方を向いてみると、美奈子は一糸もまとわない姿で立っている。
稲妻に照らされて、丸みを帯びた白い裸身が浮かび上がっていた。




