第20話
<虹の背中20>
鳴海達が『瑠璃』を後にしたのは、もう日付が変わる頃だった。
店からタクシー乗り場へ歩き始めた鳴海の後ろで、突然怒号がが聞こえたかと思うと騒ぎが始まった。
胸騒ぎがして、騒ぎに集まった野次馬をかき分けて様子を見に行った鳴海の足元に、誰かに殴られた木下がもんどり打って倒れ込んだ。
「お前のお陰で俺は恥をかいたんじゃ、こら!」
拳を握って立っているのは、労組委員長の落合淳平である。
かなり酔っているようで、足元がふらついている。
彼の所属する総務部も忘年会を催したらしく、総務の若い社員達が落合の腕を掴んで止めようとしているようだ。
普段は大人しい落合だが、如何せん酒が入ると日頃の不満が噴出するらしく、酒で何度も失敗を繰り返し、北島と同期でありながらもう出世が期待出来ない状況にあった。
木下は、落合が何を怒っているか解らなかった。
「私が落合さんに何をしたというんですか?」
「わからんのやったら、思い出させたる、こら!」
もう一度殴りかかろうとする落合を止めたのは、北島だった。
「落合、こんな所でみっともない真似するな」
さっきまで泥酔していたとは思えない冷静な口調だ。
「何か不満があるんなら、後で俺に話せ。なぁ落合」
結局、落合は北島に抱えられて去っていった。
「木下、大丈夫か?」
鳴海は木下を助け起こす。
「落合さんは何を怒っていたんでしょうね?」
木下は釈然としない顔で鳴海に訊いた。
「多分なぁ、組合委員会でのお前の発言やと思うわ」
「えっ!?」
木下はまだ気づいていなかった。
「落合さんはプライドの高い人や。組合委員会で、自分の発言をひっくり返されたのはかなりショックやったと思うで。」
「そうなんでしょうか…」
木下は口元の血をぬぐいながら、力無く言った。
「気づかずに人を傷つけてしまう事もあるわ。そんでも、今回の事は気にするな。お前に悪気はなかったんやからな」
「それでも、今度落合さんに謝っておきますよ」
鳴海の言葉に、木下はそう返事してニッコリ笑った。
鳴海が二日酔いで目を覚ましたのは、12月23日の昼頃だった。
久しぶりの休みでゆっくり寝ていたいが、独身の悲しさ、掃除・洗濯をしなければならない。
重い頭を落ち上げるようにベッドを起き出した鳴海は、ぼんやりと美奈子の事を考えていた。
一昨日から電話しているのに、電話が繋がらないのだった。
(クリスマスイブは明日やのに、美奈子さんどうしてるんやろ?)
考えても、鳴海が解決出来る事ではない。
(ひょっとしたら、嫌われたのかもしれんな)
鳴海は部屋の掃除にたまっていた洗濯を終えて、乾燥機に洗濯物を放り込み、それから夕食に出かけた。
鳴海の家がある公団へ戻る真っ直ぐの道には、人っ子一人いなかった。
天気予報では今晩から嵐の予報が出ている。
そういえば、西の空から黒い雲が次々と流れ込んで、今にも雨が降り出しそうな空模様である。
道の両端にある裸のポプラが、夕食に向かった頃より激しく揺れている。
土曜日の夕方だというのに、いつも通る公団の公園には子供達の姿はなく、シーソーが同じ方向で止まっているのがもの悲しくさせた。
久しぶりにゆっくりと湯船に浸かって体をリラックスさせたためだろうか、鳴海は風呂から上がった後コタツで暫くうたた寝をした。
目が覚めたのは夜10時頃だった。
外は冬の嵐になっていた。
雨音と風音でテレビの音声が聞こえないくらいで、遠くで雷も鳴っている。
まだ閉めてなかった窓に全て鍵をかけ、カーテンをして廻った。
(映画でも見るか)
撮り溜めてあった映画を見ようとDVDをセットした時、玄関のチャイムが鳴った。
「はい」
鳴海は何気なく玄関のドアを開けた。
玄関のドアの向こうには、全身ずぶ濡れの美奈子がうなだれて立ちつくしていた。




