第13話
<虹の背中13>
鳴海と話をする時にはいつも愛想良く答える木下が、この時ばかりは苦虫をかみつぶしたような表情を浮かべ、不愉快そうな口調で返事した。
「私の親父ですよ。もううざいっていう程干渉してくるんです」
鳴海は拍子抜けしていた。
何かもっと深い事情があるに違いないと思っていたのに、たかが親の干渉だとは・・・。
逆に両親のいない鳴海にとっては、羨ましくもあった。
木下は続ける。
「今のマンションにしたって、私はあんな贅沢な所に住みたくはなかったんです。寮に住もうと思っていました。それなのに、大阪勤務が決まると直ぐに、親父が勝手にマンションの入居手続きを済ませていたんです。『会社の規則通り、オレは寮に住むから』と言うと、『空き部屋にしておくと部屋が傷む。規則があるなら総務部長に掛け合いに行く』とか言うんですよ。もう無茶苦茶ですよ」
木下はその時の事を思い出したのか、顔に憤りが表れていた。
「仕方なくマンションに住んだのが悪かったのか、それからも『車はアウディに乗れ』って車を送って来たり、家族の食事会だと言われて行ってみたら見合いだったりと、そりゃもういい加減にしてくれって感じです。こんな状態が高校に入学する頃から続いているんです。大阪で働いていてこれですから、地元には帰りたくなくなりますよ。私は自分一人の力で何が出来るのか試してみたいんです」
今にも机をたたかんばかりの勢いで、一気にまくし立てた。
「気持ちは解るがな、木下君」
営業課長の岩田が静かに語りかけた。
岩田鉄平は鳴海の一年先輩にして、28歳で営業課長になったトップセールスマンで、北島もその実力を認めている。
北島が親分肌なら、岩田は人格者タイプ。
西北大学経営学部経営学課主席卒業という優秀な経歴などおくびにも出さず、控えめで穏和な性格・少し垂れ目な人なつっこい笑顔・柔らかな語り口で、部下の人望は北島をしのぐ程である。
「聞いてると、確かにうざいと感じる部分もあるだろ。でもな、君のお父さんは君のためを思ってしているには違いないだろう?お父さんの干渉があっても、君のやりたい事はきっとできるさ。そう思ってやっていけないか?」
流石人格者の岩田らしい暖かい言葉だと、鳴海は聞いていた。
木下は黙って考え込んでいる。
北島が後を続けた。
「木下、今回のプロジェクトはお前に頼る部分は大きくなる。成功するためにはお前の親父さんの助けが必要になるかもしれん。それは解っているだろうな?」
木下は返事が出来ずにいた。
「木下、ちょっとだけ大人になろや」
鳴海が言葉をかけると、木下はやっと返事した。
「今回は事業部長命令のプロジェクトですし、やりますよ。必要とあらば、親父だって利用してやりますよ!」
本心なのか、いきがってなのか、木下は何かを吹っ切ったように見えた。
「よしその意気だ、頼むぞ木下!あっはっはっは」
北島が木下の背中を叩きながら笑った。
それから、西多摩市長に挨拶に行く日程や東京事業所との連携等について話し合い、1時間弱で打ち合わせを終えた。
デスクに戻った鳴海には、図面へのサインが待っていた。
デスクを離れていた間にまた増えている図面に、ざっと目を通しながらサインをしていった。
暫くすると、また多美子が近づいてくる。
「課長、戻ってはったんですか。事業部長の話てええ話でした?」
「そやね。珍しくええ話やったわ」
鳴海が言うと、多美子は驚いたような顔をして
「良かったですねぇ。たまにはええ話もないとやってられへんですよね。ほんで、どんな話ですのん?」
と余計な事を聞いてくる。
「極秘事項やから言えんわ。あ、そうそう。今週木下が出張するから、仮払いしてやってな」
「は~い。極秘事項か、つまらんわぁ・・・」
多美子は『極秘事項』という言葉で、3時の休憩に行ってくれた。
(さて、これから忙しくなるぞ!)
鳴海は新しいプロジェクトに向けて気を引き締めていた。
北島・岩田・木下が、西多摩市長の元に出張した日の事だった。
朝一番から、多美子が鳴海のデスクにやって来た。
「課長、昨日臨時組合委員会があったんですけどね、ボーナス10%カットになってしまいましたよ」
と言う。
役員会議での提示は20%カットだったから、10%カットになったのは組合の力であろう。
「それがねぇ、委員長の落合さんは『カットは絶対認めへん』て言うてて、役員ともめそうな雰囲気やったんですよぉ。その時に、木下さんが『問題を起こしたのは会社全体の責任。その責任を社員全員で償うのはあたりまえの事』て言わはって、その発言でカットの方向になってしもて・・・。木下さん、委員会で発言なんかした事なかったのにどないしたんやろ?格好良かったけど、あたしはショックやわ。あ~ぁ、家のローンどないしょう・・・」
鳴海も木下の発言に違和感を覚えていた。
人前で目立つ事を好まない木下が、何故そんな発言をしたのか木下の本心を掴めずにいた。