回想1 苦肉の策
寿太郎さんの裏山と一口で言っても、そこは驚くほど広大だ。
百~二、三百m級の大小さまざまな山やそれよりも小さな無数の丘がある。
寿太郎さんの敷地であるために、山々には住宅地などはない。
この裏山のどこかに、噂に聞く、寿太郎さんや屋敷の勤め人専用の、十八ホール完備の風光明媚なゴルフ場や、以前、時子と気を失った杏子とで訪れた湖などもある。
どの山に向かうにしても交通の便も悪くない。公道にしか見えない私道も走っているからだ。
山々の麓を洗うように大小様々な川がそれぞれ東流し、やがて一つとなって海へと流れ込む。そこには良質なプランクトンが発生するため、糊や生け簀などの漁業が盛んだ。そこにはおれがアルバイトしている港もある。
山菜取り当日。
柳と初対面であった時子と香ちゃんに柳を紹介する。
時子はニッコリと営業用のスマイルで、柳に会釈をした。
柳も営業用の引きつった感じの会釈を返す。
こいつはイケメンの癖に、女性全般に妙にシャイな所があり、カイリス、杏子と初対面の時もこんな感じだった。
そのくせ、変にアグレッシブで、その欠点を直そうと、近づく事を恐れないため、妹二人の時の事を考えれば、あと十回も時子に会えば、そのシャイな一面が消えフランクな柳が出始める。
「設楽から聞いて、今日一緒に参加させてもらうよ」っと柳の登場に驚いたカイリスと杏子にそう言った。
「えっ! 本当?ありがとう! もっと人手があるといいねって兄さんにも言ってたの!」
杏子は喜んだ。まぁ、こうなるわな。人手はあればあるだけいいし。
杏子やカイリスに近づこうとする、下心丸出しの柳はそれをオブラートに包むのが非常に上手い。
その秘匿術に、ついついおれもしてやられる事が多々ある。
「紹介しよう。香ちゃんだ」
「よろしく、香ちゃん。俺は柳っていうんだ。今日はよろしくね」
さすがに柳も小学生に対してはシャイが出ない。
身をかがめながら、柳が香ちゃんに向かって手を差し出した。
人見知りの激しい香ちゃんはしばらくモジモジした後、フイっと顔をそむけてそのまま、駆けだしていき、そこに居た時子の腰に、ポヨンっと、抱きついた。
それを見届けた柳がおれを見る。
「馬鹿ラッカン。ふぅ、考えが浅いな、ライバルだと思っていたが………墜ちたものだな」
ふぅとか口で言うな、せめてため息でしめせ。
「柳、今日は香ちゃんに粗相がないようにな」
それだけで、おれの言いたい事が奴には伝わったようだ。
「ああ、お前の目論見通り、今日、香ちゃんとやらの面倒は俺がきっちりとみさせてもらう。ラッカン。お前のこの作戦は、二人…………いや、あの時子さんって誰だよ!? めっちゃ美人じゃねえか!? すげぇ緊張したぜ!!!」
「従姉妹だ。そしてお前にはカイ子と杏子同様、縁遠い存在だ。気にするな」
「……まぁいいや。いいか、お前の作戦はとの会話を減らしただけにすぎない。柳の親戚の集まりとかでも年下から好かれる体質を知らなかった事が、設楽、今回のお前の敗因だ。しかも俺は、男児、女児問わず人気あるからな。俺自身も、子供らの面倒見るのも割と好きだし」
「まずは香ちゃんと仲良くなってから、そう言う事を言え」
っとおれは柳をせせら笑った。
柳のバカめ…………、おれの本当の狙いと覚悟も知らず、本当に浅はかな奴だ。
「私とカイ子ちゃんと杏子ちゃんと時子ちゃんは、向こうで探すから、貫一くんと柳くんはずっと、下のあっちね!!」
「え? え? ああ、でもさ。みんな、いや、ラッカン、じゃない、設楽だけ下に行かせて、おれはそっちの方がよくない?男手あった方が絶対いいと思うよ?」
「え? いらない。シロートは邪魔だし、足手まとい。兄ちゃんは知らないだろうけど、今の時期そんなに量は採れないんだ。ポイントとかも知らないでしょ?貫一くん知ってるから」
っと、前日に根掘り葉掘りおれからポイント情報を強奪していった山菜採り素人の香ちゃんが柳にそう言った。
じゃ~~~ね~~~~お昼にね~~~~っと香ちゃんがブンブンと手を振るのを見ておれも振り返す。その後ろで三人も手を振ってきたのでおれは脱力しながら振り返した。
柳は……不随意、反射運動オンリーといった感じで同じように手を振っている。
時子と杏子の手を取り、後ろにはカイリスを従え、その真ん中で、はしゃぐ香ちゃんは一行は去っていった。
「なん………だと?」
遠ざかる三人の背中を見ながら柳の奴は驚愕の面持ちで棒立ちだ。
ざまぁみろと、おれは柳に声をかけた。
「ふっ……。わかったか?柳よ。この作戦の真の意味を!!!」
試合に勝って勝負に負けたというか、トンビに油揚げというか。
「おまえの面倒見の良さを利用というのは、ブラフ。本当の狙いはこれだ。香ちゃんは一人っ子でな、しかも見たとおりの小学生。気のおけない目上には露骨にワガママになるんだ。あと独占欲が非常に強くなる。初対面のお前がこの場にいたとしても、大好きなカイリスと杏子と時子、あと気を使う必要のないおれがいれば、彼女のワガママは遺憾なく発揮されると、おれは読んだ」
そう、読み通りだ。
「本来は、まだ三月だし香ちゃんは家でお留守番って事だったんだが、お前が来る事になったんで、面倒くさがる香ちゃんに、厚着してもらって来てもらったんだ」
まぁ天候がいかに悪くなろうともシドラパワー全開にできるあの三人がいたならば、遭難その他の事などは心配していないが。
おれはもう見えなくなった四人の消えた方向を見ながらさらに言葉を重ねる。
「四人や五人で来ると大抵は三対一、四対一に別れる。おれの抵抗は上手くいった例しがないから、もう抵抗すらしていない」
「だから香ちゃんが行きたいとダダをこね始めると、その日のおれの友はずっと虫と草、時々鳥やリス、小動物……あいつらはすぐ逃げちまうが、恒温動物、つまりは、虫や草と違って、おれと近しい存在だ、アハハハハハハハハハハハハッハハハハハハハハハハハ!!!」
「もう言うな!!気を確かに保って戻ってこい!驚くほど気持ち悪いシスコンのラッカン!!!」
「……今日はおまえが居てよかったぜ。少なくとも会話の相手はいるわけだしな。ああ、昼飯時に、組み替えしようとか無駄な事を考えるなよ? ウチの家では基本、香ちゃんとおれが居る場合に限り、彼女に逆らわないっていう方針があるからな」
おどけて笑おうと思ったが、自分の予想よりも遥かに渇いた笑い声が出てきた。
諸刃の剣である。おれは地面にへたり込んだ。そして拳を地面に叩き付ける。
柳も隣で、重い道具をドサリと落としつつ、
「そんなん………………あの子、無敵じゃんか…………」
そう言いながら両膝をついた。
そう呟いた柳の言葉はおれにも浸透していき、山彦のようになって耳朶をついた。
「………お前も大変だな。設楽!」
「………おう」
オーアールゼット的にうな垂れていたが、いつまでもこうもしていられない。
膝の汚れを払い落として立ち上がる。
「なぁ?柳。せめて勝負でもして、気を紛らわすか? 採れた山菜にでもポイントつけて」
「…いいなそれ。なにより徒労感が薄れそうでいいアイデアだ………本当にいいアイデアだ」
おれ達、男手組は最後の最後に解り合えた。