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「どうして僕の目や髪はみんなと違う色なの」
ようやくできた遊び仲間が、また一人、また一人と親に手を引かれて去っていくたび、旧家の末息子は行き場のない憤りを黒髪の母親にぶつけてきた。
他者に強烈な印象を与えるのは、その両眼のガーネットの原石と、夕焼けのような髪色のせいだが、この異質な身体的特徴が、日向焔の幼いながらの人生を少なからず左右してきた。
焔がまったく面識のない大人達からおぞましいものを見るような目で観察されるのも、宗家の兄弟から侮辱されるのも、陰陽道の大家にいて彼だけがその教育を享受できないのも、みな先天的な置き土産がもたらした産物ならぬ惨物だった。
焔の育ての母、日向なつめは、名のある世襲神職の血筋に生まれ、彼女と同じく当時16歳だった陰陽大家の嫡男と、一度も顔を合わせないまま結納の日を迎えた。
特殊な家柄ゆえ、世間との接触を好まない日向一族は、何代も前から都からはるか北の山奥深くに隠棲してきたため、隔離された辺境の異界で幽閉も同然の生活を強いられてきた嫁であった。
しかし、閉ざされた世界の中でさえ、穏やかな微笑みがかぎりなく優しい母であった。
焔が心を許せたのは、母なつめのやわらかな手が舞い降りて、春の陽光に似たぬくもりが頬を温める一時と、夢も見ないほどに眠りこんだ深い闇夜だけで、肉体的ではない慢性的な苦痛に忍耐という縄をかけ、いつかは訪れるであろう離別を密かに予感しながら、ただじっと耐え続けるしかなかった。
――そして、運命は文字通り少年をさらいにやってきた。
10歳の長い冬の出来事である。
屋敷の裏手にある井戸へ水くみに出かけた一瞬、焔は覆面を付けた数人の男達に拉致された。
彼ら賀茂家の隠密は、日向の空に昇った太陽が作りだした影と言えよう。
安倍家の晴明、日向家の無双のような卓越した奇才をついに輩出できずに、賀茂一族は数百年の停滞をうれえていた。
もし賀茂に頭脳があれば、まだ手つかずの異色にして末恐ろしい才能を、大輪の花ひらく“金のなる樹”に育てあげることもできたであろうに、せっかくのチャンスは、停滞の憂鬱が産みおとした拙劣な浅知恵によって、むなしくも風塵と帰してしまったのである。
実父・無双は、生まれてまもない赤毛の息子を正妻に預けたきり、その後の消息が分からなくなっていた。彼が清盛の屋敷に戻ったのは、その年の秋のことである。
脅迫じみた“取引状”を受け取った無双が、ほとんど閉口して、単独で敵地のさなかへ赴いた時、訳も分からず監禁されていた人質は、記憶上初めて実の父親と対面した。
――焔は、その場に居合わせた賀茂家の陰陽師を、一瞬のうちに全滅させた宗家当主の強大な神通力よりも、自分の父親の目と髪の黒いことに驚愕していた。
感情のパレットの絵具が極端に乏しい白皙冷眼の男は、今しがたむずがゆい抵抗を示した宿敵の首を手にとり、冷ややかにわが子を見つめた。
「お前に陰陽道を教えてやる」
――これより数えること一千日。
時間も方角も分からない山奥のそのまた奥地で、焔は生き地獄を見ることになる。
そして来たる999日目、前代当主でさえついに会得できなかった日向開祖きっての陰陽術奥義、“導光神来迎、をあつかう史上三人目の術者がこの世に誕生した。
そして千日目の夜――
300年続いた宗家の血筋が、二人の例外を残して、永遠に途絶えた。
燃えたつような不気味な夕闇のなか、宗家は山ごと大量の黒煙を噴きあげ咆哮しているかに見えた。熱風が暴れ灰が踊り飛び、呆然と立ちつくす焔の目前でかつての巨大な牢獄はひたすら崩落していくのだった。そして、黒髪の母親は灼熱の海原で短すぎる生をひっそりと終えようとしていた。
安穏や平和とは宿命的に無縁なわが息子に、血の繋がらない母は初めて彼の真実を語り聞かせた。白い頬に絶望の影を落とした13歳の息子が輝く金の涙を流した時、彼に人の心を宿した唯一の人間はこの世を去ったのである。