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高巳と別れると、梢に抱きこまれた石畳の参道をローファーで踏みすすむ。鬱蒼と茂る青葉のなかで気温は二度ほど低い。やがて背丈ほどの石灯籠が立ち並びはじめ、正面に朱塗りもはげ落ちた鳥居が見えてくる。
50年に一度の定例祭祀“水神祭”を控え、古びた神社は普段と打って変わり活気づいていた。
万希の実家の家系が代々護ってきた月城神社を、奇妙な男が訪れたのは、ちょうど17年前のことである。
子供の無かった神主夫婦は、晴天の朔の晩、黒装束と白銀の長髪を激しく濡らし、無言で立ちつくす男の腕の中から、生まれてまもない赤子を、心惹かれるまま受け取っていた。女児は万希と名付けられ、歳月を経て人並みの女子高生に成長していた。
――人並みと形容するには、少し器量が良すぎるが・・・
起源をたどれば平安初期まで遡る月城神社が、奉っている祭神はニ体ある。一方は竜神、もう一方は人神だ。
伝記の竜神は名を黒竜鵬といい、異世界から襲来した忌むべき魔物とされている。
天空を覆いつくすほどの巨体と、火走る赤みがかった黄金の角を持つ黒竜で、人界に三日三晩の天変地異を引き起こした。
これを収めたのが陰陽師・日向玄翠であり、弱冠20歳で命を落とした人神だ。
伝記のくだりによれば、日向玄翠の封印術により、黒竜の身体は灼熱の白光をはなって崩壊し、漆黒の豪雨となって安城山に降りそそぎ、広大な池を形成したという。
池は後に水神池と呼ばれ、ニ体の御霊の墓場として、丁重に奉られることになった。
万希はそれこそ赤子の頃からこの神話伝説を聞かされて育ったが、肝心の巫女がまったくの不信心に徹している。
唯一の関心といえば、水神祭の儀式の一環で奉納される“鎮魂の舞”という舞だ。祭が始まって千と数百年、口伝にて継承されている。日向玄翠が愛したと伝えられる舞なのだが、詳しくは伝記にも語られていない。代々の踊り子は月城家の血筋から選ばれてきたが、この年30代目の踊り子として名前を後世に残すのは、月城万希となった。
境内に入らず、石段の頂上に腰を下ろして涼んでいると、階下から声がした。
「万希ーいるかー」
別れたばかりの高巳だった。麓の料亭“音無”が、叉倉家の城である。
早くもポロシャツにジーパンで、そして決定的なのは背中の巨大なボストンバッグだった。ピンと来て、万希は駆けおりた。
「なにあんた、今度はどこに行くの」
「ちょっとな」
“行雲流水”と“無一物”が座右の銘である幼なじみは、入学以来一度も試験で校内順位二位より下に転落したことがないのに、学年一出席日数が足りていない。周囲に何も告げずふらりと姿を消し、数日経ってまたふらりと戻ってくる、なんていうことが多々ある。その失踪期間中、事実上の成績に限った優等生が、いったいどこで何をやっているのか、知っているのは万希と彼の履き慣らしたスニーカーくらいである。
物好きは“全国史跡巡礼の旅”をやっていて、万希の携帯電話は土産物のストラップが増大する一方である。
「しばらく戻らない」
相変わらずの言葉足らずは、具体的なことは一つたりとも言わない。
「次の水神祭が見られる保証はないよ」
アッシュ・グレーの瞳が曖昧に笑っているが、万希にはその意味が読み取れなかった。
「まあ、無理に詮索する気はないけど」
つとめて平淡な態度を作った。
「行ってらっしゃい」
「祭、頑張れよ」
軽く片手を上げ、灰髪の少年は踵を返した。
「……」
何かが確実に腑に落ちないのに、その違和感の正体がわからない――
万希は、初めて幼なじみを引き止めたいと感じた。
「高巳」
――喉まで出かけた声を、押し殺した。
どうしようもなく欠けているのは、ずっと昔からなのだ。
家族同然にお互いを知り、心を許し、ちょっと手を伸ばせばいつでも触れられる距離にいるのに、パズルとしてどこか不完全なのである。
ピースの空白は17年間同じ形をしており、ずっと埋まらない。それを言語化するのは難しく、愛や情や絆と言えなくもないが、どれも核心を突くものではなく、もっと根本的というか、普遍的な何かが初めから欠けているのである。
それが、月城万希と叉倉高巳の手のつなぎ方だった。