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◆ 5 ◆
「好き嫌いが激しい子だから、扱いには気をつけてね。特に言葉遣いが汚い人を嫌うから」
「おい、お前も来いよ」
「やーよ。命が大事ですもの」
あっさり断ると、美女は強引に白夜を引っ張りあげた。
「言ったでしょう?あなたにしか“あれら”の相手は無理よ。――よしよし花子、ちゃんとお利口さんにしてるのよ」
だらしなく伸びた花子の鼻筋に本来の性別を疑わしく思っていると、美女のキスで欲望も満たされたのか、式神は俄然やる気で勢いよく地面を一蹴りした。
「おわっ」
無様にも振り落とされた銀髪のご長寿は、乗り物の片足にひっしとしがみついた。
「花子ー、危ない目にあったらすぐに帰ってくるのよー」
遥か眼下で飼い主が無邪気に手を振っている。
「俺よりペットの心配か」
苦々しく舌打ちしつつ、なんとか背中に這いあがった白夜はふうと溜め息をついた。
「竜が竜の背中に乗るなんざ、こんなバカな話があるか、まったく・・・」
戦場に着くやいなや、白夜は元恋人が空飛ぶペットを従わせた訳を理解した。“平清盛の屋敷”を“渡り先”に指定した意味もである。
天下の中枢を座標軸に都のうち半径数キロメートルは“守られて”いた。広大な結界をほどこした主は、どうやら足元の屋敷を一番に保護したかったらしい。
しかし、ある地点を堺にその向こうはもはや別の惑星である。完膚なきほどの壊滅と、むきだしの大地を覆う分厚い噴煙。そして、長生きついでに世界をくまなく知りつくしているアイス・ブルーの瞳を氷結させたのは、噴煙の先に見える“絶景”の眺望だった。
黒、は分かった。それは数奇な星の下に生まれた弟子の、運命を焼き焦がす炎の色である。だが、“紫”が分からない。
白夜は3000年の生涯で対峙してきた神、妖魔、あらゆる情報を網羅した記憶の帳面をめくった。だが彼の虎の巻に紫の炎を妖気にまとう対象はただ一種であり、その種族は滅亡して時が経ちすぎている。情報の信用性なら太陽と月の秩序にも勝ると言い切れる。なぜなら、彼らの最期を看取ったのは白夜本人だからである。そして唯一の末裔も、このまま人界でひっそりと息絶やそうと思っている。
地平線上で激突する二色の火柱を愕然と目に焼きつけて、師の脳裏を後悔の文字がちらついた。
四年前、風呂敷にくるんだ里親の骨をかついで、まだあどけなさの残る赤毛の少年は水神池にやってきた。
「母方の実家が守る月城神社に遺骨を納めたい、その後は自分も池に身を沈めて命を終えたい」
そう、うわごとを言いながら月の無い夜空を眺めていたのである。
半ば好奇心、半ば使命感――
銀髪の墓守はこの人界の一族との奇妙な縁に内心首をかしげつつ、旧友の子孫に異種の血流を共存させる道を開かせるべく、少年の心臓にからみついていた封印術を解除し、妖術のいろはを教えることを決意したのだった。
「黒い方の血は使うな」
魔物以上にやっかいな怪物を育てあげた、それは師の弟子に対する、ひいては人界に対する責任でもあった。いつか故郷の地を踏んだ時人生の選択肢が増えるように、と、躊躇なく鍛えきわめさせた能力だった。白夜が本当に危惧しているのは、天界レベルの妖力と名門大家の神通力とが強力な二重奏を奏で、いつかは中途半端な肉体の器を破壊してしまうのではないか、ということであった。
とにもかくにも、止めなければ――
白夜の眼光は動揺を抑えたものに変わった。
止めなければ?
・・・どちらかが確実に死ぬのである。
「式神、お前は“あそこ”へ俺を降ろすだけでいい」
指し示された方向を凝視したまま、花子の武骨な胴体は金縛りにかかっていた。恐怖に心を折られたのである。
「・・・どうした、嫌か、花子」
「・・・」
「案ずるな。結界が無くともお前一匹くらい守れるさ」
花子の蒼白な顔に、まだいくばくかの迷いと、穏やかな安堵の色とが表れていた。しかし足止めの引力は相変わらずなようである。
「・・・褒美は何がいい」
突然、色男は甘いささやき声でくすぐった。
「お前の主人のことなら何でも知ってるぞ。この“時空石”を使えばあーんなシーンやこーんなシーンも見せてやるぞ」
「グ、グエ・・・」
陶酔した目つきをわずかに怒らせて、エロ式神は銀髪の乗客をにらんだ。この瞬間同性ならではの確信が芽生えたが、白夜は聞きとがめなかった。
扱いやすさに興じて、彼はさらにもう一息吹きかけておいた。
「彼女は本当に、“女”だぞ」
決定的だった。
名ばかりの雌飛竜は奮然と熱風の乱気流の中へ立ち向かった。