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    (3)

    ◆ 3 ◆



 灼熱の閃光に四方から襲撃され、戦場の兵力のどこにも属さない赤毛の一匹狼は反射的に宙へ跳んだ。一躍で10メートル上方の空気を吸うことができる。驚嘆して敵が一瞬の硬直状態をつくったのを、天狗少年は見逃さない。落雁(らくがん)のごとく下降して一刀即伐(いっとうそくばつ)する。


「宗家の末息子だぞ!」


「討ちとって名を()せろ!」


 奮起して群がりくる俗兵達を焔は愉快げに迎えた。一端(いっぱし)の名門陰陽師が同業者の力量も目算できないのかと呆れたのである。


「浪費ぐせの素人め。欲に目がくらんだか」


 神通力をかよわせた刀身は蛍石さながらに輝き、筆致流麗(ひっちりゅうれい)とした青い曲線が敵の挟間に道を開いていく。


「紅き落胤(らくいん)が・・・」


 皆、臨終のあらがいは精一杯の精神攻撃と決まっている。崩れていく敵陣に絶世の美少年は氷の冷笑をはなむけてやる。



 賀茂の残党の報復の炎が宗家を焼きはらってから四年の歳月が流れていた。

 感情のほとんどをみずから麻痺させた混血の生き残りは、先天的に授かっていたものの未だ未開の地に息を潜めていた怪物を、流浪の数年の間に手なずけていた。


 しかし焔がその強大にして巨悪な能力を他者に披露することはこれまで一度たりともなかった。“黒い方の血は使うな”――かたくなに守ってきた自己誓約は、魔物の力を借りることすなわち己の敗北だという認識からきていた。


 陰陽大家、日向と賀茂――互いに宗家を討ちとられ四年の間冷戦状態にあった双方の分家に、開戦の地雷を踏ませたのは、漁夫の利が目当ての第三勢力、安倍家だった。安倍にとって最も望ましいシナリオは、実力の拮抗する両家が互いを仇と見なしているうちに潰し合い、戦禍にのまれて日向の当主は失脚、平家一門とその庭園――朝廷という名の――は全面的に安倍と契約、陰陽界は安倍という枢軸に一本化される・・・というような流れだった。

 とはいえ、日向宗家の焼き討ち事件からは干支が四回変わっている。それまでただ待つのみだった漁夫が自ら地雷を設置したのは、「せざるを得なくなった」理由があったのである。


 日向分家の中で、新たに宗家の構築をもくろむ革新勢力が起こったのだ。


 実際、奇抜すぎる現当主は異界の混血児をかばって宗家崩落の原因をつくったばかりか、その優れた千里眼(せんりがん)をもってすれば未然に防げたであろう惨事を平然と見過ごし、のうのうと最高権力を笠に着て横着を決めこんでいる。

 日向無双を失脚させる計画が内密に企てられると、共通の敵を認識する意味で賀茂との協定も視野に入ってくるし、入れなければならないだろう。日向無双を落とす、とはそういうことであり、それは宿敵とて熟知している現実だった。


 たとえ一時的であるにしろ、安倍はこの同盟関係を恐れていた。そしてこちらのシナリオが時とともに現実味を帯びてきた。しかし両家の間に一触即発の空気が充満している事実は依然として変わらない。多少指で突いてやれば恨みの貯水池を決壊させることは造作なかった。

 安倍の狡猾さは相手にとって痛切なトラウマを再現したところにある。日向の次代当主最有力候補の嫡子(ちゃくし)を賀茂に拉致させたのである。無論、真実は安倍の芝居である。偽造された脅迫状を真に受けた日向は、手法自体この上ない宣戦布告だと激昂(げきこう)し、この上ない返答をもって応じた。


 かくして後に陰陽戦争と語り継がれる異色にして歴史的な戦役が幕を開けたわけだが、幸か不幸か、予定外の飛び入りゲストによって戦況は安倍の思惑からそれていくことになる。招かれざる客の名は日向焔。戦場の誰もがその“悪名”を知っていた。


 ――正当防衛のたびに不本意な戦功が積み重なっていく熱意なき参戦者は、はるか前方にひときわ輝く先陣をとらえると足を速めた。どこにいようが明らかすぎる神通力の鮮烈な光彩・・・。巨大な光の半球が前方に現れ、数秒後、元の暗闇には直径50メートルほどの空白地帯が地面を丸く切り抜いていた。

 四年ぶりに父の術を見た、と、焔は薄く笑った。一千日の修行の日々が思い出された。父、無双は扱えるすべての陰陽術を一族のはぐれ者に伝授した。その真の思惑などは知らず、懸命な努力をもって応えてきたかつての自分が、今となっては滑稽だった。


 焔は刀を鞘に納めると、返り血に染まったどす黒い着物の襟元を正し、正面の人物へと歩みを進めた。無双の術の前に放心状態の敵兵達はおとなしく、自分の歩く道を開くために余分な労力を使う手間が省けた。


 薄黒いガラス玉のような眼が興味深そうに焔の表情を探っている。


「さて、これは奇なること」


 低い声にどことなく蜜のぬめり気があった。


「珍客だな。師に何も告げずに四年もの間、どこへ身を寄せていた」


 腰まで垂れる黒髪にまばらな銀髪が混ざりこみ、黒の狩衣(かりころも)に同色の差貫(さしぬき)の出で立ちで、長身の男は身ぎれいなものである。傷のひとつも見当たらない。


 焔は沈黙している。無双の声も途切れる。互いの眼を射たまま凝然と動かず、長い空白を雷鳴だけが埋めていく・・・。


 突如として、あらかじめ取り決めていたかのように、両者は両手に同じ印を結んだ。


導光神来迎(どうこうしんらいごう)!!」


 双方の掌に洞門が開き、目のくらむばかりの巨大な光の竜がその上半身を虚空に乗り出し、かっと口を開いて中央で激突した。

 闘志隆々、奔走していた戦場の勲臣達は、一同に足並みそろえて生きた“ぬけがら”と化した。これまでも彼らは、仕事の依頼となれば、相手が人であれ、死者であれ、同業者であれ魔物であれ、苦学と、生死を賭けた修羅場で体得してきた揺るぎない自信とによって、状況に応じた適確な対処と、岩山の鎮座を彷彿(ほうふつ)とさせる冷静さを示してきた。しかし、その識力こそが彼らを凍てつかせたのだった。とりわけ、その竜の何たるかを知っている日向一族の者にとって、目前につきつけられた光景はわずかな未来への希望的観測をも完全に断念するにふさわしかった。


 白いブラックホール、とでも形容しようか。ただし引力の餌食になった者には本物のそれに吸い込まれる以上の恐怖と絶望とが待っている。なぜなら彼らの行く先は宇宙空間の片鱗ではなく、敵の術者の掌だけが通り道の永久牢獄なのである。無論、この通路は基本的に一方通行である。所有者が気まぐれでも起こさない限りは・・・。

 白い巨大な竜は互いを吸収して一気に膨張し、天高く螺旋を描いて渦を巻いている。紫電(しでん)が乱れ飛び、凄まじい引力である。

 見ると、周囲に散在する敗者達の残骸から次々と霊魂が上がっていく。鼓膜を切り裂くような絶叫は、常人の耳には風鳴りとしか認識されないであろうが、死者たちのおぞましい断末魔だ。焔は術の会得中、片耳から血を流したことがある。

 「この(ごう)は千年の無限地獄の上をいくだろうな」――教えた方は軽快な口調でそう言ったものだ。



 戦闘至上主義者(せんとうしじょうしゅぎしゃ)


 父の魂に備わる、核と言うべきものだろうか。


 日向無双は平穏の波間に長く身を浮かべることができない。苦悶、不眠、幻覚などの禁断症状が表出するのである。児童期の彼の趣味は山犬の虐殺だったし、思春期は地縛霊(じばくれい)を陰陽術にかけて遊んだり、仕事で手にかけた優秀な同業者を霊魂になっても繋ぎとめて、魂がすり減るまで戦闘の相手をさせたりした。

 しかし、平凡な“精神安定剤”は次第に効果を示さなくなってきた。まともに精神生活をこなすために、強力な常備薬が必要だった。


 まだ幼い息子はそんな事情などは知らない。「自分は期待される存在なのだ」「強くなればもっと求めてもらえる、愛してもらえる」――虐げられたことしかない混血児は肉親の欲求を満たすことに存在意義を感じた。その愛が“まがいもの”であるとも知らずに・・・。


 どのような巡り合わせか、焔が真実を知ったのは奥儀を継承して明けた翌日だった。

 語り聞かせたのは絶命前の母親だった。赤髪紅眼の少年は、自分と父とがどれほど歪んだ存在なのかを知った。しかし本人にとっては大変な心的衝撃というわけでもなかった。


 そんなことより目前に迫っている最愛の人の絶望的現実が、焔の全思考回路を凍結させ、心を“もぬけのから”にしてしまったのである。

 彼の頭脳が情報を正常に処理するまでに、実に四年の歳月がかかった。引き換えに感情というものを失くしたが“そうするしかなかった"のだ。一人生き残った者の、それは運命(さだめ)だったのだから。



 ――両者の攻防は依然としてかたがつかない。


「息子の霊魂を捕虜にして何とする?性癖(せいへき)を満たすための玩具(がんぐ)として永久にもてあそぶつもりか!」


「お前こそ、実の父に何の恨みがある。恩義を忘れた浅ましき外道が」


「なぜ“妻”を見殺しにした。賀茂にとどまらず己の一族をも焼き殺し、父上の魂はどこへ向かう」


「・・・その黒い心臓に死者をいつくしむ美しい血が通うのだとすれば、分け与えたのはこの俺か、それとも・・・?」


 無双はほの暗い嘲笑を浮かべた。


「戯れるな!」


父のセンチメンタリズムをきっぱり拒絶して紅眼の息子は瞳に炎をちらつかせた。


「一族をかばう気はない。俺が聞きたいのはただ二つだ」


「言ってみろ」


「“日向なつめ”を愛していたのかということ」


 “母上”と、もはや焔は呼ばない。それが彼女への愛でありせめてもの恩返しなのだ。


「そして、俺にたずさわったもう一人の女の正体だ」


「正体だと?」


 無双は突然声をたてて笑いはじめた。


「一つ教えてやろう。私が手にかけた者どもの葬列にはおらぬ。逢いたいなら逢うことも可能だ。しかしそれまでに命がもたぬだろうな」


「もつさ」


 焔を包む神通力の色が変わった。


「だからお前に逢いにきたんだ。この逢瀬は旅立ちの儀式だよ」


 無双の黒曜石の両目が大きく見開かれた。互いに絡み合った二頭の白竜を外側からさらに黒い炎が取り巻いて空冥に滅したのだった。


「導光神を、いともたやすく・・・」


 父親の表情は驚愕から歓喜の笑みへと変わっていった。

 この何とも言い表しがたい病的な笑みを直視すると、理性と平静がにわかに消失していく息子だった。


「どこの世話好きか、親切にも親の愛情を“断ち切って”くれたらしい」


 この笑顔を根深い心傷にしてはいけないんだ、と、焔は己に言い聞かせるのだった。純粋に信じてきたものはニセモノだった。父子も師弟も絆も何も、すべては道化芝居に過ぎなかった――


「俺は魔界へ行く。父上が口を閉ざすならば自分で探すまでのこと」


 事務的な乾燥をはりつけ、焔は言いはなった。無双は上気した顔を一瞬しかめた。


「無知なり。行くすべも“持たぬ”やつが」


 焔はおもむろに首筋に手をやる。


「母上は臨終のきわまで愛した男の落胤が行かんとする道を案じてくださった」


 “それ”を外すと、雷光の天空に悠然とかかげた。しなやかな指先で碧海(へきかい)の色をした水晶が揺れた。



 途端に無双を包んでいた空気が変わった。


「・・・それは時空石(じくうせき)


 声はさらに低く獣の息をしている。彫りの深い容貌に陰影が増し、鋭い三白眼に殺伐とした気迫が満ちている。


須弥山(すみざん)の宝石がなぜなつめの手元にあった・・・」


「俺の道をひらくのは俺自身ということだ」


「ならばそれを止めるのが父親の所為というもの」


 焔は父の行動に違和感を覚えた。その時黒髪の当主は上半身の衣をはぎ、胸部のやや左下に右手の二本指を添え、いつかどこかで聞いた覚えのある呪文を無表情な口調で唱えていた。


 ――この呪文を知ったのはいつだったか・・・


 記憶の大河にしばらく意識を放って焔ははっとした。

 門外不出のそれを口ずさめる者は限られているのに、彼はそれを異界の住人の口から聞いたのだった。



 日向無双の体内で、解禁された人外の力が火を噴いていた。




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