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王子失踪




 ジークベルト王子の姿が消えたという報せを受けた国王ハルバートは、即座に朝議を中止すると、ジークの部屋へと向かった。

 ハルバートがジークの部屋へ姿を見せると、捜査をしていた王宮警備隊の者たちが一斉に立ち上がって敬礼する。

 そして捜査の進捗状況について説明した。

 

 朝、ジークベルト王子を起こしに来た侍女によって、王子の身に何かが起きたことが発覚したこと。

 部屋の中にあった机や椅子が倒れ、花瓶が床に割れ落ちていたこと。更に僅かだが血痕も発見された。


「警備の者は何をしていたのだ!」


 ハルバートは捜査責任者に説明を受けると、直ちに昨夜の警備状況を王宮警備の責任者と当直だった者へ問い質す。そして、ここ数年当直の者が持ち場を離れることが常態化していたと知るや激怒した。


 宮中の者たちには才無し、ミソッカスと評価され次期国王として不適格の烙印を押されていたジークだった。しかし、ハルバートはジークが国王に即位しても特に問題とはならないだろうと考えていた。


 大きな魔力容量(キャパシティ)を持つはずの王族なのに魔術が使えないという報告を受けていたが、そもそも王族が魔術を用いる機会など滅多にない。王宮には常に王宮魔術師が詰めていて、魔術が必要な事態となれば彼らを呼んで命じれば良いのだ。

 実際ハルバート自身、国王に即位して以後に使った魔術と言えば、夜に寝付けなかったため本でも読もうと『明かり(ライティング)』を使ったくらいのものだ。


 このことは別に魔術だけに限らない。

 王国の運営に関しては宰相を頂点として、内政に関してなら内務省、外交に関してなら外務省、国防に関してなら軍務省と、各省にいる大臣と将軍、官僚など専門家に任せてしまえばいい。

 王族は彼らの意見に耳を傾け、より良いと思われる意見を承認すればいいのだ。

 配下の意見を聞くことすらできない暗愚であれば問題だが、ジークの教養面は陰でささやかれているほど悪くない。優秀な家臣団に恵まれたなら、十分に政を執り行えるとハルバートは考えていた。

 剣術を始めとした武術、そして体力面ではかなり劣っているようだが、それこそ王族が前線で戦う機会などありえないだろうし、またあってはならない。幸いラトベニア王国は平和な時が続いていた。


(こんな事になるのであれば、ジークを王太子に擁立しておかなかったのは間違いだったか……)


 ただ、ハルバートの中でジークを正式に王太子とするのに迷いがあったのも事実だ。その迷いの原因はユイリアの事だった。

 十歳にして才色兼備と評判のユイリアは、教養、武術、魔術など大抵の分野で好成績を納めている。また、朝議などにも積極的に参加して、時に周囲をはっとさせるような鋭い意見を述べることもあった。

 もしも、ユイリアが男性に生まれていたとしたら、そしてジークベルトよりも早く生まれていたとしたら、ハルバートの実の子だったとしたら――。

 とっくの昔にハルバートはユイリアを王太子として擁立していただろう。


「お父様。皆が騒がしいようですが、何事かあったのでしょうか?」


 ジークベルトの行方の捜索、王宮警備者たちへの責任追及、そして関係者への口止めを内務大臣に任せて私室へと急ぐハルバートを呼び止めたのは、そのユイリアだった。

 ユイリアの周りには、彼女の気を惹こうと今日も若い貴族たちが従っていた。

 どうやら彼らはジークが失踪した事を知らない様子だった。


「ちょうどいい、ユイにもどうせ後で伝えるつもりでいた。ついてきなさい」

「はい」

「諸君、余はユイリアに用事ができた。すまぬが遠慮してもらえるか?」


 ハルバートに言われては、ユイリアが何処へ行くにも付いて回る取り巻きの貴族たちも従わぬわけにもいかない。


「ああ、麗しき姫様の笑顔がほんの僅かな時とはいえ、しばし見られなくなるのはこの身を引き裂かんばかりに辛いことにございます。ですが、陛下の御言葉とあれば、我らはその辛さに耐えお戻りをお待ちいたしましょう」

(ほんのひと時、ユイと話をするため連れて行くだけなのに大げさな事だ……)


 内心ではそんな事を考えつつも、彼ら貴族の若者たちにとって王族の姫君の心を射止める事は、何を差し置いてでも大事だと考える事を知っている。

 ハルバートは挨拶する彼らへ鷹揚に頷いてみせた

 ただ、ユイリアと二人きりになって廊下を歩いていると、娘がこっそりとため息を吐いているのに気づいて思わず苦笑を漏らしそうになった。


「大勢の者に慕われているな」

「はい。皆様、とても(わたくし)に良くしてくださいます」

「そうか」


 しかしハルバートが話しかけると、すぐに表情を取り繕って微笑みを見せるユイリア。


「ところでお父様。(わたくし)に用向きとは何でしょう? 以前、宰相様よりご相談を受けました、エストアの町の市壁拡張工事に伴う予算案の件でしょうか? それとも軍務省から要請がありました、新たな諜報部門設立の可否の件でしょうか? その件に関して意見を申せとのことでしたら、もう――」

「違う、そうではない」


 話を途中で遮られてしまったユイリアは、ハルバートの横顔を見上げた。するとそこには、普段家族には見せない厳しい表情をした父の顔があった。

 宮中の騒がしさ、それから硬い父の横顔から何か重大な事件が発生したと悟り、ユイリアはその後は黙って父の後に従った。

 そしてハルバートの私室へとやって来た。

 父の後について部屋の中に入ると、そこには母のミリアネアが座っていた。


「お母様……いったい、どうなされたのです?」


 ミリアネアの透き通ったような白磁の肌は、血の気が引いて青褪め、青い瞳は今にも涙が零れ落ちそうなくらいに潤んでいた。


「お父様、いったい……?」


 両親のどこか普通ではない様子。ユイリアの小さな胸の中で、嫌な予感が膨らんでいく。

 この場にいないもう一人の家族。


「あの……おにい様もいらっしゃるのでしょうか?」

「………………」

「ううっ………………」


 目を閉じた父の目尻に深いシワが刻まれ、こらえきれずといった母の嗚咽が聞こえた瞬間。


「何が……いったい、何があったのです!? にいさんに!」


 思わずユイリアは、自分でも記憶に無い程の大きな声を出して、両親に詰め寄った。募る不安がユイリアにそうさせた。


「朝、報告があった。ジークの部屋から、ジークの姿が消えていたそうだ」

「消えていたって……たまたまにいさん、今日は早起きして課題をこなそうと、先生のもとへ向かわれたとか……」


 ユイリア自身、推測を口にしながらもそんなことは無いだろうと思っていた。

 ジークの姿が消え、宮中で何がしかの騒ぎが起きている。

 最悪な想像がユイリアの頭の中で何度も浮かんで来る。その度に彼女は必死に打ち消し否定した。


「それともにいさんのことだから、皆を驚かしてやろうとして、どこかに隠れているとか……そうよ、きっとそうに違いないわ……」


 ハルバートは、声が震え口調が歳相応なものへと崩れていくユイリアの細い肩を掴んだ。


「部屋の中に争った痕跡が残されていた」

「……っ!」

「僅かだが血痕らしきものもあったとも聞いている」

「そんな……まさ、か……にいさんが……え……?」


 その様子を見て、ハルバートは少し驚きを覚えていた。


(まさか、ユイがここまでショックを受けるとは)


 息子が殺された、あるいは誘拐されたかもしれない。

 そんな込み上げてくる悪い予測に、ハルバートはもちろん、母親のミリアネアも大きなショックを受けている。ミリアネアに至っては、真っ青な顔色で今にも倒れてしまいそうだった。


 だが、その両親以上にユイリアはショックを受けている様子だった。

 小さな身体をガタガタと震わせ、日頃聡明さを感じさせる瞳には絶望の色が濃く宿っていた。

 家臣たちの報告では、ここ最近のジークとユイリアの二人は、ろくに顔を合わせることも無かったと聞く。食事の時間も別々だ。

 ユイリアの取り巻きたちが、評判の芳しくないジークと姫が極力接触しないよう取り計らっているという話も聞いていた。またジーク自身もユイリアとは、長い時間一緒に過ごさないよう行動しているようだとも聞いていた。

 幼い頃はあれほど仲の良かった兄妹が、いつの間にそんな疎遠な仲になってしまったのだ、とハルバートは内心嘆いていたものだ。


 だが、ジークが死んだかもしれないとショックに打ちひしがれているユイリアの姿を見れば、どうやらユイリアの方では兄を慕う気持ちが残っていた様子だ。


「よく聞きなさい、ユイ。ジークの姿が部屋から消え失せ、人が争った痕跡と僅かな血痕が残されていた。これは事実だ。だが、その血痕の量はほんの僅か。致命傷と呼べるような傷を負って流された血ではない」

「………………では、にいさんは……」

「今はまだ、生きている可能性のほうが高い。ただジークを殺すことだけを目的としたなら、抵抗する相手を連れて行く必要はないだろう? 王宮は本来警備が厳重な場所なのだからな。王族をその場で殺さずに連れ出すのはリスクが高い」


 警備が厳重と口にしたところで、ハルバートは苦々しげに顔を歪めたが、すぐに表情を戻すと取り乱したユイリアへゆっくりと言い含める。

 そのおかげか、呆然とした表情になっていたユイリアがコクンと頷く。そして父の言葉を噛みしめるかのごとく、うつむいて下唇を噛みしめていた。そのうちにユイリアの瞳へ、徐々に理解と希望の光が広がっていく。


「そう、そうね……賊には、今はまだ、にいさんを殺せない理由がある……」

「そうだ。だから今は落ち着きなさい。人ひとり連れて、そう遠くへ行けるはずもない。必ず見つけ出し、助け出してみせる」


 ハルバートの言葉に、ユイリアは何度も頷いていた。

 そんなユイリアをミリアネアが優しく背後から抱きしめた。

 さっきまで息子の無事を心配し、今にも倒れそうな顔色をしていたミリアネアだったが、自分以上に取り乱した娘の姿を見てしまったおかげか、彼女も落ち着きを取り戻した様子だった。


「必ずやジークを見つけ出す。今、軍、警備隊も総動員して――」


 その時、部屋の扉がノックされた。

 入ってきたのは王の私室前を警護する兵士だった。


「失礼します! ヨハン・ル・ハンネマンと名乗られる方が、陛下に面会をしたいと」

「老師が?」


 この警備兵は前王宮魔術師長だったハンネマンの事を知らないらしい。が、ラトベニア王国貴族の証、『ル』を持つ者だったことから、ハルバートに取り次ぐか否か判断を伺ってきたのだ。

 もちろん国王であるハルバートはハンネマンの事を知っているし、先々代の王の頃より仕えていた老魔術師は、相談役の肩書も与えられているので、何事かあれば王のもとへ訪れることだってある。

 ただ、ハルバートが王位に就いてからは、数回ほど世間話程度をしに、王のもとへ訪れただけだった。

 そんな老魔術師がこのような時にいったい何の用事なのか。


「今、余は老師の茶飲み話に付き合っている時間がない。別の機会に話を聞くと伝えてくれ」


 ハルバートは僅かに覚えたイラつきを目をきつく閉じることで呑み込むと、取り次ぎの判断を伺いに来た警備兵へ言った。


「は! ただ、陛下……」

「何だ?」

「その……ハンネマンという方は陛下にジークベルト王子殿下の事で火急の話があると……」

「何だ……と?」


 警備兵の口から出てきたジークの名前に、思わず王家の三人は顔を見合わせた。


「わかった。すぐに老師に来るよう伝えてくれ」

「は!」


(なぜ、老師がジークの事を……?)


 老魔術師ハンネマンは随分昔に引退した魔術師。王宮内へ特別に建てた庵で暮らしているとはいえ、広大な王宮内の隅も隅。ハルバートには二人の接点がまるで想像もつかなかった。


「失礼致しますぞ、陛下」


 警備兵に連れられてハンネマンがやって来た。

 もう百を越した老魔術師は、ハルバートの記憶の中にあるより更に小さくなっているように見えた。


「久しぶりだな、老師」

「どうぞ、ハンネマン様。こちらにお座りになって」

「おお、これはありがとうございます」


 杖を突いて歩くハンネマンにユイリアが椅子を進めると、老魔術師はシワ深い顔をくしゃくしゃに緩めた。


「どっこいせ……ありがたい。最近はあまり長い距離を歩きますと、腰が辛くなってきましてなぁ。王宮が広すぎるせいで、ここまで来るのに難儀しました」


 それからハンネマンは彼に微笑んでみせたユイリアの顔へ目を向けた。老魔術師に見つめられたユイリアが、少し身じろぎをする。老魔術師に全てを見透かされているような気がしたのだ。


「なるほど……ジークベルト殿下が、凄い、ただ凄いとだけ仰られるわけだ」

「おにい様が!?」


 ジークの名前を聞きつけパッとユイリアが顔を向けた。


「おにい様がどうされたのです? おにい様の事を何かご存知なのですか?」

「まあ、まあ、落ち着きなされ姫様。そう勢い込んで聞かれますと、この老骨には少々辛いものがございます」

「それがそう落ち着いてもいられないのだ、老師」


 そう言ったのはハルバートだ。

 ハンネマンの向かい側に椅子を持ってきて座ると、老魔術師を鋭い目で睨みつけた。


「このタイミングで、ジークの事で話があると老師がここへ参られた。つまり老師はジークの失踪について、何か情報を持っていると考えていいのだな?」

「やはり、宮中の騒ぎはジークベルト殿下のことでしたか」


 ハルバートの言葉にハンネマンは頷くと、懐から一通の書状を取り出す。そしてハルバートへ差し出した。


「これは?」

「ジークベルト殿下から、陛下への手紙でございます」


 一瞬目を見張ると、ハルバートは手紙を受け取り目を通す。そして手紙の内容に目を走らせているうちに、何度も目を見張り、ため息を吐き、そして最後は天を仰いだ。


「なんてことだ……」

「お父様……おにい様の手紙にはどのようなことが書かれていたのでしょうか?」


 もしも老魔術師の存在がなければ、ユイリアは王である父の手から手紙を奪い取るという淑女にあるまじき行為を働いていたかも知れない。


 内心では父の手から手紙を奪い取りたい。

 自分の目で直接にいさんの手紙を確かめたい。


 その思いをユイリアは、ハンネマンという家族外の存在のおかげでどうにか取り繕っていた。

 だが、その我慢もハルバートの次の一言で決壊する。


「どうやらジークは、己の足で王宮を出て行ったようだ」

「何で!? どうして!?」


 ユイリアは目を見開き、悲鳴のような声を上げた。


「どうして、おにい様が王宮を出るんです?」

「ユイ、お前に王位を譲るためだそうだ」





 ジークの書いた手紙には、長々とユイリアへの称賛が綴られていた。


 ひと目ユイリアを見た時より、傑出した才能を持つ者、本物の王者だけが身にまとうことを許されたオーラを感じ取ったこと。そして傑出した才能の前には、ジークがどれだけ努力をした所で決して届かないことを悟ったとあった。

 それからのジークは自分ではなくユイリアの将来について、真剣に考えるようになったという。


 ユイリアの傑出した才能が、無意味に埋もれるような事をしてはならない。

 ユイリアはラトベニア王国を更なる繁栄に導いてくれる可能性が高い。


 ジークベルトは五歳にして、そう思い至った。

 とはいえ、ユイリアは王家の姫だ。

 王家の手元にあるうちは良いが、やがて成長すれば国のために望まぬ婚姻を結ばねばならぬ日が来るかもしれない。

 嫁いだ先がユイリアの資質に気づき、自由に振る舞わせてくれるとは限らない。ラトベニアに限らず多くの国々で、貴族の女は男を立てるのが美徳だと教育されている。

 他家へと嫁入りすれば、ユイリアのせっかく傑出した才能は埋もれてしまう。

 それでも幸せだったなら何も言うことはないが、絶対に幸せになれるとも限らない。


 そこでジークはラトベニア王国の次期国王にユイリアを据えようと考えた。

 国王、そして王太女ともなれば、そうそう望まぬ結婚を押し付けられる事はないだろうと考えた。


「そして昨夜、ジークベルト殿下のもとへ暗殺者が差し向けられました」

「暗殺者だと? それでジークは?」

「もちろん、無事でございます。それどころか暗殺者を捕らえると、懐柔に成功して道案内役とし、王宮を出て行ったのでございます」

「ろ、老師は……ジークを止めなかったのか?」

「殿下の意思は五歳の時、このわしのもとへ訪れた時より固いものでした」


 ハルバートは一つ大きなため息を吐くと、脱力して椅子の背もたれに身体を預けた。


「五歳……五歳だと……ジークはそんな小さな頃より……」

「はい。すでに王国と、何よりも姫様の将来について考え、行動を起こしていました」

『兄』の漢字とひらがなの使い分け、それから時折ユイリアの口調が変化しているのは、誤字などではなく意図的なものです。



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