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才無し王子

 ジークベルト十歳、ユイリア五歳。


 勉強の方でも、相変わらずジークは『明かり(ライティング)』の魔術一つ習得することもできず、宮中の者たちから『才無し』王子というレッテルを貼られてしまっていた。

 そして一方、五歳になったユイリアは本格的に勉強を始めることになった。ところがユイリアは三歳の頃から兄ジークの勉強部屋に出入りしていたおかげか、基礎学力がすでに身についてしまっている。ほとんどの授業内容で兄ジークよりも進んだ箇所を勉強するようになっていたのである。


 このことがラトベニアのジークベルト第一王子は『ミソッカス』であるという評判に拍車を駆けた。

 ジークの学力、成績は魔術を除けば並の貴族の十歳児程度には達していた。だが、比較される対象のユイリアが凄すぎた。

 傑出した才能を見せるユイリアと対比されるようになったジークは、実像以上に劣っているとして見られるようになったのである。

 これにはさすがのジークも落ち込んだ。ユイリアの才能がとてつもない事を知っていたとしても、自分の実力が実像以上に低く評価されれば当然である。

 だが、すぐに思い直した。

 自分の実力が低く見積もられたなら、ユイリアの王位継承が容易になるからだ。

 なら、この状況を利用してしまおう。

 ジークはユイリアが王位継承するために、この状況を受け入れるどころか、更に加速させようと考えたのである。




「はあ、はあ、はあ、はあ……」


 息も絶え絶えとなって王宮内にある広場の周りを走るジークを、体育を任された教師が冷ややかな視線で見ていた。


「王子。いくら王族が前線に出て戦う機会が無いとはいえ、いざという時に走って逃げられるだけの体力が無いと困るんですがね?」


 教師の前に差し掛かる度に嫌味を言われる。

 結構な広さがあるとはいえ、広場をたった一周走っただけ。それだけでこんなにも息も絶え絶えになってしまった王子を見て、教師は呆れ返っていた。


(新兵にすらいないぞ、これほど体力の無い使えん奴は……。絶対に味方にいて欲しくない。仲間の足を引っ張るばかりか、こいつのせいで部隊が全滅しかねない)


 ヨロヨロと倒れてしまいそうなジークへ。


「ほら、もう一周です! もっと早く走ってください!」


 投げやりな言葉を掛けた。 




 ジークの運動能力はご覧の有様なのには、教師たちも知らない事情がある。

 夜。

 王宮内の者たちが夜番の者たちを残してほとんど寝静まってしまった頃、ジークの部屋の扉が静かに開く。 

 扉から顔だけ出したジークがそっと廊下を伺うと、ジークの部屋の守衛に立っている椅子に座って腕組みをしたまま、コックリコックリと船を漕いでいた。

 王子の寝室を守る兵士にあってはならない勤務態度である。減俸どころかクビを言い渡されても不思議ではない所業だ。

 それだけジークは王宮内の者たちから侮られ始めていたのである。

 しかし、ジークにとって見張りが緩んでいるのは好都合。

 足音を忍ばせて廊下を進み、通用口から外へと出ると一目散に広大な王宮の敷地の隅っこにある庵へと走った。

 そこでジークを待っていたのは老魔術師ハンネマンである。


「お待ちしておりましたぞ、殿下」

「今日もよろしくお願いします、師匠」


 ジークは深夜から明け方近くまで、師となってくれたハンネマンの指導のもとでたった一つの魔術の習得と、その使い方の訓練に明け暮れていたのだ。

 

「それにしても殿下。毎日の勉学に剣術や体術の訓練、その後でわしとの修行。ほとんど寝る暇もない。お身体を壊されてはなんにもなりませんぞ?」

「大丈夫ですよ、師匠。僕はまだまだ頑張れますから」

「睡眠を削ってまで行うわしとの修行のせいで、昼間の勉学にも影響が出ているのでしょう? 殿下の芳しくない噂は、わしの耳にも届いていますぞ」


 毎日の睡眠時間を削ってまでハンネマンのもとで修行した結果、ジークはギリギリの体力で他の授業を受けていたのである。疲労困憊な体で広場を一周すれば、息が切れてしまうのも当然だった。


「それこそ問題ないですよ。僕の評判が下がれば下がるほど、ユイの評価が上がっていく。ユイが王位へまた一歩近づくことになりますから」

「ふむ……ですが、暗愚な君主を望む者たちもいます。逆に聡明な姫様を疎み、殿下を担ぎ上げようとする者も出てくるのでは?」

「そうですね」


 ジークはハンネマンの言葉に頷いた。

 実際、まだ十歳に過ぎないジークなのだが、すでに彼が将来王位に就けるよう協力すると囁く者たちがいる。将来ジークが王となった時に優遇されるため、今から莫大な金銀財宝を贈り物として寄越す者もいた。


「そういった輩にも、僕が王位に就くことを諦めて貰う方法を考えないといけませんね」


 師匠にそう答えつつ、両手に書物を持ったままでジークは宙に浮いたままのカップからお茶を一口啜る。粗末な木製の机の上では、一冊のノートが開かれていて、ペンが忙しくノートへ走り書きをしている。

 不思議なことにジークは両手が塞がっている。ハンネマンもジークのいる場所から少し離れた場所に置かれたロックチェアに腰掛けていた。それなのに、お茶の入ったカップは宙に浮いたままで、ペンは勝手にノートへ文字を書き続けていた。

 その様子を眺めてハンネマンは満足そうに頷く。


「ふむ、大分完成の域に近づいてきましたな」

「まだまだです。ちょっと気を抜くと、すぐに消えちゃいますからね」

「それでも、ここまでこの術を完成に近づけた事、殿下の努力には頭が下がる思いです」



 ◇◆◇◆◇



 そして更に月日が流れる。

 ジークベルト十五歳、ユイリア十歳。

 王宮内、ラトベニア王国内に限らず国外までも、二人の評価は完全に定まってしまっていた。

 十歳になって社交界、そして民たちの前にお披露目されたユイリア。

 絹糸のように美しい蜂蜜色の金髪は、光を反射して金糸のごとく煌めいて見えた。そして宝石を思わせる碧眼、整った鼻梁、小さな桜色の唇、透き通った白磁の肌。

 ユイリア姫をひと目見た人々は、たちまち彼女の美貌に虜にされてしまった。

 そこへ来て、かねてから噂で聞いていたユイリアの聡明さ。

 開放された王宮の広場に集まった民たちは、バルコニーから柔らかな微笑みを浮かべて手を振る姫の姿を見て、噂は間違いではなかったと確信した。

 確信できるだけの、言葉で説明できない雰囲気をまだまだ幼いユイリアの姿から感じ取ったのである。

 ここに来て、ようやくジークがユイリアから感じ取った本物の王者だけが纏うオーラと、傑出した才覚を他の者たちが感じ始めたのだ。

 大国ラトベニア王国に才色兼備の姫がいるという噂は、他国にも広まった。

 ユイリアへ結婚の申込みが殺到したのは、当然の事だった。

 しかしラトベニア王国の国民たちは、この美しい姫君が他国へ嫁ぐのを願わなかった。

 できることなら、才色兼備だと言われるユイリア姫に女王として即位してもらいたい。

 そういった声が貴族、平民といった身分問わず聞かれるようになったのは、当然の流れだったかもしれない。

 そしてこの話が出る度に、槍玉として挙げられるのがジークの名前だった。


「ユイリア様に女王になってもらいたいが、やっぱり長男のジークベルト様が王位を継がれるのかなぁ」

「あの才無し王子か」

「魔術だけじゃない。勉学も運動も全然ダメダメなミソッカスだと聞くじゃないか。あれが次代の王様だって聞くとゾッとしないね」

「でも、第一王子だからなぁ。姫様が先に生まれてさえいれば、女王様になっていただろうに……」

「やっぱり生まれた順番って重要なのかねぇ……」

「それと男ってところだろうな」

「姫様が男に生まれていれば、ってか? そこは女に生まれてきてくれて俺は嬉しいぜ?」

「同感だ。あれは将来、物凄い美人におなりになりそうだもんな」


 酒場でもそうした話題が聞かれるようになった。

 誰もがユイリアに女王位に就いて欲しいと思い始めていたのである。


「でもさ、王様が王太子をお決めになられないのは、やっぱり才無し王子でなくユイリア様こそご自身の後継者に相応しいとお考えになられているからじゃないのか?」

 

 実際、国王ハルバートは王太子を決めていないのである。

 それがユイリア姫次期女王待望論者に拍車を駆けた。

 平民たちは無責任に酒に酔い、勝手に噂を語るだけであったが、王宮内の貴族たちはハルバート王が王太子を決めていないことこそ、ジークベルトに王位の目が無い根拠だとして露骨に行動へと出ていた。

 

 まずジークの取り巻きたちが極端に減った。

 ユイリアが王宮内の何処へ行こうとも、多勢の貴族たちがゾロゾロと後を付いて回る一方で、ジークにはほとんどといって良い程、周囲から人がいなくなってしまった。

 また、ジークへの贈り物も誕生日や節目に少々貰える程度に減ってしまった一方で、ユイリアは多くの貴族たちから毎日のように贈り物を届けられていた

 この貴族たちのジークに対するあからさまな態度の変化には、さすがにジークも苦笑いを浮かべざるを得なかった。

 あれだけ「兄さま、兄さま」と懐いていたユイリアとも、ほとんど顔を合わせることも無くなっていた。

 たまに廊下で出会うこともあるのだが、


「姫様、こちらの廊下、今日はどうやら方角が悪いようです。ささ、こちらへ」


 お付きの侍女や取り巻きの貴族たちが極力ジークとユイリアが接触しないようとしているようだった。

 そのため、ここ数年ユイリアと言葉を交わしたのは、王族の誰かの誕生日の時か年始の挨拶の場くらいだった。それも形式張っていて決められた言葉を交わすだけのもの。

 その都度ユイリアが何か言いたそうな顔をするが、あまり長くユイリアの傍にいると、侍女や取り巻きたちの表情が険しくなるため、ジークはさっさとその場を離れることにしていた。


 食事も一人で取ることが多い。

 父も母も、勉学に励むユイリアも忙しく、それぞれが自室で好きな時間に食事を取る。

 勉強や体術、剣術の修行を終えて部屋へ戻ると、冷めた食事が用意されている。給仕の一人もいない。それどころか最近では部屋付きの侍女たちもジークを蔑む者がいて、ベッドのシーツにシワが寄っていたり、部屋の隅に埃が溜まっていたりする。手抜きが見られるようになっていた。

 大国ラトベニア王国の第一王子であるはずのジークは、そこまで侮られる存在に成り果ててしまっていた。


 自室で一人、すっかり冷えて固くなってしまったステーキを、力づくでナイフで切り分け口に運び、白い脂分が表面で固まってしまったスープをすくった。

 食べる者への愛情もなにもかけらも感じられない食事。

 だが、ジークはひとくちひとくちを味わって食べる。

 ジークは知っていたのである。

 こんな食べるのに苦労するような硬い肉、冷めて脂が浮き固まってしまったスープであっても、平民からすれば豪勢な食事であるということを。

 ハンネマンの玄孫にジークと同い歳の女の子がいて、その子に連れられて何度か王宮の外へ出たことがあったのだ。

 もちろんその日の課題など全て放り出してのこと。ハンネマンに王宮外も見たほうが良いと助言されての事だった。

 その時に庶民が日常食べるものや、職人たちの仕事ぶりなどを覗き見ることができたのである。

 平民たちが食べている固いパンに僅かな肉の切れ端を浮かべた味の薄いスープを思い浮かべば、冷めたくらいで文句を言おうとは思わなかった。

 しかし日に日に酷くなっていく自分への扱いを見て、ジークはそろそろ来るべき日が来るかも知れないと思い始めていた。

 そしてその日がついにやって来た。



 ◇◆◇◆◇



 その日の夜も、ジークは自室から外へと抜け出すタイミングを見計らっていた。

 最近はジークの自室の前に立つ兵士の姿すら無い。

 以前は部屋の前にある椅子に座って寝ているだけだったが、それでも警護の兵士はいた。

 しかし今では、ジークが眠りに付くと警護の兵士はこっそりと持ち場を離れ、兵士たちの詰め所に戻って賭け事やゲームに興じるようになっていた。そしてそれを上司の騎士ですら、目をつむるようになっていたのである。

 

(ま、僕にとっては抜け出しやすくなったからいいんだけどさ……。さて、今日はなにしようかな。本の整理をしたら師匠がうるさいんだよな)


 最近、王宮を抜け出してハンネマンの庵へと行くと、ジークは家事手伝いをして過ごすようになっていた。闊達な老魔術師も齢百を超えて、日常生活に支障が出始めたのである。

 そこでジークは自身の修行も兼ねて、最近は掃除洗濯も夜中にするようになっていた。ちなみに昼間の世話は、ハンネマンの玄孫の女の子が世話をしてくれる。

 

(さて、そろそろ部屋の前から誰もいなくなったかな――ん?)


 部屋の外の気配を探っていたジークは、いつもと違う気配を感じたのである。




 その少し前。

 一人の黒装束に身を包んだ人影が、王宮内へ侵入を果たしていた。

 顔までも黒い布で覆った人影は、王宮の高い壁をやすやすと乗り越えると、音もなく王宮内を移動する。

 途中、どうしても見張りがいて通行が困難と見れば、音もなく見張りの背後へと忍び寄って一瞬の早業で気絶させた。

 殺してはいない。

 気絶させた見張りの兵士は、一見居眠りをしているようにしか見えないよう壁などに持たれかかせるなど偽装を施す。途中、見回りか交替に来た兵士がいても、同僚がサボって居眠りをしているだけにしか見えないだろう。そして声を掛けて起こしても、一瞬の早業で気絶させられた兵士には、何が起こったのかわからないはずだ。

 黒装束の人影は厳しいはずの王宮内の警備を、やすやすと潜り抜けていく。

 目標はこの国の第一王子ジークベルトの命。

 黒装束の人影はその道で評判の高い凄腕の暗殺者だった。

 警備の厳しい王宮内の庭を走り抜けた暗殺者は、通用口の一つから宮殿へ侵入を果たす。王子の部屋に通ずる廊下は、暗殺者が事前に下調べしていたとおり、拍子抜けするほどの無警戒さだった。

 わざわざ気配を殺し、身を隠して行動しているのが馬鹿らしくなるくらいに、見事なまでに人がいない。

 それでも油断せず気配を殺して王子の部屋の前までやって来た暗殺者は、静かに扉を開けると部屋の中へ音もなく滑り込んだ。

 情報によればこの部屋に、才無し、ミソッカスと呼ばれる王子がぐっすりと眠り込んでいるはずだった。


「っ!?」


 標的のジークベルト王子は起きていた。

 起きてベッドに腰掛けて、暗殺者をじっと見据えていた。膝の上には護身用だろう、金と宝石で装飾が施されたひと振りの短剣が鞘に入ったまま置かれている。


(……気配は殺していたはず)


 気配を殺す技術には自信があった。間違っても十代半ばの少年程度に気配を察知されるはずはない。

 その暗殺者の疑問は標的であるジーク本人が明かしてくれた。


「ダメだよ。確かにあなたの気配の殺し方は完璧だった。でも、見張りを殺したのか気絶させたのか知らないけど、その人たちの気配が急に消えたりしたらおかしいって気づくよね? そしてその気配が消されていく方向を見ると、僕の部屋がある方へと向かっている。だったら僕に用があると思うでしょう?」


 暗殺者は目を見開く。

 確かに見張りを気絶させてここまで来た。だが、それはここからかなり距離がある王宮の庭に立っていた見張りの者たちを、だ。

 宮殿内に忍び込んでからは、考えられないくらいに無防備な警備状態だったため、一人たりとて気絶させていない。


「そろそろ君のような人が僕かユイのもとへ来るかなとは思っていたんだ。僕の所へ来てくれて良かったよ。ユイの部屋は僕の部屋とは比べものにもならないくらい厳重な警備が敷かれているけど、君なら軽々と侵入できそうだ」

「………………暗殺者が向けられることを予見していたのか」


 口元を覆う布のせいで潜って聞こえてきた声は、少し聞き取りにくかったがジークは頷いてみせる。


「ラトベニアの第一王子は暗愚だという噂だったが、人の噂とはアテにならぬものだな」

「いや、そんなことは無いかな。僕が暗愚でミソッカスな扱いを受けているのは事実だよ。現に僕の部屋の周辺に警備の兵はいない。君が来るから僕が遠ざけたんじゃないんだ。言ってる意味、わかるかな?」

「警護するだけの価値が無いと、兵士たちに見限られたということか?」


 情けなさそうに笑う第一王子に、暗殺者も僅かばかりに同情を覚えた。


「だから安心していいよ。少々物音がしたところで、この部屋には誰も来ない。人が来るのは洗濯物の回収と朝食が運ばれてくる朝かな」

「弱小貴族の家の子どもですら、ここまで蔑ろな扱いを受けている者は見たことがない。少々同情を覚えるぞ」

「はは、ありがとうって僕を殺しに来た人へ感謝するのはおかしいかな? でも、僕だって殺されるのは嫌だからね。抵抗はさせてもらうよ?」


 ジークはそう言うと腰掛けていたベッドから立ち上がった。短剣を抜いて右手に構える。

 その短剣を構えた姿は、暗殺者の目から見ても様になっているものだった。王族だからか、深く腰を落として攻撃よりも守りに比重を置いた構えだった。

 守りに徹して時間を稼ぎ、応援の者たちが駆け付けてくるまで耐えるという戦い方。しかし、ジークの部屋周辺に兵士たちの姿はなく、応援が駆け付けて来そうにはない。本人の言うとおり、どんなに物音を朝まで誰も来そうになかった。

 そして暗殺者の腕前であれば、例え兵士たちがすぐに駆け付けてきたとしても、王子の守りをかい潜って命を奪うことは容易い。

 そのはずだった。

 ナイフを握り締め、せめて一息に楽に仕留めようと考える。

 静から動へ――。

 身構える王子に一瞬で接近し、暗殺者の動きにまるでついていけない王子から、まずは右手に持った短剣を叩き落とした。

 そして右手に持ったナイフが閃き、この憐れな王子の喉笛を切り裂――次の瞬間、暗殺者の意識が一瞬飛んだ。そして自分が王子の部屋の床に、大の字になって倒れていることに気づいた。


(――な、何が……?)


 常に冷静さを保っていた暗殺者が、状況を整理できずしばし呆然としてしまった。

 顎の辺りがひどく痛む。

 まるで何かに殴られたかのように頬にも熱が残っていた。


(魔術?)


 しかし、噂ではラトベニア王国の第一王子は『明かり(ライティング)』すらも使えない、『才無し』と呼ばれていたはずだった。

 それに魔術であれば、発動の気配を感じ取ってかわせたはず。

 いったい何が起こっているのか、理解できない。

 それでも暗殺者は、クラクラするのを必死に我慢して立ち上がる。脳を揺さぶられてしまったようだが、まだ王子を殺せるだけの余力はある。

 それに暗殺者にも切り札とも言える魔術があった。

 ナイフで喉笛を掻き切るつもりだったのだが、得体の知れない攻撃を受けた以上、魔術を使って距離を取って殺す手法に切り替えた。

 幸い、少々派手に物音を立てた所で、人が駆け付けてくるまでには時間がありそうだった。

 しかし。

 呪文を唱えようと口を開いた瞬間、右頬を殴り飛ばされた。今度は意識を保ったままだ。

 王子はその場から動いていない。

 すぐに左頬も何かに殴られた。続いて腹にも一発。


(何だ? 何が起こっているんだ?)


 防御をしようにも、いったいどこを防御すればいいのか?

 わかっているのは目の前の標的である王子がこの攻撃を仕掛けているのだろうということ。だが、王子の身体には攻撃の予兆を思わせる筋肉や腱の動きも見られない。


(こ、このっ……どうしろと……)


 ただ一方的に殴られ続ける。

 せめて頭部を守ろうと両腕でガードを固めても、ガードをすり抜けて殴られた。

 意識が朦朧とし足がふらついたところへ、トドメの一発とばかりに後頭部へ強烈な一撃を貰う。そして暗殺者は意識を手放したのだった。

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